森田童子の「逆光線」・・・自死遺族の会
NHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「自死遺族が語り合える場を『こころのカフェ きょうと』代表 石倉紘子」(08/3/15放送分)という放送があった。
氏は23年前、夫が精神を病んだ末42歳で自殺。それを乗り越えるのに、毎日泣き叫んで酒に逃げ、そこから抜け出すのに2年位かかったという。そして、保育士を退職したのを機に、何でも語り合える自殺者遺族の会を結成したという。
『こころのカフェ きょうと』はそのHPで「自死遺族の方々を対象としたわかちあいの場を設けることを目的とするボランティア団体です」と謳っている。
この話を聞きながら、フト「逆光線」という歌を思い出した・・・・。(話が飛び過ぎ?)
じつは、この歌のテーマが何と「自殺」なのだ・・・・。いつも歌詞を聞かない(意識しない)自分だが、この「逆光線」をいう歌詞の内容は凄まじい・・・。
その歌を歌っているのが森田童子という女性歌手。非常に不思議な歌声の持ち主で、
まさに童子(男児)の声だ・・・・。
Netで見たら、“1975年~1983年まで活動したシンガーソングライター”とある。
<森田童子「逆光線」>
「逆光線」
作詩・作曲:森田童子淋しい ぼくの部屋に
静かに 夏が来る
汗を流して ぼくは
青い空を 見る
夏は淋しい 白いランニングシャツ
安全カミソリがやさしく
ぼくの手首を走る
静かに ぼくの命は ふきだして真夏の淋しい 蒼さの中で
ぼくはひとり
真夏の淋しい 蒼さの中で
ぼくはひとりやさしく 発狂する
自分が森田童子という名前を知ったのは、93年に初めて「僕たちの失敗」を聞いた時である。その不思議な歌声。「ぼく」がたくさん出てくる歌詞・・・。
「ぼく」の歌詞から、“男性にしては声が女性っぽいな・・・”と、「正体」が分からずに随分悩んだ(?)ものだ・・・
Netでみると、やはり森田童子はコンサートでもレコードのジャケットでも、全く素顔を見せずに、そのまま活動を停止し、表舞台から去ったらしい。
同じように暗いテーマで歌うシンガーソングライターでは、山崎ハコ、カルメン・マキなどがいるが、森田童子は一段と暗い。
この非常に狭く閉ざされた「森田童子の世界」・・・。とうてい一般受けするとは思えないユニークな「森田童子の世界」・・。
Netでは「放送禁止」という言葉も出てくる。歌詞が刺激的なせい??
ともあれ、森田童子は25年も前の歌手であり、現在は主婦だという。もちろん復帰の可能性は0%。
1952年生まれというからもう56歳か・・・・。しかし、この様な厭世的な歌を歌っていた彼女が、今は孫のいる生活・・・ナンテ想像すると、何かおかしい・・・(ナゾの歌手なので、ひょっとすると隣に住んでいるかもね??)
話を戻すと、よく「死ぬことを考えたら何でも出来る」という。10年前に死んだ親父からも、昔、「戦争の時の事を考えたら、全て些細なこと」と言われたことがある。またTVで戦争からの生還者が「動くものは全て食べた。食えない奴は死んだ」と言っていた・・・。
戦場での生への執念と、対極にある自死・・・・。
たぶん心の切り替え=開き直りが出来る人は死なないのだろう。
自分もその様な場面に遭遇した時、果たして「開き直り」が出来るかどうかははなはだ疑問だ。だから「その様な場面」に出くわさないように、逃げるが勝ち・・・???
冬も過ぎ、これから夏に向かって一直線!
・・・という訳で、今日は一足早く、真夏の恐~い歌の話でした・・・・。
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コメント
森田童子といえば、10年ぐらいまえにテレビドラマの主題曲に使用されましたね。なんか学園ものだったような。
ときに管理人さま、実は自分の吹奏楽団が今度、レスピーギ「ローマの松」とチャイコフスキー幻想序曲「ロミオとジュリエット」って演るんですが、レスピーギってどうですか?自分は「ローマ~」の4楽章が好きなんですが。
投稿: 手ウイぱぱ | 2008年3月18日 (火) 19:55
手ウイぱぱ さん
そうですか。吹奏楽ですか・・・。演奏するなんて良いですね。憧れます・・・。
レスピーギといえば自分は「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲がまず頭にう浮かびます。この曲とは、もう40年も前の出会いです。“ローマ”シリーズはあまり聞きませんでした。CDを持ってはいるので今度じっくり聞いてみましょう。「ロミオとジュリエット」は良いですね。華やかで好きです。
投稿: エムズの片割れ | 2008年3月18日 (火) 21:19
かなり昔「不幸せとよばれる猫がいる~何時も私の側にぴったり寄り添っている~」誰が歌っていたのか、こんな歌がありました。歌詞間違っているかもしれませ。
「逆光線」を聴き始めた途端その歌が脳裏によみがえってきました。
投稿: 乙丸朝子 | 2008年12月 5日 (金) 14:44
乙丸さん
「ふしあわせという名の猫がいる いつも 私のそばに ぴったり 寄り添っている・・・」(作詞:寺山修司)
この曲は、浅川マキの「ふしあわせという名の猫」という歌です。(やっと解答できた!)
