「社会保障カード」を考える
今朝(07/7/6)の日経朝刊トップは「首相 社会保障カード 11年めど」という記事だった。7/5に安部首相が記者会見で「2011年をめどに社会保障カードを発行する方針を打ち出した」という。ここで「社会保障カード」について考えてみたい。
「社会保障カードとは何ぞや?」については、今朝の日経に載っていた「きょうのことば」が分かり易い。『年金や医療、介護など社会保障関連の個人情報を一元管理するカード』だそうだ。
ここで思い出すのが、住民基本台帳ネット(カード)だ。
これは住民の4情報(氏名、生年月日、性別、住所)を電子化してネットワーク化するもの。情報流出で一番心配な「閲覧」について「住民基本台帳法」に目を通してみた。すると公益性があれば個人でも閲覧できるようだ。
(個人又は法人の申出による住民基本台帳の一部の写しの閲覧)
第11条の2 市町村長は、次に掲げる活動を行うために住民基本台帳の一部の写しを閲覧することが必要である旨の申出があり、かつ、当該申出を相当と認めるときは、・・・・・その活動に必要な限度において、住民基本台帳の一部の写しを閲覧させることができる。
ただしこんな条項もある。
2 市町村長は、毎年少なくとも1回、第1項の申出に係る住民基本台帳の一部の写しの閲覧の状況について、申出者の氏名、利用目的の概要その他総務省令で定める事項を公表するものとする。
どうもこれが歯止めのようだ。
ネットワーク時代の現代社会において情報の電子化は当然の流れだが、個人情報管理の観点では大変に課題が多いと思う。つまり、住基ネットで行われている歯止め程度で良いのかが心配だ。
これが実現すると、国が個人の病歴や職歴などあらゆる個人情報を知り得る事になる。
もし、何らかの手段でその個人情報を覗くことが出来る立場の人を想定すると、(今は死語になってしまったが)“お見合い”の話が来た時は、先ず相手の登録してある情報をのぞくだろう。(自分だったらのぞくな・・・)事前にチェックが可能になるので安心だ。逆に覗かれた方からすると、とんでもない人権侵害だ。
今までの(集中管理していないアナログ)社会では、自分の過去の経歴に口を閉ざして生きることが可能であり、過去を切り捨てて挽回=立ち直ることも出来る。しかし、自分の過去が他人に簡単に分かってしまう(知られ得る)時代が来ると挽回が出来なくなる。つまりジャン・バルジャンが成り立たないのである。(ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」で、過去を伏せて市長になったジャン・バルジャン・・・) これも死語だがレッドパージなどもやり放題だ。
昔見た「イレーザー」というシュワちゃんの映画で、コンピューター画面上に出た、人のデータを歯形まで死んだ人と入れ替える場面があったが、これもありえる事になる?・・・
もし、時代の流れで「社会保障カード」が“しょうがない”とすると、課題は対策である。
フト思い付いたのだが、自分の個人情報を閲覧した人を、その個人に教える。というのはどうだろう?個人の請求によって、いつ誰が自分の履歴を閲覧したか教える・・・。つまり、もし医者が自分の病歴を閲覧したことが分かっても、「ああ、あの時の主治医だから仕方が無いな」と納得できる。しかし、お見合いの相手が見ていたら破談にする事が出来るぞ・・・。(自分の場合は、既に手遅れだが・・・)
ともあれ、今回の年金問題を契機に、社会保障カードの議論も盛んになると思われる。これからの長い将来を考えると、時代の流れで何時の日か、データの電子化は避けて通れないと思う。そのときは、人権侵害につながる個人情報の管理について、力ずくで止めるだけで無く、閲覧者の徹底開示などのフィードバックで“原理的にブレーキが掛かる”仕組みとして欲しいものである。
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