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2018年9月の18件の記事

2018年9月30日 (日)

コバケンが振る男声合唱「水のいのち」

今日は、府中の森芸術劇場で開催された“多摩に「水のいのち」を歌う会”演奏会に行ってきた。コバケン(小林研一郎)が振る男声合唱「水のいのち」が目玉である。

あいにく、台風24号が来ており、まだ九州の近くにいるうちに、何とか開催できて、すべり込みセーフといったところ。
13時開場というので、ほぼ13時に会場に着いた。東府中駅から延々とオジサン、おばさんの列。場所は航空自衛隊府中基地の隣。昔、仕事でこの基地に来たことがあるな。そんな事を思い出しながら着くと、入り口の広場に既に長蛇の列。既に入場が始まっていたが、開場への入場は遅々として遅い。後から後から人が来るので、30分で全員入場できるのかな?と心配したり・・・。

今日は一人だったので、会場は混んでいたが、まあまあ正面後方に席を取った。それにしても、観客が多い。チケットは定価2千円というのに・・・。
8~9割は入っていた。合唱のコンサートでは多い。出演する団体が多いせいか??もちろん観客はシニア族。

180930kobaken 7つの団体によるそれぞれの演奏の後に、全員合唱の形でコバケン(小林研一郎)が振る男声合唱「水のいのち」がプログラム。
知らない曲は、何とも、ただ聞くだけ。しかし知っている曲は、つい評論してしまう。

「水のいのち」は別格として、今日の“儲けもの”は、「有志による混声合唱団」の「最上川舟歌」「五木の子守唄」「斎太郎節」の3つの民謡。どれも、過去に何度も聞いたお馴染みの編曲。60人ほど居ただろうか、やはり大人数の迫力は違う。
そして「男声合唱団お山の大将」による「柳川風俗詩」。多田武彦作曲のこの曲は、昔から知っている曲だが、ナマ演奏は初めて聞いた。

どの団体も20名ほどが多いが、「グリークラブ府中」という団体が何と9名。それでも迫力ある演奏を聞かせていた。特に「Set Down Servant」という黒人霊歌は、終わったときに拍手喝采を浴びていた。聞いたことが無い歌だったが、独唱があってユニークだったせいか?
さだまさしの「無縁坂」を歌った団体もあったが、ここまで良く知られて歌だと、なかなか難しい。伴奏のパートに旋律のパートが音量的に埋もれてしまい、つい“旋律ガンバレ!”と言いたくなった。
また、当然それそれの合唱団ごとに特色があった。全員そろって楽譜を見ながら演奏する団体。逆に楽譜を見ている人、持っているが見ない人、最初から持たない人のバラバラの合唱団があったが、やはり観客からすると、統一していた方が見栄えが良い。暗譜で歌うのが前提だろうが、もし一人でも楽譜を見る必要があれば、全員キチンと持って歌った方が、安心して見ていられる。ウェアの統一には気を使うだろうが、並び方、姿勢、楽譜の持ち方などもキチンとしていると、見ていて気持ちが良いもの。

180930mizunoinoti そして最後の小林研一郎の指揮による、高田三郎の「水のいのち」。140人ほど居ただろうか、もの凄い迫力。コバケンの指揮も分かり易い。
前にも挙げているが(ここ)、自分の大好きな「Ⅲ.川」を聞いてみよう。

<コバケンが振る男声合唱「水のいのち」~Ⅲ.川>

<コバケンが振る男声合唱「水のいのち」Ⅲ川mp3>

休憩時間にアナウンス。台風接近のため20時以降はJRが全面運休になる、とのこと。当日の、予告の上でのJR全面運休は珍しい。会場がざわめく。全員合唱の前に帰った人も居たようだ。
コバケンは、やはりアンコールで多田武彦の「アカシアの径」(ここ)を歌ってくれた。

16時過ぎに演奏会が終わるや否や、観客は脱兎のごとく駅へ!まだ雨は小降りだが、電車に乗ったら、結構雨が強くなった。
それにしても、隣の席のおばさん二人。合唱団が歌っていないとき以外は、ずっとおしゃべり。「ああ~演奏が始まってしまう~!」と思った瞬間におしゃべりを止める。休憩時間以外は静かにして欲しいものだが、合唱団交替の時もペチャペチャ。とにかくおばさんは元気。
若い人は居るかな?と思って見回したが、残念ながら観客はシニア族だけだった。
まあ合唱団の紹介に「60歳に近い若手から米寿に近い・・・」と書いてある位なので、やはり合唱を楽しんでいるのは、シニアが多いようだ。

180930taifuu ともあれ、心配していた台風のスキを突いて開催できたのは良かった。観客もたぶん充分に家に着けただろう。電車も空いていたが、休日のせいか?
ともあれ、好きな男声合唱の曲をナマで聴けた貴重な時間であった。

(関連記事)
小林研一郎が歌う多田武彦の「アカシアの径」 

(追:2018/10/01)
八王子 最大瞬間風速45.6メートル 史上1番目の暴風
180930fuusoku 大型で強い台風24号は1日0時現在岐阜県下呂市の東南東を北東に進んでいます。中心付近の最大風速は40メートルで、中心の南東側280キロ、北西側150キロ以内が風速25メートル以上の台風の暴風域となっています。関東地方も台風の暴風域に入り、東京都八王子市では0時11分に最大瞬間風速45.6メートルを観測して、2008年の統計開始以来の1位の記録を更新しました。最大瞬間風速40メートル以上の風では、走行中のトラックが横転するおそれがあります。屋外での活動は極めて危険ですので、不要不急の外出は控えるなど、厳重に警戒してください。(
八王子日本気象協会 2018年10月01日02:00)

