五木寛之の「林住期」を読んだ
五木寛之の「林住期(りんじゅうき)」を読んだ。先日新聞に広告が載っていて、売れているという。
内容が、何となくフィットしたので(50才からの25年間が人生の黄金期、ナンテ、ニクイニクイ・・・・)、つい買ってしまった。(だいたい自分は没個性なので、売れている本を読むのだ)
今夜は、寺子屋の始まりまでまだ時間があったので、お茶の水の駅前のマックに入って、若い人に交じって30分ほど読書。
しかし、何と「軽い本」か・・・・。この様な本は何というのだろう。エッセイか?
好き勝手なことを自由に書いている。それでベストセラーになるのだから、五木さんもたまらないだろう・・・・。
でもオヤッと思うところもある。曰く・・・
「古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆぎょうき)」。「林住期」とは、社会人の務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。 」
それぞれが25年ずつ。よって50~75才が『林住期』と言って、人生の黄金期だという。
「・・・・『林住期』をむなしく終えた人には、むなしい死が待ちかまえているだけだろう。その第三の人生をジャンプした者だけが、死を穏やかに受け入れることができるのだ。・・・・」
「・・・体はつねに言葉にならない内側からのメッセージを送っているのだ。その信号を私は『身体語』と呼んでいる。・・・『身体語』はよくわかるようになった。体が発する言葉に耳を傾け、ときには短い会話をする。・・・」
「・・・私たちが死を忘れ、それを意識の外に放置して実生活にうつつをぬかしているそのとき、死は背後に音もなく忍び寄ってきている。そしてポンを肩を叩いて、『時間ですよ』と無愛想に知らせるのだ。『死は前からは来ない』・・・」
「・・・・『どうしてこんなに次々に歯に不具合が出るのでしょう、と質問したところが、若い歯医者が、笑って答えたんですよ。そりゃ人間の体の各部分は、だいたい50年ぐらいはもつように作られているわけですから、それを過ぎると全部いっせいに不具合が生じてきます。耐用期限切れですから仕方がないでしょう、って』・・・・」
そして、
「・・・50才をはっきりひとつの区切りとして受け止める必要がある、と私は思う。そしてそこから始まる25年、すなわち『林住期』をこそ、真の人生のクライマックスを考えたいのだ。・・・・」
これがこの本で言っている全てなのだが・・・、泣ける~・・・・・。
我々団塊の世代が、最も渇望している事をいとも簡単に言い当てている。
「そうなんですよ!」と大きな声で返事をしたい気持ち。
五木寛之氏はもう75才というが、実に“これから湧いて出てくる”定年世代の人の心を捉えている。
よって以下のような“だじゃれ?”の文も読み流してあげようか・・・・。
「・・・すぐに退屈退治の第一項に取りかかった。まず車内に人がいないのを確かめて、靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。車内灯のあかりのなかで、じっくりと左右の足を点検する。それから・・・・」
しかし、何で五木氏のこんな話題に、金を払わなければいけないのか・・・・。
こんな事を書いて印税が入ってくるのは、あまりに理不尽・・・・。だいたい2時間弱で読み終わってしまう本が、1470円は高い!
しかし、それを一生懸命に転記している自分こそ、一体何なんだ・・・・・。
まあ自分は複雑な人間さ・・・・(自嘲)
| 0
コメント