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2019年7月20日 (土)

わが国の正しい国名はニホン?ニッポン?

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(歴史探偵おぼえ書き)ニホンとニッポンの間に 半藤一利
 いつも奇妙に思うのだが、わが国の正しい国名はニホンなのかニッポンなのか。同じ文字なのに呼び方が二つあるのは、恐らく世界にあまたの国あれどわが国のみならん。
 そもそも国名の「日本」がいつできたかについても定説はない。確かなところでは、奈良時代の七二〇年に『日本書紀』が成立しているから、そのころということ。それ以前、中国からまず入ってきた呉音では、日はニチ、本はホンと読む。最古ではニチホンと読んだと思われるが、いつの間にかチが落ちて、ニホンとなった。
 では、ニッポンは? これも確証はない。外国との交渉がしきりとなった室町時代(十五世紀)、謡曲で神国日本の権威を海外に示すとき、ニッポンと発音されている。たとえば『白楽天』。日本人の智力を試さんと、海を越えて筑紫(つくし)の沖までやってきて、白楽天は名乗りをあげる。
「唐の太子の賓客(ひんきゃく)白楽天とはわが事なり。さてもこれより東にあたって国あり。名を日本と名づく」
 このとき間違いなくニッポンと唱えている。
 またキリシタン関係の諸文書では、ニホンもときにはあるが、ほとんどがニッポンとでてくる。つまりは外国を強く意識するとき、あるいは日本人が外国人にたいして肩肘(かたひじ)を張りたいとき、きまってニッポンと威勢よくいう。そう思えば、ニホンよりニッポンは景気がよろしい。「ニッポン、チャチャチャ」とやったほうが応援にも活気が数倍もつく。
 と、ここで話は突然、昭和になる。とにかく国名が二つあるのはおかしい、よろしく統一すべしとの動きは、それまでもしばしばあったが、決定的なときがきた。昭和四十五年(一九七〇)七月十四日がそのとき。佐藤栄作内閣の閣議で、しばし大臣諸公が議論を戦わせたと記録にある。ときの閣僚の主な人に蔵相福田赳夫、運輸相橋本登美三郎、通産相宮沢喜一、それに問題提起者の防衛庁長官中曽根康弘と、錚々(そうそう)たる面々が顔をそろえている。さぞや甲論乙駁(こうろんおつばく)があったことであろう。
 そして佐藤首相のツルの一声――ニッポンとする。
 ところが平成二十一年(二〇〇九)麻生太郎内閣のとき、国会でこれは全否定されたとか。どちらか一方に統一する必要はない――と、今度は正式に閣議決定された。
 その後は勝手に、それぞれの流儀で、あるいはお気の召すままに、ニホンあるいはニッポンとやっている。ニッポンとの決定が金科玉条となっていたら、まずお江戸日本橋が大困り。日本大学、日本棋院、日本相撲協会エトセトラがこれにつづいて恐慌をきたすにちがいない。
 ちなみに私はニホン派。こっちの方が慎ましくていい。」(2019/07/13付「朝日新聞」b4より)

ニホンはニッポンか・・・。マジメに考えている所が面白い。

名前も地名も、漢字の読み方で色々あるのは普通。例えば、三田さんは、ミタさん?サンダさん? 羽生さんは、ハブさん?ハニュウさん? 水上さんは、ミズカミさん?ミナカミさん?・・・
地名も同じ。豊田はトヨタ?トヨダ? 米原(まいはら)町にある駅は米原(まいばら)駅・・・

昔アナウンサーをしていた友人が言っていた。名前や地名の言い間違いは、理屈や言い訳無し。つまり、幾らそう読むからと言っても、間違いは間違い。よって、ニュースなどで地名などが出てくると、事前に徹底的読み方を調べるという。

確かに、読み方は普通はひとつ。それが堂々と2つある“日本”は珍しい。
当たり前にように呼んでいる国名だが、深く探ると面白い事実が出てくるものだ。
ところで、JAPANはいつ頃から使われ出したのだろう?
ま、そのうちググってみるか・・・


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