2025年3月17日 (月)

いしだあゆみさん死去~「あなたならどうする」

歌手で女優のいしだあゆみさんが亡くなったという。享年76。
自分と同じ歳の人の訃報は、はやりショック。
まだまだだ!と思っている所に訃報が届くと、次は自分の番かと・・・。

「女優 いしだあゆみさん(76)死去 『室井慎次』が最後の作品に 『北の国から』で純の母を好演 『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒット 紅白歌合戦にも出場」

2025年3月17日、女優いしだあゆみさんが亡くなったことを所属事務所が発表しました。76歳でした。
いしださんは『ブルー・ライト・ヨコハマ』が大ヒットするなど、紅白歌合戦に10回出場。
女優としては、『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』や『北の国から』などの名作に出演。
2024年に公開された『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生きる続ける者』が最後の作品となりました。

国民的女優 いしだあゆみさん(76)死去 『室井慎次 生き続ける者』が最後の作品に
所属事務所によりますと、いしださんは2025年3月11日に甲状腺機能低下症のため、東京都内の病院にて永眠。
葬儀については近親者のみで執り行い、お別れの会なども行う予定はないということです。

250317ishida いしださんは1948年生まれ、大阪府出身で1964年に歌手デビュー。
1968年12月発売の楽曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』は100万枚を超える大ヒットとなり、NHK紅白歌合戦にも10回の出場を果たしました。

その後、俳優に主軸を移し、映画『青春の門 自立編』(1978年)や『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』(1982年)『火宅の人』(1987年)などで数々の賞を受賞。
テレビドラマでは『金曜日の妻たちへ』が大ヒットし、社会現象を巻き起こす程に。『北の国から』では、純(吉岡秀隆)の母を好演しました。

1989年にはNHK連続テレビ小説『青春小説』のヒロインを務めるなど、国民的女優に。

2003年には、いしださんの家族をモデルにしたNHK 朝の連続テレビ小説「てるてる家族」が放送され、石原さとみさんがヒロインを務めています。

2021年には旭日小綬章を受賞。

2024年に公開された『室井慎次 敗れざる者』『室井慎次 生き続ける者』では柳葉敏郎さん演じる室井の故郷・秋田にある商店の店主・市毛きぬを好演。いしださんにとって最後の出演作品となりました。

事務所発表 全文
いしだあゆみ 永眠のお知らせ

弊社所属アーティスト いしだあゆみ は、令和7年3月11日4時48分、甲状腺機能低下症のため、東京都内の病院にて76歳で永眠いたしました。

ここに謹んでお知らせ申し上げますとともに、生前中に賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます。

葬儀につきましては近親者のみで執り行われましたことを併せてご報告申し上げます。
また、誠に勝手ながらご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。
お別れの会なども故人の遺志により行なう予定はございません。

これまでいしだあゆみを応援してくださった皆様に、心より感謝申し上げます。」2025/3/17(月) 15:01配信(ここより)

上の記事にもあるように、歌手としてのヒット曲はやはり「ブルー・ライト・ヨコハマ」が有名。でも今日は1970年3月25日にリリースされた
「あなたならどうする」を聞いてみよう。

<いしだあゆみの「あなたならどうする」>

「あなたならどうする」
  作詞:なかにし礼
  作曲:筒美京平

嫌われてしまったの 愛する人に
捨てられてしまったの 紙クズみたいに
私のどこがいけないの それともあの人が変わったの
残されてしまったの 雨降る町に
悲しみの眼の中を あの人が逃げる
あなたならどうするなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら

私のどこがいけないの それとも誰かを愛したの
忘れられてしまったの 愛した人に
何が出来るというの 女がひとりで
あなたならとうする あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら

歌詞は何ともたわい無い内容だが、「あなたならどうする」と聞かれるとドキッとする!?

女優としてのいしだあゆみも、色々な場面を思い出す。
自分的には、やはりフジテレビの「北の国から」で田中邦衛さん演じる主人公・五郎の妻玲子の役が印象に残る。
五郎の田舎くさいキャラクターに対し、あまりにも都会的な妻の玲子役。
こんなに違う二人なら、離婚も仕方が無いか・・・なんて思ったり・・・。(ドラマ中で、何で離婚したかは忘れたが)
しかし、あの寂しげな列車で別れのシーンは印象的だった。(再放送したら見るのに!!)

