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2018年12月の15件の記事

2018年12月31日 (月)

「年賀状、出しますか?」~終活年賀状

さて今日は大晦日。あと数時間で2018年も暮れる。明日は元旦。またまた年賀状の話である。先日の朝日新聞の記事。

「(フォーラム)年賀状、出しますか?
 2018年もあと1週間余り。年賀状づくりに追われて年末を迎えた人も多いのではないでしょうか。お年玉くじ付きの年賀状が登場したのは戦後まもない頃。郵便制度の発達とともに年始の習慣として広まりました。でも、SNSなどの普及で発行枚数は減少傾向です。「出す派」も「出さない派」も、その思いや理由はさまざまなようです。

 朝日新聞デジタルのアンケートに寄せられた声の一部を紹介します。

 181231nengajyou<YES>数十年の財産/思い出に
 ●「たとえ1年に一度のつながりでも、近況報告で友人、知人と数十年やりとりが続く年賀状は、貴重な財産」(神奈川県・50代女性)
 ●「生まれ育った土地を遠く離れて生活していて、なかなかお会いできない方との関係を感じる機会になっています」(沖縄県・50代女性)
 ●「単なる習慣。家族写真を撮って印刷しているが、その写真が思い出になる。自分のために送っている気がする」(東京都・50代男性)
 ●「年末は忙しいけれど、誰かの顔を思い浮かべて新たな年のあいさつをする時間的・精神的余裕は持ち続けていたい」(東京都・30代男性)
 ●「煩わしく思いながらも出していたが、社外関係者に久々に連絡して新しい仕事につながった。前向きな気持ちに出せる方には出していこうと考えている」(愛知県・20代女性)
 ●「日頃SNSばかりの現代にこそ、年に一度くらい書きましょう」(長崎県・50代女性)

 ■<NO>手間とお金が/時代遅れ
 ●「手間とお金がかかるので正直もらってもうれしくはない。また、個人情報である住所を聞くことのハードルが高い」(京都府・20代女性)
 ●「古き良き日本の慣習ではあるものの、既に時代遅れになっている。一般世帯では費用も重荷となっているように思う」(東京都・40代男性)
 ●「身辺整理の意味も含め、昨年から送るのをやめました。年末の仕事の多忙な時期での作業が一つ減り、心理的にとても楽になりました」(京都府・40代女性)
 ●「まったく会うことも無い人に元気ですなんて書いて知らせる必要性を感じません。たまに会う人でもメールやブログで元気なことを知らせられます」(三重県・70代男性)
 ●「年賀状のやりとりしかない人は既に縁が無くなっていると思うし、縁があるなら年賀状でなくても連絡できている」(東京都・60代男性)
 ●「ずっとやめたかった。年賀状だけのためにプリンターを買ったが、はがき代やトナー代などお金と時間の無駄」(東京都・50代男性)

 ■終活年賀状、シニア関心
 近年、増えてきているのが「終活年賀状」。年始のあいさつに続いて、「年賀状は今年限りにさせていただきます」といった辞退宣言を書き添えたものです。
 葬儀サービス会社が昨年末に65歳以上の約200人を対象に行った調査では、「終活年賀状を受け取ったことがある」が57%で、「出したことがある」は6%でした。
 朝日新聞のアンケートでも、出した人たちの体験談が寄せられました。理由は「高齢になったから」「しんどいから」のほか、「続いてきた年賀状がだんだんと雑なものに変わってきたから」との回答もありました。
 一方で、受け取った側には「新年早々、絶縁状をもらいたくない」などの否定的な声もあります。
 終活年賀状への関心の高まりを受けて、年賀状イラストのダウンロードサイト運営会社は昨年から、終活年賀状用の文案の提供を始めました。担当者は「これからも需要は高まる」とみています。
 「終活年賀状」について寄せられた意見を紹介します。

 ●「年賀状を作る気力が衰えてきたので、昨年から付き合いの少ない知人には『年賀状を最後にする』と書き添えて送りました。心の負担が少なくなるのを実感しています」(愛知県・70代男性)
 ●「私の親も昨年、終活年賀状を出しました。親から相談を受け、私が文章を考えて『今年限りで……』というような内容で出しました。やはり高齢になると書くのもおっくうになりますよね」(愛知県・50代女性)
 ●「年長者に辞退は言い出しづらいです。今年書く年賀状では、年下には『辞退』を書き添えようと思っています」(神奈川県・70代男性)
 ●「終活年賀状の記事を読んで『なるほど』とも思いましたが、新年早々、先方をしんみりした気分にさせるのもどうかと思ってしまいます」(広島県・40代女性)
 ●「終活年賀状を受け取ったことがありますが、年明け早々、気分が良いものではなかったです。宣言するなら、年内のうちに届けてほしいです。そしたら、こちらも年賀状を出さないので」(大阪府・40代女性)
 ●「数年前から、終活年賀状を何枚か受け取りましたが、私とは関わりを持ちたくないんだなと、見捨てられたような気持ちになってしまいました」(東京都・50代女性)

 ■お年玉くじ70年、賞品に世相 ミシン→「三種の神器」→現金1万円
 年賀状の起源は明確ではありませんが、郵政博物館(東京)によると、平安時代の史料には年始のあいさつを手紙で交わしていたことが記されています。明治時代に郵便制度が始まると、はがきの普及とともに一般化しました。年賀はがきの当初発行枚数は、2004年用の約44億5千万枚が最も多く、19年用は約24億枚まで落ち込んでいます。
 年賀はがきで楽しみなのが、お年玉くじ。賞品の変遷をたどると、戦後日本の世相が見えてきます。
 お年玉くじ付き年賀はがきが登場したのは、戦後の混乱がまだ残る1949(昭和24)年でした。郵政博物館などによると、大阪・心斎橋で雑貨会社を営んでいた京都在住の故林正治氏が、当時の大阪郵政局にアイデアを持ち込みました。翌年向けの年賀はがきの賞品は、特等がミシン、1等は純毛洋服地でした。当時、服は自ら仕立てるのが主流だったのです。
 54年には国内で本放送が始まったばかりのテレビ、56年には電気洗濯機と、当時「三種の神器」と呼ばれた家電も賞品となりました。昭和40年代になると、ポータブルテレビ(65年)や8ミリ撮影機(69年)、ラジカセ(74年)といった娯楽関連の賞品が多くなりました。
 平成に入ると生活の多様化に対応するようになり、賞品の選択制が導入されました。国内外の旅行券やBSアンテナつきのテレビ、MDプレーヤーにノートパソコンといったものに移り変わりました。
 2014年には1等賞品に初めて現金1万円が加わりました。2年後には10万円、19年用は30万円です。日本郵便は「お客さまに喜ばれる賞品を検討した結果、現金を導入するに至りました」と説明しています。

 ■無駄を楽しめる余裕、持ってみては 郵便学者・内藤陽介さん(51)
 通信手段が多様化し、若い世代を中心に郵便が身近な手段ではなくなりつつあります。しかし、それでも年賀状がなくなることはないでしょう。自分からは出さなくても、何らかの形でも年賀状を受け取らないという人は少ないはずです。
 年賀はがきの販売枚数は減り続けていますが、これまでが多すぎた。他に年始のあいさつの手段がなく、年賀状を出さなければ非難されるのではないか、という同調圧力を感じながら無理やり書いていた人も多いはず。義務的に出さざるを得ない状況が変わって、年賀はがきの売り上げも「水ぶくれ」が解消されようとしているのではないでしょうか。
 年賀状は単なる伝達手段にとどまらず、生真面目な日本人の間に定着した文化です。文化というものは無駄の塊。儀礼的な電報がいまだに残っているのもそうですが、無駄を楽しめる余裕を持てたらいい。メールやSNSなどに慣れ親しんだ世代には、手紙を書く経験をしてもらういいきっかけになると思います。
 一方で近年は個人情報保護の意識が高まり、学校では名簿や連絡網が作られず、住所がわからなくなった。インターネットが普及し、年賀状に否定的な意見も目立つようになった。でも、無駄とも思える年賀状を手間ひまかけて送りたいと思う人もいる。それは尊重すべきだし、攻撃するようなことではありません。
 年賀状は元日に届かなくてもいいのです。出したければ出し続ければいいし、しんどくなったらやめたらいい。正月から神経質になって目くじらを立てる必要はないし、もっと気楽に考えて、文化の一つとして楽しんでみるのはいかがでしょうか。
 ◆辻健治、佐藤恵子が担当しました。」(
2018/12/24付「朝日新聞」p9より)

ここでも何度か書いているが、いわゆる「終活年賀状」について、最近関心が高まっているように思う。SNSによる発行部数の半減に加え、シニア族が負担になってきている。いや、負担と言うより、年賀状の価値を見直す時期に来ているように思う。

人の縁とは何だろう?つながり?行き来・・・?電話やメール?
それらが一切無い関係でも、年賀状の行き来があれば、縁があるのだろうか?
学生時代の友人が、そのうち年賀状だけの行き来になり、以来数十年。これからも会うことも、話をする機会も無いだろうという人たち。これらの縁は、そろそろ打ち止めでも良いのでは無いか、という見直し。それが終活年賀状という形なのかも知れない。

