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2019年5月の14件の記事

2019年5月28日 (火)

スイカは野菜?~果物と野菜の定義

暑い。ここ数日、北海道で40度近い気温を記録し、まだ5月なのに・・・という溜息が聞こえる。
先日、NHKラジオ深夜便で聞いたが、「スイカは野菜。なぜなら、木になるのが果物で、地上になるのが野菜」という定義があるそうで、それによると、スイカは野菜なのだそうだ。
スイカは果物か野菜か?とNetでググってみると、結構色々な記事が見付かる。
その中で、この記事が面白かったので転載してみる。

スイカはフルーツ?野菜?「果物と野菜の違い論争」が繰りかえされるそのワケとは

夏は実物野菜が多く出回り、また果物類(フルーツ)の種類も豊富ですよね。桃やプラムやさくらんぼなどのプラム類やびわ、イチジク。梨も早生品種は出回り始めます。でも、夏のフルーツの定番といえばスイカとメロン。スイカはサマーレジャーシーンの必須アイテムとして愛されてきましたし、メロンは子供にも大人にも憧れのスペシャルフルーツ。食べ終わって残った皮はカブトムシや鈴虫の餌になるのもお決まりでしたね。そのウリ科に属するスイカやメロンは、イチゴとともに「草の実だから本当は野菜なんだよ」という雑学薀蓄の小ネタにされ続けてきた存在。野菜・果物論争の好餌にされがちなスイカ・メロンの旬の時期に、この際ですから「野菜・果物論争」を掘り下げてみましょう。

農水省、総務省、厚労省。「野菜」と「果物」の分類が異なっていた!
まず、「野菜」と「果物」について、定義上はどうなっているのでしょうか。農業生産の元締めとなる農林水産省の「野菜」の説明によると、

・一般に、野菜とは、食用に供し得る草本性の植物で、加工の程度の低いまま副食物として利用されるもの。
・すいか、メロン及びいちごは、栽培方法が苗を植えて1年で収穫する点で一般的な野菜と同じなため、野菜としての取扱いとなっている。
・かんしょ(甘藷・サツマイモのこと)は、でんぷん原料としても利用され、エネルギー源でもあることから、米等と同じ普通作物に分類されている。(農林水産省HPより)

ところが、国民生活全体の調整を図る総務省の家計調査の分類では、「いちご、メロン及びすいかは、生鮮果実に分類される」とし、明確に果物と分類。
さらに、厚生労働省の食品分類では、野菜類からサツマイモ、ジャガイモなどのイモ類、大豆、小豆などの豆類、サンショウの実、フェンネルなどをハーブ類、ナッツ類、スパイス類などなど、普通野菜とされているものを除外している例もあります。

管轄省やその分類の目的意図により、実際スイカや苺、パイナップルなどの草本植物の実については、野菜にされたり果物にされてたりしていて、論争が巻き起こるのも無理からぬことのように思われます。
が、一方これはこういう言い方もできます。「イチゴとかスイカとかバナナとかメロンとか、草に生る果実を果物分類にする例外はあるけど、野菜はすべて草であって木の野菜はないよね。木に生る果実で野菜扱いのものってある?ないよね。果物とは、木に生る果実と一部の草に生る甘い果実で、野菜はみんな草の葉や実や根っこ。で間違いないでしょ」
つまり、野菜に分類されるべき一部の作物の扱いが果物になることはあっても、果物に分類されるべき作物が野菜に越境することはない。だから野菜と果物の違いはある。ということですね。
しかし、実はこの手の主張も間違いなのです。

「野菜は草に生る実や葉や茎や根である」←間違いです
野菜には、たらの芽などの木の芽、いちじく、ビワ、イチョウ、桑、桜、アスナロなどの木の葉も含まれます。また、アロエの中でもごく一般的なキダチ(木立)アロエの葉は野菜です。
多くの樹木の葉や茎、樹皮などが「野菜」として分類されています。これは、「野菜は草本の食用植物」という定義に反します。
ハーブ類のかなりの種は低木で(ラベンダー、ローズマリー、タイムなど)、ハーブを野菜の類とするならば、厳密にはこれも草本=野菜、というわけ方を否定するもの。

そればかりではありません。コダチトマトまたはタマリロ(tree tomato、tamarillo)と呼ばれるナス科の野菜は、まごうことなく木になる果実です。タマリンド(tamarind、Tamarindus indica)は、マメ科で、大きなサヤエンドウのような実が生りますが、これも「野菜」です。
インドやアフリカ、中南米などの乾燥地域で広く栽培され、日本でも沖縄や鹿児島で生産されているワサビノキ(DrumstickFlower)も、未成熟の種鞘(ドラムスティック)や葉を食用野菜とし、成熟した実からはオイルを抽出します。

「ペースト加工するとジャムになるのが果物、ソースになるのが野菜」←間違いです
世界的に見ても「野菜か果物か」の論争は存在します。その主な対象はトマトです。欧米、特にフランスやアメリカではトマトを果物と考える人が日本と比べて多く、今でもたびたび論争が巻き起こることがあるよう。
今から150年ほど前のアメリカでは、野菜には10%の輸入関税がかけられていましたが、果物は除外品目とされていました。そこで貿易商はトマトを果物として輸入し、関税を逃れようとしました。貿易商と通商をとりしきる役所の法廷闘争となり、最高裁の判断を仰ぐことに。1893年、アメリカ最高裁は「デザートにならないから」と言う理由でトマトを野菜と「決定」。しかしその後も、トマトは野菜か果物か、についてはたびたび蒸し返される話題なのです。それについてある人が「トマトが果物なら、トマトソースはトマトジャムになっちゃうじゃないか」という一言で、「トマトは野菜」の決定打的名言であるかのように賞賛されました。
これは論争の決定打になったでしょうか? 残念ながら、この定義でも野菜と果物は分けられません。
先述したタマリンドは、インド料理ではチャツネ、サーンバールやラッサムの酸味づけ、タイ料理のトムソムやフィリピン料理のシニガン、ベトナム料理の甘酸っぱいスープカインチュアの酸味付けに用いられるかと思うと、ラテンアメリカや東南アジアの各地で清涼飲料水やジャムの原料としても用いられているのです。野菜であるコダチアロエも、ジュースやジャムになりますよね。

このように見ていきますと、実際のところ野菜と果物の明確な区別は「ない」という結論になります。そもそも、野菜と果物を区別するための根拠となっている草(草本)と木(木本)というものが、植物学的には本質的な違いが見出せるものではないのです。野菜と果物は、ともに人間が食用に利用栽培する植物である、という点で区別が出来ないのです。

かつてはスイカといえば水菓子=果物の代名詞だった
ではなぜ「野菜と果物の違いは?」とか「本当はメロンは野菜なんだよ」などの野菜-果物別物的言説が巷間にのぼりがちかというと、それは果物(フルーツ)が主に子供たちに好まれる甘いデザートで嗜好品的であるのに比べて、野菜は食事のおかずとして供され、子供や偏食の大人に嫌われがちな食材である、という対比的な扱いをされる面白みからでしょう。
しかし、考えてみればあの「酢豚のパイナップル」をはじめ、リンゴ、ナシ、パパイヤ、メロン、かんきつ類などがおかず料理の素材に使われるのは普通のことですし、スナック菓子やジュースなどに野菜類はよく使用されていますよね。
江戸時代、夏になりますと、隅田川端などの納涼地に繰り出す町民を目当てに、道端で「水菓子売り」の露店が名物でした。桶や籠などに「水菓子」を並べて供しました。水菓子とは果物のこと。上代から中世は果物のことを「菓子」といいましたが、時代が下り近世になると、定時の三度の食事以外の間食を「菓子」と呼ぶようになり、そこで果物のことを「水菓子」とあえていうようになりました。水菓子売りが売るメインの果物はスイカとマクワウリ。スイカもマクワウリも、すっぱりと切って中身を見せて客を呼び込んだことから「西瓜の断ち売り」とも呼ばれていたとか。
スイカもマクワウリも老若男女問わず好まれていて、スイカが夏の定番なのは、その当時からの伝統を引き継いだもの。また、マクワウリも、今でこそめったにお目にかかりませんが、少し姿を変えて現代にも引き継がれていました。近年の主流のマスクメロンではなく、少し小ぶりのつるっとした皮肌のプリンスメロン。昭和の時代、高価なフルーツだったメロンを、庶民に手の届く値段で流通させる先駆となった日本で作出されたノーネットメロンですが、これは洋品種のメロン・シャランテと、日本在来のマクワウリをかけあわせて作出されたもので、いわばマクワウリの子孫。

夏の水菓子の代表選手でもあったスイカやメロンなどの甘い瓜類を、「ホントは野菜」と言うことが正しいのかどうか。やはり、スイカもメロンもマクワウリも、正真正銘果物、でいいんじゃないでしょうか。」(tenki.jp ここより)

スイカやメロンやイチゴ、そしてパイナップルまでも「野菜」と言われると、非常に違和感がある。しかし、世の中には色々な定義で、野菜に分類されることもあるようだ。
まあ消費者にとってはどうでも良いことでも、上記のように関税が絡むと、話は厳しくなる。感覚的には、トマトは野菜でしょうが・・・

トマトと言うと、つい小学校時代のことを思い出す。小学校5年生の夏休みのとき、水戸に住んでいた親父の両親が家に遊びに来た。その帰り、自分は祖父母に連れられて、2週間ほど水戸の家に泊まりに行った。そのとき、祖母が言っていたのが「トマトを食べなさい。砂糖をかけても良いから。夏はトマト位しか野菜がないのだから・・・」
そして、初めて砂糖をかけてイヤイヤ食べたもの。そもそも自分は子どもの時から野菜大キライ人間・・・

スイカというと、親父を思い出す。小学校のとき、夏になると、スイカを水道水で冷やしておいて、家族そろってスイカを食べたもの。それほどご馳走だった。しかし、兄貴はスイカが嫌いなため、ひとり食べなかった。
時代変わって、オトナになってから、自分はスイカを食べなくなった。理由は、タネが面倒。それに、スカスカしていて、それほど美味しく感じられないので・・・
一方、カミさんは、せっせとスーパーでスイカを買って一人で食べている。
今は便利。昔と違って、ひとつ丸のままでは無く、切って売っている。

パイナップルは、先日ホンモノを貰ったが、切り方が分からず、Netの動画を見ながら切った。昔から缶詰では食べていたが、ホンモノを食べる機会は少なかった。しかし、改めてスーパーで見ると、数百円で売っている。このときも、ホンモノをカミさんは食べず。

考えてみると、我が家はあまりにカミさんと好みが違う。イチジクなどもよく買ってくるが、自分は食べない。子どもの頃、庭のイチジクは食べたことはあったが、買ってまで食べようとは思わない。どうも好みがちぐはぐ・・・

先日のラジオ深夜便を聞いて、得意顔でカミさんに「スイカは野菜。なぜなら、木になるのが果物で、地上になるのが野菜」と教えたものだが、どうも話はそう単純では無いようだ。どうでも良い?野菜・果物論争ではある。

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2019年5月26日 (日)

サラ川で時代をしのぶ32年 平成最後のサラリーマン川柳

自分はサラ川が好きなので、こんな記事を読むと、つい取っておきたくなる。
珍しく、先日の朝日新聞の夕刊トップに“サラ川”が載っていた。第32回のベスト10が、発表されたという(ここ)。

