« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »

2019年9月の14件の記事

2019年9月30日 (月)

NHKの「4Kでよみがえるあの番組」~「シルクロード」

先日(2019/09/28)、NHKのBS4Kの「4Kでよみがえるあの番組」で、待望の「シルクロード」の一部(第2部第15集)が放送された。NHKの紹介ページはこうある。
「シルクロード 第2部 第十五集▽キャラバンは西へ
1980年代に放送されたNHK特集「シルクロード」が4K映像に。今回はシリアを旅した「キャラバンは西へ」。破壊されたパルミラ遺跡の在りし日の姿がよみがえる。

190930silkroad 中国の長安から、イタリア・ローマまでおよそ1万3千キロ。悠久の歴史が刻まれたシルクロードの旅が、最新のデジタル技術で、4Kの鮮やかな映像に生まれ変わった。今回お送りするのは1984年に放送された第2部第十五集「キャラバンは西へ~再現・古代隊商の旅~」。いまは激しい内戦下にあるシリアが、平和だったころの人々の暮らしや、破壊された世界遺産・パルミラ遺跡の在りし日の姿が4Kの美しい映像でよみがえる。」(NHKのここより)

言うまでも無く、NHK特集「シルクロード」は1980年から1984年までかけて、長安からローマまで旅したドキュメンタリー番組。喜多郎の音楽もその時に知った。

BS4Kが始まり、「4Kでよみがえるあの番組」というコーナーで「新日本紀行」が始まった。昔のフィルムを今の4Kでよみがえらせたもの。
この時から、「シルクロード」の4K番組の放送を期待していたが、その一部ではあるが今回の「シルクロード第2部」の放送で、期待通りの4K化が進んでいることを知った。

昔のオリジナルの16mmフイルムからの4K化は、音楽の世界のハイレゾ化と全く同じ。
音楽のハイレゾは、昔のアナログテープからの音源化。デジタル(CD)化された後の音源では、既に帯域が決まっているので、ハイレゾ化は不可能。
同様に、TVの世界も、NTSCの規格でVTRに撮ったものは、それ以上の高画質化は不可能。しかし元がフイルムだとアナログのため、そのフイルムには4Kに値する情報が入っている。だから4K化が可能。

同じ手法で、デジタルリマスター化された「シルクロード」が放送されたのが、2005年だった。そして「第2部」が放送されたのが2007年。以来10年余・・・。
世は4KHDR時代。当然、「シルクロード」も「4Kでよみがえるあの番組」の最有力候補だと思っていたが、案の定である。

改めて観た第2部だったが、画質だけでなく、音質も素晴らしかった。石坂浩二のナレーションと同時に、喜多郎の音楽の素晴らしさを改めて認識した。

今回NHKで、4K化の作業がどの程度進んでいるのか分からないが、12+18の全30作品が4K化されることは確実。当然、4K化された全作品が放送されるだろう。それがいつか・・・が問題。

今の4Kの録画体制(我が家)では、HDDに録画するだけ。4KチューナーやHDDが壊れたりしたらオシマイ。故に4K版「シルクロード」が放送されるまでに、何とか4Kブルーレイディスクに録画出来るようにしたいところだが、さてどうだろう。

ふと、「あとでゆっくりと観るため」に4Kディスクを作ったとしても、それを"後から観る”前に自分の寿命が尽きて死んでしまうのではないか・・・と気付いてしまった。
そう。既に「そのうち」の後があまり残されていないのである。そのことにハッと気付いて、今さらながら愕然としている自分なのである。
何せ、「シルクロード」は初放送から40年・・・。当時とは自分の年齢が違う・・・
たぶん今の若い人にとっては骨董品的な作品。でも、この番組は、NHKの歴史的遺産なのである。4Kでの全編放送が待ち遠しい・・・。

●メモ:カウント~1240万

| コメント (5)

2019年9月28日 (土)

「ありそで、ないもの」番付~半藤さんが骨折!?

先日、朝日新聞の土曜版でこんな記事を見付けた。

(歴史探偵おぼえ書き)相撲改革、四本柱の思い出 半藤一利
 大相撲九月場所も二十二日が目出たく千秋楽。寄る年波で東京場所になっても見物に行かなくなったが、その昔はこれでも大の字のつく相撲ファンであったのである。
190928sumouhashira  それで、戦前の、子供のころ両国国技館へいって、双葉山、玉錦時代の大相撲をみた記憶では――と、少々得意になって書くのである。土俵の四隅には、黒、青、赤、白の布の巻かれた四本柱が立っていて、それらが神明造りの大屋根をガッシリとささえていた。この土俵風景を、その目で見た人は少なくなったであろう。
 それが、戦後も一九五〇年代に国技館に久しぶりに出かけたときには、もう四本柱はとっぱらわれていたではないか。かわりに黒、青、赤、白の房が、天井からつるされた屋根の四隅にぶら下がっていた。初めてこの四本柱なき土俵を眺めたとき、何となく威厳に欠ける気が大いにした。が、しばらく取組を楽しんでいるうちに、なるほど、このほうが見やすいわい、とあっさり合点してしまった。
 それで調べてみたのである。この思いきった改革(?)を英断したのが、武蔵川親方であると知った。昭和二十七年(一九五二)九月のこと。古いしきたりを守りたがる親方たちを説得しての、四本柱廃止であった。
「そのほうがお客に喜んでもらえるから」と。
 実は、そのウラにNHKのテレビ中継の話があったらしい。事実、テレビの放映開始は翌二十八年の夏場所からなのである。四本柱をとっぱらったことが大成功となったのはもちろんである。今はテレビ桟敷で老骨は大いに楽しませてもらっている。
 このように改良の容易でない相撲界で、とにかく綿々として保ちつづけられているものの一つに番付がある。諸説があるらしいが、今の形になったのは宝暦七年(一七五七)の十月場所。これが正しかろうと思っている。そして勝負の星取表ができたのは宝暦十一年十月場所。
 なんていかにも相撲通らしい書きっぷりはこれでやめるとして、話を脱線させる。この相撲番付に発して、この世にはさまざまな面白い番付がつくられている。「広告批評」の特集にあったコピーライター土屋耕一氏作るところの「ありそで、ないもの」番付。これがすこぶるおかしい。

〈東〉
・横綱 当りクジの予感
・大関 宇宙人の観光客
・関脇 象の血圧計
・小結 ミッキーマウスのヘッドホン

〈西〉
・横綱 埋蔵金のお告げ
・大関 ゴジラの化石
・関脇 蛇の身長計
・小結 魔法使いのおじいさん

 ページの関係で引用がほんの一部なのが残念である。」(2019/09/21付「朝日新聞」b4より)

「ありそで、ないもの」番付が何とも可笑しい。“ページの関係で引用がほんの一部”とあったので、いつものように、この出典元をNetでググってみたが、何もヒットしなかった。これ以上の情報(番付)は、半藤さんに聞かないと分からない。

実は土曜日のこの記事、最近知って読み出したもの。それで、毎週楽しみにしていたのだが、何と先日、半藤さんの筆が終わるというお知らせがあった。残念。

半年の予定だったのかな?と思っていたら、今日の最後の稿にこうあった。
(歴史探偵おぼえ書き)じゃあ、そんまそんま 半藤一利
 松尾芭蕉の高弟・宝井其角の句にこんなのがある。
 ・十五から酒をのみ出てけふの月
 すこぶる気に入っている句であるが、それにしても、酒をのみ出したのが十五歳とは!? ずいぶんと「遅かりし其角どの」といいたくなってくる。なぜなら、呑(の)んべえおやじの晩酌につき合わされ、私が万病の薬をのみ出したのは小学校一年生のとき。
「坊、お前も小学校に無事入学したのだからもう大丈夫。いっぱいつき合え」
 といわれ、コップいっぱいのビールをゴクゴクとやってみた。にがかったが、うまかった覚えがある。
「おお、いいのみっぷりだ。お前はきっと大物になるな」
 と、おやじはひとりで悦に入っていた。
 いらい八十有余年。もういっぺん酒仙ともいえる其角俳句をもちだせば、「酒を妻妻を妾(めかけ)の花見かな」といった調子で、盃の上に盃を重ねてオダをあげてきた。槍(やり)でも鉄砲でも持ってこい、女房なんて怖かあないや! と、阿呆(あほう)の限りをつくし、というほかはないわが生涯である。
 さて、ある夜、きれいな秋の月の光を浴びながら、年齢(とし)を忘れてかなり千鳥足もいいところで、シェークスピア『アントニーとクレオパトラ』第二幕、船の甲板上の宴会の場での歌

 バッカス、お前の酒樽(さかだる)に
 心配苦労はどんぶらこ
 頭にゃ葡萄(ぶどう)の房飾(ふさかざ)り
 飲め飲め世界の廻(まわ)るまで
 (坪内逍遥訳)

