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2007年12月12日 (水)

カンボジアの「慈悲魔」~援助の難しさ

今日は、あまり愉快な話題ではない。
電車の中で「ラジオ深夜便~こころの時代②」という雑誌を読んでいたら、痛ましい話が載っていた。栗本英世氏の「カンボジア・地雷の村に学校を」という記事である。少し引用してみる。(P116)

『現状に合わない援助は「慈悲魔」に』
「現在のカンボジアが1993年に選挙でできあがったときに、政府の閣僚が世界に言いました。「私たちは国づくりをこれからがんばりますから、手伝ってください」と。ところが外国が手伝いすぎたために、政府の役人は何もしなくなって、外国に「くれ、くれ」というだけになりました。道路を造るのも学校を作るのも、すべて外国頼みなのです。それも、2倍から3倍の金額を要求するのですが、それでも日本など先進国の感覚では安いので、つい出してしまうのです。出してしまうと、要人たちが私腹を肥やすだけで自助自立の気持ちを奪う結果になっています。そのへんが援助の難しさだと思います。
インドに「慈悲魔」という仏教の言葉があります。アチュートという、カーストにさえ入れない人たちの中で子供が生まれると、大人になってもどんな仕事もさせてもらえず、生きていくことが難しい。そのため、親が子供を障害者にしてしまうのです。障害者なら、食べるものや生活をするための物を施されるから、かろうじて生きていけるのです。親は子供のことを思って鬼になるというのが、「慈悲魔」という意味だそうです。
私がカンボジアに住み始めたころ、両手、両足のない、グッズちゃんという女の子と出会いました。彼女は、アンコールワットの人通りの多い通路に座っていました。歩いてくる観光客の人たちはみんな「わぁ、かわいそうに」と言います。日本人のツアーが来て、一人が彼女に千円渡すと、ほかの人たちもどんどん渡して、あっという間に1万円になります。普通の人の年収が2、3万という国で、彼女は1日でそれくらい稼いでしまう。
あるとき、「グッズちゃん、大人になったら何になりたいの?」と聞くと、「先生になりたい」と答えました。「そうだね。グッズちゃんは英語もできるようになったし、日本語もだいぶうまくなったし、頑張ったら先生になるね」と言ったら、彼女は大喜びです。
家に一緒に出かけていって、「お父さん、お母さん、グッズちゃんを預けて下さい。学校の先生にします」と言ったら、彼女の両親は二人とも黙ってしまいました。1週間たって本人に聞くと、「もういいわ。私、物乞いを続けるから」と言うのです。理由を聞いても黙ったままですが、事情は分かっています。一家、親戚全員が彼女の稼ぐお金で生活しているのです。もともとあった畑や田んぼも人に貸してしまって、グッズちゃんの送り迎えだけをする生活になっていたんですね。彼女が「仕事」をやめれば、一家の収入は5千円になってしまうのです。
グッズちゃんは、両手、両足はないけれど、非常に頑張り屋で頭がいい。英語も日本語もマスターできるでしょうし、ガイドや先生の仕事でもできるでしょう。しかし日本人が「かわいそう」と言ってくれるお金が、グッズちゃん本人を苦しめているのです。」

今年の5月連休に上海の豫園に行ったが、たしかそこにも沢山の物乞いがいた。倒れている人も居るので心配したが、ガイドさんの話によると、毎日同じように倒れており、ガイドブックにも載っているとか・・・。つまり職業なのだ。
そして、「お金を一人にあげると、周りの物乞いが皆寄ってくるので絶対にあげてはダメ」とも言われた・・・・。
このカンボジアの例を含め、仏教における乞食(こつじき)とは大分違う・・・

この話の家族の姿を見ると、ここには「人間はいったんラクをすると、努力をしなくなる」という現実の姿がある。それに比べると、日本人はまだ勤勉だ・・・。
でも、何か寂しくもあり、痛々しくもある内容であった。

帰ってカミさんにこの話をすると、耳をふさぐ。動物虐待と同じく、弱者を思うと言いようが無く、聞きたくない、と言う。たぶんこのblogも読まないだろう。
でも「人間の弱さ」という現実もまた、「真実」なのだろう・・・・。

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コメント

慈悲魔という言葉は、初めて見ました。すごく重い現実ですね。だから援助が悪だとか不要だとかは言えない。援助の不徹底と言うべきでしょうが、それが行き届くまでの距離の遠さに嘆息するばかりです。

