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2019年3月の14件の記事

2019年3月29日 (金)

NHKの政治報道変だ~「安倍政権寄り」

先日の毎日新聞(2019/03/27付夕刊)にこんな記事があったという。

NHKの政治報道変だ 「安倍政権寄り」と保守系誌も批判
190329mainichi1  NHKの政治報道が変である。今年に入り、論壇誌が相次いで「安倍晋三政権寄りが目に余る」などと報道姿勢にモノ申す特集を組み、NHKのOBらが古巣に抗議する事態になっているのだ。物議を醸した籾井勝人前会長が退任して2年。公共放送はどこへ向かっているのか?【吉井理記】

190329mainichi2  記者が報道の仕事に最初に関心を持ったのは、小学生だった1984~85年放送のNHK特集「21世紀は警告する」だった。番組内容をまとめた単行本を今も持っている。もちろん、それ以降も社会や歴史の断面を深く掘り下げるドキュメンタリー番組に圧倒されてきた。
 そのNHK、政治ニュースにかつてないほど厳しい目が向けられている。保守系論壇誌「月刊日本」は4月号…」(2019/03/27付「毎日新聞」夕刊ここより)

全文を読みたいな、とググっていたら、(ここ)で全文が読めた。写真はここから借用。

自分も心配?していたことだが、客観的にもNHKは劣化しているらしい。
自分もNHKニュースをまともに見なくなって久しい。これはちゃんと受信料を払っている者からすると残念。しかも、受信料はスマホのワンセグ携帯でも払え、という最高裁判決まで出ている。
怖いもの無しのNHK。それだけにこの劣化は怖ろしい。国民への政権のプロパガンダにつながる。金を払って、政権の宣伝放送を見る???

元NHK記者だった相澤冬樹(著)の「安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」という本が、Amazonではベストセラー1位だという。
問題意識は、広まっている。しかし、その問題を今後どう正して行くかは、国民が選挙を通してしか、手段が無い。
当blogで毎度、念仏のように書いているが、我々国民が投票した選挙の結果がこの事態を招いている。このNHK問題も、我々自身の責任なのだろう。

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2019年3月28日 (木)

平成は「天威無法」 創作四字熟語アンケート1位

昨日(2019/03/27)の朝日新聞にこんな記事があった。
平成は「天威無法」 創作四字熟語アンケート1位
190328jyukugo  平成を最も象徴する四字熟語は、「天威無法(てんいむほう)」――。住友生命保険は26日、1990(平成2)年から毎年募集している「創作四字熟語」の入賞作を振り返るアンケートで、2011年の東日本大震災を表した作品が選ばれたと発表した。2位は阪神・淡路大震災の「震傷膨大(しんしょうぼうだい)」、3位はバブル経済の崩壊を表した「泡年万削(ほうねんまんさく)」だった。
 同社は今年2月、平成全体とその年を最も象徴する作品を選ぶインターネットアンケートを実施。男女500人ずつの計1千人が回答した。(中島嘉克)」(2019/03/27付「朝日新聞」p11より)

このリストを眺めてみると、平成30年間の出来事が色々と頭に浮かぶ。1位が2011年の東日本大震災、2位が阪神・淡路大震災、そして3位がバブル経済の崩壊だという。まあまあ妥当な所だろう。

しかし時が経つのは早い。PCの2000年問題は、もう20年も昔の事。PCはXPからWIN7を経て、来年初めにはWIN10への転換を強要されている。
米同時多発テロも遠くなった。小泉政権の郵政民営化も昔の話になった。しかし、2011年の大震災以降は、少なくてもこの創作四字熟語を眺める限り、話題が小粒だ。
まあこれはこれで良いこと。

先日、葬式で葬儀場の人が撮った写真が送られてきた。自分の姿を見て「誰じゃ!このジイさんは!」と思ったもの。
歳を取っても、意外と気持ちは変化が少ない。しかし外観の変わり様は、目を覆うばかり。
自分の気持ちとは裏腹に、急速に歳を取っている現実・・・

年の数え方も、西暦で呼ぶのが一般的になった現在、平成が何に変わるのか、あまり興味は無い。しかし、「安」の字が入るのでは?というウワサを聞くと、こればかりは神経がざわつく。
まだまだ修行が足りない自分だが、心の“平穏”だけが今の自分が求めるものになってきた。
カミさんとの食後ミーティングで、「テレビの悪い気が入るニュースよりも、ウォンバットの四角いウンチのこと(ここ)を考えている方が、よっぽど健康的だよね」と話すこの頃である。
何とか、平穏が続きますように・・・

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2019年3月26日 (火)

「人は憎むことを学ぶのだ」~教育とは

昨日(2019/03/25)の朝日新聞に、こんな記事があった。
「(風 南アフリカ・ロベン島から)マンデラ氏と看守の友情 北川学
 南アフリカの港町ケープタウン沖に、フィンボスと呼ばれる低木とユーカリの木に覆われた外周12キロのロベン島がある。
 アパルトヘイト(人種隔離)政策に抵抗し、国家反逆罪で終身刑となったネルソン・マンデラ氏は1964年から18年間、この島の刑務所で服役した。27年に及んだ獄中生活の3分の2にあたる。
 刑務所だった建物群は博物館になっている。堅牢な平屋建ての内部に、廊下を挟んで32の独房が並ぶ。中庭に面した5号房にマンデラ氏はいた。
 鉄格子がはまった2メートル四方の房内には、ござと毛布、金属製の皿とカップ、小さな机、トイレ代わりのバケツがあった。
    *
 マンデラ氏が2013年に亡くなるまで交流を続けた白人の元看守がいる。クリスト・ブランドさん(59)。高校を卒業した78年に採用され、ロベン島に赴いた。
 「上司は黒人の囚人を極悪人と呼んでいましたが、会ってみるとみんな謙虚で、私にも敬意をもって接してくれました。肌の色で人を判断する愚かさに気づきました」
 ブランドさんはこんな思い出を語ってくれた。
 マンデラ氏の妻が面会に来た。生後4カ月の孫娘を連れていたが、子どもと囚人の面会は禁止だ。妻は孫娘を別室に預けて面会室に入った。話を聞いたマンデラ氏は、後ろで見張るブランドさんに「会わせてくれないか」と懇願した。
 ブランドさんは「だめだ」と答えたが、情を抑えることはできなかった。面会後、別室に戻った妻に、再び面会室に入るよう伝えた。孫娘を預かると囚人用の通路に行き、マンデラ氏に30秒だけ抱っこさせた。「彼は涙を流し、孫娘に2度キスをしました」
 以来、2人はさらに親しくなった。看守と囚人の会話は禁じられていたが、人目を忍んで言葉を交わした。
    *
 マンデラ氏は94年に黒人初の大統領となり、有色人種と白人の融和を訴えた。ブランドさんは制憲議会の職員としてマンデラ氏を支えた。
 アパルトヘイトが生きていたころ、南アの有色人種には参政権がなかった。鉄道、レストランなどあらゆる場所で白人と隔離された。そんな時代に白人の看守と友情を育んだマンデラ氏は「自由への長い道 ネルソン・マンデラ自伝」(東江一紀訳、NHK出版)にこう記す。
 「肌の色や育ちや信仰のちがう他人を、憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことが学べるのなら、愛することだって学べるだろう」
 世界には、自らと異なる人種や民族を頭ごなしに否定する声があふれている。ニュージーランドでは白人至上主義の男が銃を乱射し、多くのイスラム教徒の命を奪った。忌まわしい事件が起きた今こそ、マンデラ氏の言葉をかみしめたい。 (中東アフリカ総局長)」(2019/03/25付「朝日新聞」p8より)

なかなか良い話である。
「肌の色や育ちや信仰のちがう他人を、憎むように生まれついた人間などいない。人は憎むことを学ぶのだ。そして、憎むことが学べるのなら、愛することだって学べるだろう」
という言葉は胸を打つ。

前に見たNHKのドキュメンタリー番組のこんな場面を思い出した。
NHKハイビジョン特集「日中戦争~兵士は戦場で何を見たのか~」の一場面である。当時、この番組について記事を書いた。(ここ
(ココログの3月19日から続いているリニューアルの大トラブルで、記事の検索が出来なかったが、やっと今日、検索機能が復活したので前に書いた記事を見付けることが出来た)

もう10年以上も前の記事だが、当時こんなことを書いた。
「番組の冒頭は、ショッキングな画面から始まる。現在の“中国の教育”の実態である。
ナレータ:
「中国北京郊外 盧溝橋です。今年7月7日、多くの人がこの橋を訪れていました。
(先生):「永遠に忘れないで下さい。1937年の今日は『国恥』の日でした」
(生徒達の合唱):「国の恥を忘れずに! 一生懸命学ぼう! 祖国のために尽くそう!」
69年前のこの日、橋の近くで演習中の日本軍に銃弾が撃ち込まれ、それをきっかけに中国軍との衝突が起こりました。盧溝橋事件です。」

まさに「人は憎むことを学ぶのだ。」という場面である。

日本の教育も、戦前復帰へ向かって怖ろしい状態である。
無垢な子どもたちを、一部の政治家の餌食(えじき)としないため、我々は何が出来るのだろう?

(追:2019/03/27)日本の教科書でもこんな動きが・・・・
「領土」、政府見解を徹底 来春からの小学校教科書、検定結果
 来春から使われる小学校教科書の検定結果が発表された。領土をめぐる記述では政府見解に沿った形で細かい意見がつき、2回目となる道徳の検定では「国や郷土を愛する態度」の扱いが「不適切」とされる例があった。他の教科の特徴とあわせ、紹介する。

 ■「誤解のおそれ」、記述に細かな意見
 2017年に改訂された小学校の学習指導要領は初めて、社会で北方領土に加えて竹島や尖閣諸島について「我が国の固有の領土であることに触れること」と明記された。教科書検定でも、政府見解の用語を徹底させる意見が相次いだ。
190326kyoukasyo  日本の領土について学ぶのは主に5年。13年度に検定を受けた社会の教科書も全て、北方領土や竹島、尖閣諸島について触れていたが、指導要領の改訂を受けて今回申請した4社(地図を含む)はすべて領土問題を扱い、「固有の領土」と明記した。
 それでも、検定意見で日本政府のスタンスを加えることを求められた。東京書籍の5年の教科書では竹島について「日本固有の領土ですが、韓国が不法に占領しています」という記述について「我が国の立場を踏まえた現況について誤解するおそれのある」と意見がつき、「韓国が不法に占領しているため、日本は抗議を続けています」という表現になった。尖閣諸島についても「日本固有の領土ですが、中国がその領有を主張しています」という表現に「尖閣諸島の支配の現況について誤解するおそれのある」と意見がつき、「領土問題は存在しません」という文が加わった。
190326syakai  教育出版の5年の教科書では尖閣諸島について「領土をめぐる問題はない」と書いたところ、「誤解をするおそれのある」と検定意見がつき、「領土問題はない」となった。「尖閣諸島も日本の領土でありながら」という記述は「支配の現況について誤解するおそれのある」と意見がつき、「尖閣諸島も日本の領土であり、国としての適切な管理をこれまで続けているにもかかわらず」となった。
 以前から教科書で「固有の領土」と明記をされていた北方領土についても検定意見がついた。日本文教出版は6年の教科書で「歴史的にも日本の領土」と書いたところ、「誤解するおそれのある」と意見がつき、「日本の固有の領土」と修正した。
 皮肉にも、教科書検定の作業の最中には、ロシアとの平和条約交渉を目指す安倍晋三首相や河野太郎外相が北方領土について「固有の領土」という表現を避けるようになった。安倍首相は国会で立場を問われ、「日本が主権を有する島々」という表現を使った。
 指導要領は「社会的事象の意味を多角的に考える力」も養うとしている。ある教科書会社の担当者は「我々が指導要領をベースにするのはしょうがないが、教科書はあくまで素材。子どもたちが教科書を見て、首相が言っていることと違うと気づけば、素材としては素晴らしい」と話している。