 を歌いながら歩いてくると、石にでもつまずいたのかすっ転んだ。いや字義どおりズデンドウというド派手な転びようであったようで、自分でもその瞬間のおのれの動きはわからない。
 結果は右足の大腿(だいたい)骨の骨折。股関節骨折でなくて不幸中の幸いであったといわれたが、重傷であることに変わりはない。あとは救急車で病院の整形外科へ運ばれて、全身麻酔の手術(前後二時間)の上で、ベッドにドデンと横たわるだけの身となった。医師には全治二カ月以上と知らされ、かなり愕然(がくぜん)とした。
 いまこれを書いているのはリハビリ病院の一室。ビッシリ余裕のないリハビリの猛鍛錬の合間をぬってのことで、とても週いっぺんのこの連載を続けるのは無理なことと観念した。まことに申し訳ないがこれにて打ち止めとし、あとを政治学者の原武史氏に託すこととする。
 この稿を俳句ではじめたので、終わりも小林一茶で。
 ・この所あちゃとそんまの国境(くにざかい)
「あちゃ」は信濃方言、「そんま」は越後言葉で、ともに“さよなら”の意である。しゃれた表現である。で、越後長岡にゆかりのある私は、
「じゃあ、そんまそんま」
 と最後の挨拶を送る。ご愛読ありがとうございました。」(2019/09/28付「朝日新聞」b4より)

どうやら連載終了の原因が、この骨折にあったらしい。残念だが、半藤さんも今年89歳になられる。この老齢での骨折はこたえるだろう。
そう言えば、今年七回忌を迎えるお袋は、骨が弱かった。結局、玄関先で敷居をまたぐときに転び、それが原因で最期は認知症のようになって亡くなった。
その前にも何度か骨折し、人工関節も入れた。その時の医師の言葉が、「ボルトを入れるときに、あまりにスッと入って困った。それだけ骨がスカスカになっている証拠」。
骨が弱いと、骨折⇒寝たきりになるのはよくあるコース。
一方、親父は脳出血であっと言う間に亡くなったが、お骨を拾うときに「立派なお骨ですね」と褒められた。骨壺にも入りきらなかった。

歳を取ると骨は大事と、改めて思った。半藤さんが、こんな事にめげずに、元気に甦ってくれることを祈りたい。
なお、朝日新聞デジタルに、(歴史探偵おぼえ書き)の過去の連載分が載っているので、後でゆっくりと読むことにしよう。

| コメント (1)

2019年9月26日 (木)

auショップでiPhone代をクレジットで二重に取られそうになった話

クレジットカードの請求は、良く見ておかないと“取られ過ぎる事が有り得る”という話。
昨夜、何となくNetでクレジットカードの請求内訳を眺めていたら、先日auショップでiPhoneを一括払いで買ったが、その料金が2行に亘って同じ内容が書いてあり、2度支払うことになっている事に気が付いた。つまり2倍の請求。

先日、カミさんの“ガラケーをスマホに変えろ”というauからの誘いの手紙が多いので、auショップに寄って、iPhoneに替えたらどうなるかをシミュレーションして貰った。
そして絶対にガラケーを替えないと言っていたカミさんも、写真を撮るだけ、という条件(?)で、やっとスマホに替えることに同意。それで2週間ほど前に、先のauショップに行って機種変更をしてきた。
選ぶのは、自分のiPhone6と同じく、ボタンがある機種、ということで、候補はiPhone7またはiPhone8。その店ではiPhone7がまだ売られていったのでそれにした。
iPhone代金は、分割も面倒なので一括払いにした。その時にクレジットカードで払った。当然、店の領収書も「クレジットカード売上票」も“一枚だけ”もらった。
その*万円の金額が、クレジットのサイトを見ると2行あるのだ。つまり2倍(2回)請求されている。

今朝の10時の開店と同時に、先のauショップに電話した。
「先日買ったiPhoneの一括払いの金額が、クレジットカードの内訳を見ると2行書いてあって、2倍請求されているんだけど」
「当店では分かりません。当店では当然1回しか請求していないので、クレジット会社に問い合わせて下さい」
「でも、auショップからの請求がどうなっているのかをまず調べて、それでおかしくなければ、クレジットカード会社に問い合わせをしたいんだけど」
「まずクレジット会社にお客様から問い合わせて下さい。それで問題があれば言って来て頂いて、それから当店で確認します」

まるで、門前払い。まさに「木で鼻をくくる」対応。

仕方が無いので、クレジット会社に電話。
「調べてみたのですが、やはり二重に請求が来ていますね。こちらでも調べますが、2~3ヶ月かかる可能性があります。そのauショップの電話番号を教えて頂けますか?お客様の連絡先は?auショップの領収書類は大切に保管しておいて下さいね」
「二重に請求が来ていることが分かったので、こちらからもauショップに電話してみます」

そしてauショップに電話して、「責任者の方をお願いします」と事情を話す。
直ぐに調べますとのこと。
そして3時過ぎに電話があった。
「調べたところ、誤って二重に請求がされていました。ひとつを削除しましたが、締め切りの日の関係で、いったん請求がされてしまう可能性があります。その際は、後日その金額が相殺という形で戻されます。申し訳ありませんでした」
「もし、自分が気が付かなかったらどうなっていたの?」
「二重に請求されて、そのままになっていたと思われます」
「人は間違いはするものだが、今回最も不愉快だったのは、当方の問合せに門前払いだったこと。問い合わせたときに、まず自分の所で調べて、それからお客にクレジット会社に問い合わせてくれ、と言うのならまだ分かるが、最初から自分の所は悪くないので、先ずお客が自分で調べて、どうしてもauショップが問題だということになったら、改めて言ってこい。というスタンスが不愉快」
「個人情報の関係で、そのようなルールになっています」

これは、どうもauショップの店員さん個人の問題ではなく、ショップの当然のやり方らしい。
自分はクレジットはたくさん使っているが、他の店は分からない。何せ、このような問題に遭遇したことが無いので・・・

昔、ある会員になって、それを脱退する事を忘れていて、長い間、ただただ会費を取られ続けていた事があった。それ以来、クレジットカードの請求には目を通すことにしている。自分が確かに使ったという確認。
だから今回も二重払いが分かった。
もし、自分で請求内訳をチェックしていなかったら、二重に取られて、誰も気が付かないまま終わっていた。別に悪意があるわけでも無いが、誰も知らないまま・・・。領収書は1枚だけなのに・・・

今回、クレジットで払って、「クレジットカード売上票」を貰っていても、店の間違い?で、何度でも決済(請求)出来てしまう構造があることが分かった。
世の中、今後益々キャッシュレスの時代になっていく。誰もがクレジットを多用する時代になっていく。でもこんな落とし穴があるのだ。
自分は、クレジットを多用しているが、ウチのカミさんは、“いつもニコニコ現金払い”にこだわっている。なるほど、それにも一理あるな・・・

キャッシュレスは怖いですよ~。でも確かめるのは大変!!
でも、でも、面倒でも請求金額をお確かめのほど・・・。特に今回のような数万円の所だけでも確かめておいた方が良い。
まったくキャッシュレスも信用出来ない。

先の二重払い。「クレジットカード売上票」は自分が貰った他に、もう一枚出たのかな? その紙はどうしたのだろう?
それとも、売上票が出たのは1枚でも、店がやろうとすると、何度でも請求出来ちゃう??
おお、怖い!!自己防衛しないと!!

| コメント (3)

2019年9月23日 (月)

実家の敷地にアパートが建っていた

スマホのGoogle マップで遊んでいたら、田舎の実家が、何とアパートに立て替わっていた。それも1年半も前の話だった。
Google マップの航空写真は、非常に緻密だ。ただいつ撮ったかが良く分からない。しかし、スマホで時間潰しに眺めていたら、売却した実家の航空写真が何かおかしい。良く見ると、別の建物と広い駐車場。何かの会社かな、とNetでググってみたらアパートだった。(下記の写真の中央の建物)

   (以前)      (現在)
190923bfr 190923aft

両親が亡くなったあと、茨城の実家の扱いは兄弟で困った。そして、膨大な遺品整理をしたのが2014年3月だった(ここ)。そして地元の不動産屋さんに、敷地を買って貰ったのが、2015年の10月だった(ここ)。
思い出すと、2017年6月に地元で開かれた同窓会のついでに寄った時点では、何も変わっていなかった(ここ)。
アパートが2018年5月頃に新築されたらしいので、あの同窓会の後で、古家の取り壊しとアパートの新築が行われたのだろう。
あれ以来、行く機会が無かったので知らなかった。もちろん、土地は既に売り渡していたので、関係は全く無いのだが・・・

しかし売却した後、ずっと放って置かれたので、買ってくれた不動産屋さんは、結果としてババを引いたのでは?と心配(?)していた。
でも、こっちにとっては、買い手が見付かってラッキーのひと言。

しかし不動作さん屋は、さすがに地元を知り尽くしたプロだった。ちゃんとアパートとして土地を活かしてくれた。しかも、Netで見ると、6戸の部屋は満室らしい。
我々にとっては、とうに関係の無い家だが、半世紀近く両親が住んだ家である。それだけに愛着も感慨もある。
しかしこの実家も、ぼろ家として荒れ果てた姿をさらし続けるより、新築アパートに生まれ変わって、新しい生活が息づいている方が、両親にとっても嬉しいだろう。
そう言えば、我が家で初めて建てた家も、売ってから20年ほど経ってから、建て替わっていたっけ。

