「般若心経」勝手帖-09 無明
むーむーみょーやくむーむーみょうじん
無無明亦無無明尽
ない しー むーろー しーやく むー ろー しー じん
乃至無老死亦無老死尽
ここからが難しい・・・・。(だからしばらくサボっていた)
NHKで「趣味悠々 はじめての写経~般若心経を書く~」という番組があるが、ここで解説されている「ひろさちや」さん流の解釈が分かり易い。
「無明も無ければ、老死も無い。また無明が尽きることもなければ、老死が尽きることもない」
「無明」とは「無知」。最大の苦しみである「老死」は何から起きるのかと言えば、無明から起きるのだと、般若心経以前の仏教では考えられていた。
『無明』とは、『明』が無い。つまり『智慧が無い』。
智慧が無いから迷っているので、苦しみが生じる。迷っているので、最後の『老死』という苦しみまでが生じる。
でもそんな事はこだわる必要がないではないか。と言っている。『老死』を無くするにはどうしたら良いかが、今までの仏教の考え方だったが、『老死』はあったらあったで良いではないか。そんな事にこだわるな、と教えている。
ここで『無明』乃至(ないし=**から**まで)『老死』の間には次の項目が入って、計12の項目になり「十二支縁起(じゅうにしえんぎ)」「十二因縁(じゅうにしいんねん)」と言われている。
生きとし生けるものの生存は、次の12の連環にによって成り立っている。
1)無明(むみょう)=根元的無知
~人間の持っている根元的無知によって何らかの行為を起こす。
2)行(ぎょう)=潜在的形成力
~行為の潜在的形成力によって、必ず何かを認識する。
3)識(しき)=認識作用
~認識作用は、名称と形態を必要とする。
4)名色(みょうしき)=名称と形態
~名称と形態は6つの領域において生じる。
5)六入(ろくにゅう)=六つの領域
~6つの領域では、感覚器官と対象の接触が生じる。
6)触(そく)=接触
~感覚器官と対象の接触は感受をもたらす。
7)受(じゅ)=感受
~感受作用は誤ったとらわれを生じる。
8)渇愛(かつあい)=妄執
~誤ったとらわれによって執着が生じる。
9)取(しゅ)=執着
~執着によって生存が生じる。
10)有(う)=生存
~生存は具体的な誕生をもたらす。
11)生(しょう)=生まれること
~誕生によって結果的に老いと死が生じる。
12)老死(ろうし)=老い死ぬこと
~老いと死は人間の苦しみの代表である。
『老死』の苦しみは何によって起こるのか?『生」によってである。『生」は何にによって起きるのか?・・・と考えて行くと『無明』にぶちあたるという考え方。順環と逆観の考え方がある。
良く聞く「十二支縁起」という言葉だが、これはもう少し時間を掛けて味わうことにしよう。
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