2026年8月10日 (月)

「立花隆 がん 生と死の謎に挑む」を見て、読んだ

先日、「保阪正康が語る昭和人物史」の放送でジャーナリスト 立花隆の話を聞いたが(ここ)、それをきっかけに「立花隆 がん 生と死の謎に挑む」という単行本を入手し、付録のDVDで「NHKスペシャル 立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」(2009/11/23放送)を見た。

そしてその単行本も読んだ。その結果、「宝の山」を掘り当てたような気になってしまった。
260810tachibana1 何よりもNHKスペシャルの番組が素晴らしい。それがDVDとしてこの本の付録に付いている。
この本は2010/12/15発売というから、もう16年も前の話。でも番組も含め、今でも決して古くない。
なぜ古くないか?
この番組で紹介されているが、手強いがんの攻略は、そう数年や数十年単位ではとても出来ない現実があるから。

260810tachibanadvd まずこの番組だが、配信もしていないので、見るにはこのDVDを入手するしか無い。(なお、文庫本にはDVDは付いていない。単行本もDVDが付いていない中古本が多い)
本は、前半はこの番組の苦労話が主。少々くどい。あくまで番組を見てから読まないと、解説が分からない。
そして後半は、「文藝春秋」2008年4~7月号の「僕はがんを手術した」という、2007年の膀胱がん手術の体験ドキュメント。
これは面白くて一気に読んだ。

立花隆は、73分のNHKspだけでは言い足りないため、その補足としてこの単行本を書き、BSでも詳細版を放送したという。
それがNHK BS1で2009年12月27日から29日に放送された次の3番組。
「立花隆思索紀行人類はがんを克服できるのか①”がん戦争"100年の苦闘」
「立花隆思索紀行人類はがんを克服できるのか②生命の進化ががんを生んだ」
「立花隆思索紀行人類はがんを克服できるのか③生と死を越えて」

これも見たいのだが、調べてみると、今となっては見る手段は残念ながら皆無。

さて、本題だが、自分がこの番組と本で分かったことは、がんは非常に手強い相手であり、たぶん永久に撲滅は無理だということ。そして1/2の人ががんに罹り、1/3の人ががんで死ぬ現実があるので、がんとはどう折り合いを付けていくのかの話だということ。

本を読みながら付箋を付けたので、その部分を長々とコピペしてみる。

「このような問題は、がんの「薬剤耐性の問題」と呼ばれていて、がん研究でいま最もホットな領域になっています。要するに、抗がん剤は次から次へ新しいものが登場してくるのですが、使いはじめてしばらく時間がたつと、がん細胞は、その抗がん剤に対する薬剤耐性を獲得して、その薬が効かなくなってしまうのです。
この薬剤耐性の問題が片づかない限り、抗がん剤の世界は、新薬が次々に登場しても、薬剤耐性との間で、永遠のイタチごっこを繰り広げることになりそうだというのです。
なぜそれほど薬剤耐性の問題は解決が困難なのかというと、遺伝子が本質的に変異を起す能力を持っているからです。その能力によってすべての生命体は進化してきたということがあります。つまり変異を起す能力というのは生命体の本質みたいなところがあるのですが、この薬剤耐性の問題の根底にそれがあるのです。新薬を開発しても、すぐにがんのほうで変異を起して、新しい薬剤耐性能力を獲得してしまうのです。
別の表現を使えば、新しい薬に出会うと、がんはその薬の効果を消すような方向に進化していってしまうということなのです。新しい薬物とがん細胞の出会いにかかわる遺伝子の一つ一つに変異の可能性があります。かかわる遺伝子が多ければ多いほど新しい変異が生まれて、薬物の攻撃に対する新しい防御方法を獲得していってしまう可能性があるのです。」(p35)

「人間の体は、すべて新陳代謝していきます。六十兆の細胞がみな新しい細胞に置き換わることを日々につづけていく(すべての人において毎日平均数千億の細胞が新しい細胞に置き換っている)から、人間は生きているのです。細胞はみな細胞分裂によって新しい細胞になっていきます。それをおさえようとするのが抗がん剤ですから、抗がん剤は、人体のすべての細胞のナチュラルな働きを止めようとする薬だともいえるわけです。いってみれば、抗がん剤は生命の自然な働きに反する薬なのです。だからつらい副作用がいろいろ出てしまうのです。
人体の細胞の中にも、新陳代謝のスピードの速い遅いがあります。新陳代謝のスピードが速いところは、細胞分裂がそれだけ活発なところです。抗がん剤は細胞分裂が活発ながん細胞に働きかけてその細胞分裂を止めようとします。すると、がん細胞以外の、もともと細胞分裂が活発なところにもその働きかけが及んで、そこの細胞分裂を止めようとします。抗がん剤の副作用の第ーが頭がハゲることになるのは、そのためです。毛根は体の中で細胞分裂が激しいところだからです。副作用の第二は気持が悪くなり、吐き気がしたり、食欲がなくなったりすることです。これは胃腸など消化器の粘膜部分が体の中で最も新陳代謝が激しいところだからです。胃腸の粘膜は、数日の間に全部入れかわるほど、新陳代謝が激しい(細胞分裂がさかんな)ところなのです。
実はそのように細胞分裂がさかんに行われている場所は同時にがんができやすい場所でもあります。がんとは細胞分裂システムが狂うことですから、そのように、細胞分裂が常日頃から激しく行われている場所こそ狂いが生じやすいのです。」(p64)