まさに、時間と共に、全てが生まれ変わっていく。まさに無常(*)を感じた今宵であった。

(*)無常=仏教で、一切のものは、生じたり変化したり滅したりして、常住(=一定のまま)ではないということ。

| コメント (2)

2019年9月21日 (土)

「介護後うつ」から抜け出して~安藤和津さんの話

今朝(2019/09/21)の朝日新聞「天声人語」。
「(天声人語)認知症の母のまなざし
 長崎市在住の詩人藤川幸之助さん(57)に「母の眼差(まなざ)し」という作品がある。「母が昔のままそのままの 認知症もどこにもない顔で 私を産み育てた母そのものの眼差しで じっと私を見つめるときがある」。言葉でなく目で母と対話する▼母キヨ子さんは60歳でアルツハイマー型の認知症と診断された。歩くこと、話すこと、食べることが徐々にできなくなる。小学校の教諭だった藤川さんは、認知症の進む母と末期がんだった妻を支えるため、教壇を去る。妻をみとった後、介護のかたわら、思いを詩につづるようになった▼「二時間もかかる母の食事に 苛立(いらだ)つ私を尻目に 母は静かに宙を見つめ ゆっくりと食事をする」。イライラや怒りも藤川さんは隠さない。「あなたは笑っていた 本当は泣きたかったのに 初めて紙おむつをはめた日」▼介護の日々はいつ終わるとも知れない。「(母は)息ができなくなって咳(せ)き込んだ 背中をたたきながら 私はこのまま母が死んでくれれば 母も私も楽になれるとふと思ってしまった」。胸にきざした暗い感情もうたう▼7年前の秋、キヨ子さんは84歳で旅立った。「介護を通じ、逃げずに考え抜く習慣が身についた。生とは何か、死とは何なのか。母が最期まで私を育ててくれました」と話す▼詩集を読みつつ、自分が同じ立場に置かれたとき、はたしてやり通せるのかと心配になる。同時に、介護には多くの「気づき」もあると学んだ。きょうは世界アルツハイマーデーである。」(2019/09/21付「朝日新聞」「天声人語」より)

今日は「世界アルツハイマーデー」だという。そんな日があることは知らなかった。
こんな記事を読みつつ、先日聞いた安藤和津さんの介護の話を思い出した。氏は安藤サクラさんの母親。夫は奥田瑛二さんだという。

<“介護後うつ”から抜け出して~安藤和津>

ここ)に、この話を文字化したサイトがあるので、転載させて頂く。

NHKラジオ深夜便 明日へのことば 2019年8月27日火曜日
「“介護後うつ”から抜け出して」エッセイスト・タレント…安藤和津

東京台東区出身、ニュースキャスターやエッセーイスト、タレントとして活躍されています。
1979年に俳優の奥田瑛二さんと結婚、長女は映画監督の安藤桃子さん、次女は安藤サクラさんという芸能一家です。
或る日安藤さんのお母さん昌子さんに大きな脳腫瘍が見つかり、自宅で介護を続けました。
昌子さんは平成18年に83歳で亡くなりましたが、介護中和津さんが介護うつになり、介護が終わった後にも介護後うつという状態になりました。
その苦しい状態から抜け出るのに13年も掛かったという事です。

ずーっと体も心も疲れ切っていてやっと今、心が元気になると体も元気になるという事を実感しています。
2年前まで苦しんできました。
私の目には真っ黒いものが口から出ていくのが見えたんです。
印象的には白黒TVから急にカラーTVを見るような感じでした。
自分がおかしい状況だとは思っていなかった。
介護うつが終わったと思っていたら、介護後も鬱になっていました。
介護鬱の時にはパタッと料理ができなくなりまして、人との会話もほとんどできなくなり外にも出かけることができなくなりました。
無理やり出かけて遅刻常習犯になり、人と会うのが怖かったです。
買い物に行っても買うものが流れているんです。
何とかいくつか購入して、料理するのに何を作っていいかわからない。
料理の作り方も忘れてしまいました。
文章の組み立てもできない。
コメンテーターができいない状態でした。

2時間おきに痰の吸引をしなければいけないので、睡眠不足がずーっと続いていました。
介護が終わって料理はポチポチできるようにはなりました。
人ともだいぶ会えるようになりました。
しかし、家族たちと会話していても、全員が笑っているが、私はなんで笑っているのかわからなかった。
TVみていても全員が笑ってるが私は笑えなかった。
桜が咲いて綺麗だと周りが言うが、感動が何にもなかった。
家族が変わったんだと自分では思い、自分だけ孤立している状態でした。
それが13年続いてしまいました。
人間にとって心からの感動、喜びを感じられないのは、押さえつけられている状況になっちゃうんだと思います。

年末に掃除をしていました。
TVで漫才をやっていて、介護鬱が抜けてしばらくたったら、抜け落ちていた記憶が全部徐々に繋がってくるんです。
獅子てんや・瀬戸わんやさんの昔の漫才をやっていました。
パッと笑いがお腹から噴出して、真っ黒な塊が飛び出して行って我に返ったときに、今笑ったよねと思って周りを見渡すしたら、白黒TVから急にカラーTVに変わったように全部が違うんです。
私は鬱だったとその瞬間気が付きました。
二人目の孫が生後半年で、孫の存在は大きかった。
母の介護にやっていた事と孫にやる事はおむつ、食事などの作業は全く同じわけです。
おむつ、離乳食と介護食、など、母の介護は無理やり明るく元気にさせながらの介護だったが、最終的には見送る介護だった。
孫は未来へ命が繋がっている、命が受け継ながれているんだと実感しました。
母がここに生きているんだと思えたこともすごく大きかったです。

母の行動言動がおかしいと思ったのが1998年ごろ、本当にたどってゆくとサクラが生まれた時なんです。
長女を母に預けて入院していましたが、母が長女を連れて病院に来ました。
退院するまで長女の下着の袖口が汚れていくんです。
1週間毎日同じワンピースを着せてきたんです。
母は毎日着替えるタイプでしたが、娘が私の病院食を目の色を変えて食べるんです。
考えてみるとあの時から段々そうなって行っていたんです。
原因が脳腫瘍だと判明するのは、だいぶ後の事でした。
親のおかしな言動を医師に相談しても、知り合いに相談しても、あまり親の悪口を言わない方がいいとたしなめられてしまいました。
いろいろ変な言動があり、どうしたらいいかわからなかった。
本当は母は嘘をついていてごまかしていて、本当は行儀が悪くて、悪態をつく嫌な人間だと思うようになりました。
母のことがどんどん嫌いになって行きました。
家族が母のおかげでどんどん憂鬱になってしまいました。
母が腕を骨折してしまい、病院で診察を受けることになり、病院に脳のMRIができたばっかりだったので先生に絶対に撮ってくださいと言って、海外の仕事に行くことになりました。

帰ってきたら巨大な脳腫瘍ができていましたと言われました。
手術もできないレベルでした。
糖分と油分の代表的なような食生活だったので、和食風に私が手作りでやっているうちにあなたのおかげねと母が初めて褒めてくれました。
認知症と老人性うつ病も発症していて、この状態で家族がそばにいることが珍しいといわれました。
非常に攻撃性の強い認知症でした。
普通は付き合いきれない状況だといわれました。
母のやっていることを全部先生にお話したら、本当によくこれまでご一緒にいられましたねと言ってくださって全部救われたと思いました。
共感してくれる人が必要だと思いました。

仕事関係の友達が家に来ていた時に、母が手におむつを持って下半身すっぽんぽんで現れたときには私は腰を抜かしました。
母がおむつを使用していたことは知らなくて、「これ替えて」と言ったんです。
次の瞬間床に転がり落ちて私はおんおん泣いていました。
一生乗り越えられないという思い、みんなに愛情をかけていた母が、あーあ親子逆転この瞬間したなと思って切なかったです。

下の世話をすることは家族が良くやってくれました。
母がトイレでお尻が汚物だらけでしたが、血は繋がっていない夫が素手で手が汚れましたがおんぶしてくれました。
介護は育ててもらったお返しをしているだけなんだなと思った時に、凄くスイッチがOFFからONになるんですね、その時に気が楽になりました。
介護は何のためにするか「親に笑顔でさよならを言うためなんですよ」とありましたが、良い言葉だと思います。

自宅で看取ることになって、酸素濃度が20ぐらいに下がってきて危なそうだという事で先生も呼びました。
その間天ぷら、中華の話をして聞かせているうちに酸素濃度が30、40と上がってきて、洋食やら屋台のそばまで話をして、酸素濃度が80まで上がって、持ち直して先生も帰ってそれからほどなく、息がしていないのに気が付きました。
施設などでも○○さんありがとうと、テープに入れてパチパチとみんなで拍手で送ってあげたら魂が幸せに旅立っていくのではないかと思います。
母をあのように送ってあげてよかったと思います、母は本当に優しい顔をしていました。
介護はどうしても女の人が背負いがちなので、頑張っている奥さんにねぎらいの言葉とか、肩をたたいてあげたりしてもらえればと思います。
どういう人が思い出に残っていく人になるかというと、どれだけの愛情を人にかけたかという事になるかと思います。
そういう思いを持ってこれからも生きていきたいと思います。」ここより)