サラ川で時代をしのぶ32年 平成最後のサラリーマン川柳
 上司と部下の葛藤や夫と妻の愛憎を詠み、会社員らの共感を集める「第一生命サラリーマン川柳(サラ川〈せん〉)」。始まったのは1987(昭和62)年で、30年余にわたって時々の流行や世相を映してきた。昭和、平成、令和へと時は流れても、哀愁に満ちた句への関心は衰えない。(新宅あゆみ)

 第32回のベスト10が、23日発表された。昨年9~10月に募集があり、今年1月に平成最後の優秀100句を選定。約10万7千人の投票で、ベスト10が選ばれた。
 1位は、3446票の〈五時過ぎた カモンベイビー USA(うさ)ばらし〉。男性グループ「DA PUMP」の昨年のヒット曲に乗せて、仕事が終わった解放感を表現している。
 今回は働き方改革やシェアリングエコノミーを詠んだ句も数多く、〈メルカリで 妻が売るのは 俺の物〉が3032票で3位になった。
 年代別の投票結果も公表した。20~30代はメルカリの句が1位だが、40~50代の1位は〈ノー残業 趣味なし金なし 居場所なし〉で、中年層の悲哀が伝わって共感を呼んだようだ。
 60代以上の1位は〈いい数字 出るまで測る 血圧計〉。高年齢層の健康への関心の高さがうかがえる。

 ■バブル・デフレ…景気の波
 サラリーマン川柳が始まった80年代後半は、地価と株価が高騰したバブル経済のまっただ中。ボディコン姿の女性がディスコで踊り明かし、深夜はタクシー待ちの行列。繁華街は潤う一方で、マイホーム探しは、〈一戸建 手が出る土地は 熊も出る(90年)〉とばかりに郊外へと広がった。
190526sarasen  日経平均株価は89年末に最高値の3万8915円をつけた後、急落。失われた20年とも言われる低迷期が始まる。
 〈御取り引き バブルはじけて お引き取り(93年)〉と、経済活動は縮み志向の悪循環に陥る。
 倒産が増えるとともに、2000年ごろから消費者物価指数が下落し、デフレ経済に突入した。企業は発泡酒など低価格品の競争を展開。
 たまにぜいたくをしようと、〈本物の ビール買ったら 妻激怒(02年)〉。家計のひもは固かった。
 08年の米国発の金融危機「リーマン・ショック」が追い打ちをかける。
 急激な円高で企業業績が悪化し、「派遣切り」が09年の流行語に。当時の重苦しい空気は、〈一〇〇年に 一度の不況が 五年毎(09年)〉〈「先を読め!」 言った先輩 リストラに(同)〉などによく表れている。
 そんなさなか、国民の期待を集めた民主党政権が09年に発足。蓮舫参議院議員の「2位じゃ、だめなんでしょうか」の言葉で事業仕分けが注目され、09年のベスト1の句にも詠まれた。
 現在は異次元の金融緩和政策などで、「戦後最長の景気拡大」と言われる。とはいえ、サラリーマンの生活実感は、〈小遣いの 異次元緩和 未だなし(14年)〉なのではないか。

 ■IT化・働き方…世代で差
 サラ川はその時代の職場の雰囲気や働き方も映す。
 栄養ドリンク剤のCMで「24時間タタカエマスカ」が流行語となったのが89年。早朝から深夜までモーレツな仕事が当たり前の時代で、本音は〈ビジネスマン 24時間 寝てみたい(90年)〉。
 仕事に宴会にと忙しい姿も、〈残業は お酒もでるのと 子に聞かれ(同)〉と、家族にはよく伝わらなかったようだ。
 00年代以降、パソコンなどのIT(情報技術)機器が職場に急速に普及した。操作がわからない上司を揶揄(やゆ)する作品などが増えたのもこのころ。
 〈IT化 課長の面倒 誰がみる(01年)〉〈「課長いる?」 返ったこたえは 「いりません!」(03年)〉。経験豊富な中高年層も形無しだ。
 10年代以降の作品は、パワハラやセクハラに気を使う上司の姿がよく詠まれるように。職場でのコミュニケーションへの戸惑いも浮かぶ。
 〈叱らずに 育てた部下に 怒鳴られる(11年)〉〈部下休み 理由知ったの SNS(18年)〉とは年配社員の嘆きだ。
 ここ数年は働き方改革が叫ばれ、「ノー残業」「生産性」などがキーワード。こうした流れを歓迎する部下世代と、仕事中心の人生で余暇をどう過ごせばよいのかわからない上司世代。上司世代は〈やってみた ゆう活憂鬱 趣味がない(15年)〉と戸惑い、部下世代は〈生産性 語る上司の 非効率(18年)〉と冷めた視線を送る。
 〈ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?(16年)〉など、世代間の差はいつの世も格好のネタ。
 令和の時代はどんな川柳が詠まれるだろうか。

 ■第32回サラリーマン川柳ベスト10
(1)五時過ぎた カモンベイビー USA(うさ)ばらし
(2)いい数字 出るまで測る 血圧計
(3)メルカリで 妻が売るのは 俺の物
(4)ノー残業 趣味なし金なし 居場所なし
(5)「やせなさい」 腹にしみいる 医者の声
(6)やっと縁 切れた上司が 再雇用
(7)手紙書き 漢字忘れて スマホ打ち
(8)下腹が 気づかぬ内に ひょっこりはん
(9)U・S・A 流行りにのれない まあいっさ
(10)叱っても 褒めても返事は 「ヤバイッス!」」(2019/05/23付「朝日新聞」夕刊P1より)

この第32回サラリーマン川柳の入選作品で、自分が選んだ10作品は(ここ)だった。
そして、皆さんが選んだベスト10と合わせてみたら、“当選”したのは上記の(3)の一作品だけ。何とも自分は世間のセンスと合っていない?
ついでに、自分の選んだ作品が何位だったかを調べてみたら、(11)(12)(18)(19)(27)(28)(36)(60)(88)位だった。
でも2つを除くと、40位以内に入っているから、マアマアかな??

憂さも悩みも笑い飛ばす。それが混沌とした現代を生きる知恵かも・・・

今日は、トランプ大統領が、アベ君の大盤振る舞いで、椅子に座って大相撲観戦だって。
「大相撲中継を長年担当した元NHKアナウンサーの杉山邦博さん(88)によると、貴賓席は相撲好きだった昭和天皇が土俵近くでの観戦を希望したが、警備上の理由で2階に作られた。以来、数々の皇族や各国の要人が貴賓席で観戦。杉山さんは「かつて、土俵近くで見たいという昭和天皇のご意向に沿うことができなかった経緯がある。今回はどうして貴賓席では・・・」ここより)

誰か、これを川柳で笑い飛ばしてくれないかな!?

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2019年5月24日 (金)

「アベさまのNHK」の強化!?

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(長期政権の磁界:4)縮まるNHKとの距離感 人事・報道「政権寄り」の声
 新元号が令和に決まった4月1日、安倍晋三首相は一部の民放とNHKをはしごした。NHKの報道番組「ニュースウオッチ9」には冒頭から出演。元号に込めた思いなどを語った。
 「多くの方々に前向きに明るく受け止めていただいて本当にほっとしました。明るい時代になるなと、そんな予感がしております」
 歴史的な決定を行ったこの方に来ていただいた――。キャスターは首相をそう紹介したが、NHK報道局職員の一人はこう話す。「首相が出演することはいつのまにか決まっていて、制作現場には事前に相談もなかったようだ」

 ■理事返り咲き
 長期政権と公共放送の現在の関係を考えさせる人事もあった。NHKは4月9日、子会社NHKエンタープライズ社長の板野裕爾氏が、本体の専務理事に返り咲く役員人事を発表。局内では、幹部から現場の職員にまで波紋が広がった。「また振り回されるのか」
 経済部出身の板野氏には、官邸や政治家などの意に沿うよう動くとの人物評がある。20年以上続いた報道番組「クローズアップ現代」は権力に比較的厳しい姿勢で臨むことで知られたが、2016年に終わった際、板野氏は番組制作のトップである放送総局長。現場は当初、番組の継続を決めていたが「最終的に板野氏の意向で事実上の打ち切りが決まった」と当時の複数の幹部は証言する。
 15年7月には、安全保障関連法を検証する「クロ現」を衆院の審議中に放送しようとした際、理由も定かでないまま、放送日が衆院通過後に変更されたという。この時も、板野氏の意向が働いたと局内には伝わった。

 ■「絶対戻すな」
 板野氏をかつて放送総局長に登用したのは籾井勝人前会長だ。だが、その籾井氏までもが、板野氏と政権の関係が強すぎるとして、1期2年で総局長を退任させ「彼を絶対に戻してはいけない。NHKの独立性が失われてしまう」と当時の朝日新聞の取材に対しても口にするようになった。
 役員人事は会長が提案し経営委員会の同意を得て任命する仕組み。板野氏の人事について、上田良一会長は今月9日の定例会見で「私個人の判断で決めた」と述べた。政権の意向が働いたかは定かではない。
190524nhk  しかし、上田会長の周辺は「上田さんは板野氏を戻すつもりはなかった。苦渋の決断をしたようだ」と解説する。板野氏は子会社などのグループ経営改革統括を担当。番組には関わらないが、年明けに任期満了を迎える会長や副会長への昇格を見据えた人事だとの見方もくすぶる。
 板野氏の人事に同意した経営委の石原進委員長は報道陣に「NHKにとって良い仕事をしてくれるかどうかで判断した」と説明した。だが会合では委員の佐藤友美子・追手門学院大教授が「いろいろ反発があるのではないか」と述べるなど、2人の委員が採決を棄権した。役員人事では異例のことだ。板野氏は今月22日、朝日新聞の取材に「申し上げることはありません」と答えた。
 NHKの会長を選ぶ経営委員の人事には国会の同意、予算も国会の承認が必要だ。NHKの行動指針は「いかなる圧力や働きかけにも左右されない」と定めているが、報道内容には厳しい見方がある。
 NHKのOBや識者らの団体は昨秋と今春、NHKに申入書を提出。「安倍首相への批判的報道がほとんどない」「政権にとって不都合と思われる事実が伝えられない」などと訴えた。
 申入書は昨秋の沖縄県前知事の県民葬で菅義偉官房長官にヤジが飛んだことを主要な報道番組で伝えなかったことなどを指摘する。NHKの木田幸紀放送総局長は今月22日の会見で「自律的な編集判断に基づいて放送している。意見には真摯(しんし)に耳を傾けて次に生かしていきたい」と述べた。

 ■「世論に迎合」
 長らく政界と接してきたNHK元幹部は、放送に影響を与えているのは、視聴者をも巻き込むような長期政権の力だとみる。「政治からの口出しやNHKの忖度(そんたく)もあるが、政権を支持するふくれあがった世論に迎合しているという側面も大きいのではないか」(河村能宏、鈴木友里子、真野啓太)」(2019/05/23付「朝日新聞」p3より)

NHKの劣化については、当サイトでも何度か取り上げた。しかしこの記事によると、あの「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」の籾井元会長までもが、「板野氏と政権の関係が強すぎるとして、1期2年で総局長を退任させ「彼を絶対に戻してはいけない。NHKの独立性が失われてしまう」と当時の朝日新聞の取材に対しても口にするようになった。」というから怖ろしい。

マスメディアの世論への影響力は言うまでも無い。だから世界の多くの独裁国家では、言論統制が行われている。メディアへの統制が行われている。
先進国であるはずの日本でも、徐々にその独裁国家のようになりつつあるのが危険。

それに明日はトランプ大統領が国賓として来日するという。既に都内は厳戒態勢。それに大相撲を椅子に座って観戦し、トランプ杯を授与するという。何とも、1500年の?伝統が泣く。ここまで迎合するのかと・・・
しかし当日の観客にとっては大迷惑だろう。所持品検査や身分証明書の提示など、大騒ぎ。
一方、新天皇も既に政権に利用されているように見える。
前天皇は、政権の右傾化に対し、精一杯の抵抗をした。新天皇はどうだろう。

明るいニュースが何も無い。聞いていてイヤになってしまう話ばかり。
せめて、NHKだけは安心して見ていられるメディであって欲しいのだが・・・

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2019年5月23日 (木)

交通違反は死であがなうほどの重罪か?

