NHKアーカイブスで「憲法はまだか」を見た
今日の午後、たまたま時間が取れたので、川口のSKIPシティにある“NHKアーカイブス (川口)”に行き、96年放送のNHK土曜ドラマ「憲法はまだか」を見てきた。
最近、憲法に凝っている。先日兄貴から、「連休に、CS放送で昔のNHKのドラマ『憲法はまだか』を見て面白かった。ちょうどジェームス三木の小説『憲法はまだか』が発売になったので、読んだら?」という話を聞いた。
いつもは生返事をするのだが、本屋に行ったら、その本が山積みしてある。買って読み出したら意外と面白そうだ。
ネットで調べてみると、この番組は96年にNHK土曜ドラマとして放送し、だいぶん評判だったらし事が分かった。
そして、川口にあるNHKアーカイブスでいつでも誰でも無料で見ることが出来る事が分かった。それで行ってみたという訳である。
川口からバスで行く。住宅街にある大きなビル。何か、NHKの番組保存センターのような ところらしい。行くと若い女性の案内の人に一斉に歓迎された。平日なので当然閑散。でも「現在何人待ち・・」の表示がある位なので休日は混むようだ。
何の申請もなく(名前を書くわけでも、入門証を書く訳でもない)、「お願いします」と言うと、そのまま個人ブースのTVの所に連れて行かれて、操作方法を教えてくれて、勝手に番組を検索して見る。2時間が1回の限度で、夕方17:30の閉館まで、何度でも再申請が出来る。ただしその度に席が変わる。今日は90分×2番組で、前編と 後編に分かれていたので、前編90分が終わったときに再申請をして席替えをした。
さすがNHK。TVの絵もヘッドホンで聴く音も最高だが、TV画面がフラットなので、白いワイシャツが画面に映り込み、画面が見づらくて参った。
(愛宕のNHK放送博物館4Fにも「番組公開ライブラリー」があり、川口と同じく視聴できる。しかしここは席が少なく(20席くらい?)、一日2時間だけで、延長は出来ないという。調べたら全国のNHKで見られるようになっているようだ。しかし視聴場所がロビーでは、落ち着いて見られないな~)
ドラマは(当然だが)ジュームス三木の通りに展開する。憲法担当国務大臣 松本烝治が主人公のように進む。しかしやはりドラマだ。先日のNHKスペシャル「日本国憲法 誕生」のドキュメンタリーとは違う。
新憲法を象徴する幻影(真っ白な男の子)がちょろちょろ登場する手法は、少し違和感がある。これは、第3者的・客観的な「視点」を表しているのだろう。
そして、登場する俳優の豪華なこと・・・・。
印象に残った場面は、松本が憲法問題調査委員が作った案をGHQに持っていた時に、「時間が無かったので英訳はしていない」と言う松本達を待たせて、GHQが総掛かりで、突貫で英訳している場面。
その翻訳している場面が凄まじい。アメリカ人が分担して辞書を片手に訳している。そのタイプライターの音が響き、“日本の将来のことを、日本人以上にGHQが考えていたのでは・・・”と思ってしまうような場面。
それに、東大法学部教授 宮澤俊義と松本との会話。
以下小説から転記してみると・・・・(小説「憲法はまだか」P277―278)
東大 宮沢教授「GHQの案はよくできていますよ。あのままでいいじゃありませんか」
憲法問題調査委員会 松本委員長「はっはっは、皮肉ですか?」
「いいえ、皮肉ではありません。私は一読して感動しました。目からウロコが落ちる思いでした」
「目からウロコが落ちるって、あれは民政局のシロウトが作ったんですよ」
「そうでしょうね。憲法学者には、とても思いつかない条文です」
「宮沢さん―――」
松本の反論をさえぎるように、宮沢は言葉を重ねた。
「正直にいいますと、私は学者の限界を感じました。もともと法律家というものは、保守的な考え方しか、できないものだと、思い知らされました」
松本は不機嫌に黙り込んだ。宮沢は遠慮しなかった。
「失礼ですが、調査委員会のメンバーは、大臣をはじめ、明治憲法しか、頭にありませんでした。明治憲法を改正するという固定概念に支配されていました。それがそもそもの間違いだったんです。高木教授がおっしゃったように、もっと早くGHQの真意を、確かめておくべきでしたね」
「私を批判しているんですか?」
「自分自身を批判しているんです」
「すると何かね、宮沢さんはアメリカの押しつける憲法を、すんなり容認しろというのかね?」
「押しつけとはいえないでしょう。我々はナショナリズムにこだわりましたが、あの憲法案は、インターナショナルですよ。国家という概念を飛び越えて、人類の理想が示されています。戦争を放棄して、平和国家を建設するという、空前絶後の条文には、心を洗われました」
・・・・・・
「理想を持たない人間には、人間としての価値がありません」
・・・・・・
これを機に、すこし自分で調べて見ようと思ったのが、マッカーサーだ。
何のことはない。
現在の日本があるのは「マッカーサーという偉大な真の日本の理解者が居たため」とは言えないだろうか?
(世界史・日本史大嫌い人間も、TVから入って行くと、調べるのも苦では無くなるな~)
| 0
コメント
マッカーサーには彼なりの理想があった、それを実現する場として、好運にも日本の最高権力者という地位が手に入った、ということではないでしょうか。その好運を、彼は最大限に善用したと言えるのでは。
それにしても、いい所でいいものを見てこられましたね。引用の部分は迫力満点です。
投稿: 志村建世 | 2007年5月16日 (水) 23:25
コメントありがとうございます。このBlogもなかなかコメントを頂けないので、今後もぜひコメントを!
ちょうど今日、ジェームス三木の小説『憲法はまだか』のマッカーサーの経歴の所を読みました。
トルーマン大統領の対抗馬としての大統領選出馬への野望?が良く画かれています。
それと、マッカーサーが「なぜ天皇を養護したのか?」「戦争放棄の発案者は誰か?」について、ジェームス三木がなかなか興味のある見解を示しています。追而メモしてみます。もう少し読み進めてから・・・
投稿: エムズの片割れ | 2007年5月17日 (木) 22:02