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2018年10月11日 (木)

佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻 読破のスタート

本日、佐伯泰英の「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻を読破すべく、スタートした。
そもそもblogというのはメモ&日記。「あれは何時だったかな?」と思い出すときに、ここに書いておくと便利なのであ~る。

先日、藤沢周平を読み終わって分かったことは、時代小説は面白い。しかし歴史小説は難しい・・・。
さて次に、何を読もうかな? 改めて“積ん読”してある「カラマーゾフの兄弟」を読むか・・・?でも少し気が重いな・・・。
181011inemuri ま、その前に、前に兄貴のところに行ったときに「これは面白くて直ぐに読めるから」と強引に持って帰らされた本を先に片付けようかと思った。それが佐伯泰英の「居眠り磐音 江戸双紙」という文庫本。中古で買ったらしく320円という値札が貼ったまま。

それを今朝読み始めたのだが、これが面白い。まさにスラスラ読めてしまう。「今何ページかな?」と全く思わない。重い本はページ数を気にしながら、「やっと半分読んだ!」と自分に叱咤激励しながら読む。しかし、この本は違った。
さっき、今日だけでこの本を読み終えたが、途中で「いったい佐伯泰英とは何物?」「居眠り磐音 江戸双紙シリーズとは?」とNetで調べた。
そこで初めて知ったのだが、「2002年4月に第1巻『陽炎ノ辻』を発売して以降、年間3~4冊ペースでシリーズ新刊を刊行してきた時代小説「居眠り磐音 江戸双紙(いねむりいわね えどぞうし)」。刊行開始から15年が経ち、2016年1月4日(月)に同時発売される第50巻『竹屋ノ渡』と、第51巻『旅立ノ朝』をもって遂に完結を迎える。
悪を斬り捨てる主人公・坂崎磐音の剣さばきに加え、江戸市井の人々との心温まる交流、胸をしめつける男女の機微などを、絶妙に絡めた時代小説。目の肥えたファンからも圧倒的な支持を獲得し、シリーズ累計は2,000万部を突破する大ベストセラーとなっている。」(
ここ)とのこと。

確かに本屋では佐伯泰英の本が平積みしてあるのは知っていたが、読もうとは思わなかった。しかし自分は根っからの「ミーハー」。2000万部の大ベストセラーと聞くと触手が動く。それで、次はこの全巻を読んでみるか、という気になったわけ。(ちなみにwikiによると、シリーズ作品では、山岡荘八の「徳川家康」は3000万部、池波正太郎の「鬼平犯科帳」は2440万部とのこと)
時代小説が好きな弟に聞くと「50巻以上の長い小説で、スイスイ読める」という。この本はオムニバス物ではなく、長編小説で、順番に読む必要があるらしい。
昔(1979年)、山岡荘八の「徳川家康」を読んだとき、26巻で“世界一の長編小説”と何かで聞いたことがあったが、全51巻だと、このシリーズが世界一!?

さて、どうやって本を手に入れる? 先日の藤沢周平では、図書館で充分。と思った。しかし今回は心変わり。中古の全51冊+読本2冊というのがオークションにたくさん出ている。なるほど、シリーズで順番に買って読んで、読み終わったものが出品されているらしい。藤沢周平全作品群とは違う。それで今度は、中古本を買うことにした。
理由は、やはり図書館の本は汚い事。そしてこうスラスラ読めてしまうと、図書館に通うのが面倒・・・・。

まだ1冊目を読んだだけだが、藤沢周平と扱うテーマは同じだが、やはり違う。藤沢周平の作品は、読み終わった後に、ジーンと何かが残る。しかし佐伯泰英作品は、スカッとしてオシマイ。
実は、今自分が欲しているのは、むしろそんな本。難しい一語一語たどる本は、老体の自分には楽しめない。疲れる。連続TVドラマを見なくなった理由もそこにある。人物相関を理解するのが面倒・・・
まあ小説も同じなのだが、初めて読んだ佐伯泰英は、とにかく軽く、何も残らないのが良い。時間潰しにはもってこい(失礼)なのだ。

「佐伯泰英「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻を読み終わった」という記事が何時書けるのかは分からないが、いつ読み始めたかをメモする意味でここに書いておく。
相変わらずの、メモblogではある。

(2018/10/14追)
昨日、「居眠り磐音 江戸双紙」全51巻+2巻を手に入れて読み出した。まず読んだのが、24巻の後に出された「居眠り磐音 江戸双紙 読本」。これが面白い。編集部が、それまでの物語をベースに、地図や登場人物、用語集、主人公の年表などを集めたもので、この小説の基礎知識が良く分かる。その中に筆者の、特別エッセイ「わが時代小説論」というのがあり、その最後にこんな一文があった。
「私が文庫書き下ろし時代小説に手を付けたとき、バブル崩壊後の閉塞感に日本中が苛まれておりました。
 私は、
「一時の慰めの物語を、読後が爽快な読み物を書こう」
 と誓いました。
 そのとき、明らかに私を突き動かしていたのは戦後の娯楽映画と貸本体験です。
 読書とは、なにも世界の名作を読むことだけが知的刺激をもたらし、肥やしになるのではありません。そのとき、読みたいものを読む。一冊読めば、その本がさらに次なる本へと導いてくれます。出来るだけ若いうちに活字に接し、読書の習慣を身に付けるべきです。これが大事かと思います。
 ともあれ、私が書く時代小説は、貸本がそうであったように消耗品文学です。それはそれでよしとしました。消耗品ならば量産しなければなりません。
 「月刊佐伯」と揶揄される所以です。
 それでもこつこつと腕を振るう職人の心意気を鑑に読み物を今後も書き続けていきます。」
(「居眠り磐音 江戸双紙 読本」p311より)

自分が初めて佐伯文学に接して感じたものが、まさに作者の「読後が爽快な読み物」「消耗品文学」というスタンスを聞いて納得した。
そして、もしこの小説の1巻を読んで、「次も読むぞ!」と思われる方が居られれば、この「読本」を次に読むことをお勧めしたい。
自分にとって、“次を読みたくてワクワクする”珍しい小説である。


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