2024年2月19日 (月)

倍賞千恵子の「私の履歴書」

最近は、司馬遼太郎を休んで、松本清張と、何と!映画「男はつらいよ」に凝っている。
きっかけは、KeiichiKodaさんからのコメント(ここ)。
そこに「男はつらいよ」シリーズはたぶん全部見ているという話があり、その“全部”というキーワードにまたまた反応してしまった。

「男はつらいよ」は、映画の展開がほとんど同じであり、まあそれが安心感を生んで、50年で50作品を生んでいる原動力になったのかも知れない。
よって、たまにTVで見ても、展開が同じなので、つい飛ばし見をしていた。
それが、さっきの話を機に、BSテレ東4Kで毎週土曜日に4Kで放送をしているのに気づき、録画したおいた。そして見たのが第41作の「男はつらいよ 寅次郎心の旅路」、そして第42作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」。
さくらの息子役・吉岡秀隆の恋人役の後藤久美子(当時15歳)の可愛いこと!録画を消すのがもったいない??

「男はつらいよ」は、BSテレ東4Kで毎週やっていたので、もっと早く気が付けば良かった!と思っても時すでに遅く・・・
しかし今が時代が違う。Netでの配信で見られるのだ。
それで、つい配信で順番に見始めてしまった。10作目まではほとんど見ていたので、それ以降の作品を順に見ている。

それにしても、さくらの倍賞千恵子が毎回美しい。
第1作が1969年というから1941年生まれの倍賞千恵子は、当時28歳。

話は変わるが、先のKeiichiKodaさんからのコメントに、日経の「私の履歴書」に倍賞千恵子が登場したという話があった。
これは読んでみたい・・・。

★日本経済新聞/倍賞千恵子の「私の履歴書」(2023年12月掲載)のPDFは(ここ

82歳になる倍賞千恵子の人生の振り返り。
考えてみると、若いときから自分は倍賞千恵子のファンだったのだ。当サイトでも倍賞千恵子版の歌は11曲も挙げている。
特に抒情歌が素晴らしい。前に何度か書いたが、30年近く前に亡くなった親父が、やはり抒情歌が好きで、倍賞千恵子のLPをたくさん持っていた。

日経の「私の履歴書」を読んでいくと、「下町の太陽」から始まった歌手としての活動と同時に、映画での活躍の話が面白い。
第15回にこんな文字がある。
「・・・「遙かなる山の呼び声」では一人息子(吉岡秀隆君)を抱えて女手一つで酪農業に励む。ともに「働く」女性だ。
・・・
「本物の親子になるのよ」 照れて嫌がる息子役の吉岡君と一緒に無理やり入浴し、背中を流したこともある。
 その人になりきる-。
「民子3部作」を通じて私は演技する土台を学んだ。」

ヘエー。かの吉岡秀隆が倍賞千恵子と一緒に風呂に入ったんだって!!
年齢を計算してみると、当時吉岡秀隆くん9歳。やはり「親子」だった。

もちろん「男はつらいよ」でも二人は親子。
第28回にこんな話が載っている。
「そこによく顔を出してくれるのが「男はつらいよ」「遙かなる山の呼び声」で息子役を演じた吉岡秀隆君。私には子どもがいないのでまるで息子みたいに接してしまう。
 吉岡君も中標津には特別の愛着があるらしい。私たちが別荘を建てた後、彼も自分の別荘を建て、骨休めに来るようになった。たまにはウチの別荘にも遊びに来て肩や腰をマッサージしてくれる。とても“孝行な息子”なのだ。
 私は自分が出演した作品を見返すことはあまりない。でも吉岡君が家に来た時、珍しく「遙かなる山の呼び声」を一緒に鑑賞したことがある。
「ヒデ、私たち素晴らしい映画に出てたんだね」「本当ですね……」
 作品に恵まれた幸運に2人で感謝した。
 吉岡君は53歳。“親バカ”と笑われそうだが「幼かったあの子が年齢を重ね、心で演技できる良い役者になったな」と嬉しく思う。・・・」