投稿: 志村建世 | 2007年12月14日 (金) 16:52

志村さん
いつもコメントありがとうございます。
親が子供を障害者にするという現実には目を背けたくなりますが、現実なのですね。

投稿: エムズの片割れ | 2007年12月15日 (土) 00:19

「カンボジアこどもの家」の栗本 英世ですラジオ深夜便2に掲載された文章を取り上げていただきありがとうございます。

今年の大学入試問題にも取り上げていただきました。

    次の文章を読み、 問 1 ~ 9 に答えなさい
 現在のカンボジアが1993年に選挙でできあがったときに、政府の閣僚が世界に言いました。『私たちは国づくりをこれからがんばりますから、手伝ってください』と。ところが外国が手伝いすぎたために、政府の役人は何もしなくなって、外国に
「くれ、くれ」というだけになりました。道路を造るのも学校を作るのも、外国頼みです。それも二倍から三倍金額を要求するのですが、それでも日本などの先進国の感覚では安いので、つい出してしまうのです。出してしまいますと、要人達が私腹を肥やすだけで、自助自立の気持ちを奪う結果になっています。その辺が1)援助の難しさだと思います。
インドに『慈悲魔』という仏教の言葉があります。アチュートという、2)カーストに
さえ入れない人たちの中でこどもが生まれると、大人になってもどんな仕事もさせてもらえず、生きていくのが難しい。そのため、親が子どもを障害者にしてしまうのです。障害者なら、食べるものや生活をするためのものを施されるから、かろうじて生きていけるのです。親はこどものことを思って鬼になるというのが、「慈悲魔」という意味だそうです。
 私がカンボジアに住み始めたころ、両手、両足のない、グッズちゃんという女の子に出会いました。彼女は、アンコールワットの人通りの多い通路に座っていました。歩いてくる観光客の人たちはみんな、「( ① )」と言います。3)日本人のツアーが来て、ひとりが彼女に千円渡すと、ほかの人たちもどんどん渡して、あっという間に一万円になります。普通の人の年収が二、三万円という国で、彼女は一日でそれくらい稼いでしまいます。あるとき、「グッズちゃん、大人になったら何になりたいの?」と聞くと「先生になりたい」と答えました。「そうだね、グッズちゃんは英語も出来るようになったし、日本語もだいぶんうまくなったし、頑張れば先生になれるね」と言ったら、彼女は大喜びです。家に一緒に出かけていって、「お父さん、お母さん、グッズちゃんを預けてください。学校の先生にします。」と、言ったら、彼女の両親は二人とも( ② )。一週間たって本人に聞くと、「もういいわ。私、物乞い続けるから」と言うのです。理由を聞いても黙ったままですが、事情はわかっています。一家、親戚全員が彼女の稼ぐお金で生活しているのです。もともとあった畑や田んぼも人に貸してしまって、グッズちゃんの送り迎えだけをする生活になっていたんですね。彼女が「仕事」をやめれば一家の一ヶ月の収入は五千円になってしまうのです。グッズちゃんは、両手、両足はないけれど、非常に頑張り屋で頭がいい。英語も日本語もマスターできるでしょう、ガイドや先生の仕事でも出来るでしょう。しかし日本人が「( ① )」と言ってくれるお金が、4)グッズちゃん本人を苦しめているのです。
(月刊「ラジオ深夜便」編集部、「ラジオ深夜便 こころの時代 第2号」、2007年 NHKサービスセンターより抜粋一部改変


問1 カンボジアの位置する半島の名前を答えなさい。

問2 下線部1)の難しさを、「ジレンマ」という言葉を用いて100字程度で説明しなさい。

問3 下線部2)の「カースト」とは何か、簡潔に述べなさい。

問4 障害者が社会の中で出会う暮らしにくさをバリアという。社会的バリア、物理的バリアの具体例をそれぞれ2つずつあげなさい。

問5 ( ① )に当てはまる言葉を答えなさい。

問6 下線部3)について、アンコールワットで日本人観光客がグッズちゃんに渡す千円の価値は、平均的な日本人が日本で稼ぐお金に換算すると何円程度に相当するか答えなさい。

問7 ( ② )に当てはまる言葉を下のア~エの中から一つ選び、記号で答えなさい。また、グッズちゃんの両親がそのような行動をとった理由を説明しなさい。

ア、 とても喜びました。
イ、 とても怒りました。
ウ、 黙ってしまいました。
エ、 泣き出してしまいました。

問8 下線部4)のグッズちゃんの「苦しみ」とはどのようなものか、こたえなさい。

問9 本文を読んで、国際援助とはどうあるべきか、述べなさい。

少し長いのですが皆で考えてみてください。

投稿: 栗本 英世 | 2008年2月29日 (金) 18:47

栗本さん

コメントをありがとうございます。
そうですか・・。大学の入試問題とはビックリ・・・。
でも考えさせられるテーマで良い問題ですね。
世の高校生がスラスラと正解してくれることを祈ります。

投稿: エムズの片割れ | 2008年2月29日 (金) 21:39

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