「がんには、肉の部分にできる肉腫、骨の部分にできる骨腫などもあります。しかし、圧倒的に多い(八割以上)のは、胃がんでも、大腸がんでも、肺がん、食道がん、勝胱がん、乳がんでも上皮がんです。がんを漢字で「癌」と書くことがありますが、「がん」と「癌」を専門家がどう使いわけているかといえば、「癌」はカルチノーマ(上皮がん)たるがんに用い、「がん」はすべてのがんに用いるというのが一般的な使いわけです。それくらいカルチノーマが一般的なのです。
なぜ圧倒的にカルチノーマが多いのかというと、人間の体で最も新陳代謝が激しいのは、体内の粘膜部分だからです。表皮の部分も新陳代謝は激しいのですが、もっともっと激しいのが体内の上皮です。表皮の新陳代謝は、風呂に入って石鹸で体をこすると、アカになってこそげ落ちてゆくので自分ですぐにわかりますが、体内上皮の新陳代謝されたものは、大便小便の中に入って排泄されてしまうので、普通の人はなかなか気がつきません。体内の上皮のいちばん大きな部分は胃腸の内皮で、それは全部広げると実に四百平方メートルにも及びます。表皮の総面積よりはるかに広いのです。それが二日に一回ペロリとむけて排泄されるのですから、大便の相当部分が実はそれであるのに、我々は気がつかないわけです。
抗がん剤を服用するようになると、頭がハゲるだけでなく、皮膚が輝きを失い、ボロボロになってヒビが生じたりしますが、それは皮膚の新陳代謝が妨げられるからです。皮膚がボロボロになる以上に、体内上皮部分(体内のあらゆる粘膜)がボロボロになっていきます。それが吐き気、食欲不振などあらゆる副作用現象のもとになっています。人間の日々の栄養吸収は胃腸の上皮が行っていますから、それがボロボロになれば、吐き気も食欲不振も起きて当然です。番組の中で、戸塚洋二さんが「消化管に穴が開く」といっているのは、まさにこの現象のことをいっているわけで、実際ひどくなると、抗がん剤は胃腸に穴を開けるところまでいくわけです。」(p66)

僕が中締めとして語っているのが次のモノローグです。
「なぜがんというのがそれほど恐るべき力を持っているのか、というか、とにかくがんというのは、いろんな手段でたたこうとしても、がんのサバイバル能力というのは圧倒的で、死んだと思っても死なない、そういうのががんで、その繰り返し繰り返し再発してさらにはどこかちがうところに飛んでいく。そういう転移という現象が起るわけですね。
ありとあらゆる手段を自ら作り出して困難を突破していくがんの能力というのが、ありとあらゆる困難な状況の中で、生命というものが生き抜いてきて、今日の生命全盛時代みたいな、そういう時代を生き抜いた、生命の歴史そのものががんの強さに反映しているということですね。
がんは自分の外にいる敵ではなくて、自分の中にいる敵というか、あなたのがんはあなたそのものでもあるという、そういうことなんですね。だからそういう二重の意味で、がんという病気は本当に一筋縄ではいかない。がんという病気そのものの中に生命の歴史何億年の歴史そのものがこめられた力が継続して生きている。そういうことが一つあるし、それからがんの強さは実はある意味では自分自身の強さというか、自分自身の中にある生命というシステムの強さでもあるわけですね。
だからがんをあまりにもやっつけることに熱中しすぎると、実は自分自身をやっつけることにもなりかねないという、がん治療のものすごく大きなパラドックスというのがそこにあると思うんですね」
このようにして獲得された転移能力こそ、がんの強さの根源みたいなところがあります。つまりがんは、六十兆の細胞が生存をつづけていく生命の通常の営みの中で不可避的に発生します。そのように不可避的に生まれた最初のがんの細胞巣は原発巣と呼ばれます。がん患者の多くは、原発巣のがんが発展して死に至るのではなく、それがどこかに転移して、転移した先のがんが原発巣よりずっと悪性化したしぶといがんになって、転移先のがんで死に至るほうが多いといわれます。」(p112)

「転移の経路は、基本的に原発巣のがんが血管の中に入って、血流によって、遠いところに運ばれるのだと考えられています。しかし、そこのところも、実はまだよくわかっていないところなのです。がん細胞は基本的にどこかに足場を確保して、そこで育っているかぎりは生きていられるけど、足場から離れてしまうと、とたんに生命維持が難しくなると考えられているからです。そして、心臓まわりの血流の速さががん細胞にとってあまりにきつすぎる(秒速百メートル以上)ので、がん細胞が全身循環系の主要な動脈に入って、何度もたたかれると、たいていまいってしまうといわれています。がんがいろいろな臓器に転移するのは、その中で血流がゆるんで、がん細胞がそこに漂着してあらたなコロニーを作りやすいところが見つかるからだといわれています。」(p113)

「先に、がんが高齢者に多いのは、がんのもとである「遺伝子への変異の蓄積」が、高齢者になればなるほど進むからだといいましたが、もうひとつ、免疫力の強弱という点からも、がんが高齢者に多い理由になっていることがわかるでしょう。
260810tachibanagraph 次頁のグラフを見てください。これは、年齢別のがん死亡の統計です。四十歳以下のがん死者はきわめて少く、五十歳以下のがん死者もあまりいないということがすぐ読みとれます。
四十代、五十代前半までのいわゆる働き盛りの年代の人々は、まだ充分に強い免疫力を持っているから、あまり病気もせず、たとえ時に病気に襲われても(初期のがんを含め)、それをはねのけることができる(死にいたらないですませる)ものだということがこのグラフからも読みとれます。
ただ、ここで気をつけていただきたいのは、がんというのは、ゆっくり進行する病気であり、だいたい、一つのがん細胞が生まれてから、それが宿主の生命を奪うようになるまで平均して二十年くらいかかるということです。それが目に見える大きさになり、最初の検査にひっかかるまで、およそ十年から十五年の時間がかかり、それから、がんがさらに生長して、宿主の生命を奪うまで、最低でも五年はかかるということです。」(p116)

