2024年12月 3日 (火)

マイナ保険証のひも付け解除をせずに「資格確認書」を貰う手続きをした話

昨日の12月2日から、新規の紙の健康保険証の発行が停止され、TVではそれに伴う話題が多い。
自分もマイナンバーカードに健康保険証を紐付けしてあるが、都度マイナンバーカードを持ち歩きたくないので、健康保険証と同じ機能だという「資格確認書」をもらうつもりでいた。
なぜなら、今の保険証は月1回病院で確認して貰うことで済むが、マイナ保険証は受診の都度毎回認証させる必要があるし(ここ)、3回パスワードを間違えると、ロックがかかってしまい、市役所まで行って、解除をして貰う必要がある。つまり、いつも持って歩くことが求められる。
また、受入側の病院も、例えば近くの500床の大学病院でも、カードリーダーは4台だけだという。これから増強されるだろうが、現時点では1日千数百人の外来患者の全員に、建前としてカードリーダーに通せと言う。どうも現実的では無い。

それで、自分はカードと保険証の紐付けの解除をすると「資格確認書」が送られてくるというので、解除するつもりだった。
しかし、解除をしなくても「資格確認書」が貰えることが分かり、市のHPからダウンロードした申請書を書いて、さっき市役所に持って行ったら、何の問題も無く受け付けて貰え、「今持っている健康保険証の期限が切れる前に資格確認書が送られてくるので、それまでは今の保険証を使っていて下さい」と言われてチョン!
マイナ保険証はそのままなので、今後ずっとマイナカードでの受診もできるし、政府の言っているマイナ保険証のメリットも享受できる。そして日常は、今後「資格確認書」という名の今まで通りの「紙の保険証」で受診する事が出来ることになった。

厚労省の「資格確認書について(マイナ保険証を使わない場合の受診方法)」ここ)というページにこんな記述がある。

「当分の間、マイナ保険証を保有していない(マイナンバーカードの健康保険証利用登録をしていない)方全てに、現行の健康保険証の有効期限内に「資格確認書」が無償で申請によらず交付されます。

【交付対象者】
<申請によらず交付する方>
・マイナンバーカードを取得していない方
・マイナンバーカードを取得しているが、健康保険証利用登録を行っていない方
・マイナ保険証の利用登録解除を申請した方・登録解除者
・マイナンバーカードの電子証明書の有効期限切れの方
・令和6年12月2日以降に新たに後期高齢者医療制度に加入された方や、転居等により有効な後期高齢者医療被保険者証をお持ちでない方(令和7年7月末までの暫定措置)※

<申請により交付する方>
・マイナンバーカードでの受診等が困難な配慮が必要な方(ご高齢の方、障害をお持ちの方など)であって、資格確認書の交付を申請した方<更新時の申請は不要>
・マイナンバーカードを紛失・更新中の方」

つまり、「マイナ保険証の利用登録解除を申請した方・登録解除者」でなくても「マイナンバーカードでの受診等が困難な配慮が必要な方(ご高齢の方、障害をお持ちの方など)であって、資格確認書の交付を申請した方」であれば、登録解除をしなくても申請で「資格確認書」が送られてくるということ。

(前提として、実は大きな声では言えないが、我々夫婦は二人とも、病院で受診する際、物忘れが激しいので、暗証番号を正確に入れる自信が無いのであ~る!?)

カミさんは国民健康保険。自分は高齢者健康保険である。それぞれ手続きの申請書用紙が違う。

市(一例)の「国民健康保険」のHPを見た。するとこんな記述があった。
「国民健康保険 資格確認書交付申請について
 マイナ保険証を保有している方であっても、マイナンバーカードでの受診等が困難な要配慮者は、申請により資格確認書を交付します。

241203kokumin2 【申請できる方】
**市国民健康保険に加入中の74歳以下で以下のいずれかに該当する方
・マイナンバーカードを紛失したまたは更新中で、有効なマイナンバーカードが手元にない方
・マイナンバーカードを返納する予定である方
・介助者等の第三者が高齢者または障害者である被保険者本人に同行して本人の資格確認を補助する必要があるなど、マイナンバーカードでの受診が困難である方
・その他マイナンバーカードによるオンライン資格確認を受けることができない事情がある方」