今年は、会社関係の人には全員に終活年賀状を出した。徐々に範囲を広げて、今年で3年目である。しかし、相変わらず終活宣言にもかかわらず年賀状をもらう人がいる。改めて出そうかとも思ったが止めた。
前に、いわゆる“士業”の人は、人とのつながりが生命線のため、何百枚年賀状を出すかが活動のバロメーターだと聞いたことがある。
これらは機械的にプリンターから排出される年賀状。そこには何の息遣いも無い。終活年賀状を出しても、相変わらず来る人は、それらに似ているのかも?いや、そもそも年賀状を見るのは差出人だけで、文面は読まないのだろう。

しかし徐々に止めているせいか、昨年は10通以上もらった喪中ハガキが今年はゼロだった。これは面白い現象。

すべてに対して、徐々に“縮小”を図っている我が家。昨日もメルカリで、300円で本が売れた。95円の実収入だが、手間はかかるが、まだまだ新しい本のリユース活動である。
来年も色々な面で縮小を図ろう。
「終活」という言葉を意識させる年賀状の季節ではある。

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2018年12月29日 (土)

「平成落首考 2018年後半」

今朝の朝日新聞の記事。
平成落首考 2018年後半 西木空
 「おことばの『深い反省』聞き納め」
 「おことばを聞いてる振りの安倍首相」
 8月、戦後73年の戦没者追悼式をめぐって、「朝日川柳」の一句目と二句目に天皇と首相の対照的な句が並びました。
 12月、最後の天皇誕生日会見のあとも、天皇と首相を対比した二句が並びました。
 「『寄り添う』のウソと誠を思いけり」
 「お言葉に耳塞いでるかも安倍氏」
 選者が意図したわけではありません。たまたまです。
 天皇の言動に心を動かされ、川柳が生まれる。触発されて今度は首相の振る舞いを連想し、作句する。結果的に、ワンセットのような句がいくつも届くのです。
 そうか、だから、たまたまではなく必然的に対句みたいになったのですね。首相には気の毒なことをしました。
     × × ×
 「『寄り添う』がかくも響かぬときは無し」「沖縄に寄り添わないで寄り倒し」「寄り添ったのはぶん殴るためでした」
 首相が好んで多用する「寄り添う」は、その意図に反して、かくも評判が悪い。「寄り添う」という日本語が気の毒です。「『寄り添う』が辞典の中で泣いている」
 自民党総裁に3選後組閣したときは「全員野球」を標榜(ひょうぼう)してみせた。けれども本欄では「ふざけるな野球じゃないだろ政治だろ」「タイガースも『全員野球』と言っていた」とさんざん。タイガースには気の毒なことをしました。
     × × ×
 首相を、こともあろうにポチと呼ぶ句がときおり寄せられます。失礼です。選者としてはなるべく採用しないようにしていますが、思わず選んだことがありました。
 11月30日、G20会場のブエノスアイレスで日米首脳会談が開かれた。冒頭、トランプ大統領が打ち合わせなしに謝辞を述べ、首相はいささか狼狽(ろうばい)したように見えました(選者、テレビでの所見)。すかさず投句あり。
 「『戦闘機購入感謝』にドギマギし」。これは形態描写。
 「トランプのポチかと思ったカモだった」は真相暴露。笑えるけれど、大統領にも首相にもカモにされているのは、アメリカ製戦闘機の代金を税金で支払っている私たちである。笑ってる場合じゃありません。「川柳が笑えて悲し世の乱れ」
     × × ×
 半年に1回掲載の「平成落首考」は、平成5(1993)年、前任選者の故大伴閑人が、それまでの選者と交代したのを機に始めました。コラムになぜ「平成」を冠したのか、閑人に聞いたことはありませんが、来年6月末の「落首考」では、新しい元号を冠することになります。
 福沢諭吉は明治8(1875)年刊行の「文明論之概略」に、「一身にして二生(にしょう)を経(ふ)る」と記しました。江戸の末期と明治という時代と、身は一つでありながら、まことに変化に富んだ二つの人生を生きている。きわめて大ざっぱにいえば、そんな意味合いでしょうか。
 去年10月現在で、明治・大正生まれは171万人(1.3%)、昭和生まれ9255万人(73.0%)、平成生まれ3245万人(25.6%)。国民の7割超の昭和生まれは昭和、平成、新元号という三つの、変化の激しい時代を生きることになります。諭吉に倣えば「一身にして三生を経る」のです。
 「ふと思う英語廃止を唱えし世」は93歳吟。「飲み明かし夢を語った時もあり」「ポケベルと公衆電話そんな恋」
     × × ×
 誕生日会見で天皇は「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と語りました。ほんとうにそうですね。8月の掲載句にも「戦無き元号の末の蝉(せみ)しぐれ」。
 「また戦したいのがいる敗戦日」「『ものづくり』『国づくり』とも黄信号」「いったいに嘘(うそ)で成り立つ浮世かな」。ではあるけれど「蟷螂(とうろう)の斧(おの)であろうとぶれはなし」の心を大切にしたい。
 「人生はカネじゃないさと茶をすする」。みなさま、よいお年を。(「朝日川柳」選者)」(
2018/12/29付「朝日新聞」P12より)

相変わらずのセンス。素晴らしい!
しかし「トランプのポチかと思ったカモだった」が秀逸。まさに「真相暴露」。溜飲が下がる。それを載せる朝日もたいした物!

ウソを堂々と付く安倍首相を、ベールを被せて懸念を表明してきたのが天皇。それはお言葉の随所に見られたもの。秋篠宮の会見でも、「大嘗祭は宗教色が強いので公費を支出するべきではない」「山本信一郎長官は「聞く耳を持たなかった」」と指摘。
天皇家が、国民目線で精一杯の抵抗。そして政権は無視を決め込む・・・

今夜7時のNHKニュースで、今年行われた14の知事選挙の投票率で、30%を切った香川県知事選を始め、8つの県で過去最低の投票率だったと言っていた。
これに対して「自分たちで自分たちのことを決める民主主義の大原則が危機的状況。3割の人しか行かないと3割の人の意向で大事な戦時や行政が決まってしまう」という指摘。

何をしてもダメ、というあきらめが国民に浸透。それを踏み台にして政治が動いている。
本当にこれで良いのか?次に答えを出すのは我々国民なのは言うまでも無い。

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2018年12月28日 (金)

「著作権、死後70年に延長」~一部権力者だけの意向で!?

先日のIWC(国際捕鯨委員会)から脱退と同じく、著作権の延長についても、国民的議論を避けるように、そうっと水面下で?成立してしまったという。

美術・文芸・音楽著作権、30日から死後70年に延長
 日本の美術・文芸・音楽作品の著作権の保護期間=キーワード=が30日、環太平洋経済連携協定(TPP)発効に合わせ、欧米並みの死後70年に延びる。延長は約半世紀ぶり。過去の作品を利用した新たな創作がしにくくなるなど、文化の発展を妨げるのではないか、という懸念の声も上がる。(木村尚貴)

 ■歓迎 権利者「世界の潮流、子孫も養える」/残念 利用者「公共財産」化遅れ、使用に壁
 「生涯をかけて描いた作品で、子々孫々まで養える安心感がある」。「銀河鉄道999」の漫画家松本零士(れいじ)さんは、延長を歓迎する。欧米との差をかねて疑問に思っており「日本もやっと世界の潮流に合わせた形になった」と話す。
181228chosakuken  TPP発効で、1968年に亡くなった作者の著作権はぎりぎり消滅を回避した。68年没の画家藤田嗣治(つぐはる)の著作権を管理する仏の「フジタ財団」の担当者も、「非常に満足している」という。「作品の使用料で、藤田の仕事を保護したり、藤田の妻の遺志だった、若者支援の芸術プロジェクトを続けたりすることができる」
 一方、著作権が消滅した「パブリックドメイン」(PD)の書籍をテキストファイルにし、ネット上でフリー公開してきた「青空文庫」の管理人、大久保ゆうさんは「新しく社会の公共財産になる作家が、2039年までいなくなる」と残念がる。未公開のPD作品はまだ膨大にあるため、年500点程度の公開ペースは維持するつもりだという。
 文化は、過去の作品を利用することで新たな作品が生まれたり、逆に元の作品が再評価されたりする面もある。強い著作権は作品の利用をちゅうちょさせる。
 あるベテラン演出家は、かつて三島由紀夫の戯曲を遺族の許可を得て上演した際、セリフや設定を変えてはならないという条件がついたことを思い出す。「縛りは相当きつかった。時代にあわせた設定変更などは柔軟に認めないと、作品自体が使われなくなるかもしれないと思った」。自ら脚本も書くこの演出家は体験を踏まえて言う。「自分の死後も、作品は上演してほしい。自分の芸術を理解しない縁者などに権利が渡った場合にどう扱われるか分からない以上、臓器移植カードのように、著作権をどう扱うのかという意思表示を準備しなくては」
 延長すると、著作権を継いだ人間を追跡できず、使われなくなる「孤児著作物」が増える恐れもある。作品の利用で経済的な価値を生む著作権は、分割や譲渡もできることが拍車をかける。
 青空文庫は、保護期間内にある作品も、作者や著作権継承者の申し入れがあれば公開を進める方針だ。実際に存命中の作家から申し入れが増えているという。