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2018年9月29日 (土)

「間違えやすい慣用表現 ベスト20」

今日(2018/09/29)の朝日新聞の「be」にこんな記事があった。

「(beランキング)間違えやすい慣用表現 反省モードは今すぐ解除を

<間違えやすい慣用表現 ベスト20>

間が持たない 545票
 ○間が持てない=時間をもてあましてどうしたらよいかわからない。三省堂国語辞典(三国/第7版)では「間が持だない」も記載

押しも押されぬ 529票
 ○押しも押されもせぬ=どこへ出ても圧倒されることがない/誰もが認める。「押すに押されぬ」(厳として存在する)と混同?

怒り心頭に達する 496票
 ○怒り心頭に発する=心から怒りがこみあげる。「頭に来る亅を連想する言葉だが、「心頭」に頭の意味はないという

足もとをすくう 485票
 ○足をすくう=相手のすきをつき、卑劣な方法で失敗させる。三国では「足をすくわれる」の項目で「足もとをすくわれる」とも

過半数を超える 478票
 ○半数を超える、過半数を占める=全体の半数を超える。読者からは「選挙報道での誤用が目立つ」との指摘が多く寄せられた

愛想を振りまく 448票
 ○愛嬌を振りまく=好感の持てる言動や表情をする。三国では「愛想をふりまく」の用例も

恨み骨髄に達す 403票
 ○恨み骨髄に徹す=人を恨む気持ちが骨のしんまでしみとおる/深い恨みを抱く

思いもつかない 397票
 ○思いもよらない=想像や予期をしていない/まったく思いがけない。「思いつきもしない」と混同?

乗るか反るか 382票
 ○伸るか反るか=成否は天にまかせ、思い切って物事を行う様子。三国では「俗に『乗るか反るか』とも」

熱にうなされる 372票
 ○熱に浮かされる=高熱のためにうわごとを言う/夢中になって分別を失う

⑪上や下への大騒ぎ(正:上を下への大騒ぎ)368票
⑫うしろ足で砂をかける(後(あと)足で砂をかける)346票
⑬屋上屋を重ねる(屋上屋を架す) 344票
⑭'微に入り細にわたって('微に入り細を穿(うが)って)338票
⑮薄皮をはぐように(薄紙を剝ぐよう)332票
⑯合いの手を打つ(合いの手を入れる)320票
⑰的を得た(的を射た)      316票
⑱二の舞いを踏む(二の足を踏む・二の舞を演ずる)311票
⑲したづつみを打つ(舌鼓(したつづみ)を打つ)296票
⑳火ぶたが切って落とされる(火ぶたが切られる)293票
*(かっこ)内はエムズが勝手に追記

<調査の方法> 朝日新聞デジタルの会員登録者を対象に8月、アンケートした。「大修館 最新国語表記ハンドブック」などを参考に選んだ77の慣用表現から、「間違えやすいと思うもの」をいくつでも選んでもらった。回答者数は1256人。21位以下は「寸暇を惜しまず」「雪辱を晴らす」「嫌気がする」「明るみになる」「新規巻き返し」「目鼻が利く」など。

180929kanyou 「チェックしながら自信がなくなってきた」(千葉、48歳女性)、「間違って使っていたことにショック」(大阪、59歳男性)。77の間違えやすいといわれる慣用表現を並べたアンケート。協力していただいた皆さんに、ご負担をかけたようです。反省してもらうことが目的ではなかったのですが……。

 反省モードに陥ったという声はまだまだある。
 「言い間違いの多い人生だったのかもな、と気づいた」(東京、45歳女性)、「今から思えば穴があったら入りたくなる。恥ずかしい」(岡山、50歳男性)、「自信がなくなってこれからは話せなくなりそう」(宮城、65歳女性)。
 間が持たない/間が持てない。アンケートを作成しておきながら、その区別がいまだにおぼつかない記者は、ただただ恐縮するばかり。実はある人から「どっちでもいい」と言われ、開き直ってしまった面もある。ある人って? 後段で登場してもらおう。
 本来、慣用表現の慣用とは、習慣として世間に広く使われること。文化庁が毎年実施している国語に関する世論調査からは、「本来とは違う言い方」が広く浸透していることが分かる。
 今回1位の「間が持たない」を使う人は61.3%(2010年度)、2位「押しも押されぬ」が48.3%(12年度)、3位「怒り心頭に達する」が67.1%(同)。そうなると、次のような感じ方、考え方をする人がいても当然と思える。
 「『間が持たない』って言っています。『間が持てない』って言ったら、反対に間違っていると言われるかもしれません」(長野、55歳女性)、「半数以上の人が使い、それで意味が通じ合うのであれば、それはもはや間違いではないと思う」(埼玉、64歳男性)。
 アンケートでは、間違った慣用表現をどう感じるかも尋ねた。「気持ち悪い」「許せない」と、否定的に捉える人は計31%だった。
 「いい年して日本語を間違うのは、だらしない服を着る以上に恥ずかしい」(山口、54歳女性)、「間違った表現でも意味が通じればいいという風潮は、おかしな行動でも大衆が認めればやっていいことにつながる、と考えるのはうがち過ぎ?」(宮城、51歳女性)。
 一方、「意味が通じれば良い」「言葉は時代によって変わる」など現状肯定派は計63%にのぼる。
 「言い間違いは日本語の乱れと感じてきたが、間違ったままそれが当たり前になっている表現も多いと知り、仕方ないと受け入れた」(岡山、68歳女性)、「三省堂国語辞典(三国)の編纂(へんさん)者の1人である飯間さんは『的を得る』という表現を載せるため、250年前の文書にまであたって、あやまりではないと証明したという。言葉は生きていて変遷するものでは」(京都、76歳男性)。