でも70代での死去はやはり早い。80歳だと仕方が無いか・・・と思うが、ここ数年の印象は違う。
自分も親父が亡くなった歳にあと3年。
どうも親の亡くなった歳は、気になるものである。
森山良子のように、同じ歳でもTV CMで良く見る人も居る反面、亡くなる人もチラホラ。
何とも自分の歳を意識してしまうニュースではあった。

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2025年3月12日 (水)

「食と健康をつなぐサイエンス・栄養疫学入門」東京大学名誉教授 佐々木敏さんの話

NHKラジオ第2のカルチャーラジオは、いつも愛聴しているが、今放送中の東京大学名誉教授 佐々木敏さんの「食と健康をつなぐサイエンス・栄養疫学入門」もなかなか面白い。
後で書くが、「しかし・・・」なのである。

<食と健康をつなぐサイエンス・栄養疫学入門(1)疫学・栄養疫学とはなにか>2025年1月3日放送

食と健康に関する情報は、マスメディアやネット、本、雑誌などで日々発信されています。「○○を食べると健康になる」といった類の情報です。しかし、科学的根拠が乏しい情報は、私たちの健康に多大な被害を及ぼしかねません。そこで重要なのが「栄養疫学」の観点。「栄養疫学」研究の第一人者、東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、健康的な食生活のための最新情報を13回シリーズで紹介します。初回は疫学の意義などを語ります。

< (2) 「朝食欠食と学校の成績」>2025年1月10日放送

東京大学名誉教授の佐々木敏さんの解説でおおくりする「栄養疫学入門」。第2回は疫学調査において陥ることがある、「因果の逆転」を取り上げます。二つの事象の因果関係を分析する際、原因と結果が逆のように見える場合があります。佐々木さんは原因と結果の矢印の向きが正しいのかどうかをよく調べないと、疫学ではこうした誤解が起きるケースがあるといいます。朝食と学力の関係やチョコレートと肥満の関係などを例に語ります。

< (3) 「栄養健康情報はここでゆがむ・情報バイアスという落とし穴」>2025年1月17日放送

毎日のようにネットやテレビ、広告や雑誌などで「○○を食べると健康になる」といった栄養健康情報を目にします。その都度、私たちは食べ物や食べ方を変えたりすることがありますが、果たしてそれは改善につながっているのでしょうか?今回は「栄養健康情報はここでゆがむ・情報バイアスという落とし穴」と題し、東京大学名誉教授の佐々木敏さんが具体的な例をあげながら、先入観によって陥りがちな、ある危険性について語ります。

<(4) 「揚げ物と高コレステロール血症」>2025年1月24日放送

健康診断や人間ドックの検査結果に「コレステロール値が高め」と書かれていて、気になることがあります。一体、何を食べ過ぎて、こうした結果が出たのか?また、何を食べると改善できるのか?疑問が出てきます。今回は東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、「コレステロール」と食事で摂取する「油」との関係性について、具体的な食材から考えます。脂質異常症にならないために知っておきたい食生活の知恵をわかりやすく解説します。

<(5) 「あなた自身の減塩の必要性」>2025年1月31日放送

これまで日本人の塩分摂取量は多いといわれてきましたが、現状はどうなのでしょうか?改めて、栄養疫学の最新研究から考えます。食塩は体に必要な栄養素の一つですが、過剰摂取は高血圧、胃がん、心疾患のリスクを高めます。世界保健機関WHOは、塩分摂取量の目標を成人で1日5グラム未満としています。東京大学・佐々木敏名誉教授が、高血圧対策に減塩と降圧薬ではどちらが効果的か?などクイズ形式でわかりやすく解説します。

<(6) 「お酒に適量はあるか?」>2025年2月7日放送

「お酒に適量はあるか?」と題して、お酒が及ぼすさまざまな影響について考えます。例えば、健康な人が1日平均で日本酒を1合~2合飲んでいた場合に、「かかりやすくなる病気」と「かかりにくくなる病気」があるといいます。その病気とは?東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、クイズ形式でわかりやすく解説します。それ以外にもお酒の種類によって体への影響は変わるのか?おつまみのメニューの影響などについてもお答えします。

<(7) 「速食いは太る」は本当か?>2025年2月14日放送

今回は「速食いは太る」は本当か?というテーマについて考えます。体格指数BMIは体重(kg)を身長(m)で2度割って求めますが、BMIが25以上の場合、肥満とされます。肥満は生活習慣病、高血圧、脂質異常症、糖尿病などのリスクを高めます。果たして「速食い」と肥満とは関係があるのでしょうか?「速食い」は健康に悪い影響をもたらすのでしょうか?東京大学・佐々木敏名誉教授が最新の栄養疫学調査からお答えします。

