« 将棋九段「内藤國雄」の面白い話 | トップページ | 「葬儀」について考えた »

2008年3月29日 (土)

「江戸時代が生み出したもの」~18代当主 徳川恒孝氏の話

NHKラジオ深夜便歴史に親しむ~江戸時代が生み出したもの~ 徳川宗家第十八代当主…徳川恒孝」(08/3/20~H19.4.19の再放送)を聞いた。
この方は日本郵船のサラリーマンだった人で、今は2003年に出来た「徳川記念財団」の理事長をされているという。この話で「目から鱗」が色々あったので、以下抄録してみる。

・江戸時代265年間に戦争が無かったのは非常に素晴らしいこと。その間、ヨーロッパは戦争につぐ戦争。アジアは悲惨な植民地化。戦争は文化を生み出さない。西洋が世界の中心だったとすると、日本は一番遠い所にあったので巻き込まれなかった。これが一番幸運だった。19世紀は西欧社会が一番輝いていた。明治の日本はそれに圧倒された。
・豊臣時代の朝鮮出兵に疲れていた日本は、徳川政治が多少悪くても、平和であればしょうがないということだったのだろう。
・家康が力を入れたのが本の出版事業。駿府に移ってからは銅の活字での出版事業は日本で最初の大量活字印刷だった。家康は「世の中が乱れるのは皆が本を読まないからだ。本を発行する事は仁なる政(まつりごと)の元である」と言っている。元禄の頃は年間で4~5千点の出版が行われていた。西欧は貴族のためだが、日本は町民等全ての大衆相手なので、部数が多かった。
・参勤交代は、文化が日本中に広まったことでは意味があった。260年間日本中の大名が行ったり来たりした。しかも村の若い人も荷物運びで江戸に来た。そうすると薩摩の農家の息子が津軽の農家の息子と一緒に浅草なんかで芝居見物をしている・・・、という風に、日本中の文化が国中をめぐった。だから、何万という人達が官費で行き来する効果は大変なのもがあった。西欧では領主は行ったり来たりするが、95%の人は自分の住んでいた所から一歩も外に出なかった。明治になって、自分の藩がどうなんだと言うより、日本がどうだなんだという風に考えられたのは、二百数十年間訓練が行き届いていたからだ。
・学問のあり方も全国統一。子供達は寺子屋。武家は藩校。先生達は全国を巡回している。だから、教育のシステムと人々が街道を行き来する文明、そして参勤交代が一緒になって、おそらく日本は西欧に比べて200年は早い大旅行国家になっていた。
・よって、ペリーの来訪などの事件の情報は、全国津々浦々に早く伝わり、色々な所にその記録が残っている。
・日本の知的水準は高く、幕末の段階での識字率は世界一だったろうというのが世界の定説。武家は5~7%だったので残りの90%の教育は寺子屋。6~7才から入って12~13才まで。それも一人ひとりへの能力に合わせた個別授業。教科書は7000種類あって、それを十返舎一九や滝沢馬琴が書いていた。それが終わると丁稚奉公。22~23歳くらいまでは、よそ様のメシを食べて社会で生きていくとはどういうことかを学ぶ。これが今とは全く違う。つまり小学校はみっちりやって、中学・高校・大学は寮に入って実地訓練を受けるというのが庶民の生活だった。
・日本が世界から尊敬される大きな要素は、戦前の軍事力でも戦後の経済力でもなく、「文化力」だ。日本は世界でも有数の豊かな国だ

日ごろ目に(耳に)しない別の視点からの話に、「ヘエー」と思った。
確かに日本は良い国だ。「今度生まれ替わって来るのなら、やはり日本人・・・」と思っている人も多いだろう。
しかし、江戸時代の庶民の生活には驚かされる。映画等では見ることもあるが、ここまでの話は聞いた事が無かった。
まあ、色々な世界は(いや、日本は)広く、深いということか・・・? 
ついでに、我々団塊の世代だって、“広く、深い”ところがあるかもね・・・

|

« 将棋九段「内藤國雄」の面白い話 | トップページ | 「葬儀」について考えた »

コメント

あまり聞く機会のないラジオ番組ですが、なかなかいい内容があるんですね。日本の江戸時代は、「定常型社会」のモデルとしても高い価値があるように思います。

投稿: 志村建世 | 2008年3月30日 (日) 21:54

志村さん

ご無沙汰しています。
最近だいぶ人気になってきたラジオ深夜便ですが、なかなか面白いです。
録音しておいて、通勤途中で聞くには、ちょうど良いコンテンツ・・。
田舎のお袋も、夜目覚めた時に聞いていると言っていました。

投稿: エムズの片割れ | 2008年3月30日 (日) 23:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「江戸時代が生み出したもの」~18代当主 徳川恒孝氏の話:

« 将棋九段「内藤國雄」の面白い話 | トップページ | 「葬儀」について考えた »