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2019年8月の12件の記事

2019年8月31日 (土)

「料理を作るの、好きですか?」~改めて料理を考える

先日の朝日新聞にこんな記事があった。「料理を作るの、好きですか?」と聞いたら、54%が好き、46%がキライと答えたという。
「(be between 読者とつくる)料理を作るの、好きですか?
 料理作りには、創意工夫が必要などといわれます。でも、日々三度の食事の支度となると、そんな悠長なことはいってられない、面倒くさいと思う人が多いのではないでしょうか。かといって手を抜くと、どこかうしろめたさも感じて――。アンケートでは、みなさんの料理作りに対する悩みが浮き彫りになりました。

 ■手抜きも悪くない
 「料理を作るのが好き」と答えた人は54%と、ほぼ半数だった。
 「料理が大好き。悔しいこと嫌なことがあると、ひき肉をボウルにぶつけ、ハンバーグやミートローフができ上がります」(東京、50歳女性)。「料理好き」から、そんな愛あるコメントが多く集まるかと思いきや、「好き嫌いでは語れない」という声が目立った。特に家庭で料理を作る女性たちからは複雑な思いが寄せられた。「好きでもあるが、面倒くさくもある」(山口、56歳女性)、「料理し始めて二十数年、今や義務です」(東京、54歳女性)。
190831ryouri  「洗濯や掃除は機械化が進んだが料理だけ手作りにうるさい」(大阪、43歳女性)との指摘もあるように、生活スタイルが変化しても料理は負担が大きな家事といわれる。
 「20代半ばまでは料理オタクだったが、家族の食事を365日休むことなく作り続ける生活で、自分の味付けに飽き、うんざりしている」(兵庫、53歳女性)、「毎日毎日毎日、朝起きた時から今日の夕飯は何にしよう、お弁当のおかずは何にしようと考える。よくまあ何十年もご飯を作ってきたと思う」(愛知、54歳女性)。
 モチベーションを下げる「食べる人」への不満の声も多くあがった。
 「夫のために60年間作ってきたが、おいしいといわれたことも感謝されたこともない」(大阪、80歳女性)、「嫁に料理をほめられた。夫に少しでもそういう気遣いがあれば私の料理人生も変わっていた」(静岡、60歳女性)。
 一方、東京の男性(66)はこんな体験談を寄せた。退職後、朝食を作ると思いのほか妻が喜んだ。妻が忙しいときに夕食も作ると大変感謝された。「同時に妻の料理に感謝したことがなかった自分を大いに反省した」
 「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」は死語かと思っていたが、アンケートの回答を見る限り、そうでもない。
 「生まれてこの方、料理を作ったことは一度もない。孫からばーちゃんがいなくなっても知らないからねといわれています」(京都、72歳男性)、「料理がまったくできず、妻がいなくなったら餓死するしかない」(神奈川、68歳男性)。
 が、これは男性の意識だけの問題でもなさそうだ。「妻は結婚以来、私が台所に入るのを絶対に許してくれない」(兵庫、77歳男性)、「料理は好きだが結婚後は妻と味の好みが合わず、料理をやめた」(千葉、31歳男性)。
 料理作りは女性任せといった旧態依然とした役割分担意識は根強いが、核家族化、超高齢化社会で、だれもが料理作りに向き合わざるをえなくなっている。長野の男性(59)は「親の介護で料理をする機会が増え、数年で3食作るようになり、レパートリーも増えた」という。
 総務省によると、この30年間で調理済みの総菜や冷凍食品、弁当などを買ってくる中食の利用は1.7倍に増えた。アンケートでも中食やインスタント食品、缶詰、レトルト食品などを利用している人は8割以上。東京で子育て中の女性(42)は「手を抜けるところは抜いてみたら、予想以上に有効に時間が使えた」という。料理が苦手という大阪の女性(54)も「何ら卑下することなく堂々とあらゆる手助けを使いたい」。
 「自分が食べたいものを食べたいときに自分で作る! それが私のベストです」(大阪、64歳女性)。その言葉に記者も同意します。(林るみ)」(2019/08/24付「朝日新聞」b10より)

「家事奮闘記」(ここ)というカテゴリを作って、家事に目を向け出してから2ヶ月になる。しかし一向に記事が増えない。別に熱が冷めている訳でも無いが、やはり炊事の壁が高すぎる。

上の「毎日毎日毎日、朝起きた時から今日の夕飯は何にしよう、お弁当のおかずは何にしようと考える。」という話には、まったく頭が下がる。男は、よくそこに目を向けるべき。妻が作る料理の相手は、亭主ばかりでは無い。子どもや家族への大変な貢献。
それに引き換え、「生まれてこの方、料理を作ったことは一度もない。孫からばーちゃんがいなくなっても知らないからねといわれています」「料理がまったくできず、妻がいなくなったら餓死するしかない」という話は、時代錯誤のたわごと!?しかしほんの2ヶ月前までの自分と同じなのだが・・・。
もはや「核家族化、超高齢化社会で、だれもが料理作りに向き合わざるをえなくなっている。」なのである。

話は飛ぶが、先日の朝日新聞の「ひととき」にこんな投稿があった。
「(ひととき)ひとり暮らしの食生活  主婦(大分県 64歳)
 思わぬ夫の入院で、2カ月間のひとり暮らしを送る羽目になった。
 まず、炊事。今までは多少なりとも栄養バランスに気を配り、献立を立てていたつもりだった。ところが1人になると、ただ空腹を満たせばいい、に様変わりした。
 しかし、友人の「2人共倒れになったら、大変よ」の一言で、以前栄養士の方がいつも口にしていた「またくちにやさしいわ」を思い出した。「ま」は豆類、「た」は卵、「く」は果物、「ち」は乳や乳製品……と、口で唱えながら不足している食品を考える。
 でも、いざスーパーに行って、1匹入りの魚や切り身を探しても、ほとんどない。肉にしろ、少量パックを選ぶのも大変。煮物を作れば、数種類の野菜で量が増え、3日間は食べる始末。
 その栄養士が、栄養指導で山間部の老人宅を訪ねると、食生活の乱れが顕著だと話していたのも納得できる。
 いつか来る車の免許返納。そうなれば、たちまち買い物難民となる。どちらかに訪れる独居。食生活が認知症に深く関係しているとも聞く。考えさせられた2カ月間だった。」(2019/08/16付「朝日新聞」p21より)

そう。誰も最期はひとり暮らし。子どもとの同居でも無い限り、自分一人分の食事を毎日作る事になる。でも食べさせる相手が居なくなると、やり甲斐が無くなり、結局いい加減になるらしい。

しかし、こんな声も・・・
「(声)ある老人の一日、不満特になし 無職 男性(愛知県 86歳)
 10年前から家事一切を自分でやっている。妻は5年前施設に入所し、今年1月死亡した。1人でいるので会話がない日が間々ある。
 体は同年代の人と比べれば元気で健康な方だと思っている。朝食後、家の前にある小山の周りを2時間ほど歩く。雨の降らない限り毎日、20年続いている。
 家で新聞を読む。最近はカタカナ語が多く読みづらくなったと思うのは自分だけかな。3年前に車の免許証を返納したので外出には大変不自由を感じている。
 スーパーに行くとセルフレジが多く老人には付き合い切れない。よく利用する店には昔ながらのレジがあり、「お父さん、今日はこの食材でどんな料理を作るの?」と店員が尋ねてくれる。うれしい。それがこの日唯一の会話となる。
 時に不自由を感じることはあるが特に不満はない。生活に必要なものは全てあり感謝し、一日は終わる。」(2019/08/17付「朝日新聞」P8より)

86歳の男性も、一人になると、結局自活せざるを得ない。上の男性はそれを立派にこなしている。そして自立している。もっともそれが出来ない人は、餓死?それとも老人ホームに避難???