さっき、NHKのドキュメント72時間「訪問看護師 街をゆく」(2019/09/20放送)を見た。訪問看護師が各家庭を回る。それぞれの家庭に、脳性麻痺の子や、長期療養の親など、色々な人を抱えて介護をしながら暮らしている人たちがいる。
何も無い家庭など、たぶん無いのだろう。平穏無事な家庭など、たぶん無いのだろう。

上を向いてもキリが無い、下を向いてもキリがない、とは良く言う。
改めて自分の人生を振り返ると、自分の辿ってきた人生など、まだまだ・・・だったのかな、とフト思う。

| コメント (0)

2019年9月20日 (金)

丸の内の「タニタ食堂」に行く

昨日(2019/09/19)は所用があって、長男と都内で待ち合わせた。「ランチをおごる」と言ったら、息子が最近通っているというタニタ食堂(ここ)に行ってみるか?というので、見学がてら一緒に行ってみることにした。
息子は92キロの大男。それで最近、ダイエットのために、夕食はタニタ食堂に食べに行っているのだとか・・・。

JR有楽町駅を降りてから、店までは、まさに地下街の迷路。息子はスイスイ行くが、こっちはどこを歩いているのかまったく分からず。昔は、自分もこんな地下街をスイスイと歩いたものだが、現役生にはかなわない。
店に着くと、11時5分前。11時の開店前だというのに、もう並んでいる。店の前には、コンセプトの大きな看板。曰く・・・

タニタ食堂 日替わり定食 5つのこだわり
①一汁三菜のバランス定食
②野菜たっぷり、200g前後を使用しています!
③野菜は大きく固めに! 咀嚼を増やして満足感アップ!
④塩分は3g以下! 1日の塩分摂取量の約1/3を目安
⑤お茶碗のラインで確認! ご飯は1膳100gをおすすめ♪」

190920tanita1 190920tanita2 190920tanita3

当日のランチメニューは3つ。そのうち「かぼちゃと鶏肉のクリームグラタン1100円」を選んだ。
流れは(ここ)、先ず席を取ってから、食券を買い、ご飯を自分でよそって、おかずを取って、お茶を取ってから席に。各テーブルにはタイマーが置いてあり、ボタンを押すと20分からスタート。息子に聞くと、20分をかけて食べるのが基本だそうだ。

190920tanita4 190920tanita5 190920tanita6

料理は写真の通りだが、一口食べて「大失敗!!」を実感。自分の口では“味が無い”。「野菜たっぷり!?」自分は野菜が大嫌い。「野菜は大きく固めに!!?」固い野菜など、口に入れたくない! 「塩分は3g以下!?」とんでもない。塩分が無ければ味がしないでは無いか!?それにご飯は玄米食!?

「こんな(自分に苦手な)料理では、今日の自分の昼食は抜きだな」と思いつつ息子を見ると、何と黙々と食べている。「こんな味の無い料理をよく食べられるな」と言うと、「慣れた!」とひと言。息子は完食。自分は、何とかグラタンは食べたが、それ以外はほとんど残した。

こんな超健康メニューなのに、徐々に店の中には客が増えて行く。みんな高血圧患者??
まだ11時半だというのに、半分以上。もちろんサラリーマンが多い。隣の席では、若い女性が友人と待ち合わせていた。その女性たちがスマホを置いたまま料理を取りに行けるのは、安全な日本ならでは・・・?

とにかく、自分にはまったく合わない料理だったが、加えて値段が高い。ランチはワンコインという言葉があるのに、ランチ1100円は高い。息子に聞くと、夕食は1500円とか1250円とかするらしい。それでも、息子はダイエットのために、ここに通い出したという。
「エライ!!」と褒めたが、自分にはとうていマネできない。

この食事を食べてみて、いかに人生で“食事は楽しみ”なのかが分かった。つまり、自分に合わない食事では生き甲斐が無いと言うこと。
自分は今まで、好き勝手な食事をしてきた。マズイ(自分に合わない)ものは食わず、食事制限の無い事を良いことに、味の濃いものばかり食べてきた。そして今日、世の中にはこんな薄味の食事もあるのだ・・・と発見。
つくづく“血圧が高くなくて良かった”と思った。そして、家に帰ってカミさんに「オレは老人ホームにははいれそうにない。こんな食事を毎日出されたのでは、直ぐに逃げ出す」と。
するとカミさん、「老人ホームはもっと美味しい料理が出るよ。そうで無ければ、入居者がいなくなる・・・」
なるほど。老人ホームの入居者にとって、食事はほぼ唯一の毎日の楽しみ。それが楽しくなければ、確かに評判は落ちるな・・・

とにかく、食事制限が“まだ無い”自分の今の健康状態に感謝。ということは、そんな健康状態の体にしてくれた、カミさんの今までの料理に感謝!?

| コメント (0)

2019年9月18日 (水)

妻の「謎の不機嫌」の正体~「名もなき家事多すぎ」

こんな記事を見付けた。何かの参考になる??

4カ月の育休で見えた妻の「謎の不機嫌」の正体~「名もなき家事多すぎ」「仕事の方が楽!」
      梅田 悟司 : コピーライター

家に帰宅した瞬間に、不穏な空気が漂っている。妻がなぜか不機嫌で、声をかけても返事がない。気を使ってそっとしておくと、こちらにわかるように大きなため息をつく。「何か自分が悪いことをしたかな」と思ってその理由を聞くと、余計不機嫌になる……。
こうした妻の「謎の不機嫌」に直面したことがある男性は、数多く存在しているのではないでしょうか。私自身もその謎に直面していた1人です。しかも、考えれば考えるほど、謎は深まるばかり。しかし、ある出来事を機に、その謎の正体にたどり着いたのです。その出来事とは、広告会社在籍時に取得した4カ月半におよぶ育児休暇です。
仕事で疲れた夫と、家事育児にストレスを抱える妻。一度は愛し合っていたはずの2人がいつの間にかすれ違い、心の距離が開いた末に生じた「謎の不機嫌」を解消するためには、どうすればよいのでしょうか。キーワードは「名もなき家事」。私の経験を基に解説していきたいと思います。

<家事育児ストレスの深すぎる闇>
私が育休を取得したきっかけは、「育休、取るんだよね?」という妻の言葉でした。取るかどうかを話し合うのではなく「取る」ことを前提にした圧。実際、里帰りをせずに2人で暮らす街で出産することを決めていた私たちは、2人で子育てをはじめることになります。そのため、いわゆる「ワンオペ育児」を強いるのも心苦しいと感じ、育休を取ることを決意しました。
しかし、当時の私は、広告業界の最前線で働くコピーライター。皆さんがご存じのところですと「世界は誰かの仕事でできている。」(ジョージア)や「バイトするなら、タウンワーク。」といったキャッチコピーを書いていた時期で、多くの大手企業を担当していました。
周りを見回しても、男性で長期の育休を取得している人はほぼ皆無。子どもが生まれてから年度末まで4カ月間の育休を取ると宣言しても、誰からも信じてもらえない状態でした。そのため、職場のホワイトボードに「梅田 11月〜3月まで育休」と赤ペンで書いて、本気度を表明したことを覚えています。
そして、ついに育休に突入。この4カ月間は、「育休」というより「育労」という言葉に近いものがありました。その経験を端的にまとめたのが、次のツイートです。
この投稿を含めた育休体験にまつわる一連のツイートは、総閲覧数は1200万回にのぼり、15万を超える「いいね」を獲得しました。
共感者の大多数は子育て中の母親たち。「よくぞ言ってくれた」「頷きすぎて首がもげるかと思った」などのコメントが多数寄せられました。そこで気づいたのです。私は育休を通して、家事育児をがんばる女性たちが日々感じているのと同じストレスを感じていたのだと。
そして、このやってもやっても終わることなく、次から次へと押し寄せる家事をこなすだけでも、十分不機嫌になりうることを。

<ないない尽くしの「名もなき家事」>
家事と聞いて思い浮かぶのは、料理・洗濯・掃除・買い物あたりでしょうか。育児休暇を取る前は、私もそう思っていました。しかし、現実は違っていました。わかりやすい家事に分類できない「名もなき家事」が家事の大半を占めていたのです。しかも、終わりもなければ、達成感もない。さらに、誰かに褒められることもない。そんな「名もなき家事」が家事育児をがんばる人の気持ちを地味に削っていたのです。
私がそんな「名もなき家事」の見える化に挑戦した書籍『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。』でも触れていますが、例えば、次のような行為が「名もなき家事」です。

190918kaji1 190918kaji2 190918kaji3 190918kaji4 190918kaji5

ご覧いただいて、どう思われたでしょうか。1つひとつの家事は、大変ではないかもしれません。しかし、こうした名もなき家事が朝から晩までひっきりなしにやってくると思うと……。それだけで発狂したくなるはずです。そんな状態で、夫の心無い一言があったとしたらなおのこと。こうした連続した名もなき家事こそが、謎の不機嫌の正体であるとわかったのです。

