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2018年9月16日 (日)

「この子を残して」~永井隆の話

先日、NHKラジオで「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 声でつづる昭和人物史~永井隆」(2018/08/27放送)を聞いた。
この音声は、昭和25(1950)年8月9日の「朝の訪問」という番組の録音だという。当時、永井42歳、死の9ヶ月前だったという。

<NHKラジオ「声でつづる昭和人物史~永井隆」より>

藤山一郎が歌う「長崎の鐘」は、子どもの頃から良く知っていた歌(ここ)。
しかし、その背景についてはほとんど知らなかったが、今回、永井博士の実際の声を聞いて、著書「この子を残して」(ここ)を読む気になった。

図書館で借りてきた「この子を残して」は、2015年発行だったが、あまり借りている人がいないせいか、まだ新しかった。
テーマとして、孤児、キリストについての記述が多い。その中で、気になった言葉を引いてみる。
「日本は殺生は嫌いだと言ってねずみも殺さぬ人が多いが、死線にさまよう人間の子をかえりみる人はそれより多かったであろうか? 生き物をかわいがると言って、ねこを二匹も飼っている人は多いが、その人びとは、ねこよりさきに人間の子の宿無しを思ったであろうか?……ねずみよりも手軽にあつかわれる人の子の生命、ねこよりもかわいがられぬ人の子?――ただ両親がおらぬというだけのことで……。
 そして住むに家なく街にさまよえば、目ざわりになるとて嫌われ、やっかい者だとて冷たい目で見られ、働けば、ヤミ行為だとて追われ、あげくの果ては、ならず者仲間と共に狩られ、捕らえられ、取り調べられ、いやおうなしに収容所へ入れられる。
 ――これではいくら素直な少年であっても、純真な少女であっても、悪くならずにはおられぬではないか?」
(永井隆著「この子を残して」p48より)

「ろうそくが短くなると、いまにも消えるか? とそのほうにばかり気を取られ、仕事の手につかぬ人がいる。いくら心配したって寿命は延びないのに――。」

「いちばん欲しいものは――時間。
 その惜しくて惜しくてたまらぬ時間を、善意の訪問客に横領される。」(
同p105より)

「死んでから神から審判を受ける。そのとき問題になるのは、生きていた間に「何をしたか?」ではなくて「いかにしたか?」である。「だれの子であったか?」は問われない。「子としていかに親に仕えたか?」が問われる。「職業は何であったか?」はまったく問われないで、「自分の職業をいかに勤めたか?」が問われる。天国へ行ってからは、この世での身分の高かったこと低かったこと、賢かったこと愚かだったこと、強かったこと弱かったこと……は、消えてしまっている。」(同p186より)

永井博士は、もうすぐ自分が死に、二人の子どもが孤児になることが分かっている。よって、その頃の孤児について、考えている。当時、誠一14歳、茅乃(かやの)8歳。

話は飛ぶが、現在の孤児の収容施設について、wikiで引いてみると、こんな状況らしい。
「児童養護施設~wikiより
・・・厚生労働省「社会福祉施設等調査」では、2014年10月1日現在、児童養護施設は590施設、入所定員は33,008人、在所児(者)数は27,468人(在所率83.2%)である。施設では児童指導員や保育士等が働いており、職員数は16,672人。
厚生労働省「児童養護施設入所児童等調査」では、2013年2月1日現在、入所児童の平均年齢は11.2歳、平均入所期間は4.9年である。2016年度の総施設数は615となっており、うち公立は37に対し、私立は578となっている。
以前は「孤児院」と呼ばれていたが、現在はむしろ孤児は少なく、親はいるが養育不可能になったため預けられている場合が圧倒的に多い。中でも、虐待のため実の親から離れて生活をせざるを得なくなった児童の割合は年々増加している(2013年2月の調査では59.5%)。
日本では社会的養護の子どもたちの90%が施設で、10%が里親等という形であるが、これは世界的にも先進国の中では、ややいびつな形で児童の権利条約の原則からも外れ、権利委員会からも指摘をされているところである。・・・」

著書と同時に、映画もあるとのことで、DVDを借りて見てみた。随筆である著書がどのような映画になるのかと思って見たが、永井博士の死までの物語だった。
映画「この子を残して」(ここ)は木下惠介監督で、1983年に公開されたというので、まだ新しい。脚本は、山田太一と木下惠介。音楽は木下忠司。

その映画の中で気になったセリフ。淡島千景扮するお婆さんのこんな言葉があった。
「ばってん、我慢しとりましたが、言いたか事がもひとつあるとです。緑も静子も私の娘たい。そん娘は神に召されて天国にいったとじゃあありません。犠牲の仔羊じゃありません。原爆に殺されたとです。負け戦を承知で戦争ば止めなかった奴らに殺されたとです。何もかんも遅すぎたとです。そんために、7万人もの人が死んで、7万人以上の人が焼けただれて、何が平和のための犠牲なもんですか。そいやったら、なぜ罪もなか子どもまであんなむごい殺し方をするとですか・・・」

そして、編集者とのこんな会話。
「なしてそんげんお書きになるとですか?」
「食うためばい。婆さんと2人の子供、どげんして食うていったらよかか。いくら書いても進駐軍の検閲が厳しくて、まだ1冊も本になっておらん。1銭も入っておらんばい。ばってんいつか本なって、世の中に出て、長崎の心、原爆にやられた者の心ば知ってもらいたか。そういうと偉そうに聞こえるが、本心は金たい。金ば残していきたか。・・・」

本には無かったが、映画のこんなセリフが永井博士の本音を語っているようで面白い。まさに残された子どもに残しておきたいのはお金。しかも、印税のような日々入ってくれるお金は子どもの将来にとって有り難い。
孤児も、お金が無いと、幾ら親戚に預けられても死に至ることは、野坂昭如の「火垂るの墓」でも語られている。
その点、永井博士の著書は、ベストセラーになったというので、良かった。
wikiによると、長男・誠一氏は時事通信社で定年まで勤め、2001年に死去。次女・茅乃さんは、2008年に死去。どちらも60歳台の死だったらしい。誠一氏には、一男一女、茅乃さんは一女がいたとのこと。 

この映画「この子を残して」のラストシーンでは、原爆で焼けただれて逃げ惑う人々の姿が描かれていた。そのバックに流れていたのが、峠三吉の「にんげんをかえせ」と原民喜の「水ヲ下サイ」の原爆詩に木下忠司が作曲したこの歌。

<映画「この子を残して」サントラより>

「にんげんをかえせ」  峠三吉

       『序』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

峠三吉の「にんげんをかえせ」は、前に「峠三吉「人間をかえせ」のレコードを聴いた」(ここ)という記事を書いた。

自分のお袋は長崎市の生まれ。お袋の従兄弟一家がまだ住んでいる。そんな意味では、我が家も長崎とは縁が深い。
180916nyokodou 自分がそんな長崎に初めて行ったのが、大学3年の時だった。アルバムを見たら、昭和43(1968)年7月21日に、観光バスで長崎を廻った。如己堂にも行ったが、バスの窓から覗いただけ。その時にバスの中から撮った写真が残っていた。

ともあれ、夜中に聞いたラジオの番組から、永井隆の世界を一回りしてしまった。
このように、「長崎の鐘」という歌の“表面”は知っていても、背景の世界に入っていないことも多い。時間はたっぷりある。他にも色々と覗いてみよう。

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