2024年8月25日 (日)

五輪真弓の「ジグソーパズル」~編曲の妙

先日こんな歌を聞いた。五輪真弓の「ジグソーパズル」という歌。
1982年3月21日の発売というから、だいぶ前の曲だ。
この編曲に興味が湧いた。何とも伴奏がゴージャスなのだ。

<五輪真弓の「ジグソーパズル」>

「ジグソーパズル」

  作詞・作曲:五輪真弓
  編曲:船山基紀

心にもないことを
あなたに言ったのよ
「さよなら」だなんて
言える筈もないのに
  好きになる程
  別れがつらくなるから
  わざと子供みたいに
  こわしてしまう
さよならなんて言えない
私はあなたを
愛しすぎてることに
とまどうだけなの

人生はゲームだと
あなたは言うけれど
うたがいがあれば
愛は傷つき終わるの
  いつかあなたに
  しあわせと言える時まで
  私 何度泣いても
  はなれはしない
愛はジグソーパズル
笑いと涙が
背中合わせのままで
私をまどわせる

さよならなんて言わない
だからもういちど
愛しているよときかせて
私をみつめて

240825itsuwa 歌そのものは、いつもの五輪真弓節(ぶし)。でも、特に1番と2番の間の間奏のオケが何ともゴージャス。

この編曲に、五輪真弓本人の意志がどれだけ入っているかは知らないが、基本的に編曲は編曲者の自由だという。
作曲者は旋律だけ。それを編曲者は製品に作り上げる。それはまさにプロの仕事。しかも報酬はどんなにヒットしても1曲幾らという定額制らしい。
シンガーソングライターでも井上陽水、小椋桂や、桑田佳祐などは楽譜が読めない。という話は有名だが(ここ)、まさにプロの集団に支えられているわけだ。

自分的には、この伴奏、編曲の妙は大変に重要で、歌の最初の数秒の出だしだけを聞いて、自分にフィットするかどうかが分かる。つまりその楽曲を棄てるか録っておくかの判断・・・

だいぶ前に書いたが、自分は森岡賢一郎の編曲が大好きだった(ここ)。
1960年代から70年代にかけて、クール・ファイブや小柳ルミ子、布施明、ブルーコメッツなど、どれだけ聞いたことか・・・

一方、フォークの世界では、ギターだけでの編曲や演奏も多い。
自分の好きな森田童子。ほとんどの歌がギターだけでの編曲や演奏だが、どれも名アレンジだと思う。
石川鷹彦など有名なギタリストが編曲と伴奏を受け持っているが、これもなかにし礼の姪ということが強く影響したのだと思う。
山崎ハコの安田裕美とのコンビも有名。

ヒットした歌は、よくセルフカバーの録音が後から出るが、ほとんどが幻滅。あまりに編曲が奇抜な編曲が多く、とても楽しめない。あまりに奇をてらっているものが多いのは、編曲者が過剰に肩を怒らせた結果か?
自分がセルフカバーの録音で唯一?楽しんだのは小椋佳の「山河」のロンドン・パリ録音盤(ここ)。

ともあれ、色々と楽しませてくれる編曲の妙ではある。

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2024年8月12日 (月)

松本清張の文庫本78冊をやっつけた話

やれやれ、やっと買い込んだ中古の松本清張の78冊を読み終えた。
まったく自分のヘンなこだわりには困ったもの。
ある作家が気になると、それにこだわってしまう。全部読んでみようと力んでしまう。
今までも藤沢周平、山本周五郎、佐伯泰英、司馬遼太郎をはじめ、漱石、龍之介などの「全部」にこだわってきた。
そして今回は松本清張である。

自分のエクセルの読書メモを見ると、「砂の器」から読み始めたのが2024年2月だった。以来集めた中古文庫本78冊。その読破に半年強かかった。そして今は読み終えて「やった~!」という自己満足感??