またまたいやなニュースを目にした。
青バイに追跡されたバイク、民家に突っ込む 男子高校生死亡
 22日午後10時55分ごろ、大阪府東大阪市三ノ瀬の府道で、大阪府警の青バイに追跡されていた2人乗りのバイクが民家に突っ込んだ。この事故で、バイクに乗っていた大阪市東成区の男子高校生(16)が頭などを強く打って死亡し、同乗していた岸和田市の女子高校生(16)も重傷を負った。
 大阪府警布施署によると、大阪市生野区小路東の交差点で、信号待ちをしていた青バイ2台が、前方の道路を蛇行運転で横切ろうとするバイクを発見した。青バイは停止を求めたが、バイクは逃走したため追跡。バイクは信号無視や一方通行を逆走しながら逃走していたが、約1キロ先の道路沿いにある民家の玄関に突っ込んだという。民家の住人にけがはなかった。
 青バイを運転していたのは、府警第一方面機動警ら隊の男性警部補(42)と男性巡査長(26)。同隊の浅野明宏副隊長は「追跡行為は適正と考えているが、追跡された方が亡くなったことは大変残念」とコメントした。」(2019/05/23付「産経新聞」ここより)

こんな事件を目にする度に、イヤーな気分になる。
「青バイ」とは聞いたことが無かったが、「警察の取り締り用バイクといえば白バイですが、色は白だけではありません。たとえば、1997年に大阪府警が発足させたのが、ひったくり犯罪全国ワーストワンの返上するための「スカイブルー隊」。使用されるバイクは青色の「青バイ」です。」とのこと。

それに追跡され、自損事故の末に死亡。警官にとって見ると、追跡は格好良いことなのかも知れない。しかし、相手は本当に犯罪者かどうかはまだ分からない。ただ、警官の命令に従わなかっただけ。確かに、逃げるのは何かの理由があるのだろう。たぶん交通違反。しかし、交通違反をしたとしても、死を持って購(あがな)わなければいけないほどの重罪がそこに隠されているとは思えない。しかし、警官の追跡によって、将来のある高校生が亡くなった。

一方、こんなニュースもあった。
国道逆走で53歳男逮捕 「取り締まりから逃げるため...」
北海道・七飯町の国道を軽自動車でおよそ1km逆走した疑いで、男が逮捕された。
自称漁師・小嶋幸彦容疑者(53)は16日午後5時ごろ、七飯町の国道5号線を、軽自動車でおよそ1km逆走した疑いが持たれている。
速度違反の取り締まりのため、捜査車両が小嶋容疑者の運転する軽自動車を追跡したところ、突然Uターンし、逆走したという。
警察は、事故につながるおそれがあるとして追跡を中止したが、その後、車のナンバーから小嶋容疑者を割り出したとしている。
調べに対し、小嶋容疑者は容疑を認め、「取り締まりから逃げるためにやった」と話しているという。(北海道文化放送)」ここより)

自分は、「警察は、事故につながるおそれがあるとして追跡を中止したが、その後、車のナンバーから小嶋容疑者を割り出したとしている。」という対応の方がよほど良いと思う。テレビでも見たが、いつ正面衝突をしたも、不思議で無い画面。この警察の対応は正解。
言うまでも無いが、交通事故は自損事故とは限らない。逆送の事故などは、当然相手が存在する。何の関係も無い車が、パトカーに追われて暴走する車の事故に巻き込まれ、最悪死を招く。これがどんなに理不尽か・・・

これらの警察の対応について、「職務を全うしただけ」というネットの声もある。確かにそれはそうかも知れない。しかし、例えそれが、無免許運転であるにせよ、盗難車であるにせよ、死を持って購わなければいけないほどの犯罪か?と思う。

今は昔と違って、カメラの時代。渋谷で大騒ぎをした人が、カメラでたどられて逮捕された事もある。ましてや、道路はカメラの群れ。逃げた車(バイク)の写真や動画があれば、ナンバーなどから、後で割り出すことは幾らでも出来る。

話は飛ぶが、麻生大臣がこんな発現をしたという。
白血病新薬にケチ…命を費用対効果で語る麻生氏に批判殺到
 白血病の新型治療薬「キムリア」に対する公的医療保険の適用が22日から始まった。
 既存の治療法では効かなかった一部の白血病患者に効果が期待されるキムリア。投与は1回で済むが、価格は3349万円と、1回当たりの薬価としては過去最高。
 公的保険を適用すれば、患者の自己負担は最高額でも60万円程度になる。白血病患者や家族にとって、待望の保険適用スタートだ。
 今年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを公表したこともあって、“特効薬”に関心を持った国民も多いはずだ。
 ところが、麻生太郎財務相が保険適用にケチをつけている。適用開始を翌日に控えた21日、記者団にこう言い放った。
「よく言われる費用対効果。高額の医療をやって存命された存命期間が何年です? 大体、数カ月。そのために数千万の金が必要なんですかと、よく言われる話ですが」
 要するに、数カ月の延命のために政府が数千万円も負担するのは、もったいないということだ。
 早速、ネット上では怒りの声が噴出している。
<現在闘病中の人、家族に対する破壊的暴言である><人の命に費用対効果なんてあるのか><武器買うより人を救う方に税金使えばいいじゃん>
 さらに、安倍首相や閣僚が答弁で多用する「言い逃れ」を「ご飯論法」と名付けた法政大学の上西充子教授が鋭いツイートをしている。
<麻生大臣が卑怯だなと思うのは、『よく言われる話ですけど』など、誰かの見解のように語ること。自分の言葉に責任を持たない>
 確かに、これは麻生財務相の常套手段。財務省の福田淳一前事務次官のセクハラ問題が浮上した時も、「はめられて訴えられているんじゃないかとか、ご意見はいっぱいある」と言っている。
 庶民の命はどうでもいいのか。」(2019/05/23付「日刊ゲンダイ」ここより)

警察の追跡も、費用対効果では、現場で捕まえた方が安上がりかも知れない。
飲酒運転などでは捕まえられないのかも知れない。
ここ)によると、警察も『深追い禁止』『勇気ある撤退』『受傷事故防止』を徹底しているというが、100人の悪質ドライバーの“逃げ得”を許しても、1人の市民の犠牲を避ける方が優先すると思う。
まさに「庶民の命はどうでもいいのか。」である。

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2019年5月20日 (月)

プチ贅沢としての井上陽水のハイレゾ音源

最近、プチ贅沢をしている。“お金はお墓に持って行けない”という言葉に勇気付けられて?贅沢をしている。
広辞苑によると、「贅沢」とは「①必要以上に金をかけること。分に過ぎたおごり。②ものごとが必要な限度を越えていること。」だそうだ。
そう、必ずしも必要でないものにお金をかけている。

今回のプチ贅沢はハイレゾ音源の購入。CDの音源を持っているので、それで充分、と考えるのか、いやもっと良い音で聞きたい、と贅沢を言うのか・・・。最近は、後者である。

贅沢をしても、何かにお金をかけても、ワクワクすることが無くなった。歳による感度不足なのだろう。実は、そんな中、自分が唯一ワクワクして、つい嬉しくなってしまうのが、昔に良く聞いた歌を、改めて素晴らしい音質で聞くこと。つまり、聞き慣れた歌を、高価なハイレゾ音源で聞くこと。

最近、やっと念願の音源が発売されるようになってきた。それで買い集めたのが、さだまさし、グレープ、森山良子、井上陽水の昔のアルバムのハイレゾ音源。

前に「山口百恵のハイレゾ音源が素晴らしい」(ここ)という記事を書いた。
この時に、ハイレゾに目覚めたのだが、続かなかった。何となく贅沢で後ろめたい感じ(贅沢)がして・・・
山口百恵のように、買ってみて「これば素晴らしい」と感じれば良いのだが、結構「ナ~ンダ」と思う音源も多い。クラシックもそうだが、2016年8月に買った待望の「喜多郎」のアルバムは、ほとんどCD音源と変わらなかった。実は、今回大量に買った森山良子やグレープの音源も同じ。学生時代や独身時代に良く聞いたアルバムだが、待望のハイレゾ音源を買っても、あまりCDとの差を感じない。
これは多分、もともとの音源テープのせいだと思う。つまり、森山良子のように、ギターだけの伴奏の曲は、そもそも音域が狭い。だから差を感じない!?
しかし今回買った井上陽水は違った。まるでゴージャスな歌に変貌した。このシリーズが発売された当初(2018年9月)、贅沢だと思ってアルバム「氷の世界」の他は、「傘がない」「小さな手」「二色の独楽」の3曲を、それぞれ単品(607円)で買ったのだが、今回それらを含むアルバム全体(各3910円)(ここ)を幾つか買ってしまった。先に買ったものとダブって、かえってムダをした。
それにしても、自分の一番好きな「傘がない」はステレオ効果満点。1972年5月発売の最初のアルバム「断絶」の収録曲だが、まだまだ活躍していない当時の井上陽水の、この力作は、レコード会社の見る目の確かさを物語る。

人間、歳を取ると、当然声も変わる。ほとんど変わらないのは森山良子くらい・・・!?
190520danzetu 井上陽水もさだまさしも、最近の声はあまり好きで無い。それに比べ、初期のアルバムは、声が良く出ていて、そして素直で素晴らしい。ちなみに「断絶」は陽水23歳の声だという。
先日、さだまさしが、セルフカバーのアルバム「新自分風土記II~まほろば篇~」というのを出したので買ってみたが、満足度は今ひとつだった。森山良子と同じく、伴奏がギターが主なので、ハイレゾのゴージャスさが少なかった。

実は、早くハイレゾが発売されないかな・・・と、ずっと待ち望んでいる歌手が、小椋佳と中島みゆき。自分はその初期の作品しか聞かないが、考えてみると、この二人の歌手も、伴奏はギターがメイン。すると幾らハイレゾ音源にしても、CDとあまり変わらないのかも・・・

今回の井上陽水の25作品一斉発売では、アナログマスターからのハイレゾ化は、1984年12月発売の「9.5カラット」まで。この25作品中では、1987年12月発売の「Negative」以降は、デジタル録音のアップコンバートが入ってくる。
自分は、原理的に44KHz/16bitのCD音源のアップコンバート音源は信用していない。人工的にハイレゾを作っているから。これは、自分が持っている「HAP-Z1ES」の信号処理で充分。まあアップコンバートとの差を試していないので、一度買う必要はあるが・・・

ともあれ、暗いベッドの中で、STAXのヘッドホンから流れる、昔の楽曲の素晴らしい音に、つい嬉しくなって、これらを聞くためにも“長生きしなくちゃ”と思う、プチ贅沢ではある。

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2019年5月18日 (土)

天知総子とダークダックスの「花のメルヘン」

先日、天知総子の「花のメルヘン」を聞いた。定番のダークダックとはひと味違った歌だった。

<天知総子の「花のメルヘン」>

「花のメルヘン」
  作詞・作曲:敏 とし

むかしむかしその昔 小さな川のほとりに
大きな花と小さな花が 並んで咲いていた
大きな花は美しい いつも楽しく唄う花
けれども小さな花は たった一人ぼっち
恋の陽ざし浴びて 二つの花は
春の想いに 胸をふくらませる
むかしむかしその昔 小さな川のほとりに
大きな花と小さな花が 並んで咲いていた