 ■道徳、忠実な表現要求 国や郷土愛、「不適切」相次ぐ
 小学校で2018年度から「特別の教科」となった道徳は、2回目の教科書検定だった。前回と同じ8社が申請し、検定意見は244件から149件と減った。ただ、学習指導要領に定められた「善悪の判断、自律、自由と責任」や「節度、節制」「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」などの「内容項目」に忠実な書きぶりが求められる意見が目立った。
190326doutoku  日本文教出版の1年は、図書全体が「家族愛・家庭生活の充実」の扱いが不適切、との意見がついた。対応する教材は「おかあさんのつくったぼうし」。同社は、物語の最後につけた発問で、「かぞくについておもっていること」を、「だいすきなかぞくのためにがんばっていること」と修正し、認められた。文部科学省によると、指導要領が求める内容で、「家族の役に立つ」という要素が不足していたという。
 同社の3年は「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」の扱いが不適切とされた。文科省は、「一体として満たされていなかった」として、不足部分を明らかにしていない。同社によると、前回から教材を入れ替えていた関係で、「郷土を自慢する」という要素が足りなかったと推測でき、「あなたの地いきには、昔からつたわるじまんしたいものがあるかな」などの記述を増やした。
 学研教育みらいの3年も同じ内容項目で意見がついた。日本の祭りを紹介するページで「人々のどのような思いが祭りをささえてきたのでしょう」と、「思い」を強調する表現に変えた。
 ある教科書会社の担当者は「たとえば、1年の『節度、節制』では、健康や安全に気をつける、規則正しい生活など、全ての要素を教材の中で満たす必要がある。パズルのような作業になっている」と話す。
 道徳は、2年前にも教科書検定をしたばかりだったこともあり、多くの教科書会社は変更を最小限にとどめた。低学年では動物が主人公の物語、高学年では偉人伝が多く、「手品師」「星野君の二塁打」など定番の読み物が多用された。
 子どもが自己評価する欄も引き続き目立った。東京書籍は記述式の自己評価に加え、顔マークを塗りつぶすチェック欄も設けた。「子どもが振り返りをしやすくした」と説明する。
 採択の際に出た意見を踏まえ、内容を変えたケースもあった。市民団体などから、お辞儀の角度のイラストが「型にはまっている」と指摘された教育出版は「場面によってマナーを変える」という教材になった。巻末にあった国旗国歌のページは、低学年では「全校集会のマナー」に差し替えた。「広く受け入れられやすい教科書を目指した」という。」(2019/03/27付「朝日新聞」P27より)

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2019年3月23日 (土)

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」を読み終えた

「佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻 読破のスタート」(ここ)という記事を書いたのは、2018/10/11だった。
それ以来、2019/03/20まで、約半年をかけて、「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻+「読本」2冊+「吉田版「居眠り磐音」江戸地図」、そして番外としてこの1月に出版された「奈緒と磐音」、加えて、この小説の続編である「空也十番勝負 青春編」の5冊の合計59冊だった。なお、「空也十番勝負」は、今日現在7冊が出版されているが、12月に刊行された最後の2冊だけ、まだ読んでいない。たぶん今後も続いていくだろうから、後でまとめて読もう。
この3月は、バタバタしていて読むスピードが落ちたが、それまでは、ほぼ2日に1冊のペースで読んだ。途中少したるんだ時期もあったが、まあまあ最後まで行った。
この小説は、実に定型化している。
190323edochizu1冊に5章。1章が各60~70ページで、どの本も320ページ。
最初の各章には、必ず悪者が出て来て、終わりにチャンバラ。そして居眠り磐音が必ず勝つから安心!?主人公は絶対に死なないのである。(累計、磐音は数百人殺した?)
磐音が江戸のあちこち、そして地方にも行くが、その途中の風景やら風俗を説明。もちろん時代背景も。よって居ながらにして江戸の生活が分かる。
途中で「吉田版江戸地図」を買ってきて、それを傍らに読んだ。地図上で、どこを歩いているかが分かり面白い。この地図はなかなか有用だった。
190323edochizu1「居眠り磐音」の物語は、1772年(明和9年)から1796年(寛政7年)まで、日を追って進んでいく。だから過去と現在を行ったり来たりする物語と違って、実に分かり易い。いわば日記なので、幾らでも長編になり得る原理。
そして、佐伯泰英氏が目標としていた50巻がちょっと行き過ぎて51巻で間欠した後、磐音の息子の「空也」が主人公となって、「空也十番勝負」として続いている。
発売年月でみると、「居眠り磐音」の第1巻が発売されたのが2002年4月なので、今日現在17年に亘って書き続けられている長編ということになる。
時代小説の常なのかも知れないが、藤沢周平と同じく、歴史的事実を軸に、そのスキマに主人公たちが活躍する。特に田沼意次との戦いは、意次の隆盛と衰退が、まるで主人公たちがそれを主導したかのようで面白い。
江戸の町、江戸庶民の生活、そして武士や殿様たちの生活が読み取れて勉強になる。
とにかく武士は貧乏。そして、江戸は海運(水路)が発達していて、猪牙舟(ちょきぶね)は、まるでタクシーのよう。江戸時代が良く分かる。
それに貢献しているのが「居眠り磐音 江戸双紙 読本」だ。これは2冊出版されているが、筋が分かって面白くないので、年表は読まないで、「江戸コラム」などの他の部分を読むと、江戸が実に良く分かる。
確かに長いので、本筋とは離れた遊びのシーンも多い。しかし、シリーズ全体を横から串刺し、俯瞰するように、登場人物たちが活躍する。
そして登場人物が誰も死なないので、爽やか・・・。(最後には年寄りは亡くなるが)
つい、佐伯泰英について研究?したくなって、研究本を買ってきて読んでしまった。
宝島社の「佐伯泰英!」、鷲田小彌太の「「佐伯泰英」大研究 (日経ビジネス人文庫)」など。
お祖父さんが愛読していて、途中で亡くなったので、お棺の中に続編の本を入れてあげた。なんていう話もあるらしい。
本屋に行くと、この佐伯泰英を始め、時代小説がずらっと並んでいる。今の不愉快な政治状況をニュースで聞くより、よっぽど精神に良い。
約260冊のうち、まだ60冊。あと200冊あるので、2年弱は楽しめる。まあ飽きが来るかも知れないが・・・。
でもミーハーの自分には、本屋でずらっと並んでいる「ベストセラー」物は、間違いの無い本なのである。
最後に話は飛ぶが、現在BSプレミアムで「陽炎の辻~居眠り磐音 江戸双紙~」の再放送をしている。2007年の作品が、先月2月12日より放送されている。録画して見始めたが、見るのを止めた。つまり、小説を読んで、自分なりのイメージと、TV画面に出てくるイメージがあまりに違う。せっかく、大事に育ててきた自分なりの磐音の世界を、TVで汚すこともない。よって見るのを止めた。
またこの5月17日から全国公開される映画「居眠り磐音」は、例のピエール瀧が悪役として出ているが、今回の事件で、撮り直しだそうだ。もちろん、この映画も見るつもりはない。
時代映画といえば、藤沢周平作品も多く映画やTVドラマになった。これらも、自分のイメージを壊しても、それ以上に得るものは無かった。読んだ小説の映画は、どうも自分にはフィットしないようである。

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2019年3月21日 (木)

