2022年9月17日 (土)

美空ひばり作詞、岡林信康の「レクイエム~麦畑のひばり~」

先日、こんな歌を見付けた。何と、美空ひばりの作詞による曲だという。

<岡林信康の「レクイエム~麦畑のひばり~」>

「レクイエム~麦畑のひばり~」
  作詞:美空ひばり
  補作詞/作曲:岡林信康

麦畑空高く
飛ぶひばり 駆け昇る
はるか雲の上まで
おまえは行くというのか

おまえを育ててくれた
この麦畑を
ふり返る事もなく行くよ
ただ高く高く
飛びつづけてゆく

そこから何が見える
教えておくれひばり
澄み渡る青空か
それともその向うには

暗闇深くひろがり
遠き死の谷が
たとえそれが見えたとしても
おまえは行くだろう
飛びつづけるだろう

果てなく高き青空
私は見上げる
麦畑に吹く風の音
お前は見えない
はるかなひばりよ
はるかなひばりよ
愛しのひばりよ

この歌が出来るまでの経緯については、Youtubeにある。

220917okabayashi (2010年に作曲する)「35年前に、美空ひばりさんから岡林信康さんにあてに送られた1通の手紙。その中に同封された“詩”をもとに岡林さんが作品に仕上げられたのが、この「レクイエム~麦畑のひばり~」だという。
美空ひばりが亡くなったのは1989年6月。つまりこの詩が送られたのは1975年の頃らしい。
上のYoutubeによると、貰った当時は詩の内容から歌にはならないと思ったという。それが「美空ひばりと加藤和枝の二つの人格の自問自答、葛藤」が背景にあると読み解けてから、やっとこの歌が出来たという。

美空ひばりの作詞の曲は珍しいと思ってwikiを覗くと「ひばりが作詞し、生前に曲がついたものは22曲ある。そのうち18曲は自ら歌唱した」とあった。

ところで、上のYoutubeで「楽譜が読めない」という話が出て来た。美空ひばりが読めない話は有名だが、この岡林信康も同様に読めないと言っていた。
楽譜が読めない有名人をググると、井上陽水、小椋桂(ここ)や、桑田佳祐も・・・。
その他「ビートルズのメンバー全員、オペラのパバロッティ、BBキング、ジョージ・ベンソン、ジャンゴ・ラインハルト、ジミー・スミス」という記載もあった。

さすがにオペラのパバロッティにはビックリ!

それにしても、楽譜を初見で演奏できる音楽家はすごい。ベートーヴェンの交響曲をリストが編曲しているが、このCDを聞くと、まさに音の洪水。この音符の洪水を演奏できる人間の能力に感心する。

おっと、話がずれた。
美空ひばりが逝ってから33年。そんな美空ひばりを久しぶりに思い出させてくれた岡林信康の歌であった。
自分にとって、新しい歌を教えてくれるFM放送。毎日番組を録音はしてはいるが、さすがに「これは!」と新たに発見する歌は少ない。
そんな中で、久しぶりに「発見」した歌ではある。

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2022年9月 8日 (木)

メルカリで中古本を買いあさった話

このところ、メルカリで中古本を買いあさっていた。その狂騒曲も終わったので、今日はその顛末。
このところ、司馬遼太郎に凝っていることは前に書いた(ここ)。

「国盗り物語」に端を発して?司馬遼太郎の戦国物を読んでみようと、中古本をメルカリで買っている。
メルカリで中古本を買うことは、前に(ここ)で書いた。

繰り返しになるが、本を読んだときに、読み終わった本をどうするか、という問題に直面する。本棚に並べて置いても、その後、手にすることは無い。
結局処分することになる。ブックオフに持ち込んでも、1冊10円。やはりメルカリで処分することが良いようだ。
メルカリで売る場合、送料が問題になる。2022年6月16日より、本を送るときの送料が175円から210円に値上げになった。最低価格300円で売った時の残る金額は、メルカリに10%取られるので、300円-30円-送料210円=60円 にしかならない。写真を撮って梱包して、コンビニに持っていて1冊60円か・・・。
それを見てか、日本郵便のクリックポストが、2022年7月20日から198円から185円に値下げになった。上の例だと残るのが85円。
一時は、メルカリを卒業!と思ったのだが、送るのは全てクリックポストにすることで、再びやる気になって今日に至っている。

繰り返しになるが、メルカリでの売り買いはボランティア。つまり、再利用・リユースを目的にしないと手間が合わない。まだまだ読める本を捨てるのはもったいない。誰かに読んで貰えれば、資源のムダ廃につながる。
そんなわけで、読み捨てる本(小説類)は、買うのも売るのもメルカリなのである。