あの娘もこの娘もこの俺を ひとめ見ようとここに来る
生きてることの楽しさは おまえにゃわかるまい
大きな花さん聞いとくれ たとえ一人ぼっちでも
僕には心の太陽が いつもかがやいてる
愛の息吹浴びて ふたつの花は
春の想いに 胸をふくらませる
むかしむかしその昔 小さな川のほとりに
大きな花と小さな花が 並んで咲いていた

この歌は1970年11月10日発売の歌だそうだ。
定番は、ダークダックス。これも聞いてみよう。

<ダークダックスの「花のメルヘン」>

wikiによると、最初の子どもの声は、プロ野球の監督だった水原茂の孫だったそうだ。どんな縁で、録音に参加したは知らないが、まあ微笑ましい。

この歌を聞いていると、まさに“優しさ”を感じる。大きくても小さくても、皆同じ。生きているということでは同じ。まあ歌の解釈はいつものように避けるが・・・

ところで、作者の敏としという人の情報はNet上にほとんど無い。JASRACのデータベースを引くと、同じような唱歌や童謡を作っていたらしい。そして作品の多くが「敏としとメルヘンジンガー」が歌っていたという。つまり作者自身の歌。
YOUTUBEで探したが、音源は聞くことが出来なかった。

従来、ダークダックスの歌しか聞いたことが無かったが、天知総子の歌は新鮮だった。
Netでググると、今年(2019年)の1月6日に、78歳で亡くなっていた。

190518syakuyaku 花と言えば、我が家の庭の芍薬(しゃくやく)が大輪を咲かせている。芍薬といえは「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」という言葉を思い出す。
これは、美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて形容する言葉なんだそうだ。

もうすぐ梅雨。庭のアジサイも咲く機会をうかがっている。カミさんが育てている庭の花。これらも優しい。
心が優しくなる「花のメルヘン」ではある。

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2019年5月16日 (木)

「きぬた歯科」で2度目のインプラント手術をした話

今日は、あの有名な(看板とTVCMで)西八王子の「きぬた歯科(インプラントセンター・八王子)」(ここ)で、奥歯のインプラントの手術を受けてきた。いつもの通り、自分の備忘録としてその経緯をメモしておく。
前に「インプラント~一番“価値のあった”買い物」(ここ)という記事を書いたのが2006年11月21日のことだったる。この16年前に入れたインプラントがノートラブルだったので、当然、今回もきぬた歯科に直行。

思い出すと、16年前に入れたインプラントは、その時にも書いたが、左下奥歯の1本が割れたので抜き、ブリッジにしたが、負荷がかかったせいか、片方がまた割れたらしく膿んで抜くことになり、2本ブリッジにしたら、今度はその歯も同じく膿んで(割れて?)7年でダメに。それで最初は1本だったのが、結局3本抜くはめになり、とうとう入れ歯にしたのが、当時のメモによると2002年9月11日だった。
それで、近くのカミさんの友人からの口コミで、3本インプラントにしたのだが、その経緯を調べてみたら、2002年10月10日にきぬた歯科に電話し、12日に訪問して話を聞き、1か月先の11月9日に予約して手術。11月16日に抜糸、2003年3月22日にアダプタを入れ、4月12日インプラントを入れた。以来16年・・・。

今回は、右下奥歯の6番。2017年8月に、歯茎の内側に膿みの腫れ。中を清掃して一旦落ち着いたが、1年半経った今年に再発。結局、歯が割れていたらしく、4月26日に抜いた。
最も大事な奥歯。しかし抜くことに躊躇は無かった。「また、きぬた歯科でインプラントを入れればOKさ!」と・・・

今回は、前と違って、抜いた直後のインプラントの手術。抜いた歯の孔が開いている状態なのに、インプラントの手術ができるのかどうかが分からない。それで、きぬた歯科のHPから問合せをしてみた。すると、院長から直接メールが届いて、抜いた直後でもインプラントの手術は出来るという。それで、行き付けの近くの歯医者で、抜くまでを頼み、それからはきぬた歯科でインプラントを入れて貰うことにした。
当然、ご指名は院長先生。昔と違って、今は常駐医が12人も居るらしい。しかし自分は、前と同じくきぬた先生に。院長の手術日は木曜日と決まっているらしく、診て貰ってから1週間後の今日、手術。(HPに駐車場のことが書いていなかったが、前と同じく裏の「豊徳パーキング」が利用可。いつも空いている。何時間でも無料)

今回は、最高級品を入れようかな、と思っていたら、「既に銀歯がたくさんあるので、一番安い銀歯・プラスチックでいいよね」と勝手に決められてしまった。確かに、前歯なら気にするが、老人の奥歯なんて、ま経済性優先。前の実績があるので、自分は良く読んでいないが、契約書なるものにサインした(ここ)。まあ体質などでトラブるケースも考慮しているのだろう。
16年前が一本30万円。今は31万円。あまり上がっていない。

さて今回の手術は、新しい建屋の「インプラントセンター・八王子」で。前は線路際にあったが、最近駅前ロータリーに面したビルに移ったとのこと。それは綺麗で立派な病院。前も、立派だったが、さすがに20年近く経って、移転したとのこと。
自分は2度目だったので、勝手は知っている。前は少し怖かったが、今回はまったく。術前の麻酔をして、それから別の部屋の手術台に。今回は、鼻歌こそ無かったが、「オッケー!」の連発。10時半の予約だったが、11時には病院を後にした。もっとも、時間の半分は「抜いた歯の孔に、どうやってインプラントをいれるのか?」という自分の質問に答えて貰った、雑談だった。

それによると、歯を抜いた孔(根)はあるが、それより大きな(深い)孔をあけてインプラントを挿入するという。歯を抜いた孔は3ヶ月もするときれいに治る。原理は、抜いた孔の中に血が溜まる。そこに毛細血管が通る。骨も血管と神経が通っている。歯を抜くとその血管が切れる。それで出血して、血の塊が孔の中に埋まる。骨は血液が作るので、血の塊が変身していく。つまり血の塊が肉となり、肉が骨に変わる。それで孔は埋まる。そもそも体は異物を排除するが、体の中に異物を入れて反応しないのは、今日入れるインプラントのチタンだけ。

あまりやりたくは無いが、先日頼まれてインプラントを1日で入れたとのこと。Netで調べてみると、「即時荷重」という方法だそうだ。それが出来るのは、色々な条件が整っていることが条件だが、昼にインプラントを入れて、いったん家に帰り、直ぐに上物を作り、夜7時頃にまた来て貰って上物を入れて1日で完成する方法。やりたくない理由は、不確実だから。人によって噛む力が違うので、想定以上の噛む力が加わると壊れる可能性。それがイヤでやらない。とのこと。
年齢的には75歳を超えると差が出てくる。きぬた病院での最高年齢は97歳とのこと。

結果としては、歯を抜くことと、インプラントの手術を一緒にした方が良かった。そうすれば、一回で済む。今回は、抜いてから日が経っていたので、いったん孔の中の血の塊を綺麗にクリーニングして、それからインプラント。
手術の正味は数分で終わった。しかし、ドリルでガガッとやるときに、相当強い力で押されるので、頑張ってアゴが外れないようにすることが重要(^o^) 痛みには相当気を使っているらしく、何度も痛くないか聞かれる。しかし、最初の麻酔の注射を含めて、「痛い」を感じることはほとんど無かった。それで、「ベストポジションに入りました!」でオシマイ。自分から見ると、先日の歯を抜くことの方が、今日よりよっぽど大手術だった!? 患者側からすると、それほど負担の無い手術。
しかし、「タバコを吸っている人のように、出血が少なのが心配」と言っていた。出血が多い方が、血の塊が早く出来て直りやすいのかも知れない。

この病院では、何度か歯全体の写真を撮る。自分の場合は、前の時も言われたが、顎の骨がしっかりしていたので楽だったとか。
インプラントを入れる前と入れた後の写真がこれ。医師側から見た写真なので、自分の左の歯が、写真では右に写っている。右に見える3本のインプラントが16年前のもの。そして左に見えるのが今回入れたインプラント。
聞くと、インプラントが体に合わない人も居るらしく、そのときは、歯の骨が徐々に下がって行って、インプラントがむき出しになって抜けてしまうらしい。しかし自分はインプラントが合っているらしく、16年も何のその、一生持つとのこと。

   (手術前)     (手術後)

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手術が終わった後、「あれ?縫わないの?」と聞いたら、歯肉が無いので(抜いた後なので)縫えないんだって・・・。そりゃそうだ。
そして術後の写真を見ながら、説明してくれた。「7年前にインプラントで初めて死亡事故があった。上より下の方が危険。なぜかというと、下は動脈がたくさん走っている。そこを傷つけてしまった。インプラントで一番多い事故は、神経マヒ。顎の下に神経の束が走っており、ここにインプラントが当たると、今と同じ麻酔したままの状態になってしまう。」
ここがベテランとの違い。とにかく、事故を避けるには、ベテラン医師に限る。ちなみに、きぬた歯科での成功率は、下顎で100%、上顎で99%とのこと。(きぬた泰和著「インプラントはストローマンにしなさい!!」p93より)
ここで“100%”と謳うのは勇気が要る。乱暴だが、年間3000本×23年間とすると、累計6万9千本。そこで1度も失敗が無いということ。もし1本の不成功の事例があれば、成功率は99.998%。昔の学生時代のテストを思い出す。99点は易しいが、100点は難しい。
もっとも、切り上げて100%と謳っているのかも知れないが、きぬた先生の自信のほどがうかがわれる。

初診のときに、16年前のインプラントのケアは必要ないのか聞いたら、何もしないのが良いのだと言う。将棋の“ひふみん”こと加藤一二三九段が前歯を入れないのも、前に前歯を入れたら調子が狂ったので入れないことにしたとか。
歯は微妙。せっかく落ち着いているものは、そっとしておいた方が良さそう。

話は変わるが、前は無かったが、今は200件以上の看板があるという。HPをみると、これは院長の趣味・ロマンだという。そうとう儲かっているには違いない。でも、看板を見て「じゃあ行こうか」という人は少ないだろう。自分もそうだが、口コミが一番。

自分の場合は、前に書いた通り、「インプラント~一番“価値のあった”買い物」であることは、今も同じ。インプラントで“もたらされる価値”から思うと、幾らお金をかけても悔いは無い。たぶん、値段が幾らであっても自分はやると思う。
しかし、16年前はインプラントのチタンが骨とくっつくのに5ヶ月かかったが、今は2ヶ月だという。今後の予定はまだ聞いていないが、7月には終わるらしい。

最後に、近所の歯医者さんとの付き合いについてひと言。
今回も、歯を抜いて貰った行き付けの歯医者さんが、最近インプラントを始めたという。これはカミさんに聞いていたので、その話はあまりしなかった。しかし、どことなくインプラントを自分でやりたい、という感じはした。一般論としてのインプラントという言葉は出たが、同じ歯医者でインプラントを・・・という話は出なかったので、ホットした。
でも、「インプラントを別の所でやりたいので、歯を抜くことも含めてそっちでやります」とはなかなか言えない。今後、二度と近くの歯医者に行かないのなら別だが。自分の場合は、「前、入れた実績がるので、同じ所で入れた」と言えるので楽。
そうは言っても、自分の大切な体。別の病気でもそうだが、医者への遠慮で、せっかくのベストチャンスをフイにするのはバカバカしい。価値のある手術だけに、失敗は絶対に避けたい。
自分の今後のスタンスとしては、今の医者とケンカをしても、セカンドオピニオンを含めて自分がベストと思った医師にかかりたいもの。
その点、今回は、自身の16年の実績があるので、医師選びにまったく迷いが無かったのはラッキー。

