NHKの「三つの歌」と「一丁目一番地」
今朝(08/1/6)のNHKラジオ深夜便で「深夜便アーカイブス」として「三つの歌~家族大会(昭和37年1月3日)」を放送していた。昭和26年から昭和45年まで放送されたというこの「三つの歌」。宮田輝の司会、天池真佐雄のピアノ伴奏も、実に懐かしかった・・・。このテーマソングも良く覚えている。
昭和37年(1962年)1月というと、自分は中学2年のときの放送だ。この放送を聞くと、凧揚げで遊んでいるという。この当時はまだまだ凧揚げがあったのだ。フト子供の頃、冬は竹馬で霜柱が立った道を歩いたことを思い出した。今の子供は、道路も舗装されているため、霜柱なんか知らないのかも・・・
<NHK「三つの歌」~昭和37年(1962年)1月3日放送>
(2014/07/26 下記2つを追加)
<NHK「三つの歌」>~初回(1951年(昭和26年)11月2日)の同時録音の音源
「現金を差し上げます」という、今では考えられない形でスタートした。
<荒井恵子、越山あつ子のNHK「三つの歌」の歌>~昭和27年キング盤
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昭和30年代、TVが無かったときはラジオが唯一の楽しみだった。中でも覚えているのが、NHKラジオドラマの「一丁目一番地」(1957~1964年放送)。確か夕方に放送され、毎日楽しみに聞いていた。もちろんこのテーマソングも良く覚えている。
<NHK「一丁目一番地」のテーマソング>
この歌を聞いていたら、なぜか取っ組み合いの兄弟げんかを思い出した。自分が小学校低学年の頃(昭和30年頃)、3才年上の兄貴と良くケンカをした。そして直ぐに取っ組み合い・・・(自分は絶対に謝らない!)
近所では、我が家は「武蔵野道場」と呼ばれ、自分が泣いて大騒ぎをしていると、近所の子供達が垣根の隙間にズラッと並んで“観戦”していたものだ。
まあTVのプロレスが流行る前の時代だったから、自分はその先鞭をつけていたのかも知れない・・・
今の子供は、取っ組み合いの兄弟げんかなどするのだろうか・・?
(ちなみに、お袋はあきれていつもどこかに行ってしまう。だから、ケンカを止めに入る者が無く、兄弟げんかは永遠に続くのである。・・・考えてみるとウチのお袋は無責任だな・・・。ケガでもしたらどうするんだ? 段々と腹が立ってきた・・!?)
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コメント
そう言えば昔の親は兄弟喧嘩に介入しなかったですね。手が回らなかったのか、子供同士の自治に任せていたのか。とにかく、よほどのことがなければ親は出てきませんでした。
投稿: 志村建世 | 2008年1月 6日 (日) 15:31
この二つは私もよく聞きました。
一丁目一番地は、二つの家族の物語が
隔週で登場しました。そのひとつに
黒柳徹子さんが、お姉さん役で出ていました。
その他、お父さんはお人好しの浪花千恵子さんとアチャコさんなど・・。
貧しかったけど、清廉なあの頃を思い出します
。
投稿: 赤尾隆 | 2008年2月22日 (金) 17:55
非常に懐かしく聞かせて頂きました。
you tubeでは見つかりませんでした
ので、非常にありがたいです。
どちらも、昔良く聞いていました。
投稿: フリー | 2009年10月15日 (木) 18:12
フリーさん
貴サイトを覗いてビックリ・・・
このような作り方もあるのですね。しかし時代はスゴイと思います。Netの世界は無限ですね。
投稿: エムズの片割れ | 2009年10月17日 (土) 18:12
「一丁目一番地」は私もほとんど毎日聴いていましたね。赤尾様がご指摘のように、二つの家族が交互に1カ月(1週間?)交代で、登場するホームドラマでした。一つの家族では、名古屋章がお父さん、岸旗江がお母さん、小学生のボク(?)の3人家族に、名古屋章の妹の黒柳徹子が同居している設定でした。ある日ボクが叔母にあたる黒柳とデパートへ買い物に出かけ、店員から「ボクちゃん、今日はお母さんとお買いものですか」と間違えられた黒柳がボクに大声で「おねいちゃん」と大声で叫ばせる場面があって、なぜか鮮明に覚えています。昭和30年代の懐かしいホームドラマでした。
【エムズの片割れより】
良く覚えていますね~~~。自分が覚えているのは、主題歌と、ラジオの前に陣取った自分の姿だけです。
投稿: KeiichiKoda | 2012年7月15日 (日) 06:20