8月17日、突然メルカリのポイントが10000ポイント増えていることに気が付いた。何だこれは!?
Netでググってみると、どうも「【対象者限定】お買いものした金額の200%が戻ってくるチャンス!《メルカリ夏のお買いものドリーム》」というのに当たったらしい。このキャンペーンは、7月15日~31日の間の購入金額の2倍、200%が抽選で1万名に当たるという。調べてみると、ちょうど「国盗り物語」に凝り出したときで、司馬遼太郎の中古本を買いあさっていた時期。確かに購入金額の合計は5000円を越えていた。それで上限の1万ポイントが付いたらしい。
ポイントの期限が特に書いていなかったので、のんびりしていたら、「有効期限が過ぎる前に、ぜひポイントをご利用ください。」というメールが来た。使用期限は2022年9月30日だという。
それからが狂騒曲。1万円となると、結構な金額。カミさんに言っても、特に欲しい物は無いという。それで、文庫の中古本を買うことにした。

1万円分買うとしても、到底直ぐには読めない。順番に読むにしても、たぶんその内読みたくなるであろう本を探した。歴史・時代小説のお勧めサイトや、Amazonの売れ筋本などを参考に・・・。
先ずは、司馬遼太郎の戦国物。池波正太郎や浅田次郎の歴史小説などなど。
昨日まで、メルカリだけでなく、ヤフオクやAmazonの中古本を含めて、数えてみたら、山岡荘八の「徳川家康」26巻や池波正太郎の「真田太平記」12巻を含めて103冊であった。買った金額は、1万ポイントを入れて、25000円ほど。つまり実質15000円ほど遣った。
もちろんこの中には取っておきたいと、Amazonで新本を買ったものもあり、中古本だけの平均は1冊@220円だった。

さてここからが本題だが、自分がどんな基準で中古本を買ったか、である。
220908yake 自分はヤケが大嫌い。本棚で長期間置いておくと、陽が当たる部分が黄色く変色する。そしてそれは表面だけで無く、ページの中にまで浸透していく。
新品である必要は無いが、ヤケて中古中古している本は読む気がしない。
前は、Amazonの中古本屋で程度の良い本をよく買ったが、どれも新品同様で気に入っていた。しかしあるネット中古本屋で買った本が、着いてみるとヤケがあってガッカリ。
それと、メルカリで「未使用に近い」という本を買ったら、全ページの周囲が黄色くヤケて変色していたことがあった。周囲全体がヤケているので、たぶん直射日光が当たる場所に置いておいたのだろう。本棚に保管していると、上の写真のように、上部と小口がヤケるはず。

その二つの経験から、必ず出品の写真で、本の上部と小口の状態を見ることにした。Amazonの中古本は写真で確認できないので買うのを止めた。Amazonもメルカリも、「商品の状態」は出品者の主観なのでアテにならない。上の例では、確かにページをめくって、各頁の周囲が変色していることに気が付かなければ、「未使用に近い」状態。でも開いてみるとヤケが・・・
これはだます話では無く、出品者が気が付くかどうかの問題だろう。つまりは、買う方が写真で確認するしかない。
よって、メルカリでは、必ず上部や小口の写真があるものから選ぶことにした。もちろん変色しているものは買わない。
一番確かなのは、「本屋で買って一度読んで保管」という説明があるもの。
それが無いものは、写真で本の金額を確認して、もっとも高い値段表示の本を買う。
Amazonも含めて、本は全て消費税抜きの表示。ちょっと見ると分かるが、まったく同じ本でも時間と共に値段がグングン上がっている事が分かる。つまりは、値段が安いものほど発売が古いという事。同じような物であれば、値段が高い=最近の発売の本の方が無難。
もうひとつ気にしたのが「新装版」。ロングセラーの本は、途中で「新装版」として改版されている本が多い。どれも、文字が大きくなって読み易くなっている。これも表示の値段から判断できる。
整理すると・・・

<自分がメルカリで中古本を買う基準>
①写真で、表紙や裏表紙だけの物は避ける(表紙がキレイなのは当然)
②写真で、上部(天)や小口がヤケて変色している物は避ける
②同じような物であれば、値段が最も高いもの(=新しいもの)を選ぶ
③文庫は「新装版」が読み易い

ともあれ、100冊の歴史・時代小説を買ってしまった。1冊2日のハイペースで読んでも200日。1年はかかるかも・・・

でも、本当にこの頃、TVは見なくなった。音楽も聞かなくなった。今日はWOWOWも見ないので解約した。
老化防止に、読書は良いらしい。ウチのカミさんも、若いときから読書好きで、司書の資格も取ったが、自分とはジャンルも何もかもが違う。よって同じ本を二人で読む事はまったくない。そんな意味では非効率的。でも読書は金がかからない老後の楽しみではある。