何? 術後はどうかって?
何もかも「オッケー!」。何の異変も無い。
そもそも、具合が悪かったら、blogネタでこんなことを書いてはいない・・・。
2ヶ月後の、“抜いた歯が復活する日”が待ち遠しい。

(関連記事)
インプラント~一番“価値のあった”買い物 

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2019年5月14日 (火)

「死を迎える覚悟、できていますか?」

今、仮に「死を迎える覚悟、できていますか?」と問われたら、自分はまだまだNOかも知れない。
近親者が亡くなり、身近で死を体験してくると、自分にとって他人事だった死が、段々近い存在になってくる。新聞を読んでも、そんなテーマは、つい気になる。

先日の朝日新聞にこんな記事があった。

「(with読者会議)死を思い、生を見つめる
 ■Reライフ 人生充実
 誰もが迎える死。私たちは、どこまで心の準備ができているのでしょうか。病気や身近な人の死など「覚悟」するようになったきっかけ、支えにしているものなど、様々な声が寄せられました。

 ■別れ重ね知る「毎日を大切に」
 「若い頃の苦労、そして大切な人の死が、育んでくれました」。兵庫県猪名川町の芦田冨美枝さん(59)は、自身の死生観を支えるものを、そう教えてくれた。
 17歳の時に父の会社が倒産した。陸上選手になる夢を諦め、千葉から福井の祖母宅に転居。学校を中退して毎日必死にスーパーで働いた。「『永遠』はない。目の前のことを、一つずつこなす大切さを学びました」
 包装会社で働いていた29歳の時、同僚だった夫(56)と結婚。パートもしながら子ども2人の育児に夢中になった。ところが今度はリーマン・ショックで夫の会社が倒産。48歳で介護資格を取り、認知症のお年寄りが暮らすグループホームで働き始めた。
 家族のように身近に感じていた利用者さんが、日常の中で亡くなった。「死は自然なことだと、怖くなくなった。思った通りに死ねるとも限らない。死ぬ時は、ひとりで逝くものだと思うようになった」。私生活でも、義理の父や実父、愛犬の死。友人のがん……。そのたびに、思いを強くした。
 今は子どもも独立。準備はできているつもりだ。いつ、その時がきても心残りがないよう、一日一日を懸命に過ごすことを心がけている。週4日働く、調理の仕事もそのひとつ。20代の同僚との会話に刺激を受け、客の「おいしかった」に元気をもらう。
 だが、ひとつだけ答えがでない死がある。理不尽な死だ。桜から新緑へと移り変わる4月25日。毎年この日が近づくと、考えこむ。
 2005年、107人が死亡したJR宝塚線(福知山線)脱線事故。友人の息子さんが犠牲になった。「ご飯食べてる?」「眠れてますか」と声をかけることしかできず、無力さを感じた。
 こうした事故で生を断たれることまでもが「自然」な死だとは、思えない。答えは出ないが、可哀想と思うことも不遜だと感じる。「生も死も、人の手の及ばぬもの。幸不幸の勝手な評価を与えるのは違うと思います」(山内深紗子)

190514kakugo  ■病を機に気づいた今の幸せ
 高校生の時に腎臓を患い、2年間療養した。悪化すれば人工透析の可能性もあり、死も想像した。若くして死ぬことは、かわいそうだと言う人もいる。でも私は、死ぬかもしれないけれど、行きたい場所、達成したいことがある自分は幸せだと思った。それ以来、与えられたものの中で幸せを感じるという「降りていく生き方」が定着した。すると、心は穏やかに。努力はするが、なりゆきに任せるという気持ちが大事だと思う。 <岡山県 女性(57)>

 ■心響いた「メメント・モリ」
 私立高校で倫理を教えている。父をみとり、死は怖くはなくなった。昨年、初期の胃がんで手術。術後、麻酔がさめて目覚めると、新しく生まれ変わったような感じがした。治療後、ラテン語の「メメント・モリ」という言葉が心により響くようになった。「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」というような意味。一日一日を、後悔なく生ききることを心がけている。生徒とも一緒に、生と死について考えている。 <埼玉県 男性(64)>

 ■最期はひとり、自立を選ぶ
 5年前に離婚した。扶養され、守ってもらえる安心感への期待も持って結婚し、主婦になった。だが、実生活では伴侶との信頼感、依存や甘えのバランスの難しさに直面した。子育てを経て、両親をみとり、死ぬ時は家族がいてもひとりだと気づいた。自立したい気持ちが強くなった。安心感を手放す葛藤もあったが、子どもが成人したのを機に離婚を選んだ。不安を直視できた時、自然と死ぬ覚悟ができていた。
 <神奈川県 女性(55)>」(2019/05/12付「朝日新聞」p18より)

この記事のアンケートによると、「死を迎える覚悟、できていますか?」という問に対して、「できている」は478人、「できていない」は532人だったという。ほぼ半々・・・
記事を読むと、やはり体験による“慣れ”によって、死への恐怖心が和らいでくるように思う。

先日、九州の孫が来た時に、最初に玄関に入るや、2歳半の孫娘が「時計の目が怖い」と言う。玄関ホールの掛け時計の、「6」の字にある“明るさのセンサー”が“目”に見えたらしい。何という感受性・・・
一方、5歳になる上の孫娘は、散歩から帰ったとき、玄関横の鉢植えから枯れて落ちた花の枝を見て「死んでいるみたい。怖い」と言う。私が拾って鉢の横に戻し、「もう怖くないね」と言ったらうなずいていた。
こんな幼児でも、死を意識するのか・・・

そう言えば、先日の兄の納骨の時、前の晩に、紙に花束を描いて切り抜き、それを持って行って、お墓に供えていた。これは自分で作ると言い出したという。今回の法事に対し、ママがどう説明していたのかは知らないが、幼児でも死への思いはあるのだと知った。

まあ、あと90年もの将来がある孫娘たちは別にして、我々は先が見えない。
この記事の中の、「生も死も、人の手の及ばぬもの」「なりゆきに任せる」「一日一日を後悔なく生ききる」という言葉が胸に迫る。

話は飛ぶが、先日、カミさんが友人との女子会で、相手の人が、ご主人が心配だと、1時間も話さないで、早々に帰って行ったという。聞くと、その奥さんは、ご主人の死が近いと感じており、その先のことを既に色々と考えているとのこと。
確かにご主人は病気を患っているらしいが、亭主への死への哀しみより、「死んだら・・・」が先行するとは・・・。何とも女性は強い!?

ともあれ、生死は人知の及ばないこと。
“その時”がいつ訪れてきても良いように、日々後悔無く暮らしましょ!

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2019年5月12日 (日)

DELLのWIN10のPCを導入した話

やっと予定表が“空白だらけ”になった。そもそも我々年金生活者は、予定がブランクなのが普通。現役でも無いのに、予定表が詰まっているのは不健康なしるし!!
2月以来のバタバタで、最後に残ったのが、カミさんが使っていたDELLのPCの入れ替え。前にも書いたが、4月23日に9年使っていたDELLの「Vostro 220s」というPCが壊れ、「Inspiron 3470」というモデルを注文したが、昨日やっと着いた。3週間弱。日本の10連休の影響も考えると、マアマアか。

昨日の夕方着いたので、早速セッティング。概ね順調だったが、ネックとなったことを備忘録としてメモしておく。
次々にいつものアプリをインストールしたが、愛用のデジタルカメラ編集ソフトの「Microsoft Picture It! デジカメスタジオ Version 2003」がインストール出来なかった。
自室の昔の32Bit機はインストールできたが、今回初めて導入した64bit機はNG。残念。カミさんに聞くと、写真のトリミングだけに使っているというので、他の手段を考えなくては・・・
自分もこのソフトは、blogに上げる写真のトリミングに大活躍しているので、32bitのWIN10ではラッキーに結果オーライ。
WIN10機でNGとなったのが、もう一つ。canonのモノクロのレーザープリンターの「LBP-1120」というモデルが、WIN10は非対応でNG。これは何と13年前に買ったもの。
ま、仕方が無いね。

DELLのセッティングで、手こずったのが2点。
ログイン時のパスワード入力を省略するため、「netplwiz」でのパスワード省略の設定をしたが、突然、同じアカウントが2つ表示され、
パスワード入力を求められるようになった。いつものように、Netでググったら、同じ現象についての書き込みがある(ここ)。PWを変更したり、色々やるがダメ。結局、「netplwiz」でのパスワード省略を、一旦しない設定にし、再度「netplwiz」でPW省略をしたら、直った。
訳が分からないが・・・・

もう一つが、DELLのフォルダの共有設定。Netでググった通りの表示が出ず、困った。しかし原因は、あまりにも上の階層で共有をしようとしていたため。「ユーザー」ではなく、その下のフォルダで共有設定をしたらOK。
これは慣れているつもりだったが、時間が掛かった。

端末のセットで最も気を使ったのが、canonのインクジェットプリンタ「560i」の設定。我が家では、何台も買い換えて、ずっと同じ機種を使い続けている。
世の中には、同じ560iを愛用している人もあり、WIN10で使うための苦労話が載っていた(ここ)。それと同じようにしたら、OK!レーベル印刷もOK。これで、これからもずっと使い続けられるぞ。

いままでカミさんは、インクジェットとレーザープリンターを使い分けていたようだが、これからはインクジェットだけ。まあこれも仕方が無い。

WIN10導入にあたって、3冊本を買った。いずれも「PC21」のムック。
ざっと読むと、ノウハウが色々と書いてある。「これは良い!」とフリーソフトを色々導入してみたが、結局、ほとんど元に戻してしまった。唯一残ったのは、「Windows10 フォントが汚いので一発変更!」(ここ)だけ。確かに、WIN7のフォントに変えた方が見易い。

そして自分がWIN8やWIN10を毛嫌いしてきたシンボルが「タイル」と言われるデカイアイコン。これを消してWIN7風に変える「Classic Shell 」というフリーソフトも、結局は、止めてしまった。これはこれで見易いのだが、設定で困ったときにググって出てくるアドバイスの画面と違って来るので、止めてしまった。

それにしても、ググって出てくるアドバイスは貴重。結局同じ問題を、誰かが体験していて、その解決策が書いてある。これは本で調べるより便利。
3冊ざっと読んだが、後で「確かどこかに書いてあったな・・・」と本をめくって探すより、ずっと効率的。本だと、その部分を探すだけで大変。

カミさんのPCの復活で、最後にチャレンジしたのが、Googleクロームの「ブックマーク」の再現。前のPCは壊れて立ち上がらないので、エクスポートやインポートが出来ない。それで、ブックマークのファイルを探したら、場所が分かった。(ここ)に、
「ブックマーク本体の保存場所はココ。
C:\Users\<ユーザ名>\AppData\Local\Google\Chrome\User Data\Default\bookmarks  ← このファイルに保存されている」とあった。
壊れたPCのHDDから、同じ場所のファイルをコピーしてきて、上書きしたら、前のクロームのブックマークが再現した。メールもマイドキュメントも、何もかもほとんどが元に戻った。これでカミさんも文句が無かろう・・・

昨日の夕方から夜にかけてセットしたが、今日の昼は出掛けていたので、夕方に新しいDELLを居間に設置した。それからカミさんも使い出しただ、まあまあの反応。
スリープさせるアイコンが小さいとか、スリープから立ち上がった時に出る「タイル」が目障りとか言っている。
まあ直せるものは順次・・・(⇒結局「Classic Shell 」を使う事になった)

かくして、このところの宿題は何とか終わった。
さーて、明日は、スーパー銭湯にでも行って、体を休めてこようか・・・

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2019年5月 9日 (木)

老後の資金、投資する?