< (8) 「地中海食と和食・究極の健康食を探る」>2025年2月21日放送

第8回「地中海食と和食・究極の健康食を探る」では、長年にわたり健康的な食事として注目されてきた地中海食を取り上げます。東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、地中海食に含まれる材料で、日本人に不足しがちな食材について解説します。栄養疫学の調査結果からその食材とは「果物」と「全粒穀物」(精製度の低い穀物)だったといいます。地中海食によく使われる食材のとり方9つのポイントや和食との比較などについて語ります。

<(9) 「野菜『1日に350g』の根拠はどこにあるのか」>2025年2月28日放送

第9回「野菜『1日に350g』の根拠はどこにあるのか」では、東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、野菜の食べる量を1日300gでもなく、400gでもなく、350gとしている理由について考えます。欧米では野菜と果物を合わせて、1日に約400gとることが推奨されているといいます。その方が寿命を考えた場合、総死亡率が下がるからです。栄養疫学の観点で、日本と欧米を比較しながら野菜のとり方や必要性を解説します。

<(10) 「食べる順序・『野菜先食べ』と糖尿病」>2025年3月7日放送

第10回「食べる順序・『野菜先食べ』と糖尿病」では、東京大学名誉教授の佐々木敏さんが、栄養疫学研究の難しさについて解説します。糖尿病の悪化を防いだり、予防するための食事法について、実際に患者さんの協力のもとで行われたいくつかの研究例を取り上げます。『野菜先食べ』は、本当に糖尿病の予防や改善に有効なのでしょうか?栄養疫学の「観察研究」や「介入研究」などの見地から効果的な食事のとり方について考えます。

<(11) 「全粒穀物と生活習慣病予防・なぜよさが広まらないのか」>2025年3月14日放送

第11回「全粒穀物と生活習慣病予防・なぜよさが広まらないのか」栄養疫学的に全粒穀物と精製穀物の違いは、どこにあるのか考えます。お米では、玄米と白米の違いになりますが、大規模な比較調査が行われました。全粒穀物を食べている人は、精製穀物を食べている人よりも、生活習慣病の発症率や総死亡率が低かったといいます。なぜ低いのか?どのくらいの量を食べればよいのか?など東京大学・佐々木敏名誉教授が解説します。

<(12) 「たんぱく質とカルシウムの飽和点を探る」>2025年3月21日放送

体に必要な栄養素が「足りているのか」「足りていないのか」を見極める際に、必要な飽和点という考え方について解説します。今回は、東京大学名誉教授の佐々木敏さんが「たんぱく質」と「カルシウム」を例に、世界で行われた栄養疫学研究から、日本人にとってこの二つの栄養素は、果たして足りているのかどうかを考えます。いずれの栄養素も多すぎても、少なすぎても体には悪影響が出てきます。適切なとり方のコツを伝授します。

<(13) 「独居と孤食とうつ-なにを食べるか・だれと食べるか」>2025年3月28日放送

高齢者で独居になると、社会との絆も希薄になりがちで「うつ病」を発症するケースも出てきます。今回は食品栄養素の問題ではなく、食事行動について考えます。1日3食、誰かと食事をする人と孤食で済ます人とでは「うつ病」の発症率に差はあるのか?また、その時に食べるメニューに違いは出るのか?さらに、料理をする人と料理をしない人における寿命の差など、東京大学・佐々木敏名誉教授が「行動栄養学」の観点から解説します。

250313sasakisatoshi 言うまでもなく、人間の体は食べ物で出来ている。いや、地球上のあらゆる生物はインプットとしての食べることが、生きること。それゆえ、TVなどで見ても、動物は常に食べ物を探し、常に食べている。また、何らかの原因で食べ物を探せなくなった動物は、即死を意味する。
そんな重要な食べ物だが、色々とデータを示されて「こうする方が良いよ」と言われても、この歳になるとなかなか腰が重い。
ピリピリと食べ物に気を遣っても、今さら?という気がする。
食べたくも無いものを、体に良いからと、我慢して食べる。それはかえってストレスになるのでは??
まあ「聞かなかったことにしよう」が今の自分!?