確かに松本清張の作品は面白い。しかし、あまり有名で無い作品は、まあそれなり・・・
清張といえども全作品が面白いわけでは無い。「天保図絵」はとうとう挫折してしまった。
ミステリーが主なので、最後に謎解きがあるが、難しくて良く分からない作品も多かった。
それに比べて登場人物が少ない作品は、分かり易い。いつもipadで、wikiに載っている作品の紹介にある登場人物を見ながら読んだ。「これは誰だっけ?」と思っても、ipadを開くとその「解」が載っているので便利。
最後に読んだのが「西海道談綺」。分厚い600頁もある文庫本が4冊である。
これが以外に面白かった。ツツーと読んでしまった。
しかし内容は無い。単純な物語なので確かに分かり易いのだが、深みは無い。だからあまり読まれていない。

今回文庫本を買い集めてみて、清張は結構短編を書いていることを知った。
「或る「小倉日記」伝」や「西郷札」のように、初期の作品に名作は多い。
長編も同じで、初期の作品が良かった。

240812seichou 初期といえば1960年代の光文社の「カッパ・ノベルス」は、我が家にも色々とあった。初期の作品は、そのタイトルからか、知っている題名が多く、今回改めて全部読んでみた。

そして清張作品は、映画やドラマに取り上げられることが多いのでも有名。出たがりやの清張が、あの厚い唇の顔で、映画に登場するのはさすがに見ていて辟易したもの。
清張の映画もほとんど見ていたが、本を読み始めてからは、一切ドラマや映画は見ないことにした。
映画の名作「砂の器」に代表される通り、原作の小説と映画とはまったく別物。今回初めて「砂の器」の小説を読んでみて、その違いにビックリ。自分的には映画の方が良かったが・・・(ここ)。

ともあれ、「集める」のが趣味のため、清張も集めた本は全部読んでみた。
途中、飽きが来たが、頑張った!?

そして「次は?」上田秀人などが気になっている。佐伯作品や司馬作品、そして吉川英治の本も買い込んでいるのに、またまた別の作家の時代小説を買い込んでいる。

先日、眼科で最新の機械で眼を調べたが、白内障などもまだOKとか。これは有り難い。
片耳難聴を機に始まった小説三昧。当分続きそうである。

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2024年8月 8日 (木)

健康寿命を伸ばす食事は、朝は重く夕食は軽く

NHKの「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ~「健康寿命」見えてきた謎のトライアングル」(2024年8月3日BS4K放送)(ここ)を見た。いかにして健康寿命を最大寿命に近付けるかがテーマ。
その中で、「サーチュイン遺伝子」(長寿遺伝子)の話が面白かった。

取りあえず、気になるワードをメモすると・・・
「私たちの体が生存するために必要な機能を高めることが老化を抑え、寿命を伸ばす」

「私たちの体の中には、長寿にするための何かがあるわけではない。長寿遺伝子という呼び方はされなくなった」

「サーチュインという因子は、酵素で重要な働きをしていることがよりよく分かってきた。サーチュインは個体が生存するサバイブするのに重要な働きを高める」

「睡眠が寿命の成果に結びついていることを証明したのは、佐藤先生が初めて。睡眠をいじることで、老化や寿命に影響が出る。睡眠の質を悪くすると老化で起こってくる問題や寿命につながっていることがわかってきた」

「中年太りは、神経細胞の働きを上げるために脂肪を増やしているのかもしれない」

「いつ食べるかと言うことがサーカディアンリズムを整える上で非常に重要」

「時間制限食がサーカディアンリズムを整えて体の様々な代謝の障害とか、臓器、組織の機能障害を改善する能力がある」

特に時間制限食について、朝食はしっかり食べて、夕食は軽くすることの重要性。

<「健康寿命 見えてきた謎のトライアングル」から>

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この話を聞いて、ウチのカミさんに脱帽。
朝食はしっかり食べて、夕食は軽く、というのはウチのカミさんの最近の持論。
自分は「早過ぎる!」といつも言うのだが、我が家の夕食は6時。
思い出すと、現役時代は夜中11時過ぎに帰ってきてしっかりと夕食。そして2時頃に寝て7時過ぎに起きていた。
その生活からすると、様変わり。
子育ての時代などからすると、昔と今を比較しても意味が無いが、それでも結果として今の生活は「健康寿命」という点では優等生なのかも・・・

