沖縄戦の映画「ひめゆり」を見た
今日(07/6/29)、志村さんにご一緒いただいて、長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を見た。あまりblogでこの様なことを書くのも気が引けるが、ぜひ一人でも多くの人に見て欲しいと思った。
切っ掛けは、blogにあった「ひめゆりの塔」との一言から。ウィキペディアで「ひめゆりの塔」を読んでいたら、下の方に“長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」”というリンクがあり、それでこの映画の存在を知った。
6/29まで上映・・・との記載があったので焦ったが、7/13まで延長され、東中野の駅前の「ポレポレ東中野」で上映中だ。
この映画は、「ひめゆり学徒隊」の生存者22人の証言をまとめたもので、ナレーションも何もない。淡々と、生き証人の証言が続く。昭和20(1945)年3月23日の戦場動員から6月末の悲劇的破滅に至る3ヶ月間の記録である。
映画で、もう80才近いおばちゃんが、自分の居た壕の入り口に立って、当時のありさまを証言する。そこにはまさに「事実」がある。いや「真実」しかない。
昭和20(1945)年3月23日、米軍が沖縄本島に攻撃を開始した。そしてこの日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の222名が、18名の教師に引率されて戦場に動員された。病院のための壕を作り、10~11人の生徒で600~700人の兵士の看護をする。
壕の中は人人人・・・。足の踏み場もない。寝る場所もない。寝るのは壕の入り口のみかん箱に座って・・・。でも座るのを先輩に譲って、自分はつっかえ棒につかまって“立ち寝”・・・。
そして、手術の手伝いで命じられるままに、まだ体温が残っている切り落とされた手足を捨てに引きずっていく自分。すれ違った炊事軍曹さんに「すごい女だな」と言われて、血も涙もない人間に変わってしまったのかとハッと気が付く自分。
そして悲惨なのが、6月18日夜の「解散命令」・・・。米軍に包囲されている状態で、解散するので壕から出て行け。これからは自分の判断で動け。とは、まさに軍の責任放棄。自分の責任で死ねと・・・・。
そしてそれまでの3ヶ月間の死者19人に対して、「解散命令」からの数日で100名以上が亡くなり、動員された「ひめゆり学徒隊」222人中123名の生徒が亡くなったという。
しかもその理由が「捕虜になるくらいなら、死を選ぶ」という“軍国教育の成果”。
『自分が捕虜になって、親兄弟だけでなく親戚まで、皆から国賊・非国民呼ばわりされる位なら死んだ方がまし・・・』という思い・・・。でも「お母さんに一度会ってから死にたい」という悲痛な叫び・・・。「お母さん助けて!」という声・・・
映画を見終わって外に出ると、夜の部は時間帯が良いらしく、沢山の人が入場を待っていた。そして皆の手にパンフレット・・・。
つい自分も買ってしまった。
帰りの電車でめくったこの冊子に、まさにこの映画の「心=想い」が書いてあったので、左に載せてしまった。
ここにも書いてあるように、
「今回の映画ではひめゆり学徒生存者が生の声で当時の様子を鮮明に語っています。この映画は、生き残った者の真実の叫びであり、亡くなった友への心の奥底からの鎮魂の思い出を綴ったものです。」
(この冊子には、おばちゃんの全ての証言=言葉が活字化されている。気になった言葉も、後で噛みしめる事が出来るのは有り難い)
ドラマも映画もそうだが、ある事を描くのに、主人公を立て、その人の動きで色々な事を表現する。この映画では、「ひめゆり学徒隊」という主人公を使って“戦争の悲惨さ”を見事に、と言うよりあまりにリアルに表現している。
冊子にも書いてあったが、「証言による想像力」の力である。
決して「ひめゆり学徒隊」の活躍を格好良く描いているのではない。そこにあるのは、戦争という現実の重みだけ・・・
家に帰ってカミさんに話したら、自分も見に行くという。
自分は20年ほど前だったか、出張のついでに沖縄を観光バスで2日間回った事がある。もちろん「ひめゆりの塔」にも行った。
だからカミさんから『沖縄に行こう』と言われても逃げていた。しかしこの映画の影響か、行く気になってきたぞ。たぶん今度は、別の思いで「ひめゆりの塔」を見ることになると思う。
そして、県民の1/3が死んだという沖縄県民の本土への思いも感じに・・・・
しかし今更ながら、全県民が逃げ場を失って死の淵をさまよった“沖縄の現実”を感じた。そして軍国教育の理不尽さを・・・・
本土では原爆もあったが疎開して助かった人もいる。しかし沖縄では、島全体が米軍に占領され、“島”ゆえに逃げる場所が無く、全住民が海岸まで追い詰められ、「死しか無い」「死ぬのが当たり前」という極限の状況に追い詰められた。それでも本土から「友軍」が助けに来ると信じていた住民・・・・・。
この逃げ場を失った全沖縄県民の体験は、本土ではとうてい想像できないかも・・・。
憲法改正の議論も、この様な映画を見て、ともすると“風化しそうな戦争の真実”を再認識しつつ議論すべきだと思った。
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