先日、「欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか」(ここ)という記事を書いた。
答えはここにあるように思う。つまり、食べられなくなったら死を迎える。ということ。

最近よくカミさんと話す。
「おいしいものを食べたいね~」
体力的に海外旅行も行けない。温泉旅行も面倒くさい。後の楽しみ、というと、食べることくらいしかない。でも、色々外食しても、「また来たい」と思えるようなレストランはなかなか「無い」。
まあ、寂しい老後ではあるが、上の放送を聞きながら、若い時なら、また働き盛りの亭主の食事をつかさどる主婦ならいざ知らず、我々喜寿世代の連中には、ちょっと厳しい話だな、と思いつつ聞いた放送ではあった。

●メモ:カウント~1450万

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2025年2月21日 (金)

司馬遼太郎の「街道をゆく」全43巻を読んだ

司馬遼太郎の「街道をゆく」全43巻を読んだ。やっと?読み終えた!
自分の読書メモによると、初めて「街道をゆく 近江散歩」を読み始めたのが、2022年11月2日なので、それから2年半。もちろんあっちこっちに浮気し、残りの25冊をまとめて読んでしまおうと思ったのが2024年11月8日(ここ)なので、「街道をゆく」三昧はここ3ヶ月だった。
前にも書いたが、他の小説と違って、この紀行記は「参考文献」?が多い。つまり、本文以外の参考図書が多いのだ。代表的なのが、朝日の編集者による、当時の司馬さんと同じ道をたどる紀行。それは今でも続いているので、自分も相変わらず愛読している。

前にも書いたが、自分が本文を読む時は、いつもタブレットのGoogleMapで、場所毎にアップされている写真を見たりして現地をバーチャル体験。そして本文を読み終えるとNHKのドキュメンタリー番組を見る。そしてその舞台裏の本「司馬遼太郎の風景」を読む。そして、上に書いた各種の参考図書=ムックを読む。
よって、ひとつの巻を読むのに、結構時間が掛かるのである。

さて読み終えた感想だが、内容的に面白い部分と、そうで無い部分に分かれる。つまり歴史上の人物についての話は面白いが、一緒に旅をした同行者についての話は、自分にとってはあまり興味が無かった。つまり個人的な付き合いの相手の経歴を細かく書かれても、あまり興味が無い。よって最後の巻に向かう度に、それが気になり、個人的な人物評については読み飛ばすようになった。

最後の未完になった第43巻「濃尾参州記」は、いつもの1/3くらいを書いた所で、終わってしまい、誠に残念。この巻は「濃尾参」、つまり濃尾、尾張、三河の3州を扱ったもの。
もっとも人気がある、信長、秀吉、家康が主人公なので、一番親しみやすい。
それが司馬さんの死によって、未完となってしまった。

よく言われているように、司馬さんの知識の豊富さは、膨大な本からの知識から来ているらしい。膨大な読書から、一旦頭に入った知識を、その都度、テーマによって頭からチョイスしてアウトプットする。そんな形なのではないかと想像する。
だからどんな切り口で講演を頼まれても、膨大な頭のストックからのチョイスなので、何でも対応出来る。

050221kaidou ムックで発売されている番外編(同行者の話)でよく出る話に、夕食後の司馬さんの車座の「独演会」の話題がある。旅に出て、泊まったホテルで、夕食後、ホテルのバーなどで、必ず司馬さんの独演会(お話)があり、その年中行事が何とも楽しみだったという。
同行画家の安野さんは「ほとんどアラビアンナイトの世界である。私はひそかに『司馬千夜一夜物語』だなと思っている」と書いている。
自分が思うに、司馬さんは皆に話をしながら、今日一日の取材を自分なりに頭で整理していたのではないかと思う。

そしてNHKのドキュメンタリー番組が秀逸。
第1シリーズは1997年10月12日~1998年3月8日に「NHKスペシャル」で6回、同じく第2シリーズは、1998年10月4日~1999年3月7日に6回、そしてEテレで、第3シリーズ(新シリーズ版)として1999年4月10日~2000年3月18日に48回放送された。
音楽は冨田勲だが、このテーマが何とも素晴らしい。いくつか聞いてみよう。

<NHK「街道をゆく」1>


<NHK「街道をゆく」2>


<NHK「街道をゆく」3>


<NHK「街道をゆく」Eテレ版>


このうち、NHKスペシャル版は、既にBS4Kで素晴らしい画質で再放送された。Eテレ版は、まだだが、これも高画質になって再放送されるのを期待したいもの。
何せ、この作品は、本もNHKの番組も、永遠の生命を持つ作品だと思うので。

(関連記事)
司馬遼太郎の「街道をゆく」に凝っている 
司馬遼太郎の「街道をゆく」の再スタート 

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2025年2月 4日 (火)