それにしても、上の健康寿命と平均寿命のグラフは気にくわない。
買い込んだ未読の中古文庫本がまだ数百冊あるのに、平均寿命までの4年位では読み終わらない。
中古の時代小説をメルカリやヤフオクで買うのが最近の自分の趣味。(ここ1ヶ月でも45冊も買い加えてしまった・・・)
読書のために長生きしたい?ワケの分からんボケ?老人ではある。

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2024年7月23日 (火)

手術か温存(放置)か?

このところ命に直接影響のない病状の手術について考えている。
命に直接影響のある病気や、日常生活に影響のある病気についての手術は、もちろん受けるしかない。手術一択である。

12年ほど前、息子が「発作性上室性頻拍」を発症。先天的だという。診察を受けた大学病院の教授は「若いので、カテーテルアブレーションの手術を強く勧めます。手術をすれば、この病気の事を忘れる事が出来ます。」という助言。
結局1ヶ月順番を待って、2泊3日で手術を受けた。正味2時間のアブレーションの手術。結果は「再発の可能性は2~3%」とのことで、本人は今はもう完全に忘れている。
今考えると、この時はやはり手術一択だったと思う。

自分のことを考えると、30歳の頃肛門潰瘍で手術を受けた。親父の紹介で、都内の保険の効かない医院。人生初めての手術だったのでビビったが、この時は痛くてどうしようもなかったのでやはり手術一択。
50歳前の時、いぼ痔でやはり手術を受けた。この時は、慣れていたので?近くの行き付けの医院で。
2度目はあまり怖くない。
この時の判断は「一時(いっとき)我慢すれば!」であった。

2度受けた心房細動のカテーテルアブレーション手術も同じ。薬でだましだましする手段もあるが、手術をすればかなりの確率で忘れることが出来る。
この時は、何度も医師の勧めがあったが手術をためらっていた。薬でごまかしていた。しかし自分の場合、心房細動を発症すると血圧が下がって苦しくなり、緊急外来に駆け込んで止めて貰うしかなく、結局手術を選んだ。この選択の判断は後悔していない。いつ発症するか分からない。という恐怖から逃れられた。

さて本題だが、先日「眼瞼下垂」の手術を受けた。
1年ほど前からまぶたのたるみが気になり、まぶたテープをしていた。つまり、まぶたの皮膚が余って、まぶたをつまむとビローンと前に傘が出来る。
一重まぶたのせいで?余った皮膚がだらりと上から瞳を覆う。それで無意識に額の筋肉でまぶたを引っ張り上げるため、額の筋肉が凝る。その対策として、毎朝まぶたをサージカルテープで眉毛の上に吊り上げる「まぶたテープ」をする事にした。これをすると、目の周りが非常に楽になった。
しかし欠点は、外出時にみっともない?
最初は外出時に外していたが、だんだんとそれも面倒になり、サングラスと帽子で隠すようになった。
手術をして、余ったまぶたの皮膚を取れば良いことは分かる。しかしテープで止めればそれで済む。大それた手術を受けるか?

