« エルピーダメモリ坂本社長の潔さ | トップページ | 田中角栄の凄さ~NHK「その時歴史が動いた~日中国交正常化」 »

2007年9月30日 (日)

「二世」もつらい~組織トップの器

今朝の日経(07/9/30 p13)の「遠いみち近いみち」というコラムに「『二世』もつらい」という記事があったが、これを読みながら色々と考えてしまった。

福田康夫新首相について、「二世」という視点で書いている。曰く、・・
「・・・53歳で衆議院議員に初当選した時に、父親の福田赳夫元首相について記者から尋ねられて「あんな年寄りと比べないでよ」とそっけなく答えている。こうした言葉をテレビで聞いて、大物を父親に持った息子の屈折した心理を感じた。・・・・親は親、オレはオレと思っていても、うっとうしいだろう。周囲は陰に陽に期待する。物心がつく年ごろになれば、息子は父親を身近なライバルとして意識するようになるものだ。うまく超えられるか、挫折するか。あるいは素直に従うか。二世のリーダーは宿命的に大なり小なり先代との心理的な葛藤を経験する。初代はたいてい奔放である。自ら道を切り開き一家を成すには、家族のことも眼中にない。しかし、がむしゃらにやってきて、ふと後継者を考えた時、子供に目を向ける人が多い。ダイエーの創業者中内功さんがそうだった。ある時期から長男の潤氏に権限を集中し世襲の準備を始めた。しかし潤氏には荷が重すぎたようだ。・・・・
ダイエーの経営が傾き、中内父子が退いた後、ある元幹部は「潤さんは普通の人で、かわいそうな被害者だ」と同情した。中内さんも会長兼社長時代に「会社に入ったばかりに息子も苦労する。かわいそうだと思うよ。勉強して商学博士になったのだから、大学教授でもやっていたほうが気楽だったろう」と言っていた。・・・・
・・・だが世襲は総じて人を小さく丸くする。
・・何かの因縁か福田さんは首相の座に就いた。父赳夫氏への屈折した思いを、前向きのバネにうまく変えられるだろうか。」

自分の場合、あまり親父を意識したことはなかった。ただ親父は、サラリーマンでは学歴が必要なことは認識していたようで、我々息子どもは当然のように大学を目指した。
自分の場合は、むしろ高校時代に兄貴との比較で苦労?したことがあったな・・・。母校は、担任が3年生を送り出すとそのまま新1年生を担任するので、兄貴と3才違いだった自分は、その先生達から教えられる事になり、授業中に「・・・兄貴はそのくらいは出来たぞ・・・」なんていうイヤミを言われる羽目になった。まあ別に競争はしていなかったので(負けが決定?)気にしなかったが・・・(参考記事:人生における“勝ち”と“負け”

しかしこの記事にあるように、会社経営における社長の世襲問題では、うまく行った例は少ないようだ。自分の現役時代を通して知った会社でも、オーナー社長が一代で築いた会社が殆どで、そのオーナー社長が後継問題で悩んでいる話を良く聞いた。
今朝の新聞のように、政治家同様、多くが息子への世襲を考えているが、前首相ではないが「器」または「相性」の問題で悩んでいる。
でもこれは当たり前の事だ。初代社長は苦労して会社を作った。しかし、息子はそれを“出来上がったもの”として受け止める。会社を見る目が違うのは当然だ。従って、会社への思い入れも、頭に占める割合も、オーナーと同じ事を要求する方が無理だ。
また“大きな親”であるほど子は小さくなるのも当然。それに、オーナー会社であるほど、従業員はカリスマの初代社長“個人”に就くのであって、“会社”には就いていない。よって、突然先代社長が亡くなって、従業員が息子社長に対して「私たちは先代に就いたのであって、あなたに就くつもりはない」と言って会社を去り、潰れた会社をたくさん見てきた。

徳川幕府でも、徳川秀忠を経て3代家光で爆発した。でも動きが激しい現代のビジネス社会では、3代目社長の時代までは、到底持たない。
このコラムを読みながら、話題は首相の世襲だが、ダイエーを初めとした企業のトップの世襲問題の方に興味が行った。

首相も社長もリーダーは皆同じ。人(=国民・社員)の“心”をどう捉えて人を動かせるか・・・・ではなかろうか。

|

« エルピーダメモリ坂本社長の潔さ | トップページ | 田中角栄の凄さ~NHK「その時歴史が動いた~日中国交正常化」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「二世」もつらい~組織トップの器:

« エルピーダメモリ坂本社長の潔さ | トップページ | 田中角栄の凄さ~NHK「その時歴史が動いた~日中国交正常化」 »