見送りが一転、TPP合わせ 「手続き、国内議論を回避」批判も
 保護期間は、著作権の国際ルールを定めるベルヌ条約の1948年改正で、作者の孫世代までカバーできる50年を基準として義務化された。だが「平均寿命が延びている」などとして、90年代以降EU諸国や米国が相次いで70年にした。
 コンテンツ大国は、輸出先の国の保護期間が延びれば、使用料収入が増えるため、米国は日本に繰り返し延長を求めていた。TPP交渉では、米国が途中離脱し、延長は加盟国の義務にならなかった。加盟国で50年だったニュージーランドなどは見送る一方、日本は欧米の動向や一部権利者の声を踏まえ、延長に踏み切った。
 延長を巡っては、文化政策の方向性を決める2010年の国の委員会などで賛否の議論を尽くし、見送られた経緯がある。だが今回、政府はTPP関連法案の一項目に延長を盛り込み国会に提出。国会では大きな議論にならないまま、可決成立した。延長に反対してきた福井健策弁護士は「義務ではなかったのに、政府はするっと通した。国外で合意し、国内議論を回避したポリシーロンダリング(政策洗浄)的な手続きだ」と批判する。

 ◆キーワード
 <著作権の保護期間> 日本では映画の著作物をのぞき、原則作者の死後50年までだった。他人が期間内の作品を使う時は、作者や遺族など著作権を持つ人・団体に許可を得ることが必要で、場合によっては対価として使用料が発生する。無断利用は刑事罰の対象。
 作者の死後も保護期間がある理由は、「権利を継いだ遺族などが収入を得られるとなれば、作者の創作意欲も上がるため」などと説明される。」(
2018/12/24付「朝日新聞」p25より

前に「著作権の70年延長は疑問だ」(ここ)という記事を書いた。12年前である。ここでも書いたが、自分は延長に反対。理由は前書いたと同じ。
上の記事で「2010年の国の委員会などで賛否の議論を尽くし、見送られた経緯がある。」とあるように、国内では見送られたが、TPPによってアメリカに(ディズニーに?)押し切られた!? そしてTPPからアメリカが脱退したので、ニュージーランド同様に元に戻すかと思いきや「今回、政府はTPP関連法案の一項目に延長を盛り込み国会に提出。国会では大きな議論にならないまま、可決成立した。」

その手法を「ポリシーロンダリング(政策洗浄)的な手続き」と指摘されているが、改めて「ポリシーロンダリング」をググってみると、wikiにはこうある。
ポリシーロンダリング(英: policy laundering)とは政治的決定や立法、条約制定の当事者を隠蔽し、そのプロセスを不透明化する行為のことで、マネーロンダリングから派生した用語である。国内で規制を行うために前もって国際条約を締結しておき、それに基づいて国内法を整備する手法は、典型的なポリシーロンダリングである。責任の所在を曖昧にする、本来の目的を隠蔽する、あるいは立法の手続きを迂回するために行われる。」
「非公開で策定された国際条約はポリシーロンダリングによく利用される。いったん条約が策定されてしまえば、どの部分を誰が追加したか部外者には分かりにくいためである。全ての当事者が条約のどの部分に関しても、妥協の結果として追加に同意したが本意ではなかったと主張できるため、責任の所在が曖昧になる。」

今回、成立の推移を見逃した野党、メディアの責任も大きいが、何よりも、国民の目に触れないまま、スルッと法律が出来てしまうことが怖ろしい。まさに権力者の胸先三寸。

昔の自分の記事の繰り返しだが、上の記事で、「(70年間への延長で)子々孫々まで養える」と喜ぶ発想が理解出来ない。自分の成果が「子々孫々まで」となると、まさに江戸時代の「お家」の話になってしまう。個人の実力より、お家の世襲で豊かさが決まる社会。カースト制を思い出す。

先日、南青山の児童相談所建設で「ブランド価値が下がる」と地元住人が反対しているというニュース。
「ネギを買うのも紀伊国屋。DV被害者はすごく生活に困窮していると聞いている。そういう方たちが生活するのに大変。一般の人でも大変な物価高の中で大変ですので、ふさわしい場所なのか疑問」
「この周辺のランチ単価を知ってますか?1600円ぐらいするランチ単価のところで、なんで親が施設に子どもを連れてくるんですか。ここじゃなくてもいいじゃないですか。世界的ブランドがここまで集まってるのは青山しかないんですよ!!」(
ここより)

こんな“お金持ち”の人の中には、自分の努力では無く、著作権のような先祖の遺産でノウノウと暮らしている人が居るのでは無いかと思ってしまう。
IWC脱退と同じく、一部権力者だけの意向で、社会が変わっていく今の世の中。
何としても止めねば!

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2018年12月25日 (火)

「八王子将棋クラブ」42年間の歴史に幕

多くの名棋士を生んだ「八王子将棋クラブ」が、昨日(2018/12/24)42年間の歴史に幕を閉じた。
羽生前竜王ら輩出「八王子将棋クラブ」42年間の歴史に幕 最終日は入場規制も
 将棋の羽生善治前竜王(48)ら多くの棋士を輩出した名門道場「八王子将棋クラブ」(東京都八王子市)が24日、最終営業日を終えて42年間の歴史に幕を閉じた。
 最後の日まで受付に立ち、子供たちの対局票に勝敗を付けた席主の八木下征男さん(75)は「寂しさはあります。子供たちと離れなくちゃいけませんから」と語りながら「子供たちが巣立っていく将棋道場は、私にとって何よりもやりがいのある仕事でした」と穏やかな笑顔で振り返った。
 別れを惜しむ来場者が殺到したため入場が規制され、営業を終了した午後4時40分の約2時間半前には受付を終了。OB棋士の村山慈明七段(34)、増田康宏六段(21)も来訪し、八木下さんに感謝を伝えていた。」(
2018/12/24付「スポーツ報知」ここより)

上の記事によると、24日の最終日には村山七段、増田六段が来訪したというが、1日前の23日には、羽生善治前竜王が訪れたという。
無冠になった羽生善治前竜王が原点の「八王子将棋クラブ」で再出発の一手
 将棋の羽生善治前竜王(48)が23日、今年限りで閉所される出身道場「八王子将棋クラブ」(東京都八王子市)をサプライズ訪問した。21日に竜王を失冠し、27年ぶりの無冠に転落してから2日。7歳の時から通う場所で来場者と交流し、原点回帰。恩師の席主・八木下征男さん(75)に感謝を告げ「自分自身は前に進んでいかなくちゃいけないと思っています」と未来を見据えた。クラブは24日、最終営業日を迎える。
 四方から駒音が鳴る場所に現れた羽生は、別れを惜しむ来場者たちの前であいさつをした。「大変残念ですけど、長年にわたって道場を続けてこられた八木下さんに心から『お疲れ様でした』とお伝えしたいです」。思い出の詰まったクラブは拍手に包まれた。
181225habu  永世7冠が姿を見せたのは午後0時36分。山口県下関市で行われた第31期竜王戦7番勝負第7局で投了を告げ、無冠になったのが21日午後6時49分。わずか42時間後。恩師は「無理しなくて大丈夫ですよ」と声を掛けたが、約束は守るのが羽生の流儀だった。
 指導対局では子供ら7人と盤を挟み、丁寧に教えた。「道場の風景も雰囲気も変わってないですね。まだ小さい子供たちが通っているんだな~と思いました」
181225yagishita  クラブは1977年に開所。羽生は翌年から通い、将棋の魅力に触れ、棋士への道を歩み始めた。「クラブ、八木下さんと出会わなければ将棋の道には進んでいません」。計13人の棋士が巣立つ名門になったが、ビルの老朽化による改修工事と八木下さんの体調を考慮し、幕を閉じる。「寂しいですし、時間がたてば違う感慨が生まれるのかなと思います」。八木下さんは「羽生さんが来てくれていなければ、とっくに畳んでいました。本当に感謝しています」という言葉を繰り返した。
 27年ぶりの無冠となり、42年間続いた大切な場所は歴史に幕を下ろす。「クラブが閉じてしまうのは私にとっても大きな節目です。でも、(無冠は)自分自身にとっても残念なことではあるんですけど、自分自身は前に進んでいかなくちゃいけませんので」
 羽生は午後5時の営業終了までクラブに残り、懐かしい記憶を辿った。2日前、絶望と屈辱を見つめていた表情は、少年の頃のような笑顔に変わっていた。(北野 新太)」(
2018/12/24付「スポーツ報知」ここより)

時代の流れなのだろうか・・・
竜王戦には、何とか勝って欲しかった羽生さんだが、残念な結果だった。まさに天国と地獄の一戦。勝負の世界は非情だ。

自分も、せめて将棋の勝ち負けが分かったら、もう少し楽しめたかも知れない。しかし将棋は自分にとって全くの門外漢。
しかし自分の人生では「将棋」という言葉は身近だった。親父が現役時代の会社の将棋の会に入っており、「会社に大山さんを呼んだ」と得意げに話していたのを、いまだに覚えている。そして、その時以来、我が家の床の間にはデーンと大山さん直筆の色紙。

我が家では、親父も兄貴も息子も将棋を指した。特に親父は若い時から膨大な本を買って勉強。死ぬ直前まで「(強くなった)孫に一矢報いなければ」と将棋の本に朱線を入れて勉強していた。(脳溢血で亡くなった枕元にその本が残されており、お棺に入れた)

171222hachiouji2 近くにあった「八王子将棋クラブ」が無くなり、羽生さんもタイトルを若手に譲った。羽生さんがこれで終わるとは思っていないが、藤井さんのように、若手の台頭も著しい。

ふと「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」という方丈記の一節を思い出した。
何となく、寂しい年の瀬である。羽生さんの早期の復活を祈念!