怖いのは、白内障などの目の病気。幸い、外出時は必ずサングラスをしているせいか、今のところ徴候は無い。
問題は動かない事。じっと同じ姿勢で本を読んでいるため、姿勢が悪く、肩凝りがひどい。湿布を貼りすぎたせいか、肌の状態も良くない。
せめてもと、自室でラジオ体操を始めた。でもこれも直ぐに忘れてしまうだろう。
何事も、続かないのが自分の性格。
ま、こんな事で老後を楽しんでいる?最近ではある。

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2022年9月 3日 (土)

司馬遼太郎の「国盗り物語」「関ヶ原」を読んで再認識したこと

相変わらず、コロナ渦にかまけて、運動もせず、自室にこもって司馬遼太郎の戦国物に逃げている最近だが、今までの自分の常識がくつがえる?記事を読んだので、今日はその話。

220903siba 司馬遼太郎が面白く、中古本を数十冊買い集めている。ついでに、司馬遼太郎のガイドブックのような本も買って、何を読むかの指針にしているが、先日買った「KAWADE夢ムック 司馬遼太郎の「戦国時代」」(2002年8月刊)の「司馬遼太郎「戦国物全長編」を読む」に面白い記述があった。

まず「国盗り物語」の斎藤道三の親子二代説。この話は、先日KeiichiKodaさんから教えて頂いたが(ここ)、詳しい記述があった。

「「国盗り物語」
下剋上のダイナミズム 磯貝勝太郎
・・・
 司馬遼太郎が述べているように、斎藤道三についての史実を伝える資料はきわめて少ない。歴史家の桑田忠親の研究によると、道三は明応三年(一四九四)、山城の国乙訓郡西ヶ岡(現在の京都市)の北面の武士、松浪左近将監基宗の子であったという。だが、『洞堂軍記』には、京都の傘張り職人の子として生まれたと書いてあり、『江濃記』には、山城の国の西ヶ岡から浪人して美濃に流れてきたと記されている。桑田忠親が道三を京都の西ヶ岡の松浪基宗の子である、と指摘されたのは、太旧牛一の『信長公記』に典拠している。
 ところが昭和四十七年ごろ、注目すべき資料が発見されている。『六角承禎条目』である。これは横浜市春日力氏所蔵の永禄三年(一五六〇)七月二十一日付、平井兵衛尉以下五人宛の文書で、『岐阜県史』編纂委員によって発見されたのである。『六角承禎条目』によると、道三の父は、新左衛門尉という、もと京都の妙覚寺の法華坊主であったが、美濃に流れてきたとき、西村と称し美濃守護職の土岐家の執権、長井利隆に仕えて、長井氏と改めたあとで、その国の実力者に成長したという。そして、その子の道三は、父の死後、土岐頼芸を国主にしたのち、ほどなく頼芸を追放し、美濃を奪ってしまったというのである。
 この『六角承禎条目』の長井新左衛門と松浪基宗とが同じ人物であったとすれば、“美濃の国盗り”は、父親の新左衛門とその子の道三との二代にわたるものであり、京の油問屋の奈良屋を奪い取り、灯油の行商人となったのち、美濃に流れてきたという興味深い物語は、作り話ということになる。『国盗り物語』の道三は、妙覚寺の法蓮房、松浪庄九郎、西村勘九郎、長井新九郎など、生涯に十三回、姓名を変えており、変えるたびごとに身分が上がっているが、『六角承禎条目』に記されていることが史実であるならば、妙覚寺の法蓮坊から長井氏と改名するにいたるまでは、父親の略歴にあたり、父親の代に、すでに、美濃を乗っ取る謀略がすすめられていたのである。その子の道三は、美濃で生まれたか、もしくは、幼少のころ、父に連れられて、美濃に来ていたことになり、“美濃の国盗り”は父子二代によるものであったと推定される。
 したがって、道三が油問屋の奈良屋とその後家のお万阿を手中にしたあとで、永楽銭の真ん中の四角い穴から油を流し込むという至芸を売り物とする灯油の行商人となり、その後、美濃に流れてきたというのは伝説、逸話のたぐいにすぎない。『六角承禎条目』が『岐阜県史・資料編』に収録、刊行されたのは昭和四十八年である。『国盗り物語』が刊行されたのは昭和四十一年なので、司馬遼太郎は『六角承禎条目』をふまえて、『国盗り物語』を書くことはできなかったが、流布している伝説、逸話のたぐいを使って、作者ならではの道三を筆端に躍動させている。『国盗り物語』の道三は、史実上の彼と異なっていても、文学作品の価値がいささかもそこなわれることはない。・・・」(司馬遼太郎の「戦国時代」P51より)

