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2019年8月31日 (土)

「料理を作るの、好きですか?」~改めて料理を考える

先日の朝日新聞にこんな記事があった。「料理を作るの、好きですか?」と聞いたら、54%が好き、46%がキライと答えたという。
「(be between 読者とつくる)料理を作るの、好きですか?
 料理作りには、創意工夫が必要などといわれます。でも、日々三度の食事の支度となると、そんな悠長なことはいってられない、面倒くさいと思う人が多いのではないでしょうか。かといって手を抜くと、どこかうしろめたさも感じて――。アンケートでは、みなさんの料理作りに対する悩みが浮き彫りになりました。

 ■手抜きも悪くない
 「料理を作るのが好き」と答えた人は54%と、ほぼ半数だった。
 「料理が大好き。悔しいこと嫌なことがあると、ひき肉をボウルにぶつけ、ハンバーグやミートローフができ上がります」(東京、50歳女性)。「料理好き」から、そんな愛あるコメントが多く集まるかと思いきや、「好き嫌いでは語れない」という声が目立った。特に家庭で料理を作る女性たちからは複雑な思いが寄せられた。「好きでもあるが、面倒くさくもある」(山口、56歳女性)、「料理し始めて二十数年、今や義務です」(東京、54歳女性)。
190831ryouri  「洗濯や掃除は機械化が進んだが料理だけ手作りにうるさい」(大阪、43歳女性)との指摘もあるように、生活スタイルが変化しても料理は負担が大きな家事といわれる。
 「20代半ばまでは料理オタクだったが、家族の食事を365日休むことなく作り続ける生活で、自分の味付けに飽き、うんざりしている」(兵庫、53歳女性)、「毎日毎日毎日、朝起きた時から今日の夕飯は何にしよう、お弁当のおかずは何にしようと考える。よくまあ何十年もご飯を作ってきたと思う」(愛知、54歳女性)。
 モチベーションを下げる「食べる人」への不満の声も多くあがった。
 「夫のために60年間作ってきたが、おいしいといわれたことも感謝されたこともない」(大阪、80歳女性)、「嫁に料理をほめられた。夫に少しでもそういう気遣いがあれば私の料理人生も変わっていた」(静岡、60歳女性)。
 一方、東京の男性(66)はこんな体験談を寄せた。退職後、朝食を作ると思いのほか妻が喜んだ。妻が忙しいときに夕食も作ると大変感謝された。「同時に妻の料理に感謝したことがなかった自分を大いに反省した」
 「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」は死語かと思っていたが、アンケートの回答を見る限り、そうでもない。
 「生まれてこの方、料理を作ったことは一度もない。孫からばーちゃんがいなくなっても知らないからねといわれています」(京都、72歳男性)、「料理がまったくできず、妻がいなくなったら餓死するしかない」(神奈川、68歳男性)。
 が、これは男性の意識だけの問題でもなさそうだ。「妻は結婚以来、私が台所に入るのを絶対に許してくれない」(兵庫、77歳男性)、「料理は好きだが結婚後は妻と味の好みが合わず、料理をやめた」(千葉、31歳男性)。
 料理作りは女性任せといった旧態依然とした役割分担意識は根強いが、核家族化、超高齢化社会で、だれもが料理作りに向き合わざるをえなくなっている。長野の男性(59)は「親の介護で料理をする機会が増え、数年で3食作るようになり、レパートリーも増えた」という。
 総務省によると、この30年間で調理済みの総菜や冷凍食品、弁当などを買ってくる中食の利用は1.7倍に増えた。アンケートでも中食やインスタント食品、缶詰、レトルト食品などを利用している人は8割以上。東京で子育て中の女性(42)は「手を抜けるところは抜いてみたら、予想以上に有効に時間が使えた」という。料理が苦手という大阪の女性(54)も「何ら卑下することなく堂々とあらゆる手助けを使いたい」。
 「自分が食べたいものを食べたいときに自分で作る! それが私のベストです」(大阪、64歳女性)。その言葉に記者も同意します。(林るみ)」(2019/08/24付「朝日新聞」b10より)

「家事奮闘記」(ここ)というカテゴリを作って、家事に目を向け出してから2ヶ月になる。しかし一向に記事が増えない。別に熱が冷めている訳でも無いが、やはり炊事の壁が高すぎる。