「下町の太陽」と「故郷」は多分まだ見ていないので、配信で見てみようかな・・・
ひょんな事で、倍賞千恵子を「勉強」してしまったこの頃である。

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2024年2月10日 (土)

小澤征爾さん死去~1972年の日フィルとの「復活」

小澤征爾さんが亡くなった。88歳だという。
ここしばらくは、“病気の小澤征爾”という印象が強く、とうとう・・・という気がした。

指揮者は長生きだという。長寿で直前まで現役だった指揮者は多い。トスカニーニ(89歳)、ベーム(86歳)、カラヤン(81歳)、ジュリーニ(91歳)、そしてブロムシュテット(96歳)・・・
それに比して、小澤征爾は早くして病魔に取り憑かれてしまった。Netによると、
「順風満帆な音楽人生だったが、晩年は病との闘いだった。05年ごろから高齢のため、体調を崩す機会が増えた。70歳を迎えた同年末に白内障を手術。翌年に帯状疱疹(ほうしん)、角膜炎を患い、音楽活動を休止した。10年には食道がんを公表し、手術で全摘出した。」ここより)

70歳でのリタイアは指揮者としてはあまりに早かった。

前に「旧日本フィル解散時(72年)の小澤征爾の「復活」」ここ)という記事を書いた。
2006年7月22日の記事なので、もう18年も前の記事。その時、既に病魔に冒され、2006年7月20日にマーラーの「復活」で活動を再開したという記事だった。
しかし上の記事の如く、完全復活はかなわず、88歳で生涯を閉じた。

この時も書いたが、自分にとっての小澤征爾は、旧日本フィルの最後の定演での「復活」が強烈な思い出として残っている。
もう一度書くと、1972年6月16日(金)19:00 東京文化会館。日本フィル 第243回的演奏会。文化放送からの支援打ち切りでの、6/Eの解散を控えた最終コンサート。首席指揮者の小澤征爾による“復活”を掛けた「復活」演奏会だった。
演奏が終わっても観客は去らず、演奏者が誰も居なくなった舞台に、拍手に応じて小澤征爾ひとりが何度も出て来て挨拶をしていた。
数えてみると、小澤征爾当時36歳。若かった・・・

18年前に書いた上の記事に、当時その演奏会をNHK FMで放送したのを録音した。とあるのを思い出し、ちょっと探したらあった。
Img_3140 1972年6月16日 東京文化会館 旧日本フィル 第243回定期演奏会での、小澤征爾指揮でのマーラーの「復活」の録音である。いつの放送を録音したかのメモは書いていなかった。
しかし残念ながら既に我が家にオープンデッキは無い。よって、この記念すべき録音も聞けない。

あれから52年。しかし会場だった文化会館はまだまだ元気で上野に建っている。

言うまでも無く、クラシック界で小澤征爾ほど日本人として世界で活躍した人はいない。
それだけに、小澤征爾を襲った病魔が残念だった。
何度も「復活」して欲しかった小澤征爾ではある。

(関連記事)
旧日本フィル解散時(72年)の小澤征爾の「復活」 
昭和47年の出来事(25歳) 

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2024年1月28日 (日)

池波正太郎の「鬼平犯科帳」全24巻を読んだ

池波正太郎の「鬼平犯科帳」全24巻と関係本を「全部」読んだ。
約6年前から始めた読書リストも500冊を超えた。相変わらず「全部」と「中古の文庫本」という事にこだわっている。

司馬遼太郎を「全部読むぞ」と息巻いていたが、謙信や信玄に寄り道し、つい池波正太郎の「鬼平犯科帳」に寄ってしまった。
240128onihei 本編24巻と、「鬼平犯科帳 乳房 番外編」「鬼平犯科帳の世界」「鬼平犯科帳 悪党列伝」「池波正太郎・鬼平料理帖」「鬼平犯科帳人情咄 私と長谷川平蔵の30年」「池波正太郎と七人の作家 蘇える鬼平犯科帳」の数々。

