「般若心経」勝手帖-11 無罫礙
いー むーしょーとっこーぼーだいさっ たー
以無所得故菩提薩捶
えーはんにゃーはーらーみーたーこーしんむーけーげー むーけーげーこー
依般若波羅蜜多故心無罫礙無罫礙故
むー うー くー ふー
無有恐怖
通訳すると、
以無所得故=思索によって得るところのものは無いのだから、
菩提薩捶=菩薩の道をゆく者は、
依般若波羅蜜多故=他者救済の智慧の実践を完成させることによって、
心無罫礙無罫礙故=心をおおうものは無くなり、心をおおうものが無いために、
無有恐怖=恐れおののくこともない。 (「般若心経の本」より)
「菩提薩捶」はサンスクリット語の「ボーディサットヴァ」の音写語。略して菩薩という。
「菩薩」は「さとり」の意味で、「薩捶」は「人・生きもの」をさす。よって「さとりを求めて修行に励む人」の意。
「依般若波羅蜜多故」=般若波羅蜜多(自分を無にする智慧の完成)によって、
「罫(け)」は、「障り(さわり)」という意。「礙(げ)」は「妨げる」という意。よってどちらも「こだわる」「ひっかかる」という意味。よって「罫礙」は、真実を見えなくする心の迷い、色々なこだわりや欲望である。
つまり「心無罫礙」とは「心をおおうものが消滅する」という意。
「無罫礙故」は、「心をおおうものがないから」。
「無有恐怖」は、「恐怖が(有ることが)無い」。
*般若心経の真髄は、まさに「こだわり」「心をおおうもの」だな。
日常生活で、この「こだわり」から遠ざかることがどれほど難しい事か・・・・
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