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、我々は「薩長同盟を締結できたのは龍馬がいたからだ」「大政奉還の立役者だった」と思い込んでいるが、実態はぜんぜん違う。という話もあるが(ここ)、同じように、「国盗り物語」を読んで、それが史実だとつい思い込んでしまう。
それだけ司馬遼太郎の小説の影響が大きいという事。たぶん、吉川英治の「宮本武蔵」も同じでは無いか・・・

次に、秀吉の正室、北政所について・・・

「「関ヶ原」
石田三成の冤(ぬれぎぬ)を雪(そそ)ぐ 横田淳
・・・
 「関ヶ原」で豊臣家から政権を奪い取った徳川家は、その行為に正当性を与える必要があった。江戸開幕後、朱子学(儒学)を導入して封建社会の秩序を創りあげていく徳川政権にとって、「関ケ原」の過去はどうしても都の悪いものであった。家康が戦ったのは「主家」豊臣家であってはならなかった。その名を騙る「悪」でなければならなかったのだった。三成は徳川政権から敵役に指名され、その御用史家によって「奸人」に仕立て上げられることになる。徳川政権が「関ケ原戦犯」の三成を赦すことはなく、その歪められたイメージは二百数十年の歳月をかけて語り継がれ、“事実”となっていった。」(司馬遼太郎の「戦国時代」P103より)
・・・
「三成のスタート以前から大坂では、着々と家康討伐計画が進められていたに違いない。三成が最初に挙兵計画をうち明けた人が吉継である、このことが事実ならば、三成は挙兵計画の発起人ではなく、そのひとり、あるいは一流に過ぎなかったといえよう。
 さらに驚くべきことは、北政所の動きである。家康を支持し、加藤清正・福島正則などのいわゆる尾張系の大名を家康に荷担させ、実の甥にあたる小早川秀秋には裏切りを命ずるなど、徳川方の勝利に重要な役割を果たしたといわれる北政所は、七月七日に豪姫が行った必勝祈願の式典に側近の「東殿局」を代参させ、また伏見城攻撃が開始されている二十三日に宇喜多秀家が豊国社に参詣すると、秀家に祈祷を依頼しているのである。秀家は秀吉に家康討伐の義挙を報告し必勝を祈願したに違いなく、北政所の行動は大坂方の家康討伐を肯定、さらには秀家にそれを指示していたとすら推察できるのだ。北政所は大坂方を支持していたのだった。
 北政所の家康支持説は、秀吉の正室ですら家康を支持したと、その行為を正当化する作用と、秀吉が没してわずか数年であまりに無節操に「利」に奔った豊臣家恩顧の諸侯を、北政所の指示・助言を理由に救済するために創りあげられた虚構だったのだ。・・・」((司馬遼太郎の「戦国時代」P106より)

司馬遼太郎も「城塞」で、徳川家康が冬の陣、夏の陣で行った豊臣家を滅ぼす手段は、「犯罪行為」とまで言っている。
勝った者がそれまでの歴史を書き換え、自己を正当化する。これは鎌倉幕府の「吾妻鏡」が「源氏に厳しく北条に甘いという特徴を持つ」というのと同じ。
しかし、後世の人は、それ以外の史料がないので、それらを信じるしか無い・・・

司馬遼太郎の作品を読むと、随所に引用文献が出てくる。色々なエピソードも、ほとんどが各史料に基づいており、その調査能力には感心する。
しかし、もちろん筆者の考えでそれらは小説として色付けされ、それがベストセラーとして広く読まれることによって、「歴史」となってしまう。

歴史的な事実というのは、発見された史料によって、色々な説が出てくる。BS-TBSの「関口宏の一番新しい古代史」でも、色々な説が紹介されていた。
その意味では、上記もある一説であり、これを否定する説も多いのかも知れない。

話は変わるが、世を騒がせている安倍元首相の国葬問題。
これも勝った者(自民党)が、勝手に歴史を作ってしまう一例なのだろうか?