仲宗根美樹とボニー・ジャックスの「ユキコの灯」

先日、こんな歌を聞き、バックの男声コーラスが気に入った。
調べてみると、ボニー・ジャックスだという。なるほど、上手なわけだ。

<仲宗根美樹とボニー・ジャックスの「ユキコの灯」>

「ユキコの灯」
  作詞:横井 弘
  作曲:岩代浩一

白銀けむる アルプスの
小屋にやきしい 娘ひとり
その名はユキコ ともす灯に
夢もゆれるよ 夜空遠く

いとしい人の 眠る谷
泣かずまもって 生きる花か
その名はユキコ ともす灯に
夢もゆれるよ 夜空遠く

雪崩をきいて 目をとじて
山の幸せ 祈る娘
その名はユキコ ともす灯に
夢もゆれるよ 夜空遠く

250204yukiko この歌は1962年(昭和37年)の発売だという。63年前の歌。
3拍子の歌だが、これも自分の好きな叙情歌のジャンルに入るのではないか?
このサイトに自分の好きな叙情歌を幾つも挙げているが、抒情歌にはどうも3拍子の歌が多いような気がする。

仲宗根美樹のこの歌が、当時どのくらいヒットしたかは分からない。仲宗根美樹というと「川は流れる」(ここ)があまりに有名で、他の曲がこの歌に埋もれてしまったのかも知れない。
しかしwikiを開くと、「川は流れる」が1961年の発売だが、仲宗根美樹は1971年まで54枚ものシングルを出していた。
そして2024年(令和6年)2月24日、肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去したという。享年79。たぶん新聞にも載っただろうが、気が付かなかった。

wikiを読んでみると、その人生は、1971年に引退した後、ショッピングセンターを 出したり、銀座に美容サロンを出したり、倒産して自己破産したり、はたまた銀座でクラブを経営したりと、波瀾万丈の人生だったようだ。

そんな人生に比べると、自分の人生など可愛いもの?
さて、死ぬ時、自分の人生を振り返って、どんな感想を持つのか・・・
先日のアメリカでの飛行機事故。自分の人生を振り返る暇もなく終える人も居るが・・・

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2025年1月24日 (金)

帚木蓬生の短編「顔」

先日、NHKラジオ深夜便のラジオ文芸館で、帚木蓬生(ははきぎほうせい)の短編「顔」の朗読(2025/01/13放送)を聞いた。
その残酷な話にショック!

<帚木蓬生の「顔」>

この物語に出てくる病気は「致死性正中肉芽腫」というもの。
その病変をこの小説ではこう表現している。
「そして実際にそのとおりの光景が、彼女の顔のまん中に現出していた。
250124fuukabyoutou 炎症性の病変はまず鼻腔から始まり、その周辺の組織を次々と壊死させていったのだろう。耳鼻咽喉科、そして眼科でも、その病変の進行を止められず、組織の腐った部分を後手後手にデブリードマン(切除)していくしかなかったのだ。その過程で鼻が失われ、ついで両眼球までが剔出(てきしゅつ)されたのに違いない。
サングラスを掛ける耳、物を咀嚼する口、そして額だけは残されているものの、顔の中央が根こそぎえぐりとられていた。
ぽっかりあいた穴を見つめながら、解剖学的にどういう状況かを頭のなかで冷静に考え、また一方で、ここまで顔がなくなっても命には別条ないのだと妙な感慨にとらわれた。」(「風花病棟」「顔」p176より)

まだ52歳の女性の顔が腐って無くなっていく・・・
鼻も、頬も、そして眼球も除去された顔。
もはや頭蓋骨だけとなった顔は、怖ろしくもある。その患部のケアを一人でしている夫。

そして、その看病している夫は言う。「でも家内は、自分の顔が見えなくて、幸運といえば幸運でした」

この「致死性正中肉芽腫」という病気をNetで検索してみると、こんな記述がある。
「致死性正中肉芽腫症は、鼻腔や咽頭領域に発生する悪性リンパ腫の一種で、進行性鼻壊疽とも呼ばれていました。壊死を伴い浸潤性の発育を特徴とし、治療抵抗性の疾患とされてきました。
致死性正中肉芽腫症は、現在は鼻性NK/T細胞リンパ腫という名称で呼ばれています。

<病因>
ヘルペスウイルスの一種であるEBウイルス(Epstein-Barr Virus)の持続的な感染により発症する

<症状>
顔面正中部に沿って進行する破壊性、壊死性病変を主体とする

<治療>
放射線治療と細胞障害性抗がん薬を用いた薬物療法を同時に行うことや、複数の細胞障害性抗がん薬を用いて行う多剤併用療法が行われる
造血幹細胞移植が選択肢になることもある」

極めてまれな症例だと思うが、ある文献によると、鹿児島大学耳鼻科では6年間で14例を経験した、とある(ここ)。

この話を聞いて、昔の「愛と死をみつめて」(ここ)を思い出した。この話も実話として顔が無くなっていく病気で、21歳で亡くなった女子大生の話だった。
wikiによると、この時の病気は「軟骨肉腫」だという。

