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2008年1月25日 (金)

沖 守弘著「マザー・テレサ~あふれる愛」を読んで

写真家 沖 守弘氏の「マザー・テレサ~あふれる愛」を読んで、心が洗われた?気がした。
先日(07/12/20)、NHKラジオ深夜便「心の時代~マザー・テレサとインドと私:写真家 沖守弘」を聞いて「マザー・テレサの生き方」という記事を書いた。この番組で知った「マザー・テレサ~あふれる愛」という本を先日買ってきた。そして、今日の通勤帰りの電車の中で(いつもの居眠りもせず)一気に読み終えた。この本は、今まで読んだ中で、特異だ。何か自分まで心がキレイになったような?気になってくる・・・・(本当は勘違いだけど・・・・)

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マザー・テレサの生き方を良く表しているのが、次の文か・・・・
「・・だからマザーは、世間に見捨てられ、見も心もズタズタになって路上に倒れ伏し、死の寸前にはこびこまれてきた、ボロ切れのようなひとりひとりのからだを丹念に払い清め、髪を短く刈ってやり、粗末ながらも清潔な衣服に着かえさせて、ベッドにそっと横たえてやる。しっかりと手をにぎり、話すこともできない瀕死の人には目で語りかけながら、ゆっくりと温かいスープを口にはこんでやる。
「あなたも、私たちとおなじように、望まれてこの世に生まれてきた大切な人なのですよ」
マザーは、そう話しかけながら、もう一度力をこめて手をにぎる。
だれにもみむきもされなかったかもしれない、路上で産まれ路上で死ぬ身かもしれない、でもせめて死の瞬間だけでも人間らしくさせてあげたい・・・・いままさに息をひきとろうとしている“見捨てられた人びと”をみとりながら、マザー・テレサの心はその想いでいっぱいなのだ。・・・」(P26)

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「死を待つ人の家」でシスターの手を握りながら、感謝に涙しながら死んで行く人々・・・
クドクドと書かなくても、上の文章と写真が全てを語っているように思う。
この本は、“自分の心を洗いたい人”、“自分の心をキレイにしたい”(と勘違いしたい)と思う人は、一度読んでみると良い。まさにこの様な生き方をしている人が居る・・・。

マザー・ハウスは1950年10月7日にわずか12人のシスターでスタート。そしてこの修道院が出来て2年後に「死を待つ人の家」を作り、(この本が出版される前の)1980年10月10日現在で、「死を待つ人の家」に収容された人は40,406人、うち既に死亡した人は18,944人だという。
それから3年後に「孤児の家」を作る。親に棄てられた子、道ばたにいた浮浪児、女子大生が生み捨てた子・・・。連れ込まれる子は全てを受け入れた。そして、同じく1980年3月11日現在で9,803人。
それに続いて、インド全体で700万人、カルカッタだけで36万人いると言われているハンセン氏病患者のための施設「平和の村」を1968年3月に作る。

マザー・テレサの修道院(マザー・ハウス)のシスターになるには、6ヵ月間の見習期、次の6ヶ月間の志願期、そして2年間の修練期を終え、三つの誓願、さらに最終誓願をしてシスターになるという。マザー・ハウスの一日は、朝4時半からの聖堂での黙想から始まる。見習生は午前中の奉仕活動が終わり昼食をすませ、英語やキリスト教理の学習、午後の奉仕、祈り、夕食、夜の祈り、そして午後9時半の就寝・・・・。

本来、この様な活動は政府・自治体で行うべき活動かもしれない。でもマザー・テレサはこう言う。
「私がもし、社会福祉や慈善のために活動するのだったら、しあわせだった家も捨てなかったでしょうし、両親とも別れなかったでしょう。私は神に捧げた身ですから、いま私がしていることはヒューマニズムでもなんでもないんですよ。ごく当たり前のことなんですよ。」(P221)

そして、医療や社会事業のための国庫補助金一度も受け取っていない。理由は書類作成で大変になるから・・・・。だから寄付をする人で、領収書を求める人はいないという。

日本人でも、沖氏のように写真で世界にマザー・テレサを紹介した人の他にも、倉敷の河野進牧師のように、得意の詩でマザー・テレサの存在を世の人々に訴え、5年間に6千万円の寄付金を送った人もいるという。その河野さんの詩が良い・・・。(P179)

 「流れ」
浅い流れは音が高い
わたしの 祈りよ 言葉よ 行いよ
音が高くないか
深い流れは音をたてない

 「ぞうきん」
こまった時に 思い出され
用がすめば すぐに忘れられる
ぞうきんになりたい

何と“力み”の無い素直な心か・・・・

ともあれ、自分の生き方とは180度違う価値観だが、還暦を迎えてフリーになるこれからは、その気になれば少しはマネが出来るかな??
最後にマザー・テレサが1981年4月22日に来日した際に残した言葉を紹介する。

「・・・豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか?
だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。日本のみなさん、豊かさの中で、貧しさを忘れないで下さい」(P247)

(関連記事)
マザー・テレサの生き方

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