他には「赤い橋」とか「夜が明けたら」を歌っています。そのうち取り上げようかな・・・・
投稿: エムズの片割れ | 2008年12月 5日 (金) 22:58
森田童子 という字を見ただけで切なさがこみ上げてきます。
彼女との出会いは30数年前、1枚のLPレコードでした。
♪真夏の暑さの中で、僕はやさしく発狂する♪ というフレーズとセミの声が、今でも耳を離れません。
その後買い求めた6枚のLPと、2枚のCDが、僕をやさしく発狂させてくれます。・・・今でも。
投稿: コーデリア | 2010年1月 5日 (火) 00:16
コーデリアさん
コメントありがとうございます。
改めて聞いてみました。心に滲みますね・・。ふとamazonでCDを見たら、全部が廃盤。ついオークションで買ってしまいました・・・
CDが全て廃盤という事は、もう過去の歌手なのでしょう。でも歌だけは今でも生きていますよね。
投稿: エムズの片割れ | 2010年1月 5日 (火) 22:01
何と言うタイミングでこの曲を聞いてしまったのだろうと思っています。私が育った時代は自殺は手の届くところにあったようです。高校時代2人の同級生が死にました。私の教員時代の教え子にも自殺者はいました。私も自殺未遂は2回ほどあります。戦後の混乱期を経て必死になって生きてきた人達がふと振り向いた時、何か背中がゾーとする思いに捉われるのではないでしょうか。彼女の声を聞き、背筋が寒くなりました。遅ればせながら発狂をしてもいいのかなあ。発狂したら楽だろうな?という誘惑を感じさせる歌声ですね。死という詞に魅力を感じていた世代なのですかね。
【エムズの片割れより】
何とも恐ろしい話になってきました・・。でも当時は、自殺をテーマにした歌が許された時代。今では考えられませんね。
痴呆も含めて、発狂したら楽なのはホントウかも・・・
投稿: 中野 勝 | 2011年8月16日 (火) 15:50
森田童子の音源をネットで探したところ、
10曲以上は集った。戦前の教育をを受けた人から、私達は教育を受けたせいか、短調の曲が好きなようだ。否、日本人の性質と言うより宗教的色合いが念仏の哀音を引き寄せるようだ。鎌倉仏教の法然や特に親鸞の浄土経の死後の世界の誘いは、日本人には滲みこんでいる。苦悩は耐えるより死を選ぶと言う浄土思想は、国民性となっていたが、戦後世代から、この影響が薄らいできたようである。即ち長調の曲が好まれるようになった。演歌は短調の曲であり、じょじょに魅力ある曲ができなくなっているようだ。作り手が年取ってしまったのであろう。森田童子の曲も浄土思想の塊のようだ。当然居場所無いであろう。
【エムズの片割れより】
音楽でも小説でも、“その時代”というのがありますよね。そんな中で、森田童子は消えて行った・・・。仕方が無いのでしょうね。
投稿: 金子 次郎 | 2011年9月11日 (日) 09:43
森田童子さんの歌に出会ったのは高校2年の冬でした。「さよなら僕の友達」です。「いった子もないメキシコの話を 君は薬が回ってくると....」という歌詞に「オイオイ これまずいんじゃないの。」くらいに思っていました。それが1993年に放送された「高校教師」というドラマの主題歌に「僕たちの失敗」が使われ 改めて森田童子さんの曲を聴くようになりました。そして 一生懸命頑張っても敗れていく者たちへの優しさ くどいおせっかいじゃない 倒れたものにそっと毛布をかけてあげるような優しさを感じました。これまでの曲はどうしても放送できない部分がありましたが 今の時代の人たちにこそ必要な曲提供できるんじゃないかなと 残念です。確か 音楽活動はやってなかっちょうな。
【エムズの片割れより】
森田童子の歌は全曲聞いていますが、ヤバイ歌詞がありますよね。それらは放送禁止??すると、あまり皆は聞いていない??
もちろん彼女の音楽活動は、一時期だけでしたが、ダラダラと活動するよりは、その方が良かったと思います。やはり当時の時代にマッチした歌手でした。
投稿: セシル | 2013年10月23日 (水) 21:06