それにしても、このようなリアルな短編を書けるのは、著者が現役の医師であればこそ、ではないか。

話は飛ぶが「帚木蓬生」という名が読めない。
wikiによると「ペンネームの帚木蓬生は『源氏物語』の第2帖「帚木(ははきぎ)」と第15帖「蓬生(よもぎう)」から取ったものである」とある。
よくもまあ、こんな難しい名にしたもの・・・

「顔」のあまりのショックに、この短編が載っている「風花病棟」など数冊の「帚木蓬生」の本を買ってしまった。
さっき「風花病棟」を読み終わったが、収録されている10編のどの短編も、医師を主人公にした淡々とした小説。
ヘンにひねらず、いわゆる良医の素直な話が何とも好ましい。
初めて読んだ帚木蓬生だが、手に入れたあと数冊を一気に読んでみようと思う。

それにしても、人間は、いや生物は必ず死ぬ。
何が原因で死ぬかは分からない。自分で選ぶことも出来ない。
自分が死に直面した時、上のような残酷な死に方でないことをラッキーと思うことは、難病の人に失礼か!?

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2025年1月21日 (火)

三浦洸一の「流転」

歌手の三浦洸一さんが亡くなったというニュースを見た。

歌手・三浦洸一さん 死去 97歳 老衰のため 「落葉しぐれ」「弁天小僧」「あゝダムの町」「東京の人」などがヒット

「落葉しぐれ」「弁天小僧」「あゝダムの町」「東京の人」「踊子」などのヒット曲で知られる、歌手の三浦洸一さんが、1月11日、老衰のため亡くなっていたことが分かりました。97才でした。
日本歌手協会が公表しました。

250121miurakouichi 日本歌手協会の広報文では、「日本歌手協会の会員でビクター専属の最古参歌手、昭和20年代から歌い続けた三浦洸一(みうらこういち、本名桑田利康・くわた としやす)さんが、令和7(2025)年1月11日午前6時23分、都内の病院で老衰のため亡くなりました。97才でした。」と、報告。

続けて「通夜および告別式は、1月18日、19日にご遺族のご意向により、家族葬にて執り行いましたことをここに謹んでご報告申し上げますとともに、長年にわたって賜りましたご芳情に対し厚く御礼申し上げます。戒名は宝洸院釋浄響居士。」と、記しました。

三浦さんは、昭和3(1928)年1月1日に神奈川県三浦市三崎の浄土真宗本願寺派最福寺の三男として誕生。
幼少期より祖父のもと読経を学びましたが、戦後、東洋音楽学校(現東京音楽大学)に進み、声楽科卒業後に日本ビクターレコードに入社。

作曲家の𠮷田正氏に師事し、昭和28(1953)年5月『さすらいの恋唄』でデビュー。
同年9月発売の『落葉しぐれ』が大ヒットし、「𠮷田学校の長男坊」として歌謡界をリード。
昭和30(1955)年の『弁天小僧』、31(56)年の『東京の人』、さらに32(1957)年には渡久地政信作曲の『踊子』と大ヒット曲を連発させ、一世を風靡。

この時期には春日八郎、三橋美智也とともに「御三家」と呼ばれ注目を集めました。

昭和30年の「第6回紅白歌合戦」から昭和38(1963)年まで出場を続け、39(1964)年落選のときは、所属のビクターレコードが「三浦を落とすならビクターの歌手全員が辞退する」と言わしめるほどの大スターだったということです。
昭和40年代、「なつメロブーム」が訪れたときにも請われると出演し、平成時代までなつメロ番組には欠かせない人気歌手として名を馳せました。
日本歌手協会にも設立時から入会、平成16(2004)年まで理事や監事を永年つとめ、「歌謡祭」にも全27回出場。

ほかにも昭和58(1983)年には、タモリの『笑っていいとも!』(フジテレビ)にレギュラー出演、平成12(2000)年には「日本レコード大賞 功労賞」、令和3(2021)年には「日本歌手協会 功労賞」を受賞。
平成23(2011)年には歌手協会主催の『東日本大震災被災地支援チャリティーライブ』、翌24(2012)年の「靖國神社みたままつり 奉納特別公演」に出演。

三浦さんは、1年半ほど前から都内の病院に入院していたということです。」ここより)