ピエール瀧の作品の自粛に思う

ピエール瀧の出演する作品の扱いについて、色々な対応が出ている。
関連作自粛の流れに一石 瀧容疑者出演の映画、公開へ
 コカイン使用の疑いで逮捕されたミュージシャンで俳優のピエール瀧(本名・瀧正則)容疑者(51)が出演する映画「麻雀(マージャン)放浪記2020」が予定通り4月5日に公開されることになった。配給元の東映が20日、発表した。瀧容疑者の出演シーンも差し替えないという。関連作品の公開を自粛する動きが続く中、評価する声も上がる。
190321taki 白石和彌(かずや)監督は同日、会見で「個人の罪はあるが、作品には罪はないという気持ちで東映と話してきた。公開することになり、ほっとしている」と述べた。
 映画は、戦争で五輪が中止になった2020年の東京を描く作品。瀧容疑者は脇役だが、五輪組織委員会の元会長という重要な役どころで出演する。
 東映の多田憲之社長は会見で、製作委員会への参加社との協議は中止や延期なども含めて「議論百出」だったと明かした。
 いまも意見はまとまっていないが、「劇場での上映は有料であり、鑑賞の意思を持ったお客さまが来場するというクローズドのメディアであり、テレビ放映やCMなどとは性質が異なる」ため、配給会社として判断し、公開を決めたと説明した。
 190321pieru一方、NHKは大河ドラマ「いだてん」で瀧容疑者が登場しないように編集したり、放送済み作品のネット配信を取りやめたりしている。木田幸紀放送総局長は20日の定例会見で「犯罪行為を是認するような取り扱いはしない」などと定めた「国内番組基準」に沿って判断したと説明。「容疑の内容や本人の認否、視聴者に与える影響等々を総合的に判断した」という。「公共放送としては、反社会的な行為を容認する立場は、当然ながら取ることはできない」とも述べた。
 レコード会社「ソニー・ミュージックレーベルズ」は、瀧容疑者が所属するテクノユニット「電気グルーヴ」のCD出荷やデジタル配信を取りやめた。担当者は取材に「逮捕という事態を厳粛に受け止め、コンプライアンスを順守する立場から決定した」と答えた。
 芸能人の権利を守るため弁護士らで作る「日本エンターテイナーライツ協会」は「具体的に吟味することなく、過度に反応し、全てを自粛・削除する傾向が強まっている」として「冷静かつ慎重な対応」を求める声明を18日に出している。
 共同代表理事の佐藤大和弁護士は、「作品を過剰に削除する流れに一石を投じた」と東映の判断を評価する。「自粛は損害を生む。犯罪や不祥事を起こした本人が金銭的な責任を抱えると、更生の機会を奪うおそれがある」とも指摘。「業界は出演者が不祥事や犯罪を起こした場合のガイドラインを作り、犯罪の程度や作品への関与の度合いによって判断するべきではないか」と話す。(小峰健二、真野啓太)」(2019/03/21付「朝日新聞」p38より)
拒否反応の話は多いが、こんな見方もある。
舛添要一氏 ピエール瀧作品の規制に反対「なぜ過剰なまでに自粛するのか」
 舛添要一前東京都知事(70)が19日、ツイッターを更新し、麻薬取締法違反の疑いで逮捕されたミュージシャンで俳優のピエール瀧こと瀧正則容疑者(51)に言及した。
 映画やドラマなど俳優として幅広く活動していた瀧容疑者。衝撃的な逮捕を受け、テレビ局や映画配給会社は対応に追われている。
 舛添氏は過剰な規制には反対の姿勢を表明。
「犯罪行為は法の裁きを受けるべきだが、ピエール瀧の逮捕で、イベント、作品など、なぜ過剰なまでに自粛するのか。そうさせる日本の『空気』とは何か。宗教や道徳が支配する国家に芸術や文化は花開かない。ヒトラーは『退廃芸術』を壊滅させた。品行方正な芸人を権力は好む」とナチス政権を引き合いに、声を上げた。」(2019/03/19付「東スポ」ここより)
何かスキャンダルを見付けると、正義を盾に、メチャクチャに叩き潰す。これは何だろう?
昔、井上陽水が若いとき、同じくクスリをやって、「もうアーティスト生命は絶たれた。二度と復活する事は無いだろう」と言われました。
しかし、そんな話はとっくに忘れ去られて、あの活躍。本当にあの才能が潰されたと想像すると、ゾッとします。
この良く分からないこの正義感は、電車で女の子が「チカンです!」と叫んだときに、指さされた男を取り押さえる男たちと似ている。
真実かどうかも見極めないで・・・
話は飛ぶが、日本の幸福度は、世界で58位だったという。
「幸福度」、日本は世界58位 過去最低
 国連の関連団体は20日、世界の156カ国・地域を対象にした今年の幸せランキング「世界幸福度報告」を公表した。日本は58位で過去最低となった。昨年より四つ順位を下げており、4年連続となる50位台だった。
190321koufukudo この報告は2012年に始まり、14年を除いて毎年公表されており、今回が7回目。1~3位は昨年に続いて、フィンランド、デンマーク、ノルウェーの北欧3カ国が独占した。欧州諸国がトップ10の大部分を占め、米国は19位、韓国は54位、中国は93位だった。
 各国・地域の各3千人程度が16~18年に、生活の満足度を「0~10」で点数化。その数値で順位をつけ、国連の関連団体が1人当たりの国内総生産(GDP)や健康寿命などの6項目について分析した。
 日本は健康寿命で2位、1人当たりGDPで24位となったものの、人生の選択の自由度(64位)、寛容さ(92位)が足を引っ張った。
 報告の編集者のジョン・ヘリウェル氏によると、東南アジア諸国では、幸福度を中央値付近の「5」と答える割合が高く、このことが、日本の点数が低い原因にもつながった可能性があるという。(藤原学思)」(2019/03/21付「朝日新聞」P13より)
この話題について、さっき(2019/03/21)の夜7時のNHKニュースで、「健康寿命」は2位、「1人あたりのGDP」は24位、「腐敗の無さ」が39位、「社会的支援」が50位、そして「社会の自由度」が64位、「他者への寛大さ」が92位だったという。
移民が暮らしにくい国、ニッポン。閉塞的な国民性? ムラ社会の日本?
芸術は、通常の感覚からは生まれない。他人に迷惑を掛けているわけではない。という観点から、少なくても過去の作品まで、葬り去るのはどうなのだろう。
その作品には、当該者以外の、多くの人たちの汗も入っている。それを十把一絡げに!?
多くの人の汗の結集としての作品と、違法行為を犯した個人の社会的責任とは別物だと考えたいが、どうだろう?
彼の有名なベルリオーズの「幻想交響曲」も、ベルリオーズがアヘンを吸った状態で作曲したと言われている。
品行方正の人からは芸術は生まれない。
先の新井浩文の自粛もまったく同じ。
両者とも、実に味のある演技をしていた。それが袋叩きで退場させられるのを、残念に思う。

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2019年3月20日 (水)

映画「グリーンブック」が素晴らしい

3月1日から公開になった映画「グリーンブック」(ここ)が素晴らしい。ここ10年で見た映画のうち?最も良かった!?
先日、カミさんのリクエストで、映画「グリーンブック」を見に行った。そもそも、何の事前情報も無く見た映画は珍しい。ただカミさんに付いて行って、チケットを買うときに「何見るんだっけ?」!?
「別に映画館で見なければいけないドラマチックな映画ではないんだけど・・・。心あたたまる映画」というのがカミさんの見る前の解説。
しかし、映画が始まると自分は釘付けに・・・。
この映画の解説にこうある(ここ)。
190320greenbook_1「人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部を舞台に、黒人ジャズピアニストとイタリア系白人運転手の2人が旅を続けるなかで友情を深めていく姿を、実話をもとに描き、第91回アカデミー作品賞を受賞したドラマ。1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒として働くトニー・リップは、粗野で無教養だが口が達者で、何かと周囲から頼りにされていた。クラブが改装のため閉鎖になり、しばらくの間、無職になってしまったトニーは、南部でコンサートツアーを計画する黒人ジャズピアニストのドクター・シャーリーに運転手として雇われる。黒人差別が色濃い南部へ、あえてツアーにでかけようとするドクター・シャーリーと、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに、その旅に同行することになったトニー。出自も性格も全く異なる2人は、当初は衝突を繰り返すものの、次第に友情を築いていく。トニー役に「イースタン・プロミス」のビゴ・モーテンセン、ドクター・シャーリー役に「ムーンライト」のマハーシャラ・アリ。トニー・リップ(本名トニー・バレロンガ)の実の息子であるニック・バレロンガが製作・脚本を手がけ、父とドクター・シャーリーの友情の物語を映画化した。監督は、「メリーに首ったけ」などコメディ映画を得意としてきたファレリー兄弟の兄ピーター・ファレリー。アカデミー賞では全5部門でノミネートされ、作品賞のほか脚本賞、助演男優賞を受賞した。」ここより)
そして「グリーンブックとは
1936年から1966年まで、ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人、ヴィクター・H・グリーンにより毎年作成・出版されていた、黒人旅行者を対象としたガイドブック。黒人が利用できる宿や店、黒人の日没後の外出を禁止する、いわゆる「サンダウン・タウン」などの情報がまとめてあり、彼らが差別、暴力や逮捕を避け、車で移動するための欠かせないツールとなっていた。ジム・クロウ法(主に黒人の、一般公共施設の科用を制限した法律の総称)の適用が郡や州によって異なるアメリカ南部で特に重宝された。」
2時間の映画だが、途中から、良い意味で、心に何かが突き刺さっていく気がした。そしてクライマックスが、ショパンのエチュード「木枯らし」を演奏する場面。
この場面を見て、同じく映画の「シャイン」を思い出した。
場末の酒場で、ヨレヨレの服を着た主人公がピアノの前に座ると、手は軽々と動いて「熊ん蜂の飛行」を演奏する。そして拍手喝采・・・(ここ
同じように、感動した。
この映画のテーマは何だろう。そう人種差別・・・
舞台は1962年だという。それでも色濃く残るアメリカの黒人差別。いくら芸術で高い評価を得た人でも、黒人だと案内される控え室は物置小屋。そしてトイレも黒人専用の屋外の掘っ立て小屋。そして、レストランも・・・
そこに、わざわざ演奏に行く主人公の心とは・・・
190320green_1映画が終わって、相変わらずカミさんと感想の言い合い。自分は当然絶賛だと思って聞く。「どうだだった?」「まあまあね」「何?オレはここ10年で一番良かった。涙をバレ無いように拭くのが大変だった!」「エエッ!?それじゃ、(後で文句を言われないので)良かった~」
直ぐに自分は、売店でパンフレットを買う。開くと「本年度 アカデミー賞 作品賞含む3部門受賞!」という文字が目に入る。
ナーンダ。やっぱりすごい映画だったんだ・・・
主人公の奥さん役のリンダ・カーデリーニ。良く見た顔だと思っていたら、やはり昔全編を見た「ER緊急救命室」に出ていた。
ともあれ、どうってことない単なるオジサン二人の珍道中なのだが、でも心が熱くなる映画だった。
何も考えないで、だまされたと思って、ぜひ一見を!
もっともカミさんは「まあまあだね」なんだが・・・
(追)2019/03/19から当「ココログ」の管理(投稿)ページが大幅リニューアルしたが、残念ながら2日経っても混乱している。改行も画像の挿入もうまくいかない。mp3プレヤーも表示しなくなってしまった。niftyに問い合わせたら、順次修正中とか。しばらく待つしかない。

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2019年3月17日 (日)

喪主として兄を送った言葉

2019年3月6日23時15分、兄が非結核性抗酸菌症のために74歳で逝った。

22年前に父が亡くなった時、兄が告別式で非常に長い遺族代表の挨拶をした。父の友人の名前を何人も挙げ、感謝の言葉を述べた。
兄に「何も見ずに、よくあんなに長い挨拶が出来るな」と言ったら、「目次だけを頭に浮かべて話すんだ」と言っていた。
今回の兄の葬儀は、近くに住む弟が全て仕切ってくれたが、その弟から「喪主は次兄(自分)に頼む」と言われ、自分もそれを真似して、何も見ずに挨拶をすることにした。

このメモは、まだ記憶があるうちに、その時に話した25分間の挨拶の内容を再現したものである。(2019年3月12日 PM1:00~ )

「これより喪主をお務めになりました、御次男の****様よりひと言ご挨拶がございます。いましばらくのお時間を頂戴致します」

「本日は、お忙しい中、故****の葬儀にご会葬頂きまして誠にありがとうございます。心より御礼を申し上げます。
ご挨拶としては大変異質ではございますが、この場をお借りして、故****の辿(たど)ってきた人生、生涯について、少しお時間を頂戴してお話をさせて頂きたいと思います。

190317sougi 故****は、昭和19年の12月の末、戦時中でありましたので、母の疎開先であった栃木県足利市で生まれました。昔は数え年でしたので、数日で二つになるのは可愛そうだ、ということで、戸籍上の誕生日は1月2日になっております。
戦後まもなく、父の会社の関係で埼玉県与野市、現在のさいたま市で大宮駅の近くですが、そこに引っ越し、兄は中学1年までここで過ごしました。私も弟もそこで生まれまして、兄と私は3つ違い、私と弟は5つ違いということで、兄と弟は8つ違いでした。
私も小学校低学年だったので、いつも兄弟げんかをしていました。それも取っ組み合いのケンカをしていました。母親は、もう手が付けられない、ということでケンカが始まるとどこかに居なくなってしまう。それで二人で取っ組み合い。兄の得意技は、頭の後ろの首を、後からねじ伏せる。こうなると私は太刀打ちできなくて、いつも負けて泣いていました。近所では武蔵野道場と言われ、ケンカが始まると近くの子どもたちが塀のスキマから覗いている、という状態でした。従って、幼少期は決して仲の良い兄弟とは言えませんでした。