今日は久しぶりにコーヒー会。つまり同期の5人が集まって、Hくんの挽くコーヒーと、皆が持ち寄ったお菓子をエサに雑談会。今日は、耳が遠くなった!Tくんに、難聴のベテランのAくんが補聴器の講義。
その後、自分が紹介した「花畑かたくり」(ここ)でランチ。ま、いつものパターン。
ここでは、個室(事務室?)を借りてランチしたのだが、ランチ後に盛り上がったのが、Hくんが講義した「FX(外国為替証拠金取引)」。
独身のHくんは、頭の訓練や世界情勢の把握のために?投資をしており、いつ色々と節約・儲け方法について教えてくれる。それで、今日は「FX」なるものの説明をしてくれたが、これが実に難解。12時半に店に入って、出たのが2時だったので、たぶん食後1時間位はこ話に没頭していたのではないか?
結局、一番早く理解した?Tくんが、部屋に置いてあった白板に図を描いて説明し、やっと皆が分かった!?
世の中には、色々なものがあるようで・・・

それに似た話で、今朝の朝日新聞にこんな記事があった。

(耕論)老後の資金、投資次第?
 人生100年時代を迎えた日本。長引く低金利で、老後の資金は預貯金だけではまかなえなくなる、とする意見も目立ってきた。高齢者も投資が不可欠な社会がやって来るのだろうか。

■「やらない」が身を守る 荻原博子さん(経済ジャーナリスト)
 銀行や郵便局の窓口で勧められるがままに投資に手を出し、多くの人が損をしています。金融機関は投資のメリットばかり強調してデメリットの話はほとんどしないし、自分で金融の知識を身につけるのはものすごく難しい。若い人なら少しくらい損しても自分で稼ぐ力がありますが、高齢者は退職して稼ぐ力がなくなると取り戻せません。身を守る方法はたった一つ、やらないってことなんですよ。
 今、収益悪化に苦しむ金融機関が、手数料を稼げる投資商品を血眼になって売っています。そんなところに素人が手を出すのは、カモがネギを背負って鍋に飛び込んでいくようなものです。
 特に狙われているのが高齢者です。日本の個人金融資産約1700兆円のうち、60歳以上の高齢者の保有割合は6割を占めます。退職金も含めて潤沢な資産があり、なおかつ投資に疎い高齢者がターゲットになっているのです。
 よく年配の方が、銀行などの窓口で投資信託を勧められていますね。窓口で販売している商品は手数料が年3%前後になるものも多い。では仮に1千万円の投資信託を買ったとして、運用益も運用損もないまま25年経ったらどうなると思いますか。その1千万円は、500万円以下に目減りしてしまいます。なぜならその間ずっと、3%前後の手数料を引かれ続けるからです。つまり、勝つ確率より負ける確率の方が高いんです。
 本当にひどいことになっているのが、毎月一定の分配金が出るタイプの投資信託です。「年金代わりになる」と言われて退職金をつぎ込んだら、運用益では分配金が出せず、元本が取り崩されて振り込まれていただけだった、という事例が後を絶ちません。
 日本はまだデフレを脱却していません。今やるべきは「借金返して現金増やせ」。それで財産が守れるのかと思うかもしれませんが、モノの値段が下がるデフレでは、現金の価値が相対的に上がります。しっかり現金を持つべきです。
 私がよく言うのは、50歳時点で借金と貯蓄がプラスマイナスゼロになることを目標にすること。年金制度への不信感から老後を不安に思う人も多いのですが、住宅ローンの返済が終わり、子どもの学費もかからなくなれば、退職金と年金でなんとかやっていけます。年を取れば生活も変わりますから、若い頃のようにお金を使わなくなります。
 老後を心配して投資するくらいなら、インターネットを勉強して使いこなせるようになった方がよっぽどいい。より安い商品を探して買えるし、同じ趣味の人ともつながることができます。その方が、投資するより人生100倍も有意義になるんじゃないかと思いますよ。(聞き手・伊藤舞虹)
    *
 おぎわらひろこ 1954年生まれ。経済評論家事務所での勤務を経て82年に独立。「年金だけでも暮らせます」など著書多数。

 ■まず企業がお金回して 大沢真理さん(元東京大学教授)
 日本の高齢者は恵まれている。そう思っている人は多いですが、全くの誤解です。
 バブル崩壊後、正規職につけないまま苦しい生活を続けるロスト・ジェネレーションには「年金をもらえるだけで幸せな生活」と映るのかもしれません。
 しかし、「豊かな高齢者」はほんの一握りです。所得格差はむしろ高齢者間の方が現役世代間よりも大きい。社会保障費を抑えようとした政府が「豊かな高齢者」のイメージを吹聴したために、貧しい高齢者が見えにくくなってしまったのです。
 海外と比べて日本の高齢者が貧しいのは、データから明らかです。65歳超の貧困率は約20%で、OECD(経済協力開発機構)36カ国でも高い部類です。単身高齢者の女性に限れば50%前後と、主要国で群を抜く高水準です。
 こうした高齢女性の貧困を生んでいるのが「男性稼ぎ主型」の年金制度です。夫が生きて働いている間は余裕があるが、先立たれた途端、夫の勤労収入も基礎年金もなくなり、遺族年金だけになる。
 給付水準も不十分です。退職前に相応の金融資産を確保しなければ、年金だけで余裕がある生活を送るのは無理で働き続けなければなりません。スウェーデンやイタリアには年金額が生活保護相当額より低い場合、税金で補填(ほてん)する最低保障の仕組みがありますが、日本にはありません。
 金利がもっと高ければ、高齢者が資金運用に頭を悩ますことはありませんでした。その点で政府・日本銀行の低金利政策が長期化したのは痛手です。普通預金は夜間休日のATM手数料を考慮すれば、実質マイナス金利なのです。
 金融庁は預貯金に偏っている金融資産を投資へと回すことで、利回りを高めようという狙いですが、罪作りではないでしょうか。
 いま株価が好調なのは、あくまで年金積立金と日銀の株式購入によるものです。もし続かなくなれば、大暴落もありえる。高リターンの金融商品は当然、リスクも高い。資産運用をあおるのは、高齢者にリスクがしわ寄せされるだけです。金融機関は高齢者向けに低リスク低リターンの金融商品を開発すべきです。
 高齢者の資産が預貯金に偏っているから経済にお金が回らないとする意見もありますが、金融機関が産業融資をしないことが問題です。審査能力を磨き、担保がなくても成長しそうな企業に融資するようになれば、おのずとお金は回っていくはずです。
 最近の日本企業は国内で人やモノに投資せず、内部留保を現金でためていると批判されています。政府や日銀にはまず金融機関や企業に意識改革を促して、お金のパイプの詰まりを解消することが求められていると思います。(聞き手・日浦統)
    *
 おおさわまり 1953年生まれ。98年から今年3月まで東大社会科学研究所教授。専門は社会保障論。共著に「社会への投資」。」(2019/05/09付「朝日新聞」p11より)

高齢者を狙っているのは、振り込め詐欺だけではないようである。世の中の金融の会社がこぞって高齢者を狙っている?
こともあろうに、なけなしの金しか預けていない自分にも、前に銀行から電話があった。普通預金では利息がほとんど付かないので、運用をしてみないか?というお誘い。いつも自分が言うのが、「それをすると、100万円で年に幾らのリターンがあるの?」。どれも運用益は小銭。「だったら面倒なので、今のまま普通預金で良い」でチョン!

自分は、前に流行ったグローバル・ソブリンで大負けしたことがあるので、それ以来、一切の投資は止めた。定期預金にすらしていない。小銭のために、自由度が奪われるのがイヤ。普通預金なら、いつでも自由に動かせる。

老後は、頼りになるのはお金だけとも言われている。お金のない老人は、世の中からポイ?

最近気に入っている言葉が「プチ贅沢」
先日、「お金はお墓に持っていけないよ」という殺し文句で、「何のテレビを買ったら良い?」と相談してきたYくんに、REGZAの最高級機の有機ELの4Kテレビを買わせることに成功した。
それに対し、贅沢をしたくても、何をして良いやら分からない、ミミッチイ自分ではある。

ああ、紅顔の新入社員だった我々も、皆頭が白い。もう、付き合いが50年にもなる仲間たちである。

●メモ:カウント~1210万

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2019年5月 7日 (火)

キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」~人生の終末の向き合い方

先日の朝日新聞に、こんな記事があった。

「(時代の栞)「死ぬ瞬間」 1969年刊、エリザベス・キューブラー・ロス 人生の終末の向き合い方
 ■希望を尊重、寄り添う医療へ
 重い病で人生の終わりが迫った時、大切なものは何か。
 緩和ケアや遺族ケアに影響を与えた「死ぬ瞬間」で、米国の精神科医、E・キューブラー・ロス博士は、住み慣れた家で愛する家族と過ごすことを挙げ、鎮静剤よりも本人が好きな「1杯のワイン」がもたらす恵みを説いた。
190507shinosyunnkann  「ハッとしました」。1975年に外科医からキャリアを始めたケアタウン小平クリニック(東京都小平市)の山崎章郎院長(71)は振り返る。「生きる医療をとことんまで。それが当時の当たり前。死に寄り添う医療は私たちには無かった」
 70~80年代前半、日本の医療界には「死は敗北」の考えが根強かった。がんは告知せず、家族と共に苦しいうそを通した。臨終の間際、静かな別れよりも心臓マッサージが優先された。
 だが、死にゆく人の声を聴き、どの患者も「なんらかの希望を持っていた」ことに意味を見いだす博士の姿勢に、「医療には穏やかな最期を支える役割もある」と気づく。本がきっかけで山崎さんはホスピス医になり、今は在宅ケアに力を注ぐ。思いをつづった「病院で死ぬということ」(90年)は共感を呼んだ。
     *
 61年に整った国民皆保険の制度で窓口負担が減り、病院に行きやすくなった。73年には「一県一医大構想」が掲げられ、地域の医療体制づくりも進み、病院の数は右肩上がりに。76年には医療機関で亡くなる人の数が在宅死と逆転。医療技術が高度化し、何本もの管をつけて生きる状態を「スパゲティ症候群」と揶揄(やゆ)する声もあがった。
 「生かされる医療」に強く反発する人らが76年、「安楽死協会」(のちの日本尊厳死協会)を立ち上げる。翌年、医療界にも「死の臨床」を研究する団体ができた。先駆けになった英国のホスピスを学ぶ動きも活発になる。
 80年代には日本でホスピスが相次いで誕生。90年に緩和ケア病棟への入院に公的保険が適用されると全国へ広まった。2006年のがん対策基本法も後押しになった。
 「中でも大きな変化は患者の声が届きやすくなったことと、自己決定への理解では」と日本尊厳死協会の江藤真佐子事務局次長(54)。30年前は会員が延命治療を断る「リビング・ウィル」を示しても、受け入れない病院も多かった。「本人の意思が前提となる終末期のガイドラインができたのが大きい。今は断られる方が少ないのでは」
 ただ、どんなに環境が整っても、死に向き合うのは容易ではない。「今、『死ぬ瞬間』を読んでみたい」と、昨年に夫を見送った関東地方の女性(64)はいう。
     *
 夫が進んだ肺がんだとわかったのは4年前。手術はできなかった。標準の抗がん剤治療の後、医師は「薬も検査もやめてもいい」と言った。女性もホスピスに相談した。
 だが、夫は通院して治療を続けるという。「意思を尊重しよう」。そう強く思ったのは認知症を患った実母の介護経験からだった。
 限界まで自宅でみた後、断腸の思いで施設に託したが、母親は意思表示も難しくなっていた。寝たきりで、口から食べられなくなり、管で胃に栄養を送る処置を受けた。
 「本人はこの状態を望まないはず」と、栄養を減らして先細るように逝かせられないか相談したが受け入れられなかった。「結局、みとる側の都合を押しつけただけでは」。疑問を抱え、12年間施設にいた母親をみとった5カ月後の夫の病気だった。
 医療・介護の専門家と連携し、やれるだけの在宅ケアをした。ただ、夫は療養中、弱音を吐かず、病気や死への思いも語らなかった。「言わないから、私も聞けなかった。結局、夫は死とどう向き合っていたんでしょう」
 04年に78歳で旅立ったロス博士の埋葬に立ち会った東京の開業医、堂園凉子さん(72)によれば博士の口癖は「期待してはダメ。でも希望を持って」だった。「死は、怖くも哀れでもないと先生は教えて下さいました。私たちも、穏やかに『これでよかった』と思えるような支えをもっとご本人やご家族に届けられるといいのですが」(権敬淑)