相変わらずのチャンバラ小説だが、この小説を知ったのは、老人ホームに入っていた兄貴から「買ってこい」と言われて手に入れたのが最初。
それで相変わらずのフリマサイトで「全24巻」を買い込んだ。基本的に短編集なので、読むときにキリが良い。前のストーリーを忘れてもOK。
有名な小説だけあって、なかなか面白かった。それに、自分は見たことが無いが、TVドラマとしても有名だったそうで、それに関する本「・・・30年」もあった。

最後に読んだのが2018年に出た「池波正太郎と七人の作家 蘇える鬼平犯科帳」という本。「7人の人気作家が長谷川平蔵を登場人物にして、「鬼平」へ新たな命を吹き込んだ競作短篇集」と解説にある。
これがまた??! 池波正太郎になって?同じ鬼平を描くのだが、はやり違和感。空気感が全く違う。やはり鬼平は池波さん。

話は変わるがこの小説のスタートは「オール讀物」の昭和42(1967)年12 月号だったとのこと。
実はこの雑誌、1976年(昭和51年)に亡くなった祖母の愛読書で、実家でよく見掛けた。自分は開いたことがないが、この1976年までの回は、「祖母も読んだんだろうな・・・」と思いながら読んだ。
ついでながら、実家の本棚には親父の愛読書が並んでいたが、その中で覚えているのが吉川英治の「新・平家物語」。これも「親父が読んだ小説」ということで読んでみようと思い立って、全巻手に入れてしまった。

またまたついでながら、ふと松本清張をもう一度読んでみようかと思い立ち、これは「全部」は無理なので、30数冊買い込んでしまった。
さすがに松本清張物はカッパノベルスで昔読んだ記憶があり、どのタイトルも記憶にある。
しかし、やはり中古本はリスクがある。「点と線」を読み始めたら、手がかゆい。どうもダニがいたらしい。日陰に干すがダメ。布団乾燥機のダニモードで熱して、しばらくページを開いて放ってある。読むときになって治っているかどうか・・・

カミさんは自分のフリマで買い込む中古文庫本集めに批判的だが、どうも新品を買う気がしない。「一読だけしました」が買うときのキーワードではあるが、数冊まとめて買うときにはリスクはある。
とにかく、司馬遼太郎から吉川英治、「半七捕物帳」から松本清張まで、これから読まなければいけない文庫本が数百冊溜まってしまった。

目の健康だけが心配な喜寿老人ではある。

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2024年1月 9日 (火)

八代亜紀の「ともしび」~73歳で死去

今夕、八代亜紀さんが亡くなったというニュースが流れた。

演歌歌手八代亜紀さん12月30日に死去73歳「膠原病」で8月活動休止 「雨の慕情」「舟唄」

演歌歌手八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、分かった。八代さんの公式サイトで発表された。73歳。熊本県八代市出身。

240109yashiroaki 膠原病の一種で指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し、昨年8月に活動休止することを、公式サイトで発表していた。

所属事務所によると、8月下旬に本人から体調不良を訴える報告があり、複数の病院で検査を行い「膠原病」と診断され、闘病を続けていた。

活動休止について八代さんは「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!」とコメントしていた。

1971年(昭46)にデビューし、73年に出世作「なみだ恋」を発売。その後「愛の終着駅」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「舟唄」など数々のヒット曲をリリースし、80年には「雨の慕情」で第22回日本レコード大賞の大賞を受賞した。

絵画でも活躍し、画家の登竜門とも言われる世界最古の美術展であるフランスの「ル・サロン」で5年連続入選を果たして永久会員に。2010年には、歌唱技術が認められて文化庁長官表彰を受賞。

芸能生活50周年を迎えた21年には、第42回松尾芸能賞大賞を受賞した。」(2024/01/09付「日刊スポーツ」ここより)

八代亜紀の唄と言えば、倍賞千恵子の映画「駅/STATION」の一シーンを思い出す。赤提灯のカウンターで、テレビから流れて来る八代亜紀の「舟唄」。「この唄好きなのよ」と倍賞が言う。・・・