転機が訪れたのが、兄が中学2年、昭和33年でした。私は小学校5年になったとき、やはり父の会社の関係で、茨城県竜ヶ崎市に引っ越しました。今は流通経済大学の敷地の中になっています。ここで兄は、大学に入るまでの5年間を過ごしました。
ここで大きく変わったのが、いわゆる勉強部屋という3畳の部屋が与えられ、私と兄はこの部屋に二つ机を並べて過ごすことになりました。私は兄となるべく離れるため、真ん中にロープを張って、シーツおろし、なるべく見えないようにして、兄は受験勉強、私は趣味のラジオ工作。ハンダゴテでジューとすると、いつも隣から「臭い!」と怒鳴られました。しかし、兄は勉強を教えるのが趣味で、私はそれがイヤで、いつも逃げ回っていました。
これもまた決して仲の良い関係とは言えませんでした。

ほとんど話もしなかった兄でしたが、状況が変わったのが、兄が大学に入ってからでした。当時兄は、横浜の馬車道とかいうところに下宿をしていて、なぜか手紙をくれるようになりました。それから兄との関係が変わってきたように思います。以後は、普通の兄弟の関係になりました。
兄は下宿では麻雀三昧だったらしく、麻雀をするとジャラジャラと音を出し、下の大屋さんからウルサイと怒鳴られる。仕方が無いので、パイを混ぜる時は、下に敷いた毛布を持ち上げて、毛布にパイを包んで混ぜた、という逸話も聞いたことがあります。

大学1年の夏休みだったと思いますが、初めて横浜の下宿に泊まりに行きました。そのときに、せっかく来たからと言って、横浜の山下公園とか、外人墓地とかに連れて行ってくれました。そのとき、遅く起きて、昼飯を食べようと、近くのラーメン屋に行き、そこで食べたのが野菜炒めライスでした。私はその頃、まったく外食など知らなかったので、それ以来の大好物になってしまいました。そんな訳で大学に入り、ここにお花を頂いているように、合唱団に入っていました。当時うたごえ運動が盛んだったので歌声喫茶などに連れて行ってもらいました。

大学は工学部電気工学科でエンジニアを目指していたわけですが、大学を卒業して東芝に入社しました。これには伏線がありまして、父は長男でしたが、下の弟が皆電気会社だったことがあります。父のすぐ下の弟がNEC、その下が東芝、一番下の弟が日立製作所でした。そして真ん中の東芝に行った叔父が、私たちが大宮に住んでいた時に、兄が小学校2年の時まで、一緒に同居して、大宮から早稲田に通っていた。ということがあって、非常に近しかったということがあります。その叔父が東芝の経理に居たということで、兄も東芝に入りました。
兄は最先端のコンピュータエンジニアを目指して電算機事業部に配属されました。当時は、東芝も電算機ブームで力を入れていて、コンピュータ専用の青梅工場が新設され、68年に立川の先の青梅に転勤しました。しかし兄は、こんな田舎やイヤだとダダをこね、東京の本社に転勤しました。
私も兄につられて70年に東芝に入ったのですが、そのときは兄は青梅工場から東京に移っていました。

私が東芝に入った年、1970年の年末に、友人に紹介された美智さんと結婚しました。美智さんとは同じ年だったので、二人とも当時26歳でした。そして川崎の子母口の団地に新居を構えました。
結婚して1年後、兄は人に使われたくない、ということで、司法試験を受けるために東芝を辞めることになります。そもそも人に使われるサラリーマン稼業は向いていなかったのだと思います。
美智さんは当時、小学校の先生をしていて、兄は結局、72年の1月の27歳のとき、5年間勤めた東芝を辞め、美智さんの稼ぎで、司法試験の勉強を始めました。これも大学の友人が司法の道に行った、という影響だと思います。
そして1年半勉強をして、2度目の試験で73年9月に司法試験に合格しました。最終発表には、兄に言われて私も一緒にカメラを持って見に行ったことを覚えています。本人はギリギリやっと合格できたと言っていました。それから2年間の司法修習を経て、76年4月の31歳の時から、いわゆるいそ弁として6年間**事務所のお世話になりました。
そして、82年4月の37歳の時に西新橋で自分の事務所を構えました。その時は、奥さんの美智さんが小学校の先生を辞めて、事務員として夫婦二人で事務所を立ち上げました。
それ以来、震災の年の2011年3月の66歳の時まで、35年間の弁護士生活でした。新橋の事務所では29年間でした。
110704michi 美智さんはその後、**さん、**さんという事務員さんを迎えることが出来たので、趣味の人形作り始めました。数十年やっていましたので、日本伝統工芸展の常連となり、
いつも入賞して三越の展示会に出ていました。特に2004年には「華」という作品で、「第44回日本工芸会東日本支部 伝統工芸新作展(平成16年)」の「朝日新聞社賞」を受賞し、カタログの表紙を飾りました。

そして、もはや人形作家として、展覧会で審査される側から、審査する側に変わった時、震災の年の2011年正月に美智さんの胃がんが見付かりました。結局その年の7月に66歳で美智さんは亡くなるわけですが、この年が兄にとって人生が激変する年になりました。
2011年の正月、毎年集まる実家の竜ヶ崎で、美智さんが喉の通りが悪いと言い出しました。それで正月明けに自宅近くの病院に行った所、胃カメラが胃まで届かない。胃の入り口にガンがあって、もはや手が付けられない状況だ、という診断があって、それが兄にとってものすごいショックだったということでございます。

これは私に言わせると、昔孫悟空の話がありまして、孫悟空が一生懸命に逃げても、お釈迦さまの掌(てのひら)からは出られなかった。結局、お釈迦さまの手の中にあった。という話です。
兄も美智さんという掌の中で動いていた、という風に思います。もちろん仕事は別ですが、家庭においては美智さんの手の中で動いていた。この手が無くなったときに、兄は居場所を失いました。そして拠り所を失った兄は、残念ながらうつ病に罹りまして、このうつ病は半年ほどで治ったのですが、一人で自活するのが難しい、ということで2011年の11月に老人ホームに入りました。それ以来8年間、近くに住む弟夫婦がずっと面倒を見てくれた訳ですが、外に出る機会が少なく、体力が徐々に減っていきました。

それからは病気もせず、平穏な生活が続いた訳ですが、ずっとコンタクトレンズを使っていた影響からか、白内障が進んでしまい、目がほとんど見えなくなってしまいました。同時に耳も遠くなってきたこともあり、早く死にたい、ということも言うようになりました。その時に弟が色々動いてくれまして、近くの大学病院で白内障の手術をする事が出来ました。それによって目が見えるようになりましたので、すっかり元気を取り戻し、弟の話によりますと、朝は5時半に起きて、朝日新聞と読売新聞を隅から隅まで読み、昼は昔読んだ小説の読み返し、新田次郎、司馬遼太郎、山崎豊子。テレビでは好きな囲碁、将棋を見たり、大相撲では白鵬、野球はDENAを応援したりの生活をしていました。特に凝ったのが数独という数字のパズルで、常に弟に最新版の難しい本を買ってこいと言っていたそうで、このお棺の中にも入れてありますが、これに凝っていました。

そんな平穏な生活が激変したのが、今年(2019年)の2月3日でした。ホームに入って7年間、白内障以外は、ほとんど病気はしなかったものの、いつも寝ていて体力が無いので、一旦病気になると怖い、と心配していました。結果として、それが現実になりました。
ホームから弟への電話で、「最近食べる量が少なく、この1年で体重が48キロから43キロに5キロも減ったので、ホームの健診でよく診て貰う」という連絡がありました。
最近よくツバをしてティッシュで取っていましたが、2月4日のホームでの健診の時、ツバに血が混じっているとのことで、医師から、念のため病院で診て貰うように、と言われました。
それで2月6日に弟が近くの総合病院に連れて行って検査をすると、喀血しており、CTの結果は肺が白くなっている状態でした。
その病院では、結核を否定できない、つまり口から結核菌を出している可能性が否定できないので、人に感染させる可能性がある。ということで、この病院には入院出来ない。ちゃんとした感染病の部屋がある病院でないと入院出来ない、ということでずっと転院先を探し回って、夜10時過ぎにようやく遠い病院で引き取って貰える、ということになり、夜中に救急車で1時間以上かけて転院しました。
弟が病院に行くぞと言うと、兄は「どこも悪くないので病院に行くのは疲れるからイヤだ」と言っていたそうです。

その専門病院で、CTやその他の検査の結果、結核菌は検出されず、非結核性抗酸菌症だと言われました。これは常在菌でどこにでもある菌らしいですが、それが数年かけて徐々に悪くなって肺を侵していく。空洞になった菌の巣には、なかなか薬が届かない。従って治すのも数年かかる。菌を吐いていないので、外来でも良いと言われたが、ここは遠いので近くの病院を探そうという事になりました。

それが入院から2週間が経った頃(19日)に医師から電話がありました。再度CTを撮ったら肺が悪化して肺水腫が進んでおり、ここ3~4日がヤマと言われました。同時に「気管支切開をしますか?」と聞かれました。これは即刻断りました。そして酸素吸入が開始されました。そしてステロイドの投薬が開始されました。

次の20日に医師に面談した時、本人が署名した延命治療拒否の尊厳死協会のリビングウィルを持って行って渡しました。これは6年前に本人がチューブにつながれて死ぬのはイヤだと言っていたので書いて貰ったものでした。医師には本人の意志はこれですから、一切の気管支切開等の延命治療はしないくれ、とお願いしました。医師も、どう治療して良いか迷っていたらしく、「これがあると助かります。参考にします」と言っていました。このとき兄は「今度来る時にヤクルトを持って来い」とまで言っていました。