「がんに敗北しても人生では勝てる
連載手記を通して、また、番組の取材を通してわかったことは、人間は、生きるととそれ自体によってがんを育てており、がんから逃れられないということです。
そして、近未来にがんの画期的新療法が生まれることはありません。
ですから、がん患者はいずれ必ずがんに敗北します。肉体的には敗北率100パーセントです。しかし、敗北するといっても、そもそも人間は死亡率100パーセントの動物です。あなたがたは必ず死にます。がんであってもなくても死ぬのです。
 ただし、勝ち目がないわけではない。闘病という場では敗北しますが、闘病イコール人生ではありません。人生という場では勝てる可能性がある。「がん」になったが、がんに敗北しなかった人々はいくらでもいます。」(p165)

<「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」エンディング>

「僕はそのことを、番組のエンディングで次のように話しました。
「この取材をしてきて、私が確言していることが二つあります。
一つは、私が生きている間に人類ががんを医学的に克服するということはほとんどないだろうということです。
 で、もう一つは、だからというか、自分がそう遠くない時期に非常に確実に死ぬだろうけれども、そのことが分かったといって、そうジタバタしなくて済むんじゃないかということなんです。
がんというものはしぶとすぎるほどしぶとい病気なんです。
 というか、生命そのものがはらんでいる『一つの避けられない運命』という側面を持っているということなんですね。
 そうであるなら、全てのがん患者はどこかでがんという病気と人生の残り時間の過ごし方について折り合いをつけねばなりません。
 僕の場合、残り時間の過ごし方はいたずらにがんばって人生のQOLを下げることではないだろうと思うんです。
 徳永先生のところで学んだことは人間は皆死ぬ力を持っているということです。
 死ぬ力というといい過ぎかもしれません。
 死ぬまで生きる力といった方が良いかもしれません。
 単純な事実ですが、人間みな死ぬまで生きるんです。
 ジタバタしてもしなくても、死ぬまでみんなちゃんと生きられます。
 その単純な事実を発見して、死ぬまでちゃんと生きることこそ、がんを克服するということではないでしょうか」
これはNスペのエンディングなのですが、実はBSのほうにはこれとは別のエンディングがあります。・・・」(p168)

いやはや長々とコピペしてしまったが、このようにがんと向き合ってみると、がんになっても仕方が無い。やはり自分もか・・・と思うかも??

しばらく立花隆の世界に浸ってみようかと思う暑いお盆のこの頃である。

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2026年8月 5日 (水)

「保阪正康が語る昭和人物史」の「ジャーナリスト 立花隆」

いつもPCで録音しておいた「保阪正康が語る昭和人物史」(NHK AM土曜昼0時15分~)を聞いている。
先日放送された「ジャーナリスト 立花隆」が印象に残ったので挙げておきたい

<保阪正康が語る昭和人物史 ジャーナリスト 立花隆 第1回>(2026/7/4放送)

ジャーナリストの立花隆は、昭和15年に長崎市で生まれ、東京大学を卒業後文芸春秋社に入社。2年半で退社し、その後はフリーのライターとして様々な仕事をします。平成23年8月にBSPで放送された「100年インタビュー」の前半では、政治運動家・橘孝三郎のいとこで、戦後出版業を営んでいた父親や、哲学的なテーマで議論をしてくる母親、さらにフリーになってから取り組んだテーマ、取材の仕方などについて語っています。ここより)

<ジャーナリスト 立花隆 第2回>(2026/07/11放送)

立花隆は昭和58年(1983年)に出した「宇宙からの帰還」がベストセラーになり、その後も「生命」や「脳」に関して取材をすすめます。平成23年8月BSP放送「100年インタビュー」の後半では、科学が発展し情報量が爆発的に増える中で、人間はどうすればいいか語っています。「人類」「ヒト」など、大きな視点から考える稀有な著述家として、未来を考える時、社会全体の知識量を増やしていくことが大事だ、と訴えます。ここより)

<ジャーナリスト 立花隆 第3回>(2026/07/18放送)

立花隆が「田中角栄研究」を発表したのは昭和49年。そしてロッキード事件が発覚したのが昭和51年(1976年)。今年はロッキード事件から50年の節目の年になります。平成8年7月に教育テレビで放送された「NHK人間大学『田中角栄研究』が切り開いた世界」の前半では、自らが切り開いた「調査報道」について詳しく語り、この手法によって政治家・田中角栄の人脈や資金の流れに鋭く切り込んでいったことを語っています。(ここより)

<ジャーナリスト 立花隆 第4回>(2026/07/25放送)

立花隆の著作「田中角栄研究」は、田中金脈問題を明らかにし、大きな反響を呼び、首相退陣のキッカケになりました。平成8年7月に教育テレビで放送された「NHK人間大学『田中角栄研究』が切り開いた世界」後半では、立花が解明した田中角栄の人脈や資金の流れについて詳細に語っています。また時の政府を動かす「調査報道の手法」がアメリカでは“マックレーカー”と呼ばれ、報道人への褒め言葉になっていると話しています。ここより)

「知の巨人」と言われた立花隆。あまりにも有名な人だが、その人の作品を実は自分は1冊も読んでいない。
しかしTVなどでは立花隆の出演した番組を色々と見たこともある。ふと思い出すと、何かの番組で「大量の本を読んでいるが、最初と最後だけ読めば分かる」と言っていた。それが氏の知のインプットの極意か?