 ■よい最期はよく生きた先にある
 淀川キリスト教病院名誉ホスピス長・柏木哲夫さん(79)
 戦後の日本は、豊かになる中で「強さ」や「生産性」を重んじ、その対極にある「弱さ」や「無」「死」をタブー視する価値観が広がりました。弱さや死は身近で人間的なことなのですが。
 そんな考えを変えたくて、大阪市の淀川キリスト教病院では1973年から、日本で初めて、チームによる末期患者のケアを検討し始めました。84年、同病院に西日本初のホスピス病棟ができましたが、初年度は3割が病名を告知されていませんでした。真実をどう伝えるかから模索をしました。
 ロス博士が示した「死の受容」段階は、患者に接する中でぼんやりと感じていたことでしたが、分析を読むことでより明確になり、現場で大変役に立ちました。
 今、病院で亡くなる方は約7割で少し減り、代わりに老人ホームなど施設で亡くなる方が増えています。自宅での最期を望む方は多いですが、高齢の単身世帯も増え、現実には壁がある。在宅ケアをかなえるには、現実的な新しい支援の仕組みと、今以上に公的な予算が必要になると思います。
 これまで2500人をみとりました。私自身は誕生日に死を思い、遺言を上書きします。結婚記念日には、がんはどこまで治療するか、最期はどこで迎えたいかを妻と話し、お互いの理解を更新します。誰もが死なざるを得ませんが、まずは今をよく生きる。その延長によい死もあると思います。

<「死ぬ瞬間」 1969年刊、エリザベス・キューブラー・ロス>
 ■本の内容 誰でも尊厳ある死を迎える権利があると考える精神科医の著者らが病気で死が迫る200人以上に面談し心理を分析。死の受容は「否認と孤立」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の5段階があるとした。みとる家族の心理や医療の問題点にも触れた。

 ■終末期医療に関連する流れ
1967年 英国に先駆的なホスピス誕生
 71年 「死ぬ瞬間」日本で翻訳出版
 73年 大阪の淀川キリスト教病院で「末期患者のケア検討会」開始
 76年 「安楽死協会」設立(83年に「日本尊厳死協会」に改称)
 77年 「日本死の臨床研究会」できる
 81年 静岡の聖隷三方原病院に日本初ホスピス
 86年 世界保健機関(WHO)ががんの疼痛(とうつう)治療法示す
 87年 厚生省(当時)に末期医療の検討会
 90年 緩和ケア病棟入院に公的保険
 92年 厚生省「脳死臨調」答申
 95年 東海大病院安楽死事件で地裁判決
 97年 臓器移植法施行
2001年 オランダで安楽死法制化
 06年 富山の射水(いみず)市民病院の人工呼吸器外しが事件化。医師は不起訴処分に
 07年 厚労省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」
 19年 東京の公立福生病院での人工透析中止が議論に」(2019/05/01付「朝日新聞」夕刊p3より)

目の前に「死の瞬間」「続 死の瞬間」という2冊がある。だいぶ前にカミさんに借りて、すっと読まないまま、本棚の鎮座したまま。発行年月を見ると両方とも昭和60年4月。
黄ばんだ本は、あまり開く気になれない。というより、読み始めても、なかなか進まず、放り出した本だ。
しかしカミさんは、昔から一度は読んでおく本だと言っていた。

2011年3月の東日本大震災以来、伯母、義姉、母、義母、そして兄を送った。自分にとって、死は近い存在になった。
カミさんにとってもそれは同じらしく、よく「自分が死んだら」を口走る。別に大きな病気を抱えているわけでは無い。あまり「自分が死んだら」を連発されると、聞いている方は、その言葉が軽くなる。よって、「いちいち覚えていられないので、メモにしておけ」と言っている。。でもまだそのメモは見ていない。

でも、死を他人事として無視しているより、常にいつ死ぬか分からない。という前提で暮らすこと良いことかも知れない。
つまり、悔いを残さず生きているという事。

死は分からないから怖い、と言われる。近しい人を看取り、死が近い存在となってくれば、怖くなくなるかも!?
生前整理とともに、こんな哲学書も、一度は目を通そうか・・・。
でも当分無理だな・・・
このところ忙しくて遠ざかっているチャンバラ小説に飽きたら、再度挑戦したい「死の瞬間」ではある。

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2019年5月 6日 (月)

童謡「森の小人」

先日、こんな童謡?を聞いて、改めて新鮮さを感じてしまった。
この旋律は昔から知っていた。しかしかなかな聞く機会は少ない。

<甲良やす子, 若草児童合唱団の「森の小人」>

「森の小人」
  作詞:玉木登美夫・山川清
  作曲:山本雅之

森の木陰で ドンジャラホイ
シャンシャン手拍子足拍子
太鼓たたいて 笛ふいて
今夜はお祭り 夢の国
小人さんがそろって にぎやかに
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

おつむふりふり ドンジャラホイ
かわいいお手手で 踊り出す
三角帽子に 赤い靴
お月さん にこにこ森の中
小人さんがそろって おもしろく
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

お手手つないで ドンジャラホイ
ピョンピョン はねはね輪になって
森の広場を 廻ります
今夜は明るい 月の夜
小人さんがそろって 元気よく
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

みんなたのしく ドンジャラホイ
チョンチョン お手手を打ち合って
夢のお国の森の中
そろいのお服で 踊ります
小人さんがそろって 楽しそうに
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ

この歌については、wikiに詳しい。それによると、戦時中の「蟻の進軍」という題でレコード化が取りやめになり、1941年(昭和16年)7月に「土人のお祭り」という題で、秋田喜美子の歌でキングレコードから発売されたという。
そして戦後、1947年(昭和22年)12月、佐藤恵子の歌で発表されてから一般に知られるようになったという。

そのオリジナルの佐藤恵子の歌でも聞いてみよう。

<佐藤恵子の「森の小人」>

しかし、“現在本作品は再び、小人の表現が差別的である、といった評価を受けている”とのこと。何とも世知辛い世の中だ。

自分はこの曲を聞いていて、何かエキゾチックさを感じる。童謡「月の沙漠」にも通じるような・・・
しかし頭に浮かぶ光景は、幼稚園の小さな子どもたちが、舞台で踊る様・・・。

話は飛ぶが、自分が書いているblogの「ココログ」。Netによると「ニフティが運営する日本で最初の本格的なブログサービス」だそうだが、このところ苦戦続き。
3月19日の全面リニューアルから不具合が続いており、もう2ヶ月にもなろうとしているのに、元に戻らない。当サイトでは、MP3プレヤーが重要だが、相変わらず一向に表示されない。
事務局に問い合わせても、「何度もご連絡をいただいている旨を担当部署に申し伝えております。」の繰り返し。
そうとう長期戦になりそうである。
そんなこともあって、しばらく音楽の記事は避けていたが、また始めようか・・・

今日でやっと10連休が終わった。
特に心配だったのが、病気。特に何事もなく終わってホットした。
もちろん年金生活者は、観光地には行かない。ショッピングモールは結構空いていたが、ホームセンターは混んでいた。自宅で遊ぶのが無難か!?

揺り戻しで、明日からどこも大騒ぎ。国民の半数以上は、こんな長期はうれしくないとの思いとか。おまつりでうかれている世の中では無いのに・・・!?
まったく「ア ホイホイヨ ドンジャラホイ」だ。

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2019年5月 4日 (土)

「令和」スタートと共に「WIN10」始め!?

自分は、どうも環境の変化に弱い。というより、変化が面倒!?
でも「令和」のスタートと時を同じくして、我が家もとうとうWIN10のスタートになってしまった。

PCのWIN7のサポート終了が、来年(2020年)1月14日に迫ってきた。自分のPCも、カミさんが使う居間のPCも、年末が近くなってきたら替えようかと思っていた。特に居間のPCは、記録を見ると2010年1月28日購入とある。もう9年も使っている。そもそもPCの寿命はそんなに無いらしい。HDDは2年ほど前に交換したが(ここ)、本体の故障は考えていなかった。
ところが、先日(2019/04/23 )、居間のDELLが故障した。電源ランプが黄色く点いて、スタートしない。Netで、他の人が同じ症状で試したことをしてみたが、ダメ。DELLに電話で確認したが、電源系統の故障で、モデルが古いので、故障修理も出来ないとのこと。

仕方が無い、潮時だ、と思って、DELLに電話して新モデルを発注。価格コムで売れているモデルを選んだ。アプリはSSDに、ファイルはHDDに。ついでに、モニターも買い換えたが、DELLの不便さは、納期。本体は、受注生産のため、やはり3週間ほどかかるらしい。液晶モニターは即日配送されてきたが、本体はすぐに「出荷済み」だが、なかなか日本に着かない。
これは承知済みなので、居間はとりあえずノートPCを設置。

最近、「インターネット速度テスト 」(ここ)が気に入っている。スマホも含めて、同じ環境・ツールで比較することができる。これで色々試したら、居間のPCの速度が遅いのにビックリ。我が家では、i5 2.6GHz のPCで、有線LANで800Mbpsほど出るが、居間では20Mbpsほど。原因はLANケーブル。DELLを購入した時の5eのままだった。これを最新のカテゴリ7に替えたら、数倍良くなった。何もかも、時代は進んでいるということ。

それにしても、DELLの故障は想定外。HDDの故障は想定内で、イメージのバックアップは随時取っていたが、ドキュメントはそれほど取っていない。しかし、結果的には救われた。HDDクローン作成用の「玄人志向」のHDD/SSDスタンド を買ってみたら、壊れたDELLのHDDがそのまま見えた。つまり、マイドキュメントは健在で、新PCにそのままコピーが可能と言うこと。メールのサンダーバードのデータも覗けたので、プロファイルをそのままコピーして、暫定のPCに復活。助かった!!