しかしこれからは、我々家族と病院とのせめぎ合いという状態になっていきました。しばらくステロイドが効いて、小康状態でしたが、亡くなる4日前(3月2日)の医師との面談で、入院して3週間経った2月28日に撮ったCTで、3つ目の病気の気胸が大きく進んでいることがわかりました。つまり最初の非結核性抗酸菌症と肺水腫に加えて気胸ということです。
これは呼吸器外科の先生と相談したらしく、普通は肺にチューブを入れて空気を抜くと肺が膨らんで肺の孔が治る。という治療するが、兄の場合は体力が無いため、チューブを一旦入れると取れない可能性がある。それでもやりますか?という話でした。
この判断は本人の意志が最優先、ということで、本人は最後まで意識はあったので、医師と一緒本人に確認しました。医師は兄の耳元で、「これから苦しくなるので、チュ-ブを入れたいが良いですか?」と聞きました。すると、兄は明確に首を振りました。拒否の書類もあるし、聞いても本人は拒否している。何よりも本人は苦しんでいない。苦しいですか?と聞いても苦しくないと言っている。ということで「状況は分かりました。」と医師は言いました。
その時にビックリしたのは、「どんな理由で拒否するんですか?」と医師が本人に聞いたことです。その時は、すでに兄は口をきけない状況になっていたので、何でそこまで聞くのだろうと思いました。主治医は若い先生だったのですが、その人は納得しても、その後に居る4人のチームの先生方が、病院としては標準治療をしたい。という意志が強くあるんだな、と感じました。
その時も、医師に対しては、時間は短くなっても良いので、とにかく苦しみだけは取ってくれ。ちょっとでも苦しみが見えたら、どんどんモルヒネを入れてくれと、言い張りました。

最後の話として、亡くなった6日の昼に医師と面談した際、皮下点滴を提案されました。血管から点滴が出来ない状況で命を永らえるために、皮下に点滴を入れる。これをしますか?と言われました。これも断固拒否をしました。そして5年前に亡くなった母のときの経験談を話しました。その時は、色々な延命治療を断ったが、皮下点滴は受け入れました。これは体が必要な分だけしか吸収しないから大丈夫、と言われて始めました。しかし亡くなったときは、風船と言いますか、皮膚の下が水ぶくれと言いますか、手足がパンパンに腫れていました。しかしお通夜の時は水が抜けてガリガリに痩せていました。
水分があったので痰を取らなければいけない。看護士さんが来て、鼻からチューブを入れて痰を取るのですが、その時にものすごく苦しんでいました。そんな経験があるものですから、絶対に兄にはそれを繰り返したくない。このまま枯れるように逝かしてくれ、ただし苦しみだけはモルヒネで取ってくれと、繰り返し、繰り返し言いました。それが亡くなる9時間くらい前の話でした。
その時は兄はもう口がきけませんでした。しかし意識はあり、兄はいつもツバを吐くティッシュを気にしていたのですが、その時も、何か手振りをするので、ティッシュか?とティッシュの箱を見せると安心した表情をしていました。

話は戻りますが、2週間ほど前でしたか、弟の話によると、既に死を覚悟していたらしく、ホームを解約して中の物を処分しろ、と言っていたそうです。そして、私が聞いた兄の最後の言葉は、ちょうど1週間前にやっと聞いた、「前の部屋を」「施設」という言葉でした。そのとき、前に弟が聞いているから大丈夫だよ、と言いましたが、今考えると、これが最後の会話でした。

そして最後の亡くなった6日の昼に弟夫婦と行った時にも、直ぐに手振りをします。早く帰れ、と。これはいつも同じでした。会った瞬間から直ぐに帰れ。この時も、「分かったよ。帰るよ。また来るからね」とバイバイをすると、兄も手を振ったような気がしました。部屋を出るときに振り返ると、胸の所に両手を丸く組んでいました。美智さんが迎えに来たのかどうかは分かりませんが、一人でじっと死を待っていたのかな、と感じました。その9時間後に亡くなったわけでございます。

人の死は二つあると言われています。ひとつは肉体的な死。そしてもうひとつが忘却の死。全ての人の記憶から、この兄の記憶が失われたとき、人間は本当の死を迎えるといいます。
今回、残念ながら兄は肉体の死を迎えてしまいましたが、できれば皆さんの頭の中に兄の記憶が長く止まって、記憶における命だけは、何とか長生きして欲しいな、と思っている次第でございます。

本日は長々と、ありがとうございました。」

非常に異質ではあるが、これは喪主挨拶の場を借りた、自分なりの兄への「送る言葉(弔辞)」である。

「天龍院憲曉宣法居士」 合掌。

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2019年3月15日 (金)

リビングウィルの病院現場での体験

老人ホームにいた兄が、2019年3月6日23時15分、非結核性抗酸菌症のために74歳で逝った。妻を胃がんで8年前に亡くし(ここ)、そして自分も追った。
このメモは、兄が6年前に署名した日本尊厳死協会のリビングウィル(終末期医療における事前指示書)が、病院の現場でどう捉えられ、家族と病院とがどうせめぎ合ったかの、闘病の1ヶ月間の記録である。

日本尊厳死協会のサイトに、リビングウィルの定義が載っている。
「LWは、「生前意思」とでも訳せばいいのでしょうか。いわば「いのちの遺言状」です。「自分の命が不治かつ末期であれば、延命措置を施さないでほしい」と宣言し、記しておくのです。延命措置を控えてもらい、苦痛を取り除く緩和に重点を置いた医療に最善を尽くしてもらう。」(ここより)

<2019年2月3日(亡くなる31日前)>
老人ホームから、近くに住む弟のところに電話。「この1年で体重が48キロから43キロに減った。食事の量も少ない。次回のホームの健診で診て貰う」

<2019年2月4日(30日前)>
ホームの健診で、内科の医師から「痰に少し血が混じっているので、念のために病院で診て貰ってくれ」とのこと。
兄は「何処も悪くないので、病院に行くのは疲れるので嫌だ」とのたまう。

<2019年2月6日(28日前)>
予約した午後3時に、弟が病院に連れて行く。病院に着くと、喀血している。レントゲン・CT・血液検査をすることになる。診断結果は「陳旧性肺結核性病変+結核性肺炎などの活動性炎症巣+右胸水」「少量の右気胸」「肺がんは無い」
結核の排菌の可能性が否定できないため、その病院には入院出来ず、収容してくれる病院を探してくれる。
午後8時半、車で1時間以上かかる遠い場所だが、やっと感染症の専門病室がある病院が受け入れてくれることになり、救急車で転院。午後11時に入院。即刻、CT、血液検査、喀痰検査などを行う。

<2019年2月7日(27日前)>
主治医から肺結核の検査のため、塗抹検査×3回、培養検査 8週間、遺伝子検査 3~5日間をするとの説明。

<2019年2月10日(24日前)>
「今のところ、結核菌は出ていない。別の検査をして菌が出なければ、一般病棟に移す」とのこと。

<2019年2月13日(21日前)>
主治医の話。「食事を食べる量が大変少ない。結核菌は無い。病名は「非結核性抗酸菌症」。相当長期間かかって病気になった分、治るのも時間が掛かる。まず大部屋に移って、自宅近くの病院に転院することを検討。通院でも良いが、場所が遠いので通えないだろう。長期入院は無理なので滞在型病院に転院する事になるかも」

<2019年2月17日(17日前)>
一般病棟に移る。転院先が見付からない。本人は持って行ったヤクルトを喜んで飲んだ。

<2019年2月19日(15日前)>
昼に主治医から電話。「昨日から38.9℃の発熱。酸素の吸収が悪いので、酸素吸入をしているが、それでも良くないので顔全体の吸入。今後気管支切開をしますか?と言われたので断る。CTを撮ると、肺の悪い所がどんどん広がっている。ここ3~4日が山」とのこと。
急変。

<2019年2月20日(14日前)>
190315lw_2 主治医談「ステロイドが効いたのか、今日は小康状態。18日のCTでは、肺が白くもやがかかった状態。これは水。前日の呼吸器外科の医師との見立てでは、8~9割で2~3日で急変(死亡)の可能性。薬効で小康状態か、このまま悪化するかは2~3日で分かる」
6年前に本人が署名したリビングウィルを渡して、気管支切開等の延命治療は断るが、苦しさだけは取ってくれるように依頼。主治医は、これで今後の治療の方針が立つと、ホットしていた。
兄は「次回はヤクルトを持って来い」と言葉はOK。
2013年1月 4日 先日、兄貴が「もし自分に死が近くなったときは、パイプにつながれて延命するのは絶対に止めてくれ」と言い出した。「いつそうなるか、誰が先は分からないが、もしその意志があるのなら、あらかじめリビングウィル(終末期の医療・ケアについての意志表明書)を書いて置いた方がよい」と教えてあげた。(ここ)より)

<2019年2月23日(11日前)>
小康状態を維持。食事も、食べられる量は少ないが、食べる意欲はある。ただ、食事の時に、酸素吸入を外してしまうと、酸素濃度が一気に80%ぐらいまで低下し、指先にチアノーゼが出てしまう。寝ている時も酸素吸入のカップが嫌なのか外してしまう事があり、ナースステーションの警報が鳴って慌ててカップを付けに行く事が度々ある。
今後は、食事も多少むせ気味なので、口から取ることが難しくなる事が想定される。
治療としては、抗生物質とステロイドの併用投与の治療をしているが、ステロイドの効果で熱は押さえてられているようだが、ステロイドのデメリットで免疫力を落としてしまうので、肺を侵している抗酸菌に対しては、逆の効果が出てしまう。
体力は、徐々に落ちて来ている状態なので回復はかなり厳しい状況。今日は胃瘻の話も有ったが断った。
本人の意識は、酸素濃度91~93%の割には、しっかりしている。
本人も、もう回復しないのを悟ったのか、ホームには、もう帰る事が出来ないので解約して、中の物は処分する様に言われる。薄々死を覚悟したと思われる。

<2019年2月27日(7日前)>
主治医談。少しずつ悪くなっている。酸素の量が2日に1リットルずつ上げている状況。
・誤嚥の可能性有り。窒息のリスクは高い。本人は食べる意欲があるが、介助する看護師の判断で中止の可能性あり。
・肺の病気は2つ有り、一つは感染症で薬を飲んでいる。もうひとつは肺水腫でステロイドを使っていて少し良くなったが副作用が心配。トータルでみると、横ばいか少し悪くなっている。
・カロリー的には採れていないので、どんどん痩せている。もともと肺に水が溜まっているが、さらに浮腫といって点滴した分が肺に溜まることがある。その時は点滴の量を減らすことがある。ちょっと脱水気味の方が、息苦しさに関しては楽。
・毎日「苦しいですか?」と聞くが「苦しくない」と答えている。
・自分でマスクを外してしまうときがあり、その時は70~80%に下がり、その80%から90%前半に戻るために30分くらい掛かっている。普通の人に比べて、肺の予備力が悪いので、一旦悪くなるともどるのに時間が掛かっている。低酸素の状態が長い。低酸素の状態が続くと呼吸の筋肉が疲れてきて息をすること自体が負担になる。呼吸回数が減るとボーッとする。ある意味、呼吸不全で最期を迎えるのは一番楽な最期。夢見心地になって息が止まる。
・まだモルヒネとかは使っていない。本人が苦しいと訴えたら使う。
・あとは気力。ご飯を食べる意欲がどこまで続くか。それが改善しないと、1ヶ月くらいか・・・
・いきなり呼吸が悪くなる時が、遠からず来ると思うが、その時は間に合わない可能性あり。