司馬遼太郎も大量の本を読んで頭に入れ、頭で消化し、それを元に小説の文字が出てくるという。書いている机のそばに、一切の本や資料は置いていないという。
やはり頭の構造が普通の人とは違うのだろう。

話は飛ぶが、自分の司馬遼太郎の読破?も終盤戦に差し掛かっている。出来もしないのに全部読むぞ!と意気込んではみたが、まあまあそれなりには読んだ。
メモを見ると、2022/07/24に「国盗り物語」から読み始めて(ここ)、今日現在249冊目を読んでいる。

あと30冊ほどあるが、もうすぐシバリョウも卒業。その後は、立花隆も読んでみるか?
とりあえず、「田中角栄研究」は手に入れた。しかしこの記事は1974年11月号だという。
もう半世紀も前。今読んで、フィットするかどうか?
Img_93021 それと「宇宙からの帰還」「臨死体験」「がん 生と死の謎に挑む」などのタイトルは興味をそそる。
特にがんについては、左の保阪正康の記事によると、自身の膀胱がんについて、「検査、治療、リハビリ当を拒否したことを知った」とあった。

wikiにはこんな解説もある。
「抗がん剤専門医の集まる「がん治療学会」から依頼された講演では、抗がん剤の延命効果があったと有効性を伝える講演が続く中、冒頭から「私は全然頑張るつもりがないがん患者です。QOLを下げてまで数ヶ月の寿命を延ばしたくはない」と発言。番組の放送前には、絶望的な内容を放送して良いのかとNHK内部で議論になった。番組の最後で立花は、「人には死ぬ力がある、死ぬまで生きる力がある。そのことががんを克服することではないでしょうか」と言った。この発言に対しては、その反響の多くは「勇気づけられた、決意ができた」というものであったという。」

今からでも、「がん 生と死の謎に挑む NHKスペシャル」(2009年放送)という番組を見たいと思ったが、運良くDVD付の中古本が手に入りそう。
司馬遼太郎が終わったら、少し立花隆に凝ってみようかと思う、酷暑の日々ではある。

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2026年7月28日 (火)

イオン八王子滝山・・・

今日は、夕方4時半に発生した熊本の震度7の地震で、TVは大騒ぎ。高速道路は落ち、神社は崩壊。なかでも6時頃に発生した「イオンモール熊本」の爆発による崩壊で、TVからはイオンモールの名前が連呼されている。
建物の崩壊状況から見ると、相当な被害がある模様で、心配。

おっと今日は、ちっちゃな「イオン八王子滝山」の話。
このイオンは2026年6月26日にグランドオープンしたものだが、一か月経って、そろそろ空いたかな?と思って、八王子に行った帰りに寄ってみた。

振り返ってみると、「八王子にイオンモールが出来る!?」という記事を書いたのが2008年12月23日だった(ここ)。以来17年半。
以来何度か記事を書いた。「八王子・イオンモールがいよいよ着工~2016年3月オープン」という記事を書いたのが2013年4月24日(ここ)。以来13年。
その時に新聞には「駐車場台数は平面駐車場も合わせて計3500台。店舗面積は約5万㎡となっている。」とあり、店舗は自分がよく行っている「イオンモール多摩平の森」130店舗の2倍、駐車場は3.5倍の規模とのことだった。

それが、蓋を開けてみれば店舗数22、駐車場は390台。名称も「イオンモール八王子インター北」から「モール」が取れて「イオン八王子滝山」。
バッカにすんな!と「X」には不評とガッカリの投稿ばかり。
それで、自分もまったく行ってみる気がせず放っておいたのだが、たまたま今日はその前を通ったので、「一度位は・・・」と、ちょっと寄ってみた、というワケ。

「South」エリアに行ってみたが、中央に小さな広場。その周囲に店舗の建物が点在。

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イオンシネマだけは10のスクリーンがあって、まあまあ。昔たまに行ったMOVIX昭島は、12。
シネマの階に行ってみたが、広く、まともなのはここだけ。

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それ以外は、ペット屋さんばかり?の雰囲気。
食べるところも、ラーメン屋と焼き肉屋、そしてロイヤルホストしかないので、ロイヤルホストに入ってみた。ここだけはちょっと混んでいたが、平日の昼なので、もちろん駐車場もどこもガラガラ。
たぶん「X」で皆が書いているように、一度は行ってみるが、特別な映画を見に行く人以外は2度と行かないのでは?と、やはり自分でもそう思う。
カミさんが、8月に封切りの映画を見たいというので、その時にまた行ってみるつもりだが、まあ「X」での皆の評価通りの「イオンモール」ではない「イオン」だった。

でも経営的に考えると、これが正解なのだろう。ここに「イオンモールむさし村山」や「イオンモール日の出」のような、当初計画の大規模モールを作っても、たぶん人は集まらなかっただろう。「多摩平の森」の駐車場990台も、いつも上の階はガラガラなので。

それにしても、期待してから17年。八王子市民を裏切った「イオン」ではある。
ま、道路の渋滞を引き起こさなくて良かった!けどね(^o^)

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2026年7月15日 (水)

公正証書遺言を作った話

先日、近くの公証役場で公正証書遺言を作った。
今日は、そんな体験談。

あと1ヶ月で親父の30年目の命日。
そろそろ自分も、親父が亡くなった80歳に近付きつつある。そんなこともあり、自分の死んだ後の事を考えるようになった。
3年ほど前に一度盛り上がって、遺言の下書きを作ってみた。そして2年ほど前に市の司法書士の無料相談に行って、その下書きを見て貰った。
まあ、特に後見人についてなど、色々あった。
それで、取りあえず手書きの遺書をカミさんと二人で書いて、金庫の中にしまっておいた。

それから放ってあったのだが、新聞などで制度の改定などの変化があったのを知り、またアクションを起こしてみた。

同じ市の公証役場に電話。「Netなどで、公正証書遺言を作るとき、メールでやりとりが出来るとあったのですが?」「残念だが、当公証役場では対応していません。近くの他の役場に問い合わせたら、やってくれる所があるかも知れません。当役場では、予約が2ヶ月先まで埋まっており、そこから公正証書が出来上がるまでに2ヶ月ほどかかります。」とのこと。
それで近くの別の公証役場に電話で聞いてみた。するとメールのやりとりがOKとのこと。メールで必要書類を送ってくれたら、対応すると言う。