DELLへ発注したPCは、たぶん連休明けに着くだろう。それから環境セット。WIN10である。仕方が無いので自室のPCもWIN10に変えた。まだ無料でVerUPが出来る。(ここ)からダウンロードしたファイルを、DVDに焼き、WIN7が立ち上がった状態からDVDを読み込むことで、WIN10にVerUPされる。昨夜やってみたが、時間にして1時間半弱。さすがに、「Microsoft Security Essentials」と「ATOK」は、互換性がないとのことで、削除を指示された。これは前もって削除しておくべし!?

うまくWIN10が立ち上がったが「sbavmon.dllを開始中にエラーが発生しました。指定されたモジュールが見つかりません。」というダイアログが出る。Netでググってみると、無数にヒットする。皆困っているみたい。(ここ)にあった「[Ctrl]+[Alt]+[Delete]からタスクマネージャを起動する。スタートアップ・タブを開く。一番下のWindows ホスト プロセスを無効にしたら、解決した。」で自分も解決。

次に不都合が出たのが、office。自分は、PC本体と同じく、古い物好き!?新しいofficeは、リボンが大きくて自分に合わない。それで使わない。たまたま、現用のPCはoffice XP。さすがにこれは古過ぎたようで、wordやExcelを立ち上げる度に、メディアを要求される。面倒なので、これはアンインストールして、改めてoffice 2003をインストール。認証も通って、使おうとすると毎回「同意」のダイアログが出る。これはスタートメニューにあるwordを右クリックして、「その他」「管理者として実行」で解決。

次に気になったのが、Chromeの立ち上がりの時間。ホームのgoogle が開くまで8秒ほどかかり、遅い。試しにEdgeにしたら、3秒ほど。しかし、ココログとの相性が心配なので、やはりChromeで軽くする方法を考えるか・・・
ま、まだ丸一日経ってないが、特にWIN7に比べて違和感はない。

「うそぶく」という言葉がある。広辞苑を引くと「そらとぼける。」「大きなことを言う。えらそうなことを言う。」とある。
前にXPがWIN7に変わった時も「XPで特に問題はない(不都合は感じていない)ので、自分はXPで充分」とうそぶいていた。しかし、やはりWIN7の方が色々な面で快適だった。
先日、車を買い換えたが、これも13年乗っていて「今の車で特に問題はない(不都合は感じていない)ので、今の車で充分」とうそぶいていた。しかしハイブリッド車に替えたら、原理的にエンジン音が小さく、気に入った。カーナビも進化していて「次の信号です」「目的地は右側です」とポイントで示してくれるので、今までの「目的地周辺に来たので案内を止めます」とは大違い。
「新型車に乗っても“ワクワクしない”ので止めた」とうそぶいていたのが恥ずかしい!?

ま、WIN10も同じだな。「日経PC21」という雑誌の「WIN10は初期設定で使うな!」という特集号を買ってきたので、それに従ってこれから設定していこう。(「Windows10 フォントが汚いので一発変更!」(ここ)は必須!)

2週間にもなるが、相変わらずカミさんは新しい車に乗ろうとしない。前の車の方が気にしないで乗れて良かったと、のたまう。しかしこれも時間の問題。
「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」という諺がある。うそぶいているうちに、時代に取り残される。
変化を嫌って、時代に遅れることのないよう、自分も心せねば・・・!!

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2019年5月 1日 (水)

障害者の就職~どう思いますか

今日は、「令和」の元旦!?どうもピンと来ないが・・・。
昨夜の渋谷のスクランブル交差点では、カウントダウンの群衆に対して、熱を冷まさせるためか、大画面が一斉にブラックアウトになったとか・・・。これは設置者がわざと止めたらしい。今日のテレビも、「令和」一色。困ったもの・・・!?
話は変わるが、今朝の朝日新聞にこんな記事があった。

(声 どう思いますか)障害者の就職
 障害がある子を育てる親にとって、小学校への就学とともに、卒業後の就労や自立への道筋が気になるところです。
 障害者雇用は、法律で法定雇用率の達成が義務づけられる時代になりました。政府や自治体は、就労や定着支援の取り組みを始めています。
 一方、昨年は政府や自治体による障害者雇用の水増し問題が発覚しました。また、当事者や親に雇用条件を聞くと、一般的に非正規雇用が目立ち、定着も大きな課題です。東京パラリンピックを来年に控え、障害のあるなしで区別しないインクルーシブな社会を目指す動きがありますが、簡単ではありません。みなさんは、どう考えますか。

 ■その子の将来考えた就学支援に
 生活保護高齢者支援員 女性(東京都 48)
 19歳の長女は自閉症と知的障害があります。福祉的な就労をする「就労継続支援B型」の事業所に通っています。特別支援学校の高等部を卒業しましたが、希望の保育園やスーパーで不採用となり、就労移行支援事業所も受け入れられませんでした。
 小学校就学時は、養護学校と心身障害学級の両方の教師から「心障には重すぎる、養護には軽すぎる」と言われました。今は「B型事業所には(障害が)軽すぎる、企業(の障害者雇用)には重すぎる」と言われてしまいます。
 軽度の子どもは、高等部卒業時に療育手帳が出るか出ないかという状況です。出なかったとしても、一般就労での採用は難しいです。学校では障害者雇用枠での採用を目指して教育されてきたためです。
 就学相談では「その子の今」しか見ません。その時点から、その子の将来像も考慮して考えてほしいと思います。

 ■忘れられない実習先での罵声
 主婦(大分県 59)
 「こんなやつを働かせるなんて、お前らはバカか!」
 息子が特別支援学校高等部1年の時、職場体験で言われた言葉です。図書館の受付で、職員の方と貸し出しカードの入力をしていたところ、常連の高齢者が職員に浴びせた罵声でした。息子は「自分のせいで職員の人が『バカ』と言われた。申し訳ない」と落ち込みました。
 脳性マヒで四肢体幹機能障害のある息子は車椅子で生活しています。知的障害はなく保育園、小学校、中学校は地域の学校で健常児の友だちと同じクラスで学びました。高校は特別支援学校を選びましたが、英検2級にも合格しました。
 息子は今、大学4年生。成績優秀で大学から表彰されましたが、手足にマヒがあるため就職は絶望的です。たとえ就労したとしても、周りの理解がなければ本人が傷つくだけかもしれません。重度身体障害児の就労はさらに困難なことを知って欲しいです。

 ■障害に合う支援、親が奪わないで
 会社員 男性(静岡県 55)
 官庁の障害者雇用の水増し問題が起きたことで、障害者手帳を持っている人の就労環境は改善されつつあります。しかし、手帳を持っていない障害者も相当数いることを知って欲しいのです。
 神奈川県内に両親と暮らす、自閉症と思われるいとこも、その一人です。学校時代も通常学級で過ごし、障害に応じた就労支援や教育は受けてきませんでした。親が社会的地位への影響や周囲の目を気にしたということがあるのかもしれません。手帳がないと、就職も一般採用枠になります。しかし、採用されてもすぐクビになってしまいます。
 いとこは、もう50歳。80歳を過ぎた両親の年金で生活しています。障害を持った子どもに対し、一人で自立して生きていくのに必要な職業教育を受けさせてあげることを怠り、障害者手帳も持たせずに福祉の支援を受けなかった。こうした子育てのつけは、後々の人生に響きます。

 ■親や教師は成長機会奪わないで
 障害者人材育成会社経営 男性(大阪府 36)
 私の娘には重度の聴覚障害があります。子どもの将来がとても不安でした。そのため、障害者を雇用する側になってみようと、大手外食チェーンの人事部門に転職し、支援学校や施設を訪問しながら障害児の採用と育成をしてきました。
 親と雇用側の両方を経験して分かったのは、社会経験の圧倒的な少なさです。親は長い間、代理行為を行い、成長の機会を奪ってしまっています。特別支援学校は、通う子どもたちのボトムに合わせた教育をしています。重度の障害児にとっては非常に良いですが、知的障害のない、特に軽度の障害児には、成長のための負荷がかかりにくい環境です。それ故、経験値が少なく、能力はあるものの打たれ弱い生徒が多くなりがちです。
 経験値が少ない中で進路を決めなければならず、安易な志望理由で決めてしまうこともあるのでしょう。障害者雇用枠で就職しても離職が多いというのは、なるべくして起こっていると思います。

 ◆働くこと意識して準備を
 NPO法人「空と大地と」(静岡県島田市)の理事長・大橋妙子さん 就労移行支援事業所を運営している中で、気になることがいくつかあります。
 まず特別支援学校ではもっと働くことを意識した教育をする必要があると思います。高等部に入学してから就職や自立についてあわてる人が多くいますが、小学生の段階から子どもの自立を考えて備えていくべきです。
 現状は、非正規雇用が多く、離職する人も目立ちます。ただ、企業によっては、せっかく採用して育てるのだから長く雇用したいと考えています。障害者雇用といっても、今、人材の確保難が起きているからです。
 そこで必要なのが、家庭でも働きやすい環境を整えることです。学校を卒業したから親の役割は終わりではありません。継続して働くためには、家庭でのサポートも実は重要です。生活のリズムを整え、身だしなみや出勤時間に気をつけるような、いわば社会生活を円滑に送るためのサポートです。
 こういった就労準備や継続的なサポートが現実には必要です。」(2019/05/01付「朝日新聞」p8より)

3番目の「自閉症と思われるいとこ」の話は深刻だと思った。
「親が社会的地位への影響や周囲の目を気にした」ことで、「いとこは、もう50歳。80歳を過ぎた両親の年金で生活しています。障害を持った子どもに対し、一人で自立して生きていくのに必要な職業教育を受けさせてあげることを怠り、障害者手帳も持たせずに福祉の支援を受けなかった。こうした子育てのつけは、後々の人生に響きます。」とある。
このいとこの人の今後の人生はどうなるのだろう?
親の見栄のために、子どもの人生を犠牲にしたということなのだろう。親が生きている間は、何とか収入があるので生きられるかも知れない。親も援助してあげられるかも知れない。しかし年齢的に、親が先に死ぬ。その後は、このいとこは、収入が絶たれる。
両親の年金で生活しているということは、財産も無いのだろう。自閉症となると、生活保護を受けても、自活できない。どこかの施設に入りたくても、障害者手帳もない(障害者として認定されていない)となると、手が無い・・・

確かに、親が子どもを障害者として認めることはつらい。何とか、障害者では無い、と思いたくて日々努力してきても、いざ公的に障害者と烙印を押されると(障害者の認定をされると)、数日泣き暮らす、という話も聞く。
でも、障害者として認定されることは、社会の支援が始まる第一歩。障害年金も貰えるようになり、色々な施設での支援や訓練も受ける事が出来る。
その道を親のエゴで閉ざすことは、あまりに悲惨な結果を招く。

ある人が、定年後のアルバイトとして、障害者の施設への朝夕の送り迎えをしている。その話を聞くと、特に自閉症の子どもは大変だという。暴れたり、大声を出したり・・・
しかし、その家庭からすると、子どもが施設で受け入れてくれる間だけ、平穏な生活が得られる。子どもが生まれて以来、四六時中その世話に明け暮れてきた親からすると、一時の静寂。やっと息抜きが出来る・・・。
これも障害者として認定されたからこそ。

前に何度か書いたが、統計的にある確率で障害者は生まれる。それはどこに生まれるか分からない。自分の子どもが健常者だったら、それは単にラッキーだっただけ。それで障害者のことを忘れてしまうのではなく、やはり社会全体がそれらの子どもたちを支援し、障害者を守って行くのが人の道。

昨年の政府や自治体による障害者雇用の水増し問題など、まさに下の下の話。
アベくんも、相変わらず天皇の前でも「美しい」を連発しているが、何とか「温かい」を連発して欲しいものだ。

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