ふと、昔、高村光太郎の、「終戦後の同年10月、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現在は花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送る。」(wikiより)という話を思い出した。
当然、「それがこの日唯一の会話となる。」というような生活だったのだろう。会話の無い生活。男の場合、それは女性と違って目の前に突き付けられる現実。(図書館でも老人ホームでも、男はお互い遠巻きにして、接することを避ける・・・)
男が先に逝ければ良い。でも、こればかりは選べない。
料理もそうだが、会話の無い生活は怖ろしい。
自分のように、取り残されかねない男は、せいぜい妻の料理を褒め、自分が逝けるまで妻に長生きして貰うほか無い。しかし、イザと言うときのために、今のうちからカミさんから料理を教わっておくに越した事は無い。自分も、分かってはいるのだが・・・

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2019年8月27日 (火)

森昌子の「旅立つ彼」と「愛する人に歌わせないで」

今日は “とし”さんから頂いた、珍しい音源の紹介。
前に「杉田二郎と森山良子の「旅立つ女(彼)」」(ここ)という記事を書いた。
その時に、「森昌子の音源が欲しい」と書いたのだが、森昌子のファンだという“とし”さんから、LPからの音源を頂いた。
初めて聞いた。1980年3月21日発売の「旅立ち」というアルバムからだ。

<森昌子の「旅立つ彼」>


「旅立つ彼(ひと)」
  作詞・作曲:佐々木勉
  歌:森昌子

悲しい時にうたえる歌が 私は今ほしいの
旅立つ人の後姿が 涙にかすんで見える
今日まで好きと言えずに 過ごしてしまったことが悲しいの

別れの夜がこんなに辛い ものとは知らなかったの
いつでもそばにいてくれたから 気がつかなかった私
どうしてもっと素直に 優しい人の言葉が聞けなかったの
どうしてもっと素直に 優しい人の言葉が聞けなかったの

私は書くの長い手紙を 気の済むまで書きたいの
初めて書いた愛の言葉に あなたの笑顔が浮かぶ(幼い涙が落ちる)
わがままばかり言ってた 私のことが今では恥ずかしい

謝りたいの今日までのこと 許してもらえるかしら
私ひとりで生きてゆけない 心が寂しい夜更け
(遠くに光る小さな星に そっと祈りたい気持)
帰って欲しいもいちど あなたの胸に甘えて眠りたい
(許してほしいも一度 二人の愛の唄を歌いたい)
帰って欲しいもいちど あなたの胸に甘えて眠りたい

そう。オリジナルと微妙に歌詞が違う。
ふと、森進一と川内康範との「おふくろさん騒動」(ここ)を思い出した。
森進一が勝手に台詞を付け加えて歌い、それを作詞した川内康範が怒った事件。
上の森昌子の歌詞は、オリジナルとどのような関係があるのだろう?もしこの録音のために変えられたとしたら、作詞家の承諾を得ていたのかと心配になる。

まあそれはそれとして、いつ聞いても森昌子の歌唱はうまい。素晴らしい。
歌唱力があるので、カバーした歌の録音も多い。
その中で、“とし”さんが特に推薦していたのが、「愛する人に歌わせないで」。

<森昌子の「愛する人に歌わせないで」>


「愛する人に歌わせないで」
  作詞・作曲:森田公一

もう泣かないで坊や あなたは強い子でしょう
もう泣かないで坊や ママはそばにいるの
あなたのパパは強かった とてもやさしかった
だけど今は遠い 遠いところにいるの

ほら見てごらん坊や きれいなお星さまを
あれはパパなの坊や いつもあなたを見てるの
ママはいいの一人でも あなたがそばにいれば
だってあなたはパパの パパの子供だから

あなたのパパは坊や 私たちのことを
あなたのパパは坊や とても心配してたの
戦いに行くその日まで きっと無事で帰ると
かたい約束をして 出掛けていったのに

あなたのパパは坊や あんなに言ったけれど
あなたのパパは坊や ここに帰らないの
あなたが大きくなったら 愛する人に二度と
歌わせないでちょうだい ママの子守唄を
ママの子守唄を ママの子守唄を

この歌は、1974年12月1日発売の「おかあさんに捧げる詩」というLPの収録曲。これも初めて聞いた。なるほど、“とし”さんが言うように、当時16歳、つまり高校1年生としては、素晴らしい情感だ。

blogに書いておくと、思わぬ所から半世紀も前の欲しかった音源が手に入ることがある。有り難いことだ。“とし”さんに感謝。

話は飛ぶが、先日、カラヤン/ウィーン・フィルのブラームスの交響曲第一番のハイレゾ音源を買った。
このデッカの1959年の録音は、自分が高校3年(1965年)の時に買ったLPで、さんざん聞いたもの。ブラームスの一番は、この録音が耳にこびりついているので、自分は他の録音を受け付けない。それをハイレゾで、とずっと思っていたが、発売されず、ずっと待っていた。それが先日やっと発売され、直ぐに買ったというわけ。

欲しかったものが時間とともに段々と手に入ってくる。井上陽水のハイレゾ音源も手に入った(ここ)。
前にも何度か書いているが、あとは小椋佳、中島みゆき、石川さゆり、前川清、そしてこの森昌子だ。
森昌子の往年の名曲群。復帰後、2014年に「森昌子ベスト15 今、あなたへ」というセルフカバーを出したが(ここ)、それ以降は無いようだ(2017年のミニアルバムはあるようだが)。
森昌子も今年(2019年)いっぱいで引退とか。音の良いセルフカバー盤が期待出来ないとすると、やはり往年の名曲のハイレゾ音源の発売を期待するしかない。
待っていれば、発売される?井上陽水も発売されたのだから、待ってみよう。でもその前に自分の寿命が尽きてしまうかもね・・・

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2019年8月23日 (金)

「テレビ社会ニッポン」太田省一著~Uさんの読書ノート

Uさんの「本の紹介」も久しぶりである。何度も記したが、とにかくUさんが紹介してくれる本は難しい。しかし、今回の本は、ツツーと読めてしまった。

Uさんの紹介文にはこうあった。
「各位
暑い日が続きますが、皆様お変わりなくお過ごしの事と存じます。
今回の「本の紹介」は、せりか書房社長 船橋純一郎氏から贈呈された本「テレビ社会ニッポン」である。船橋氏とは、過って、新宿のゴールデン街にある飲み屋で知り合った飲み仲間であり、「各位」の一人でもある。この店はママが一人でやっている10人ぐらいしか座れない小さな店であった。客の主流は、早稲田の「露文」出身者、現役の早稲田大学露文の教授を始め、大学院生、OB達である。その一人が船橋氏であった。現在、この店は、ママが病気で亡くなった後、彼女の娘と孫娘が継いでいる。そして今や、客の多くは外国人の旅行者が主流のようだ。

本の帯に、人は何故テレビを見るのか?(視聴者)が自由を得るため。テレビは(自作自演的習性)、つまり「自分でやったことなのに、そ知らぬふりをする」習性持つ一方(視聴者)は、番組に出演したり、ツッコんだりしながらも、「テレビを実質放置」する。こうして戦後、暗黙の(共犯関係)による「テレビ社会ニッポン」は誕生した。その65年余に及ぶ歴史を検証し、転換期にあるテレビと視聴者の未来を展望する。誰よりも自らが(視聴者)であり続けて来た著者による渾身のテレビ論とある。
特に、メデア関係者には、お勧めの本である。」

★「テレビ社会ニッポン」太田省一著~Uさんの読書ノートのPDFは(ここ

Amazonで見ると、この本は各紙の書評でも取り上げられているらしい。『信濃毎日新聞』2019年2月10日 書評(上滝徹也氏) 、『日経新聞』2019年2月16日 書評、『週刊読書人』2019年3月22日 書評(高野光平氏)、『東京新聞』2019年3月31日 書評(荻上チキ氏)・・・

珍しくツツーと読めたが、まあ内容については書かない。しかし、テレビの放送開始当時の話は、懐かしく読んだ。そう、自分も(街頭テレビではなく)テレビを買った店の2階の窓から外に向かって置かれたテレビで、プロレスを見た方。昭和30年代初期は、テレビは独り占めできず、買った店は、客の顰蹙を買わないために、夜のプロレスの時間になると周囲の人が見られるようにしたのである。

それにしても、テレビが社会を動かす力は、戦前の新聞の様相。
話は飛ぶが、今朝(2019/08/23)のTV朝日のモーニングショーで、昨日の日韓軍事情報協定(GSOMIA)の韓国からの破棄通告のニュースに関し、こんな話があった。

9:17玉川「日本の方がもしかすると感情的にはエスカレートしているように僕には見えるんですね。そうなったときに今度はそれをメディアがあおる可能性がある。つまり、世論の大勢ににメディアは付こうとする場合がある。特にテレビなんかはそうだから。テレビは視聴率だから。韓国に対してけしからんと言った方が視聴率が取れるんだったらそっちに流れるんです。低きに流れる可能性があるんですね。そうなると、やっぱりまたそれが国民の感情をあおっていく。それをやっちゃ駄目だということは、戦前に我々は学んでるはずなんです。要するに不当に国民の感情を刺激してはいけないと。冷静になることを呼びかけるのが本来のメディアの役回りだと僕は思っているので、だからそういうふうに、ある種、志が低い方向に流れる。本当にそう考えてやっているんだったらいいですよ。そうじゃなくて、そっちの方が視聴率が取れるからって流れていくようなメディアがあったら、僕は残念です。」・・・

