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2018年11月 1日 (木)

「余命の告知は医師の義務か?」

先日の朝日新聞の「声」の欄に、こんな投稿があった。
「(声)余命の告知は医師の義務か
 無職 男性(東京都 80)
 がんで亡くなった患者に余命を告げなかったのは医師の告知義務違反だとして、病院が訴えられているというニュースを読んだ。遺族が、残された時間が分かっていたら一緒に温かい思い出を残せたのに、と慰謝料を求めているそうだ。
 私は重篤な病で入退院を繰り返している。余命は、あえて主治医に聞かない。よしんば数カ月先に死が迫っていても、もう少し永らえるだろうと思っていたい。先が分かってしまうと、どうやって生きていけば良いか、生き方を見つけられないような気がするのだ。
 いずれ重い病であることは分かっているから、終わりが近いことは覚悟している。私は家族に自分の考えを言い聞かせ、医師には「知りたくない」と伝えてあるので、その話題は出ない。知りたい人は自分で聞けばいいこと、と思っている。
 だから、わざわざ医師に「告知義務」を負わせる必要はないのではないか。訴訟で医師を追い詰めるべきではない、とも思う。患者の病気や死と向かい合う医師は、ただでさえ微妙な立場に置かれがちで、神経をすり減らし時間を奪われている。むしろ気の毒に思うばかりだ。」(
2018/10/31付「朝日新聞」p14より)

実にもっともな意見だと思うが、話題となった当該記事をググって読んでみた。

余命宣告なし、遺族が提訴 「医師ら説明義務違反」 大分地裁
 乳がんで今年1月に死亡した大分市の女性=当時(57)=の遺族が、余命1カ月との宣告を本人も家族も受けなかったために「余命が充実したものになるよう手厚い配慮ができなかった」などとして、通院先のアルメイダ病院(同市)を運営する市医師会と主治医に慰謝料3190万円を求めて大分地裁に提訴した。
 訴状などによると、女性は2005年ごろに乳がんを患った。09年ごろに再発して肺などに転移。通院しながら抗がん剤治療を続けていたが、今年1月26日、容体が急変して死亡した。
 急死の説明を求めた遺族と病院側の話し合いで、死亡する9日前の検診の際に主治医が「余命1カ月」と判断していたことが判明。病院側は「余命告知の義務はない」と述べたという。
 遺族側は「医師や病院には診断結果の説明義務がある」と強調。医師らは余命宣告の告知を検討するために家族との接触も図っておらず「診療契約に付随する家族への告知義務に違反した」と主張している。これにより、家族一緒の時間を多く設けるなどの配慮ができなかったとしている。
 病院側代理人は「具体的な内容は訴訟の中で主張していきたい」としている。
   ◇    ◇
宣告後に自殺の例も 医療現場難しい対応
 余命宣告を巡っては、最高裁が医師には患者やその家族への告知義務があると認める一方、病気の告知を受けた患者が自殺した例もあり、医療現場は難しい判断を迫られている。
 最高裁は2002年、余命1年のがんと診断したのに患者や家族に余命宣告しなかった医師について、「告知が適当だと判断した場合、診断結果を説明しなければならない」と告知義務違反があったと認定した。
 他方、がんの告知を受けて自殺した男性患者の遺族が「医師の配慮が欠けていた」として主治医らを相手取り、損害賠償を求めて提訴したケースも。余命宣告を受けて仕事や財産を整理したのに、余命を超えて長く生きていると戸惑う人もいる。
 終末期医療に詳しい「にのさかクリニック」(福岡市)の二ノ坂保喜院長によると、余命宣告は同様の病状で亡くなった人たちの統計データなどに基づくもので、患者個々の余命を断定することはできないという。「余命宣告との向き合い方は患者によって違う。医師が本人への宣告の有無や方法について最善の選択をするには患者との信頼関係が重要であり、その上で、個々のケースで判断するしかない」と話している。」(
2018/10/23付「西日本新聞」朝刊ここより)