 ■正しい?誤り? 実はどっちでも
 ある人が出てきた。be3面「街のB級言葉図鑑」でおなじみ、飯間浩明さん(50)である。アンケート結果に目を通してもらうと、ちょっと困った顔になった。
 「どっちでもいいと思えるものが多いですね。そもそも私は『間違い/正しい』という観点で見るべきではないと考えています」
 たとえば「間が持てない」。「間が保てない」の意味だが、「持たない」も「保てない」の意味がある。実は「間が持たない」を見出しにする国語辞典も。「押しも押されぬ」は文法的な誤りを指摘されるが、「負けず嫌いなど、文法的におかしいのに定着した言葉はいくらでもあります」。
 上位に入った表現は、見出しにはならなくても、俗用などとして辞典が公認しているものも多い。
 「多くの人が使うようになった言葉には必ず合理的な根拠があるものです。正誤についてはいろいろな説があるので、参考にとどめておく程度でいいでしょう」
 反省モードは今すぐ解除願います。 (坂本哲史)」(
2018/09/29付「朝日新聞」b2より)

この記事を読みながら、自分も混乱。何よりも、まったく使っていない(知らない)慣用表現も多い。いやはや日本語は広い・・・

自分は、「相手に通じれば良いではないか」派だな・・・
正しい使い方をしても、逆に相手が「間違っている」と思うかも知れない。幾ら文法的に誤っていようが、言葉は生きているので、そう堅く考えなくても良いように思う。

それにしても、この朝日の記事は不親切で、⑪~⑳は正しい用語が書いていない。仕方が無いので、Netでググってみると、誤った使い方という表現がNet上にはたくさん使われていた。参考に、たぶん正しいと思われる言葉を追記しておいたが・・・。

それにしても、このアンケート。千人以上の人が“反省”したと言うから面白い。
いかに、言葉が色々な使い方をされているかの証拠。
前に「気持ちが悪い日本語 ベスト20」(ここ)で「⑨やばいよ、この昧」という言葉があったが、「ヤバイ」が今の若者は「すごい」の意味で使っている。

つくづく(つくずく!?)、言葉は生きているな、と思いながら読んだ。

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2018年9月27日 (木)

「強者」の理不尽~三菱電機・労働裁量制廃止の英断

先日、朝日新聞にこんな記事があった。
「(政治断簡)キリない怠慢、華麗なる欺瞞 編集委員・高橋純子
 過日。出張先にて立ち寄った喫茶店のトイレ、個室の右側の壁に貼り紙がしてある。
 「最近、トイレットペーパーを大量に使用しているお客様がいらっしゃり、便器が頻繁につまっております」「そのたびに従業員が便器に手を突っ込んで取っています」
 なんとストレートな愁訴であろうか。黙ってトイレを詰まらせるとは迷惑千万、後に続くは当然、「大量に使うのはお控えください」だろうと読み進めると……むむ?
 「たくさん使っても構いませんので、少量をこまめに流していただけるとつまらなくなると思います。ご協力をよろしくお願い致します」
 なぜだ。なぜ「構わない」なんて言うのだ。
     *
 便器に手を突っ込む事態さえ回避できればいい。その気持ちはわかる。わかるから余計に、元凶を正さずに対処法でしのぐということではいけないと思う。おかしいことをおかしいと言わずにいたら人は、生きていく上で土台となる部分をすり減らし、しゃんと立つことができなくなってしまうから。
 でもこういうこと、あちこちで起きているんだよねと、個室で独りごちる私。膿(うみ)を温存したまま講じられた“再発防止策”、「行政をゆがめても構いませんので、公文書として残さずメモもこまめにとらないで頂けるとバレなくなると思います」みたいなことをやらされる官僚とかさ。
 「強者」の理不尽にさらされ続けると、抵抗する気力を奪われ、そのうち粗末な「エサ」をもらっただけで大変な恩顧を受けたかのごとく感じるようになる。かくして「強者」はますます増長し、さらなる理不尽が横行する。「正直、公正」なんて当たり前のことを言うと叱られるこの国、なんて美しい国。
 無理が通れば道理はわりと簡単に引っ込むことを思い知らされたこの6年。ボーッとしていたら飼いならされる。おかしいことはおかしいと声を上げ、気弱な道理を励ましてあげなければならない。見えない首輪をふりほどき、当たり前を取り戻すのだ。
     *
 さて自民党は総裁選のさなかである。政策の中身よりも、恫喝(どうかつ)、締め付け、乗れ乗れ勝ち馬、諸センセイ方のお尻の穴の小ささがいやに際立つ低調な選挙戦、それでも首相は憲法改正が争点だったということにしておきたいのだろう、先月末、横浜市で開かれた自民党の会合で「憲法改正に取り組んでいく責任がある」「発議をしないのは国会議員の怠慢ではないか」と述べたという。
 へー。怠慢だって。へー。
 ならば教えて頂きたい。
 同性カップルを念頭に「生産性がない」と主張し、当事者らから強く批判されたのに公式に会見も謝罪もしない国会議員は怠慢ではないのか。それをなんだかよくわからない「指導」で済ませている自民党は怠慢ではないのか。言い出したらキリがないほど累積している怠慢を放置して憲法改正に固執する首相は怠慢傲慢(ごうまん)華麗に欺瞞(ぎまん)ではないか。
 「責任」を言うならまず、自分のお尻を自分で拭く。
 話はそれからである。」(
2018/09/17付「朝日新聞」p4より)

