« 国会図書館に行った | トップページ | 映画「明日の記憶」を見た »

2007年7月 4日 (水)

著作権の70年延長は疑問だ

先日(07/7/2)の日経朝刊に「インタビュー領空侵犯」(P4)というきわどい名前のコラムがあり、元マイクロソフト副社長の古川享(ふるかわすすむ)氏の「著作権70年は長すぎ~デジタル対応こそが本筋」という記事が載っていた。
ここで、保護期間について考えてみる。

この記事で、筆者は「・・・消費者の視点で考えると、著作権を70年に延ばすのは長過ぎだと思います。著作権は作者や音楽家などの創作意欲を高めるため、経済的対価を保証するのが狙いです。・・・」と述べている。

ここで改めて著作権法に目を通して見た。
(目的)
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

これが全てだ。

Wikipediaの「著作権の保護期間」では、
ベルヌ条約7条(1)によれば、加盟国は、著作者の死亡から著作権の消滅までの期間を50年としなければならない。著作者の死後50年まで著作権を保護する趣旨は、著作者本人およびその子孫2代までを保護するためであるとされている。」
とある。

ここで言う「保護」というのに疑問を持った。
ある作家が苦労して作品を書いたとする。作家の死後、奥さんに著作権料が入るのは分かる。そして、子供もまあ分かる。売れない作品ばかり書いている時代、食うものにも困ったが、それを一緒に乗り越えた・・・・かも知れないので・・・。
そこで今度は孫である。50年は孫まで著作権料が入るようにするのが目的だそうだ。これからが疑問である。
自分に当てはめてみても、お祖父さんが書いた作品の著作権料が自分の銀行に入る・・・。非常に違和感がある。まさに不労所得である。入るいわれは無い。でもこれは現法律で認められている。

この法律で、唯一「遺族」という言葉が出ている条項がある。
(著作者又は実演家の死後における人格的利益の保護のための措置)
第百十六条 著作者又は実演家の死後においては、その遺族(死亡した著作者又は実演家の配偶者、子、父母、孫、祖父母又は兄弟姉妹をいう。)は、・・・・請求をすることができる。
2 前項の請求をすることができる遺族の順位は、同項に規定する順序とする。・・・

つまり、この法律で規定しているのは「孫」までである。それが50年の背景であるらしい。それを70年にする議論は、何と「ひ孫」まで保障するというのである。
もちろん会った事も無い“曾お祖父さん”の著作権料が自分の銀行に入る・・・・。何という違和感か・・・。まったくおかしい。

70年延長を求めている声明と、反対している声明を読んでみた。

著作権問題を考える創作者団体協議会の『共同声明』(2006年9月22日)

著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名(青空文庫)

この二つを読んでみたが、自分は圧倒的に青空文庫に賛成だ。
70年を求める理由は、単に「著作権の保護期間を、国際的なレベルである『著作者の死後70年まで』に延長することを要望いたします。」であり、利権の延長以外に理由は無いように見える。

もし「創作意欲を高めるため、経済的対価を保証する」という著者へのインセンティブが必要なら、作者が“生きている内”に作者本人の手に入るように、著作権料を高くすれば良い。なにも曾孫まで不労所得という金を落とすのではなくて・・・・
上記新聞に、以下のように保護期間を著者自ら指定するという考え方もあるそうで、これは合理的で賛成だ。曰く、
「米スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授が『クリエイティブコモンズ』という運動を展開しています。一律に保護期間を課すのではなく。著作者が自ら一定の保護期間を指定し、それを過ぎたら共有物にしようというものです。」

ここまで書いたら、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム」というのがあることが分かった。
ここにある“保護期間「延長派」「慎重派」それぞれのワケ”というのが分かり易い。まさに、自分が今まで思っていた事が書いてある。ここにある反対理由に同感だ。

話は飛ぶが、先日(07/6/24)「NHKアーカイブス」という番組で、ETV特集-「わが思いはアンデスの峰に~南米日本語放送の32年~」(1996年制作)というのをやっていた。
もう10年も前の番組だが、南米エクアドルの首都キトからの日本語放送に、南米各国の日本からの移民の人たちが聞き入っているという話だ。この放送をやっている夫婦は、32年前に、一日に1時間の日本語の為に移住してきたそうで、取材から機械の操作、そしてアナウンサーまで全てを夫婦でこなしているという。
そして日本人の昔からのリスナーの老夫婦が、年に一度地方からキトに上京し、放送局を訪ねてくるのが楽しみだそうだ。そこで、現地では手に入らない古い日本の本を、大切そうに借りて行く場面ががあったが、実に印象的だった。
ここで言いたいのは青空文庫の存在である。青空文庫のようにネットで公開されれば、地球の裏側でも日本の文化に直接に接することが出来るし、老人向けに音声での読み上げも可能だ。

話を戻すが、あらゆる可能性が出てきたネット時代の利便性を、ある一部の人の利権のために逆行させるのは反対である。それに、拙速な法の改定だけは止めたい。
拙速な立法の弊害は、「障害者自立支援法」だけでたくさんだ。これについてはまた書こうと思う。

この青空文庫のHPに「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」というのがあったので、自分も署名して送ろうと思ったら、4月末が締め切りだった。残念。しかし第二期もあるらしいのでそれに署名することにしよう。

|

« 国会図書館に行った | トップページ | 映画「明日の記憶」を見た »

コメント

死後70年では、どう考えても長すぎます。国際基準と言いますが、ディズニーなどの著作権で成り立っているアメリカの巨大企業が、横車を押し通しているだけです。
 私個人としては、死後50年を上限として、本人の意思で短縮も認めるのがいいと思います。

投稿: 志村建世 | 2007年7月 5日 (木) 18:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 著作権の70年延長は疑問だ:

« 国会図書館に行った | トップページ | 映画「明日の記憶」を見た »