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2008年2月 1日 (金)

「南極観測隊」を思い出す・・・

いつも聞いているNHKラジオ深夜便「こころの時代」で、「わたしの南極再発見~科学ジャーナリスト柴田鉄治」(08/1/30~31放送)を聞き、子供の頃にあった「南極観測隊」の国民的フィ-バーを思い出した。

080201nankyoku 今の若い人は、南極観測隊と言ってもピンと来ないかも知れない。しかし昭和31年(1956年)に朝日新聞の発案により(←知らなかった・・・)スタートした南極観測は、永田隊長の名と共に、国民から熱狂的に迎えられた。この記念切手も懐かしい・・・・・。
そして、第一次南極観測隊が昭和基地を建設しての帰路、宗谷が氷に閉じ込められて動けなくなった時、ソ連のオビ号に助けられたニュースには、国中が沸き立ったのを覚えている。冷戦のさなか、南極は平和のシンボルだと・・・。
そして翌年の第二次観測隊は、今度は氷に阻まれてオングル島に近付けず、第一次越冬隊員を飛行機で脱出させ、引き上げることになった。これが、鎖に繋いだまま放置されて翌年生き残っていた事で有名になった、樺太犬のタロー・ジローの話である。

この放送では、昭和60年と平成17年にジャーナリストとして派遣された柴田鉄治氏の話だ。氏は、今まで2回しか居ない70歳以上の隊員の内の一人だそうだ。体験談だけあってなかなか面白い。印象に残ったことを思い出してみると・・・

・氏は、ペンギンファンだそうだ。きっかけは、最初に南極に行った時に、「何やってんの?」と5~600匹がゾロゾロと見物に来る様は、実に可愛くペンギンのトリコになったとか・・・。またアザラシも可愛いと・・・。でも、南極はペンギンは居るが白熊は居ない。逆に北極は白熊は居るがペンギンは居ない・・・。同じ住環境のように見えるが、何が違うのだろう・・・・。北極は海だが南極は大陸。この違いか?
・南極は日本の40倍の広さ。地球温暖化の影響は北極に比べてまだ無く、氷は解けていないという。もし南極全体の氷が解けると世界の海は60mくらい水位が上がるという。
・隊の構成は、越冬隊員40名、夏だけ隊員20名、船の隊員170名という。コックは2名。食材が良いので、毎日ホテルのレストランの料理が出てくるようなもので、不満は全く無いという。しかし月日と共に生鮮野菜が無くなり、もやしとカイワレ大根は作るものの、不足するらしい。
・昭和基地のような地上にある基地と違って、南極点の2800mの氷の上にあるアメリカの基地のように、氷上にある基地は、発生する暖房の熱や、建物や積もる雪の重みで、毎年氷の中に沈没して行くという。だから表面に出ているのは煙突だけ。すべては氷の中にあり、階段を下りて建物に入るそうだ。
・隕石は南極が一番発見しやすいが、30年前は、世界中の隕石の標本は7千個位しかなかった。しかしこの30年間で2万個が見付かり、その内の8割は日本が見つけたという。よって、日本は世界一隕石標本を持っている国という。
・南極条約が出来たきっかけは、アメリカが「ソ連が南極に基地を造ったら大変だ」と思って発案したら、ソ連が大賛成。何のことはない。ソ連も「アメリカが南極に基地を作ったら大変だ」と思っていたからという。
当時、自国が足を踏み入れた所は自国の領土・・・という風潮があり、7カ国が南極の領土を主張していた。しかしこの条約は「領有権を放棄する事は意味しない(放棄しなくて良い)」という事にし、でも「軍事基地は作らない」「研究は自由で、研究内容はお互い公表しあいましょう」・・・といったことで、まとまったという。実に巧妙な仕掛け・・・
でも、それを裏付けるように北極は「人類皆兄弟」が実現している。国境は無いし、パスポートもビザも税関も無い。
ある時、ソ連の基地に「寄りたい」と電報を打ったら、それはそれは大歓迎で、お互い言葉は通じないが身振り手振りでOK。なかなか帰してくれなかったという。またベルギーの基地に電報を打ったら「自分の方から船を訪ねるので待っていろ」と雪上車でやってきた。その時の土産が、ハスキー犬の子犬だったという。(今は環境保全の点で、犬の持ち込みは禁止されている)
各国の協力体制も素晴らしく、日本の「ドームふじ」基地で隊員が急病になった時も、1000Kあるので雪上車では昭和基地に戻るのに1カ月掛かるが、ドイツの飛行機が助けてくれて、スエーデンの基地に運び、本国から来ていた飛行機でアフリカへ。そこから日本に帰国できたという。
これらからも分かるように、まさに世界平和が実現されている所が南極。だから氏は「世界中を“南極”にしよう」と主張している。これは、宇宙から地球を見た人が「地球には国境線が見えなかった」と言うように、南極に居ると、愛国心が「愛地球心」に変わるそうだ。「国益」のために、戦争まで引き起こしているのがバカバカしくなるという。確かに言われてみるとそうだ。

実に良く喋る方だが(自分でも謝っていた)、実に話が面白かった。
なお宗谷は「船の科学館」として保全されているそうだ。お台場の「船の科学館」は晴海の国際展示場に行く時に、いつも通るが、行ったことは無い。
これを機会に、一度途中下車をしてみようか。

●本日カウントが5万を越えました。皆様の“ご愛顧”に感謝します。

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