転機になったのが、6月にあった同期4人のコーヒー会。そこでT君が「弟が手術を受けたが、そう大変ではなかった」と言う。
家に帰って、カミさんと話している内、急に手術を受ける気になった。それでさっそく眼科に予約。院長の診察を受けると「1時間半~2時間の手術なので、大変ではない。というのはどうか?でも、専門の大学病院の慣れた医師が丁寧にしてくれるので心配無い」とのことで、1ヶ月先の手術を予約。
そして先週末に手術を受けた。奇しくも息子が上室性頻拍の手術を受けた大学病院の、眼科の女医さん。Netを見ると、眼科で眼瞼(まぶた)の手術専門の医師というのは珍しいらしい。目の玉の手術でないので、形成外科や美容外科の範疇かと思うが、大学病院の専門医とのことで信頼。
この先生は、自分の病院での診察以外の日は、今回自分の行ったクリニックなど他の病院で手術をしているという。

正味の手術時間は両目でたっぷり1時間半。まぶたを1.5センチ幅で切ったという。一重まぶたを二重に。その方が、今後まぶたの皮膚がたるんで来た時に吸収出来るのだという。
やはり手術は甘くなかった。結構大変だった。やはりホンモノの外科手術。
今日は術後4日目だが、目の周りの内出血や腫れが、ピークを過ぎて終息の方向。
3日間は腫れると言われたが、その通り。しかしパンダの如く目の周りが真っ赤に内出血した事は予想外だった。まるでボクシングでノックアウトされた状態?(術後、目を冷やさなかったのが悪かった?)

さて、本題の本題だが、選べる病気の場合、手間はかかるが温存療法(放っておく)を選ぶべきか、それとも一気に手術をしてその問題を頭から無くすべきか?
「手術するべきか、避けるべきか、それが問題だ」!?
昔、医師の友人が言っていた。「体にメスを入れるのは出来るだけ避けた方が良い」・・・

今回の自分の場合、医師に言わせるとまだ軽症。しかし自分が手術を選択した理由はこうだ。
今はまだ良い。自分で毎朝テープを貼れるから。しかし、原因が加齢なので、たぶんこれからも症状は進む。最悪自分がホイホイになって、まぶたが目を覆ったとき、テープが出来ずに見えづらい。それが毎日。これに耐えられるか?
そして判断の決定打は、非常に珍しいまぶた手術専門の医師がやってくれること。何でも屋の形成外科医ではないので安心・・・

右耳難聴で音楽の趣味を卒業した現在、残された時間の楽しみは読書だけ。よって目は大事。
幸いなことに今は白内障などの目の病気は無い。手術も1週間の我慢。

今後も色々と発症するであろう経年劣化による体の部品の故障。今回はまぶただったが、次は??
思うに、今後も自分的には「手術で治るなら、さっさとやって忘れることにしよう」で行きそうな気がする。

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2024年7月 9日 (火)

梅棹忠夫の「民族学から見た国際理解」

毎回PCで録音して聞いているNHK第2「カルチャーラジオ 保阪正康が語る昭和人物史」。
先日の「梅棹(うめさお)忠夫」がなかなか聞き応えがあった。

<保阪正康が語る昭和人物史~梅棹忠夫(1)>

NHKのサイトの解説にはこうある。
梅棹忠夫(1)初回放送日:2024年6月17日
「文化講演会 民族学から見た国際理解」昭和56年2月1日
民族学者の梅棹忠夫は京都市西陣の生まれで、第三高等学校を経て京都帝国大学の理学部に進み、動物学を専攻します。同時に学術研究家を目指し中国などの調査隊に参加しフィールドワークにも励みました。昭和56年2月にラジオ第2で放送された「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、世界に3000種類以上ある民族についての基本的な考え方や民族と人種の違い、また益々複雑化を極める民族間の対立について話しています。」ここより)


<保阪正康が語る昭和人物史~梅棹忠夫(2)>

梅棹忠夫(2)初回放送日:2024年6月24日
「文化講演会 民族学から見た国際理解」昭和56年2月1日、「文化勲章受章者の声」平成6年10月
民族学者の梅棹忠夫は、昭和30年に戦後初の本格的な学術調査となる京都大学の探検隊に参加し、中央アジアでの実地調査を行いました。これらの業績が認められ平成6年に文化勲章を受章します。昭和56年2月に放送された「文化講演会 民族学から見た国際理解」では、民族学の重要性について。平成6年10月の「文化勲章受章者の声」では、受賞の喜びや、21世紀に入っても激化する民族紛争について語っています。」ここより)