(関連記事)
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「大山・羽生 将棋 史上最強はどっち?」と「米長邦雄さんの話」 

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2018年12月24日 (月)

「きよしこの夜」生誕200年

今日は、クリスマスイブだという。(我が家は、関係ないけど・・・!?)
こんな記事を見付けた。

「「きよしこの夜」を生んだオーストリアの村、初演から200年をお祝いへ
【AFP=時事】世界で最も有名なクリスマスキャロルの一つ「きよしこの夜(Silent Night)」は、今年のクリスマスイブに初演から200年を迎える。24日には、まさにちょうど200年前に「きよしこの夜」が初めて演奏されたオーベルンドルフ(Oberndorf)村の礼拝堂で記念行事が行われる予定だ。
181224oberndorf  ザルツブルク(Salzburg)近郊にある同村の観光所長を務めるクレメンス・コンラート(Clemens Konrad)氏は、いつもならクリスマスイブの来訪客は3000~4000人だが、今年は約6000人を見込んでいるとAFPに語った。
 世界的に知られ、300の言語や方言に翻訳されるまでになった「きよしこの夜」の起源は、ナポレオン戦争後の貧困に苦しんでいたオーベルンドルフの村人たちを癒やそうと考えたヨゼフ・モール(Joseph Mohr)司祭が1816年に書いた6行詩という、つつましやかなものだった。
181223kiyoshi その2年後にモール司祭は、教師や聖歌隊の指揮者、オルガン奏者を務めていた友人のフランツ・クサーバー・グルーバー(Franz Xaver Gruber)氏に、その詩に曲を付けてほしいと依頼。「きよしこの夜」は1818年12月24日、オーベルンドルフ村のつましい礼拝堂に集まった、信者である労働者とその家族たちの前で初めて演奏された。
 それから40年近くが過ぎた1854年、グルーバー氏は「きよしこの夜」の起源について記した著書の中で、この歌を初めて演奏した時、礼拝の参列者たちは皆この歌を受け入れてくれたと回想している。
 その後、「きよしこの夜」は「ライネルシンガーズ(Rainer Singers)」や「シュトラッセルシブリングス(Strasser Siblings)」という移動楽団がレパートリーに加え、欧州各地や米国などで披露したことから、オーストリア国外でも知られるようになった。
 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)は24日にオーベルンドルフ村で開かれる200年記念礼拝には出席できないにしても、好きなクリスマスキャロルは「きよしこの夜」だと公言している。
 観光所長のコンラート氏によれば、今年は訪問先にオーベルンドルフ村を組み込んだツアーも多く、スリランカや日本からの訪問客がいたという。【翻訳編集】 AFPBB News」(
ここより)

「きよしこの夜」については、7年前にサラ・ブライトマンの歌で挙げた(ここ)。
今日は日本語訳の歌を聞いてみよう。
これは東京合唱協会と東京レディースオーケストラの演奏である。前奏が1分以上あるが、自分の持っている音源の中で最も厳(おごそ)かな感じがする。

<東京合唱協会の「きよしこの夜」>

「きよしこの夜」
  作詞:由木 康

きよしこの夜 星は光り
救いの御子は まぶねの中に
眠りたもう いとやすく

きよしこの夜 御告げ受けし
牧人たちは 御子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて

きよしこの夜 御子の笑みに
恵みの御世の 明日の光
輝けり ほがらかに

クリスマスと聞くと、まずこの歌を思い出す。そのクリスマスは、欧米では非常に重要な行事らしい。
準現役時代に外資系の会社と付き合ったことがあった。クリスマスシーズンになると、その会社の外人のエライ人は、皆本国に帰ってしまった。それで発注などの決済が完全にストップしてしまったことを思い出した。それらも過去の話・・・

さて、そんな時期の日本。連日ゴーンさんの逮捕の話がニュースをにぎわしている。
世界の潮流に乗り遅れた日本の人質司法制度が見直される良い機会なのかも知れない。

このところ、いっとき花火の音が聞こえる。立川の昭和記念公園で22日~25日の19時になると5分間だけ花火を打ち上げるという。
クリスマスと花火。何かヘンだが、18年ももうすぐ終わる。

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2018年12月23日 (日)

平成最後の天皇誕生日~天皇陛下の会見の全文

今日は、平成最後の天皇誕生日。来年からは変わる。
今日の一般参賀は、82,850人と、昭和も含めて過去最多の人出になったという。
ここによると、昨年(H29年)までの平成の平均は22,000人。最低はH9年の9280人)

テレビに、20日に行われた記者会見の模様が映し出され、今朝の新聞に、その全文が掲載されていた。心を打つお言葉なので、改めて読んでみよう。

「この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が一日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。
 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。
 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。
 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。
 第2次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。
 しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。
 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。
 それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。
 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。
 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。
 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。
 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。
 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。
 そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。
 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
 天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います。
 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。
 今年もあと僅(わず)かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。」(
2018/12/23付「朝日新聞」p28より)

何度か言葉を詰まらせたと言うが、平成の30年を振り返っての、心に響く言葉の数々。歴史に残るお言葉(名演説)になるのではないか。何よりもそのスタンス・・・。
別に自分は天皇に対して、特異な感情を持っているわけでは無いが、いわゆる日本を代表する人たちの中で、真に国民を思っているのは天皇だけではないか、と思う。
今の首相を先頭に、言葉では「国民(沖縄)に寄り添って」などと言うが、うわべだけのウソだということは誰もが知っている。

それにしても、平成という30年を通してのキーワードは、災害であり、世界での戦争への危惧、そして皇后への感謝。何よりも、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」という言葉が重たい。つまり、今後は“戦争の無い時代”とは限らないと危惧されているように感じた。
そして「旅」という言葉が非常に印象的だった。
「私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、」「天皇としての旅を終えようとしている今」「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり」等々。

何度読んでも、心に沁みる文章である。
それに引き換え、今の権力者・政府の人たちの顔を思い出すと、あまりに愚劣。国民や沖縄を思う心は一欠片も無い。
改めて、日本人として、心の拠り所があって良かったと思う、天皇のお言葉である。

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2018年12月22日 (土)

昆虫食をどう思う?~食文化

先日の「朝日新聞にこんな記事があった。
「(社説余滴)この味わいをいかに伝えん 国際社説担当・真田正明
 歯に軽い弾力が伝わったかと思うと、プチンとかみ切れ、ほのかな甘みとナッツのような香りが口に広がる。
 タイの海辺の町で食べたセミの幼虫の天ぷらだ。まばゆい日差しのなか、衣の軽い塩味とあいまってビールにぴったりだった。
 カンボジアの遺跡のそばで食したコオロギの素揚げは、ぱりぱりと小エビの唐揚げのよう。
 この春、長野県伊那市の社会教育施設、創造館で「大昆蟲(こんちゅう)食博」を開いているという記事が目にとまった。東南アジアで食べたあの味が懐かしくなって、行ってみた。
 コオロギはもちろん、サソリ、タガメ、タランチュラなど世界から集めた昆虫とその食べ方の展示を、捧(ささげ)剛太館長の案内で見た。捧館長はすべて食べてみたと話し、試食中の写真もあった。
 アジア、アフリカなどには昆虫を食べる国も多く、日本にも昆虫食文化のある地域がある。
 伊那谷もそうだ。だから展示も地元向けかと思ったら、3月のシンポジウムには東京、大阪など遠方からも多く来たという。用意した昆虫料理はきれいになくなった。
 国連食糧農業機関(FAO)は5年前に、食糧難に備える選択肢として昆虫食の可能性を報告している。
 FAOが利点としているのは、高たんぱくでビタミン、ミネラルが豊富なこと、養殖も簡単なことなどだ。
 以来、昆虫を食べる習慣がなかった欧州や北米などで、研究や食品としての実用化が始まっている。日本でも、昆虫食の体験会や料理の研究会がじわじわ広がっている。
 将来、宇宙で長期滞在するには現地で食料を生産しなければならない。その際、昆虫は重要なたんぱく源になるという研究もある。
 そういうことなら、朝日新聞として昆虫食の意義を説く社説になるのではないか。
 論説委員室の会議で提案すると、議論はそれなりに盛り上がった。ただ興味を持つ人と拒否反応を示す人の二手に分かれるようだった。
 伊那市で買ったイナゴ、ハチの子、ざざ虫(カワゲラ、トビケラなどの幼虫)の瓶詰を開け、試食に供したが、やはり積極的に食べてみる人と見向きもしない人がいる。
 社説用の原稿は書いたが、採否を判断するデスクは、これまで誰も食指を動かさなかった。食べず嫌いの克服にはまだ少々時間がかかるのかもしれない。(さなだまさあき 国際社説担当)」(
2018/12/21付「朝日新聞」p16より)

最初に言っておくが、昆虫食など、自分は完全な拒否派。考えただけで、虫酸が走る。
そもそも、自分は昆虫は大嫌い。それを食べるなど、思考の外。
しかし、昔を思い出すと、イナゴを食べた記憶がある。小学校低学年の頃、埼玉県の与野に住んでいた。今は大都会だが、昭和30年代の初めは、ちょっと歩くと、広大な田圃が広がっていて、大きな水道タンクがそびえていた。そのそばで、イナゴ取りをした。それを家に持って帰ると、お袋がそれを布袋に入れて湯がいて、イナゴの佃煮を作った。それを食べた記憶はある。
しかしそれからの自分の長い人生、昆虫は大嫌い。怖い。