電網っていいですよね。広辞苑にも、大辞林にも大言海にも載っていない事が乗っている。何千年も前からの森羅万象を網羅している、網羅し過ぎのものもありますが、外出から帰ってきたカミさんが「今、何見てたの」と咎める始末…。
最近の報道で「それは○○の1丁目1番地」と、よく耳にしますが、外交交渉や景気浮揚策などを論じる時に、政府関係者の認識が甘い点を指摘する時に用いられているようです。
そこで思い出したのが「一丁目一番地」、出てきました。これは(多分)広辞苑にも、大辞林にも大言海にも載ってしません。僕が覚えているのは「くろやなぎ鉄子に同年代の男の子」と、「主題歌の端々」だけです。低学年なので放送時間も判りませんし、ラジオから流れてきた時だけ聞いていました。黒柳徹子は司会をしていたと認識していたのですが、叔母さん役の由、思うに、番組の流れも兼ねておられたのでしょうか。その黒柳徹子は、今や、押しも押されぬ大人物ですが、「女なのに鉄子って不釣り合いな名前…」ということで記憶に遺っています。
こういう述べる場を設けて下さってありがとうございます。
【エムズの片割れより】
確かに「一丁目一番地」の意味も変わったもので・・・。
しかし自分はこのドラマの内容は全く覚えていません。ラジオにかじりついて聞いたことは覚えているのですが・・・
投稿: 高橋昌勝 | 2013年1月 7日 (月) 10:29
高橋様へ
ネットを検索していたら「一丁目一番地」について書いてあるブログがありました(↓)
http://homepage2.nifty.com/srail/intro/intro03/drama.html
黒柳徹子が名古屋章の妹役で出ていて、名古屋章の家族に同居していることでは私の記憶と一致しましたが、この家にいる小さな子供の名前は「タ―坊」、彼はいつも家にいたので小学生低学年ではなく、4,5歳ではないか、と書いてありますが、どうでしょうか?この名前には記憶がないのです。また御宿のおばあ(鈴木三枝)というこの子の祖母がたまにこの家にやってくると書いていますが、私にはまったく記憶にありません。黒柳徹子はサエコという名前の役でした、これは思い出しました。ただ、黒柳が司会?、この番組の「語り手」のことでしょうか?私にはそういう記憶はありません。一月ごとに交代になるもう一つの家族は上記のブログによれば、かなり成人した男兄弟と母親からなる家族とありますが、そうだったかもしれません!兄弟は斎藤隆と武田国久という声優が演じていたと思います(「一丁目一番地」の歌はこの二人と黒柳が加わって歌われています)。兄のほうが、どこかのお店の感じのいい店員(?)のキョ-コさんと親しくなり、最後は二人は結婚の方向に話が進んだと思うのですが、だれか記憶している方はおられるでしょうか?
小学生低学年だった高橋様ではこんな微妙な(?)話は記憶されていないでしょうね(笑い)。
【エムズの片割れより】
いやはや、お詳しい・・・
自分にとって、今頭に残っているのは、テーマ音楽だけです。あれだけ夢中になって聞いていたのに・・・・。
小学校低学年では仕方がないか・・・!!??
投稿: KeiichiKoda | 2013年1月 8日 (火) 08:44
見知らぬ僕の為に、詳しく調べて下さって嬉しいです。
男の子は4、5歳でしたか。思えば、三輪車が登場していたように思います。
ついでに、その頃のラジオは並四(なみよん)といわれる物でした。隣の家が五球スーパー方式のラジオを買ったのです。当時は、迷信が横行している時代、3人で写真に写ったら真ん中の人は何とやら。「近くで高性能のラジオがあったら電波を吸い取られるそうな」。それで我が家は、それより高性能の高1付き(高周波1段増幅付き)スーパー方式の6球のラジオを買いました。そのラジオ、後にハムを始めたので、通信型にするため分解してしまいました。
迷信が横行していた頃が恋しいですね。長年の暖冬の後の今冬は厳しいです。
投稿: 高橋昌勝 | 2013年1月10日 (木) 14:52
一丁目一番地
Netで黒柳徹子さんを調べていたら、子供の頃、北海道十勝の田舎で有線放送で
聞いていた「一丁目一番地」を思い出し、調べていたらこのサイトに巡り合えました。「一丁目一番地」のテーマソングを聴き当時を思い出します。名古屋章さん、柳徹子さん、「タ―坊」役は確か小柳徹さん(S23/8/19生まれ)ですから当時8歳か9歳と思います。
(2014/02/26追)
一丁目一番地の「タ―坊」役は確か?
