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2007年7月 9日 (月)

滝廉太郎の「憾(うらみ)」と「秋の月」

通勤の時に使っているMP3プレヤーから滝廉太郎の「うらみ」が流れた・・・。(何のことはない。単にシャフルモードでそのファイルが選択されただけだが・・)
しかしこの曲はいつ聴いても“すごみ”がある・・・。

滝廉太郎は22才の時にドイツに留学し、わずか2ヶ月で結核に倒れ、1年で帰国して、23才で亡くなったという。この「憾(うらみ)」というピアノ曲は、その死の4ヶ月前の遺作であるという。
そして、その楽譜には「Doctor!Doctor!」と走り書きしてあったそうな・・・
23才という若さで死を覚悟した無念さが、この曲から滲み出ている気がする。
滝廉太郎の遺作「憾(うらみ)」を少しだけ聞いてみよう。小川典子のピアノ演奏である。

<滝廉太郎の「憾(うらみ)」と「秋の月」>

ところで、滝廉太郎と言えば「荒城の月」だが、それを聞くと直ぐにハーモニカを思い出す。小学校の時(昭和30年代)、学校で“楽器”といえばハーモニカだった。珍しくお袋からハーモニカを教わって、良く「荒城の月」を吹いた。そして先生から褒められて、学芸会でも独奏した。その写真が残っている。
歌を歌って褒められた記憶が無いので、自分の音楽好きのルーツは、意外と荒城の月のハーモニカだったのかも知れない・・・。

しかし滝廉太郎の歌曲では、自分としては(「荒城の月」は別格として)「秋の月」が好きだ。これは「四季」という混声四部合唱の秋の部分である「月」を、山田耕筰が独唱曲として編曲して「秋の月」としたものだそうだ。
この「秋の月」を三原剛の独唱で少し聞いてみよう。

<三原剛「秋の月」>


「秋の月」
  作詞・作曲:滝 廉太郎

 光はいつも変わらぬものを
 ことさら秋の月の影は
 などか人にものを思わする
 などか人にものを思わする
 あゝ鳴く虫も同じ心か
 あゝ鳴く虫も同じ心か
 声のかなしき

ついでに、原作も少し聞いてみよう。

<混声四部合唱「四季」から「月」>~ 中村邦子(S)中村浩子(Ms)中村健(T)平野忠彦(Br)三浦洋一(p)

ところで、天才は若死にするという。
若死にで有名な作曲家としてはシューベルトが知られているが、それでも31歳である。それに続くのがモーツァルト35歳、ビゼー37歳、メンデルスゾーンとショパンの39歳と続く。それに比較して滝廉太郎の23歳の死はあまりに若過ぎる。これでは作曲しているヒマ(失礼)など無いではないか・・・
ちなみに長生き作曲家では、シベリウス92歳を筆頭に、ドボルザーク90歳、ストラヴィンスキー89歳、ヴェルディ88歳、サン・サーンス86歳・・・・

少なくとも、自分が死んでも「若過ぎた・・」と評価されることだけは無いと思う・・・・。残念??だが・・・・
(滝廉太郎の話が、なぜ作曲家の年齢分析になるのかは“永遠のナゾ”である・・・)

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コメント

モヒャ━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!
最後まで、混声4部聞きたかったっす(;д;)
私は、現在コンサートにこの秋の月を勉強中でして・・・
曲目解説をするのに、いろいろと検索していて、ここにたどり着きました。
やっぱり、滝廉太郎さん、凄いですね!!!

投稿: pleo1029 | 2009年6月19日 (金) 10:33

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