まず梅棹忠夫という名前が珍しい。「うめさわ」でなく「うめさお」だという。
「みんぞくがく」と聞くと、直ぐに柳田國男の名を思い出すが、こちらは「民俗学」だという。「民族学」と「民俗学」。
「民族学とは自民族以外の民族(ethnos)を研究する学問で、民俗学は自民族の言語や社会生活を調査・研究する学問です。民俗学は、日本においては河童の伝説を取り上げたことで有名な『遠野物語』の著者・柳田國男によって始められた学問として知られています。」ここ)とのこと。

この「民族学」の梅棹忠夫という名は初めて聞いた。しかしその業績は大変なもの。
世界60カ国を訪問し、著作は240冊に及ぶという。

上の放送の気になった言葉を少しメモしてみると・・・
「世界には3000の民族がある。
国境線を重視する政治的地図とは別に、民族の分布を中心とする文化的地図で見ると、世界の事件の解釈やこれからの動きの予測が一般とはかなり変わってくる。
民族とは同じ文化(言語、風俗、習慣、宗教)を共用する集団のことで、国民というのは政治的概念。
人種というのは皮膚の色などの肉体的特徴の話で、遺伝子の分布の問題で生物的概念。文化的概念の民族とは全く関係が無い。」

「民族的対立は益々ひどくなる。昔は民族を超える原理が幾つか存在した。宗教である。これが近代になってすべてご破算になった。イデオロギーは民族的対立を超えることはできない。」

そして、65歳の時に突然視力を失う。ある朝、目が覚めたら目が見えなかった。ウィルス性の視神経の炎症による失明。しかし、もの凄いのは90歳で亡くなるまでの25年間で「失明後はそれ以前よりも多数の著作を残した」という。

毎日のように、テレビからウクライナやイスラエルの戦争の映像が流れている。血に染まった子どもの姿を見ると目を背けたくなる。
これらの現状も、「民族」という視点で見ると、また理解が変わるのかも知れない。
幸いにして日本は島国のお陰か単一民族。(アイヌ差別の問題はあるが・・・)

この放送を聞いて「民族」という言葉を再認識した。
そして、遅まきながら梅棹忠夫の著作を1冊でも読んでみようかと思った。

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2024年7月 5日 (金)

51回目の同期会

先日、同期会があった。51回目である。
半年前の同期会の時に、「前に“70年入社なので、70回続けたい”という挨拶をしたことがある」という話があり、数えてみたら1981年に始めて以来、50回を数えていたことが分かった。70回までには、年2回としてあと10年!

同期会は、同じ年齢の者が集まるため、病気や体調の経験談を聞く格好の機会。
それで、今回もメモしておく。

O君 視力が落ちた。目の黄班の上に膜が出来たのが原因。黄斑上膜という病気。手術をして取るしか無いが、やっていない。視力が0.6位で、眼鏡などでは矯正できないので、来年の運転免許の更新が心配。

歯間ブラシを使っているとき、金属製の先が折れた。しかし折れた部分が口の中で見付からない。よって飲んでしまったのかと心配して#7119に電話して相談したら、やはり胃や腸を傷付けると大変なので、調べた方が良い、という事になり、大病院の救急に行ってCTなどで調べたが、結局見付からなかった。
便と共に出てしまったのかも知れないが、怖かった。

A君 片耳難聴。原因は?と聞くと、音楽が好きで、ヘッドホンで聴いていたときに寐てしまい、目が覚めたときには難聴に。病院に行ったが、蝸牛の中にある有毛細胞がダメージを受けたため、治らない。とのこと。
⇒「ヘッドホン難聴」の話題は良く聞くが、一晩でも難聴になってしまう!