朝日らしく喝破している。
それにしても、“「強者」の理不尽”があらゆる所で噴出している世の中である。先の総裁選は言うに及ばず、沖縄知事選に至っては、「自公陣営の厳しい締めつけの中、『期日前投票で佐喜真氏の名前を書いた証拠として投票用紙をスマホで撮影。その“写メ”の提出を強制されている』との情報がSNSなどで飛び交っています」(現地関係者)」(ここより)とまでエスカレートしているのだから、到底民主国家とは言えない。

強者による締め付けは、貴乃花の引退問題でも噴出している。
面白かったのは、日本テレビ系情報番組「スッキリ」(2018/09/26放送)の貴闘力の発言。
「・・・2010年に野球賭博問題で解雇されたときのことをこう暴露したのだ。
「だって、正直な話、俺がクビになるときに、理事全員いる前で、『お前、協会に不利益になること言ったら、子供が相撲取りに入るんだから、お前ちゃんと静かにしとけよ』って言われて、それで今までずっと、あんまり言わないで、ずっと我慢してたんですよ」
この発言には、加藤浩次さんも、「今日、ちょっと言っちゃったということですね」と目を丸くしていた。
貴闘力さんによると、相撲協会が貴乃花親方に圧力をかけるというのは日常茶飯事だったという。現役時代に貴乃花親方にやり込められ、立場が逆転したら貴乃花親方をやり込めるケースも多いともいう。」(
ここより)

相撲協会は、いじめ抜いたあげくに、窮鼠猫を噛んだ貴乃花に対し、相変わらずの「言っていません」会見。
そもそも、各部屋が協会内にある5つの一門のいずれかに所属することを決めたことこそ、誰が見ても、貴乃花を追い込むためとしか思えない。そして、弱者は潰されていく。
総裁選における“カツカレー食い逃げ事件”(ここ)など、ささやかな抵抗。

先日の朝日新聞にこんな投稿の記事があった。
「「党議拘束」に違和感
国会の議決の際の「党議拘束」に強い違和感を覚える。同じ党派に属していても人さまざま、思想信条にはかなり幅があるはずだ。国民の信任を受けた国会議員が、党の言う通りに行動を縛られるのは、「思想及び良心の自由」「個人の尊重」を定めた憲法の精神に反すると思うが、どうか。納得いく説明がほしい。(神奈川県 男性76)」(
2018/09/24付「朝日新聞」p11より)
国民、有権者の代表であるにもかかわらず、ボスの投票マシン化している今の国会。そしてそれを目指す、相撲協会。

そんな中、今朝の朝日新聞がトップで報じたのが、「三菱電機、裁量制の3人労災 14~17年、過労自殺も 今春、全社で制度廃止」という記事。
「・・・労災認定が直接のきっかけではないとしながらも、同社は今年3月、約1万人の社員を対象に適用していた裁量労働制を全社的に廃止した。」
「三菱電機は04年に裁量労働制を導入し、全社員約3万人のうちシステムエンジニアや研究職などの専門業務、経営の中枢で企画・立案などの業務に就く社員約1万人を対象に適用してきた。「労働時間をより厳格に把握するため」(同)に廃止したとしているが、厚労省関係者は「大企業が裁量労働制を廃止するのは聞いたことがない。裁量労働制では労働時間管理ができないと公言したに等しい」と指摘する。」(
2018/09/27付「朝日新聞」p1より)
先の国会で「裁量労働制のほうが一般労働者より労働時間が短いというデータもある」という有名な首相答弁(2018/01/29)があったが、その直後に三菱電機は、全社でこの制度を廃止していたことになる。この事実が、当時公表されていたら、国会審議に影響を与えた可能性も否定できない。

ともあれ、今回の三菱電機問題は、制度の廃止という英断に対して、好ましく受け取った。
まさに「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」(間違いを犯したと認識したら、(自らの過ちを認めることを気にせず)躊躇せずに改めるべきであるということ)である。

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2018年9月24日 (月)

藤沢周平の全60作品を読んだ

藤沢周平の全60作品と、エッセイ4作品(生前出版)を読んだ(ベスト物である「雪明かり」を除く)。ちょうど半年掛かった。
「藤沢周平の全作品を読むぞ!」(ここ)と宣言したのが、2018年4月30日だった。
その前に、既に5作品は読んでいたので、正味55作品+エッセイ4作品。上下巻で延べ79冊、ほぼ2日に1冊を読んだ計算になる。(藤沢周平作品リストはここ)(下の写真のように、読む毎にタイトルをマーカーしていった)

なぜ藤沢周平にこだわった?
180924fujisawa1 前にも書いたが、そもそも出発点は「さて何から読むかな・・・と思ったら、あまりに作品が多すぎて迷う。「エエィ!全部読んでしまおう!」だった。
そして、「いつ挫折するかな?」という自分への興味。そして、読んでいて、いつの間にか目的が「達成感」になった。あと何ページ・・・、あと何冊・・・
これが達成出来れば、自分の今後の人生の過ごし方に「読書」という項目が追加できるかも?という淡い期待・・・!?

