« TBS「冬の雲」の主題歌「苦しき夢」 | トップページ | 映画「それでもボクはやってない」を観て »

2007年12月30日 (日)

太平洋戦争を考える(6)~対米開戦までの舞台裏

今朝(07/12/30)の朝日新聞(P12)に、「対米戦争までに死者18万8千人~『戦死者に申し訳ない』という呪縛」という記事が載っていた。この記事を読んで、太平洋戦争開戦までの事象が、自分の頭の中が整理されたような気がした・・・・。
そして、対米戦争突入の背景と共に、今まで分からなかった「東条英機を首相に選んだのは誰か?」という自分の疑問にも、「昭和天皇」という解が書いてあった。

Image00041 この夏の終戦記念日あたりから、太平洋戦争については当blogでも色々と論じて(勉強して)みたが(~左の検索欄に「太平洋戦争」と入れると記事が色々出る)、今朝の記事を、自分なりに整理してみた。(この記事は自分の頭の整理である)

1)日本は首都・南京を陥落させれば中国は陥落すると思っていたが、蒋介石率いる国民政府は奥地の重慶を臨時首都として抗戦を続け、イギリス・アメリカも支援した。
2)日中戦争は泥沼状態となり、日本軍は対米英開戦までに実に18万8千人余の戦死者を出した。一方、ヒトラー率いるドイツが欧州で戦争を始め、フランスやオランダを降伏させた。
3)日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結び、アメリカ、イギリスに圧力をかけようとした。
4)だがこれが裏目に出て、アメリカの強硬姿勢を招く。当時、日本が石油輸入の大方を頼っていたアメリカは、41年8月に全面的な輸出禁止を決定する。
5)日本の選択肢は二つ。①石油などの重要物資を得るために、オランダ領だったインドネシアやイギリス領のマレーシアなどを武力制圧する。つまりは蒋介石政権を打倒するためにも、米英との全面戦争に踏み切る。②あるいは、中国からの撤兵などアメリカの要求を受け入れる。
6)昭和天皇も近衛文麿首相も戦争は避けたかった。しかし陸軍が中国からの撤兵をがんとしてはねつけた。陸軍は、植民地統治への影響に加え、むざむざと兵を引き揚げるのは、明治以来の陸軍主導の大陸政策の否定であり、威信失墜ぬいつながると受け止めていた。加えて戦前の日本には「戦死者に申し訳ないから○○ができない」という論法が広くまかりとおっていた。
7)しかし政府・軍部内では、アメリカと戦争をする当事者は、広い太平洋で艦隊同士がぶつかり合う海軍と理解されており、海軍が「戦争は絶対に出来ない」との姿勢を崩さなければ対米戦争はできないはずだった。だが、「仮想敵国はアメリカ」という理由で戦備のための予算を得てきた海軍にとって、「負けるからできない」と認めるのは、自らの存在意義を否定することと同義だった。(海軍は、開戦を「愚の骨頂」と思っていたが・・・)
8)近衛内閣が辞職したあと、昭和天皇は後任に東条を選んだ。東条であれば陸軍を抑えることができるだろうと期待し、もう一度国策を白紙から見直せと指示した。
9)しかし、軍部トップの陸相、海相、参謀総長、軍令部総長のうち、新内閣で代わったのは海相だけ。人が代わらなければ発想の転換は難しい。しかも、東条は海軍が推した避戦派の海相候補を拒否した。急遽海相となった嶋田繁太郎は中央の事情にはうとい人物だった。
10)そして嶋田は10月30日に開戦を決意。「いまだに中央のこともよく分からないが、数日来の空気を総合して考えると、この体勢は容易に挽回できない」
11)11月1日の大本営政府連絡会議で、月末までに外交決着しなければ、12月初めに開戦を決定。しかし東郷茂徳外相はなお即時開戦に抵抗。アメリカとの交渉で、日本側最終案(甲案)とは別に、日本軍はフランス領インドシナ南部(南部仏印)に進駐し、アメリカの石油禁輸を招いたのだったが、そこから北部に撤収する代わりにアメリカは一定量の石油輸出を認めるという(乙案)を示す。そしてこの案は急遽派遣した来栖三郎大使に持たせ、11月20日にアメリカに提示。
12)アメリカは「日本が北部仏印の兵力を2万5千人以下にすれば日本への民需用石油は輸出する」という3ヶ月間だけ有効な暫定協定案をまとめる。戦争準備になお時間をかけたかったから。
13)ハル国務長官は25日には暫定案を日本側に提示する考えだったが、翌26日夕に示したのは、仏印や中国からの全面撤兵を求めるなどの強硬案(ハルノート)だった。なぜ一夜でアメリカ側の考えが変わったのかはいまだによく分かっていない。もし、この暫定協議案が提示されていれば12月の開戦はなく、戦争自体も避けられた可能性があるという。・・・・

戦後62年。今さら何を論じても、全てはもとに戻らないが、いつの時代にも「良識」を持った人達は居る。しかし、それを踏み潰すのはどうも「男のメンツ」であるような気がしてならない。何人かの“男のメンツ”のために、310万人ともいわれる日本人が死んだ・・・。
そして先日のパキスタンでのテロを初め、世界に目を向けると今なお戦火は収まっていない。日本が、自分で引き起こした太平洋戦争という愚を糧に、世界に対して今成すべき事は、本当に無いのであろうか・・・

(関係記事)
「太平洋戦争」を考える(1)

太平洋戦争を考える(2)~マニラ市街戦での殺戮

太平洋戦争を考える(3)~NHK「日中戦争」を見た

太平洋戦争を考える(4)~東京裁判

太平洋戦争を考える(5)~御前会議とは何か?

|

« TBS「冬の雲」の主題歌「苦しき夢」 | トップページ | 映画「それでもボクはやってない」を観て »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 太平洋戦争を考える(6)~対米開戦までの舞台裏:

« TBS「冬の雲」の主題歌「苦しき夢」 | トップページ | 映画「それでもボクはやってない」を観て »