「日本公証人連合会」(ここ)というHPにその手続きが詳しい。

そこに必要な書類の一覧があるので、その書類のPDFと一緒に、前に作った遺書の下書きを付けて、「夫婦の公正証書遺言を作りたい」とのメールを打った。
すると翌日に早速携帯に電話があった。
「大体分かった」とのことで、こちらの意図を説明した。すると下書きを作って送ってくれるという。その3時間後に、早速下書きが届いた。
なるほど。プロによると、下書きがこうなるのかと感心。
「思い」の付言は、本人が書けというので、夜にその案を送る。するとその翌々日に修正案が届き、その翌日には完成。メールを初めて打った日から完成まで4日。
その後、「キャンセルが入ったので、もし対応出来れば3日後の*日に、対面が出来るが・・・」とのメールが入り、ちょうどアクションを起こしてから10日目に、公証人と対面して、サイン・完成・登録が出来た。

その過程で知ったことを書いてみる。
・遺言は全て手書き、からWORDでも良い。に変わったのが25年10月(下記動画参照)。それで、メールでのやりとりが可能になったらしい。
・実際に会ってみると、公証人さんは、元弁護士さんだった。2年ほど前に公証人に就任したので弁護士を引退されたらしい。
・この公証人さんは、PCを自由に操っていたので、もしかするとメールでのやりとりが出来ない、という公証役場の公証人さんは、PCが苦手なのかも?
・自分が勝手に書いた遺言書が、プロの目でチェックして、ちゃんとした公正証書遺言として案が送られてくるので、とにかく安心。
・証人の2名は、役場で紹介して貰える。実際には「公益社団法人家庭問題情報センター」という組織の方で、家庭裁判所の調停員をされていた方とか。お礼は、遺言書一人6000円、夫婦同時だと9000円の2名分。直接現金での支払。今回は18千円だった。
・言うまでも無く、遺言には自筆証書遺言やその保管制度も出来て、家裁での検認を省略する事も出来るが、その利用者数は、公正証書遺言の5~6分の1程度だという。やはり公正証書はその有効性をあらかじめ確認できるので安心。
・しかし、公正証書遺言はそれなりに費用はかかる。しかし、検認のために相続者が地方から集まる費用と手間や、遺書が無い時に故人の銀行口座解約のために必要な遺産分割協議書を司法書士に頼んだときの費用などを考慮すると、決して高くない。
・銀行の解約手続きの時は、公正証書遺言、故人の除籍謄本、執行者本人の印鑑証明があればOKらしい。法定相続情報一覧図も不要らしい。これは執行人にとって楽だ。
・下記の動画(ここ)のように、その場で全員が電子署名をして、番号を取り、サーバー?にアップする。それで100年は保管されるという。

今回の自分の目的は、遺言執行人に手間を掛けさせたくない。そのために事前にやっておくことは?だった。
生老病死。この先、自分に重い病気が見付かった時には、たぶん気力が無くなる可能性もあり、元気な今のうちに出来ることは・・・?は、とりあえず終わった。
この先、何年生きるか、そして財産も幾ら残るかは分からないが、銀行に塩漬けの「死んだ金」を何とか「生きた金」として使えると良いな・・・と思う80歳前の老人ではある。

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2026年7月12日 (日)

成城石井のソーセージで食中毒!

いやはやこんなひどい下痢は、生まれて初めて!
先日、食中毒で七転八倒。

7月6日だった。昼に近くの駅ビルに買い物に行き、ヴェトナム料理店でランチ。地下のスーパーで買い物をして、帰りがけに成城石井でお気に入りの「ミックスソーセージスライス」(賞味期限7月18日)を買って帰った。
夕食は、そのソーセージとスーパーで買ったエビ天丼。

いつもの夜。夜中0時半。ベッドに入って寝る用意。
すると突然の便意。トイレに行って2階ほどゆるい下痢。それから15分後、「ウッ!」となってトイレに駆け込もうとするが、間に合わない。何と(尾籠な話で恐縮だが)便座や周囲の床、壁に水様便を撒き散らした。
何と、ベッドから便座までは隣の部屋なので10歩ほど。それが間に合わない。
トイレの掃除をしなければ、と階下に降りてバケツに水を入れて掃除の用意。それからベッドで少し寝ていると、また「ウッ!」。
トイレに駆け込むが、今度は10歩どころか。4~5歩で爆発。廊下に撒き散らしたので、仕方なくバケツに尻を突っ込んで水様便。
いやはや、恥も外聞も無い。

さすがにカミさんの部屋に行って「助けてくれ~!」とSOS。

下痢と同時に吐き気。自分は体験上、吐き気がするときは吐いてしまった方が楽になる。それで午前2時半、吐く。
そしたら楽になって小康状態に。
そして何とか朝まで眠ったら、復活。

知らぬが仏。翌7日の朝は朝食を抜いたが、10日、11日の朝は、いつものように、トーストパンにこのソーセージを置いて、美味しく食べた。
そして11日の昼過ぎ、Yahoo!ニュースで「成城石井 自家製ソーセージに腐敗の恐れ 約8000点を自主回収」という記事を見た。
写真を見て、まさに「原因はこれだ!」と!!