9:22玉川「韓国の国内の報道がまさに文政権をあおるような報道ばかりになっているという話を聞くんですがそうなんですか?テレビが特に。」

辺「確かに私もインターネットで韓国の新聞10紙全部読んでいますし、テレビも見ておりますが、新聞のほうはそれでも韓国の3大紙と言われている朝鮮日報、中央日報、東亜日報は基本的には反文在寅の論陣を張っていますので決してあおっていませんが、テレビは私から見ても正直なところ、あおっている面がありますね。」

自分は、バラエティー番組大キライ人間なので、テレビで見るのはニュースとドキュメンタリー番組が多いが、ニュースもその信頼度が怖い。
香港のデモのニュースも、中国ではデモ隊が乱暴をしている映像ばかり流し、中国国内での香港デモ隊悪人の世論が醸成されているという。

我々も無意識のうちに、テレビにコントロールされているのかも知れない。
テレビに“御される”ことだけは避けたいと思うのだが・・・

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2019年8月21日 (水)

4K放送の画面は暗い?~REGZAはOK!?

先日の朝日新聞にこんな記事があった。4K放送の画面が2Kに比べて暗いというのだ。

4K放送、画面暗い? 高精細のはずが…苦情 市販TV、低い輝度/2K映像を変換
 昨年12月に始まった衛星放送(BS)の「4K放送」に、視聴者の一部から「画面が暗い」との苦情が出ている。「こんどのテレビは、別世界」など、映像の美しさを売りにした4K放送で、なぜこうした苦情が出たのか。消費者がとれる対策はあるのか。(松田史朗)

 首都圏に住む60代男性は、わくわくしながら2018年12月1日を迎えた。居間には58インチの4Kテレビ。チューナーもつけ、4K放送の番組を見始めた。
 「あれ、暗いな……」
 従来の2K放送に比べ、4K放送の画面が暗く感じた。東京五輪を美しい映像で見たいとテレビ、チューナー、テレビ台に50万円ほど投じた。男性に購入を勧めた電器店に苦情を言い、メーカーの社員に自宅に来てもらったが「修理はできない」と言われたという。
1908214kgamen  朝日新聞は5月、この電器店の協力を得て、大手メーカーの同じテレビ2台で4K放送と2K放送を見比べたところ、通常の明るさ設定では4Kの方が暗く見えた。明るさ設定が「最大」だと4Kの暗さはある程度改善した。暗く見える原因と対策を追った朝日新聞デジタルの連載記事を8月上旬に配信すると、滋賀県に住む60代男性からも同様の指摘が寄せられた。
 男性は昨年、4Kテレビ(約15万円)とチューナー(約3万円)を通販で購入。NHK紅白歌合戦を美しい映像で見られると期待したが、「画面にどうにも鮮やかさがなかった」。
 一方で「暗さは全く感じない」「NHKはきれいだが、民放は画像が悪い」といった反響もあり、メーカーや機種によって見え方には差があるようだ。
 4K放送を推進する放送サービス高度化推進協会(A―PAB)の電話窓口には、5月末までに5042件の相談があり、うち「画面が暗い」との相談は82件(1・6%)だった。
 4Kテレビは6月末までに約685万台出荷されたが、テレビ内蔵型を含むチューナーなどの出荷は約127万台。4Kテレビを持つ家庭の多くは、まだ4K放送を受信していない。

 ■コスト面に課題
 なぜ暗く見えるのか。大手電機メーカーや放送局などに取材を進めると、テレビの性能面と、放送局の映像処理の双方に要因があることが分かった。
1908214k  一つは、テレビの「輝度(画面の明るさ)」の問題だ。4K放送は従来の2K放送に比べ、表現できる明暗のコントラスト幅が広がる。2Kだと黒や白につぶれてしまうようなところにも精細な映像を浮かび上がらせることができる。
 4K放送の映像を作る場合、放送局では、2K放送の10倍にあたる最大1千nit(ニト、輝度を示す単位)のプロ用の「マスターモニター」で編集を行う。
 ただ、家庭用4Kテレビの最大輝度は、コスト面の課題などからこれを大きく下回る。映像の専門家やメーカーの担当者によると、市販の4Kテレビの最大輝度は500nit前後のものが多い。ただ、メーカーの多くは機種ごとの最大輝度を公表していない。
 最大輝度が低いテレビで4K映像を見ると、映像の「作り手」が見ている元の映像に比べて暗くなるという。映像の専門家でシリコンスタジオ(東京)研究開発室長の川瀬正樹さんによると、液晶テレビのバックライトの性能が上がって従来の3~5倍も明るくなり、2K放送がより明るくなったことも、相対的に4K放送が暗く見える要因になった可能性があるという。

 ■前倒しが影響か
 放送局側の映像処理にも要因があった。民放のBS・4Kチャンネルには、従来の2K放送用の機材で撮影した映像を、4K向けに変換(アップコンバート)した番組が多い。民放も参加する電波産業会(ARIB)が定める「放送標準規格」に沿った編集では、2Kで撮った映像は最大203nit(参考値)で表示されるため、明るくなった2K放送や、4Kカメラで撮影された番組に比べ、暗く見えるという。
 BSフジの戸田英男技術局長は「民放は番組の間にCMを挟む。日本広告業協会と日本民間放送連盟の取り決めで、映像の色や明るさに手を加えることはできない」と説明する。
 一方、NHKは、4Kの番組はすべて4K用の機材で撮影した映像でつくっているという。
 4K放送の導入スケジュールを問題視する声も聞かれた。総務省は当初、20年からの放送開始を想定していたが、東京五輪の決定を受けて「18年」に2年前倒しした経緯がある。
 4K映像の編集機材が民放に納入されたのは18年夏、一般家庭向け4Kチューナーが出荷されたのは同10月と放送開始直前だった。複数の関係者によると、家庭用の4Kテレビとチューナーで4K放送を受信したとき、実際に映像がどう見えるのか、ほとんどチェックされないまま放送開始に至ったという。

 ■購入前、まず見比べて
 消費者はどう行動すればいいのか。これから4Kテレビの購入を検討するなら、電器店などで実際に4K放送の番組を見てから判断するのが確実だ。最近はチューナー内蔵型テレビも多い。4K放送と2K放送、あるいは同じ4K放送でもNHKと民放の番組を見比べ、高画質に納得がいけば購入すればいい。
 一方、すでに4Kテレビがあって、外付けチューナー(2万~6万円ほど)を買って4K放送を受信するかどうか検討している場合、チューナーによる映像の変化を確かめてから判断するのは難しそうだ。記者が複数の家電量販店に問い合わせると、一般的にチューナーの貸し出しはしていないという。
 A―PABは「新4K8K衛星放送」に関するコールセンター(0570・048・001、運用時間は平日9時~17時。通話料視聴者負担)を設けている。」(2019/08/19付「朝日新聞」p2より)

上の記事は、先に朝日新聞デジタルに連載された記事の要約版らしい。
連載の記事の方がより詳しい。

★(ここ)にPDFを置きますので読んでみて下さい。

①「4K放送、画質抜群のはずが「あれ、暗い」 相次ぐ苦情」
②「「4K放送は暗い」問題を検証 従来と比較した結果は」
③「4K放送が「暗い」わけ 専門家に聞いて浮かんだ仮説」
④「4K放送、なぜ「暗い」TVメーカーを直撃 残った疑念」
⑤「4K放送、民放を悩ます費用の壁 潤沢なNHKと温度差」
⑥「「4Kは突貫工事」特殊環境で試験放送、視聴者置き去り」
⑦「「放送開始前、調整しようがなかった」専門家に聞く4K」
⑧「楽しみだった紅白… 4K画質「あきらめろというのか」」

記事を読んでみると、なるほどと納得。しかし、実は自分もREGZAの4Kチューナーとテレビで見ているが(ここ)、暗いと思ったことが無かった。

記事を読んでみると、最大輝度を公表しているのがREGZAだけだと分かった(上のPDFの12/26)。他社は非公開。つまりREGZA以外は、メーカーとして自信が無い証拠かも?