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2022年8月30日 (火)

NHKの「2時間でまわる〇〇」が好き

たまに放送されているNHKの「究極ガイドTV 2時間でまわる〇〇」(ここ)が好きだ。
2208302jikan 先日も「2時間でまわるマチュピチュ」(2022/08/18 BS4K)を見た。居ながらにして旅行の気分が味わえる。
この番組のコンセプトは・・・
「日本人ツアー客が国内外の美術館、史跡、名所の見学に費やす時間は、およそ2時間という。この番組では、誰もが一度は訪れたいという場所を“2時間・視聴者目線”で、まさにその場にいるかのように散策する、究極のリアル観光ガイド。」

もともとBS8K用の番組だが、それをBS4KやBSプレミアム、総合TVで再放送されている。
放送が不定期なので、タイムシフト録画で気が付いた時に見ているが、今までどんな番組があったのかをググってみたら、見つかった番組は下記のようである。

1)2時間でまわる法隆寺 [4K] (2016年1月3日)
2)2時間でまわるルーブル美術館(2017年1月3日)
3)2時間でまわる伊勢神宮 [4K] (2017年2018年1月1日)
4)2時間でまわるモン・サン・ミッシェル [4K] (2017年8月11日)
5)2時間でまわる日光 [4K](2018年)
6)2時間でまわるヴェルサイユ宮殿 [8K](2019年1月2日)
7)2時間でまわる厳島 [8K](2019年)
8)2時間でまわるローマ・コロッセオ [8K](2019年)
9)2時間でまわる高野山 [8K](2020年)
10)2時間でまわるマチュピチュ [8K](2020年)
11)2時間でまわる大英博物館 [8K](2020年)

数えてみると、まだ自分は「法隆寺」「日光」「コロッセオ」「高野山」の4つは見ていない。
BS8Kでは繰り返し再放送されているらしいが、他の波では放送日が未定。

ここ)を見ると「スガタクリエイティブ」というプロダクションが大半を作っているらしい。
でも、ルーブル美術館だけは無い・・・。

番組は、振動を吸収するスタビライザーカメラで録っているらしいが、「マチュピチュ」のとき、一瞬、一眼レフカメラのような影が映ったような気がした。カメラ本体は、一眼レフカメラなのだろうか・・・? もちろん一眼レフカメラでも8K映像は撮れる。

220830housou 撮影機材はどんなものなのか、興味が湧いたのでググってみた。すると「放送技術(2018年12月号)」に「SHV8K『究極ガイドTV 2時間でまわるヴェルサイユ』報告(鈴木裕高)という記事を見付けたので読んでみた(全文のPDFはここ)。

「はじめに」として
「国内外の人気の観光地を散策する「2時間でまわる」シリーズ。見所を大胆に取捨選択した効率的なルートを提案、解説も交えながら実際の旅以上に現地の魅力を堪能してもらう番組である。今回はその第7弾。12月のBS8K開局に合わせて、フランス、ヴェルサイユ宮殿を舞台に制作。絢爛豪華な宮殿内、革命に散つた王侯貴族の光と影の舞台を、8Kで描く。」
とある。第7弾!?上のリストでは6番目。ひとつ足りないな??

この記事に書かれている使用機材についての記述を追ってみると・・・
「今回は、35mmフルサイズセンサー搭載の「RED MONSTRO」を使用することにした」
「レンズについてはSIGMA CINE PRIMEレンズセットを選択」
「バランスシステムには、Steadicam M-1 Voltを採用した。このシステムはモーターによってロールを抑止する。」

とある。
カメラは「RED MONSTRO」。ググってみると800万円もするカメラらしい。
2208302jikan1 そしてスタビライザー「Steadicam M-1 Volt」は、こんな姿らしい。
かなりの重量であり、カメラマンも大変だ。

ともあれ、この番組は、本当に居ながらにして観光気分が満喫できる貴重な番組である。
しかし、現地の空気感や臭いは無理。
今さらながら、もっと海外旅行をしておけば良かったと後悔!?
我々の世代では、現役の時に長期休暇はとても無理。長期連休の夏休みの前後に1日でも有給休暇を追加するのも、とても無理だった。
でも今は違う。
自由に歩き回れる体力があるうちに、行けるところには行っておいた方が良かった。
シニア世代になると、いつ足が痛くて歩行困難になるか分からない。
普通の生活が、いかにありがたい物か・・・。
コロナ引きこもり生活で、しみじみと体力の衰えを感じるこの頃である。

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2022年8月19日 (金)

「老いを愛づる」中村桂子さんの話

先日、NHKラジオ深夜便(の録音)を聞いていたら、生命誌研究者の中村桂子さんの話を放送していた。NHKラジオ深夜便「明日へのことば「生きものらしく自然体で老いる」生命誌研究者…中村桂子」(2022/07/30放送)である。
このお話が、実にスマートで、我々シニア族にも共通点があるので、挙げてみたい。