<2019年3月2日(4日前)>
酸素マスクを外している。兄に会うや「お昼ご飯は要らない」。看護士さんに伝える。それまでツバをよく吐いていたが、今日は吐いていない。看護士さんは、ご飯はあまり食べていない、とのこと。相変わらず、直ぐに帰れ、の指示。「することない。水も要らない」

主治医の話
・早急に返事が欲しいことがある。今までの非結核性抗酸菌症と肺水腫に加え、気胸が悪化しており、その治療のためにチューブを挿入するかどうかの判断。これは一旦入れると、外せなくなる可能性有り。
・28日にCTを撮ったが、気胸が悪くなっている。入院した時にも気胸があったが、更に広がった。今後も進行する可能性がある。
・通常、気胸を起こした人は、吸った空気が肺の外に漏れて胸腔が広がってしまう。それで胸の方からドレーンという管を入れて、この空気を吸うと肺が膨らむので、肺の孔が閉じたらドレーンを抜いて治療完了となるのが普通。
・しかし呼吸器外科の医師と相談したが、今回の場合は、肺の孔が閉じるかどうかやってみないと分からない。ステロイドの副作用で肺が治らず、チューブを抜ける保証が無い。息苦しさは今後増してくるかも知れないので、それを前提に、やるかどうか。
・本人の同意はもちろん必要だが、もし家族が賛成するなら、病院としてはその処置を進めたい。、しかし、苦しいという症状を取ることは出来るが、それで余命が長くなることは難しい。
・最近は話すことも、疲れてしまっている。肺以外の機能もどんどん低下しているが、それは食事が採れないため。点滴でのカロリー注入には限界がある。
・本人が苦しくないと言っている人にに、苦しいでしょう、と言って、痛い思いをさせて管を入れるのは、なかなか難しい。
・しかし気胸の人は、放っておくと本当に苦しくなるので、病院としてはやった方が良いと思っている。普通は、気胸の人はこの処置しないことは無い。今日明日中に亡くなりそうで、どんな処置も受けたくないと本人が言えば、やらないというのは無くは無いが・・・。

(病室で本人の意志を確認)
本人の意志を医師が聞いた。結果、「管は入れたくない」「今後、苦しくなっても入れたくない」「手術はしたくない」
・本人は、既に声が出ないのに「入れない理由は何ですか?」と医師が聞いていた。
・「分かりました。何度か話はします。」(本人に向かって)「分かりました。今後も何回か聞きますが、気が変わったら教えて下さいね」
・「治療チームは4人なんですが、回診のときに説得するようにします。その上でも難しいようでしたら保留にして、もし状況が変わったらその都度聞くという形にします。」
・「本人の意志、認知機能が低下している方であれば、ご家族の意志優先もあるが、これは何人かで判断したいと思うが、個人的にはご本人がしっかり判断されて拒否されている印象があるので、今の時点では同意は得られていないと見なさざるを得ない。」

<2019年3月4日(2日前)>
・19時。主治医から電話。呼吸が一段と弱くなった。呼ぶ人が居れば呼んだ方が良い。2~3日で亡くなる方が多い。今朝も、食事は要らない、と言っていたという。苦しんではいないとのこと。薬も飲めていない。

<2019年3月6日(死亡当日)>
・11:50主治医と面談。4日にあえぎ呼吸が認められたので連絡した。その後は横ばいで安定。声が出ない。苦しい訴えは無い。チューブは本人が明確に拒否しているので、苦しくなったらモルヒネや、酸素を増やす。点滴は血管が細いのでこれがダメになったら皮下点滴という手段がある。
・今は500CCで汗だけで失われる量で脱水気味。水分を入れないと脱水で腎臓の機能が落ちて亡くなる。かなり早く1週間も持たない。⇒「皮下点滴はしない」と回答。
(5年前に母親が亡くなった時、延命治療は拒否したが、最後の皮下点滴は同意した。しかし延命はしたが、亡くなった時に手足がパンパンに腫れていて、通夜の時になったら、水が抜けて手足がガリガリになっていた。それに、体の水分が多かったせいか、チューブで痰を取る時に猛烈に苦しがっていた。家族の自己満足で本人の苦しみだけを増しただけ、との罪悪感があるので、同じことはしたくない。と説明)
・どこかのタイミングでモルヒネの皮下注射。量やタイミングは検討する。今の点滴の血管は、普通は2~3日で別の場所に変えるが1週間くらい使っている。漏れたりするまでは使って、感染して熱が出たりしたら直ぐに抜いて解熱剤。それからは、点滴が入らないので1週間と持たない。

・21:39弟から電話。主治医から電話が来て10分前頃から心肺停止。後で聞くと、、夕方の7時ぐらいから血圧が変化し始め、9時過ぎに一気に血圧が下がり、脈が取れなくなり亡くなった。医師による確認による死亡診断書は23:15死去。

(兄との最後)
・それより前、午前11時過ぎ、病室を見舞った。声は出ないが、意識はある。痰を吐くティッシュを気にしているので、箱を見せると安心した様子。いつものように手振りで“早く帰れ”
・部屋を出る時に兄を振り返ると、両手を丸く胸に組んでいた。8年前に亡くなった奥さんが迎えに来ていたのかも・・・

<思うこと>
・幾ら、リビングウィルで本人が延命治療を拒否していても、家族と面談した主治医は納得してくれても、背後に居る医師団(病院)は、標準治療を進めたがる。
・これは人工透析中止で現在問題になっている福生病院の例を見ても、医者は治療をしない、という選択肢は取らない姿勢が強烈。
・延命治療拒否が、病院の現場で、どれほど難しいかを実感した。
・延命治療の拒否は、リビングウィルの書類だけではなく、連日家族がそれを医師に向かって言い張る努力が不可欠だと思った。

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●メモ:カウント~1200万

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2019年3月 8日 (金)

「私が国家です」の安倍首相、あなたに命と尊厳がわかるか

「日刊ゲンダイ」は、いやゆるタブロイド判夕刊紙なので、見出しがどぎつい。つまり目立つような作り。なので、政権に対しても厳しい。その冴えたる物がこの記事か・・・

「私が国家です」の安倍首相、あなたに命と尊厳がわかるか
   ジャーナリスト 斎藤貴男

 拝啓 アベシンゾー殿
 あなたは一体、どれだけの人を傷つけ、不幸に陥れれば気が済むのか。私たちの国を、社会を、どうするつもりなのか。
190308abe2  私が代弁してあげよう。あなたは自分以外の人間に命や尊厳があるなどとは思ったこともないのではないか。犠牲に何の痛痒も感じないし、ひょっとしたら、残忍さと指導力を混同して、他人の断末魔を見ると興奮するタチの方なのではないか。米国の戦争に自国民を差し出しては、虎の威を借りるキツネのごとく大国然と振る舞う“新・大日本帝国”を理想とし、属州の酋長として君臨する己にエクスタシーを感じちゃいたいのではないか。図星でしょ?
190308abe1  すでにあなたの政権は、私たちの食と水を外国資本に売り飛ばし、労働者の人権や賃金の水準を引き下げる法律をことごとく強行採決した(種子法の廃止、改正水道法、改正入国管理法)。自画自賛を重ねた“アベノミクス”とやらの正体は、統計データのでっち上げでしかなかった。国民生活を左右する消費税を弄んでは、選挙に利用し、議員たちは薄汚い利権を貪ってきた。
 そして、沖縄だ。県民投票で「反対」が72%以上を占めた辺野古の米軍新基地建設に対する民意を、あなたはまたしても踏みにじろうとしている。埋め立て予定海域の軟弱な地盤改良だけでも途方もない歳月と予算が必要で、しかも建設の口実にしている普天間基地返還の可能性など、ゼロに等しいにもかかわらず、そうまでして米国のご主人様にへつらいたいか。
「沖縄には沖縄の、国には国の民主主義がある」と差別むき出しなのは茶坊主のボーエイダイジン。あなた自身はといえば、「私が国家です」だと。これは統計データ偽造を巡る衆院予算委員会での発言だったが、あなたはいつもこうだ。ルイ14世の「朕は国家なり」ばりの絶対主義王政宣言とは、異常にも程がある。
190308abe  ちなみに、このウルトラ妄言にも大手マスコミは沈黙を決め込んだ。県民投票の結果を徹底的に矮小化したNHKや読売新聞といい、もはやこの国のジャーナリズムは完全に死に絶えたらしい。
 アベさん、あなたは日本を、最低の列島にしてくれた。まっとうな社会に回復させるには、現時点からでも数十年は要しよう。このまま東京五輪だの憲法改正だのに持ち込まれれば、永久に立ち直れなくなる。
 保守や右翼を気取りたがる人々にも言っておく。アベさんのやっていることは、正真正銘の売国だ。放置しておけば、私たちは米国の傭兵か奴隷にされる。
 アベさんよ、国を滅ぼし、世界中の憎悪と軽蔑を一身に浴びて死ぬのが本意でもなかろうに。」(
2019/03/06付「日刊ゲンダイ」ここより)

さてさて・・・
そしてこんな記事も見付かる。

小西洋之氏VS安倍首相またバトル 「将来を思えば控えられた方が」「総理に人生を説かれるほど...」
国会での質問で、たびたび答弁者の知識を試すことから「国会のクイズ王」の異名を持つ立憲民主党会派の小西洋之参院議員が2019年3月6日の参院予算委員会で、安倍晋三首相に改めて「出題」する場面があった。

質問は、安倍氏がたびたび口にする「法の支配」に関するもの。安倍氏は直接は質問に答えられず、このことを小西氏は「憲政史上の大事件」だと訴えている。

「安倍総理に教えて差し上げます」
小西氏の質問は、安倍氏が1月の施政方針演説で、明治天皇が日露戦争時に詠んだ短歌を引用したことを問題視する中で出た。質問は

「安倍総理、よく『法の支配』とおっしゃいますが、法の支配の対義語は何ですか?法の支配の反対の意味の言葉はなんですか?」
というもの。秘書官が助け舟を出そうとして小西氏が「総理秘書官、ダメだよー!」とヤジを飛ばす中、安倍氏は質問には直接答えず、

「まさに法の支配による、この国際秩序を維持をし、平和な海を守っていくことが、それぞれの海の繁栄につながっていく、という考え方を示しているところでございます」
などと答弁。

小西氏は
「法の支配の対義語は、憲法を習う大学の1年生が、一番最初の初日に習うことですよ」
と煽りつつ、「答え合わせ」をしてみせた。
「憲法がよって立つ基本原理すら理解せずに改憲を唱えている安倍総理に教えて差し上げます、法の支配の対義語は『人の支配』です!権力者の専断的行為によってルールを捻じ曲げて、国民の権利や自由を侵害する、そういう時代がかつて人類にあったから、近代立憲主義に基づく憲法をつくる。その近代主義の憲法が基づく理念が、法の支配の原理なんですよ」
なお、「法の支配」の辞書的意味は

「イギリスの法律家コークが、国王は神と法の下にあるべきであるとして、ジェームズ1世の王権を抑制して以来、『人の支配』に対抗して認められるようになった近代の政治原理」(広辞苑第7版)
だとされている。