第一印象は“乱暴な訴えだな”と思ったが、記事の中の「医師らは余命宣告の告知を検討するために家族との接触も図っておらず」というのが気になった。
乳がんの再発から10年もの間、治療を受けていながら、病気の重大性について、医師と本人及び家族の間でどのような話が為されていたのだろう?
幾ら「余命」という言葉は使わなくても、普通は、検査結果を聞くときなどに、病状の説明でそれは分かるもの。
医師が「余命」という“残酷な言葉”を避けるのも分かる。それは聞きたくない人も居るから。それに、上の記事にもあるように、「余命」は単なる統計上の推察の数字で、本人にあてはまるかどうかは不明だから。
よって、自分は余命宣告が医師の義務とは思っていない。必要ならば、医師に聞けば良いだけの話。医師は、隠す理由もない。

義姉の胃がんのときも(ここ)、母の老衰の時も(ここ)、家族の間で「余命」という言葉は出なかった。
「手遅れの胃がん」という言葉はあった。しかし、医師も含めて誰も「余命」という言葉は使わず、がんが見付かってから半年で義姉は逝った。その間、誰もが「少しでも永く」と思いつつも、「いつまで」は心の中にしまった。
母の時も、聞けば医師が答えてくれるだろうと思いつつも、家族の誰も聞かなかった。知りたくなかった。
そんなナイーブなことを、裁判の場で争うのだという。

話は変わるが、ある友人は、脳の手術を近くの大学病院で受けた。ある友人のカミさんは、乳がんを築地のがんセンター病院で受けた。
重大な病気になったときに、どんな病院に行くかを、最近カミさんと話す。もちろん結論は出ない。義姉の胃がんが見つかった時、近くのがん専門病院に行こうと思ったが、受診できるのは数か月先、と言われてあきらめたと聞いた。
要は主治医であり、病院名では無いという。しかし、専門病院の方が、安心出来る気もする。しかし、いかんせん遠い。通院が大変。特に病状が悪化してからの通院を考えると、迷う。
一方、余程の難病でも無い限り、がんなどは標準治療が決まっていて、病院によってあまり変わらないとも聞く。

おっと話を「余命」に戻す。カミさんは絶対に「余命」を知って、きちっと身辺整理をするのだという。一方、自分は聞きたくない。それは自然に分かること。医師の病状説明の言葉からそれを何となく知って、必要があれば動く。それは日常的な心構えの問題だろうと思う。
人間、いつかは必ず死ぬのだから・・・。

待てよ!? 心臓や脳の突然死も考えると、いつ死んでもおかしくない・・・
すると、まだまだ身辺整理が足りないな・・・・。
ふと、都合良く“我が家の家訓”を思い出した。そうだ。「臭いものには蓋」だった。
後で考えよう~っと!?


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コメント

 エムズの片割れさま

   こんばんは
     ご無沙汰いたしております

  (がんで亡くなった患者に余命を告げなかったのは
  医師の告知義務違反だとして 病院が訴えられているという)


   様々な訴訟があるのですね

  エムズの片割れさまの思い

 (自分は余命宣告が医師の義務とは思っていない 
   必要ならば医師に聞けば良いだけの話)


    全く同感です

  この家族は 患者さんに誠心誠意の配慮をしてこなかった 
  その後悔の気持ちを 自分に向けず 
    逆に医師を責めている

    そう 感じています


    よく ある話です


  僕は 余命を聞かれても 悪いという事実  は話しますが 
   余命は 神のみぞ知る と答えています

    ほんとうに命の火が消えるまで 
     いろんな経過があります


  これは 裏話ですが  
   余命3ケ月 6ケ月というと 
  患者さん そうしないといけないような気になって 
   死に急がれるのではーーー 
   などと 話すこともあります


  僕は 癌の告知にしても 家族から話します  
  本人へは  患者の精神状態 日頃の考え方などを
  把握してから 云ってもよいと判断してからの告知となります  

  高次施設への紹介を必要とする際は 僕の告知はしません
   高次施設の精査 説明に委ねます

投稿: 能勢の赤ひげ | 2018年11月 9日 (金) 22:43

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