<不機嫌解消の第一歩は、相手への想像力>
夫は会社で「仕事」、妻は「家事」と役割分担をしている場合、「疲れて帰ってきたのに、さらに妻に気を遣って家事をするなんて……」と思う方もいるかもしれません。もちろん、その気持ちも理解できます。
『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
そんなときは、想像してみてほしいのです。3歩進んで4歩下がるような一筋縄ではいかない家事育児に奮闘している姿を。そのなかでつねにストレスを抱え、気持ちを削られながらも、悪戦苦闘している姿を。
もちろん、日中仕事をしていると、家庭のなかでそんな事件が起きていることを見ることはできません。しかし、想像力を働かせることはできるはずです。その想像力が、男女の間に横たわる不理解や断絶を解消する糸口になるのです。
自分のいちばん身近にいる大切なひとの大変な瞬間に思いを馳せる。その手がかりとして「名もなき家事」の存在を理解していただければ、妻の謎の不機嫌が軽減するだけでなく、多くの家庭に平和が訪れるはずです。
それぞれの家庭なりの「名もなき家事」について夫婦間で話し合い、相手をねぎらい、家事シェア・育児シェアの可能性を模索していただきたいと思います。こうした理解が生まれるだけで、妻のささくれだった気持ちは和らぎ、夫婦関係のさらなる悪化を食い止めることができるはずです。」(2019/09/17付「東洋経済」ここより)

いつもカミさんから言われている事と合致するな・・・。
家には目に見えない家事が山のようにあるという。しかし、目に見えない家事も、ひと皮剥けば価値観の違いに気が付く。つまり、自分はそんなに力を入れてやらなくても・・・と思うことでも、カミさんは力一杯やる。だから自分との認識に差が出てくる。
永くは、庭の手入れ。庭いじりが趣味で無ければ、草が生えない程度に、テキトーに管理していれば良いじゃ無いかと思う。しかし、カミさんはイヤイヤながら除草剤を買い、肥料を買って草むしりをしている。まあ、今でこそ庭に石を敷き詰めて、草むしりの手間を省いたが・・・
それに続くのが、家の前の歩道の掃除。先日の台風15号でも、翌朝は歩道一面が落ち葉の山。ホウキで掃いて集めたら、45リットルのポリ袋が3~4つにもなった。だいたいキレイにすれば良いじゃん。と言う自分と、近所と比べて、それこそ葉っぱひとつ落ちていないように、キレイにしようとするカミさんとの価値観の違い。
それは積雪の時の歩道の雪かきも同じ。確かに家の前の歩道を歩く人のために、通路を雪かきすることは仕方が無い。でも、人が通れる道幅だけ雪かきすれば良いじゃん。という自分と、近所を見て、完璧に歩道から雪を除こうとするカミさんとの違い。
これでいつもケンカ。結局いつも「頼まれて一軒家に住んでいるのだから・・・」と言われる。マンション派のカミさんとの軋轢。これも家事のひとつか・・・

上の記事にある「名もなき家事」には、価値観の違いによって、その量が変わることもあると思う。

我が家の2軒先にSさんという家がある。隣はOさんだ。Sさんの家の前の歩道が、いつになっても落ち葉掃除をしないので、隣のOさんが、Sさんの家の前の歩道も掃除しだした所、Sさんから「やらなくて良い」と言われたとか。たぶんこれも価値観の違い。Sさんはだいたいやれば良いと思っているのだろう。しかしOさんは、皆と一緒にできるだけキレイに・・・。そこに軋轢が生まれる。自分の価値観で他人も巻き込もうとすると、そこに摩擦が生じる。

洗濯を毎日、「リズムだから」と必ずやるカミさん。自分は、溜まったらやれば良いじゃん・・・。
ペットボトルをゴミ出しする日。まだ溜まっていないから次回にまとめて出そう。という自分と、少なくても必ず出すカミさん。
毎日の食事と違って、やっても先延ばししても、そう変わらない目に見えない家事。
ま、理屈で言いたいことも色々あるが、数十年に亘る家事と育児が大変な事は間違いない。
今になって、改めて思う。男で良かった~~~!!

今まで楽した分、今は毎日、“カミさんの価値観による”家事に追われる元サラリーマンなのである。ちなみに今日は、浴室の黒カビ退治をした。カビキラーは結構効いたよ・・・

| コメント (1)

2019年9月16日 (月)

遺伝子組み換え食品は危ない?

PCで録音しておいて、夜中に眠れないときに聞いているNHKラジオ第2の「カルチャーラジオ 科学と人間」(毎週金曜 午後8時30分 再放送 毎週金曜 午前10時)。
今は「一から学ぶゲノム」というシリーズだ。

先日、このシリーズで、遺伝子組み換え食品についての話が興味深かったので紹介する。
NHKのサイトにはこう紹介がある。

一から学ぶゲノム~ゲノム編集は食をどう変えるのか(1)」(9) KDDI総合研究所リサーチフェロー…小林雅一
ゲノム編集はさまざまな分野への応用が期待されています。なかでも食と医療への応用が大きな影響を与えるとされます。そこで今回から2回連続で食への応用について考えます。今回は品種改良の歴史と方法です。最近は、ゲノム編集の技術で生まれた遺伝子組み換え作物が増えています。どの程度の種類が流通し、普及の進み具合など世界各国の例を交えてお話しします。」(2019/08/30放送ここより)

<一から学ぶゲノム~ゲノム編集は食をどう変えるのか(1)小林雅一>


一から学ぶゲノム~ゲノム編集は食をどう変えるのか(2)」(10) KDDI総合研究所リサーチフェロー…小林雅一

今回のテーマはゲノム編集作物の商品化と、規制の動向についてです。従来の遺伝子組み換え作物(GMO)とゲノム編集作物の違いを説明し、新技術であるゲノム編集を使った作物や生物が今どのように取り扱われ、規制されているのか。実際にどのように商品化され、消費者の受け止めに関してもお伝えします。」(2019/09/06放送ここより)

<一から学ぶゲノム~ゲノム編集は食をどう変えるのか(2)小林雅一>


確かに、日本では、遺伝子組み換え食品はあまり馴染みが無い。もっとも、売っていても買おうとは思わない。たぶん、ほとんどの人が同じなのだろう。だから売れない。だから店に品が無い。食品の成分表を見ても、「遺伝子組み換え品は使っていません」のような表示さえある。
でも、この話を聞くと、原材料としては、それが結構使われているという。それが現実か・・・

ところで先日、朝日新聞にこんな記事があった。
ゲノム編集食品、来月届け出開始 早くても年末以降、食卓へ
 ゲノム編集技術を使って野菜や魚の遺伝情報を変えた食品について厚生労働省は13日、事業者からの届け出を10月1日から受け付けると発表した。国内では血圧を抑える成分が多いトマトや肉厚なマダイなどの開発が進んでいる。食卓に上るのは早くても年末以降になる見通し。
 ゲノム編集食品は、遺伝子をピンポイントで変える「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)」などの遺伝子編集技術を使った食品。DNAを切って遺伝子を壊したり新たに加えたりすることで、栄養価を高めたり、収量を増やしたりすることができるとされる。DNAを切って遺伝子を壊してつなぐゲノム編集食品は、自然界の突然変異や従来の品種改良と区別がつかない。安全性もこれまでの品種改良と同程度のリスクであるとして、厚労省は事業者にどこをゲノム編集したかなどの情報を届け出るよう求めるものの義務化はしないと決めた。
 また、農林水産省は農水産物を育てる際の生態系への影響に関する情報の提供を求めることにしている。どのような情報を提供すべきかを近く示す。食品表示について、消費者庁は義務化せず事業者の任意とする見通しだ。ただ、ゲノム編集食品かわかるよう表示してほしいという声が多く、近く表示の方法を示す。
 一方、新たな遺伝子を入れたゲノム編集食品の場合は、遺伝子組み換え食品と同じように安全性を審査し、表示も義務付ける。届け出にあたるのか安全性審査が必要なのか確認するため、事業者は事前に厚労省に相談する。
 国内では、血圧の上昇を抑える成分が多く入ったトマトや、収量が増えるイネ、芽に毒のないジャガイモなどの開発が進んでいる。京都大の木下政人助教は肉厚のマダイをつくる研究を続けてきた。木下さんは「食品の成分分析はすでにしているのでデータは出せる。厚労省への事前相談を始めたい」と話す。
 商品として流通させるには、特許の問題が絡む。研究目的ならばゲノム編集技術は無償で使えるが、商業利用は別だ。CRISPR/Cas9を利用する場合は米国の農業企業が窓口となり、交渉する仕組みになっている。特許に詳しい専門家は「ビジネスとして成り立たないようなライセンス料にはならないのではないか」と話す。(姫野直行、戸田政考)」(2019/09/14付「朝日新聞」p3より)

読んでいて怖い・・・

それにしても、動物が“食べる量”は半端ではない。我々人間も、生きるために食べているのか、食べるために生きているのか分からないほど・・・。
九州の孫娘のスナップ写真を見ても、食べているところの写真が意外と多い。子供はたくさん食べて、しっかりと育たなければいけないので、それは良く分かる。でも我々老人は、生きるためと言うより、食べる楽しみのために食べている気がする。
TVを点けると、健康番組が花盛り。それに、料理や食べる番組も多い。自分は人が食べている所を見る番組はキライなので、あまり見ないが、国民が如何に健康や食に関心が高いかが分かる。
だから高価でも無農薬の野菜が売れる。まさにこれは文化なのだろう。

