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2007年9月24日 (月)

ガンと戦うジャズシンガー「石野見幸」

今朝(07/9/24 AM7:30~7:55)のNHK総合テレビ「おはよう日本」で、「命ある限り“自分らしく”~ジャズシンガー石野見幸」という番組をやっていた。
自分は全く知らない石野見幸さんだが、昨年9月にスキルス胃ガンが発見され、胃を全摘。ガンの全身転移のため抗ガン剤と闘いながらも、何と7月にはステージに戻ったという。しかも心の支えだった父親が4月25日に突然脳卒中で亡くなり・・・・。
その事情は、本人のblogに詳しい。(一部下記に引用)

「心配するな、泣くな、ミィー、安心してどーんと生きろ」
          石野見幸 07年05月 5日 00時57分

 みなさんご無沙汰して申し訳ございませんでした。
あれから治療を続けながら過ごしておりました。毎日どんどん落ち込んで、朝から眠りに着くまで涙がとまらず、とにかく死ぬのが怖くて怖くて、明日が見えない不安で深い深い穴にストーンと堕ちてしまったみたいにあがいてもあがいても這い上がれず前を向く事も出来ずにいました。
 そんなとき4月25日父が突然脳卒中で亡くなったのです。
 私を世界で一番愛してくれた人がいなくなっちゃった。
 死ぬのが怖いと泣いてすがりつく私に『大丈夫や、お前をひとりで逝かせたりしない、お父ちゃんが一緒に逝ったる。
 心配するな、泣くな、ミィー、安心してどーんと生きろ』と抱きしめてくれた私の愛するととう(私は父をこう呼ぶ)。
 周りの人には『俺が先に逝ってあいつが迷わないようにしたるんや』と言っていたそうです。ととうは順番を守ってくれたのかも知れません。
 ととうは人を愛する事の素晴らしさや人を区別や差別せず愛しあう事の大切さを態度で教えてくれた。
 私は世界で一番素敵なととうとおかたん(私は母をこう呼ぶ)の子供に生んでくれた事を誇りに思いました。悲しみには終わりがないようにも思い絶望しました。
 骨になったととうは私に生きるエネルギーをくれました。
 まだ温かい父の力強い骨を拾い上げながら私はもう一度ステージに立とう、いや立たなければいけないと身体の奥深いところが震えたったのです。
 この悲しみから私はたちあがり、同じように病気を抱えて震えている人や、大切な人を亡くし立ちすくむ方々や様々な悲しみと闘う人々と抱きしめあいたいという気持になりました。
 そしてお断りしようと思っていたブルーノート大阪のステージに立つ事を決めたのです。
 今の私のからだには肝臓から小腸へ入った管が、腕から心臓へ栄養点滴のチューブが入っています。お腹が自由になりません。だけど今、私に出来る事を出来るだけやらせていただけるならという気持ちで頑張って歌います。
 人は誰も今日で終わるかも知れない命のはかなさを抱えて生きています。今日生きている事の大切さを私は知っています。どうか皆さんお見守りください。
 石野見幸は精一杯生きます。

TVに出ていた諏訪中央病院の医師 鎌田実氏は「彼女は決して強い人間ではない。むしろ弱い。しかし、その心はしなやかで、落ち込んでもスッと戻ってくる」と表現していた。
非常に若くして・・・、活躍の絶頂の時に・・・・(何とも言葉が見つからない)

TVを一緒に見ていたカミさんが「お父さんが自分の命を娘に分けたのだ」と言っていたが、本人のblogに同じ事が書いてあった。

前に当blogで「余命3カ月 藤田憲一氏の生き方」というのを書いた。そして「朝日俊彦の「笑って死ぬために」・・」という記事も書いた。
カミさんは、朝日さんの論はおちゃらけていて好きではないという。死とはそんなに簡単なものではないという。

自分も音楽はたくさん聞くが、ジャズは全くの門外漢。
しかし若い、そして弱い一般の人間が、残された時間をここまで精いっぱい生きている姿には胸を打たれる。
そしてつくずく、「言葉の軽さ」と「現実の重さ」の違いを目の前に突き付けられた・・・。
そして、両親との愛情の絆の重さ・・・・。

世の中、色々な家族がいるが、その中で「真の家族」がどれだけ居るのだろうか・・・・

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