浄土を観想する「観無量寿経」
今日は、中村元の「仏典をよむ(4)~大乗の教え(下)」の中の「観無量寿経」である。
これは「阿弥陀経」「大無量寿経」とあわせて「浄土三部経」と呼ばれて浄土教の根本教典であるという。また「観無量寿経」はサンスクリット原典もチベット語訳も存在せず、宋の時代の漢訳(西暦450年頃)のみが存在するという。
「観無量寿経」は、阿弥陀仏ならびに極楽浄土の観想(かんそう=心にじっと思い浮かべ想像すること)を教えている事で有名とか。
この教典の物語は・・・・
「王舎城(ブッダがいた頃の大国であるマガダ国の首都)」の太子の「阿闍世(あじゃせ)」が、ブッダの従兄弟であった「調達(じょうだつ)」にそそのかされて、父であり国王であった「頻婆娑羅(びんばしゃら)」を幽閉する。
お妃の「韋提希(いだいけ)」は、何とか国王を救いたいと思い、体に食物(ヨーグルトに蜂蜜を加え小麦(米)を混ぜたもの)を塗り、首飾りの中にブドウジュースを入れて、密かに国王に奉った。
そのうちに太子が門番に「王はまだ生きているか?」と聞いて、妃が助けている事を知り、怒って自分の母であるお妃を殺そうとする。
そこに「月光(がっこう)」という家臣(当時の名医)が「父を殺害する例はたくさんあるが、自分の母を殺したという王は聞いたことがない。もし母を殺すというのなら我々はここにいてはならない」と意見する。
そこで太子は殺すのを止めて妃も宮殿に幽閉する。
妃が嘆いていると、ブッダが現れた。妃は自分の首飾りを絶って全身を地に投げて号泣し「仏さま、私は昔どんな罪を犯してこのような悪い子を産んだのでしょう。ブッダもまた何の因縁があってこのような悪い者と親族になったのですか?私はこのような俗悪の世界ではなく、清らかな行いのある世界、浄土に生まれ変わりたいものです」という願いを申し述べた。するとブッダは「西の方にある極楽浄土を目に見えるようにしえあげよう」と言って、極楽世界を「観想」つまり思い浮かべるための十六の方法を教えます。
1)「日想観(にっそうかん)」=日没を観想して西方の浄土を想う。
2)「水想観(すいそうかん)」=水や氷の姿を連想して極楽の大地が瑠璃のようにきらめいていると想う。
3)「地想観(じそうかん)」=水の姿を観想して極楽の大地を観想する。
4)「樹想観(じゅそうかん)」=極楽の色々の樹が宝石をちりばめてキラキラとした不思議な姿を想観する。
5)「宝池観(ほうちかん)」=宝の池を観ずる。
6)「宝楼観(ほうろうかん)」=宝よりなる高殿を観ずる。
7)「華座観(けざかん)」=阿弥陀仏の立派な台座を観ずる。
8)「像想観(ぞうそうかん)」=仏像を観想して阿弥陀仏を想う。
9)「真身観(しんしんかん)」=真実のすがたを観想する。
10)「観音観(かんのんかん)」=観音さまを観想する。
11)「勢至観(せいしかん)」=勢至菩薩を観想する。
12)「普観想観(ふかんそうかん)」=あまねく仏・菩薩・浄土などを観想する。
13)「雑想観(ざっそうかん)」=仏さまの本当の身体や仏像など、色々な姿をまじえて観想する。
14)「上観(じょうかん)」=「上品三生(じょうぼんさんしょう)」を観想する。
15)「中観(ちゅうかん)」=「中品三生(ちゅうぼんさんしょう)」を観想する。
16)「下観(げかん)」=「下品三生(げぼんさんしょう)」を観想する。
こうして妃と侍女たちは阿弥陀仏に対する信仰を得た。
という物語でした。
こうして文字にしてみると、何か自分が分かった気になるのは不思議である。
前の「観音経」にしても「阿弥陀経」にしても書いたら分かった気になったので、しばらく文字にしてみる事にしよう。
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