でも、である。でも幾ら食べる物に気を遣っていても、誰も病気にはなる。そして100%の確率で死ぬ。だからそこに至る過程が問題なのだろう。
前に予防接種をしてもインフルエンザに罹ったので医者に「予防接種をしたのに」と言ったら、「予防接種をしたから、これだけで済んだのだ」と医者は言った。全ては結果論。

食にどんなに気を遣って生活していても、病気になるときにはなる。
だから、自分は日々食べるものにピリピリしながら生活するのは好かん。何事にもホドホドに、大らかに生活するのが良いのだろうと思うが・・・。

| コメント (0)

2019年9月14日 (土)

家庭用血圧計~不整脈のエラー対策にはテルモ製を

不整脈がある人が、家庭で血圧を測ったとき、エラーになって測れないときがあるという話を聞き(エラーになると、気分が悪い・・・)、家庭用血圧計の方式についてNetで調べてしまった。
せっかくなので、メモしておく。
結論は、不整脈等がある人が血圧を測るのは、「コロトコフ法」で測定するテルモ製の「ES-P2000BR(廃止機種)」または現行の「ES-P2020ZZ」を使うと良いらしい。(これらの機種は、いちいち「カフ(腕帯)」を腕に巻かずに、アームイン、つまり腕を孔に突っ込めば良いので便利。ただし腕周囲は13センチ~33センチの人しか測定できない)

出典は、Amazonのエルモ製のアームインの血圧計「ES-P2020ZZ」のカスタマーレビュー。
「コロトコフ方は脈が癖(病気ではない正常な不整脈)があっても測れます。
このコロトコフ方式以外は、エラーが出てイライラして血圧がいっそう上がります。私はオシメトリック方をやめて20は下がりました。
オシメトリック方は、10回に1回しか測れなかったりしたのでイライラしてしまいます。コロトコフ方は2機種しかないので選択の余地がないのがかなしいです。amazonでは純正電源がセットになっていないことが多かった(旧タイプは電源とセットにしてるケースが多かった)ので、電源だけテルモから買いました。」ここより)

血圧は、病院で測ると同じように、上腕での測定がベストらしいが、家庭用の血圧計の測定方法には2種類あるという。
ここ)によると、

190914ketuatu 【血管の音を聴いて測るコロトコフ法】
医療機関では一般的に聴診器で血管の音を聴いて測る聴診法(コロトコフ法)が用いられています。
【血管の振動で測るオシロメトリック法】
技術的な難しさ(マイク精度・コスト)を伴うコロトコフ法の代替として考案された、簡便な測定方式。動脈の拍動に伴って規則的に発生する振動の変化を測ることで血圧値を割り出します。家庭用の血圧計で多く使われている測定法です。

 そして、(ここ)によると、家庭用血圧計はほとんどが「オシロメトリック法」らしい。

<医療機関で採用されている「コロトコフ法」>
医師が聴診器で血管音を聴いて血圧を測るのと同じように、高感度マイクロフォンで血管音(血流の音)を検出することで血圧を測定する方法です。
正確に測れる一方で、使い方によっては数値が高めに出るなどの測定誤差が出ることも。
病院で使われる水銀血圧計やアネロイド血圧計、テルモの血圧計で採用されている測定方法です。

<家庭用の血圧計に使用されている「オシロメトリック法」>
脈波をもとに血圧を測定する、家庭用の自動電子血圧計の主流の測定方式。
カフで一度加圧し、その後徐々に減圧させ、血液が流れるときに血管壁に生じる脈波の変化(血管振動)で血圧を測定します。
オムロン、タニタ、シチズン、パナソニックなどの血圧計で採用されています。

190914osiro エラーで困っている人に聞いてみると、使っていたのはオムロン製とのこと。つまりは「オシロメトリック法」だった。
病院を始め、スーパーやデパートなどに置いてあるプロ用の血圧計は、形名から調べてみると「オシロメトリック法」、または「コロトコフ法+オシロメトリック法」らしい。
プロ用は、さすがにエラーにはならずに、測れないと、再度加圧し直して、測定値を出す。エラーにならないのはさすがプロ用。

つまりは、上の投稿にあったように、不整脈等がある人は、「コロトコフ法」だと、少なくてもエラーにはならない事が分かった。
190914terumo しかし上の記事にあるように、「コロトコフ法」の血圧計は、エルモ製しか無い。現行品では、「アームイン(腕挿入式)」の「ES-P2020ZZ」が便利。しかし2016年10月発売のこの機種にはメモリ機能(180回×2人分の測定値と測定日時を記憶することができる)が省かれている。
メモリ機能を重視すると、一世代前の2009年12月発売の「アームイン・プラス ES-P2000BR」がベスト。その前の機種は、2005年11月発売の「アームイン・プラス ES-P2000U」らしい。
もちろん、現行機種以外は、ヤフオク等の中古品でしか手に入らない。でも、中古でもメモリ機能の便利さは、あるようだ。

聞くと、このエルモ製の「コロトコフ法」はエラーが無くて良いのだが、脈拍数に異常値が出るという。なるほど、原理的に脈拍の音を聞いてカウントするので、不整脈(期外収縮)で脈が飛ぶと、それをカウントせず、異常に少ない脈拍数を示すらしい。
逆に言えば、それで不整脈の有無が分かるということ。でも、この脈拍数が少ないことは、医学的にはあまり意味は無いらしい。

せっかく家庭用血圧計について“研究”したのでメモしてみた。もし血圧計でエラーが出る人は、エルモ製の「コロトコフ法」の製品を使ったら如何?という備忘録でした~。

| コメント (2)

2019年9月12日 (木)

絵本「なまえのないねこ」

昨日、カミさんとモールの本屋に寄った。カミさんは、いつも本屋で絵本のコーナーに“滞在”する。ふと、そのカミさんが自分を呼ぶ。
190912neko ここの写真を撮れという。見ると「なまえのないねこ」という絵本が「第3回未来屋絵本大賞」を受賞したという看板。
カミさんは、前からこの作者を応援しており、この絵本も買って持っているので、受賞して嬉しいという。竹下文子 文/町田尚子 絵の作品。

家に帰ってから、居間の本棚にあったその絵本を、自分も読んでみた。たった17枚の絵。それが本体だけで1620円もする!?(失礼!)
カミさんが言うには、こんな絵本はオトナが読む絵本だという。自分も手にしてあっと言う間に読めた。
そして、不思議に何か感動・・・

190912namaenonaineko 190912neko1

ここ)のサイトに出版社のこの絵本の紹介記事があった。そして(ここ)に少し詳しい内容の紹介文があった。曰く・・・

「靴屋のネコは「レオ」、本屋のネコは「げんた」、八百屋のネコは「チビ」。
町のネコにはみんな名前がついているのに、このネコには名前がありません。
お寺のネコ「じゅげむ」に「じぶんで つければ いいじゃない。じぶんの すきな なまえをさ」と言われて、町を歩きながら自分に合う名前を探しはじめます。
「かんばん」「やじるし」「くるま」「のらねこ」「へんなねこ」「あっちいけ!」
なかなか名前は見つかりません。
ベンチの下、空を見上げて、雨が止むのを待つネコ。
その心の中まで、雨音が響き渡ってきます。
すると「ねえ。おなか すいているの?」とネコに訪ねる優しい声。
その声を聴いて、ネコは自分が本当に求めていたことに気づきます。それは……。」

話は単純。でも、何か心に残る。

最後の出てくる女の子。それが途中のパン屋さんの絵に、チラリと出てくる。自分はまったく気が付かなかったが、カミさんに言わせると、パン屋さんの絵で、猫のバックを持ってパン屋のネコを見ている女の子を少し描くことで、この女の子はネコが好きなんだ、ということを暗示しているという。なるほど、芸が細かい・・・

絵をじっくりと見ると、キャンバスの素地が見えて、一枚一枚の絵が立派な完成された絵画であることが分かる。走り書きの絵では無い。
カミさんが買ってくる絵本には、感心しない絵の本もある。でも、この絵本の絵はホンモノ。濃い。

自分は、カミさんの買ってくる絵本を横から覗く程度だが、オトナが見る絵本も、それなりの世界があるらしい。
孫娘たちが、カミさんが買ってくる絵本をいつか読み、カミさんと同じように共感してくれれば良いな・・・と思いながら、覗いた絵本だった。

| コメント (1)

2019年9月10日 (火)

重松清:作「母帰る」の朗読

このところ、NHKラジオ深夜便で毎(月)の午前1時台に放送されている「ラジオ文芸館」に凝っている。
先日(2019/08/26)は、重松清:作「ビタミンF」から「母帰る」の朗読だった。

