「み仏の説かれた教え~無財の七施」
会社の帰りに「ラジオ深夜便 こころの時代④」という雑誌を読んでいたら、面白い記事を見付けた。「み仏の説かれた教え~境野勝悟(さかいのかつのり)氏」という記事。(P126)
「四苦八苦」についてはこのblogでも前に書いたことがあるが、「無財の七施(ななせ)」というのは初めて知った。曰く・・・・
「-その『四苦八苦』から逃れるには、どういう方向に行けばいいのでしょうか。
境野:財産がなくても、人を手助けできるというのが、「無財の七施(ななせ)」です。これは自分の身体だけを使って、人に喜びを与える、身体の働きを十分に生かして、人の喜びを見て自分も喜ぶという極楽の世界を作る工夫です。
「眼施(がんせ)」:優しい目をすれば、相手はそれを感じて優しくなれる。目つきで人を救い、苦しみから脱出させることができる。
「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」:喜んだ様子、和やかな顔で、相手を苦しみから抜くことができる。
「言辞施(ごんじせ)」:慈しみのことばを与える。
「身施(しんせ)」:自分の身体を動かして助けること。
「心施(しんせ)」:心を施す。思いやりのことばをかける。
「床座施(しょうざせ)」:心地よい場所を施す。景色のいい座席を譲るのもその一つ。
「房舎施(ぼうしゃせ)」:自分の家の一部屋を貸すこと。
言辞施は「愛語」ともいいますが、やっぱり、思いやりのないことばはいけませんね。」
これに続くお話がまた面白い。自分も、還暦になって考えさせられるな・・・・
「私の友達は、銀行に勤めて立派な業績を上げ、定年退職しました。時間にきちっとした生活を送っていたので、6時に帰ると言って出かけた奥さんが、6時15分に帰ってくると、なんで15分遅れたのかと問う。昼は12時、夜は6時になると、ピタッと食卓の椅子に座っているというんです(笑)。始終「時間が遅い」とか、「時間的観念のないやつは社会生活ができない」と文句を言う。そのうちに奥さんも耐えられず、別居しました。そういう偉い人ほど気がついて、「たまには俺が飯作るよ」うということばをかけられたら、またぐっと魅力が増すんですけれどもね・・・・。
自分の基本的な身体の働きを使って、人に施しを与えたり、苦しみを抜いてやったりできる人のことを「ダーナ」と言い、これが「だんな様」の語源になりました。稼ぐ人のほうが威張らないで、七施をしなさいというわけです。「金をやったじゃないか」ではないんです。もらっていただいたのだ、差し上げたら、それを相手がどう使われようと構わないというのが、ダーナの気持ちなんです。
ある主婦だった方に聞いた話です。その人は、天井の電球が切れたときに、踏み台に乗って付け替えることが、怖くてできなくて、いつもご主人にやってもらっていたんです。ところがある日、「電球替えて」と頼んだら、ご主人もくたびれていたのか、どなられた。「そんなこと自分でやれ、ばか」と。それでフラフラしながらやってみたら、替えられた。自分でできたら、ご主人はいらないんだと気づいちゃった(笑)。「そうか、私が稼げば、こんな亭主はいらないじゃないか」と思い、仕事を始めて、離婚したそうです。お釈迦さんの教えでは、「女性が困っていたなら、それはだんなさんの出番よ」というわけです。お金がないなら、せめて心遣いをするか、手助けの行動に出ることですね。
自分だけがいい思いをしようとすると、相手も苦しむし、実は自分も悩み苦しむようになるのです。相手に優しい心と思いやりを施すと、自分の悩みや苦しみも消えるわけです。もちろん相手にもよりますけど・・・・・。」
我々「サラリーマンリタイア予備軍」としては、とても他人事とは思えないエピソードではないか・・・・
クワバラ、クワバラ・・・・・・
| 0
コメント
七施というのを初めて知りましたが、いいことですね。だんなは、そうでなくては、と思います。今朝、妻が病院へ行くとき、歩いて行くというのに車を出して「乗ってくれる?」と言いましたよ。
投稿: 志村建世 | 2007年11月 6日 (火) 12:02