上の「毎日毎日毎日、朝起きた時から今日の夕飯は何にしよう、お弁当のおかずは何にしようと考える。」という話には、まったく頭が下がる。男は、よくそこに目を向けるべき。妻が作る料理の相手は、亭主ばかりでは無い。子どもや家族への大変な貢献。
それに引き換え、「生まれてこの方、料理を作ったことは一度もない。孫からばーちゃんがいなくなっても知らないからねといわれています」「料理がまったくできず、妻がいなくなったら餓死するしかない」という話は、時代錯誤のたわごと!?しかしほんの2ヶ月前までの自分と同じなのだが・・・。
もはや「核家族化、超高齢化社会で、だれもが料理作りに向き合わざるをえなくなっている。」なのである。

話は飛ぶが、先日の朝日新聞の「ひととき」にこんな投稿があった。
「(ひととき)ひとり暮らしの食生活  主婦(大分県 64歳)
 思わぬ夫の入院で、2カ月間のひとり暮らしを送る羽目になった。
 まず、炊事。今までは多少なりとも栄養バランスに気を配り、献立を立てていたつもりだった。ところが1人になると、ただ空腹を満たせばいい、に様変わりした。
 しかし、友人の「2人共倒れになったら、大変よ」の一言で、以前栄養士の方がいつも口にしていた「またくちにやさしいわ」を思い出した。「ま」は豆類、「た」は卵、「く」は果物、「ち」は乳や乳製品……と、口で唱えながら不足している食品を考える。
 でも、いざスーパーに行って、1匹入りの魚や切り身を探しても、ほとんどない。肉にしろ、少量パックを選ぶのも大変。煮物を作れば、数種類の野菜で量が増え、3日間は食べる始末。
 その栄養士が、栄養指導で山間部の老人宅を訪ねると、食生活の乱れが顕著だと話していたのも納得できる。
 いつか来る車の免許返納。そうなれば、たちまち買い物難民となる。どちらかに訪れる独居。食生活が認知症に深く関係しているとも聞く。考えさせられた2カ月間だった。」(2019/08/16付「朝日新聞」p21より)

そう。誰も最期はひとり暮らし。子どもとの同居でも無い限り、自分一人分の食事を毎日作る事になる。でも食べさせる相手が居なくなると、やり甲斐が無くなり、結局いい加減になるらしい。

しかし、こんな声も・・・
「(声)ある老人の一日、不満特になし 無職 男性(愛知県 86歳)
 10年前から家事一切を自分でやっている。妻は5年前施設に入所し、今年1月死亡した。1人でいるので会話がない日が間々ある。
 体は同年代の人と比べれば元気で健康な方だと思っている。朝食後、家の前にある小山の周りを2時間ほど歩く。雨の降らない限り毎日、20年続いている。
 家で新聞を読む。最近はカタカナ語が多く読みづらくなったと思うのは自分だけかな。3年前に車の免許証を返納したので外出には大変不自由を感じている。
 スーパーに行くとセルフレジが多く老人には付き合い切れない。よく利用する店には昔ながらのレジがあり、「お父さん、今日はこの食材でどんな料理を作るの?」と店員が尋ねてくれる。うれしい。それがこの日唯一の会話となる。
 時に不自由を感じることはあるが特に不満はない。生活に必要なものは全てあり感謝し、一日は終わる。」(2019/08/17付「朝日新聞」P8より)

86歳の男性も、一人になると、結局自活せざるを得ない。上の男性はそれを立派にこなしている。そして自立している。もっともそれが出来ない人は、餓死?それとも老人ホームに避難???

ふと、昔、高村光太郎の、「終戦後の同年10月、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現在は花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送る。」(wikiより)という話を思い出した。
当然、「それがこの日唯一の会話となる。」というような生活だったのだろう。会話の無い生活。男の場合、それは女性と違って目の前に突き付けられる現実。(図書館でも老人ホームでも、男はお互い遠巻きにして、接することを避ける・・・)
男が先に逝ければ良い。でも、こればかりは選べない。
料理もそうだが、会話の無い生活は怖ろしい。
自分のように、取り残されかねない男は、せいぜい妻の料理を褒め、自分が逝けるまで妻に長生きして貰うほか無い。しかし、イザと言うときのために、今のうちからカミさんから料理を教わっておくに越した事は無い。自分も、分かってはいるのだが・・・


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