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2008年1月11日 (金)

宮城道雄の生涯

元旦(08/1/1)と二日の早朝の「ラジオ深夜便~こころの時代」は、正月にふさわしく「春の海~音に生きた宮城道雄 宮城道雄記念館資料室 室長 千葉優子」を放送していた。宮城道雄の生涯を、その音楽と共に丁寧に紹介していて興味深く聞いた。以下内容を要約すると・・・・

宮城道雄をひと言で言うと「邦楽器を使った今の日本の音楽への道を切り拓いた人」だという。
宮城道雄は明治27年4月7日、神戸三宮の居留置で生まれた。当時父親が、ブラウン商会というお茶を扱っていた外国の会社に勤めていた関係で。生まれた時からの目の病気で、とうとう明治35年(8歳)に医師から失明宣告を受け、筝の世界に入る。
江戸時代までは、目の見えない男性は「当道(とうどう)」という組織に属する事によって、地歌(三味線)・筝曲(琴)や針・灸・按摩を唯一プロとして教える事が出来るという、いわば福祉システムがあったが、その名残りで筝の道に入る事になった。筝の上達は早く、3年で免許皆伝。韓国で一旗上げようとしていた父親が、暴動に巻き込まれた事を機に、父の代わりに一家を支えるため明治40年(13歳)に韓国に渡る。そして大正6年(23歳)に上京するまで、韓国の筝の世界(殆ど日本人)で大成する。
韓国に居た14歳の時に「水の変態」を作曲するが、既に筝曲は弾き尽くしたし、教えてくれる人も居ないため作曲を思い付いたという。「水の変態」は14歳の時の作とはいえ最高傑作だと言う。
上京後、5歳年上の吉村貞子と結婚。大正8年、第1回演奏会。大正14年3月のNHKラジオ仮放送でも、演奏。それ以来、放送への貢献で、昭和25年、山田耕筰と共にNHK放送文化賞を受賞したという。
名曲「春の海」は、昭和4年に尺八の吉田晴風(せいふう)と初めて試演し、翌昭和5年1月2日の広島放送局から放送初演。これは「瀬戸内海の島々の綺麗な感じ」を描いたという。「曲の途中で少しテンポが早くなる所は、舟歌を歌いながら艪を勇ましく漕ぐという感じを出したもの」・・・・・
「春の海」が世界的に有名になったのは、フランスの女流ヴァイオリニストのルネ・シュメ-との出会いから。ルネ・シュメ-が来日した際に「春の海」の楽譜を持って帰り、ヴァイオリン用の編曲が出来たという事で昭和7年にルネ・シュメ-の演奏会で合奏し、大好評を博して世界でレコードを発売し、国際的に有名になった。

そのオリジナルの演奏を少し聴いてみよう。

宮城道雄自演の「春の海」(vn:ルネ・シュメ-)/「さくら変奏曲」/「水の変態」>

ところで、宮城道雄は“プロ”の随筆家でもあったという。随筆の中で、音と色についての話が面白い。「白い音」というのは、単純さ・聖人・僧侶、「黒い色」というのは、暗黒・悪人を想像するという。放送の中で「音に生きる」という随筆を朗読していたが、盲人の世界を著している内容で、なかなか興味深い。

「毎年正月になると、私の家の庭先へ、一羽の小鳥がやって来る。それは去年も一昨年もその前の年に来たのと、同じ小鳥なのである。
しかし、私の家の者は誰も、それが毎年来る同じ小鳥であるということには、気がつかない。これは、ただ私だけが知っているのであって、私はその小鳥の囀(さえず)る声を聞いて、今年もまた正月を祝っているのだな、と何となく嬉しいような懐かしいような気持ちになる。
目の見える家の者たちが知らない小鳥を、目の不自由な私だけが知っているのは、おかしい話であるけれども、それは、私は小鳥を目で見ないで、耳で鳴き声を聞いているからである。毎年同じ音色と調子で囀るのを聞いて、私にはそれが前年と同じ小鳥だということがわかるのである。・・・・」

その“耳の名手”の宮城道雄が電車から転落して62歳で亡くなる。昭和31年6月25日の未明、寝台列車「銀河」で関西に演奏旅行に行く際、姪の喜代子が「もう寝るので、トイレに行くときは起こして下さいね」というのが最後だった。
東海道線(名古屋の手前の)刈谷駅の近くで、貨物列車の乗務員からの「轢死体らしきものが見えた」との通報で行ってみると、宮城道雄が倒れていた。ほどなく気が付き「どこかに連れて行ってくれ」と言うので直ぐに病院に運んだが、AM7:15に亡くなったという。

当時の新聞には「用便に起きて間違う?」と報道され、自分も昔からその話は聞いていた。しかし随筆で本人が語っている言葉(耳で情景を見る・・・)を思い出すと、幾らお酒好きで寝台列車内で飲んだとしても、車外への出入口の扉を開けた時の音の変化に気が付かないわけはない・・・。
これは永遠のナゾだが、ともあれひょんな所で宮城道雄の生涯を“復習”する機会になってしまった。

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