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2007年11月 4日 (日)

幻冬舎社長の「圧倒的な努力」

今朝(07/11/4)の日経に、幻冬舎社長 見城(けんじょう)徹氏(57才)の「常に『圧倒的な努力』重ね人生かけ作家と向き合う」というコラムが載っていた。(P9)
幻冬舎といいえば、「永遠の仔」等々を挙げるまでもなく、あまり単行本を読まない自分でも良く知っている会社である。
ここで「圧倒的な努力」という言葉が気になった。曰く・・・

「小説の編集者になりたくて角川書店に入ったのが人生を決めました。小説家になりたかったが、自分の作品は平均点止まり。強い世界観がにじみ出ない。だから小説家の触媒になろうと思ったのです。
常に「圧倒的な努力」を重ねています。石原慎太郎さんに執筆を依頼するときは「太陽の季節」を暗唱しましたし、「角川には書かない」と言っていた五木寛之さんには、会ってもらえるまで手紙を送り続けました。そうして作品につなげてきたのです。
・・・・・・・・・
気が付けば、角川書店では取締役に。しかし逆に独創的なことはできなくなっていました。そこで1993年、幻冬舎を立ち上げました。書籍事業参入と同時に人気作家の単行本6冊を書店に並べるなど、不可能といわれたことを、やはり「圧倒的努力」で実現させてきました。
最近意識するようになったのは死。人生は70歳までと考えています。それまでに幻冬舎を誰もが日本一と認める出版社にしたいですね。」

自分が今、還暦を迎えて人生を振り返ったとき、「圧倒的努力」をした記憶がどれだけあるだろうか・・・・?と思うと、ドキッとした。
普通、誰もが思い浮かべるのが大学の受験勉強だろう。しかし、それをも「圧倒的な努力」という言葉を思い浮かべた時、自分で「然り」を言える人がどれだけ居るだろうか?

いずれ人生が終わるとき、何とか「**については“圧倒的な努力”をした」と言えるような項目が幾つも頭に浮かぶようにしたいものである。
還暦を過ぎて、段々と自由な時間は生まれるだろうし、たぶん自分の意志で思い通りに行動することも出来る。しかしリタイア後のサラリーマンは、“社会的チャンス”には恵まれなくなる。
・・・と、ここまで書いて、「でもこれは言い訳だな・・・」と自覚した。
最近つくずく“ストレスには弱くなった”自分だが、「努力」という言葉を捨てるのは、もう少し耄碌してからにしようか・・・。

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コメント

幻冬舎の見城社長の記事読みました。最近手に取った本が幻冬舎のものであることが多いと感じていました。売れ筋を追いかけているわけではありませんが。「圧倒的な努力」の結果なのでしょうね。私は努力したと言えるほどの事はなにもしてこなかったのではないかと悲しいような気持ちになりました。
 これからはせめて、何かのせいにすることだけはしないで、楽しく明るく暮らしていかなければなどと考えました。反省だけなら猿でもできるなんていわれないように。

投稿: mimosa | 2007年11月 4日 (日) 22:01

mimosa さん

見城氏は「圧倒的な努力」という言葉を自分で言えるだけ、努力をしているのでしょうね。
普通の人は、とてもそんな言葉は使えません。
当Bligの10/8付け記事で、東京オリンピック女子バレーの大松監督の声があります。「今までの練習上、3勝で勝つのは当然」といった発言をしています。これも「圧倒的な努力」に裏打ちされた自信なのでしょう。
少なくても自分で「圧倒的な努力」をしたと思えればそれが自信に繋がり、良い結果を生みますね。なかなか大変なことですが重要だと思います。

投稿: エムズの片割れ | 2007年11月 4日 (日) 23:20

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