そして「後期高齢者医療制度」では、
「マイナンバーカードの保険証利用について(後期高齢者医療制度)
241203koureisya2 ・・・
<資格確認書の交付申請について>
 マイナ保険証を保有している方であっても、マイナンバーカードでの受診等が困難な要配慮者(高齢者、障害者等)は申請により、令和7年7月中旬頃、資格確認書を郵送します。
 令和7年7月31日までは、現在お持ちの後期高齢者医療被保険者証をご利用ください。」

市役所で何か聞かれた時は、「忘れっぽくて」と言おうと思ったが、何も聞かれず、ただ自分のマイナンバーカードで本人確認をしただけ。
あっけなく終わってしまった。
カミさんのマイナカードも不要だった。

実は前段階として、昨日役所に聞いてみた。「物忘れが・・・」と言うと「申請書を出してくれれば資格確認書を発行できます」と言ってくれた。
他の件でも経験したことだが、役所はキチンとした書類が提出されると、いちいち疑ったり尋ねたりしない。提出された書類に基づき、淡々と処理するだけ。

ともあれ、これで我が家は実質紙の保険証である「資格確認書」が自動的に送られてくることになったし、何かあった時は、マイナカードでの医療情報の共有もOK。
カミさんには「もうこの手のニュースは見なくて良いから」と言ってある。

今後も従来通りの受診が出来る事になり、ホットした。やれやれ・・・

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2024年11月29日 (金)

「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」

いつもヒマさえあれば覗いている「Yahoo!ニュース」。
今朝も覗いていたら「マイナ保険証利用の患者、電子カルテを病院間で共有へ…病歴や検査結果も把握可能に」ここ)という記事があった。

241129netakiri やれやれ、やっと導入か・・・と思った。
今のマイナンバーカードのシステムでは、1ヶ月経たないと最新情報は得られないという。緊急の時などに医師が知りたいのは、今現在の患者の情報。よって、たぶん利用する病院は皆無だろう。
しかし改善が進み、今回の「電子カルテ情報共有サービス」なるものがリアルタイムで稼働することになると世界は変わる。
思い出すと、2年ほど前に近くの大学病院で心臓のカテーテル手術を受けたが、その時の履歴の聞き取りは細かかった。薬手帳はもとより、アレルギーの状態やあらゆる過去の病歴を聴取された。それらが今後、カルテで即時に確認できれば、患者にとっても安心。

おっと、ここからが本題。
上の記事の下部に、関連記事として「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」という文字が目に付き、たたいてみた。すると2012年6月20日付けの10年以上前の記事だが、なかなか唸る記事が載っていた。曰く・・・

欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
 ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
 不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。

 「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
 答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。

欧米が良いのか、日本か
 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
 家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)」ここより)

自分終末期については、当blogにも過去何度も書いてきた。
結論はいつも同じ。延命治療はしない。

よく言われるように、日本の病院は延命が使命。何が何でも延命のための処置をする。
脳溢血で倒れた時、救急車を簡単に呼ばないで!ともよく言われる。救急車、及び運び込まれた病院では、何が何でも延命をするのが仕事だから。

年末が近くなってきて、欠礼ハガキが届くようになってきた。世代的に、どれも90歳を超えて亡くなったと思われる。しかしどのような状態で亡くなったかは分からない。
自身を考える。
90歳を超えても、なおベッド縛られて命を長らえることに何の意味があるのかと、改めて思う。
やはり人生は、自分のちゃんとした意識があるうちが自分の人世では?
意識が無くなって、ただただ心臓が動いている植物人間の状態は、もはや自分の人生ではない。つまり、上の記事の欧米の考え方に心から賛同してしまう。
まだ喜寿なのでもう少し人生を楽しみたいとは思う。しかし、いつかは「もういいか」と思える時期が来る。その時、突然「ウッ!」と心臓が止まることを期待しているのだが・・・