先日、息子が出張帰りに寄ったときに、5歳の孫娘の手紙を持ってきた。「食べ物で何が好きですか?」と書いてあり、カミさんが返事を書けというので、特に大好きな食べ物も無いので、「大キライなのはゲジゲジとゴキブリです」と書いたら、何の返事も反応も無く、無視された。
ゲジゲジとムカデは、自分の人生の天敵。しかしさすがにあまり見掛けない。見掛ける可能性のあるのはゴキブリ。これが出現すると、我が家の緊張感は一気に高まる。

昔、「世界残酷物語」という映画があった。記憶では、アリをむしゃむしゃ食べているシーンがあった。世界を見れば、日本人がエッ!と思う食文化はいくらでもある。まさに食は文化である。
日本の刺身も、他の国から見ると、昔はナマの魚を食べる野蛮な国と見られていたという。
最近でこそ日本料理はヘルシーと評価されているというが・・・

テレビのドキュメンタリー番組で、世界を旅しながら現地の人に歓迎されてご馳走を食べるシーンがよくある。現地の人がじっと見ているところで、日本人からするとゲテモノの料理を食べるスタッフ。どんなにイヤでも、美味しそうに食べなければいけない。これはまさに残酷物語。まあ覚悟して行っているので、仕方が無いか・・・

話は戻るが、先日、日本がIWC(国際捕鯨委員会)から脱退するというニュースが流れた。日本は国際機関から脱退してでも、商業捕鯨の復活を目指すのだという。背景には、自民党のトップ・二階幹事長の地元も、安倍首相の地元も、捕鯨とのゆかりが深い町・・・。
一方、東京の鯨料理店主はこう言っている。
「せっかく捕ってきても、食べたいと思う人が、土壌が少ないんじゃないかと思う。準備が出来ていない状態で今回のような再開に踏み切ったときに、単なる物珍しさで一時的には消費量が増えることがあっても、それが最終的に乱獲につながってしまうのではないかと懸念している。」(2018/12/20「報道ステーション」より)

大学1年の頃、大学近くの食堂で、夕食に「クジラカツ」をよく食べた。固かったが豚のカツが高価だったためだ。そんなものが、今後の日本の食文化にとってそれほど大切なものか・・・・
一部政治家の地元選挙民だけ?の食文化の意向で、89カ国が加盟する国際機関からの脱退という世界を敵に回しかねない政策。

昆虫食と聞いて、世界の食文化をつい考えてしまった。
でもまあ、自分の、そろそろ先が見えてしまった人生。イヤな物は食べない自由が欲しいな~~

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2018年12月20日 (木)

「辺野古沖埋め立て中止を ホワイトハウスへの署名10万筆に」

アメリカのホワイトハウスに、名護市辺野古沖の埋め立て中止を求める署名運動が展開されていると知り、カミさんと二人で早速署名した。
こんなことらしい。NHKサイトの記事である。

辺野古沖埋め立て中止を ホワイトハウスへの署名10万筆に
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設をめぐり、アメリカのホワイトハウスに名護市辺野古沖の埋め立て中止を求める署名が10万筆に達しました。アメリカ政府がどのような回答を出すのか、注目されます。
アメリカ政府は、ホワイトハウスのサイト上で、政府に直接請願することが可能になる署名を受け付けていて、開始から1か月で10万筆を超えれば、政府が何らかの回答をすることになっています。
こうした中、沖縄にルーツがあるアメリカ在住の男性が、普天間基地の名護市辺野古沖への移設に向けて先週から始まった土砂の投入について、来年2月に行われる埋め立ての賛否を問う県民投票まで止めるよう求める署名集めを今月8日から始めました。
男性は「日本政府と米軍は、沖縄県民の民主的な意思を無視してきた」として署名を呼びかけていて、開始から10日がたった18日、10万筆を超えました。
その後も署名は増え続けていて、19日午後5時までに12万6000筆を超える署名が集まっています。
これを受けて、日本政府と連携して移設計画を進める考えを繰り返してきたアメリカ政府が、どのような回答をするのか注目されます。
署名を呼びかけた1人の那覇市の山田マドカさんは「どれだけ反対を叫んでも土砂投入が強行された中で、これなら自分たちも声を上げられるという人たちが署名をしているのだと思う」と話しています。」(
2018/12/19付 NHKサイトここより)

この運動を知ったきっかけは、今朝(2018/12/20)のTV朝日の「モーニングショー」。
モデルのローラさんが、インスタグラムで辺野古工事停止の署名を呼び掛けたという。
「We the people Okinawa で検索してみて。美しい沖縄の埋め立てをみんなの声が集まれば止めることができるかもしれないの。名前とアドレスを登録するだけでできちゃうから、ホワイトハウスにこの声を届けよう」と。

181220henoko1 181220henoko2 181220henoko3

自分は、失礼ながらローラさんという人も知らないし、インスタグラムというSNSも知らない。それで、この運動について色々とググってみると、(ここ)のサイトが詳しい。メディアでの報道もリンクされている。

それによると、嘆願の本文の和訳は下記。
「我ら人民は、連邦政府にたいし、下記について新たな政府方針を提示することを求めます。

沖縄で県民投票がなされるまで辺野古・大浦湾の埋め立て停止を
      2018年12月8日にR.Kが作成

トランプ大統領:民主的な県民投票がなされるまで、沖縄での埋め立て作業を停止してください。今年、沖縄の人びとは、辺野古・大浦湾での建設工事を停止するという前提の下、圧倒的な支持により玉城デニーを知事に選出しました。この湾は、沖縄の生態系の重要な一部です。しかし、日本政府ならびに在日米軍は、玉城知事や沖縄の人びとの意思を無視してきました。不可逆的な建設工事が12月14日(日本標準時)に開始を予定されています。この実施を容認すれば、沖縄県民の反米感情は確実に高まり、米国と沖縄の関係は永久に損なわれるでしょう。民主主義を優先し、工事の停止を命じてください。沖縄の人びとに、アメリカが真に尊敬に値する偉大な国であることを示してください。」

署名の仕方は、沖縄タイムスが(ここ)で伝えている。

上の詳しいサイト(ここ)から引用すると、ホワイトハウスの(ここ)にアクセスして、
181220henoko4 ①Sign Now(いますぐ署名)ボタンをクリックして、入力画面になったらそれぞれの所定の入力欄にFirst Name(名)、Last Name(姓)とEmail Address(メールアドレス)を入力し、

②再度画面下のSign Nowボタンをクリックします(※但し、PCでは必要事項を入力後一回だけクリックすれば済みます)。

③入力したメールアドレスに、本人確認(認証)のメールが届くので、そのメールにある最初の青字のリンク”Confirm your signature by clicking here.”(ここをクリックして署名を確認)をクリックして、本人確認を完了すると、署名が登録されたことを確認する「画面」が表示されます。

※注:Sign Nowをクリックするだけでは署名したことになりません。必ず届いたメールの”Confirm your signature by clicking here.”(ここをクリックして署名を確認)をクリックして、署名登録完了画面が表示されるのを確認してください。最初の確認メールが「受信」フォルダに届いていない場合は、「迷惑メール」フォルダを確認してみてください。次の「画面」が表示されます。尚、黄緑のフォント部分には以下のことが書かれています。
(下記請願の署名が完了しました。あなたの署名は認証され、かつ、計上されました。)

自分の場合、迷惑メール対策として日本から以外は拒否(「DATEに+0900を含まなければ拒否」)という設定をしているので、迷惑メールに着信した。カミさんのメールは直接着信。それが瞬時に届く。そして、このメールに記されていたアイコンを叩いて終了。

今ホワイトハウスのサイトを覗いてみたら14万件を超えた。
先のTV朝日の番組で、玉川さんが言っていた。
「日本の政府は聞く耳を持たない。沖縄の人たちが選挙の結果としてNOと言っている。日本政府はこの件に対して誰も聞く耳を持たない。あとはアメリカ政府に直接働きかけることしか無い。アメリカが止めると言えば、日本は直ぐに止める。この件に対して日本政府は主体性が無いんだから・・・」

トランプ暴走で、今までに無く世界から懸念されているアメリカ。でも、日本というポチを御するには、飼い主(アメリカ)に訴えるしか、もう方法は無いのかも・・・。
この調子なら、来年1月7日の締め切りまでに、20万から30万に届くかも知れない。
我が家で登録したアドレスにも、ホワイトハウスから直接返事のメールが来るという。
何と返事が来るのか、楽しみにしましょう。

「日本政府のことなので、アメリカ政府としては“コメントを差し控え”させて頂きます」なんて来たら、米製品の不買運動でも始める!?