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曰く、
成城石井 自家製ソーセージに腐敗の恐れ 約8000点を自主回収
7/11(土) 9:54配信
成城石井は自家製ソーセージの一部商品で腐敗の恐れがあるとして、およそ8000点を自主回収すると発表しました。
260712seijyo 自主回収の対象は「MIXソーセージスライス」など先月27日からきのうまでに全国の成城石井の店舗やオンラインショップで販売された自家製ソーセージ3品目、7811点です。

「腐敗しているのではないか」との問い合わせが2件あり、調査したところ、加熱後の温度管理に不備がある可能性が高いことなどが判明しました。

この商品などを食べた男性が腹痛を訴えましたが、既に回復したということです。

テレビ朝日報道局」ここより)

成城石井のHPを覗くと、
「プレスリリース 2026.07.10
商品回収のお詫びとお知らせ

この度、弊社にて販売いたしました自家製(弊社セントラルキッチン製造)の「MIXソーセージスライス」の一部において品質不良が発生していることが判明いたしました。ただちに当該商品を店頭から撤去しましたが、既に販売された商品がございます。お客様の安全確保に万全を期する260712ishii ため、当該商品および共通の原料を使用している「フライッシュケーゼ 粗挽き」「7種ソーセージスライス オードブルパック」を自主回収いたします。

当該商品をお買い求めのお客様におかれましては、レシートまたは当該商品のご提示、もしくはご購入履歴の情報を頂戴いたしまして、商品代金を返金させていただきます。大変お手数ではございますが、お近くの店舗スタッフまでお申し出いただきますようお願い申し上げます。

この度の事態を厳粛に受け止め、商品管理、販売体制を一層強化し、再発防止に努めてまいります。お客様には多大なご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます。


■対象商品
・商品名①:MIXソーセージスライス
商品コード:4953762151120
・販売期間:2026年6月27日(土)~2026年7月10日(金)
・販売個数:3,368個
・賞味期限:26.7.10~26.7.16
・販売価格:755円(税込) ※返金させていただく金額
・・・・」ここより)

夕方にはフジテレビのニュースも、
成城石井が「MIXソーセージスライス」など3商品を自主回収 菌付着で腐敗の可能性 約8000個販売 健康被害は確認されず
7/11(土) 17:10配信
腐敗している可能性があるとして成城石井が自家製ソーセージの一部を自主回収です。

260712seijyo1 スーパーマーケットの成城石井は自社で製造し、販売していた「MIXソーセージスライス」を自主回収することを発表しました。

原材料を加工する際か包装の段階で、何かしらの菌が付着した可能性があるため、としています。また、同じ原料を使用していた別の2商品「フライッシュケーゼ 粗挽き」「7種ソーセージスライス オードブルパック」も自主回収するとしています。

これらの商品は、6月27日から7月10日までの間に全国の店舗とオンラインであわせて、7811個販売されていて、回収の対象となるのは7月16日までに賞味期限を迎えるものだということです。

今のところ健康被害は確認されていないとしていますが、成城石井は、レシートなどを提示すれば最寄りの店舗で返金対応を行うとしています。

「問い合わせ先」成城石井お客様相談室 0120ー141ー565
(受付時間 平日10:00〜17:00 ※11日(土)及び12日(日)は受付を実施)

フジテレビ,経済部」ここより)

すぐに成城石井の「お客様相談室」に電話。すると丁寧に状況を聞き取って、近くの販売店から現品を引き取りに来るという。
そして1時間半後に、玄関でピンポーン。
タクシーで乗り付けた成城石井の人が引き取りに来た。
自分が話した下痢の状況は、テキストで社内に流れているらしく、「読んでビックリした。既に担当者がこちらに来ているので、直ぐに調査して報告する」と言っていた。

さてここからが本題だが、食中毒の不思議である。
実は最初に食べた6日の夕に、自分は2枚、カミさんが1枚食べたはず。しかし、カミさんは発症せず、ケロリ。
昔、会社の社員食堂で食中毒が発生したとき、やはり発症した人と発症しなかった人がいて、人によって違うことは知っていた。
ChatGPTに聞くと、原因として「食べた菌や毒素の量が違う」「体の抵抗力の違い」「胃酸の働きの違い」「腸内細菌の違い」「その日の体調」が挙げられていた。
カミさんと比べると、自分は胃酸を抑えるタケキャブという薬を飲んでいるので、そのせいかも知れない。
それにしても回収対象が8000点とは多い。その中で、どれくらいの商品が汚染されていたかは分からないが、自分同様の劇症が多数居たことは確かでは無いか?

プレスリリースを見ると「賞味期限:26.7.10~26.7.16」とある。しかし自分が当たったのは「賞味期限 7月18日」。何か変だが今調べているのだろう。
そしてどんな菌がいたのかはそのうち分かるだろう。

上のニュースによると「「腐敗しているのではないか」との問い合わせが2件」とあるが、先に書いたように、自分は違和感をまったく感じなかった。少しでも腐った臭いがしたら疑ったかも知れないが、連日おいしく食べてしまった。
そして、またもや下痢。知らぬが仏・・・ではある。

しかし体は抵抗力が付いて行くようで、連日食べても下痢はあったが、最初の劇症は無かった。
そしてこのニュースを知ってから食べるのを止めたのだが、今さらながらこれらのニュースは貴重だと思った。
知ったときにまだ5枚ほど残っていたが、もし知らなかったら、下痢をしながら全部食べていたところだった。

まあ原因が分かってある意味安心したが、今までに人生で何度か食中毒も経験したが、今回のは「便座までたどり着けなかった」という苦い経験になった。
「これからは気を付けよう」なんって言っても、気を付けようが無い食中毒ではある。

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2026年6月 2日 (火)

菅原洋一の「愛のフィナーレ」~92歳で逝去

菅原洋一が92歳で亡くなったという。

歌手の菅原洋一さん 悪性リンパ腫のため死去 92歳 「知りたくないの」「今日でお別れ」が大ヒット

260602sugawara 歌手の菅原洋一(すがわら・よういち)さんが5月31日午前9時26分、都内病院で悪性リンパ腫のため死去した。92歳。日本歌手協会が2日、発表した。