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2024年11月19日 (火)

北原ミレイの「白い花」

だいぶん前だが、近くの道の駅で駐車の順番を待っている時、カーステレオから流れてきた歌に「オッ!これは・・・!」と思った。

家に帰って調べてみると、その歌は北原ミレイの「白い花」だった。そして自分もその音源を持っていた。前に録音していた音源も、久しぶりに聞くと、改めて“見直す”こともあるのだ。

<北原ミレイの「白い花」>


「白い花」
  作詞・作曲:山崎ハコ

私の目の前の白い花
人目にもつかず 咲いているけれど
幸せそうに ほほえんで
香りを漂わせる
できることなら この指で
お前を摘んでしまいたい
あの人の心に 誇らしく
咲いてる お前を

白い花びら はにかんで
とてもきれいに見えるわ
お前のように 咲きたかった
あの人の心の中に
ひそかに きれいに咲くがいい
美しい白い花よ
あの人といっしょに生きて行け
あの人をなぐさめながら

お前をみつめて 生きて行く
私の気持ち知らないで
私にやさしいほほえみを
かえす 白い花
ひそかにきれいに 咲くがいい
ほほえむ 白い花よ
あの人といつまでも生きて行け
あの人をなぐさめながら

241119shiroihana この歌は、ちょうど15年前にも「山崎ハコの「白い花」と「こころの花」」というタイトルで挙げている(ここ)。
山崎ハコ盤が1976年5月の発売というから、この北原ミレイ盤の1976年12月発売は、オリジナルの半年後の発売ということになる。
JASRACのデータベースを見ると他に研ナオコが歌っているようだ。

山崎ハコ盤はギターの伴奏だが、この北原ミレイ盤は、オーケストラ。
自分はギターの伴奏は基本的に好きだが、この歌については、この北原ミレイ盤の編曲が好ましい。
竜崎孝路の編曲。どうと言うことの無い編曲だが、何か自然で心に沁みる。
また歌い方が、山崎ハコ盤は厳しいが、この北原ミレイ盤は自然な歌い方。
単純なメロディーではあるが、なぜか心に残る北原ミレイの「白い花」ではある。

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2024年11月10日 (日)

司馬遼太郎の「街道をゆく」の再スタート

1年ほど前に司馬遼太郎を休んで、他の作家に浮気した。池波正太郎、松本清張、そして上田秀人と高田郁など。
数日前から司馬遼太郎に戻った。やはり最近の作家は、どうも自分にマッチングしないと悟ったから・・・?
「街道をゆく」も13巻の「壱岐・対馬の道」で止まっていたが、続きを読み始めた。今回は第14巻「南伊予・西土佐の道」である。
全43巻のうちの20冊目になる。(最近は発行年順に読んでいる)
それが改めて面白い!読んでいてワクワクするのである。
1冊を2日かけて読む。スピートは気にしない。
タブレットのGoogle Mapで、司馬さんの歩いた場所を確認しながら読んでいる。
Google Mapは非常に便利で、名所毎に皆が投稿した写真が載っている。よって、それを眺めながら読むと、よりリアル。もちろん司馬さんが訪ねた時期とは半世紀近くのズレはあるが、自然の風景はそれほど違わない。

いままでの小説とは違い、まさに「精読」。一文字毎にじっくりと読む。
文庫を読み終えると、NHKの番組を見る。「NHKスペシャル 街道をゆく」の第1シリーズ(全6話)、第2シリーズ(全6話)、第3シリーズ(全48話)である。
NHKでは4Kでの「新・街道をゆく」も5回まで放送されている。