「何冊読んだって、どうせ中身は同じだろう?」という悪口を聞きながらも、一通り読んだ感想を記す。

良く言われているように、藤沢作品は、「歴史小説」(事実の追求を楽しむ小説)、「時代小説」(虚構の面白みを楽しむ小説)、そしていわゆる人情物の「市井小説」に分かれる。(「ふるさとへ廻る六部は」p140より)
結論として、自分的には歴史小説はなかなか楽しめなかった。つまり、歴史という事実から離れられないため、主人公の行動が制限され、小説的な面白みに欠ける。それに比べ、時代小説と市井小説は、どれも面白い。
藤沢作品は、名作は多くても、駄作は無いのではないか。つまり、どの作品もある一定の水準を保っているので、読後に「つまらなかった」と思う作品がない。
これはどの作品も絶版が無い、図書館に全てそろっている。という事実からも裏付けられる。中古本屋に行っても、多くの中古文庫は108円が多いが、藤沢作品は定価の半分以上で売られている。

どの作品も、時代と季節と地理が詳細に描かれる。たぶん古地図を見ながら書いているのだろう。古地図の上で、登場人物が自在に動く。情景描写も精緻。たぶん真の藤沢周平ファンは、地図上で登場人物の動向を追って行くことが可能なのではないか。

60作品の最後に読んだのが「早春 その他」。短編「早春」は筆者の唯一の現代小説。これも貴重だが、その後に続くエッセイの「小説の中の真実」が興味深かった。少し引いてみる。

小説の中の事実 両者の微妙な関係について
 小説を書いていると、歴史的な事実に材をとるにしろ、虚構の物語をつくるにしろ、事実とのつき合いを避けるわけにはいかないけれども、そのつき合い方は多種多様で、事実というものはじつに微妙なものだと嘆息することが多い。
 調べて調べて相当の事実は出ているのに、本当の事実はまだほかにありそうだ、などという不気味な感じをうけることがある。そういうときに私は事実のこわさに直面しているのである。・・・
」(藤沢周平「早春 その他」p149より)

「・・・しかしひとつつけ加えると、小説をふくむ文芸一般においては、すでに解明されている事実についてのこの程度の裁量は、許容範囲内におさまるものだろうと私は思っている。文芸は学術的な論考とは違うので、正しい事実がわかったから正しく書かなければならない義理などというものはない。むしろ事実をねじ曲げたり、ふくらましたり、変形させたりすることで、新しい魅力を生み出そうとするものだと考えたい。黙阿弥は片岡直次郎を事実とは違う大番同心にしているが、それで名作「天衣紛上野初花」の値打ちが減るわけではない。
 もっともこういうことを書くと、小説家はいつもデタラメを書いているように思われかねないが、この稿の直次郎の場合は例外で、時代小説作家である私はふだんは神経質なほどに考証に気をつかっているので、書かれている事実はかなりのところまで信用してもらっていいのである。・・・」(
同p158より)

「私が丹念に資料をしらべて、出来るかぎりの事実をとりあつめて剣客小説の細部をかためるのも、そうすることで多少なりとも小説にリアリティを付与したいねがいがあるからにほかならない。ずいぶん前のことで、記憶もたしかではないが、以前井上ひさしさんが作者はひとつの嘘を信じてもらうために九十九の事実をならべる、という意味のことを言われたことがある。
 この嘘が虚構の真実というものであり、小説には事実よりも重視しなければならないものがある、と井上さんは言っておられるのである。言い方は少し違うけれども、私が述べてきたこともこれと同じことを言っているのである。」(
同p161より)

先に書いたように、藤沢作品は、地理的な精緻な表現とともに、時間軸においても緻密な表現が多い。自分は、ほとんど気にしていなかったが、それらが詳細な取材による正確さを持っている事を、このエッセイを読んで分かった。

同様に、歴史小説における精密さは「白き瓶 小説 長塚節」が際立っている。文庫本で800ページの大作。まさに長塚節のたどった人生が精密に書かれていて、まるで本人が書いた「私の履歴書」みたい。

これら多くの作品を、どんな順序で読むか?自分は、シリーズ作品はまとめて読んだ。その方が分かり易い。

60作品の後に、著者の生前に出版された4つのエッセイ「周平独言」「小説の周辺」「半生の記」「ふるさとへ廻る六部は」を読んだ。これはいわゆる自分にとっては“復習”で、作品の背景が良く分かる。
しかしこれらは図書館ではあまり借りられていないようで、「半生の記」などは30年前の文庫本で、中身のページが赤く焼けていた。
エッセイ「周平独言」は、小説家藤沢周平の身近な出来事。人となりが良く分かる。
そしてエッセイ「小説の周辺」が面白かった。図書館では、数少ない単行本。しかも初版本。文庫本が置いて無かった事から、これもあまり借りられていないようだ。