それに自分の結婚式を思い出す。式に出てくれたある友人が、カラオケで八代亜紀の「貴方につくします」を歌ってくれた。あれから47年。1976年当時、カラオケはまだまだ流行っていない。カラオケで歌う光景は珍しかった。

八代亜紀の歌を何か挙げようと、自分のライブラリーから順番に聞いてみた。そして、この歌を挙げることにした。「ともしび」という歌である。1975年5月25日発売のシングル11枚目、彼女24歳の時の作品である。

<八代亜紀の「ともしび」>

「ともしび」
  作詞:悠木圭子
  作曲:鈴木 淳

あなたの命の ともしびが
もうすぐ消えると 聞かされた
ああ編みかけの カーディガン
それが出来たら 夜明けの釣りも
もう寒くはないねと
細くなった手で
私の手を握る あなた・・・
明るく笑って あなたをだまし
ただ祈るだけの 私でした

なんにも知らずに この春の
桜の花びら 散る頃は
ああ教会で 鐘が鳴る
白いドレスの 花嫁衣装
早く見たいと はしゃいで
細くなった手で
私の手を握る あなた・・・
どうすればいいの 何が出来るの
ただ祈るだけの 私でした

あれから二度目の 春が来たけど
私の中に生きてる あなた・・・

話は変わるが、今日の夕方、スマホに電話が来た。同期入社のO君から。そもそも自分には友人からの電話というものはない。年に1回も無いので、非常に珍しい。要件は、今月末に予定されている同期会に出席するのかどうかという話だった。
ついでに少し話をした。
彼とはクラシック好きだという共通点があるので「右耳が聞こえないので、音楽はもう卒業。LPレコードもCDも売却した」という話をしたら、何と最近、アンプとスピーカーを買い替えたという。アンプはマッキントッシュ、スピーカーはB&Wだという。それぞれ60数万円だったとか。

2年前に奥さんを亡くし、子供もいないせいで、その寂しさを紛らわすために買い替えたという。そして1日中音楽を流しているとか・・・
「もう我々も喜寿だぜ!そろそろ次のことを考えねば。ポックリ逝った後・・・」というと「そんなにポックリは逝けないよ」。

八代亜紀の訃報に接し、この「ともしび」という歌の歌詞が妙に心に響く。
親父が死んだ80歳3ヶ月まで、あとちょうど4年。
やはり親の亡くなった歳は気になる・・・

昨年はあまり「事件」が無かった。何も無いということは非常に有り難いこと。
絵画の才能も発揮した八代亜紀。73歳はあまりも若い。まだまだ描きたかっただろうに・・・
冥福を祈ると共に、今年も「何も無い1年」であることを祈ろう。

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2023年12月28日 (木)

奈良岡朋子さんの生前残していたコメントと、映画「東京物語」

先日、NHKラジオ第2の「声でつづる昭和人物史 〜奈良岡朋子」2(2023年12月11日放送)を聞いた。
「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」(平成22年9月4日放送)の話を振り返る。
番組の解説にはこうある。
「俳優・奈良岡朋子は、昭和25年に現在の「劇団民芸」がスタートした時の第1回公演・チェーホフの「かもめ」でニーナという役に抜擢され、その後「イルクーツク物語」などで演出家・宇野重吉の厳しい指導を受けました。平成22年9月にラジオ第1で放送された「ラジオ深夜便 女優が語る 私の人生」では、先輩の宇野重吉の演出のことや、別の劇団の所属ながら細かい演技指導を受けた杉村春子のことなどについて話しています。」ここより)

<「声でつづる昭和人物史 〜奈良岡朋子」2>

この放送で、奈良岡朋子さんの生前残していたコメントを紹介していたが、それがなぜか心に残った。
このコメントを探したら、こんな記事が見付かった。奈良岡さんの訃報の記事である。

俳優 奈良岡朋子さん死去 肺炎のため 93歳
2023年3月29日 20時28分

舞台や映画で活躍し、連続テレビ小説「おしん」などテレビドラマのナレーションでも親しまれた俳優の奈良岡朋子さんが今月23日、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。93歳でした。