 「日本歌手協会の会員で日本歌手協会の理事や常任理事をつとめ現在、顧問職にある菅原洋一さんが、2026(令和8)年5月31日午前9時26分、都内病院で悪性リンパ腫のため、その人生にピリオドを打ちましたことを、ここに謹んでご報告いたします。92歳でした」と発表。本人、遺族の希望により、家族葬を執り行ったという。現在は「お別れの会」は予定していない。

 菅原さんは今年の4月6日まで東京・上野のライブ会場でコンサートを開催。代表曲の「知りたくないの」や「忘れな草をあなたに」をはじめ、シャンソンの「さよなら」「マイ・ウェイ」など11曲を力強く歌い上げ、生涯現役を全うした。

 菅原さんは1933年8月21日生まれ、兵庫県加古川市出身。国立音楽大学を卒業後の58年、タンゴバンド「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に入団し、タンゴ歌手として歌手デビューした。67年に「知りたくないの」が80万枚突破の大ヒットを記録。その年の第18回紅白歌合戦に初出場し、88年まで連続22回出場した。68年には「誰もいない」で第10回日本レコード大賞歌唱賞、70年には「今日でお別れ」で第12回レコード大賞を受賞した。その他の代表曲に「愛のフィナーレ」「忘れな草をあなたに」「愛の嵐」など。19年には文化庁長官表彰。22年には日本歌手協会第1回名人賞を受賞した。」ここより)

菅原洋一の代表曲「今日でお別れ」については(ここ)で書いた。

自分にとって、若いときからよく聞いた歌手。上の記事でも書いたが、入社した数日後に買ったLPが菅原洋一であり、「芽生えてそして」などを聞くと、横浜の寮の部屋を思い出す。
もちろん菅原洋一の歌は当サイトでも何曲か挙げた。まだ挙げていない歌で「愛のフィナーレ」を今日は聞いてみよう。

<菅原洋一の「愛のフィナーレ」>

「愛のフィナーレ」
  作詞:なかにし礼
  作曲:宮川 泰

恋の終わりは 涙じゃないの
それは思い出の はじまりなのよ
知っていました 別れはくると
だからいいのよ いいわけなんか
誰にも負けずに 貴方を愛した 私なの
今ではひたすら 貴方の幸せ祈るだけ
恋は消えても 残る思い出
指でかぞえて 私は生きる

思えばはかなく短い月日の 恋でした
くやんでないから 私は言えるのさよならを
愛の思い出 貴方がくれた
ひとりぼっちの 私のために

別の編曲もある。

<菅原洋一の「愛のフィナーレ」>

そして先日は作詞家の橋本淳も亡くなった。
作詞家の橋本淳さんが肝硬変で死去、86歳 ブルー・ライト・ヨコハマなど昭和の音楽界をけん引

 「ブルー・ライト・ヨコハマ」などを手がけ、昭和の音楽界をけん引した作詞家橋本淳(はしもと・じゅん)さん(本名与田準介=よだ・じゅんすけ)が5月21日午前8時25分、肝硬変のため東京都港区の病院で死去した。86歳。東京都出身。告別式は近親者で行った。喪主は長男で、MISIAらを手がけた音楽プロデューサー与田春生(よだ・はるお)さん。
 与田さんは日刊スポーツの取材に応じ、橋本さんの近況を説明した。昨年4月に肝臓がんが判明。治療の結果、体調は回復したが肝硬変となり、年明けから入退院を繰り返した。死去の前日には妻や親族らと楽しいひと時を過ごしたという。人柄について「頑固で偏屈な昭和のオヤジです。でもとても話が上手で面白い。その温かい人柄もあって友人に恵まれた人生でした」としのんだ。

 橋本さんは父親が児童文学者(童謡「ことりのうた」を作詞の与田準一さん)だった影響もあって小説家を目指していたが、青学大在学中に作曲家すぎやまこういちさんと知り合い、独学で作詞を始めた。

 1966年(昭41)に藤浩一らが歌った「黄色いレモン」以降は青学高・大学の1年後輩だった作曲家筒美京平さんとのコンビでヒット曲を連発。いしだあゆみ「ブルー・ライト-」のほか、野口五郎「青いリンゴ」、郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」、小泉今日子「半分少女」などを世に送り出した。

 グループサウンズの代表的作家としても知られ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」は67年の日本レコード大賞に輝いた。

 時代に寄りそうヒットメーカーとして走り続け、アイドルソングからアニメ主題歌まで幅広いジャンルの約2000曲を作った。」ここより)

橋本淳については昨年「ラジオ深夜便で、作詞家 橋本淳の話を聞く」(ここ)という記事を書いた。
まさに学生時代を思い出す人の数々。

だんだんと、良く知った名前の方の訃報を聞く。

生老病死。仕方が無いことではあるが、まさに生涯現役を張った菅原洋一の「愛のフィナーレ」ではある。

★当blogを始めてちょうど20年になった!なんと!!!