小西氏はメディア露出の少なさに不満
そのうえで、小西氏は「出題意図」を明かした。
「安倍総理が対義語を答えられなかったことに国民の皆さんも驚いておられると思いますが、私、予測していたんですが、今から6年前に安倍総理は、日本国憲法で一番大切な憲法13条を1ミリも理解せず、答えることもできず、まさに国民にとって悪夢そのものの答弁をなさったんですね。なので『法の支配』の対義語を知らないのかなー、と思ったら、やっぱり知りませんでした!」
安倍氏は

「勝手にいろんな憶測をしたうえで批判をする、あるいは、かなり人格的な批判をするということは、これは、まだ若い議員であられますから、将来を思えば、そういうことは控えられた方がいいのではないか」
と反発したが、小西氏は

「愚直にやってきただけの人間だが、安倍総理に人生を説かれるほど、私は堕ちていない」
とやり返した。

小西氏は、質疑の様子をツイッターで
「憲政史上の大事件」
「私の質疑の後、安倍総理は明らかに元気がなかった」
などと振り返り、メディアの露出が少なかったことに不満をもらした。

「カルロス・ゴーン氏の保釈よりも、安倍総理が『法の支配』の対義語の『人の支配』を知らなかった事実の方がはるかに日本社会への重大事件なのだが、テレビ報道は残念な限りだ」(J-CASTニュース編集部 工藤博司)(2019/03/07付「J-CASTニュース」ここより)

190309nikkanngendai やっぱり?ところでこの話、「日刊ゲンダイ」では、「安倍首相また国会で赤っ恥「法の支配」の対義語を知らず」と、もっとセンセーショナルに書いている(ここ)。

日刊ゲンダイの“煽り?”と、読売/NHKの無視。国民にとって、どちらが良いのだろうか・・・
言うまでも無く、府民無視の大阪クロス選と同様、政治家を選ぶのは我々国民(府民)である。

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2019年3月 7日 (木)

ロシア民謡「郵便馬車の馭者だった頃」~兄貴が死んだ

昨夜(2019/03/06)遅く、兄貴が死んだ。自分より3つ上。享年74。
兄貴を歌で思い出すと、どんな歌だろう?と思った。記憶を呼び戻す。兄貴の歌声・・・
すると、こんな歌が浮かんできた。ロシア民謡の「郵便馬車の馭者だった頃」。自分が半世紀以上かかって集めた音源の中に、この歌は無かった。youtubeで探す。するとこんな歌が見付かった。

<ロシア民謡「郵便馬車の馭者だった頃」>

<ロシア民謡「郵便馬車の馭者だった頃」mp3>

「郵便馬車の馭者だった頃」
  ロシア民謡

郵便馬車の馭者(ぎょしゃ)だった
昔は若くて力持ち
小さな村であの娘に
俺は夢中で惚れていた

娘に不幸が見舞うとは
俺は夢にも知らなんだ
馭者の稼業は西東
心はいつもあの娘

それは寒い吹雪の日
風が悲しく吠えていた
ふいに馬めがあばれ出し
おびえたように脇を見た

あばれる馬から飛び降りて
俺は見つめた雪の中
誰かが道に倒れてる
はげしく胸が騒ぎ出し

俺は見付けた雪の中
大事な大事なあの娘
ここでここで酒をくれ
先を話す力は無い

酒をくれ早く酒を
先を話す力は無い

この音源は、(ここ)から借用したが、うたごえ運動からの音源らしい。ノイズは少し取ってみた。歌詞は、よく歌われているものとは違う。でも自分の記憶にあるのは、この歌詞のような気がする。

学生の頃、そう1960年代の終わり頃、うたごえ運動が盛んだった。自分が高校生の時、よく兄貴の下宿に遊びに行き、うたごえ喫茶に連れて行ってもらった。この歌もそこで良く歌われていた歌だ。
兄貴は、声が鋭く、合唱には向かなかった。ひとり朗々と歌って自慢していた歌が、この「郵便馬車の馭者だった頃」、そして「仕事の歌」だった。
特にこの「郵便馬車の馭者だった頃」は、ひとりで感情を込めて歌っては、自画自賛。何かの会合があると、決まって十八番のこの歌を歌っていたという。

1970年代になると、うたごえ運動も下火になり、兄貴の歌を聞かされる機会も減った。
そういえば、カラオケが流行っても、兄貴と一緒に行った事は無い。つまり、大人になってからは、兄貴の歌声を聞いたことはほとんど無かったのである。
しかし思い出すと、50数年前の兄貴は、得意になってこんな歌をアカペラで歌っていたのである。
今日、本当に久しぶりにyoutubeで聞いたが、自分の音源に無いと言うことは、FM放送などで放送されたことがほとんど無いのだろう。

両親に続いて兄貴が逝った。次は自分の番・・・・。
おっと、この順番については、閻魔さまに気付かれないように、そっと静かにしておこう。

最後に、本場ロシア語でうたっている音源がこれ(ここより)。実にロシア民謡らしい。

<ロシア語による「郵便馬車の馭者だった頃」>

<ロシア語による「郵便馬車の馭者だった頃」mp3>

兄貴が好きだった歌の音源を、思い出しながら集めてみようかな・・・・。それも供養!?
少し早く閉じた兄貴の人生に、合掌。

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2019年3月 6日 (水)

池澤夏樹のラジオドラマ「帰ってきた男」

FM放送も、開始50周年だという。
先日(2019/03/03)NHK-FMの特別番組「今日は一日“ありがとうFM50”三昧~オーディオドラマ編~」が放送された。
その中で「特集サラウンドシアター」と銘打った「帰ってきた男」というドラマを聞いた。
NHKの解説にこうある。
特集サラウンドシアター「帰ってきた男」(60分)
  作:池澤夏樹
  音楽:水谷川忠俊 演出:斎明寺以玖子
  出演:沢田研二、鳳蘭、岩下浩、湯浅実

 本作は、小説家・詩人・翻訳家として知られる池澤夏樹によるオリジナル脚本で、後年、自身によって小説化された作品。池澤原作のNHKオーディオドラマは、ほかに「スティル・ライフ」(95年)、「静かな大地」(11年)など複数作ある。
190306kaettekitaotoko  サラウンド方式で制作されたことから、音楽や効果音が物語に絶妙に絡む。雅楽を基調とした音楽は、日本のオーケストラにとってパイオニアとして知られる近衛秀麿の次男、水谷川忠俊が手掛けている。
 主人公の男性患者と女医の会話から導かれる、現実と幻想を往き来する逸話の数々…。神と出会った男の至福と錯乱を描いた、映画「惑星ソラリス」にも通ずる、形而下的且つ形而上的な物語で、沢田研二の熱演が印象に残る。なお、沢田は、1980年代~90年代にかけ、この「帰ってきた男」を含め、「家族の声」(82年)、「うたかたの日々」(90年)、「星条旗の聞こえない部屋」(93年)と、4つのNHK単発オーディオドラマで主役を演じている。(初放送:NHK-FM 『特集サラウンドシアター』1990年1月6日)」(
NHKのここより)

ちょっと珍しい録音なので聞いてみよう。

<特集サラウンドシアター「帰ってきた男」(60分)>

<特集サラウンドシアター「帰ってきた男」mp3>

なるほど。通常のステレオ録音とはひと味違う。物語はちょっと難しいが・・・
そう言えば、昔、サラウンドが流行った時期があった。バイノーラル録音という、ダミーヘッドを使った録音も流行った。伝送路が限られていたため、2チャンネルで、どう広がりを持たせるか・・・
しかし今は、NHKのBS8Kだと5.1chや7.1chを飛び越えて「22.2chサラウンド」だという。とても家庭用ではない。

でもこの番組は、29年前の放送。沢田研二が41歳の時の声。先日、コンサートのドタキャンで顰蹙(ひんしゅく)を買ったが、声優としても一流なのがよく分かる。

NHK FMが実験放送を開始したのは、1957年12月。そしてステレオで放送を開始したのは1963年12月。そして1969年3月1日に本放送を開始し、送信アンテナが紀尾井町から東京タワーに移ったのが1970年10月、そしてスカイツリーに移ったのが2012年4月23日だった。
自分が、トリオのF X -46Kという真空管式のFMチューナーのキットを買ってきて組み立て、FM放送を聴き出したのが大学1年の1966年夏のこと。よって、自分のFM放送との付き合いは50年どころか、53年だ。勝った!??(笑)

特に「歌謡スクランブル」は、何十年録音して聞いているだろう。この番組から自分が発掘した曲は数知れない。しかし、さすがに最近は、新しい発見曲は少ない。
一方、ラジオドラマは、テレビ全盛期の今、FMだけにわずかに残っているだけ。
ともあれ、自分の音楽人生とって、切っても切れないNHKのFM放送ではある。

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2019年3月 4日 (月)

「賛成意見を水増し」著作権DL違法化~作為的な文化庁

まさに想像を絶する日本の官僚である。いったいこの国はどうなってしまったのだろう。官僚が作為的に自分たちの意見に沿った法律を作ろうとする。日本は、とても民主国家とは言い難い国になってしまったようだ。

今日(2019/03/04)の朝日新聞デジタルにこんな記事があった。
「「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判
 法改正を進めるために賛成意見を水増しして与党に報告し、海外での先行事例も恣意(しい)的に選んで都合のいいところだけ紹介している――。
190304bunkacho  権利者の許可なくインターネットに上げられたと知りながら漫画や写真、論文などをダウンロードすることを全面的に違法とする著作権法改正を進めようとしている文化庁が、自民党に正確ではない説明をしたと指摘する「検証レポート」が3日、明治大学知的財産法政策研究所のホームページで公表された。
 自民党の文部科学部会などは先月こうした説明などをもとに法改正を了承したが、反対意見も根強く出ている。党の最高意思決定機関である総務会は1日の会合で、関係者への説明不足などを理由に異例の了承先送りを決めたばかり。与党に不正確な判断材料を提供していたとの指摘は今後の議論に影響を与えそうだ。
 今回の検証は、違法とする行為をもっと絞り込むように緊急声明で求めていた著作権法の専門家らの一部が行った。法改正について議論した昨年10月から今年2月までの文化審議会の会合でどんな意見が出たのか、自民党議員らに説明するために文化庁が配った資料を入手して分析したという。その結果、自民党への説明で主に以下の問題点があったと指摘した。