Y君 帯状疱疹。最初は頭痛から始まったため、帯状疱疹と分からず、脳神経外科のMRI、整形外科、皮膚科とたらい回しの結果、やっと帯状疱疹と診断。後遺症が残り、治るまでに3ヶ月かかった。

大腸検診。CTが楽だと聞いて検査した結果、ポリープがあり、入院かも?と言われたが、別の病院で大腸内視鏡の結果、何も無し。大腸CTは(その場でポリープを取ることが出来ないため2度手間になり)意味が無い事が分かった。

W君 熱中症。2階で趣味に没頭していたら、奥さんの「ご飯ですよ」を聞いて降りようと思ったら、体が動かない。胸は汗でびっしょり。階段も降りられないため、救急車。
結局、熱中症ということで、点滴2つ3時間。生まれて初めて救急車に乗り、点滴を経験した。熱中症には御注意を!

S君 奥さんが短期記憶障害。直近のことを直ぐに忘れてしまう。介護保険の適用を頼もうとしたら、調査にケアマネさんが来た時、絶対に受けないと本人が拒否。介護保険もおじゃんに。それに自律神経失調もあり、6歳年上の奥さんなので家事が大変とのこと。

M君 便秘。検便に引っかかり、検査をしたいが、大腸に溜まっているものがあり出来ない。それを出すため、薬を貰ったが効かない。相手が女医さんなので仕方が無いか?
奥さんは、色々な病気の薬を飲んでいるが、自分で管理できている。2歳年上だが、「(年下の夫で)当たった」と言っているとか・・・

まあ色々な情報があり、同じ年齢なので参考になる。
自分も2週間後に、眼瞼下垂と眼瞼皮膚弛緩症の手術をするが、目の玉の手術でないので、友人曰く「赤子の手をひねるような手術」なので、他の人の病状に比べるとまだマシ??

K幹事から「同期会の今後、どうする?」の発案あり。今まで通り、年2回の案内を出して、その時に出られる人だけ出て貰うことになった。
このような会は、幹事が大切。言い出しっぺが居ないと、直ぐに廃れてしまう。その点、K幹事は永久幹事を買って出てくれているので、続くのではないか?

しかし出席者は徐々に減っている。今回は、33名に案内メールを出して、出席11名、欠席9名、連絡無し12名、メールがつながらない人が1名。
20名⇒15名⇒13名と少なくなり、今回とうとう11名。
しかし、入社後54年。まだ続いている事の方が奇跡?

病気などでメールの返信が出来ない人も居るのだろう。そして亡くなると、メールがつながらなくなる・・・
唯一残った「飲み会」ではある。

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2024年6月27日 (木)

ゴキブリを1人で成敗した話

大のオトナを、一匹のちっぽけな虫が右往左往させる。ゴキブリとは何と偉大な存在か!?
昨夜は自室に出現した一匹のゴキブリで大騒ぎをしてしまった。
そしてそれを退治した。この充実感は何事にも代えがたい!?

毎晩、一人静かに眠気と戦いながら小説を読むのが習慣。昨夜の10時頃だった。その静かな部屋で、何か動く。
ハッと気が付くと、座っている右手に置いてあるiPad に、何か動く物。何とゴ・キ・ブ・リ!!
頭は動き出す。どう行動すべきか?カミさんが起きていれば「大変だ~!ゴキブリだ~!」と逃げてカミさんに退治を頼むのだが、カミさんはもう寐ている。
睡眠中のカミさんを起こしたら、ゴキブリ退治よりも大ごとになるので、それは出来ない。

まず備え付けのハエたたきを手に持つ。しかしこれでの成功はおぼつかない。
前に、壁に止まっているゴキブリを掃除機で吸い取って退治した成功例がある。
それでそうっと、掃除機を取りに行く。
そうっと見ると、iPad の裏にいた!
掃除機のスイッチを入れるが、先が太くて近付けない。それでiPadを動かした途端に、逃げられた。