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2018年12月19日 (水)

「創作四字熟語」2018

昨日(2018/12/18)の「朝日新聞」の「天声人語」。いよいよ年末か・・・
「この世は有為転変、常に激しく変化するとは言うものの、これほどの異常が続くとは。まさに「雨威天変(ういてんぺん)」の豪雨や台風に襲われた。地震が大停電をもたらした北海道にとっては、疑心暗鬼ならぬ「地震暗来(じしんあんき)」。住友生命が募った創作四字熟語で1年を振り返る▼災害級の暑さに対策を、と何度聞いたことか。「対処猛暑(たいしょもうしょ)」は温暖化対策など大所高所からも考えたい。ボランティアの尾畠春夫さんが、暗中模索に陥った迷子捜しを解決。「山中子索(さんちゅうこさく)」のお手柄だった▼こちらは迷子ではなく逃げる方。刑務所や警察署から脱走し、東奔西走ならぬ「逃奔世騒(とうほんせいそう)」の男たちが相次いだ。世を騒がせたのはスポーツ界のパワハラも同じ。自然の気圧配置はどうにもならぬが「威圧廃止(いあつはいし)」は徹底してほしい▼「朝米歩会(ちょうべいぼかい)」と歩み寄ったのは米国と北朝鮮の首脳。非核化へ向けた約束が朝令暮改にならないように。タイの洞窟からの救出を世界が祈った。「一心洞泰(いっしんどうたい)」で危機を乗り越えた▼全米を驚かせた力と技である。大坂なおみ選手がサーブを武器に全米オープンを制した「全米庭覇(ぜんべいていは)」。「一投両打(いっとうりょうだ)」の大谷翔平選手は投げて打って一刀両断のごとく新人王を獲得した▼熟語の応募は11月初めまで。その後の出来事で小欄も考えた。沖縄県知事選の民意に政権が暴風を吹かせる。「疾風土投(しっぷうどとう)」で土砂投入が強行された。日産トップが突然逮捕された事件は、社内クーデター説も含め分からぬことが多すぎる。「車怪問題(しゃかいもんだい)」は、来年も尾を引くか。」(2018/12/18付「朝日新聞」「天声人語」より)

いやはや、相変わらず文才ならぬ“語才?”のある方の多いこと。自分などこのセンス、足下にも及ばない。
いつものように、オリジナルの住友生命のサイトを覗いてみた(ここ)。すると「2018年の優秀作品」は次の10編だという。

<「創作四字熟語」2018版優秀作品10編>
「猛夏襲来(蒙古襲来)」(もうかしゅうらい)
7月から8月にかけて、全国的に例年を上回る暑さとなり、多くの熱中症患者を出した。

台量発生(大量発生)」(たいりょうはっせい)
今年は台風が多く発生し、次々と日本列島に襲いかかった。

地震暗来(疑心暗鬼)」(じしんあんき)
北海道で大きな地震の後、ブラックアウトという前代未聞の停電がやって来た。

古里悩税(ふるさと納税)」(ふるさとのうぜい)
総務大臣がふるさと納税の見直しを表明。高額な返礼品などの規制に自治体は苦悩している。

豊洲始場(豊洲市場)」(とよすしじょう)
築地から豊洲へついに移転、新たな日本の台所の歴史が始まった。

朝米歩会(朝令暮改)」(ちょうべいぼかい)
史上初の米国・北朝鮮の首脳会議を開催。両国が歩み寄って会談につながった。

一蹴懸命(一生懸命)」(いっしゅうけんめい)
サッカーW杯での日本代表選手たちの必死な頑張りに心うたれた。

金農感謝(勤労感謝)」(きんのうかんしゃ)
夏の甲子園、金農ナインに感謝の声が続出。

威圧廃止(気圧配置)」(いあつはいし)
あっちでもこっちでもパワハラ問題続出。パワハラはいけません!

顔出鬼没(神出鬼没)」(がんしゅつきぼつ)
ひょっこりはんが大ブレイク。

なるほど、と思うのもあれば、付いて行けないのもある。
入選40作品(ここ)の方がピンとくる物もあるが、まあ仕方が無い。

しかし、選者のコメント(ここ)も、天声人語と同じく、四字熟語をちりばめての評。これも文才が無いと書けない。

しかし、これらの作品を眺めていると、今年も色々あったなと思う。それが悪い話ばかり。これから生きていく若い世代は、本当に大変だと思う。
悪い話は、心を蝕み、身体の健康を蝕む。
政治の世界も、スポーツのパワハラの世界も、そして医学部の話など、「もうニュースなど見たくない」と思うこの頃だが、世界的に見て、この悪い流れが止まるとも思えない。
こんなウィットを眺めながらも、こんな世の中にしてしまって、子どもたちに本当に申し訳ない、と思うこの1年の世相である。

●メモ:カウント~1180万

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2018年12月17日 (月)

「母とブラジャー」~全亭協の「三原則」

だいぶ前の記事だが、朝日新聞にこんな話があった。
「(ひととき)母とブラジャー
 カタログ注文したブラジャー、商品番号をまちがえたのか、届いたのは何と鮮やかなピンク色。返品は面倒だし、外からは見えないし、と受け取った。が、さすがにこの色は気が引け、たまに着けても、洗濯の時は目立たぬように干した。
 しかし、このまちがいのお陰で、四十数年前の母の記憶がよみがえった。
 長男出産後の里帰り中のこと。母が赤ん坊や私の洗濯物を畳みながら、私のブラジャーを胸元に広げて言った。「あんた達(たち)はこんなのがあっていいなぁ。私の頃は、夏は汗で、冬は寒さで、乳首が野良着にこすれて千切れそうやった」。確かにブラジャーは夏は汗を吸い、冬は肌着1枚分となる。母の話にうなずいた。
 用事で母の側を離れ、再び戻った時、私は笑い転げた。そこには肌着の上から私のブラジャーを着け、照れ笑いしている母が居た。
 四十数年を経て今、あの時の母に尋ねてみたい。ただのいたずらだったの? そうではなくて本当は着けたかったんでしょ? と。
 あの時、母はまだ働き盛りの50代だった。今、70歳の私がこの派手なブラジャーを着けているのを見たら、今度は母が笑い転げたに違いない。(大分県 主婦 70歳)」(
2018/09/14付「朝日新聞」P19より)

こんな記事を思い出したのも、今日行ったサンキ(多摩ニュータウン店)で、大規模なブラジャー売り場を目にしたから。
たまに行くコストコ(多摩境店)。その帰りはお決まりのサンキに寄る。ここはウチのカミさんお気に入りの洋品店。自分も下着類はよくここで買う。
非常に大きな店だが、今日は入口から延々と続くブラジャー売り場に気付いた。いつもはあまり気にしていないが、店の中をカミさんを探してウロウロしていたとき、ブラジャーのあまりの多様さに、改めてビックリ。数百円からある。これなら女性は大いに楽しめるのだろう。

思い出すと、確かにお袋の世代は、これは無かったのでは?子どもの時に、洗濯物でブラジャーが干してあったのは思い出せない。見たのは結婚した後。
考えてみると、結婚して異性と住み出すと、色々な発見があった。自分は男3人兄弟だったので、およそ女性を知らなかった。未だにカミさんにバカにされているのが、「あなたは女性はワキ毛が生えないと思っていたんだから」というセリフ。「だって映画やTVで、女性は生えていないじゃないか・・・」と反論しても空しい・・・!?

自分の“思い込みの女性像”が見事に崩れたのは新婚1週間目のころ。確か新婚旅行の写真の整理のことで、「ギャー!!!」と言い返されて、お口あんぐり・・・
「エッ?女性って、こんなに怒鳴ることがあるの!?????」
自分の女性像がひっくり返った瞬間だった。

ふと、「勝たない 勝てない 勝ちたくない」の3原則を思い出した。
「夫婦ゲンカの極意「勝たない。勝てない。勝ちたくない。」」(ここ)という記事を書いたのが10年前のことだった。
それ以来、この3原則を胸に、ただただ平安を求めて生きてきた(つもり)。
いったん結婚すると、つくづく男は弱い存在だと思う。改めて10年前の記事を読んでみたが、自分はまだまだ修行が足りないと思った。
最近のカミさんとのトラブルも、自分が「勝たない 勝てない 勝ちたくない」を実践していれば、どれだけ避けられたか・・・

改めて「全国亭主関白協会」(ここ)のサイトを覗いてみた。10年前からだいぶん進化していた。
そこに新しい「三原則」が色々載っていた(ここ)。
一言ひとこと、“なるほど”と思った。

<愛の三原則>ここ
Aino3gensoku 「ありがとう」をためらわずに言おう
「ごめんなさい」を恐れずに言おう
「愛してる」を照れずに言おう

<非勝(ひかつ)三原則>ここ
Hikatu3gensoku夫婦喧嘩はたいていの場合、「ちょっと!あなた!」から始まる。
足をもつれさせないでリビングのソファーまでたどり着くのも至難のワザだが、愛妻の「ちょっと」は2、3分ではなく1時間と心得よ。
その際、心の中で唱えるのが<非勝三原則>である。
その深い意味を理解しなければならない。

「勝たない」
話の内容を聞けば、ひょっとしてこのケンカ勝つかも知れないという思いが沸いてくることもあるだろう。しかし、反論をすれば1時間が2時間になるだけである。だから勝たない、のだ。

「勝てない」
仮にその問題が100%、亭主に分があるとしても、敵(じゃなかった愛妻)は、形勢不利とみれば20年も前の出来心の浮気を引き合いに出すに決まっているのである。だから、勝てない、のだ。

「勝ちたくない」
もし、勇気を振り絞って戦い、そのケンカに勝ったとしよう。愛妻は反省するだろうか?否、しない。次の機会にそのストレスが、5倍10倍になってはね返ってくるだけであろう。だから、勝ちたくない、のだ。

