「般若心経」勝手帖-06 色不異空空不異色
しゃーりーしー しきふーいーくー くー ふー いーしき
舎利子色不異空空不異色
しき そく ぜー くー くーそく ぜー しきじゅーそーぎょーしきやくぶーにょーぜー
色即是空空即是色受想行識亦復如是
いよいよ一番有名なところ。最近になってやっとこの意味が分かってきたような気がする。
単純に訳すと「舎利子よ、色(物質)は空に異ならず、空は色に異ならないのだ。また、色は空であり、空は色である。受・想・行・識も同じだ」
「舎利子よ」は観音さまが、聞き手の代表としてブッダの10大弟子の筆頭、智慧第一と言われた舎利子(シャーリプトラ)に呼びかけている。
「色不異空」は二重否定。“色は空に異なることはない”という事は「色=空」。
「空不異色」は“空は色に異なることはない”と言うので「空=色」。
それを丁寧に繰り返して「色即是空」は“色はすなわち空だ”。つまり「色=空」。
「空即是色」は“空はすなわち色だ”。つまり「空=色」
4回同じ事を言っている。
「受想行識亦復如是」とは、“受も想も行も識も、色と同じだ”と言っている。つまり、受=空、想=空、行=空、識=空 だと言っている。
それでは「空」とは何だ?
「宇宙は粒子で出来ている」と訳した柳澤桂子さんの訳を借りると、昔、高校で化学の時間に“全てのものは分子で出来ている(分子は原子で出来ている)”と習った。
“H2O”は水・・・とか。つまり世の中の全てのものは、HとかOとかの分子が集まって出来ていることは誰でも知っている。ここで言う物質(色)は当然だが、物質の一種である生き物に宿っている“心(受想行識)”というものも、分子の集まりである“生き物”に宿っているので、やはり分子があればこそ存在している。
その分子(原子)は、宇宙の中で濃淡があり、濃の部分が我々が目に見える物質となり、淡の部分が真空の宇宙のような空間になる。これらは単に分子の濃淡という現象である。(自分が「ミクロの決死隊」になって分子の間をくぐり抜けられると実感できる)
よって宇宙の全ての現象は、常に移り変わって行く現象の一過程だ。この状態を「空」という・・・。
こんな解釈をしてみたが、どうだろう?
だから何が起きても(たとえ誰かが亡くなっても)、あんまりそれに拘って大騒ぎをする事は無いよ・・・・。と観音さまがこの経典で諭しているような気がしてきた。
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