このNHKの番組が良い。文字の世界を、実際の風景で確認させてくれる。
そして「司馬遼太郎の風景」という、この番組制作者の「NHK街道をゆくプロジェクト」による本で番組の背景などを確認。
その次は、昔出た「朝日ビジュアルシリーズ」という写真週刊誌の当該巻を読み、最後は「司馬遼太郎の街道」などのムックで締めくくる。
241110kaidounogenten ムックは最新刊では「司馬遼太郎「街道」の原点」という本が出たばかり。
これは週刊朝日が休刊になったあと、「歴史道」に移ったが、当時の同行編者だった村井重俊氏が、司馬遼太郎の歩いた道を再訪しながら書いている。それがまとめてムックとなったもの。この発刊は実に有り難い。

つまり、1巻の文庫が、かくも広く楽しめる。まさに、自分もその街道を歩きながら、それらの歴史に触れられる。
そして、各所に文庫の本文が引用されるが、それらの文が、直ぐに思い当たる。
つまり「精読」しているので、各文章が頭に残っている。読み飛ばしの小説とはここが違う。

ふと高校時代を思い出す。特に歴史の教科書では、何度読んでもまったく頭に入らなかった。しかし司馬さんの独特の文章は味わい深く、頭に残る。

司馬さんの本は小説を筆頭に、ほとんど買ってある。
「街道をゆく」の残り半分をはじめ、しばらくはじっくりと司馬ワールドを楽しめそうである。

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2024年11月 2日 (土)

「パレスチナ・イスラエル対立の背景と希望」慶大教授 錦田愛子氏の話

中東問題は難しい。良く分からない。
2023年10月7日にパレスチナのイスラム組織ハマスがイスラエルに大規模な襲撃を仕掛け、イスラエルがガザ地区への大規模な攻撃を始めてから1年。
ガザ地区は壊滅状態になり、死者は少なくとも4万1000人に上っており、激しい攻撃はいまも続いている。
この背景は何か?どうしてこんな戦争が続いているのか?断片的なニュースを聞いても、自分には良く分からない。

自分が愛聴しているNHKラジオ第2の「カルチャーラジオ」。
その「日曜カルチャー」で、慶応大の先生が「パレスチナ・イスラエル対立の背景と希望」と題して4時間に亘り解説してくれている。

<第1回「紛争の発端」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月6日放送)

パレスチナとイスラエルの対立は、なぜここまで激しくなったのか?その背景について全4回にわたり慶應義塾大学教授の錦田愛子さんが語ります。2023年10月に始まった、イスラエルとガザのパレスチナ武装勢力との衝突は、今もまだ続いています。しかし、エルサレムという土地はもともとイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地で、かつては対立もなく共存できていたといいます。第1回は紛争の発端を歴史的観点から考えます。ここ

<第2回「転機としての第三次中東戦争・アメリカの進出と入植事件」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月13日放送)

第2回は1967年に勃発した第三次中東戦争を取り上げます。当時、イギリス・フランスの中東地域の支配力が衰退すると、アラブ諸国は次々に独立を果たしていきます。その独立した国の一つ、エジプトはイスラエルに対しチラン海峡を封鎖、これを契機に第三次中東戦争は発生します。慶應義塾大学教授の錦田愛子さんは、中東地域がまさに激動の時代を迎える転機だったと考えます。今回は同時にアメリカの進出についても解説します。ここ

<第3回「オスロ合意はなぜ失敗したのか・対話の枠組みが残した成果」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月20日放送)

第3回「オスロ合意はなぜ失敗したのか・対話の枠組みが残した成果」と題して、慶應義塾大学教授の錦田愛子さんが解説します。1987年、パレスチナのガザ地区で起こったある交通事故がきっかけとなって、インティファーダ(民衆蜂起)が勃発、国際社会の注目がパレスチナに集まります。そして、さまざまな和平への取り組みの末、イスラエルとパレスチナの間でオスロ合意が結ばれました。しかし、その後決裂することになります。ここ

<第4回「なぜ『10.7』は起きたのか・長期化した封鎖の人々への影響」慶大教授 錦田愛子>(2024年10月27日放送)