三浦洸一の歌は、自分も好きで、前にも幾つか挙げていたが、今日は「流転」を聞いてみよう。この歌はあまり有名ではないらしく、Netで検索しても歌詞が出て来ない・・・

<三浦洸一の「流転」>

「流転」
  作詞:石浜恒夫
  作曲:大野正雄

泣くんか 泣くもんか
夢にみました ふるさとは
遠くはなれて 思うもの
男生命はひとすじに
男 男 俺はきまゝな
 あゝ流れ星

泣かなんだ 泣かなんだ
捨てて来ました ふるさとは
よるもさわるも 花いばら
男ごころの燃ゆるまゝ
男 男 胸に抱いた
 あゝ夢ひとつ

泣けてくる 泣けてくる
山のむこうの ふるさとは
幸せすむと 人はいう
男流転のさすらいは
男 男 あすはいずこぞ
 あゝ吹雪鳥
(コーラス ブライト・リズム・ボーイズ)

三浦洸一の歌で自分が好きだったのは、前に挙げた「恋しても愛さない」(ここ)、「青年の樹」(ここ)もあるが、やはり代表曲は「踊子」(ここ)。
この歌は親父も好きだった。何しろ声が良い。音楽大学の声楽科出身だけある??

先日挙げた小澤一家もそうだが(ここ)、やはり家庭での環境は子供に多大な影響を与えるもの。振り返ってみると、親父もお袋も歌が好きだったので、それが自分に伝わったのかも?
兄貴も好きだったが、弟は??良く分からない・・・

ともあれ、もうとっくに亡くなっていたと思っていた三浦洸一が(失礼!)、97歳の大往生を遂げたと聞いて、久しぶりにその歌声を懐かしく思い出した。
あと、昭和の大歌手でご存命なのはどなただろう?
やはり自分は昭和の人間なのであ~る・・・

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2025年1月19日 (日)

ウクライナ民謡「キャロル・オブ・ザ・ベル」

気になっていた曲の曲名が分かった。
先日、ニュースサイトを見ていて、バックに流れる音楽が耳に残った。
それで先日の記事(ここ)で「<付録:曲名を知りたい!>どなたか下記の曲名が分かったら教えて頂けますか?(ここより)自分でもこの音源を持っているような気もするが、曲名が出て来ない・・・」と書いたら、早速「デコスケさん」から返信を頂いた。

デコスケさんの返信(ここ)によると「曲名は「キャロル・オブ・ザ・ベル(carol of the bells)」ウクライナの民謡が元に作られたクリスマスソングらしいです。」とのこと。

Netで検索すると、色々な情報がヒットする。wikiにも載っていた。それによると、
「キャロル・オブ・ザ・ベル」(原題:Carol of the Bells)はウクライナの民謡を元に、マイコラ・レオントーヴィッチュが1914年に編曲したシュチェドルィック(英語版、ウクライナ語版)に、1936年にウクライナ人作曲家ピーター・J・ウィルウフスキーが英語の歌詞を付けたもの。曲はパブリックドメインとなっているが、詩はウィルウフスキーの著作権が保護されている。作曲から100年以上経った今日において、最もよく歌われるクリスマス・ソングの一つとなった。」
とのこと。

早速YouTubeで音源を検索すると色々とヒットした。
なるほど、かなり有名な曲らしい。同じタイトルの映画もあったらしい。

知りたかったオリジナルの音源はこれ。

YouTubeで上と同じ音源は見つからなかったが、気になった音源を幾つか採取してみた。

<John Williams - Carol of the Bells | Home Alone (Original Motion Picture Soundtrack)>

<Libera - Carol of the Bells>

<The St. Olaf Choir - Carol of the Bells (Ukrainian Bell Carol)>

<Shchedryk (Carol of the Bells) – Bel Canto Choir Vilnius>

そしてピアノ編曲バージョンもあった。
<Carol of the Bells (Christmas Piano Cover)>

これを聞いて、昔よく聞いたジョージ・ウィンストンのピアノ(ここ)を思い出した。良く似ている・・・

そして自分が持っているジョージ・ウィンストンの音源をチェックしてみたら、同じ曲が見付かった。
「ディセンバー」というアルバムに「Carol Of The Bells」という曲があった。

<ジョージ・ウィンストンの「Carol Of The Bells」>

これはジョージ・ウィンストンの編曲だが、まさに原曲は同じ。
やはり自分は音源を持っていた。しかし、ピアノ版を聞くまでジョージ・ウィンストンのアルバムにあるとは気が付かなかった。
いやはや面目ない!?