争わないことが、真の勇者であり、勝者なのだ。

<家族の絆復活三原則>ここ
Fukkatu3gensoku 「聞こうよ」
「書こうよ」
「話そうよ」

<夫婦ウル・オス三原則>ここ
Ulos3gensoku 「しゃべる」
「食べる」
「ふれる」

<いじめ防止三原則>ここ
Ijime3gensoku 亭主よ、サルからゾウへ変身だ。
「見ザル」「聞かザル「言わザル」

「見るゾウ」「聞くゾウ」「言うゾウ」

<浮気三原則>ここ
Uwaki3gensoku 「しない」
「してない」
「する気もない」
浮気に「時効」はない、と心得よ

<お返事三原則>ここ
Ohenji3gensoku 「うん」
「へぇ~」
「わかった」

<相槌三原則>ここ
Aiduchi3gensoku 「そうだね!」
「分かるよ!」
「その通り!」

<里帰り三原則>ここ
Satogaeri3gensoku 「褒めましょう」
「語りましょう」
「外食しましょう」

いやはや、「全亭協」も成長したものだ。三原則も、昔の「非勝三原則」の一つから、9つまで増えている。それだけ時間が掛かって悟りが増えたということか・・・

しかし、まだまだ世の中にはカミさんを敵に回して勝てると思っている男が居るらしい。まだまだ未熟だ。
「結婚したら最後、大量のブラジャーに押し潰されるのが男」と、だだっ広いブラジャー売り場に圧倒された今日であった。

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2018年12月13日 (木)

「企業で働くということ」元東レ経営研究所社長…佐々木常夫氏の話

先日、NHKラジオ第2で放送された「カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える 企業で働くということ」(1)元東レ経営研究所社長…佐々木常夫」(2018/12/02放送)を聞いた。
なかなか面白い話だった。
NHKの番組紹介にはこうある。
「カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える 企業で働くということ」(1)
元東レ経営研究所社長…佐々木常夫
「企業で働くということ」第1回は元、東レ経営研究所社長の佐々木常夫さん。佐々木さんは1969年に東レに入社。6度の転勤を経験し、破綻寸前の会社の再建や様々な事業改革取り組むなど第一線で仕事をしてきました。一方、家庭では自閉症の長男を含め3人の子育て、肝臓病とうつ病を発症した妻を支えるなど多難な生活を強いられました。今回は佐々木さんの経験を通して働くということの意味、仕事についてお話しいただきます。」(
ここより)

<「企業で働くということ」佐々木常夫氏の話(60分)>

この番組はNHKのサイトでも聞くことは出来るが(ここ)、その公私ともに凄まじい人生にビックリ。

Netでググってみると、たくさんの情報が検索できる。
公式HP(ここ)によると、そのプロフィールは
1812130sasaki 「1969年東大経済学部卒業、同年東レ入社。自閉症の長男を含め3人の子どもを持つ。
しばしば問題を起こす長男の世話、加えて肝臓病とうつ病を患った妻を抱え多難な家庭生活。一方、会社では大阪・東京と6度の転勤、破綻会社の再建やさまざまな事業改革など多忙を極め、そうした仕事にも全力で取り組む。
2001年、東レ同期トップで取締役となり、2003年より東レ経営研究所社長となる。
2010年(株)佐々木常夫マネージメント・リサーチ代表。・・・」

だそうだ。

そして2010年と少し古いが、「なぜそれでも「同期トップ」の役員になれたか」(ここ)という雑誌「PRESIDENT」の記事が面白かった。

「企業人として人にうらやましがられる出世を遂げた一方で、佐々木家には何度も何度も苦しみが襲いかかった。長男の自閉症、長女の自殺未遂、妻の急性肝炎をきっかけとしたうつ病、そして二度にわたる自殺未遂。佐々木は心も体も休む間もなく家事をこなし、家族を守り、責任の重くなる仕事でも人一倍の実績をあげ続けた。傍から見ると超人に見えるが、佐々木自身は「誰でも同じ立場になればできますよ」と淡々と語る。・・・」(ここより)

その実行力とエネルギーは凄まじい。とても凡人には出来ない。
詳細は上のお話を聞いて頂くとして、自ら実践した仕事上の指摘については、まさに的確。
自分も現役生であったら、どれほどの影響を受けるか・・・!

自分の平凡なサラリーマン生活を通して、氏の指摘を思うに、まず、東レという会社の懐の深さを思う。
氏は、いわゆる異端者。変わり者。出る杭・・・。それを排除せず、キチンと評価し、会社の幹部にまで昇進させた社風。なるほど、経団連会長まで排出した会社か・・・

この話の中でも言っていたが、課長になって、自分流に仕事の仕方を変えて残業を減らした。しかし、自分が転勤で居なくなると、どこも長続きせず、元の木阿弥。
それが普通の会社の姿。そんな理想を地で行った仕事ぶりでも排除されなかったのは、普通の会社では有り得ない。

氏の話に出てくる、予め目標を決めて半年ごとに見直すいわゆる「目標管理」という手法。自分も現役時代に随分とやったが、成果につながったかどうかは自信が無い。期が終わった後に自己採点で“○”を点けるため、最初から目標を低く設定する傾向があった。氏の場合は、キチンとしたディスカッションのもとで、それを許さなかったという。
そもそもこれらの手法は、部下に比べて上司の能力が高いことが前提。通常の会社は、幾ら上司だからと言って能力が高いとは言えないため、成り立たない。言われたから仕方が無くやっている、という形だけで終わっている会社がゴマンとあるだろう。

それにしても、氏の指摘はキレが良い。「そんなことを言われたって・・・」と、ついグチも出るだろうが、色々な指摘の中で、自分たちの環境にマッチするアドバイスがひとつでも見付かれば、それは儲けもの。
「今が良い」という固定概念を捨てて、氏のアドバイスが、少しでも参考になれば少なくても少しは良くなる。
氏の本の発行は160万部を超えているという。現役時代に知っていたら色々と読んだと思う。40代の管理職の人には参考になる話だと思った。

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2018年12月11日 (火)

「共感して欲しい妻」vs「理屈で返す夫」

今朝(2018/12/11)のTV朝日「羽鳥慎一モーニングショー」のショーアップ「激論“共感して欲しい妻”vs“理屈で返す夫”すれ違う男女」が気に入った。

ある夫婦のやりとりでNet上で大論争になっているとか。きっかけは、北海道に住む30代の主婦の、あるつぶやき。夕食の準備をする何気ない会話。
181211hatori01_2 「今日の店のこと旦那に「ビール250円ハイボール150円てすごくない?」と話したら「まぁそういう戦略なんでしょ?薄利多売的な」とまた知った様な浅い事を言うので「何が戦略~だよ!その値段で毎日出せること自体凄いだろ!何で、へ~すごい安いねって普通の会話ができないんだよ!」って割とキレた」2018年11月25日ここより)

このコーナー。まさに台本の無いやりとりが面白かった。
玉川「30年間、このせいでひどい目に遭ってきた。石田純一さんが、女性との会話は「うっそー」「ほんとー?」「信じられない~」の3つだけで良い、と言っていたがこれは真理。しかし、解決策を言ってしまうと、そういうことじゃ無い!って・・・」

羽鳥「“さしすせそ”があって、「さすがですね-」「信じられない」「すごいですね-」「センスいい」「そうなんですか-」をいうと盛り上がる」

181211hatori02 181211hatori03 181211hatori04

<TV朝日「共感して欲しい妻」vs「理屈で返す夫」>

番組はyoutube(ここ)に挙がっていた。9:10~9:20の時間帯。

玉川さんは30年間と言っていたが、我が家では40年以上もまさにこの連続。
しかし、どの家庭でも同じだったのだと今ごろ気が付いた。
しかもこれは人類の原理的なものなので、解決は無理だな。

我が家でいつもケンカになって言われるのが、「あなたはいったいどっちの味方なの!?」という言葉。つまり、カミさんから何か言われても、つい論理的に返事をするので、逆鱗に触れてこの言葉が返ってくる。「いや平等に考えると・・・」・・・・と言うがダメ。
なるほど、今までのケンカは、かなりの部分解せた!?

そこで、さっそく「うっそー」「ほんとー?」「信じられない~」を連発してみたが、カミさんに殴られそうになったので止めた。

この番組は、1人でそっと見て、そっと応用するのが良いな・・・
「うっそー」「ほんとー?」「信じられない~」だぞ!