奈良岡さんは東京の出身で、洋画家の父、奈良岡正夫の影響で今の女子美術大学で絵画を学びながら1948年に現在の劇団民藝に入り、舞台での活動を始めます。

その後は、同期生だった大滝秀治さんらとともに劇団の代表的な存在となり、「かもめ」や「奇蹟の人」など数々の舞台で高い評価を得てきました。

テレビドラマや映画でも名脇役を演じたほか、NHKの大河ドラマ「春日局」や「篤姫」、それに連続テレビ小説「おしん」など、多くのナレーションでは落ち着いた語り口で親しまれました。

1992年には紫綬褒章、2000年には勲四等旭日小綬章を受章しています。

また、2013年からは原爆の悲惨さを描いた「黒い雨」のひとり語りの舞台がライフワークとなり、全国各地で上演するなど、平和を訴える活動を続けていました。

劇団民藝によりますと、奈良岡さんは去年も舞台に立つなど最近まで活動を続けていましたが、体調を崩し今月23日夜、肺炎のため亡くなりました。

奈良岡さんが生前残したコメント
劇団民藝は、奈良岡朋子さんが生前残していたコメントを発表しました。

親交のあった宇野重吉さんや、杉村春子さんなどとともに、また天国で舞台を演じることを楽しみにする思いなどがつづられています。

以下、全文です。

「新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。向こうへ着いたらすぐに宇野(重吉)さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコ(奈良岡さんの愛称)じゃないですよ。『デコ、お前ちっとましになったな』と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村(春子)先生ともう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。両親に挨拶するのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃん(石原裕次郎)や和枝さん(美空ひばり)と思いっきり遊びます。これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり・・・」。・・・ここより)

何ともウィットに富んだコメントではある。

話は変わるが、先日NHKBSで放送された(2023/12/12放送)、小津安二郎の「東京物語」を見た。もちろん以前にも見ていたが、ついまた全編を見てしまった。
そして、やはり不朽の名画だと思った。

51pjy3y4jxl_ac_ wikiには「上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、親と子、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である」
「年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繋がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品」
「家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている」
という評が載っている。

特に、先の奈良岡朋子の話に出てくる杉村春子が演じる長女役。これがイヤミたっぷりのはまり役。
上の放送で、奈良岡朋子が杉村春子を「先生」と呼んでいるが、確かに23歳も年上。大先輩だったわけだ。

自分の映画のリストを見ると、小津作品は「晩春」「秋麦」「秋日和」「小早川家の秋」「東京暮色」を見ている。
「東京物語」は載っていなかった。つまりは相当昔に見た映画。しかしストーリーはしっかり覚えていた。
確かに小津作品は古い。しかし扱うテーマは世代に関係が無い。

東京から帰った夫婦の会話。
「でも、子供も大きゅうなると変わるもんじゃのう」
「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃ。ハハハ」
「欲を言やキリはにゃあがまあええ方じゃよ」
 「ええ方ですとも。よっぽどええ方でした。私ら幸せでさ」
「そうじゃのう・・・まあ幸せな方じゃのう」
 「そうでさ 幸せな方でさあ」

映画で亡くなる老母の歳は68歳・・・
奈良岡朋子のウィットに富んだコメントと、久しぶりに見た映画「東京物語」。
何とも映画の世界と自分の人生を比べてしまった年末の一日ではあった。

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2023年12月14日 (木)

Amazonの値下がり情報アプリ「keepa」が便利

最近、「keepa」というツールを使い出して、Amazonから買う商品を“お得買い”しているので、今日はそんな話。

Amazonの価格の変動はかなり頻繁だ。あるサイトにはこんな解説がある。
「どうして価格が変わるのか
Amazonのヘルプには、「当サイトの価格は、商品の入手先などにより常に変動しています。」と明記されている。 実際、欲しい商品が以前にチェックした価格と異なる価格で販売されていたということは、よくある。
実は、Amazonでは、商品の価格は出品者が決めている。
たとえば、大量に在庫があるときは、価格を安くし、在庫が1~2点と少なくなったときは、価格を戻したり、上げたりするケースがある。 また人気で品薄の商品ともなれば、価格が吊り上がっていくこともある。」ここより)