ところで、こんな聞いたことが無い海外の音楽の曲名がよくぞ分かったもの・・・!と感嘆していたら、「時流さん」から「音で曲検索は、Googleが結構有能です。この曲もPCで音出ししながらスマホを使って検索できました。」ここ)というコメントを頂き、さっそくGoogleを開くと、なるほど「♪」マークがある。これをたたくと見事曲名が表示された。

当方、iPadを買ってから、パソコンにはすっかりご無沙汰で、いつもiPadのsafariばかり使っていたので、Googleにこんな機能があるとは気が付かなかった。
Googleで画像の検索が出来ることは知っていたが、音源の検索も出来るとは・・・!

「デコスケさん」そして「時流」さん、この度はありがとうございました。
おかげさまで、気になった曲の源流に近付くことが出来ました。
改めてお礼を申し上げます。

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2025年1月17日 (金)

小澤幹夫氏(指揮者・小澤征爾の弟)の話「母の遺した我が家の歩み」

先日、NHKラジオ深夜便で「明日へのことば「母の遺した我が家の歩み」舞台俳優・エッセイスト 小澤幹雄」(2025/01/08~09放送)を聞いた。
小澤征爾の若い頃の武勇談は有名だが、その家族の話であり、なかなか興味深かった。

<NHKラジオ深夜便「母の遺した我が家の歩み」舞台俳優 小澤幹雄(1)>

<NHKラジオ深夜便「母の遺した我が家の歩み」舞台俳優 小澤幹雄(2)>


小澤征爾の父親である小澤開作は、wikiによると「小澤 開作(おざわ かいさく、1898年12月25日-1970年11月21日)は、日本の歯科医師、民族主義者。妻・さくら(1907年-2002年)との間に四男をもうけた。長男・克己(1928年-1984年、享年56)は彫刻家、次男・俊夫はドイツ文学者、三男・征爾は指揮者、四男・幹雄は俳優。」とある。

何よりも驚くのは、この4兄弟が、別々の道でそれぞれの道を拓いているということ。
改めて書くと
長男・小澤克己(1928 (S3)年生まれ 1984年没 享年56) 彫刻家

次男・小澤俊夫小(おざわ としお、1930(S5)年4月16日-)は、日本のドイツ文学者、昔話研究者。筑波大学名誉教授。有限会社小澤昔ばなし研究所・社長。

三男:小澤征爾(おざわ せいじ、1935(S10)年9月1日-2024年(R6)2月6日)は、日本の男性指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務め、2002年-2003年のシーズンから2009年-2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。

四男・小澤幹雄(おざわ みきお、1937(S12)年10月24日-)は、日本の俳優、エッセイスト。小澤征爾の実弟であり、兄・征爾に関する仕事が多い。

この話を聞きながら、改めて「家庭」「家族」「親と子」について考えさせられた。

親と子は、もちろん生物としての遺伝の要素もあるだろう。しかしそれ以上に、親の子に対するスタンスが大きい。
この家族では、母親の「いつも家庭に賛美歌がある」という雰囲気。そして子供からねだられもしないのに父親が自分の高級カメラを売って手に入れたピアノ。
それらの存在が音楽家小澤征爾を生んだのだろう。しかし、征爾以外の3兄弟は音楽以外の道で大成し、活躍した。
どうもこれは「子供のやりたい道を自由に」という親のスタンスにあったようだ。

言うまでもなく、江戸時代までは全てが世襲。子は親の仕事を覚え、そしてまた子に伝える。確かに社会の構造としてはバランスが維持される。しかし子の個性は無視される。
現代では、もちろん子は親の言うことなどは耳に入らない。でも良い意味での親の影響という面ではどうだろう?
ふと、自分に対する親の影響を振り返ってみた。もちろん自分は全てを勝手にやった。選ぶ学校も会社も・・・
しかしひとつだけ親父から言われたことを覚えている。
就職のとき、ある企業を選んだ自分に対して「電電公社(現NTT)が良いんじゃないか」。
もちろん無視したが、自分の進む道に対して、唯一のアドバイスだった。

自分の場合、親父とは生涯に亘ってとてつもない軋轢があったので、この事はいまだに覚えている。
しかし今考えると、子供が殴られて育った時代とはいえ、それを大人になっても引きずった自分はやり過ぎだったのかも・・・

我が家は男3人兄弟。3つ上の兄とはいつもパック。夕食の後は正座して一緒に「お説教」。対して5つ下の弟は可愛い「ちびちゃん」としていつも親父の膝の上。
弟だけは、たぶん親父から殴られた記憶など無いのでは??

小澤家のこんな話を聞きながら、ふと我が3兄弟と親父との関係を対比して思い出してしまった。色々な家族の風景ではある。

<付録:曲名を知りたい!>
どなたか下記の曲名が分かったら教えて頂けますか?(ここより)
自分でもこの音源を持っているような気もするが、曲名が出て来ない・・・

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