天体写真家 藤井旭氏の趣味に生きる人生
先日(08/1/20~21)の、NKHラジオ深夜便「こころの時代 悠久のときを見つめる 天体写真家 藤井旭」を聞いた。自分の好きな天文に人生のすべてをかけるという藤井旭氏の生き方に感心した。この様な生き方もあるのかと・・・・
もちろん自分は藤井旭さんという人のことは全く知らない。でもウィキペディアによると、60冊を越える著書があるその道のプロらしい。でも郡山の饅頭屋にお勤めとか・・・・(郡山というと、薄皮饅頭かな・・・・?)
この放送で、記憶に残ったことを思い出してみる・・・
藤井旭さんは1941年生まれというから66歳。子供の頃、戦後で何も無いので星ばかり見ていた事から星が好きになった。山口市出身だが、大学は(入学試験が楽なので)多摩美大を出て、とにかく星が良く見えるところ、という条件で東北を旅した。ちょうど郡山に寄った際、饅頭屋で「これはうまい」と言ったら、それを耳にした社長から「それじゃ社員になれ」と言われて、今までのお客が直ぐに店員となって働き出したという。
とにかくすべてのことは「星」が主役。星を見るには、既に都会はダメで、東北もこの辺りだと良く見えるという。そして東京からも近い白河に、星仲間5人と一緒に1969年に白河天体観測所を建設。当時の金で400坪の土地が30万円で買えたとか・・。そして30センチの高性能望遠鏡を設置している。
前の天文台長はアイヌ犬のチロ。この辺りでは、昔はクマが普通に出没しており、一番強く頼りになる犬のチロが、いちばん天文台長にふさわしい・・・ということになった。チロは亡くなったあとも、新発見の星にチロと命名し、まさに「チロは星になった」という。そして日本ではもう新たに見る星がなくなったので、1995年に南半球を見るためにオーストラリアの星仲間に土地を現地で用意させ、日本からハイテクの望遠鏡を持ち込んで、オーストラリア西部のバースという町の近くに愛犬の名前を冠した「チロ天文台南天ステーション」を建設した。
愛犬のチロは、もう25年も前に死んだが、生きている頃は「チロ星祭り」を毎年開いていて、全国から2千人もの人が集まったという。
話は、話題が宇宙なだけに壮大。素人の自分からは、ヘエーという話ばかり。
太陽の寿命は100億年。今ちょうど50億歳くらいなのであと50億年の余命がある。よって地球もあと50億年はあるだろう。・・・・
昴(すばる)という星の名前はれっきとした日本の名前。日本書紀にも古事記にも、清少納言にも出てくる名。昴は肥満(光り過ぎる)なので、今5000万年位だが、あと5000万年位が寿命だろう。だから非常に短命な星。・・・
昔は、星は天界と地上を結ぶ管(くだ)のように思われていた。水の中の忍者の息継ぎパイプのように、天界の光がパイプを通して地上に漏れてくる・・・・
ほうき星が次に来るのは9万年後・・・。途方も無い時間だが、最近、永遠の過去から永遠の未来まで繰り返すという学説も出てきており、もしかすると次の宇宙でめぐり合うかもしれない、と思うと楽しい・・・と笑っていた。
また藤井さんの写真は世界的に有名で、NASAのHPにも無償で提供し、ハッブル宇宙望遠鏡の写真で、どこを写しているかを示す写真に使われているという。
しかし、氏はプロではない。饅頭屋さんの社員・・・。まあ仕事と趣味との折り合いをどう取っているのかは分からないが、大会社で無いだけに融通はきくのかも知れない。
しかし本業で成果を出すことは当たり前だが、趣味で“世界に通用する存在”になることは、大変な事。
でもたぶん本人は“世界的に有名になろう・・”ナンテは全く考えなったと思う。ただただ好きなことをやっていたら、自然に“有名な存在になってしまった・・・”のだろう。この趣味は“ホンモノ”なのかも・・・・。
ナニ?自分の趣味は?って??・・・もう聞かないでくれ~~(オレは小さな存在さ・・・)
まあこれを機に、話が出ていた(同じ天文同好会の?)宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」でも読んでみるか?それに、氏の“情緒がある”という天文写真も見てみたいな・・・
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