第4回「なぜ『10.7』は起きたのか・長期化した封鎖の人々への影響」では、去年10月7日に起きたハマスのイスラエル襲撃について、過去20年ほどの経緯から振り返ります。2006年パレスチナ立法評議会選挙におけるハマス政権の誕生は、国際社会にとって予想外の出来事だったといいます。「二重政府状態」「パレスチナの政治的孤立」「トランプ政権の影響」などをキーワードに慶應義塾大学・錦田愛子教授が読み解きます。ここ

日本国憲法の前文にこうある。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
しかし近隣の独裁国家は、いまだに武力で領土拡大を画策している。
もはや「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」している場合では無いのかも知れない。
幾ら国民が戦争はイヤだと言っても、その国の独裁者によって、国民の声は抹殺されている現実は否定しようも無い。

ロシア・ウクライナや、イスラエル・パレスチナの問題から目を背けるのは簡単。
でも、せめて現実を直視して、世界で何が起こっているのか、関心だけは持つことがせめてもの罪滅ぼしかも知れない。

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2024年10月22日 (火)

高田郁「あきない世傳 金と銀」が最高に面白かった

6年半前に藤沢周平から始まった読書の趣味。それが今日、666冊になった。
その中で、今回読んだ高田郁の「あきない世傳 金と銀」(全13巻+特別巻2冊)が最高に面白かった。
先日書いた「高田郁の「みをつくし料理帖」と上田秀人の「奥右筆秘帖」を読む」(ここ)の記事中で下記のように書いた。
「発行数が少ないだけに、シリーズものは「あきない世傳 金と銀シリーズ」全15巻の2つしか無い。まあこれも買っておいたが、さていつ読もう。
売れている作家ということで、読んではみたが、今まで読んだ藤沢周平や山本周五郎、清張、そして司馬遼太郎などの本に比べ、読後感が何か軽い印象。薄い印象。
まあ買ってしまったシリーズは一応は読むが、やはり大作家の本に戻ろうと思うこの頃である。」

これ、全面的に訂正。「高田郁という作家は素晴らしい!!」

今までに読んだ本はExcelに記録している。そして読んだ後、5点満点で自分なりに評価している。それで、読んだ冊数の多かった作家の評価点の平均を出してみた。すると、

高田郁   5.15
池波正太郎 4.81
司馬遼太郎 4.67
松本清張  4.63
上田秀人  4.38
藤沢周平  3.86
山本周五郎 3.84
佐伯泰英  3.82
夏目漱石  3.47

つまり、高田郁は5点満点の「満点」を超えているのである。
読後、5点を付けるには忍びない。5点を超えている!6点だ!と思った本が多かったということ。

それだけに読む速度も違った。1日1冊ペースで読んだ。
初期に面白かった2018年に読んだ佐伯泰英の「居眠り磐音」が、2日に1冊のペースだったのに・・・

このシリーズの最終巻は2024年2月29日の発行。つい先日だ。
今回は、15冊を一気読みしたが、発行年を振り返って見ると、発行は半年に1冊のペースだったらしい。つまり昔からの高田ファンは、半年ごとに1冊ずつ読んでいた訳で、その道程は長かったろう・・・

改めてストーリーを確認すると、第1巻の説明にこうある。
241022akinai 「物がさっぱり売れない享保期に、摂津の津門村に学者の子として生を受けた幸。父から「商は詐(いつわり)なり」と教えられて育ったはずが、享保の大飢饉や家族との別離を経て、齢九つで大坂天満にある呉服商「五鈴屋」に奉公へ出されることになる。
慣れない商家で「一生、鍋の底を磨いて過ごす」女衆でありながら、番頭・治兵衛に才を認められ、徐々に商いに心を惹かれていく。果たして、商いは詐なのか。あるいは、ひとが生涯を賭けて歩むべき道か―――大ベストセラー「みをつくし料理帖」の著者が贈る、商道を見据える新シリーズ、ついに開幕!」