エッセイの中で、氏の思想的心情が垣間見えたのが?「信長ぎらい」という短文。
信長ぎらい
・・・ 嫌いになった理由はたくさんあるけれども、それをいちいち書く必要はなく、信長が行なった殺戮ひとつをあげれば足りるように思う。
 それはいかにも受けいれがたいものだったのだ。ここで言う殺戮は、もちろん正規の軍団同士の戦闘のことではない。僧俗三、四千人を殺したという叡山の焼討ち、投降した一向一揆の男女二万を城に押しこめて柵で囲み、外に逃げ出せないようにした上で焼き殺した長島の虐殺、有岡城の人質だった荒木一族の処分、とりわけ郎党、侍女など五百人余 K奉公人を四軒の家に押しこめて焼き殺した虐殺などを指す。」
「こうした殺戮を、戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺、カンボジアにおける自国民大虐殺。殺す者は、時代を問わずにいつでも殺すのである。しかも信長にしろ、ヒットラーにしろ、あるいはポル・ポトの政府にしろ、無力な者を殺す行為をささえる思想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なところである。権力者にこういう出方をされては、庶民はたまったものではない。
 冒頭にもどると、たとえ先行き不透明だろうと、人物払底だろうと、われわれは、民意を汲むことにつとめ、無力な者を虐げたりしない、われわれよりは少し賢い政府、指導者の舵取りで暮らしたいものである。安易にこわもての英雄をもとめたりすると、とんでもないババを引きあてる可能性がある。」(「
文藝春秋」平成4年9月号)」(「ふるさとへ廻る六部は」p172より)

今の(政治の)世の中にあてはめると、ゾッとする!? ババは早く捨てねば!?
おっと、話がそれた!

話は戻るが、藤沢周平はよく推理小説を読んでいたという。そのせいか、短編はいわゆる謎解きのように感じた。最後に?の解が示される。市井小説は、最後にほろっとくることが多いが、ナーンダという結論もある。例えば、「龍を見た男」にある「女下駄」(ここ)のストーリー。再婚の夫婦。女房が若い男と内緒で会っているという。亭主は疑心暗鬼でやきもきするが、結果は弟だった、という話。

短編は、20数ページでも、場面設定や登場人物の位置付けが必要なので、自分の頭の中でそれらを描いている内に読み終わってしまう。慣れる前は、読んだ後に“復習(読み直し)”しないと良く分からなかった。その点、長編は、いったん登場人物を頭に描くと、幾つものエピソードが続くので楽。でも短編は、言いたいことが単純素朴なので、分かり易い。逆に歴史小説は、入り組んでいて難しい。
まあ、「密謀」の直江兼続のような有名人が主人公の話は、良く分かるが、他はとにかく登場人物も多く、複雑。

自分は、読んだ本はExcelにメモしている。そして5点満点で面白かった点数を付けている。今回読んだ藤沢周平作品のエッセイ4つを含む59作品(5作品は前に読んでいた)の内訳は、5点が14作品、4点が26作品、3点が16作品、2点が3作品だった。

話は飛ぶが、自分が以前から録ってある「NHKラジオ深夜便」のmp3ファイル。藤沢周平で検索すると、「没後15年”藤沢周平”を語る 松平定知」(2012年3月31日放送)と「わが心の人~藤沢周平 長女・エッセイスト 遠藤展子」(2017年1月20日放送)の二つがヒットし、改めて聞いてみた。
松平定知さんの朗読については、前に「朗読「藤沢周平:海鳴り」が終わった」(ここ)という記事を書いたが、この放送によると、氏が藤沢周平と出会ったのは、一日3.5~4時間しか寝ていないので、昼休みに仮眠室に行ったら、そこにあったのが藤沢周平の本で、それで藤沢ワールドのとりこになったとのこと。そして数年間、朗読の番組をさせろと上申し、やっとそれがかなって、ラジオ深夜便の7年間を含めて9年間朗読の放送を続けたという。6年も前の放送だが、藤沢周平の魅力を語っているので、少し聞いてみよう。

<没後15年”藤沢周平”を語る 松平定知>

<没後15年”藤沢周平”を語る 松平定知mp3>

そして同じく遠藤展子さんの放送では、藤沢作品の最初の読者は奥さまで、誤字脱字をメモにして指摘していたという。そしてこの時点では、遠藤さんは藤沢作品全部はまだ読んでいないと言っていた。
藤沢作品でひとつ“ホッとした表現”を見付けた。「手をこまねく」という言葉。自分は元来「手をこまねく」と言っていた。それが新聞などでは「手をこまぬく」を頑なに使っている。藤沢作品では素直に「手をこまねく」。一般的には「手をこまぬく」よりも、「手をこまねく」が多く使われていると思うのだが・・・

最後に、図書館の本について。
とにかく、はっきり言って図書館の本は汚い。そして水濡れが多いので読む気がしなくなる事がある。たぶんこれは雨の日に借りて、家まで運ぶ途中で、雨に濡れたのでは無いか?
よって図書館では、水濡れをさせた人には弁償させるくらいのスタンスが必要では無いか?または、100均の薄いポリ袋を用意して、それに入れて本を貸し出せば、水濡れに対する警鐘にもなり、防げるかも・・・

ともあれ、自分の人生で、初めてある作家の全作品を読んでみた。これで、何とか読書のクセは付いた。カミさんは、どうせ前に読んだ本は忘れているから、読み直すと2度楽しめる。と言うが、これを機に、名前は知っていても読んでいない本を色々と読んでみようかと思っている。読書に対する自信は付いたようなので・・・

たぶん永遠に生き続ける藤沢周平の作品ではある。

(関連記事)
藤沢周平の全作品を読むぞ! 