そして局側の対応も面白い。目を引くのがNHKの対応。
「NHKはどうしているのだろうか。「アップコン」の指摘を含めた五つの質問項⽬とともに取材を申し込んだ。
しかし最初に返ってきたのは、たった1枚の⽂書回答。苦情件数の問い合わせには「様々なご意⾒をいただいています」。「暗い」原因については「それぞれの放送で最適な映像になるように調整します」、テレビの輝度の指摘には「メーカーが販売しているテレビについて、NHKではお答えできません」――。事実上のゼロ回答だ。」(上のPDFの17/26)

相変わらずの対応。政治の話と似ているな・・・

ともあれ、技術的な内容に興味がある人は上のPDFをじっくり読んで頂くとして、何より面白かったのは、映像の専門誌での話題のような話を、彼の朝日新聞が取り上げて深掘りしていたこと。そして、記者の熱心さによって、問題の核心に近付いていたこと。
これには、朝日も見直した。まるで、昔の「暮しの手帖」のような切れ味。

こんな企画はぜひ続けていってほしいもの。

それと、なぜ自分が「4Kが暗い」と気付かなかったのか?
自分が持っているREGZAの環境(50Z810Xと、4KチューナーのTT-4K100)では、今見比べても、暗い感じは無いのである。上の記事によると、メーカーの回答は下記だという(同じく12/26)。

「4K放送が暗い」という苦情の有無と件数を聞いた。回答はこうだ。

パナソニック ごくわずか
ソニー ⾮公開
東芝 なし
シャープ 5⽉末までに100件
三菱電機 直近3カ⽉で数件

なるほど、東芝への苦情は無いという。つまりは、自分と同じで、暗いと感じていない。つまりは、輝度があるため?(性能が良いため?)、ユーザーに不満が無いらしい。
それで自分なりに納得した。不満が無いのは、自分だけでは無いのだ・・・と。

思わぬ所で、朝日新聞の切れ味の良さと、REGZAの優秀さを確認してしまった記事であった。

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2019年8月18日 (日)

NHKドラマ「透明なゆりかご」は評判通りの秀作

NHKドラマ「透明なゆりかご」の再放送(2019/08/04~09)を見た。なるほど、これは評判通りの秀作だ。
このドラマの名を知ったのは、「早稲田大学での「テレビドラマの授業」」(ここ)で、早稲田大学文学学術院教授 岡室美奈子氏が優秀作品として紹介していたから。そのうちに見たいな、と思っていたら、DVDが出ている事を知って、7月にレンタルで全巻を借りた。しかし、見始めてみて、重いテーマに圧倒されて、当時の自分の精神状態から耐えきれなくなり、見ないまま返却してしまった。
それが、先日、BSプレミアムの過去番組を眺めていたら、「ATP賞授賞式 2019」(2019/07/30放送)という番組があった。それを見たら、この「透明なゆりかご」がこのATP賞のドラマ部門の最優秀賞に選ばれたことを知った。それを機に、再放送をしないかなと思っていたら、これまたNHK総合の過去番組を眺めていたら、何と全編が放送(録画)されていた(ここ)。それで昨日と今日の二日で全編を見たというわけ。

この番組は、ちょうど1年前の2018年7月20日~9月21日まで放送されたという。
NHKのサイトには、こう解説がある。

『透明なゆりかご』とは?
町の小さな産婦人科医院を舞台に、ひとりの感性豊かな少女の目線で、“命とは何か”を問い、見つめてゆく物語。

190818yurikago 累計325万部超、20~30代の女性を中心に圧倒的な共感を呼んでいる、沖田×華さんの漫画作品をドラマ化。脚本は、NHK総合で初執筆となる安達奈緒子さん。主演は、これがドラマ初主演となる清原果耶さん。物語は幸せな出産ばかりでなく、中絶や死産といった産婦人科の“影”の部分にも向き合いながら、時に明るく、時に切なく、主人公たちの命への“祈り”にも似た想いをつむいでゆく。観ていてどこかほっこりする、でも心の底までズドンと来るような、そんなドラマをお届けしたい。」(NHKのここより)

主人公の高校生(清原果耶)が、何とも清楚で好ましい。個性的では無い医師と、存在感溢れる原田美枝子演じる看護師長。
それぞれの回で扱うテーマが、何とも重い。それらに向き合う主人公の見習い看護師が、とにかくひたむき。

ドラマの内容は書かないが、wikiによると「作者初のフィクション作品となった『ギリギリムスメ』の連載に行き詰まった時に、「私が経験したことで何か漫画になるようなことあったかな、そういえば産婦人科でバイトしてたことがあったな」と本作を着想し、ネームを制作して編集者に提案。」だそうだ。
つまり、この物語は作者の体験談を元に、漫画「透明なゆりかご 産婦人科医院 看護師見習い日記」として作られた作品とのこと。

ちまたの評判通り、このドラマは色々な賞を総なめしている。見てみると、確かに「そうだろうな」と思う。
ずっと録っておきたいドラマであった。

★このドラマをご覧になりたい方は、録画したブルーレイ(3.5倍録画:PanaのDMR-BRX7020で録画)をお貸しすることが出来ます。メールでご連絡下さい。

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2019年8月16日 (金)

「妻が願った最期の「七日間」」

今日(2019/08/16)の夕方のNHK「首都圏ネットワーク」で「中高年の心揺さぶる“最期の七日間”」という話を放送していた(2019/08/16 18:34~18:42)。
興味を持ったので、Netでググってみた。

話は、2018年3月9日に朝日新聞に掲載されたこの投稿からだったという。

「妻が願った最期の「七日間」
     パート宮本英司(神奈川県 71)
 1月中旬、妻容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。
 ≪神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ≫
19081620180309asahi  妻は昨年11月、突然の入院となりました。すぐ帰るつもりで、身の回りのことを何も片付けずに。そのまま不帰の人となりました。
 詩の中で妻は二日目、織りかけのマフラーなど趣味の手芸を存分に楽しむ。三日目に身の回りを片付け、四日目は愛犬を連れて私とドライブに行く。≪箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く≫
 五日目、ケーキとプレゼントを11個用意して子と孫の誕生会を開く。六日目は友達と女子会でカラオケに行くのだ。そして七日目。
 ≪あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょう 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう≫
 妻の願いは届きませんでした。詩の最後の場面を除いて。≪私はあなたに手を執られながら 静かに静かに時の来るのを待つわ≫
 容子。2人の52年、ありがとう。」(2018/03/09付「朝日新聞」より)

その詩の全文がこれ・・・

「七日間」
     作:宮本容子

神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください

一日目には台所に立って
料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌
カレーもシチューも冷凍しておくわ

二日目には趣味の手作り
作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ
心残りがないほどいっぱい作る

三日目にはお片付け
私の好きな古布や紅絹(もみ)
どれも思いが詰まったものだけど
どなたか貰ってくださいね

四日目には愛犬連れて
あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな
思い出の公園手つなぎ歩く

五日目には子供や孫の
一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って
プレゼントも用意しておくわ

六日目には友達集まって
憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか
そしてカラオケで十八番を歌うの

七日目にはあなたと二人きり
静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて
ふたりの長いお話しましょう

神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ

この話は、大きな話題となって、クミコさんがCDを、そしてサンマークから本も出版されたという。

この背景について、この記事が詳しい(ここ)。

妻が願った最期の「七日間」 投書にこめられた夫婦の物語
 「1月中旬、妻容子が他界しました」。昨年11月に入院した妻が、そのまま帰らぬ人となったこと、病室の枕元のノートに「七日間」という詩を残したことをつづる、71歳男性の文章は、そんな言葉から始まりました。3月9日、「妻が願った最期の『七日間』」の題で新聞の投稿欄に掲載されると、またたく間にSNS上で広がり、18万7千件以上の「いいね」でシェアされました。詩にこめられた夫婦の物語が知りたくて、この男性を訪ねました。(朝日新聞オピニオン編集部「声」編集記者・吉田晋)

老後を過ごそうと購入した自宅
 投稿を下さった宮本英司さん(71)は、神奈川県にお住まいです。息子さん2人は独り立ちして別に家庭をお持ちなので、今はメスのウェストハイランド・ホワイトテリア「小春」ちゃん(11)と一緒に暮らしています。
 ご自宅のマンションは、玄関やベランダからの広々とした眺めを気に入った妻容子さんが、転勤族だった英司さんと老後を過ごそうと購入を決めたのだそうです。暖かな日が差し込むリビングは、きれいに片付けられていました。
 「容子がきれい好きで、いつも冗談交じりに『あなたの後ろを片付けながら歩いているのよ』って。だから、きちんとしませんと」
 口元に柔らかな笑みを浮かべながら話す英司さんですが、時々言葉を詰まらせます。「容子の思い出を胸に前を向いて、と皆が言ってくれますが、そこにはたどりつけていなくて……」。