ちなみに「世傳」をChatGPTで聞くと「世傳(せいでん)は、特定の家系や一族に伝わる歴史や伝承を指します。これには、家族の起源、重要な出来事、先祖の業績などが含まれ、世代を超えて口伝や文書として伝えられることが一般的です。日本の武家や貴族、特定の地域の伝承などにおいて特に重要視されることがあります。世傳はその家系や文化のアイデンティティを形成する要素ともなります。」とあった。
この言葉、知らなかった・・・。なるほど、呉服商「五鈴店」の歴史だ。

舞台が呉服屋なので、絹や木綿についての記述は詳しい。相当に勉強しながら執筆したのだろう。だから半年に1冊?
しかし登場人物の年齢設定や人物相関の不自然さは残った。例えば登場人物の2人が104歳で亡くなったとか、お竹が92歳で現役でまだ店で働いていたり・・・
そして主人公の4度の結婚。兄弟3人と結婚し、最終的には店主の主人公が年下の手代と。

脱線だが思わぬ収穫も??
つまり旧暦の和風月名を覚えてしまった。

1月:睦月(むつき)2月:如月(きさらぎ)3月:弥生(やよい)4月:卯月(うづき)5月:皐月(さつき)6月:水無月(みなづき)7月:文月(ふみつき)8月:葉月(はづき)9月:長月(ながつき)10月:神無月(かんなづき)11月:霜月(しもつき)12月:師走(しわす)

この小説ではすべて旧暦の月名なのである。それでつい覚えてしまった。それでないと、時間の経過が分からない・・・。

これも脱線だが、出てくる言葉で、子どもの頃の風景も思い出してしまった。
例えば「洗い張り」という言葉。
小学校低学年の頃、現在のさいたま市の与野に住んでいた。その頃、よくお袋が「洗い張り」をしていた。
着物をバラして洗い、元の反物に戻してのり付けして、細長い反物の状態で伸(しんし)針で幅を伸ばした状態で干す。
その光景がいまだに目に残っている。
そして「火鉢」なんていう言葉が出てくると、昔与野の家にあったな・・・とか思い出して・・・。

ともあれ、チャンバラではない時代小説にはまった。
しかし高田郁は寡作の作家。まずはあと4冊を手に入れた。
しかし、あと4冊でオワリかと思うと残念だ。

まだまだ時代小説の世界は広いな、と感じたこの頃である。

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2024年10月10日 (木)

ラジオ深夜便で、作詞家 橋本淳の話を聞く

先日、夜中に目が覚めたとき、ウォークマンに録っておいたNHKラジオ深夜便「明日へのことば『亡き筒美さんの曲を後世に残すために』作詞家 橋本淳」(2024/10/03放送)を聞いて、まるで幽霊にでも遭ったような気がした(失礼)。

<NHKラジオ深夜便「明日へのことば『亡き筒美さんの曲を後世に残すために』作詞家 橋本淳>

幽霊とは誠に失礼な言い方だが、橋本淳という作詞家は、自分にとって50年以上前の学生時代を彷彿とさせる名前なのだ。wikiの橋本淳さんの項目を見ると1960~70年代の懐かしい歌謡曲の曲名が並ぶ。
もちろん自分にとってはブルーコメッツが第一。
1966年の「青い瞳」から、「青い渚」「ブルー・シャトウ」「北国の二人」「こころの虹」「白鳥の歌」「草原の輝き」「さよならのあとで」「雨の赤坂」、そして1969年の「涙の糸」まで、まさに自分の学生時代の思い出と重なる。
面白いもので、歌の名前を聞くと、学生時代のそれぞれの光景が目に浮かぶ。人間の記憶の不思議さ・・・

この話の中で、「40年ぶり」という言葉があった(ここ)。やはり1980年代を最後に橋本さんの活動は停止したらしい。時代の流れか・・・
驚いたのは、40年のブランクを空けて、今のラジオに登場すること。

さだまさしの歌ではないが「人生は潮の満ち引き」(ここ)。
いつまでも絶頂期というのは難しい。時の有名人も、その時代が過ぎると忘れられていく。
この作詞家も同じだろう。40年も表舞台から忘れられていて、突然登場したので自分はビックリ。