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2018年12月 7日 (金)

「だいじょうぶだよ―ぼくのおばあちゃん」~長谷川和夫氏の話

先日。NHKラジオ深夜便で「明日へのことば~「実はボク、認知症になったんです。」認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長 長谷川和夫」(2018/11/28放送)(放送内容のテキストはここ)を聞いた。
精神科医の長谷川和夫氏(89)は、1974年に認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を公表した、認知症医療の第一人者だという。
その氏が、自分も認知症になったという。

<NHKラジオ深夜便「実はボク、認知症になったんです。」長谷川和夫>

このお話の中で、(29分頃)に、絵本の話をしていた。その話を、夕食後にカミさんに話したら、涙ボロボロ・・・。

「僕は最近絵本を書いたんです。
おじいさんとお孫さんとの物語で、ある日のこと食事をしている時に、おじいちゃんが「皆さんはどちらさんですか」と言ったんです。
坊やが「おじいちゃんは僕たちの事を誰も知らないと言うけれど、みんなおじいちゃんの事をよくしっているんだから心配ないよ」。「そうですか、皆さんよく知っていて下さるんですか。それだったら安心した」ということで一件落着です。
普通だったら、「しっかりして」とか、「判らなければ駄目じゃない」という事を言ってしまうが。
これは我が家の実体験です。
これが失敗したら、「私はこれから家に帰ります。タクシーを呼んで頂けますか?」となります。
「そうじゃないよ、あなたの家はここなんです」「いや私の家は別にある」とケンカになる。暴れる。
優しく接するということは大事なことです。・・・
」(ここより)

181207hasegawa1 この話は、氏が書いた絵本に書いてあるというので、絵本を探して買ってしまった。
長谷川和夫(著)、池田げんえい(イラスト)の「だいじょうぶだよ―ぼくのおばあちゃん」(ぱーそん書房)という絵本で、この10月(2018/10/1発売)に発売されたばかりの絵本だった。

181207hasegawa2 181207hasegawa3 181207hasegawa4 181207hasegawa5 181207hasegawa6 181207hasegawa7

認知症は、時間軸→空間→人の認知、という順番で悪くなって行くという。
そして、「長谷川式簡易知能評価スケール」というのがあるというので、ググってみたら(ここ)に、検査表が載っていた。
もちろん、自分は“怖い”ので試さないが、そのうちやってみようか・・・

・・・とここまで書いて、カミさんが居ないので昼食の為に居間に降りていき、テレビの画面を横目にキッチンと居間を行き来していたら、何かスリッパがヘン! 何と、メイ子が部屋の真ん中にウンチ。それをスリッパで踏んづけて部屋の中を歩き回ったので、天井の照明を点けると悲惨な光景が・・・!!
181207meiko メイ子の持病の下痢の時は、部屋に入るときに注意するが、今日は普通のウンチだったので、まったく予想していなかった。その片付けたるや、大変!
・・・と、メイ子がいつもの居場所の出窓から降りてきたので、「まだ片付けているのでダメ!」と、抱いて出窓に放り投げ?た。
やっと片付けが終わって、出窓を見ると、出窓に置いてあったクッションの上にオシッコの跡。これは初めて。メイ子がオシッコに降りてきたのを拒否したので、それで??
床のウンチは嫌がらせ、とは分かっているが、メイ子も16歳。人間で言うと80歳を超えている。いつ認知症になってもおかしくない。

考えてみると、人間の認知症の家族がいる場合は、こんなことが家の中で日常的に起き得るわけだ。
そんな状態の中で、上の絵本のように、一歩引いて大らかに考えることが出来るのかどうか・・・。自信は無い。
我が家は、両親は既に逝ってしまったので、あとは老犬だけ。
そんな老犬のウンチ騒ぎで、我が家もまだまだ“終わっていない”。そして自身の認知症は、少しでも“先に”延ばさなければ・・・と勝手に思った。

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2018年12月 5日 (水)

団塊Kさんの海外一人旅「#37ウルムチ・敦煌紀行」

団塊Kさんの海外一人旅紀行。37回目はウルムチと敦煌だったそうな・・。

<ウルムチ・敦煌日程表>
1) 2018年10月10日(水) 昭島駅(7:18分発)の電車で立川駅→川崎駅乗り換え、京浜川崎駅から、京急蒲田駅乗換え、羽田空港国際線ターミナル駅まで。(8:57分着) ターミナルINTlから、中国南方航空3086便(10:45分発)にて、広州空港へ。広州空港から、中国南方航空8980便(17:20分発)にて、ウルムチ空港のターミナル3へ(22:40分着)。タクシーにて、JHH ホテルへ。一日ツアー申し込む。

2) 10月11日(木) ウルムチ一日ツアー参加。

3) 10月12日(金) 7:30頃、タクシーにて、ウルムチ空港へ。ターミナル2から、海南航空7895便(9:00分発)で、西安空港へ(12:15分着)。ターミナル3からの中国東方航空9641便(19:55分発)にて、敦煌へ。(22:30分着)タクシーにて、敦煌ホテルへ。(敦煌飯店)、莫高窟の予約必要。一日ツアー申し込む。

4) 10月13日(土) 敦煌一日ツアー参加。

5) 10月14日(日) 市内見物。敦煌空港から、中国東方航空9642便(23:25分発)にて、西安空港ターミナル3へ。ターミナル2から、海南航空7927便(15日(月)8:35分発)にて、成田空港ターミナル2(15日(月)13:55分着)へ。

★(ここ)にオリジナル「#37ウルムチ・敦煌紀行(28頁)」(2018年10月10日~14日)のPDFを置きます。

今回は短い旅。地図で、羽田→広州→ウルムチ→西安→敦煌→西安→成田と追うと、中国大陸を大きく迂回しているように見える。羽田→北京→ウルムチ→敦煌→西安→成田なら、直線で合理的なルートだが、そこは中国、飛行機の便が無いのだろう。それとも格安航空券ゆえ??

それにしても相変わらずの“心臓”。英語の通じない中国へ、英語ほど得意では無い?中国語を携えて乗り込んでいく心臓は、相変わらずである。
しかし、やはりボラれたとのこと。でも400元が1000元にボラれても、日本円では、1元16.5円として6600円が16500円か・・・。まあ1万円の損。
しかし、行ってみてホテルの予約が入っていないのは困る。Netのこの辺が怖い所。でも何やかやあっても、そこを乗り越えるのだから、やはりベテラン。

ウルムチは知らないが、敦煌はお馴染みの場所だ。自分も、NHKの「シルクロード」というドキュメンタリー番組以来、行った事は無いが良く見る光景。でもやはり、莫高窟の内部は撮影禁止だとか。
莫高窟は、日本からの観光客も多いと聞く。日本からのツアーなら、案内もちゃんと日本語で聞けるのだろうが・・・

65歳から75歳は“ゴールデンエイジ”と言われることもあるという。Kさんには、少なくてもあと3~4年は頑張って旅をして貰おう!?

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2018年12月 2日 (日)

和式トイレの出荷は0.7%

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
和式トイレ、なぜ残った? 背景に「きれい好き」の願い
 トイレは和式派ですか? 洋式派ですか? 私は洋式派です。公共トイレが目に見えて洋式化していく一方、いまだ和式が残る場所もあり不思議に感じていました。
181202toire  TOTOによると、2015年の和式の出荷比率は0.7%。和式は洋式に比べ周りに尿や便が飛び散りやすい形のため、便器の周りの床のアンモニア付着量が、和式は洋式の10倍以上あったそうです。
 さらに菌は水分があると繁殖するため、水をまくと逆効果だそうです。TOTOの調べでは、水をまく清掃方法の和式と、モップなどの水をまかない清掃方法の洋式を比べると、菌の数に大きな違いが出ました。和式の便器周辺の大腸菌の数が、洋式の160倍以上もありました。
 社としてもユニバーサルデザインである洋式を薦めている中、なぜ和式の需要があるのでしょうか。広報担当者によると、家では洋式でも外では和式という人がいるようです。「不特定多数の人が座った便器に触れるのが嫌」というのが、その理由だということです。
 和式派の方に会いに行くと、少数派であることはわかっているものの、せめてトイレに1つだけでも残してもらえないか、という複雑な思いを聞くことができました。withnewsで記事が出ると、想像した以上の和式派の方からの意見がありました。飛び散らない革新的な和式トイレ、開発されないでしょうか。

 和式派の言葉「お尻を洗うノズル、結構汚れてるよ」が頭を離れません。(名古屋報道センター・山下奈緒子)」(2018/12/01付「朝日新聞」夕刊p3より)

2015年の和式の出荷比率は0.7%だという。これを多いと思うか、少ないと思うか・・・
設置率では無いので、まあこんなものかと思う。色々な施設に行くと、個室がたくさんある所では、ひとつ位和式がある。これは良いこと。しかし、トイレで個室待ちの列があっても、空いている部屋がある。それは和式で、誰も入ろうとしない。それだけ、和式は敬遠されているらしい。
しかし、駅のトイレは、結構和式が多い。これは単に設備が古い事によるのか、それとも、上の記事にあるように、菌を気にした結果か・・・

昔、実家のトイレをお袋が強引に洋式に改築したことがあった。実家のトイレは、男子用と女子用(和式)の二つの部屋があった。親父は反対したらしいが、お袋は、体が大変と、強引に男子用個室を洋式トイレに改造した。大正生まれの親父は洋式に抵抗があったのだろうが、お袋にはかなわなかった。

自分の歴史を振り返ると、入社したときに入った1970年に建てられた独身寮は、全てが和式だった。しかし数年後に入った公団住宅は、もちろん洋式。それ以来、家を作った時は、全て洋式。
でも、上の記事のように、やはり清潔感からすると、洋式は少し気になる。
よって、自分はズボンを下げる幅を少くして、太ももと便座の間にズボンをはさむようにして、なるべく肌が便器に接しないようにしている。

181202benza 話は変わるが、(ここ)によると、一般世帯での温水洗浄便座の普及率は80%で、100世帯当たりの保有数量は100台を突破しているのだそうだ。
前に「海外で普及しない洗浄便座の理由」(ここ)という記事を書いたが、毎日何度もお世話になるトイレ。海外旅行先でのトイレを思い出しても、つくずく日本に生まれて良かったと思うトイレ事情ではある。

(2018/12/03追)~女性&女児の男親 専用
先日、カミさんが女子会で仕入れてきた情報。「目からウロコ」と、友だちに会う毎に「知ってた?」と話題にしているとか・・・。(男は付いて行けない!)
NHK「あさイチ 特集 すべて性ホルモンのせいだった!~女性ホルモン編~」(2017年11月13日放送より)~ご参考「女性のオシッコ、正しい拭き方」(動画はここ)&(ここ)&(ここ

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