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2018年9月23日 (日)

カイシャの飲み会

今朝(2018/09/23)の朝日新聞に「カイシャの飲み会」という記事があった。
自分は現役をリタイアして数年経つが、相変わらず現役時代の夢を見る。イヤなことを無理にやっていたツケが、今ごろ出ているのかも知れない。
飲み会についても、楽しかった思い出は全く思い出すことが無い。逆に、イヤだった思い出は、今でも澱(おり)のように思い出し、夢にまで出てくる。

安倍政権や自民党の派閥が、親分・子分の関係で構成されていることは自明の理。総裁選も、親分が決めた事に、子分は自分の考えを棄てて絶対服従するのが当たり前。それは官僚であっても企業やスポーツの世界であっても、およそ組織と名の付く所ではすべて同じだ。

180923nomikai 自分と合わないあるボスがいた。自分のその時の上司が、そのボスの子分だった。あるときその上司から電話が掛かってきた。「今日の午後、○○(ボス)さんが来るので、夜飲み会を設定しろ」。○○さんとなんか、自分は席を同じくしたくない。それを自分が主催する立場とは・・・。しかし断れない。サラリーマンの悲哀だ。
自分は、仕事を放って、会場を予約し、一緒に出てくれそうな人に電話する。「○○さんが来るそうなので、今夜なんだけど、申し訳ないが出られないか?」。そうして数人の出席者を確保する。
そして、先に会場に行ってアレンジ。○○さんと上司を待つ・・・・
今は、時代的に断るのもアリなのかも知れない。しかし当時は、断ることは、その上司のメンツを潰し、敵に回すことを意味した。

もっと若い平社員のとき、カラオケなどが無かった時代、課の飲み会で上司が「△△君、何か歌え!」と酔いながら指名した。自分は決して歌は嫌いでは無いが、いつも「指名されませんように」と祈ったもの。
ある場面を思い出す。トイレに立って「窓から空を見上げながら、もし指名されたら何を歌おうか・・・。黒田節でも歌おうか」と思った。しかし席に戻ってみると、別の人が黒田節を歌っていた。同じ歌は歌えない。弱ったな・・・・

こんな苦い酒の話もある。仕事で親しくしていた、別の部の□□さん。あるときに、飲みに誘われた。その会は、□□さんの上司と3人だった。その日は、その上司の推薦で、□□さんの昇格の内示があった日。つまりその会は、内々の昇進祝いの会だった。
ちょうど自分も昇格期待の時期だったので、「そうか、今日は内示の日か。自分には話が無かったので昇格無しだな」と分かった途端、酒が苦く、幾ら飲んでもまったく酔わなかった。

カイシャの飲み会は、多分に義理で行く会。本音で語り合えると言うが、それは同僚との間の話。
昔のサラリーマン川柳に「無礼講 会社にもどれば 無礼者」というのがあったが、本音の話をそれなりに受け止めてくれる上司は少ない。上司にキツイ言葉を投げかければ、長く記憶に止まることを覚悟するのが常識。
楽しい飲み会は、同期会など、上下関係が無い会に限る。

先日の自民党総裁選。 “恫喝の麻生大臣”が「冷や飯を食わせるなとか言っている人たちがいるが、覚悟が足りない。冷や飯を食うぐらいの覚悟を持って戦って当たり前だ」と言っていたらしいが、まさに本性が言っている。
自分に従わない奴は干す。これは政治の世界だけでなく、カイシャを含めた組織では当たり前の事。よって弱者は、人事権のあるエライ人のうち、誰かを選んで、その人にひたすら服従する。媚びへつらう。国会議員の場合は、自分を選んでくれた有権者の意志など無視して、ひたすら自分のボスにひれ伏す。
カイシャでもそれがサラリーマンの出世の道。もちろん、独立独歩も良い。しかし出世はあきらめるしかない。何せ、人事権のある人は、自分に従う人間を子分として昇進させ、自分のワールドを作ろうとする。まさに安倍政権のやっていること。

弱者は、イヤなことも、とにかく我慢して勤め上げる。それをした結果は、自分のように、決して心の澱は消えなくなる。

一方で、大きな組織ほど浄化作用は働く。上の例も、そのボスが権力を持っていたときは、ボスの子分は皆早く昇進したが、ある時から組織の自浄作用が働いて、そのボスは権力を失った。しかし昇進させた子分は生き残った。

話は飛ぶが、飲み会にまつわる話で、Yさんを思い出した。Yさんは設計課長から製造部長に昇進した。しかし、製造部は生え抜きの“仕事の主(各部所のドン)”が多かった。それらの現場のドンたちを束ねるのは、落下傘で降り立った上司にとっては大変だった。それで、Yさんが取った戦略は、毎晩のように部下を飲み会に連れ出すこと。もちろん費用は自腹。それがYさんを支えた。自分にはマネの出来ないことだったが、飲み会のそんな利用方法もあった。

自分がそんな立場になった時、年末になると忘年会が10数回もあった。色々な切り口での忘年会。呼ばれる数が多いほど、顔が広くて良いことと思われていた。

それで、逆に自分が上司の立場になったとき、同じ事をしなかったか?
それが、無かったと大きな声で言えないのがツライ。
ふん、同じ穴の狢(むじな)ではないか!