賛成意見を水増しした
 文化庁は、法改正の方向性をまとめた2月の文化審議会著作権分科会でどんな意見が出たのかを紹介するため、発言者の名前を伏せて「慎重な意見」を三つ、「積極的な意見」を七つ、説明資料に載せた。
 慎重な意見については、8人の委員の連名で慎重な検討を求める意見があったことも付記されてはいたものの、分科会の議事録と照らし合わせると、法改正に「積極的な意見」のうち【学者】の発言とされた四つが、1人の2回にわたる発言を論旨ごとに四つに分割したものだったという。
 また、文化庁が示した方向性に賛同している委員の意見は余すところなく紹介しているのに、「慎重な意見」を出した4人の意見は省略し紹介すらしていない▽紹介した慎重派2人の意見についても重要な部分を省略している▽別の慎重派2人の意見の一部を切り取って、積極派であるかのように誤解させている――とも言及。全体として「積極的な意見は少数派であるにもかかわらず、多数派であったような誤解を誘っている」と指摘した。
 「政策判断を行う上で、審議会における議論の状況を正確に把握すべき立場である与党に正確な情報が提供されていない点は、立法過程における極めて重大な問題をはらんでいる」と批判している。

「諸外国の取り扱いも踏まえ」法改正するとの説明←比較対象国の選定がフェアでない
 文化庁が配布資料で、ドイツやフランス、カナダなどの「諸外国」を引き合いに出し、著作権侵害物のダウンロードを全面的に違法とすることが国際的な潮流だと読めるような説明をしていることについても、「比較対象国の選択がフェアではない」と指摘した。
 米国や韓国、台湾、シンガポールなど、公正な利用と認められれば権利侵害にはならない「フェアユース」の規定を持つ国もたくさんあり、軽微なスクリーンショットやコピー&ペーストなどは適法と考えられているためだ。こうした国々について「なぜ参考にしないのか、理由が不明」だと疑問視。ドイツなどの実情についても都合のいいところだけを紹介した「つまみ食い的な比較」と切り捨てた。
 今回の検証レポートは、「これまでの文化審議会の歴史において極めて異例の形で報告書のとりまとめが行われた」とも指摘。文化庁は審議会での審議結果を忠実に法改正案に反映したと主張しているが、審議会の報告書などを無視していると厳しく批判している。
 自民党総務会の1日の会合では、今国会で法改正案を成立させる必要性については一致したものの、「(関係者への)説明不足だ」との意見が相次いだ。日本漫画家協会も、違法範囲を絞り込むよう求めていることなどを踏まえ、加藤勝信総務会長は記者会見で、「漫画家の利益を守るのが今回の措置なのに理解が得られていない」と話し、改正案への理解を求めていくよう促している。(上田真由美)」(
2019/03/04付「朝日新聞」ここより)

この記事で紹介されていた「明治大学知的財産法政策研究所のホームページ」の「検証レポート」(ここ)をざっと読んでみた。

「2019年3月3日
明治大学知的財産法政策研究所部会資料検証WGによる検証レポート(「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」に関する自由民主党文部科学部会・知的財産戦略調査会合同会議(平成31年2月22日)配布資料の検証レポート)を公表します。
〔基本的な考え方・Q&A関係〕(PDFへのリンク)
〔文化審議会著作権分科会意見概要〕(PDFへのリンク)」

素晴らしいレポートである。まさに大学が、自分たちの中だけに止まらず、世の中に影響を与える研究だ。

しかし、この動きをどう読み解く?財務省や厚労省のように、政権に対して忖度し、ヘイコラするのが日本の現在の官僚かと思っていたが、どうしてどうして、したたか。当の自民党をも騙そうとする文化庁は、たいしたタマである。いやはやお見それしました?

会議という議論をまとめて議事録を作る際、それをまとめる人は、幾らでもお手盛りが出来る。自分の意見に合う意見は全面的に載せ、合わない意見は省く。
前に、自分が経験した自治会でのアンケートのことを書いた(ここ)。自治会のある役員が、自治会の名を借りて、自宅前の道路を居住者以外は通行止めさせる、という請願を出そうとした。それに反対する意見を出したら、意見は載ったものの、その役員に都合の悪い部分は全部削って載せていた。

今回の文化庁もそれと同じ。自分の意見を通すために、一つしか無い事実(会議での意見)を、まさにねじ曲げている。事実を消し去ろうとしている。
これを「恣意的」というのだと思った。しかし、どうも違うらしい。

広辞苑を引くと、
「し‐い【恣意・肆意】気ままな心。自分勝手な考え。「―的な解釈」」とある。

では「意図的」?
「い‐と【意図】①考えていること。おもわく。つもり。「敵の―を見抜く」②行おうとめざしていること。また、その目的。「早期実現を―する」「―的なごまかし」」

では「作為的」?
「さくい‐てき【作為的】‥ヰ‥  わざとこしらえるさま。また、故意にそうしたことが明らかで不自然なさま。「―な文章」」

どうも「作為的」が正しいらしい。

まあ、こんな言葉の意味を考えなければいけない世の中ではダメ。税金で食べている役人が、自分たちの意志を通そうと、政治家をだまして法律を作ろうとしている国など、想像を絶する。
まっとうで、ウソの無い正直な国に! 明治大学知的財産法政策研究所に拍手!!

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2019年3月 3日 (日)

山口百恵の「夜へ...」

何とも妖しい歌である。山口百恵の「夜へ...」・・・

<山口百恵の「夜へ...」>

<山口百恵の「夜へ...」mp3>

「夜へ...」
  作詞:阿木燿子
  作曲:宇崎竜童

修羅 修羅 阿修羅 修羅
慕情 嫉妬 化身 許して・・・・・・行かせて・・・・・・
繻子 繻子 数珠 繻子
繻袢 朱色 邪心 許して・・・・・・行かせて・・・・・・
あやしく あまやかな 夜へ・・・・・・
やさしく やわらかな 夜へ・・・・・・
シュル シュル シュルル シュル
夜へ・・・・・・夜へ・・・・・・夜へ・・・・・・

処女 処女 少女 処女
媚薬 微笑 女豹 許して・・・・・・行かせて・・・・・・
落花 落花 快楽 落花
春風 有情 無情 許して・・・・・・行かせて・・・・・・
ゆっくり ゆるやかに 夜へ・・・・・・
ひそかに ひめやかに 夜へ・・・・・・
ルル ルル ルルル ルル
夜へ・・・・・・夜へ・・・・・・夜へ・・・・・・

シュル シュル シュルル シュル
修羅 修羅 阿修羅 修羅
夜へ・・・・・・

この曲は昔から知っていたが、先日歌詞を見ながら聞いて、改めて見直した。
歌詞が何とも妖しい。漢字で歌詞を見ないと、聞いているだけではこの呪文のような歌詞は頭に浮かばない。この歌詞をどう読むのだろう?いや、解釈と言うより、ただ感じれば良いだけなのかも知れないが・・・。

自分ではこの歌詞を解釈出来ないため、Netでググってみると、色々な解説が見付かる。歌詞の解釈は(ここ)にあった。そして(ここ)によると、この歌は、1979年4月1日発売されたアルバム「A Face in a Vision」に収録されているという。
190303yoruhe そして、「NHK特集『山口百恵激写/篠山紀信』の為に作られたアルバム」だというので、自分の昔のビデオのリストを見たら、S-VHSのテープが残っていた。それで、ついそれを見る気になった。
テープ棚から探して、久しぶりにビクターのVHSデッキの電源を入れる。案の定、最初はカセットにテープを巻き取る時に機械にテープが残ってしまう。カバーを外してテープを外す。しかし2回目からはちゃんと巻き取る。これはいつものこと。
再生すると、3倍モードの割に、画像はバッチリ。音声も何の問題も無い。それでつい全編見てしまった。「夜へ...」が流れてこないかと・・・

もちろん昔見た番組だが、全編写真だけ。動画はない。桜田淳子とのツーショットから始まり、最後に「夜へ...」で終わった。この歌が流れる時の写真は、まさに妖艶な山口百恵の姿。中学生から育った姿。でもまだ20歳・・・
この番組は、1979年3月30日の放送なので、放送直後にLPが発売されたらしい。
それにしても、彼女は被写体としてもプロだと思う。思い出すと、1970年代の始め、LPレコードの付録に付いていた彼女の写真を、独身寮の部屋に貼っていたっけ。これもたぶん篠山紀信の作品だったのだろう。

自分は、この歌の歌詞の解釈は出来ないものの、不思議な歌詞とともに、つい昔のビデオを見てしまった。
でも21歳での引退は素晴らしい。ファンの頭の中に、当時の姿のまま焼き付き、それがいまだに生きている。記憶の映像として永遠に21歳の若い姿を留める、大歌手であった。

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2019年3月 1日 (金)

「私のがむしゃら時代」~作家・荒俣宏氏の話

NHKラジオ深夜便で、「私のがむしゃら時代」作家・荒俣宏氏の話(2019/02/24放送)を聞いた。実は、自分は荒俣氏のことを何も知らなかったが、生まれが昭和22年で同じこともあり、興味深く聞いた。
しかし、その人生は、平々凡々の自分のそれとは似ても似つかない・・・。

<NHKラジオ深夜便「私のがむしゃら時代」作家・荒俣宏氏(48分)>

<NHKラジオ深夜便「私のがむしゃら時代」作家・荒俣宏氏mp3>

この番組のテキストは(ここ)にあるが、何とも波瀾万丈。
190301aramata wikiでその肩書きを見ると、「博物学者、図像学研究家、小説家、収集家、神秘学者、妖怪評論家、翻訳家、タレント、元玉川大学客員教授、武蔵野美術大学造形学部客員教授、サイバー大学客員教授、日本SF作家クラブ会員、世界妖怪協会会員。」とある。

つまりはそれだけ才能がある方なのだろう。
それにしても「早朝4時、5時に寝て起きるのは7時で、社会人の言葉と、機械言語と、文学と一日を3倍楽しめた」
「20年位は平凡社で暮らしていました。コンクリートの床に段ボールを敷いてそこに寝て、食事はコンビニで買って、1週間に一回位近くの風呂屋に行っていました。」
というのだから、超人的で、よく生きているな・・・という生活。平凡社もそれを許していた時代だったのだろう。しかし、それで「世界大博物物図鑑」を執筆。

家庭も何もかもあきらめて、自分の好きな世界に生きる。これも人生か・・・
しかし、あきらめたはずの嫁さんも「二番目の妻は元JALの客室乗務員だった一般人。妻は美的感覚が変わっており、子供の頃からイボガエルを「かわいい」と思っており、客室乗務員時代は高学歴で顔も良いエリートの乗客にこっそり電話番号を渡されても「好みじゃない」と平気で破り捨てていたという。荒俣と初対面した際に一目惚れし、「この人しかいない!」と猛アタックし、結婚。バラエティ番組で特集された際に、本人は「夫の顔は気持ち悪い。仕事も気持ち悪い。でもそこが大好き。一生ついていく」と満面の笑みで語った」(wikiより)というから面白い。

こんな自分に忠実な生き方もあるのかと、ビックリと同時に、羨ましくもあった。
とにかく人生は、様々。良い悪いの尺度では無い。死ぬ時に、自分に対して自分がどう評価するか。
自分はもう間に合わないが、これから生きていく孫たちには、ぜに自分の思った人生を歩んで行って欲しいもの。

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