すでに末期だったがん
 容子さんが最初におなかの不調を訴えたのは、3年前の春。大学病院では感染性の腸炎との診断でしたが、夏に腸閉塞を起こしかけて開腹手術を受け、小腸がんと判明しました。すでに末期で、余命は平均2年との宣告でした。容子さんは68歳でした。
 非常にまれながんで、別の病院でセカンドオピニオンを受けると、こちらの医師は「人の命について、あと何年なんて言いたくない」。容子さんはうなずき、抗がん剤の治療が始まりました。
 最初は点滴で、副作用がきつくなってから経口薬も試しました。半年が経ったころ、容子さんはパソコンにこんな文章を残します。
 「耐えられない副作用ではない。治療することで少しでも延命ができるなら、もっと生きたい。もっとあなたと楽しい日々を過ごしたい」
 「生きることにしがみつきたい思いです。だって、やっとあなたと、ゆとりある日々が迎えられ、これからという時なんですものね」

少しずつ決めていた「覚悟」
 体調が許す限り、2人と1匹で旅行に行きました。
 八ケ岳、丹沢湖、鎌倉、箱根、北海道……。自宅の居間で、夕食後にパソコンの麻雀ゲームを一緒に楽しみながら夫婦の勝ち点を記録し、お金がたまったら旅の計画を立てます。
 穏やかな日々でした。腫瘍マーカーの数値も落ち着いています。「後2年と宣告したあの先生に、顔見せにでも行こうか」。2人の間でそんな軽口も交わされるくらい、経過は良好でした――昨年の夏までは。
 2017年7月。おなかが張って苦しいと訴え、緊急入院すると「腫瘍が大きくなっています」。腸がふさがり、人工肛門の手術をすることになりました。「半年程度しか持たない人に、この手術はしませんよ」という医師の言葉に、英司さんは希望を託します。
 しかし、容子さんは少しずつ覚悟を決めていたようです。手術当日の朝、白い手製のブックカバーをかけた愛用の手帳に、夫と2人の息子の名前、そして一人一人に「ありがとう」と書きました。
 英司さんが手帳を開いたのは、半年が過ぎ、全てが終わった後。そこにはこうありました。
 「病気はみんな私が背負うから 健康で長生きするのよ」

「家に帰ったら、何がしたい?」
 手術を乗り越えて退院した後も、容子さんの体調は戻りません。体重は10キロ以上減りました。
 10月にまた緊急入院。容子さんは「退院したら野菜スープを作るから、それ用のなべが欲しいの」「点滴をしながらでも2人で出かけたいので、車いすをレンタルしておいて」と自宅での生活を思い描きます。英司さんも在宅医療の手配を整え、妻の退院に備えました。
 「今思うと、病気が急にどんどん先に行ってしまって、気持ちが追いつかなくなっていました」
 11月、車いすで自宅に帰りましたが、毎日吐いてしまい、医師も「いったん入院した方がいい」と勧めます。数日後、自宅近くの病院に入院しました。落ち着いたら戻るつもりでした。妻も夫も。
 12月の半ば。「家に帰ったら、何がしたい?」。英司さんの問いかけに、ベッドに横になった容子さんが口を開きました。その言葉を、入院生活の覚書用に枕元に置いてあったノートに、英司さんが書き留めました。それが、「七日間」の詩です。

・・・・・」(2018年04月11日付「withnews」ここより)

そう。誰もが死ぬ。そしてどの家庭、どの夫婦にも、このような不幸な瞬間は必ず訪れる。問題は、それが“いつか・・・”だ。

何の変哲も無い日常が、どれほど幸せで有り難いことか、“その時”になってやっと気付く。

我々はただ、“その時”が訪れるのが、先であれば良いと、ただ祈るだけ。

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2019年8月15日 (木)

ツィーラーの「星条旗行進曲」~「パイのパイのパイ」

NHK BSで「ウィーン・フィル シェーンブルン 夏の夜のコンサート2019」(2019/07/29放送)を聞いた。グスターボ・ドゥダメル指揮だが、その中で、ツィーラー作曲の「星条旗行進曲」が面白かった。

<ツィーラーの「星条旗行進曲」~ドゥダメル/ウィーン・フィル>

この旋律はどこかで聞いたもの。そうだ。榎本健一の「パイのパイのパイ」だ。

<榎本健一の「パイのパイのパイ」>

「東京節(パイのパイのパイ)」
  作詞:添田さつき
  (ジョージア行進曲)

東京の中枢は 丸の内
日比谷公園 両議院
いきな構えの 帝劇に
いかめし館は 警視庁
諸官省ズラリ 馬場先門
海上ビルディング 東京駅
ポッポと出る汽車 どこへ行く
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

東京で繁華な 浅草は
雷門 仲見世 浅草寺
鳩ポッポ豆うる お婆さん
活動 十二階 花屋敷
すし おこし 牛 天ぷら
なんだとこん畜生で お巡りさん
スリに乞食に カッパライ
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

東京はよいとこ 面白や
豆腐 みそ豆 納豆 桶屋
羅宇屋 飴屋に 甘酒屋
七色とんがらし 塩辛屋
クズーイクズーイ 下駄の歯入れ
あんま 鍋焼 チャンしゅうまい
唄の読売ゃ どうじゃいな
ラメチャンタラギッチョンチョンデ
パイノパイノパイ
パリコトパナナデ フライフライフライ

ん?この歌の元々の旋律は“ヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」”??
自分の音源で「ジョージア」で検索すると「ジョージアを超えて」というのがあった。主な旋律は同じだ。

<「ジョージアを超えて」~フィリップ・ジョーンズ・アンサンブル>

しかし、wikiの「カール・ミヒャエル・ツィーラー」の項目に「星条旗行進曲」という文字は無い。
どうも、ツィーラーが「ジョージア行進曲」を下敷きにして作曲(編曲?)した作品らしい。

ともあれ、珍しい曲を聞いた。ウィーン・フィルも粋なことをする。
190815schonbrunn 10万人が聞いたというシェーンブルン宮殿でのコンサート。
シェーンブルン宮殿は、我が家で唯一のヨーロッパの旅行(2006年8月)で行ったことがあるが(ここ)、その時の光景が目に浮かんだ。
やはり一度ホンモノを見ていると違う。
エノケンの歌声も含めて、昔を懐かしんで聞いた音楽であった。

●メモ:カウント~1230万

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2019年8月10日 (土)

2019年「長崎平和宣言」引用の原爆詩全文

昨日挙げた田上長崎市長による「長崎平和宣言」に引用された原爆詩の原文が、今朝の朝日新聞に載っていたので、挙げておきたい。

 ■詩の全文

 あの日から三十四年/青い空を見上げてたゞひたすら感謝する/戦争というものがない今日この日だから

 戦争というものがあったとき/人は夜がきても眠ることができなかった/空襲のサイレンにおのゝきおびえて/暗い床下の防空壕で夜を過した/腹がへっても食べるものがなかった

 水のようなおかゆが一杯だけ/いもの葉っぱを浮かべてすゝった

 それでも人は重き銃をかついで/戦場へ出かけて行った/人が人を殺すため/父も子も行かねばならなかった/十五才の少女も/手に鉄のやすりをにぎりしめ/昼も夜も 兵器というものを造り続けた/人が人を殺すために

 そして真夏の太陽の照りつける日/たゞ一つの原子爆弾が浦上の空に落された/人間の歴史始まって以来誰も見たことのない/光と熱と風とをもって炸裂した

 幾千の人の手足がふきとび/腸(はら)わたが流れ出て/人の体にうじ虫がわいた/息ある者は肉親をさがしもとめて/死がいを見つけ そして焼いた

 人間を焼く煙が立ちのぼり/罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた/浦上のまちが見わたすかぎり/ガラガラの瓦だけになり/拾う人もない黒こげの死体が続いて/戦争が終った/ケロイドだけを残してやっと戦争が終った

 だけど……/父も母も もういない/兄も妹ももどってはこない

 人は忘れやすく弱いものだから/あやまちをくり返す/だけど……/このことだけは忘れてはならない/このことだけはくり返してはならない/どんなことがあっても……

そしてこの詩が出来た経緯について、こんな記事が・・・

繰り返させない、原爆詩に込め 長崎平和宣言引用、91歳の願い

 平和祈念式典会場の公園周辺が商店街だったころ、母子4人で住んでいた。74年前のあの日、爆心地になった。原爆を忘れたい。忘れてはいけない――。40年前、苦しみながら思いをつづった詩が今年、平和宣言に使われた。「戦争を考える糸口の一つになれば」。そう願う。