また「タイムセール」というのもあり、自分は研究していないので良く分からないが・・・。
「Amazonタイムセールの種類
数量限定タイムセール:最大8時間・数量限定
特選タイムセール:24時間限定・数量無制限
在庫処分タイムセール:長期保管されていた商品のセール
プライム会員限定タイムセール:有料会員向けのセール」

とにかく値段が変動するのである。
先日、前に買ったと同じ商品を買おうとしたら、値段が大幅に違う。どうやら、たまたまその時タイムセールか何かで、安くなっていたらしい。
それで、ググってみると、上記のように値段はよく変動するらしい。
そこで「値段が下がったよ!」と教えてくれるツールはないのかとググったら「keepa」というツールがあることを知り、スマホに入れてみた。

231214keepa0 設定が色々あってややこしいが、とにかく設定したら、「安くなったよ!」という通知が来るようになり、安く買えた。
自分で、知らせて欲しい下がったときの値段を設定しておくと、それ以下になると通知が届く。よって、いちいち値段をウォッチする必要が無いので便利。

もちろん、今すぐに欲しい商品では使えないが、洗剤など、そろそろ無くなるので買っておこうかな・・・といった、納期に余裕があるものは、下がるのを待って買うとお得。

231214keepa 自分は決してこのツールを使いこなしているわけでは無いので、使い方その他については書かないが、唯一の問題?は当然届く時間帯がランダム。
先日も、夜中にトイレに起きたときにちょっとスマホを見たら、通知が来ていた。それで、夢中になってつい注文してしまった。よって、それから目が覚めてしまい、なかなか眠れなくなってしまった!?

ともあれ、世の中には色々なツールがある。それらを使いこなしている人は、便利に、そしてお得に日々の生活に活かしているのだろう。
なかなか新しいことにチャレンジするのが面倒になってきている我々老人。
こんな、どうってことないようなツールを使っても「話題?」になるシニアなのである。

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2023年12月 2日 (土)

子どもの時に時間が長く感じるのは「出来事」の数が多いから・・・

このサイトに、いままで何度となく「歳を取ると、何でこんなに時間が経つのが早いのかな?」「子どもの時は1日が長かったのに・・・」と書いてきた。
2312020933 その解を昨日(2023/12/01)のTV朝日の「モーニングショー」で解説していた。
「時間の有効活用術・好きな時間・長くする方法 千葉大学大学院教授・一川誠」という番組。

下記に写真を置くが、解は・・・
2312020910 「子どもと大人で違う“1日の長さ”」
⇒子ども「学校、クラブ活動、習い事。友達との遊び、学校行事など区切られた“出来事”の数が多い」
⇒大人「ルーティン化していることが多く、1つ1つを意識せずにこなしたり、仕事など1つの出来事で長時間過ごしたりするため、区切られた“出来事”の数が少ない⇒なんとなく“あっという間”に過ぎた“短い”1日」

なるほど・・・。確かに子どもの時は1日で色々な事があった。

ふとこんな事を思い出した。
「朝起きて、顔を洗って、ご飯食べて、道具そろえて行く!」
これは小学校の時、兄貴が毎朝唱えていた言葉。学校に行く前に自分のするべき事を確認していたのだ。
それを自分が今唱えるとすると「朝起きて、顔を洗って、ご飯食べて、自室にこもってオシマイ」ということか・・・
確かに今は一日の出来事が圧倒的に少ない。アイテムが少ない。

番組を時間をおって撮ると、こんなことに・・・
2312020900 2312020902 2312020909 2312020911 2312020922 2312020923 2312020926
番組では、充実した時間を過ごす方法も解説していたが、今の自分にはそれほど必要では無い??
要は非日常的なイベントを増やす。という事だが、今の自分は「それが面倒!」なので手の打ちようがない。
良くグチる。「あれよあれよと言っているウチに死んじゃうね」