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2026年5月30日 (土)

アガサ・クリスティーに凝り出した

このところ、アガサ・クリスティーに凝り出している。
発端は、NHKのBS4Kで「そして誰もいなくなった」というドラマを見たこと(2026/05/11~25放送)。
恥ずかしながら、自分はアガサ・クリスティーを読んだことは無い。しかし「そして誰もいなくなった」とか「オリエント急行殺人事件」とか「ナイルに死す」なんていう名前だけは知っていた。たぶん映画などの題を目にしていたのだと思う。

2年ほど前、「松本清張のお墓に行く」という記事を書いたが、そのときコメントで、KeiichiKodaさんからアガサ・クリスティーの事を聞いた(ここ)。
KeiichiKodaさんが、アメリカ滞在中にアガサ・クリスティーを原書で60~70冊読んだと聞き、さすがにこの作家に興味が湧いた。
それでそのときに「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」「ABC殺人事件」という3冊を買ったのだが、つい後回しになって、本棚に眠っていた。
それを今回のドラマを見て、原本を読む気になったというワケ。

実は、そもそも自分は海外の作品が苦手。とにかく名前がカタカナで長い。誰が誰だかワケが分からなくなってしまう。それでずっと敬遠していた。
思えば、高校時代に「ジャン・クリストフ」や「魅せられたる魂」「ジェイン・エア」などを読んだことがあり、今も記念に取ってある。それ以来、読んだことは無いのでは?

昔チャレンジした吉川英治の「三国志」も同じ。あまりに登場人物が多いので、挫折!
しかし、今は時代が違う。Netでググると、映画の人物相関図などが出てくる。wikiにも登場人物の解説が詳しい。
映画やドラマを先に見て、写真付きの人物相関図をそばにおいておくと、自分でも付いて行ける。
それで最近凝り出した。ということ。

アガサ・クリスティーの人気作品をググってみると、やはり「そして誰もいなくなった」が断トツ。それで自分も人気順に片付けることにした。
260530soshitedaremo まずはBBCのドラマ。ついでにAmazonで1945年の古い映画も見た。そして本を読んだ。それぞれスジが少し違うが、まあこんなものだろう。
感想は、なるほど!!

そして2冊目として「オリエント急行殺人事件」を読んでいる。
これは前に映画を見た。改めて見てみたいが、残念なことに録画を消したようで、レコーダーに残っていなかった。しかし、Amazonで見られるので、それで復習しながら、読んでいる。
これもNetに人物相関図があるので、有り難い。(写真はここなどから借用)

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アガサ・クリスティーは、長編小説は66作品、短編は153作品とか。さすがにこれらを全部読むわけにはいかない。
とりあえず5冊買ってみたが、それ以降はまた考えることにしよう。

それにしても、NHKでアガサ・クリスティーはたくさん放送されている。
「名探偵ポワロ」や「ジョーン・ヒクソンのアガサ・クリスティー ミス・マープル」など、今後6月1日に放送される「アガサ・クリスティー 殺人は容易だ」などの単発モノ以外に、連続モノの放送もあるようだ。
もちろんこれらは、過去に放送されたものの再放送。当時は全く興味が無かったが、今回は連続して録画している。
ある程度溜まったら、一気に見よう・・・

ひょんな事で、ハマり始まったアガサ・クリスティーではある。

(関連記事)
松本清張のお墓に行く 

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2026年4月30日 (木)

82歳小椋佳の話「小椋佳的生き方」

NHKラジオ深夜便で、「明日へのことば「小椋佳的生き方」シンガーソングライター 小椋佳」(2026/04/30放送)を聞いた。
引退とか生前葬とか言いながら、相変わらずの小椋佳”節”で楽しかった。

<NHKラジオ深夜便「小椋佳的生き方」小椋佳」>82歳(2026/04/30放送)

小椋佳の事は当サイトに何度も書いているが、その歴史を振り返ってみると、最初に書いたのが「「小椋佳」との出会いと別れ」(ここ)という記事。
2006年7月 1日なので、もう20年も前だ。ここにも書いたが、「彷徨」というレコードを買ったのが1974年8月29日。
自分にとっては歴史的な日?
以来聞き続けているが、御年82歳だという。
色々な病気に見舞われながらも、何とか現役を保っている。数日前のNHKのTVでも歌っていた。
しかし、上の話の通り、体に悪い物の中毒で、タバコやコーラは、もう死んでも止めないらしい。
まあ、ここまで来ると悟りの境地?

指揮者などの音楽家は、長生きの人が多いという。理由は好きなことが仕事だから?
しかし歌手は声という肉体を使うので、そうはいかない。
何度も書いているが、歌手は誰も若いときの方が声が良い。
自分の好きな歌手、例えばさだまさしとか井上陽水とか、最近のTVやCDで聞くときの声に比べて、若いときの録音の声の良いのにハッとする。
残念ながらこの小椋佳も同じ。しかし、完全に引退してしまって、姿を見せないことに比べると、いくら若いときのような声が出なくても、例え歯がボロボロでも、その姿をTVなどで見ると、元気が貰えるのは有り難い。

前に、小椋佳の日経の「私の履歴書」について、(ここ)に書いた。
この小椋佳の人生日記の全文が本になっていないのは残念。
それにしても、素人にして、2000曲あまりの歌を作り、他の歌手や社歌などに提供したのが300曲あまりだという。そんな小椋佳の「話声」も録っておきたい。
そんな意味で、NHKラジオ深夜便で放送されて、自分が持っている音源を下記に挙げておく。

<【謎解きうたことば】「小椋佳・前編」金田一秀穂>74歳(2018年8月25日放送/2026年4月9日再放送)


<【謎解きうたことば】「小椋佳・後編】金田一秀穂>74歳(2018年8月16日放送/2026年4月10日再放送)

前に(ここ)で挙げてあるが、もう一度下記に挙げる。

<NHKラジオ深夜便「歌手引退・もういいかい 小椋佳」>77歳(2021/08/19放送)

体がボロボロでも歌い続ける小椋佳。
80代と言わず、90歳になってもこんな楽しい対談をまた聞けることを祈りたいものだ。

●メモ:カウント~1480万

(2026/06/30追)
kmetkoさんからの提供による2026/06/24付「日刊ゲンダイ」“悩みを解いてくれたたばこの煙 小椋佳さん82歳”の記事です。
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«エアコンを「価格コム」と「くらしのマーケット」で取り替えた話