190810yamaguchi  長崎県長与町の山口カズ子さん(91)。17歳の時、勤め先の三菱兵器大橋工場で机に向かおうとして、強い光を受けた。崩れた建物からはいでると、外は一変していた。迫る火の手、暗い空。髪が逆立った人、頭から血を流した人。顔と両腕にやけどを負い運ばれた救護所で、自宅がある町で助かった人はいないと聞いた。希望を捨てたくなくて、誰にも家族の安否は尋ねなかった。
 父を早くに亡くしており、身を寄せた伯母に秋ごろ、告げられた。学校が夏休みだった11歳の妹は自宅で骨が見つかった。近所のしょうゆ工場で働いていた母と、14歳の妹は手がかり一つ見つからなかった。
 母と妹たちを捜すことも、遺骨を拾うこともできなかった。自分だけが助かったことがやりきれなかった。忘れなければ前に進めないと思った。家があった町に寄るのを避け、同級生と原爆の話はしなかった。
 冷静に振り返れるようになったのは、30年がたったころ。結婚後まもなく夫婦で始めた印刷所は従業員が増え、3人の子は20代になっていた。
190810nagasaki  本屋で被爆者の手記や写真集を手にした。立ったまま焼け死んでいた同級生。家族がいた町で水を求めて川に顔を入れたまま亡くなった人。知らないことばかりだった。母と妹の最期が浮かんだ。絶対に繰り返してはいけないと感じた。
 あの日と同じように空が青かったある日。初めて詩が浮かんだ。
 この日、式典会場に詩が響いた。参列した山口さんは、じっと目をつぶった。原爆に命を奪われた人たちと、平和に暮らしてこられた自分。生かされている不思議さ、申し訳なさ――。平和がずっと続きますようにと、強く願った。天国の母と妹たちも、きっと祈っていてくれる。山口さんは少しほほえんで、会場を後にした。(田中瞳子、安田桂子)」(2019/08/10付「朝日新聞」p30より)

話は飛ぶが、今朝の朝日新聞のトップは「森友問題、捜査終結 佐川氏ら再び不起訴 背任・文書改ざん「嫌疑不十分」」(ここ

どんな事件や事故も、時間と共に風化していく。そして人間は同じ過ちを繰り返す。
それを避けるには、「臥薪嘗胆」の故事ではないが、常に風化しないように思い出すしかない。

改めて、原爆の悲惨さを甦らせたこの詩、そしてそれを引用して原爆の怖ろしさを改めて世界に発信した昨日の平和宣言。
いずれ孫に読んで聞かせたい原爆詩ではある。

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田上・長崎市長の2019年「長崎平和宣言」 

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2019年8月 9日 (金)

田上・長崎市長の2019年「長崎平和宣言」

今日は、被爆から74回目の長崎原爆の日。カミさんが、長崎市長の宣言を聞きたいというので、一緒に聞いた。今までに無く心にしみ渡る宣言文だった。

<田上・長崎市長の「令和元年 長崎平和宣言」>

令和元年 長崎平和宣言(宣言文)

目を閉じて聴いてください。

 幾千の人の手足がふきとび
 腸わたが流れ出て
 人の体にうじ虫がわいた
 息ある者は肉親をさがしもとめて
 死がいを見つけ そして焼いた
 人間を焼く煙が立ちのぼり
 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
 ケロイドだけを残してやっと戦争が終わった
 だけど……
 父も母も もういない
 兄も妹ももどってはこない
 人は忘れやすく弱いものだから
 あやまちをくり返す
 だけど……
 このことだけは忘れてはならない
 このことだけはくり返してはならない
 どんなことがあっても……

 これは、1945年8月9日午前11時2分、17歳の時に原子爆弾により家族を失い、自らも大けがを負った女性がつづった詩です。自分だけではなく、世界の誰にも、二度とこの経験をさせてはならない、という強い思いが、そこにはあります。
190809taueshichou  原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。
 今、核兵器を巡る世界情勢はとても危険な状況です。核兵器は役に立つと平然と公言する風潮が再びはびこり始め、アメリカは小型でより使いやすい核兵器の開発を打ち出しました。ロシアは、新型核兵器の開発と配備を表明しました。そのうえ、冷戦時代の軍拡競争を終わらせた中距離核戦力(INF)全廃条約は否定され、戦略核兵器を削減する条約(新START)の継続も危機に瀕(ひん)しています。世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊され、核兵器が使われる危険性が高まっています。
 核兵器がもたらす生き地獄を「くり返してはならない」という被爆者の必死の思いが世界に届くことはないのでしょうか。
 そうではありません。国連にも、多くの国の政府や自治体にも、何よりも被爆者をはじめとする市民社会にも、同じ思いを持ち、声を上げている人たちは大勢います。
 そして、小さな声の集まりである市民社会の力は、これまでにも、世界を動かしてきました。1954年のビキニ環礁での水爆実験を機に世界中に広がった反核運動は、やがて核実験の禁止条約を生み出しました。一昨年の核兵器禁止条約の成立にも市民社会の力が大きな役割を果たしました。私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。
 世界の市民社会の皆さんに呼びかけます。
 戦争や被爆体験を語り継ぎましょう。戦争が何をもたらしたのかを知ることは、平和をつくる大切な第一歩です。
 国を超えて人と人との間に信頼関係をつくり続けましょう。小さな信頼を積み重ねることは、国同士の不信感による戦争を防ぐ力にもなります。
 人の痛みがわかることの大切さを子どもたちに伝え続けましょう。それは子どもたちの心に平和の種を植えることになります。
 平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。

 すべての国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのかを見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてください。
 核保有国のリーダーの皆さん。核不拡散条約(NPT)は、来年、成立からちょうど50年を迎えます。核兵器をなくすことを約束し、その義務を負ったこの条約の意味を、すべての核保有国はもう一度思い出すべきです。特にアメリカとロシアには、核超大国の責任として、核兵器を大幅に削減する具体的道筋を、世界に示すことを求めます。
 日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、「核の傘」ではなく、「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます。

 被爆者の平均年齢は既に82歳を超えています。日本政府には、高齢化する被爆者のさらなる援護の充実と、今も被爆者と認定されていない被爆体験者の救済を求めます。
 長崎は、核の被害を体験したまちとして、原発事故から8年が経過した今も放射能汚染の影響で苦しんでいる福島の皆さんを変わらず応援していきます。
 原子爆弾で亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、長崎は広島とともに、そして平和を築く力になりたいと思うすべての人たちと力を合わせて、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2019年(令和元年)8月9日
                  長崎市長 田上富久

非常に分かり易く、具体的で、いつまでも繰り返し思い出したい宣言文である。
その間、テレビに映し出された安倍総理は、左目を閉じて右目を開け目玉はキョロキョロ。まるで聞いていない風。一方、一緒に映った隣の大島衆院義の熱心に聞いている様子とは対照的。
たぶん首相は、いつものように、一刻も早くこの場から姿を消したいと思っていたのだろう。

特に印象に残った次の言葉を改めて噛み締め、原爆を風化させずに、次の世代につなげたいのものである。

「原爆は「人の手」によってつくられ、「人の上」に落とされました。だからこそ「人の意志」によって、無くすことができます。そして、その意志が生まれる場所は、間違いなく、私たち一人ひとりの心の中です。」

「私たち一人ひとりの力は、微力ではあっても、決して無力ではないのです。」

「平和のためにできることはたくさんあります。あきらめずに、そして無関心にならずに、地道に「平和の文化」を育て続けましょう。そして、核兵器はいらない、と声を上げましょう。それは、小さな私たち一人ひとりにできる大きな役割だと思います。」

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田上・長崎市長の2013年「長崎平和宣言」
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2019年8月 7日 (水)