NHKに問い合わせをしたところ下記のメールを頂きました。
お問い合わせの【連続放送劇「一丁目一番地」】のター坊役は、千野光男さんでした。
との事で、私は今日まで小柳徹さんと思い込んでいましたが訂正いたします。
【エムズの片割れより】
当時の自分たちと同じような年齢だったのですね。
投稿: Mken | 2013年11月11日 (月) 13:10
Mken様が、名古屋章と岸旗江の家族の子供の「ター坊」役は小柳徹だったのではないかとコメントされていますが、小柳徹は「ホームラン教室」などで私もよく知っている名前なので、ター坊を小柳徹が演じていたとしたら、私の記憶に残っているはずだと思います。小柳徹ではなく、無名(?)の子役が演じていたのではないでしょうか?それにしても、お父さん、お母さん役の名古屋章、岸旗江もすでに故人ですし、小柳徹も自動車事故で若くして亡くなられたようですから、この問題を解決してくれるのは今も現役のバリバリで、博覧強記の黒柳徹子さんだけですね!それにしても、あんなに人気のあったラジオ番組「一丁目一番地」のウィキぺディアが書かれていないとは!こうしたことはどこで調べたら分かるのでしょうか?NHK博物センター(?)へでも行けばわかるのでしょうか?
【エムズの片割れより】
NHKのOBが、「一丁目一番地」のことを、歴史の証言としてどこかに残しておいてくれたら良かったのだが・・・
誰か黒柳徹子さんにインタビューしてくれたら、まだ間に合う??」
投稿: KeiichiKoda | 2013年11月16日 (土) 08:59
一丁目一番地の「タ―坊」役は確か?
NHKに問い合わせをしたところ下記のメールを頂きました。
お問い合わせの【連続放送劇「一丁目一番地」】のター坊役は、千野光男さんでした。
との事で、私は今日まで小柳徹さんと思い込んでいましたが訂正いたします。
【エムズの片割れより】
ご丁寧にありがとうございます。上の記事に追記しました。
投稿: Mken | 2014年2月26日 (水) 13:38
わたしが聞いていたのは、
主人公(?)が小学生に上がる頃からで
丁度、わたしと同い年の設定でしたから
馴染み深く愛聴していました
このラジオ番組が世間では
とても人気があるのだとわかったのは
戎橋の若松で父と食事の後、本を買って
貰えることになり、書店の店頭で雑誌を
探していた時です
小学校入学前で、鉄腕アトムの載っている
「少年」など知る由もなく、
「小学1年生」か「たのしい1年生」の
どちらにするかで悩んだことを覚えています
今なら、巻頭カラーページは
アイドルやヒーロー戦隊物が大きく
取り上げられるのでしょうが、
当時の巻頭カラーページは
両誌とも、
なんと!
黒柳徹子嬢だったのです
にっこり微笑んだアップや、ポーズをとった
全身写真などが載っていました
そして、「1丁目1番地」の連載漫画が
其々、内容は違いますが載っており、
ラジオ番組の補完? 応援?をしているのです
結局、両誌を隔月おき、ひと月おきに買うのですが
此の時は悩みました
アイドル黒柳徹子嬢の巻頭カラーページは
ほぼ毎月、三年生の頃まで続きました
三年の、いつ頃からか「少年」の鉄腕アトムを
愛読するようになりました
超アイドルな扱いだった黒柳徹子嬢
とっとチャンネルとか、ドラマで
「1丁目1番地」が触れられないのは
寂しいですね
【エムズの片割れより】
黒柳徹子嬢は全く覚えていません。
「少年」は、自分では買って貰えず、もっぱら友人から借りて読んだものです。
それにしても、ラジオドラマの内容を覚えておられるとは・・・
自分は記憶が完全に飛んでいます。
投稿: baladerlune | 2017年9月27日 (水) 16:28
一丁目一番地という番組は夕方5時半頃に放送されていたと思います。
ボクチンという愛称で確か、劇中では山上タケシという本名と思います。
千葉のおばあちゃんは、大多喜と記憶しています。
確か、幼稚園の運動会のシーンがありますので幼稚園は年長さんかな。
私が小学校の5年生頃、ほほえましいホームドラマでした。
【エムズの片割れより】
当時はラジオが唯一の娯楽でしたね。
映画もありましたが、お金が必要で・・・
現代は、スマホの時代。便利にはなりましたが、情緒は無くなりました。
投稿: マキヤマタケオ | 2020年3月18日 (水) 17:51
我が家にTVが入ったのは1961年(昭和61年)ですので、それ以前はラジオを聴いていました。「一丁目一番地」がその代表ですが、その前にさかのぼると、NHKの子供の時間、たしか夕方の6時から7時の間(あるいは5時から6時の間?)に放送されていた新諸国物語「笛吹き童子」、翌年の「紅孔雀」などですが、これらは後に東映で映画化されたのでそれらも観にいった記憶があります。それ以前、愛聴していたのは、たぶん夜9時ごろに放送されていた村上元三作「松平長七郎」という番組でした。岩井半四郎が松平長七郎の役で、いい声でしたね。岩井半四郎が歌舞伎役者だというのを知ったのはずっと後になってからです。「松平長七郎」の、一年後の番組が「風流剣士」という、やはり村上元三作のラジオドラマで、主役の声優はだれだったかは覚えていませんが、このラジオドラマの主題歌の一節はいまでも覚えていて歌えますよ。もっと遡ると、楽しみにしていた番組は、たしか土曜の、夜遅く9時ごろから(?)放送の「西遊記」で、徳川無声と七尾玲子の二人が声色を変えて演じるのです。子供にとっては夜9時というのは起きているのがたいへんつらい時間帯ですが、これを聴くのが楽しみで眠いのを我慢して起きていました。どなたかこれらの番組のひとつでも聴いた記憶のある方はおられるでしょうか?
