老健と特養~「生」の「苦」
今日は実家に行って、伯母(89才)の老健と特養に入居するための申し込み等の活動をしてきた。
実家のお袋は、実の姉(伯母)と二人暮らしをしていたが、先月伯母が入院してしまい、退院しても老人二人の生活は無理だ、という事で、妹のお袋以外には頼る人が居ず、天涯孤独の伯母の受入先を探しに、レンタカーを借りて地元の老健、特養を巡ったわけだ。
見学させてもらった特養(特別養護老人ホーム)、老健(介護老人保健施設)で、人のターミナルケアの現実を目の当たりにした。
今更ながら、なかなか目を背けられない現実がそこにはある。
そしてつくずく脳出血で翌日に亡くなった我が親父のラッキーさを感じた。
特養の人が説明してくれた・・・・。
入居者の8割は女性。(まあ当然だが・・)
最近建つ特養は、全部個室。だから入居費が高い。
もちろん簡単には入れない。・・・・
昔だったら自然と死んでいた状態、つまり食べられなくても点滴や流動食で生かされている人間。
もし自分だったら・・・と。つい考えてしまう。
ブッダは生きる事そのものを「苦」とし、「生老病死」の四苦を挙げているが、まさに「生」の苦を見たような気がした。「・・・・死ぬことも、まさに自分自身の問題でありながら、どうあがいてみても、自分の思い通りにならないのが現実です。・・・」(「ブッダの旅」~前田專學氏の解説より)
誰でも“死ぬまで活動的でありたい”と思う。しかし現実はさまざま・・・・。
自分の場合は、「退職 ⇒ 無趣味のため、する事が無くなり、意識が自分の体に行く ⇒ 体調ばかり気にして自分で病気を呼び込む ⇒ 病気 ⇒ 死ぬ」というパターンが想定されるため、「生涯現役」を目指したいが、現実はそう甘くはない・・・・
先日、下の息子が帰京して「親父は(無趣味のため)退職したら必ずボケるな。俺が保証する」と言いやがる。自分は将棋キチで将棋以外の事は何もできないクセに・・・・。 ったく・・・。
確かにリタイア後にする事を見つける事は出来るかも知れない。しかし、それが自分だけの内の世界だと、行き詰まるとも聞く。なかなか人と群れるのが嫌いな自分は、ボランティアも限度があるだろうし、なかなか難しい。
還暦を前に、またターミナルケアの現実を前に、近い将来を色々と思い、“定年になったら**をやるぞ”を早く見つけねば・・・と焦る今日この頃ではある。 (記事とは関係ないけど、ウチの庭の花一輪・・・)
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コメント
私はたぶん、ふつうの人よりは特養ホームの実情を見てきた方だと思いますが、チューブをつないでの生存には、やはり抵抗を感じます。「自然死に近い死に方」は、本人と家族の意志がしっかりしていれば、今でもある程度は可能だと思います。
生きがいを見つけなければと焦るのも、かえって疲れます。気に入った音楽を聞きながら、気に入った本をゆっくり読んで、時々はブログで人にもおすそわけしてあげる所から始められたら、よいのではありませんか。
投稿: 志村建世 | 2007年6月 9日 (土) 17:51
確かに、焦りもストレスですよね。
そろそろ現役に道を譲って力を抜く時期なのに、何故か未だに力んでいる・・・。
少し身構えすぎでしょうか?
投稿: エムズの片割れ | 2007年6月 9日 (土) 20:50