朝日歌壇「番外地」~笑い飛ばしたいが・・・

先日の朝日新聞の記事である。

大いなる夢と笑いと 朝日歌壇「番外地」 選者・永田和宏
 朝日歌壇に寄せられた、入選は逃したものの笑いを誘う短歌を紹介する「番外地」第11弾。今年は永田和宏さんが紹介します。
     ◇
 まずは番外地名物、歌が採られない嘆き節から。
 ◆トランプの壁より高し朝日歌壇甘酒のんでひとり慰む 山口正子
 ◆ごくたまにわが歌の載ることあれば着いてはゐるらし投稿の葉書 坂本捷子
 ◆出してもいない歌をさがす日曜日出さねば出ない出しても出ない 梶正明
 どれも切実だが、トランプの壁が無くなっても、すみません、朝日歌壇の壁は低くはならないと思います。坂本さんは「ごくたまに」と言うけれど、はるかに打率の低い方々も大勢いらっしゃいます、念の為(ため)。昔、「私書箱300」は本当にあるのかなんて歌もあった。
 確かに「出さねば出ない」わけだが、「出しても出ない」が妙。選者への微(かす)かな怨嗟(えんさ)もあるか。あまり深刻にならないで。
 逆にあまりの能天気に笑ってしまうことも。
 ◆千年後朝日歌壇の吾(あ)の歌が元号となる夢を見ている 鈴木高志
 いいですねえ。万葉集が元号になるのなら、ひょっとして私の歌もというのだが、まずないでしょうね。まあ夢だけなら何の罪もないので大いに夢見て投稿を。
 ◆お迎えと迎えの違いは大きくて迎えのバスに「お」はつけないで 牧野弘志
 これは大いに笑ってしまった。何にでも「お」をつければいいというものではない。「お迎えがきました」と言われたら、デイサービスの車に乗り込むのにも覚悟が要るだろう。
 ◆夫婦間の言った言わないに使いたしドライブレコーダー、ビデオ判定 西村愛美
 ◆好物のいちごを妻に供えたが見切り品だと気付くだろうか 小田友弥
 夫婦間のジャブの応酬も番外地名物。言ったじゃない、いや言ってないは、夫婦喧嘩(げんか)の定番だが、現代技術を駆使すれば判定は訳もない。しかしカタをつけないで、ああだこうだと言っているのが夫婦喧嘩の妙というもの。小田さん、奥さんはもちろん気付くでしょう。でも喜んでいるはず。
 ◆「イワンの馬鹿」読み返しつつ膝(ひざ)を打つ「いやーん、ばかーん」そうだったのか 三井一夫
 全くばかばかしくも面白いナンセンス。でも気づいただけ賢くなったのかも。
 ◆あっち行ってお金やるからあっち行け!お化け屋敷で子の世渡り見ゆ 金宮美保子
 ◆「おじいちゃんの頭は肌色塗っちゃうね」五歳のお絵描きは容赦もあらず 折津侑
 立派な子供たちだ。お化けとの交渉術も見事だし写生に忠実なお絵描きも偉い。
 政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。
 ◆どんたくは博多ばってんそんたくは小倉につなぐ橋だっちゃ、てか 小竹哲」(2019/08/01付「朝日新聞」P27より)

自分は川柳も好きだが、こんな番外の歌も読んでいて楽しい。
この朝日歌壇。たぶんベテランは毎週書いて投稿しているのだろう。そして、毎週自分の作品が載るかとドキドキ・・・
そんな趣味はうらやましい。ずっとチャレンジし続けるのも生き甲斐につながる!?

ここに挙がっているどの歌も楽しいのだが、選者が言うように「政治のあまりの劣化に笑おうという気も無くなったのか、ピリッと気の利いた社会詠が少なくなったのが残念だった。」
日韓の摩擦問題も、それぞれのトップの目線は自分への支持率だけ。それによって事態がどうなろうと、将来の国民がどうなろうと、そんな事よりも自分の保身だけを思って権力を使い、国民をあおっている。
力の弱い施政者が国をまとめるには、国の外に戦争を仕掛けて民意をまとめるのが最も簡単、とは良く言う。今の日韓関係は、まさに戦争を利用して国内をまとめる手法そのもの。
それに、愛知県の企画展「表現の不自由展・その後」が河村名古屋市長の圧力で中止になった件も、先進国として恥ずかしいこと。
オトナの大村知事と、ガキの河村市長との対比が目立った事件だった。

毎日暑い日が続いている。そして、もうすぐ終戦記念日。しかし今年は、重たいテーマはあまり論じたくない。
上の歌のように、笑い飛ばしたい劣化した世の中ではあるが、なぜか暑さで重苦しい自分の最近の日々である。

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2019年8月 4日 (日)

「ローマ字、何のため?」~日本語学ぶ外国人が考案

先日の朝日新聞の記事である。

「(文化の扉)ローマ字、何のため? 日本語学ぶ外国人が考案、国字への動きも
 日本人の名前をローマ字で書くとき、姓と名のどっちが先か。先日、そんな話題で注目されたローマ字。かつては日本を知る手がかりとして、やがて日本人自身も、漢字より平易な文字として使い始めます。その歴史をひもとくと――。

 ロンドンの大英図書館に、黄土色の表紙で手のひらサイズの本がある。1592年に刊行されたもので、来日したキリスト教宣教師向けの「平家物語」だ。開くと、日本のローマ字の始まりを見ることができる。
 「NIFON NO COTOBA TO Historia uo narai xiran to FOSSVRV……」
 漢字かな交じりで書くなら、「日本の言葉とヒストリアを習い知らんと欲する……」。
 1549年のフランシスコ・ザビエル以降、やってくるようになった宣教師たちが学ぶため、当時の日本語の口語がポルトガル語式のつづりで記されている。ローマ字による日本語の表記はこうして、外国人が外国人のためにつくり、始まった。
 キリシタン弾圧で宣教師がいなくなっても、江戸期には一部の蘭学者がオランダ語式のローマ字を使い、その後も独語式や仏語式などを経て現代に至る英語式の「ヘボン式」が広まった。
     *
190804romaji  日本人がローマ字を自分たちのために使い出すきっかけは、明治維新だ。難しい漢字を覚えるより新たな知識や技術の習得を、との流れが起きた。漢字をなくし、かな文字だけにしようとか、ローマ字を国字に、という運動が盛んになった。
 漢学者の南部義籌(よしかず)が「修国語論」でローマ字の採用を唱えたり、啓蒙(けいもう)思想家の西周(にしあまね)が「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」を発表したり。後の東大総長で文部大臣も務めた外山正一(とやままさかず)らが1885年に結成した「羅馬(ローマ)字会」は最盛期、6800人余の会員がいたという。清水康行・日本女子大教授(日本語学)は「ローマ字運動家たちにとって、漢字こそ日本由来の文字ではなかった。前近代的な知的風土から抜け出そうとしたのでは」とみる。
 第2次世界大戦後には、米国教育使節団が連合国軍総司令部(GHQ)に採用を勧告した。漢字かな交じりは生活に浸透しており、勧告通りにならなかったが、ローマ字教育は小中学校の授業に採り入れられた。
 運動は草の根で続く。民族学者の梅棹忠夫は漢字より伝達能率が高いとして「日本語のローマ字化」が持論だった。明治期以来普及活動を続ける公益財団法人・日本のローマ字社の茅島篤理事長は「国語の表記では漢字かな交じりが正則だが、音を表すローマ字で難解な漢語や漢字を書くことで耳で聴いて分かる『ことば直し』がすすみ、分かりやすい日本語になる。ローマ字は日本語の国際化に寄与する」。
     *
 「し」はshiかsiか、「ふ」はfuかhuか。違いの由来をご存じだろうか。
 shi、fu……が「ヘボン式」。米国人宣教医J・C・ヘボンによる1886年の「和英語林集成」第3版がもととなった。日本語の音を英語風につづるのが特徴だが、本来の音とかけ離れるものもある。例えば「福島」。ヘボン式ではFukushimaだが、そのまま英語風の発音で読むと唇をかむfの発音になってしまう。
 そこで日本人のためのローマ字運動をする人たちが、規則的に五十音を示す方式を考えた。政府が1937年に内閣訓令で示し、「訓令式」と呼ばれる。いまの小学校の国語の教科書に載る表記につながっている。
 日本語の音の体系を学ぶには訓令式が適し、ヘボン式は英語圏への発信に向く。文化庁の鈴木仁也・国語調査官は「目的により使い分ければいいのでは」と話す。(上田真由美)

 ■文字選べるぜいたく 放送プロデューサー、デーブ・スペクターさん
 ローマ字読みは難しいですね。英語でSaleと書いてもローマ字読みしたら「去れ」、Niceは「偽」になっちゃう。まあ、これはジョークですけど。
 僕が日本語と出会ったのはシカゴにいた小学5年生のとき。日本人の友だちがきっかけで、「おそ松くん」とか「巨人の星」とか漫画が読みたくて夢中になりました。新しい日本語を知ると、ノートにまずローマ字で書き、その隣にひらがなと漢字を書いて、それから英語で意味を書くというのを続けたんです。今は自分用のネタ帳みたいなものは漢字やひらがなで書いているけど、目立たせたいキーワードの部分だけローマ字で書いたりしてます。そこだけビビッドに見えるから。
 日本の文字がローマ字だけにならなくてよかったですよ。だって、味気ないでしょう。日本では漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と四つもあって、選べる。ある意味ぜいたく。その分、どれを使うか迷うこともあるけど、わからないからおもしろいんです。