NHKのサイトには、こう解説がある。
「「母帰る」2019年8月26日 作:重松 清
家を出た母に、戻ってきてほしいと願う父。それに反対する姉の和恵が弟の拓己に電話をかける。主人公の拓己は、37歳。 10年前に、33年連れ添っていた母が父に離婚をつきつけ、拓己は母への憎しみも感じていた。 離婚の理由は、和恵の産んだ孫を抱き、拓己の結婚を見届けた今、後は自分の好きなように生きたいという思いからだった。 父は理由を問い詰めたり、反対したりすることなく、離婚を受け入れた。 そして、10年後。母が新たに連れ添った相手が亡くなり、そのことを知った父が母に家に帰ってこないかと提案する。 拓己も和恵も反発し、なぜ父がもう一度母と暮らしたいと言い出すのかと戸惑いやいらだちを感じていた。 拓己と和恵は一人で暮らす父のもとへ出向き、その真意を確かめる。」(NHKのここより)

<重松清:作「母帰る」の朗読>

印象に残った言葉を挙げてみる。

姉が実家に戻ったときの父との会話。
「お母さんは?」
「おらんようになった」
「どこ行ったん」
「知らん」
「どういうこと?」
「離婚した」
「なして」
「わしゃよう分からん」

「58歳のおばあちゃんが、夫の両親を看取り、娘の生んだ孫を抱き、息子の結婚を見届けて、この家での仕事は全て終わったのだという風に、荷物をまとめたのだった。」

「70過ぎたらもうオマケじゃけん」

「もう親の努めが全部済んでからのことじゃったけ。子どもを一人前にして、舅と姑を送ったんじゃけん、ようやってくれた。あとはもう、自分のやりたいことをやらせちゃえばええが。家を出たいんじゃたければ出ればええ。もう迷惑のかかる者はおらんのじゃけ」
「お父さんが一番迷惑したんじゃないの」
「夫婦には、何をしてもされても、迷惑というものはないんよ」

「わしゃ、33年も連れ添った女を、一人暮らしのまま死なせとうない」

同じような年代の我々。さてこの物語をどう受け取るか・・・
熟年離婚で、自分を捨てて他の男に走った女房。それを、10年を経て一人になったからと言って、許せるか? 戻って来いと言えるか?
確かに、夫との33年間は、他の男との10年よりも密度は濃いのかも知れないが・・・

確かに、全てが終わって出て行くという女房を止める手段が無いのも事実。オマケの人生を自由にしたいと言われたら、返す言葉は無い。
逃げられて困るのは残された夫。しかし、この物語の夫は10年間、ちゃんと一人で生きていた。子どもたちとの関係も悪くない。それが支えか・・・?

自分も既にオマケの人生のフェイズ。そろそろ終盤戦。
改めて、「夫婦には、何をしてもされても、迷惑というものはないんよ」という言葉が、妙に心に残った物語ではあった。

| コメント (1)

2019年9月 7日 (土)

「身に染みる衰え」~確かに自分も老いた・・・

先日の朝日新聞に載っていた一文。さすがにプロ作家の文章である。
「(終わりと始まり)身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう 池澤夏樹
 まずは個人的な話。
 自分が老いたと思う。それが日々実感される。
 身体能力が少しずつ失われる。
 基礎代謝が減るとはどういうことか。食物として入ってくるエネルギーを活動に変える機能が低減する。身体の方がもうそんなに働くなと言っているかのよう。無理に食べても無駄に肥(ふと)るだけ。
 我が血流は消化か歩行か思考の一つにしか行かない。二つのタスクが同時に実行できない。
 足元がおぼつかない。駅の階段を下りる時は一歩ずつ決意して踏み出す、歩道のわずかな起伏に躓(つまず)きかねない。長く坐(すわ)っていた後で立つとふらつく。万事ゆっくり。万事慎重。つまり愚図(ぐず)。
 視力が落ちる。以前は乗り物の中ではいつも何か読んでいたのに、最近はたいていぼんやりしている。
 いつか車の運転を止(や)める日がくるだろう。
 キーボード入力が遅い。ぼくの右手の人差し指はヘバーデン結節で少し左に曲がった上にねじれている。スマホを打っていて、指先のどの部分が画面に触れるかわからないのでミスが多い。何度もやりなおす。
 小さな字が読めない。振り仮名の濁点と半濁点の区別にルーペが要る。イタリアの「ベニス」なんて間違えたら大変だ。
 しゃれたレストランの暗い店内でメニューを貰(もら)って、さて、気取った長い料理名が読めない。老眼鏡に装着する小さなLEDを作って売ったらどうか。名付けて「メニュー・ライト」。
 小さな字が書けない。
 遠方の身内に毎月送金している。相手も老いているので口座振込ではおぼつかない。現金書留という古典的な方法に依(よ)るわけだが、この封筒の「お届け先」の欄が小さい。住所の部分は二行だけ。実質六九mm×二四mmでは長いマンション名が書ききれない。封筒そのものは大きいのだから周囲には空き地がいくらでもある。なんとかしろ、とぶつぶつ言うのが我ながら老人めいている。
 (冗談として言うけれど、先日行った京都のさる店は「京都府京都市東山区高台寺北門前通下河原東入ル鷲尾町○○○」という住所であった。さて、この二十八字を「お届け先」欄にどう書く? こういう住居表示を今も使っている京都人をぼくは尊敬するものであるのだが。)
     *
 身体能力が足りないからエネルギーを節約する。つまりすべてにおいて横着になる。すぐにしなくても済みそうなことはさぼる。身辺が散らかっていわゆる汚部屋に近づく。
 不義理が増える。メールの返信が遅れる。みなさんごめんなさい、と言いながらも手が動かない。
 カレンダーが頭に入っていないから、スケジュールの話が空(そら)でできない。
 スマホは使っているがアプリの類は最小限に抑えている。新しいものを入れてその用法を身につけるのが面倒くさい。
 藤永茂さんに『おいぼれ犬と新しい芸』という名著があった。海外に出た科学者のエッセーだが、三十五年前のこの本の表題が今になって身に染みる。新しい芸は身につかないのだ。
 知的好奇心が衰えた。
 新しいものに飛びつかなくなった。
 旅に出る時、昔ならば事前にずいぶん予習をしたのだが、最近は着いてからインターネットに頼る。ものの見かたが浅くなっていないか。
     *
 ぼく個人のことはどうでもいい。愚痴ないし繰り言と聞き流していただいて結構。
 しかし社会の高齢化というのはつまりぼくのような老人がどんどん増えるということである。申し遅れたがぼくは今は七十四歳と二か月。来年は後期高齢者。その後は晩期高齢者で、やがて末期高齢者。
 新しいシステムは若い人が作る。それを次々に覚えて使って遅れないようにする。四十代の友人が、今はまだいいけれど六十代になったらたぶん追いつけないと言っている。
 フェイスブックやインスタグラムなどは、飾り窓のまぶしい商品を見ている思い。いつか苛(いら)立って、筒井康隆の小説に出てくる不逞(ふてい)老人のようにテロに走るかもしれない。
 冗談半分に書いてきたが、高齢化でこの国は活力を失うだろう。あらゆる面で生産力が落ちる。あとは衰退の一途、とか。
 社会の平均年齢が年々上がる。若い世代を準備しなかったのだから当然である。我々は商業資本とテクノロジーが提供する目の前の悦楽にうかうかと身を任せ、出産・育児・教育という投資を怠ってきた。国の無策は今さら言うまでもない。
 と書きながら、悲憤慷慨(ひふんこうがい)でもない。いずれ退場する身とは承知している。では若い人に席を譲ろう。
 年下の諸君、幸運を祈る。」(2019/09/04付「朝日新聞」p24より)

筆者は74歳でこの嘆き。自分も2~3年ですぐに追い付いてしまう。
自分も急速に老いていることに気付く。「後で」が成り立たない。「後で」と言った瞬間に、もう忘れている。だから何かを思い付いても、食事中だろが何だろうが、直ぐに行動に移さないと、二度と思い出さない。それが分かってきたから、最近は「後で」は言わないことにしている。寝床で思い付いたことなど、本当に「後で」したいことは、スマホで自分宛にメールを打っておく。すると、PCを立ち上げたときに思い出す。これは実践的で有用。

最近、良く家事を手伝っているが、ミスが多い。誰かが「家事が火事にならないように」なんていうコメントをくれたが、それが冗談事では無くなっ190907kajiyoujinn ている。コンロを弱火にしておいて、そのことを忘れて火を点けたままだった“火の気し忘れ”が3度!!
コンロの前の壁には、カミさんに「火事用心(本人は火の用心と書くつもりだったらしい)」という標語をデカデカと貼られてしまった。あと1回やったら、コンロの使用禁止命令が下るかも・・・
それに、食器を洗っていて、滑ってよく落とす。自分はちゃんと洗っているつもりだが、洗剤のためにすべるのだ。今までは、落としても割れないので、「食器って頑丈なんだな~」なんてうそぶいていたが、先週は、グラタンの皿を洗っているときに、落としてもいないのに割れてしまった。そしてその反動で、左手の人差し指をスパッと深く切ってしまった。血があふれ出し、ビックリ。なるほど、石器時代は切り口がナイフだったことが納得できた。
あわてていつもの「キズパワーパッド」(ここ)を貼る。すると、指を曲げると血が止まったこともあり、血が出ない。そして1週間後の今日には、ほぼ治った。「キズパワーパッド」が無ければ医者で縫うほどの深さだったが、便利になった。数が少なくなっていたこともあり、早速新しい「キズパワーパッド」を通販で買い足した。