橋本淳が活躍していた50年前は、もちろんwikiなども無いので、氏がどのような人生を歩んできたかは知る由も無かった。
しかし今回改めて、wikiなどを読み、氏の活躍の全貌を確認してしまった。

そして、橋本淳のwikiを読んでいて、別のインタビュー記事を見付けた。
何とブルーコメッツのサイトがあって(ここ)、そこに2001年11月の橋本淳さんのインタビュー記事があった(ここ)。
ここでまたまた勉強してしまった。

でも自分的には嬉しい。自分と同じような若い時を過ごした「過去の人」と思っていた人が昔の話をしてくれる・・・
考えてみると、布施明や森山良子などはスゴイ。同じ年代だが、いまだにコンサートなどを開いて活躍中。

60年前の学生時代を思い出した橋本淳氏の話ではあった。

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2024年10月 6日 (日)

高田郁の「みをつくし料理帖」と上田秀人の「奥右筆秘帖」を読む

喜寿を迎え、相変わらず読書三昧の日々だが、最近高田郁の「みをつくし料理帖」全12巻と上田秀人の「奥右筆秘帖」全12巻を読んでみた。
きっかけは相変わらずのミーハーからだが・・・

最近、ChatGPTで遊んでいる。これが結構楽しい。
「ミーハーとは?」と送ってみた。回答は、
「「ミーハー」とは、日本語の俗語で、流行や有名人、話題になっているものにすぐ飛びついて、あまり深い考えを持たずに熱中する人を指す言葉です。軽い気持ちで人気のあるものを追いかけることが特徴で、「流行に敏感な人」「追っかけ」などの意味合いも含まれます。もともとは軽蔑的な意味合いが強かったのですが、現在ではそのニュアンスが弱まり、親しみを込めて使われることも多くなっています。」
だって・・・

241006takarajima たまには、読んだことが無い作家の時代小説を読んでみようかと、宝島社の「この時代小説がすごい!2022年版」という本を読んでみた。
するとそこに「2001-2021年の20年を振り返る 21世紀版文庫書き下ろしランキングBEST15」という記事があった。
まさにミーハーな自分にとって、格好の本選びの記事。見ると上田秀人や高田郁という人の本がたくさん売れているらしい。そこでこれらを読んでみることにした。

241006best15 241006sakka

良く読んでいた佐伯泰英の続きで、まずはチャンバラ小説。
241006oku まず上田秀人の「奥右筆秘帖」12冊を読んだ。自分はExcelで本毎に5点満点の評価を付けているが、3が3冊。自分の評価としては非常に低い。どうも自分にはこの作家は完全マッチングはしないようだ。
一緒に「百万石の留守居役」シリーズ全17巻も買っているが、いつ読むか?

241006miwotukusi そして断トツの評価を受けているのが、高田郁の「みをつくし料理帖」。
NHKのドラマや映画で知ってはいたが、料理がテーマの本なので、サーテどうするか・・・
でもま、評判が高いようなので、読んでみるか・・・
読み始めると、第1巻が自分の評価で5点満点の6点。なるほど評価が高いはずだ。面白い。
料理の作り方には興味が無いが、まあストーリーとしては満足。
この女流作家は、佐伯泰英の「月刊佐伯」と違って年に2巻の発行で、10巻の発行に5年かかっている。最終巻の5年後に特別巻を出しており、内容的にはここまで読まないと物語は終わらない。
発行数が少ないだけに、シリーズものは「あきない世傳 金と銀シリーズ」全15巻の2つしか無い。まあこれも買っておいたが、さていつ読もう。

売れている作家ということで、読んではみたが、今まで読んだ藤沢周平や山本周五郎、清張、そして司馬遼太郎などの本に比べ、読後感が何か軽い印象。薄い印象。
まあ買ってしまったシリーズは一応は読むが、やはり大作家の本に戻ろうと思うこの頃である。

●メモ:カウント~1440万

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«NHK特集「シルクロード」を本で“復習”