61yrdrv3bl_ac_sl1500_ さてこれからが大変。ふと、玄関に、前に玄関から侵入されたことがあり、その備えに、ゴキブリ退治のスプレーがあったのを思い出し、持ってきた。見ると「ゴキジェットプロ [300ml] ゴキブリ用 殺虫スプレー 秒速ノックダウン 速効退治 (アース製薬)」というもの。
使用方法に「噴射レバーを引き、小型のゴキブリには約1~2秒、大型のゴキブリには約6~8秒直接噴射してください。また、ゴキブリの逃げ込んだすき間には約1~2秒噴射してください。すき間より出てきたゴキブリには更に上記の量を再度直接噴射してください。」とある。
これを使うしかないな、と判断して、逃げ込んだ棚のすき間や裏のあちこちに噴射。
しばらくすると、ガラス戸の下にゴキブリの走る姿。さっきのスプレーでやっつけようと、スプレーに目を移して手に持ち、ガラス戸を見ると“居ない”。
なぜ消えた?目を離す前に、確かにガラス戸のスミでうごめいていた。良く見るとガラス戸のスミに1ミリほどのすき間。ここから外に逃げた?

改めてNetでググると、ゴキブリは1~2ミリのすき間からでも入ってくるという。
今までの騒動で、ゴキブリに入られないよう、色々手は打ってある。それでも入ってくる。とするともう手が無い。
見付けたときに退治するしか無い?そう考え、そうだもう逃げて居ないんだ。と思った。
そう思わないと今晩眠れない。
前は、次の日にバルサンを焚かないと部屋で眠れなかった。その夜は別室で寝たものだ。
しかし今回は、もう逃げて居ない。と思うことにして夜は寝た。

240627goki 今朝になって、ベランダから棚の裏側をチェック。すると、何とゴキブリの死体がある。逃げたと思ったが、まだ部屋にいて、あのスプレーで成敗できたことが判明。
何という充実感!!カミさんに頼らず、一人で成敗したのだ!!

死体が見付かったので、改めてバルサンを焚くことは中止。もし姿が見えなかったら、安心のため、バルサンを焚こうと思っていたが・・・
そして、念のため、アンテナケーブルの引き入れ口の外側も、配管穴埋めパテで埋めることにした。
そして今回お世話になったスプレー缶も、残量が少なくなったので、予備を一缶買い足すことにした。

それにしても、分からない。どこから侵入されたのか?

ま、こんなことが事件なので、この平和を感謝するしかないかね。

(追:2024/06/28)
再発防止策として、部屋のアンテナケーブルの孔を完全にふさいだ。
前に、ケーブル孔の室内側はパテでふさいだつもりだったが、外側はやっていなかった。
今回、改めてAmazonで配管穴埋めパテを買い、外側を埋めた。
1Kg449円。実際に使ったのは200g。
これで完璧??
240627mae 240627ato

(関連記事)
大山鳴動してゴキブリ一匹!?(2011年7月 9日) 
「ゴキブリが出たぞ~~~~!」(2016年8月12日) 

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2024年6月11日 (火)

船橋聖一の「絵島生島」を読む~手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣」

船橋聖一の「絵島生島」を読んでしまった。
言うまでも無く、江戸時代の「絵島生島事件」を扱った歴史小説。
自分がこの話に興味を持ったのは、手仕事屋きち兵衛さんの「風の桜衣」という歌を聞いてから。
改めてWAVで聞いてみよう。

<手仕事屋きち兵衛の「風の桜衣(はなごろも)」>

「風の桜衣(はなごろも)」
   作詞/作曲:手仕事屋きち兵衛

山里を染めて咲く 小彼岸桜(こひがんざくら)
風を呼び 風に乗り 空に流れ行く
かなしい程に 澄んだ青空の中
はじけ散る 桜吹雪(はなふぶき) 春景色
いつ誰が名付けたか 高遠桜嵐(たかとうはなあらし)