話は変わるが、居間のPCをwin10にしたとき、体重計を買い換えた。それまで使っていた体重計がwin10に対応していなかったため。タニタのSDメモリーカード付の体組成計なのだが、これがまた色々な表示が出る。その中で分かり易いのが「体内年齢」。自分はこれがずっと56歳で、15歳も若返るので見る度に気をよくしている。
改めて「体内年齢」って何だ?とタニタのHPを覗いてみた。すると・・・
「体内年齢は、体組成と基礎代謝量の年齢傾向から、どの年齢に近いかを表しています。
厚生労働省策定「日本人の食事摂取基準」の「基礎代謝基準値(体重あたりの基礎代謝量)」に基づき、タニタ独自の研究から導き出した年齢傾向から算出しています。
基礎代謝基準値と年齢の間には下図のような関係があり、20代~40代にかけ徐々に減少し、50代を超えるとほぼ横ばい傾向にあります。
同じ体重でも体組成により、体内年齢が変わります。筋肉量が多く、基礎代謝量が高くなるほど、体内年齢は若くなります。例えば実年齢が40才であっても筋肉質で基礎代謝が高く、20代の基礎代謝基準値と同じ場合には、体内年齢も20代となります。」ここ)とあった。どうも基礎代謝量が影響しているらしい。

自分の基礎代謝量は1345ほどで「多い」という表示。上のHPを見ると70歳以上は1290とあるので、少し多いらしい。しかし、運動大キライ人間の自分が、実年齢よりも若いと判定されるのは嬉しい。まったく心当たりが無いのだが・・・

ともあれ、上の一文では無いが、自分も“色々な事件”から、確実に後期高齢者から晩期高齢者、そして末期高齢者に向かっている。
先日も、同じ歳の昔の同僚が大腸がんで8月末に亡くなったという訃報が届いた。
「老い」を実感し、何とかせねば、と思う夏の終わりである。

| コメント (1)

2019年9月 4日 (水)

「“没イチ”からの生き方」~小谷みどりさんの話

配偶者を亡くして単身となった人を“バツイチ”ならぬ“没イチ”と呼ぶそうだ。
夜中に目が覚めて、ムダ時間節約のために録音して置いたウォークマンを耳にする。すると、昔録ったこんな番組が流れてきた。
NHKラジオ深夜便「わたし終(じま)いの極意「“没イチ”からの生き方(1)」シニア生活文化研究所所長…小谷みどり」(2019/08/15放送)
とても他人事では無い、と思いつつ聞いた。そして、Netで探して、第2回(2019/08/21放送)も聞いてみた。

<NHKラジオ深夜便「“没イチ”からの生き方(1)」~小谷みどり>


<NHKラジオ深夜便「“没イチ”からの生き方(2)」~小谷みどり>


初めて聞く“没イチ”という言葉を検索してみると、色々な記事がヒットする。(ここ)に、上の番組の小谷みどりさんの話も載っていた。第1回の「朝起きたら、横にいる夫が突然死んでいた日の話」から一通り読んでしまった。レジメに曰く…

「結婚をしたら、ほぼ半分の確率でどちらかが先に逝き、どちらかが残される。夫の突然死を経験し、同様の「配偶者を一度失った=没イチ」体験をした仲間たちと「没イチ会」を立ち上げた第一生命経済研究所の小谷みどりさんは、その経験を経て『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』を上梓した。
小谷さんに「配偶者を先に失うということ」について語ってもらった短期集中連載最終回の今回は、「没イチ」となってから豊かに生きるためにどうしたらいいのか、そして今から考えるべき「終活」とは何かを語っていただく。」ここより)

さらに、NHKのクローズアップ現代でも「おひとりさま上等!“没イチ”という生き方」というタイトルで、2017年6月13日に放送していたらしい。
そのレジメにも曰く・・・
「配偶者を亡くし単身となった人たちが自らを“バツイチ”ならぬ“没イチ”と呼ぶ動きが広がっている。死別の悲しみから一歩踏み出し、新たな生き方を切り開いて行こうというのだ。こうした動きに企業も注目。“おひとりさま専用旅”や“高齢者専門の結婚相談”など没イチを意識したビジネス参入も拡大している。平均寿命が延び“人生百年”とも言われる今、誰もが“没イチ”を長く生きる時代がそこまで迫っている。」(NHKのここより)

このサイトには、番組の内容が詳細に書かれており、内容が良く分かる。
190904botsuichi このサイトで目を引いたのが、急増する“没イチ”人口のグラフ。高齢化社会が進むので当然ではあるが、やはり女性がその8割を占めている。
そしてこんな発言が・・・
「3世代同居が一般的だったかつてと違いまして、核家族化が進んだ今、配偶者との死別が即、1人暮らしの没イチに結び付くケースが増えると見られます。また、配偶者との死別後の生活に、男性と女性では違いがあることが、小谷さんの最新調査で分かってきました。まず、外出する時間が増えたと回答した人の割合は、女性が50%と、男性よりも高い傾向にありました。一方、誰とも一日中、話さないことがとても増えた人の割合は、男性が高い傾向にありました。また、現在の幸福度について10点満点で尋ねた結果、最も多かった回答は、女性が8点、男性は5点でした。」
「世話をしなきゃいけない夫がいなくなれば、女性は自由になりますからアクティブになりますよね。一方、男性は自分が先に死ぬと思い込んでいるんですね。妻に先立たれると、妻だけが頼りっていう人が多いので、もう路頭に迷ってしまう。」(NHKのここより)

ま、そうだろうな・・・
自分ももうすぐ、後期高齢者。心構えだけはしておかないと!?

| コメント (0)

2019年9月 1日 (日)

「人生は、一冊の本である」~落合恵子の言葉

今朝、居間に降りて行くと、カミさんがテレビで良い言葉を見付けたという。
190901ochiainakikata それで朝食のときに、一緒に見たのが、フジテレビの「テレビ寺子屋」(2019/09/01 05:10~05:40放送)という番組。作家・クレヨンハウス主宰の落合恵子さんが「泣きかたをわすれていた」とテーマに語っていた。その最後の方で、紹介していた自著の言葉がこれ・・・。

主人公の言葉で語られているが、落合さんの生きる土台になっているという。
「人生は、一冊の本である。そう記(しる)した詩人がいた。もしそうであるなら、今日までわたしはどんな本を書いてきたのだろう。七十二年の、わたしを生きた年齢という本を。もしそれに色があるとしたら、何色に染まっているのだろう。単色ではないだろうが、どの色が勝っているだろう。わたしは考える。
 確かなことはひとつ。若いと呼ばれる年齢にいた頃、気が遠くなるほどの長編と思えた人生という本は実際には、驚くほど短編だったということ。
 ひとは誰でも平凡な、けれどひとつとして同じものはない本を一冊残して、そして死んでいく。書店にも図書館にも、誰かの書棚にも古書店にも置かれることはない、一冊の本。誰かがそのひとを思い出す時だけ、頁が開く幻の本。そのひとを思い出すひとがこの世から立ち去った時、一冊の本も直ちに消えるのだ。」(落合恵子著「泣きかたをわすれていた」P207~208より)

そしてこう語っていた。
「長編小説だと思っていた人生が、とても短かった。だから空しいか?そうではない。あと何ページ残っているか分からない。もしかしたら、次のページで終わるかも知れない。だからこそ、今と今の私を大切にしたい。それ以外に何も無いだろう。そんな思いがとても強くあります。」

これは、自分の好きな「人間は2度死ぬ。一度目は肉体的な死。二度目は、皆の記憶から忘れ去られた時の死」という言葉と同じ。

この言葉は、以前にも当サイトに何度か書いている。ふと、この言葉の語源をググってみた。すると、この言葉は、永六輔さんの残した言葉らしい。
ここ)にこんな紹介があった。

190901eirokusuke 「これは、2016年7月7日、肺炎で永眠した放送作家でタレントの永六輔が遺した言葉。お別れ会で、次女の麻理さんが語っていたのを、古舘伊知郎が聞いて感銘を受け、紹介したものだった。」とのこと。
その言葉がこれ・・・

「人って言うのは二度死ぬんだよ。
個体が潰えたら一度目の死。
そこから先、まだ生きているんだ。
死んでも、誰かが自分のことを思ってくれている。
誰かが、自分のことを記憶に残している、時折語ってくれる。
これがある限りは、生きている。
そして、この世界中で、誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなったとき、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ。
自分はいま生かされている。
それは、一緒に姉と生きてる。
死んだ父・母とも一緒に生きてると本当に思い込んでる。
それがしゃべりの原動力になっている……」ここより)

誰も明日のことは分からない。明日終わるかも知れない自分の人生。それは仕方が無いこと。
だからいつ“その時”が来ても後悔しないような生き方をするしかない。

我々は、日々それを実践できているだろうか?

| コメント (0)

« 2019年8月 | トップページ | 2019年10月 »