<「生きものらしく自然体で老いる」生命誌研究者・中村桂子>


このお話は、最近出された「老いを愛づる」という本の内容が中心。
出版元の解説にはこうある。
「老いを愛づる~生命誌からのメッセージ 中村桂子 著
220819oiwomezurunakamurakeiko 白髪を染めるのをやめてみた。庭掃除もほどほどに。大谷翔平君や藤井聡太君にときめく――自然体で暮らせば、年をとるのも悪くない。人間も生きものだから、自然の摂理に素直になろう。ただ気掛かりなのは、環境、感染症、戦争、競争社会等々。そこで、老い方上手な先達(フーテンの寅さんから、アフガニスタンに尽くした中村哲医師まで)に、次世代への「いのちのバトン」のつなぎ方を学ぶ。生命誌のレジェンドがつづる人生哲学。」ここより)

Netでググってみると、86歳の氏は、その世界では非常に有名な方らしく、著書も多い。しかし自分は「生命誌」という言葉を初めて聞いた。
この本における中村氏の肩書きは「JT生命誌研究館名誉館長」。生命誌研究館を検索すると、(ここ)にHPがあった。

その解説では、
「生命誌研究館とは
「生命誌」とは、人間も含めてのさまざまな生きものたちの「生きている」様子を見つめ、そこから「どう生きるか」を探す新しい知です。英語では“Biohistory”。地球上の生きものたちは38億年前の海に存在した細胞を祖先とし、時間をかけて進化し、多様化してきた仲間です。すべての生きものが細胞の中に、それぞれが38億年をどのように生きてきたかの歴史をしるすゲノムDNAを持っています。ゲノムDNAは壮大な生命の歴史アーカイブです。その歴史物語を読み解き、美しく表現することで、生きものの魅力を皆で分かち合い、生きることについて考えていく場が「研究館」“Research Hall”です。いのちを大切にする社会づくりに努める仲間になってください。」ここより)

HPに現館長の永田和宏氏の紹介ビデオがある(ここ)。20分と少し長いが、館の成り立ちが分かる。
永田氏は、言うまでも無く歌人の大御所であり、故河野裕子さんの夫君。本業は、まさに細胞生物学者。永田氏は3代目の館長で、2代目の館長がこの中村桂子さんだという。

話が横にそれた。
ちょっと興味が湧いたので「老いを愛づる」という本を手に入れて、ざっと目を通してみた。放送の内容とほとんど同じだが、キーワードが幾つかある。
「キリがありませんから」という言葉に代表される「自然体で生きる」ということ。
自分も、現役をリタイアして随分経った。そう、もう競争なんかは不要。歳と共に、力まず流されて生きる。残された時間はそれで良いのだ。

このような本で人の人生を垣間見ると、その人の生きてきた環境が背後に見える。どのような環境で育ってきたか・・・。当然それが人の形成に大きく影響する。
もちろんこの人の環境は非常に良好。
先に事件を起こした山上容疑者のように、過酷な成長環境もある。

ある意味、今の自分は「自然体で・・・」なんていう贅沢なことを考えられて、それだけで幸せではないかと、ふと思ってしまった。

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2022年8月14日 (日)

手嶌葵と森山良子の「さよならの夏」

先日、FM放送で手嶌葵の「さよならの夏」を聞いた。もちろん森山良子の歌で、昔から知っていた歌だが、この手嶌葵の歌で、歌詞オンチの自分も、歌詞をじっくりと聞いてしまった。

<手嶌葵の「さよならの夏」>

「さよならの夏~コクリコ坂から~」
  作詞:万里村ゆき子
  作曲:坂田晃一

光る海に かすむ船は
さよならの汽笛 のこします
ゆるい坂を おりて行けば
夏色の風に 会えるかしら
わたしの愛 それはメロディー
高く 低く 歌うの
わたしの愛 それはカモメ
高く 低く 飛ぶの
夕陽の中 呼んでみたら
やさしいあなたに 逢えるかしら

だれかが弾く ビアノの音
海鳴りみたいに 聞こえます
おそい午後を 行き交うひと
夏色の夢を 運ぶかしら
わたしの愛 それはダイアリー
日々のページ つづるの
あたしの愛 それは小舟
空の海を行くの
夕陽の中 振り返れば
あなたはわたしを 探すかしら

散歩道に ゆれれる木々は
さよならの影を 落とします
古いチャペル 風見の鶏
夏色の街は 見えるかしら
昨日の愛 それは涙
やがて 乾き 消えるの
明日の愛 それはルフラン
おわりのない言葉
夕陽の中 巡り逢えば
あなたはわたしを 抱くかしら

これを歌っている手嶌葵という歌手は知らない。しかも読めない。ググってみると「てしま あおい」と読み、本名だそうだ。
220814sayonara wikiによると、この歌は「「さよならの夏~コクリコ坂から~」は、日本の歌手・手嶌葵の4枚目のシングル。2011年6月1日に、ヤマハミュージックコミュニケーションズより発売された。
タイトルトラックは2011年公開のスタジオジブリ映画『コクリコ坂から』の主題歌で、森山良子が1976年に歌った「さよならの夏」のカバー曲である。」とのこと。

