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2019年4月17日 (水)

新聞で「取り上げない」というリスク

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)「取り上げない」というリスク 湯浅誠
 「お金のない人が、ニュースを知ろうと思ったとき、情報を得る手段と言えば?」――こう大学生に聞けば、ほぼ全員が「スマホ」「ネット」と答えるだろう。しかし、今秋に予定される消費増税にともなう低所得者対策としての軽減税率(据え置き)の対象になったのは、スマホでもパソコンでもテレビでもなく、「定期購読契約が締結された週2回以上発行される新聞」だった。

 「新聞が重要な情報源だという国民はたくさんいる」という意見も当然あるだろう。私は新聞への軽減税率の適用自体を批判するつもりはない。私が違和感をもつのは、それについての議論が、朝日新聞紙上にほとんど展開されなかったことだ。
    *
 朝日新聞のデータベースを見ても、軽減税率適用を求める新聞大会決議が、紙面の目立たないところにそっけなく載るだけ。新聞への適用が決まった際には、社説が「私たち報道機関も、新聞が『日常生活に欠かせない』と位置づけられたことを重く受け止めねばならない」「社会が報道機関に求める使命を強く自覚したい」(「軽減税率 『再分配』を考えていく」、2015年12月16日朝刊)と触れたが、なんだかあまり都合のよくないことが起こったときの閣僚答弁のようだ。ホントの閣僚答弁だったら、朝日新聞は「~と歯切れ悪く語った」とでも評するのではないか。

 朝日新聞社を始めとする新聞社の立場は当然、あっていい。「ネットで流れるニュースだって、元をたどれば新聞記者がとってきた情報だ」と、堂々と新聞への軽減税率適用の正当性を主張すればいい。しかし世の中にはそう思っていない人もいる。だから考える素材を提供する必要がある。新聞は、健全な民主主義の発展のために、その使命と役割を担ってきた。それなのに自社が絡むと議論が低調になり、考えるための多様な素材も紙面に載らない。読者から「新聞も他の商品と同じく10%にすべきだ。上げないなら、新聞社あるいは新聞協会としてしかるべき説明をすべき」(70代・男性)との声もあったが、朝日新聞の幹部が、反対する人と対談し、世の中に「どうか」と問うくらいの度量と企画力があってもよかったのではないか。

 そうでないと、朝日新聞が「多様な素材を提供する」と言うときは朝日が取り上げたいときで、取り上げたくないときは議論低調なままやり過ごす、人々の目が向かないようにするんだ、と見えてしまうのではないか。民主主義の成熟よりも自社利益を優先する新聞だという「邪推」が成り立ってしまうのではないか。それって、朝日が誰かさんを批判するときによく使う論法じゃなかったっけ? 「不都合なことには目を向けない」「まともに答えない」と。
    *
 この件について、佐古浩敏ゼネラルエディターに聞いた。紙面展開が少なかったのはなぜですか?

 「会社としては『民主主義を支え活字文化を守るためには、知識への課税は最小限度にとどめるべきだ』『書籍、雑誌などを含む活字媒体への軽減税率適用の必要性を訴えていく』との考えを示しています。世の中に表明している、この立場を横に置いて多様な意見を紹介しても『アリバイづくり』に見られるだけではないか、という懸念がありました」

 「新聞への軽減税率適用の是非を超えて、『新聞は民主主義社会のインフラだ』とみなさんに認めてもらえるような良質な紙面を届け続けることが、結果的にみなさんのご理解を得る近道だと考えています」

 ……それなんですよね。取り上げないのは、自社への利益誘導と見られないため。しかし取り上げないことで自社への利益誘導と見られるおそれもある。私が懸念するのは後者のリスクで、それに対する回答が「良質な紙面を届け続ける」だけでは弱いのではないかと思うんです。

 佐古さんの言葉は、好意的に見れば「職人気質の潔さ」とも言えますが、取り上げないことで「不都合なことから目を背ける」と見られるリスクを軽視しているなら、今という時代に合わせたセルフプロデュースができていないとも言える。「たしかに今の時代、メディアの当事者性を意識した自己開示をしていく必要性も理解しています。これからの課題です」と、佐古さんは話した。

 取り上げるリスクと取り上げないリスク、たしかにどちらもある。だが、朝日新聞が「良質な紙面を届け続ける」と愚直さを示すことが、いつでも好意的に評価されるとはかぎらない。その態度だけで、「倒れゆく巨象」の運命を免れられるか、私は疑問に感じてもいる。

 今秋に向けた消費増税の議論の中では、後者のリスクを意識した紙面が展開されることを期待したい。
    ◇
 ◆ゆあさ・まこと 社会活動家、東京大学特任教授。1969年生まれ。こども食堂の普及啓発に取り組む。」(2019/04/16付「朝日新聞」p17より)

この記事を読みながら、先日の「上野千鶴子さんの東大の入学式での祝辞」(ここ)を思い出した。

「言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。」という言葉と、この全文を東大のHPに載せたこと。

これは取りも直さず、東大という組織が、この上野さんの発言を許容しているという事。
同様に受け取ると、朝日新聞もこの湯浅誠さんの、朝日にとって耳が痛い意見を載せたということで、まだマシなのかも知れない。
まあ、掲載したことで、アリバイづくりをしているのかも知れないが・・・

他紙の状況は分からない。朝日にしてこうなので、もっと無視しているのだろう。

それにしても、自己に都合が悪いことは、お手盛りで情報操作をする、という悪しき伝統は、政界に止まらず、日本全体の伝統なのだろう。
特に戦前、新聞の販売部数を上げるために戦争へ駆り立てた新聞の扇動ぶりは、今さら語るまでも無い。
それに引き換え、現代のNetをいうメディアは、誰もが言いたいことを言える手段を得た、という意味では大きい。しかし、その大海原から何を拾うのか・・・
情報管理されていることが前提の今の世の中。Netを駆使して自分にとって正しい情報を得、物事を判断していくとしても、生半可な努力で得られる物では無い。
自律して生きることは、なかなかに難しいものである。


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