でも自分にはやらねばならぬ事がある。
たくさん買い込んだ中古文庫本を読み終わるまでは、死ねない!!ぞ。

何とも哀しい我が”人生の目標”ではある。

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2023年11月30日 (木)

冬タイヤをオールシーズンタイヤに履き替えた話

今日は、自分の老化のためか、コスト(物の値段)について執着が無くなってきたな。と自覚したという話。

明日から12月。夏タイヤから冬タイヤに履き替える時期になってきた。
今日、タイヤを預けてあったトヨタに予約して、夏タイヤから冬タイヤへの履き替えに行ってきた。
タイヤ預かりサービスの更新も、今年から2.2万円になったという。昨年までは2万円だったので10%アップ・・・
まあ仕方が無いか・・・と、1時間後に取りに行くと、若い整備士が来てこんな話をする。
「今はオールシーズンタイヤがあるので、それに変えたらどうか。グッドイヤー製4本の交換で13万円強」「今のタイヤはそれぞれ4年使っており、タイヤの減り方は車検に通らない値では無いが、冬タイヤは経年変化で固くなってくる」「タイヤの預り費が年に2.2万円なので、今後4年間で8.8万円になる。それに交換の手間がかかる。ちょうど今、タイヤ預かりの更新のタイミングなので、それが要らなくなるオールシーズンタイヤに替えたらどうか」

何よりも交換の手間が不要になるのが魅力に写った。スマホで4何前にスタッドレスタイヤを買った時の値段を調べたら12万円。大規模ホームセンターでアルミホイール付のブリジストンを買った。
それに比べると、そんなに高くない・・・
聞くと、1時間半もあれば、タイヤを至急取り寄せて交換が出来るという。それでつい頼んでしまった。
とにかく、年に2回の交換の手間が無くなるのが有り難い。

231130goodyear 家に帰って、改めてタイヤ単品の価格を調べてみた。今回のトヨタでは1本3万円だったが、Amazonでも1.3万円強。2.2倍か・・・
(ただし製造日には注意。今回は「X4023」の刻印=23年の40週目=2023/10/01~07の製造=製造後8週目の取付。通販の製品は旧製造の製品かも?)

友人に、この話をしたら、「75歳から雪の日は車に乗らないことにしたので1年中ノーマルタイヤで充分なのでは?」とか「冬の豪雪地帯へのドライブなどの予定が無いのであれば、タイヤ交換の面倒の無いオールシーズンタイヤは良い選択では?」とかの意見。

車にあまり興味の無い自分は、オールシーズンタイヤの存在を知らなかった。よって、手間のかからないメリットだけで、今回交換してしまったが、そもそも自分はスタッドレスタイヤを買ったのは今の車の1回だけ。
50年近く乗っているが、雪の日はもっぱらチェーン。歳を取ってからは雪があるときは運転しない。だから、冬タイヤの話は知っていたが、買う気は無かった。しかし4年前に今の車に買い替えてからは、歳を考え、念のために初めて買った。
が、毎年2回のタイヤ交換が面倒。それにタイヤ預けに金が掛かる・・・
それが、今回のオールシーズンタイヤで全てが解決!?

ここで考えるのが、自分の歳と共に衰えるCD(コストダウン)への執念。
このサイトに、前に何度か書いたが、車検をいかに安く済ませるかの自分の執念と取材努力。
それが今ではまるで無いのである。そもそもトヨタから何とかパスポートとかいうサービスに入らされたのが、興味を失ったきっかけ。5年目車検まで一括して半年点検が受けられるサービス。これに入ってからは、言われるままにトヨタに車を持って行くだけ。
そのついでに夏冬タイヤの交換もしてきた。
今回も「いかに安く済ませるか」という「やる気」がまるで無くなっていることに愕然!?
これも歳か??

今回も、努力すれば(手間をかければ)6万円以上安く買えたが、後悔が無い今の自分に「手間を掛けるのがそんなにイヤになったのか」と歳を考えてしまった今日の事件ではある。

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