原子力発電のこと
今朝、新聞を読んでいたら、「50年前、『原始の火』ともる」という記事が載っていた。(朝日新聞07-7-16 p22)
(そんな事を考えていたら、午前10時13分に新潟・長野県で震度6の「新潟県中越沖地震」が発生。新潟県の柏崎・刈羽原子力発電所が自動停止したとニュースで言っていた。柏崎原発というと色々な思い出がある。そんな訳で今日は原発の思い出話である・・・)
1957年8月27日午前5時23分。これは、茨城県東海村にある日本原子力研究所で臨界に達した瞬間である。
新聞によると、1953年12月8日、アイゼンハワー大統領が国連で「アトムズ・フォア・ピース」=原子力の平和利用のために米国がウランを貸し出すことを宣言した事が切っ掛けで、日本での研究が再スタートした、とある。
しかし、学術会議内ではアレルギーから議論が紛糾する。それを打破したのが、当時改進党の衆議院議員だった中曽根康弘元首相。54年に衆議院での予算採決の寸前にウラン235にちなんだ原子炉建設予算 2億3500万円を加える修正案を出したという。
中曽根さんが原子力の利用に道を開いたとは知らなかった・・・・。
中曽根さんの「原爆の犠牲者に善用でこたえる」というコメントも載っていた。
実は1957年の時(10才)の事を自分は覚えている。しかしそれは「記念切手」で。ちょうどこの時、切手収集のブームが起き、初めて買った記念切手がこの「原子炉竣工」の切手だったのである。調べたら「1957年9月18日発行」とある。このあたりに発行された切手はどれも懐かしい・・・。「まりつき」や「関門トンネル開通」そして「アジア大会」・・・・。友達と取り替えっこをしたり・・・・。
柏崎・刈羽原子力発電所といえば若いときに仕事で何度も行った。1号機は、1978年着工で1985年運転開始というから、最初に行ってからもう20数年を数える。とにかくすべてが綺麗。見学のコースも何もかも、素晴らしい設備。特に印象に残っているのが、原子炉の「純水」の透明さ・・・・
自分が覚えているのはトラブルの思い出だけだが、未だに耳に残っているのが、「我々は社会的使命で仕事をやっている」という東電の人の言葉・・・・。
トラブルを起こした立場としては、この言葉には“ぎゃふん”だった。
ともあれ、今朝の地震で止まっているという。しかし多分設備への影響はそう多くは無いだろう。もっと大きな地震が来る前提で全てが作られており、ジェット機が原子炉に墜落しても大丈夫なように作られていると昔に聞いた。
でも、変電設備からの出火は・・? 本来は変だけど・・・
ともあれ、現役だったら飛び回って大変だったろうと、ホットしている?今日のニュースではある。
(記事とは関係ないけど、今朝の多摩川。昨日の台風4号のおかげで、川がゴウゴウと流れていた・・・)
*いよいよ蝉のシーズンである。多摩川までの散歩道、階段を降りながらカミさんが“左手の方で蝉が鳴いている”と言う。自分は“いや右の方だろう”と言う。でも右手は空しかない・・・。(それは二人とも“耳鳴りだった”というバカバカしい話・・・。でも、もう少し歩いて行くと、今度は本当に蝉が鳴いていた・・・。本格的な夏である・・・・。
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コメント
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日本ブログ村、おやじブログ部門なんてあったんですね(^-^)
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奥様にも、おすすめしてみてくださいませ
しかし、多摩川の増水すごかったですね
投稿: sararin | 2007年7月16日 (月) 21:44