91歳作詞家「丘灯至夫」が吼えた・・・?
NHKラジオ深夜便(08/3/2~3)の「こころの時代」は「われら常に、この国を愛す~作詞家 丘灯至夫」だった。91歳にしてはかくしゃくとしていて、現代の歌に苦言を呈していた。
「丘灯至夫(おかとしお)」の作詞というと、舟木一夫の「高校三年生」、スリー・グレイセス 「山のロザリア」、岡本敦郎の「高原列車は行く」などで有名。 未熟児で生まれて、150cm台、30Kg台の貧弱だった自分が、乳母や師事した西條八十、古関裕而、舟木一夫など、みんなに助けられて90歳まで生きようとは・・と言っていた。
その丘灯至夫が机を叩きながら苦言を呈していた。
「昔は言葉があって、それにふさわしいメロディーを作曲家が作ってくれた。それが今では勝手に先に曲を作っちゃって、後から言葉をはめ込む。だから、アクセントもイントネーションもめちゃくちゃ。だから、今の歌は大衆が歌えない。大衆は聞くだけだ。それは歌とはいえない。それに言葉の意味が通じない。だいたいタイトルが横文字で、日本語が半分しかない。言葉が長いから、途中でつまずいてしまう。途中で言葉が無くなってしまい、困って横文字を入れる。日本語の間に横文字が入るから、更に訳が分からなくなる。それと「自然」の歌がない。「私は彼が好きだ」とか、「彼がどうした」とか、そういう歌ばっかりだ。自然を愛し、川を愛し、鳥を愛し・・・という壮大な美しい日本を讃える歌がない。
それに、今は携帯電話が流行しているが、私と永六輔と小林亜星は携帯電話とインターネットには縁が無い。必要がないと言っている。アレがあるからかえって害がある、と・・・・」
レコード会社の社長に毎年正月に挨拶に行くが、その時に、次のようなレコードを作ってくれるように頼んだ。それは「あの世はパラダイス」「霊柩車は行くよ」。すると社長が乗ってくれたので、小林亜星に作曲を頼んで作ってもらった。社長は良い歌だと誉めてくれたが、営業が待ったを掛けた。こんなの売れない・・と。それから3年、この歌が出来ないと死ねない・・・・・
「あの世はパラダイス」
丘灯至夫作詞 小林亜星作曲
「(木魚)(ナンマイダー ナンマイダー)
世の中さようなら おさらばすれば
アアあの世というところ あの世というところ
誰も帰ってこないから 誰も戻って来ないから
楽しいところ素敵なところ・・・・」
「霊柩車は行くよ」
丘灯至夫作詞 小林亜星作曲
「いろいろお世話になりました
何かとお手数をかけました
これから行きます 参ります
アアあの世というところ
どこのどなたも どなたも誰も
帰ってきた人いないとこ
どんな素敵なとこでしょう・・・・」
この歌は、高齢になったら楽しみながらあの世に行って欲しい。死ぬということは悲しいことではない。新しい世界へ行くんだ、という気持ちで行ってもらいたい。というのが、私が作ったお願いなんです。あの世は良いところだから、希望を持って、楽しいところだから行ってらっしゃい。ああ行きますよ・・・。という気持ちで、お葬式を出してもらえればありがたい。
私なんかもこの歌で送ってもらおうと思っている。小林亜星も、そのつもりで作った。
小林亜星がエジプトから帰ってきたら、早く編曲を頼んで、歌い手をさがして練習させて・・・。この歌ができないうちは死ねない。・・・」
どうもあの世という所は、誰も帰って来た人が居ないので、相当に良い所なんだろう・・・と言っていたが、本当かな~~
それにしても、この話を聞きながら「そうか90歳とすると、まだ自分はその2/3しか生きていないんだ・・・」と思った。
しかし、90歳になってもこのウイット・・・。好きだな~・・・・
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コメント
昨年3月に定年退職をした高校教師。授業で舟木曲を歌って37年(1年浪人)。生徒に一番人気があったのは「只今授業中」です。「高校3年生」「修学旅行」「学園広場」などは表面上は明るく見えますが奥底はすべて淋しい歌です。このことに気づいている日本人が少ないのが残念です。世の中歌の下手な人が圧倒的にいます。その下手な人の下手な人による下手な人のための歌に大衆は群がるのですね。本当に歌の上手な人が生きて行きぬくい時代になりました。文部省唱歌や舟木曲は青少年の心を育てるのに不滅だと思いますが。
【エムズの片割れより】
自分は、高校2年の時の学校のバス旅行で「高校“2”年生~~~」、と歌った記憶があります。
投稿: yamabunn | 2012年6月 9日 (土) 20:47