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2007年6月11日 (月)

フォークダンスの想い出~コロブチカ

中学生のとき、体育祭での楽しみ?がフォークダンスであった。片想いの女の子が段々近付いてくると、心臓がドキドキいったりして~~・・
そこで流れていた懐かしい曲が「コロブチカ」だ。少し聞いてみよう・・・

<コロブチカ>

何かこの音楽を聞くと、紅顔の中学生の頃を思い出して甘酸っぱいな~・・・

ここで大切な事は、絶対に同窓会などに出ないこと。あれから45年も経って、皆な同じ「おじいさん」「おばあさん」・・・・。
何も好んで、せっかくの昔の純真な想い出を壊す事は無いではないか・・・
(とは思うものの、実はノコノコと行っているのである。会えるかな?ナンテ期待したりして~・・・。ガッカリする事が分かっていながら・・・)

P10000481 (記事とは関係ないけど、前に散歩の時に撮った花一輪・・・)

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コメント

懐かしいですね。「マイム・マイム」「オクラホマ・ミクサー」「コロブチカ」は、フォークダンスの三種の神器で、これだけ知っていれば指導者になれたものです。
 コロブチカ(行商人)には、歌えるように歌詞をつけたことがあります。「荷物かつぎ 歩きまわる 私の仕事 ほらごらん 遠い国の 珍しい宝」が1番でした。野ばら社から出した「ゆかいな歌」に載っていると思います。

投稿: 志村建世 | 2007年6月13日 (水) 16:22

はじめまして。
職場と共に筑波に移転してきて32年過ぎ、現在は土浦市に住んでいる者です。
私にとってコロブチカは青春のダンスです。
この音楽を聴くと今でも、胸が熱くなります。
私は昨年、中学の同窓会に参加し、初恋の君に半世紀ぶりに再会しました。昔の面影をしっかりと残した、とてもステキなご婦人になられていました。
私が彼女にふさわしい老い方をしているかどうか、自信がありませんでした。

投稿: コーデリア | 2010年1月 2日 (土) 23:18

コーデリア さん

コメントありがとうございます。
土浦とは奇遇です、自分も高校のときに3年間通いました。でも高校時代は運動会でもこんな曲は流れませんでした。(確か・・・)
少なくても自分は踊ったことはありません。やはりコロブチカは中学の時でしたね・・。当時の憧れの君は今頃どうしているか・・・・。何とも甘酸っぱいですね・・・

投稿: エムズの片割れ | 2010年1月 3日 (日) 16:53

エムズの片割れ様 僕はまだポーランド南部高原の宿に居ります。民宿ですが金土の夜はバヤン(バンドネオンのロシア名)、バイオリン、管楽器、チタール(鋼線をバチで叩いて奏する楽器)、という構成のバンドがメロディを奏でます。このダンス曲もありました。余りの懐かしさに、踊ってしまいました。ここの娘さんと。ロシア語(幼年学校で習いました、終戦で中退ですが)で’箱っこ’の意味ではなかったかな。辞書の無いのが辛い。また、日本で「山の娘…、きょうも唄を歌うよ、…」というのと同じダンス曲もありました。娘さんは僕がこのメロディを知っていることに驚いていました。今では隣国領になった湖沼地帯の俗謡とのことでした。この村は、戦後ソ連ウクライナに割譲されたのですが、政治交渉の結果、石油が出るとのことで、1950年にポーランドに返還された地域なのです。あのロシアが領土を返したというのですから、驚きです。僕も照れながら踊ってしまいました。チェコのメチル騒ぎがここまで波及し、色のある強い蒸留酒は棚から消え、密造ウォッカが提供されております。ライ麦パンにバターか豚脂肉を載せ、酒を一気にあおり、そのサンドイッチをすぐさま噛み締め、喉に流し込みます。ウオッカはパンに浸み込み、じわじわと酔わせるのでしょう。来週の水曜日頃、この村の郵便局に、日本から国際定額為替が送られてきます。二箇月分十八万なのが恥ずかしい。しかし当地では、郵便局員上席の方の給与が手取り五万円ほどですから。酒に酔い、お邪魔してしまいました。ご寛恕願います。

【エムズの片割れより】
こんな拙いblogが何とポーランドで開かれているとは、夢のようです。
読んでいると、こちらまで、異国の情緒に浸る事が出来ます。ありがとうございます。
しかし、遠い異国でその土地の文化に触れ、馴染み、悠々と過ごす年金生活・・・。一般のピープルの自分には、夢のまた夢の生活です。
また現地の話を聞かせて下さい。ありがとうございました。

投稿: 永遠旅行者 | 2012年9月30日 (日) 06:33

懐かしい曲に遭遇
  50年以上前の感慨に耽っています

 フォークダンスは中学の校庭からよみがえってきます  我々は(エムズの片割れさまも同学年でしたね)団塊の世代一年生ですので
急に増加した生徒を収容するため 校庭の周囲にはプレハブの校舎が速成され 運動場は少し窮屈になっていました

 昼休みになると オクラホマ・ミクサーが
校庭に響き渡ります  すると必ず 一年先輩のT氏が先頭になって輪がつくられていきます
 きまってT氏でした  T氏は I中 K高
H大 全部 一年上 また医学部も同じ
 ゆかしき縁でした 不思議なことに もう一人 全くおなじコースをいかれたのですが
 この方は 医学部卒業直前 琵琶湖でボートから 飛び込んでくるといわれ そのまま消えてしまわれたと聞いています  記憶の底に沈んでいたことも思い出されてきます A氏でした

  オクラホマ・ミクサーで輪ができ
 あとに コロブチカ サーカシアン・サークル  ときに マイム・マイムでしたかね

 もうステップも忘れていますが 曲がながれてくるだけで なんともいえない 嬉しいような 恥ずかしいような感情につつまれます  やはり これを聞けば 想えば 必ず元気になるというものは いつまでも 覚えておかねばならないですね


 
  
 世情の鬱々したことから 逃れるためにも
 

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年1月12日 (金) 20:57

 懐かしいですね、エムズの片割れさんより二三歳年上ですが、中学で体育の授業で習った様な気がします。フォークダンスが楽しいと思ったのは高校に入ってからです。入った高校は進学校でした。兄が卒業した年に私も入学しました。

 それまでは一部の教師が軟弱だと反対してフォークダンスは行なわれていなかったそうです。兄の年度の生徒会が学校側に交渉して出来るようになったとのこと。

 お陰で憧れの君と踊れました。「オクラハマ・ミクサー」がかかったとき、彼との順番がきますようにと祈りました。
 来ました、手を取り合った瞬間まわりの騒音が聞こえなくなり、全く2人だけの世界になった気がしました。空気が暖かく穏やかでなんとも言えない幸せな時間がゆっくり流れたようでした。はっときがついた時はもう別の男子生徒でした。
 
【エムズの片割れより】
自分も進学校で女子は1割以下だったせいか、高校の時には、無かった・・
中学のとき、卒業間近になって、先生が「何かやっておきたいことは?」と聞いた時、ある男が、果敢にも「フォークダンスをやりたい」と言って即実現。こっちは心の中で喝采!!
片想いの女の子が回ってくると、手を握るなんてとても出来なくて、指先をちょっとだけ触って、コロブチカなどを・・・
その男が、先日自分も行った同窓会を主催しています。頼もしい!?男です。

投稿: patakara | 2018年1月13日 (土) 07:14

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