投稿: KeiichiKoda | 2020年3月30日 (月) 11:46
ネットを検索していたら、NHKラジオドラマ「一丁目一番地」は1958年(昭和33年)に映画化されていることがわかりました。
https://movie.walkerplus.com/mv25515/
これを見ていたら、お父さんの名前は山上明男、お母さん弓子、息子ター坊(マイヤマタケオさんが上で書いておられるように、タケシですね、思い出しました)、それから明男の妹で同居する冴子の一家です。高垣葵と高崎昇之助の作ですが、この二人が交互に(1か月交代で)ドラマを書いていたんですね。
【エムズの片割れより】
ター坊という名だけ、かすかに覚えています。
投稿: KeiichiKoda | 2020年4月15日 (水) 06:49
昔の番組を調べていたら、ここにたどり着きました。実は、ター坊役の千野光男(本名)は私の中学高校時代の同級生です。昭和23年生まれ、現在71歳です。私は小学生時代、ター坊の出る偶数月だけこの番組を聴いていたのですが、同じ名前だなあと思いつつ、同一人物であることを知ったのは大人になってからでした。ところで、この番組は私が小学校を卒業する昭和36年より前には終わっていたような気がしたのですが、調べていたら、昭和40年まであったようですね。あと、ドラマには隣家の岡田さんのご夫婦がたまに出てこられたように記憶しています。「ぼくさ、ター坊さ、とってもいい子だね~」という劇中歌も懐かしいです。
【エムズの片割れより】
不思議なご縁ですね。
そうですか・・・。昭和40年までやっていましたか・・・。
投稿: 斎藤 仁志 | 2020年5月24日 (日) 18:01
一丁目一番地の主題歌のyoutubeです。
https://www.youtube.com/watch?v=L4gm55kpgaE
投稿: 斎藤 仁志 | 2020年5月24日 (日) 18:12
昭和40年まで続いたんですか、知りませんでした。私もラジオの「一丁目一番地」はテレビがわが家にはいった昭和36年(1961年)ぐらいまでしか聴いていません。テレビが入った後は、NHKテレビのホームドラマ「バス通り裏」を視聴するようになりました。このバス度通り裏の主題歌を歌っていたのがシャンソン歌手の中原美佐緒で、YouTbeには彼女が歌う主題歌や「バス通りの裏」の映像の一部がアップされていますね。いまのテレビにはホームドラマというジャンルはなくなりましたが、強いて言うなら、朝ドラがそれにあたるんでしょうか?
【エムズの片割れより】
今年の朝ドラは古関裕而ですね。
古関裕而は、最も好きな作曲家"だった”のですが、なぜかこのドラマは見る気がしません。
伊東久男や藤山一郎の古関作品は大好きなのですが、あまりに目の前に突き付けられると臭くなる!?
人間って、勝手なものです。
投稿: KeiichiKoda | 2020年5月29日 (金) 12:45
昭和37年前後?に「アンクルトムズケビン」(南北戦争前の黒人の話です)というNHKラジオ放送を探していましたら、ここにたどり着きました~
「一丁目一番地」の中で御宿のおばぁちゃんの話がよく出てきていたのを覚えています
御宿っていい所みたいだなぁと思っていたのを思い出します
投稿: 江口茂雄 | 2023年8月11日 (金) 23:29
私も千葉県の「御宿」には一度行ったことがあります。当時は埼玉に住んでいたのですが、息子(当時小学生)がミニ四駆に凝っていて、埼玉大会に出て、小学生の部で優勝(?)したかで、御宿で開かれる全国大会(?)に招待されたことがあるのです。私はミニ四駆については何も知らなかったのですが、保護者ということで旅費が出たのでついていきました。御宿の海岸には、この地の出身の詩人加藤まさおの詩に佐々木すぐるが曲を付けた有名な童謡「月の砂漠」の、駱駝に乗った王子と王女の、2つの像が立っている。この歌「月の砂漠」はNHKの名曲アルバムのなかにも収められており、御宿の海岸と駱駝に乗った2つの像を見ることができます。
投稿: KeiichiKoda | 2023年8月12日 (土) 08:39