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2007年10月27日 (土)

「夏目漱石展」に行った

招待券をもらったので、今日(07/10/27)カミさんと江戸東京博物館で開催中の「文豪・夏目漱石-そのこころとまなざし-」展に行った。

P10100031_2 今回の展示会は、普段一般に公開されることのない「漱石文庫」が目玉。「漱石文庫」とは東北大学図書館に一括して保存されている漱石の遺品。
1943年暮れから翌春にかけて、東京・早稲田の漱石旧居から、漱石の蔵書・手紙・日記などが仙台に運び出された。東京に空襲の危険が迫り、東大図書館では分野別の収蔵が原則で一括保存が難しく、漱石の高弟だった東北大学図書館長 小宮豊隆の関係で東北大学図書館に疎開し「漱石文庫」として保存されることになったとか。(なお、旧宅の書斎と芥川龍之介ら門下生が集った応接間は「漱石山房」と呼ばれ、日本近代文学の聖地だったが45年5月25日の空襲で消失したという)

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展示は年代順だが、朝日新聞に入社するまでは「漱石は外人か?」と思わせるほど、展示品はすべて英語。直筆の数学の試験の解答用紙もすべて英語。蔵書も英語・・・(もちろん自分はサーッと通り過ぎる)

やはり圧巻は「心」などの直筆の原稿の数々。ペンの細い字で、几帳面にマスの中に書かれた文字・・・。最近「吾輩は猫である」の直筆原稿が新書になったらしいが、読むのはなかなか大変。
そしてデスマスク。1916年(大正5年)12月9日、亡くなって直ぐに弟子の森田草平の発案でデスマスクが作られる事になり、その3時間後には彫刻家の新海竹太郎が到着、石膏で型が取られたという。この型からブロンズ製のマスクが2面作られ、一つは朝日新聞社が保存、もう一つは夏目家が所蔵したが空襲で消失。

出口に近い所にあった漱石全集。
有名なオレンジ色の装幀は「心」の出版の時に、漱石自ら指示を出したそうで、中国、周時代の石鼓文の拓本を使ったという。
実はこの漱石全集は、子供の頃から家にあったのだ。今はどうなっているか分からないが、天井近くの棚にオレンジ色の全集がズラリと並んでいた。子供の頃に聞いた話では、祖母(明治27年生まれ)が嫁に来たときに、「これだけは買って欲しい」と祖父にねだって買った貰ったものだという。(もしかすると「初版」だったかも知れない・・・・)

帰りに「公式ガイドブック」を買ってしまった。まだ読んでいないが、展示の内容だけでなく、カラー写真もたくさん入っており、漱石研究が出来るかも・・・・
その中に、死の直前の漱石の写真があった。「死にそうな人も写真に撮ると治る」という風評で、鏡子が撮らせたものだという。

ともあれ、やはり急に漱石が身近になった。(実に単純だが・・・・)
高校時代に漱石の作品は殆ど読んだが、還暦になって読み返すのも悪くはないな。
大人になって、「それから」「門」は読み返したが、「こころ」も買ってあったっけ・・・・。今度読もう。

(関係記事)
映画「それから」のテーマ

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(付録)
「次世代に伝えたい夏目漱石の作品は?」

朝日新聞(07-10-24 P29)に、ネクストエージランキングと称して「次世代に伝えたい夏目漱石の作品は?」という記事が載っていた。
下記は、50歳以上12,097人の複数回答である。(自分の思いとは大分違う・・・)

①吾輩は猫である(1905年) 8825人
②坊っちゃん(1906年)    8421人
③こころ(1914年)       4483人
④三四郎(1908年)      3471人
⑤草枕(1906年)       2282人
⑥それから(1909年)     1579人
⑦虞美人草(1907年)    1188人
⑧明暗(1916年)       609人
⑨道草(1915年)       467人
⑩門(1910年)         415人

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