 <草創期の資料ひもとく> ポルトガル語式ローマ字の天草版「平家物語」(大英図書館蔵)は、国立国語研究所がホームページで公開している。
 「鹿児島県史料 斉彬公史料第4巻」では、江戸期の薩摩藩主・島津斉彬のローマ字日記を読むことができる。」(2019/07/29付「朝日新聞」p23より)

この記事を読みながら、ふと思う。「そもそもローマ字という呼称とは?」
wikiによると「単に「ローマ字」(英: the Roman alphabet)と言った場合、本来はラテン文字(アルファベット)のことを指す。「ローマ」とは、古代ローマ帝国において用いられていた文字に由来することからの呼び名である。
ただし現在の日本では、ラテン文字を用いての日本語の表記法(日本語のラテン翻字)と表記そのもののことをローマ字と呼ぶことが多い」だって・・・
やはりローマ帝国で用いられた文字だったそうな・・・

しかし、ローマ字は、表音文字であることには変わりが無い。もし日本語が、表音文字だけだったら、つまり「ひらがな」だけだったら、どれほど不自由か・・・

ところで、日本語と同じ中国の影響を受けている韓国のハングルは?とwikiを見ると、「ハングルは、朝鮮語を表記するための表音文字である。」とある。
良くは知らないが、韓国では、漢字を廃して表音文字だけを使っているらしい。

何とも不便だろうと思う。
しかし、外国人にとってみると、日本語は難しいという。先日NHKラジオ深夜便で「ロザンナ(歌手・イタリア家庭料理研究家)・「『愛の奇跡』から半世紀」」(2019/4/14放送、2019/07/18再放送)を聞いたが、ここでも、ロザンナさんは漢字がからきしダメ、と言っていた。
「帰化の為の書類は70種類位あり大変でした。
一番大変だったのは帰化をするにあたって1,2年生のひらがなカタカナ、漢字の読み書きができることと言う審査があることです。
漢字が駄目でした。(音読み、訓読みとか 線が増えてくると駄目)
行ってみたらその審査は無くなりましたと言われました。」ここより)

日本で50年暮らし、あれだけ流ちょうな日本語を話すロザンナさんでも、漢字はダメだという。やはり文化の違いか?
ともあれ、改めて日本語がローマ字化しなくて良かったと思った。

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2019年8月 1日 (木)

現代医療としての漢方~肩凝りがツライ

先日の朝日新聞にこんな記事があった。

「(はてなスコープ)現代医療としての漢方 西洋医学の「苦手」も改善
 「漢方」は、日常的に頼りにしている人もいれば、効果を疑問視する人もいる、受け止め方は千差万別なのが現状です。病気の原因を特定し、取り除くという西洋医学とは考え方が異なることが背景にありますが、両者は対立するものではなく、補完する関係。漢方薬は医療現場や薬の開発現場でも存在感を示しています。
190801kanpou  漢方のルーツは中国にあり、6、7世紀に朝鮮半島を経由して日本に伝わったとされます。宗教や芸術などの文化と同様に、伝来してから独自の発展をとげていきます。江戸時代には、オランダから解剖学などに基づいた西洋医学がもたらされたのを受け、混同を避けるため、「漢方」と呼ぶようになりました。
 現在の漢方は日本の伝統医療として、中国の「中医学」、韓国の「韓方」とは区別して位置づけられています。日本の大学の医学部では、西洋医学の各診療科を学ぶだけでなく、漢方が必修授業として組み込まれています。
 西洋医学は耳鼻科、泌尿器科などのように、ターゲットを明確にして、薬や手術などピンポイントに作用する治療が特徴です。一方、漢方では、体内の神経系やホルモンなどの内分泌系のネットワークを介して、病気が全身のバランスを崩していると解釈します。
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 診察方法は症状などを聞き取る問診に加え、舌の状態やおなかの弾力を確かめます。これらを総合的に判断して、バランスを正常にするため、生薬を調合した漢方薬を処方します。バランスの崩れは一人ひとり異なるため、訴える症状が同じであっても、異なる漢方薬が処方されることもあります。
 漢方薬の原料となる生薬は、天然由来の植物や動物、鉱物など多岐にわたります。北里大東洋医学総合研究所によると、国内では二百数十種類が使われています。
 生薬の種類と量の組み合わせによって、漢方薬の種類は無数に及びます。そのうち調合済みの製品化された約150種類は保険適用されています。一般的な医療機関で処方されるのは、この中に含まれているものがほとんどです。
 漢方薬の名称で、語尾は形状を表します。「…湯」は煎じ薬、「…散」は粉薬、「…丸」は粉を固めたものです。煎じ薬は飲む人の手間がかかるため、今ではインスタントコーヒーのように乾燥、粉末化させたエキス剤が主流となっています。
 漢方薬は医療現場に浸透しており、日本漢方生薬製剤協会の調査によると、医師の9割が漢方薬を処方した経験があるとされます。特に原因が見当たらないのに体調が悪い「不定愁訴」という状態は、西洋医学的には対処が難しく、漢方薬で改善をはかります。ただ、漢方独特の診察をせずに漫然と処方するケースもみられ、北里大の小田口浩・東洋医学総合研究所長は「深い知識をもち漢方に通じた医師を育成しなければならない」と指摘します。
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 一方、明確な治療効果を狙って使われる漢方薬もあります。胃腸などを治療する開腹手術後、腸が閉塞(へいそく)し腹痛などを伴う「術後イレウス」という合併症が起きることがあります。「大建中湯(だいけんちゅうとう)」という漢方薬にはこれを予防、治療できるとの報告があり、消化器外科では広く使われています。
 また、インフルエンザ治療薬「タミフル」の原料成分のシキミ酸は、生薬やスパイスとして知られる「八角(はっかく)」に含まれています。こうした生薬の有用成分を分析して治療薬の開発につなげる研究は広く行われています。西洋医学と漢方は互いに補い合いながら発展を続けています。(野中良祐)

 ■これから
 世界保健機関(WHO)で5月に採択された最新の国際疾病分類に、漢方を含む東洋医学の項目が初めて加わりました。これまでは各医師の経験の共有といった段階にとどまりがちでしたが、今後は症例や治療の表記の統一が進むことで、科学的な根拠や信頼性を高めた漢方治療が可能になると期待されます。」(2019/07/13付「朝日新聞」b5より)

最近自分がお世話になっているのが、葛根湯。風邪の引き始めに飲むと、確かに体が熱くなり、翌日には良くなっている。体温が重要だということ。

漢方とは違うが、最近、肩凝りで整骨院に通い出した。前に肩凝りについて書いたのが5年前(ここ)だった。
その時は、始めて整骨院に行った経験談だったが、今回は、同じ団地の中にある整骨院に行ってみた。ここはカミさんの友人からの紹介で、個人が開いている医院。近くに住んでいるということで、口コミに耐える必要があり、まあそれを信用に、行ってみようかと・・・
カミさんに勧められるまま、7/29に初めて行ったのだが、正味20分。5年前に行った整骨院は、人による治療のあとに電気治療があったが、ここではそれは止めたという。
確か前は1時間近くやったと思うが、ここでは一人20分。それだけに料金も安い。
治療したもらった後は、さすがに肩が楽になり、ヤレヤレと思ったが、一晩寝たら戻ってしまって、また湿布の貼り薬をペタリ。連日貼るので、肩が赤くなってしまった。

なるべく貼らないようにと、今日も空いている時間に入れて貰ったが、どうも効果が長続きするように思えない。
家事をやるようになって、最初は緊張していたせいか、肩凝りのことは忘れていたが、このところ、家事にも慣れてきたせいか、肩凝りも復活。先日中古で買ったPanaの肩もみ機も、うまく効かない。

今日の、治療を受けながらの雑談。「お袋が肩凝り症だったが、肩凝りも遺伝するのかね~?」「いや、家庭環境では?同じような環境で生活していると、同じような病気になるのかも・・・」
ま、そうだろうな。
近くの医院で貰った湿布薬が、どんどん無くなっていくこの頃なのである。

(関連記事)
「肩凝り」について・・・

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