もう10年も前の歌。でも歌詞が何か優しい。「夏色」という言葉も好き。
森山良子盤もTVドラマの主題歌だったとか。オリジナルも聞いてみよう。

<森山良子の「さよならの夏」>

再録盤もある。
<森山良子の「さよならの夏」再録盤>

実はこの歌の事を書く気になったのは、作詞が「万里村ゆき子」であったこと。
この作詞家の名前は、学生時代から知っている。自分のお宝と思っている色々な思い出の歌の作詞が、この「万里村ゆき子」なのだ。
当サイトにも森山良子の「ふたつの手の想い出」(ここ)、ブルーコメッツの「マリアの泉」(ここ)、「何処へ」(ここ)、「すみれ色の涙」(ここ)を挙げている。どの歌も、このサイトを開設してから2~3年の2006~2009年に書いている。つまり、自分にとっては、非常に思い出深い歌・・

しかし「万里村ゆき子」をNetでググっても、情報はあまりない。そして楽曲もそれほど多くない。
でも、自分にとっては懐かしい名前・・・
それを、ひょんな事から思い出した。というわけ・・・

この歌は倍賞千恵子の楽曲もなかなか良い。

<倍賞千恵子の「さよならの夏」>

 

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2022年8月10日 (水)

宅配便屋さんへの一つの缶コーヒー

宅配便の兄さんに、感謝を込めて缶コーヒーを一つあげた。という話である。

どの家でも同じと思うが、最近宅配便の利用が多くなっている。
95_1 Amazonなどの通販はもとより、メルカリの配送など、こんな便利なものはない。
普通郵便は、(木)に出しても着くのは(月)。4日もかかる。
しかしクロネコは、東北、中国地方でも東京に翌日には届く。これは驚異的とも言える体制だと思う。

午前中に買い物に出る習慣の我が家では、配送の時間指定が出来る場合は、午睡を経て夕方の配達を頼むことが多い。
もちろん、終日家に居るときは、なるべく時間指定無しにしている。

さっきも、クロネコ便が届いた。カミさんが通販で頼んだお菓子だ。
220810kohi その配送の兄さんに、カミさんが冷えた小さな缶コーヒーを一つあげたという。
すると兄さんが嬉しそうにしていたと・・・

そう言えば、先日は、たまたま気が付いた市の可燃物回収車の人に、やはり缶コーヒーを渡していた。
カミさん曰く「酷暑の中、配達してくれる人を、つい自分の息子と思ってしまう」という。
たぶん同じように暑い中で働いているだろう息子の代わりに、冷たいものを差し入れているという。

よく電話がかかってくる。自分が出るとセールスの電話である。
「どちらにお掛けですか?」
「いや、その地域の方にご案内したく・・・」
「忙しいので失礼します」ガチャ!

ピンポーンも多い。
モニター画面を見ると知らない人が映っている。
「**のご案内で、玄関先でお話を・・・」
「スミマセン!今忙しいので!」ガチャ!

それに比べ、たまたまカミさんが出ると、実に丁寧に対応している。
「申し訳ありませんが、今手が離せないのでゴメンなさい」

何でそんなに丁寧なんだ?と聞くと、これまた「これが息子だったらと思うと、冷たく出来ない」という。
確かに、電話や飛び込みセールスなど、好き好んでやっている人はいない。
息子が同じ事をしていたら・・・と思うと冷たく出来ない気持ちも分かる。

現役時代、選挙の応援をしたことがある。
渡された応援をしてくれる人のリスト順に、各家庭を訪問し、ビラを配る。
その時、ピンポーンをするときのイヤさは今でも思い出される。
電話掛けも同じだ。
リスト順に電話を掛けて応援を頼む。その時のドキドキ感は今でも覚えている。
これほどイヤなことはない。
それを仕事としてせざるを得ない人がいる。

同じ事を息子がやっていると想像したとき、相手から冷たいあしらいをされると、さぞ傷付くだろうな、と思うと冷たく出来ない。という事も分かる。
しかしなかなか自分には出来ない。

自分にはなかなか分からない母親の心ではある。

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2022年8月 3日 (水)