山里の人は言う あれはあの女(ひと)の
切なさと哀しみが 染め上げたのだと
道理(みち)を忘れた 恋におぼれた罪と
裁かれて落とされて 流された
あの女(ひと)のはかなさを 飾る桜衣(はなごろも)

山里に流された その女(ひと)は絵島
美しい女(ひと)ゆえの 恋の濡れ衣
女盛りの花を 散らした絵島
泣き濡れて あきらめて手を合わす
山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り
山里の赤い桜(はな) 絵島の物語り

この歌にある「美しい女(ひと)ゆえの 恋の濡れ衣」という歌詞。
この「濡れ衣」という言葉から、この事件に興味を持った。

先日、松本清張の「大奥婦女記」という本を読んでいたら「絵島・生島」という短編があった。それを読んでから、またこの事件の興味に火が240611esimaikusima 点いた。しかしwikiを見ても、この事件を扱った小説が少ない。唯一見付かったのが船橋聖一の「絵島生島」という小説。
この小説は1953年9月1日から1954年11月17日まで、東京新聞に連載されたという。1953年というと昭和28年。
確かに古い。だから今ではなかなか手に入らない。平成19年に新潮文庫で復刊されたが、中古本もなかなか無いようだ。
しかし読んでみると、歴史小説だけあって、古さは感じない。
内容的には、清張の小説はこの船橋聖一の小説のエキスを書いた感じ。

それにしてもこの小説、月光院(家継の生母)と側用人・間部詮房、そして絵島と生島のドロドロした愛欲場面が多い。そして宮路というスパイの暗躍。あまり天英院(家宣の正室)の陰謀の場面は少ない。
宮路の絵島を陥れるシーンは、どうもキライなので読み飛ばした。(昔は良く見た韓ドラも、イジワルの場面がきらいになって、今は全く見なくなった)
この事件で捕まった大奥は百数十名というから凄まじい。wikiによると関係者1400名が処罰されたというから、まさに粛正事件。

この小説で、船橋聖一は各所で昔の史料を引用している。さすがに、よく調べて書いたのだと思う。
もちろん歴史上の事件は、人により解釈が異なる。陰謀論と色々な史料・・・

船橋聖一の解釈として?この事件に関し、こう書いている。
「 世の中にかかる習ひはあるものと
  ゆるす心の果てぞかなしき

世の中の人のすることを、自分もしてみただけのことで、このようなひどい目にあったのも、もともと心の油断であろうがと詠んだ絵島が一首の歌には、よく端的に、その心情がうつされているように思われる。
奥女中の芝居見物が御法度であることは、誰知らぬものはなかったにせよ、当時宿下りの御守殿が、たとえ表人風に身をやつすとは云え、誰の目にもそれとあらわにわかるような態度で、半ば公然と芝居小屋に出入することは、一種の慣習として元緑正徳の一般的な風俗図絵でもあった。偶々、絵島もそのヒソミに倣い、しかも深入りして、生島新五郎と夫婦の契りを結んだのではあるが、彼女にすれば、当時流行の色子買いでも、おやま狂いでもなく、奥女中大年寄の地位をかなぐり捨てても、恋しい男の胸に飛びこんで行こうと云う一筋の熱情だったのである。それが今、大奥からの追放となり、縄目の恥にさらされ、危く死一等をまねかれたとは云え、すんでのことにこの首が飛ぼうとさえしたのだ、と思うと、絵島はこんな理不尽な御政道に心から服する気になれなかった。やはり、世人の噂ずる如く、間部詮房による側用人政治が、腐敗の極に達していて、これを粛正するための前提に、自分らが槍玉に上がったと考えて、あやまりはないだろう。」(新潮文庫「絵島生島(下)p400より)

権力者どおしの陰謀。
さてさて、次の首相は誰になるのだろう?

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