ショスタコーヴィチの「森の歌」

先日、何処でだったか「森の歌」という言葉を聞いた。その言葉で浮かんだのが、ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」。
220803morinouta1 これも学生の時に聞いた。例によって、クラシック好きのK君からLPレコードを借りて、秋葉原で買った放送局放出の中古オープンテープで録った。
納戸を見たら、まだ捨てていなかった。
220803morinouta2 「世界唯一のステレオ録音盤遂に登場!」と銘打って発売されたらしい。当時取っていた「レコード芸術」の切り抜きが一緒にあった。オープンテープの表紙も、その広告から切り抜いて貼ったものだろう。
イワン・ペトロフ(バス)、ウラジミール・イワノフスキー(テノール)、アレクサンドル・ユーロフ指揮:モスクワ・フィルハーモニーである。
このテープを懐かしく聞くにも、既にオープンデッキは無い。仕方なく中古品のCDを探すと、アシュケナージ指揮:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が見つかって聞いてみた。その幾つかを紹介する。

<<ショスタコーヴィチの「森の歌」>>

<第1曲:戦いの終った時>

<第2曲:祖国を森で覆おう>

<第4曲:ピオニールは植林する>

<第5曲:スターリングラード市民は前進する>

<第7曲:讃歌>


言うまでも無く、この曲は、ソ連時代のプロパガンダの音楽。CDの解説にはこうある。

●オラトリオ「森の歌」Op.81
 1948年に共産党中央委員会は、ソヴィエト音楽の現状について批判し作家たちに再考を促す、いわゆる「ジダーノフ批判」を採択する。これは簡単にいうなら、「専門的な判りにくい音楽を書かずに、もっと大衆に判りやすい音楽を書け」という作家たちへの要求なのだが、ショスタコーヴィチも名指しでこの「批判」を受けている(これはスターリン生誕七十周年の1949年を目前にして、讃歌を書くべき作家たちへ釘をさしたのかも知れない)。
 ショスタコーヴィチはこの時期、ユダヤ主義への接近を匂わせる《ユダヤの民族詩から》や、いくぶん晦渋な作風のヴァイオリン協奏曲を作曲しているのだが、この「批判」を受けて後者の発表を取りやめてしまう。そして翌1949年、モスクワからレニングラードへ移動する旅の途中で詩人のエフゲニー・ドルマトフスキーと一緒になったのをきっかけに、自然改造計画を讃えるオラトリオの作曲を構想する。
 その夏にテキストを受け取ったショスタコーヴィチは、レニングラード郊外のコマローヴァで異常な早さで作曲を完成、11月15日にはレニングラードでムラヴィンスキーの指揮により初演している。
 この初演のわずか1ヵ月後がスターリン70歳の誕生日で、それこそソヴィエト中世界中から贈り物が殺到し、作曲家たちはこぞって彼の讃歌を(大衆的で判りやすい書式で)書いたのだが、事実上のスターリン讃歌にも等しいこの《森の歌》は、幸か不幸かそんな渦の中で大成功を博し、翌1950年のスターリン賞第1席を受賞する。ショスタコーヴィチは前記の「批判」をたった一年そこそこで覆してしまうのである。
 表向きは大衆的で平明な書式を持った森を讃える「自然讃歌」でありながら、スターリンと共産主義国家ソヴィエトとを讃える政治色の濃い讃歌でもあり、さらに「植林計画についてだけは聡明だった(あるいは、植林計画くらいしか聡明なところがなかった)スタ一リン」への壮大なる皮肉にも聞こえるというこの作品の二重性について、ここで細かく分析し解題を述べる余裕はないが、ムソルグスキーの歌劇《ポリス・ゴドノフ》の中の「クロームイの森」のシーンに模して、虚偽の皇帝を打倒するために行進してゆく虚偽の王子ディミトリーに自分を重ね合わせたもの、という推理も成り立つところが面白い。
 一筋縄ではいかないショスタコーヴィチという作家の二重構造性を代表する、まさに面目躍如たる奇妙な名作である。
 第1曲:戦いの終った時
 第2曲:祖国を森で覆おう
 第3曲:過去の思い出
 第4曲:ピオニールは植林する
 第5曲:スターリングラード市民は前進する
 第6曲:未来への逍遙
 第7曲:讃歌 」

2022年2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻からもう5ヶ月が経った。しかし戦況は収まっていない。
そんな中、こんな曲を挙げるのは少々問題だが、歌謡曲でも歌詞が頭に入らない自分なので、この音楽も歌詞よりも音楽だけ聞きたい。

まさに学生時代以来、50年ぶりに聞いた「森の歌」。
懐かしいと共に、昔聞いた旋律を今でも頭が覚えていることにオドロキ!?
しかし、オルフの「カルミナ・ブラーナ」と頭の中で旋律がごちゃごちゃになる危険性も・・・?
昔聞いた音楽の「復習」は、とうに終わっていたと思っていたが、ひょんな事で改めて聞いた「森の歌」ではあった。

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