飲み会は、エライ人が子分を選ぶ場。そして人事は好き嫌い。
何年経っても、その思い込みから抜けられない、サラリーマンの卒業生ではある。
(とても“アベ君”を非難できないのがツライ!?)

●メモ:カウント~1160万

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2018年9月21日 (金)

「シナノスマイル」っていうブドウはいかが?

とうとう最後に残った「ナガノパープル」というブドウを食後に食べた。自分的には、やはり「シナノスマイル」が良いな・・・

「シナノスマイル」を初めて食べたのが2年前だった(ここ)。
180921budou1 こんなにもおいしいブドウがあるのを初めて知った。カミさんが友人から貰ってきた物。そこに「シナノスマイル」と書いてあった。Netで調べ、長野県千曲市の中島農園(ここ)というところが、産地直売をしている事を知った。
もちろん2年前のその時は完売。それで、昨年、予約開始日の8月17日の予定表に書いておいて、注文した。もちろん注文したのは「シナノスマイル」の2kg。さすがにおいしかった。
180921budou2 それで、今年は食べ比べのため、「完熟!朝採り 信州のぶどう詰め合わせ 2kg箱」というのを注文してみた。そして9月13日に届いた箱を開けてみると、「巨峰」「シナノスマイル」「ナガノパープル」「シャインマスカット」の4種が入っていた。
まず「巨峰」を食べてみる。ま、こんなものか。甘いことは甘い。しかし、食べる方(自分)の要求の水準が高いので、降参しない。次に、「シナノスマイル」。昨年の方が甘いと感じた? カミさんは充分に甘いと言うが・・・
そしてグリーンの「シャインマスカット」。これは自分的にはNG。皮が剥きづらい。どうも皮ごと食べる物らしいが、自分は絶対に皮を剥くのだ。カミさんは絶賛。よって、残りは全てカミさんにあげた。
180921budou ここでやっと写真を撮る気になった。blogに書いておこうと思って。よって、この写真は、半分食べた「シャインマスカット」と最後に残った「ナガノパープル」の写真。
さっき食べた「ナガノパープル」も皮が剥けない。と思ったら、これもやはり皮ごと食べるものらしい。しかし自分は絶対に皮を剥く。よって甘いがNG。

よって今年の“食べ比べ”の結果は、カミさんは「シャインマスカット」が良いと言うが、自分はやはり「シナノスマイル」。来年以降は、「シナノスマイル」一本で行くか??

2kgの4房で2400円+クール便1500円=3900円。一房1000円ほどになる。4kgだと4800円+クール便1700円=6500円で、一房800円ほどになる。
当然これだけ高級品なので高いのだろうと思っていたら、先日、スーパーに行ったら、同じような「シャインマスカット」が、税別1600円で売っていた。送料を別にすると一房600円の中島農園は高くないのだ・・・。しかも、送料が一律なので、九州の孫への送料も1500円。なるほどすぐ完売になるはずだ・・・

中島農園のサイト(ここ)を見ると「ナガノパープル」だけは毎年7月18日から予約開始で、それ以外は8月17日の開始。来年も予定表に書いておいて、予約しようかな・・・
もちろん今年は終わっているが、来年でも産地直送の“おいしい信州のブドウ”はいかが??

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2018年9月19日 (水)

愛犬・メイ子の“おしめ”に挫折した日

我が家の愛犬メイ子(本名:メイリー/ヨークシャテリア)は、2002年12月生まれで、現在15歳と8ヶ月である。人間で言うと79歳にあたるという。
それ故か、最近は老化が激しく、色々とトラブルが絶えない。階段は踏み外すし、ブルブルも後足が踏ん張れないので、ブルブルしながら、体が動いてしまう。カミさんとの散歩は、まあまあ続いているが、それも体調の良いときだけ。外界の匂いは、健康の源!?

心臓が悪いと獣医さんから言われたのはだいぶん前のこと。それ以来、高価な心臓の薬を飲んでいる。獣医さんから「こんな心臓で良く生きている」と言われながらも、まだまだ元気だ。
180918geridome しかし、持病の下痢症は相変わらず。前に、下痢でげっそりと痩せたことがあり、獣医さんから下痢止めの薬を貰って、治ったことがあった。しかし如何せん、獣医さんの薬は高価。それで、通販でサトウ製薬の「動物用 新テスミンS 20錠」という犬用の下痢止めを買ってみた。これが良く効いたので、以来これを常用している。
そして、下痢のときは、普通のエサが採れないので、これまた高価な「デビフ カロリーエースプラス 犬用流動食」という缶詰を買ってきて、それを与えている。他にもあるらしいが、これ以外は食べないという。

180919ryudousyoku まあそんな事でごまかしてきたが、このところ下痢の頻度が増えてきた。そして、人間と同じだが、時々そそうをする。トイレに行かないで、その辺りにウンチをするから困る。幸いオシッコは、トイレでするが、これまたイジワルでトイレシートから微妙に外すことがある。その時は、トイレシートの周囲が水浸し。外出に連れて行かなかった腹いせか?とも思うが、外出から帰ると、本人はケロッとしている。
まあオシッコは、拭けば済むが、下痢のウンチは困る。そもそも“ウンチは床に落ちていない”という前提で我々は生活しているので、時たまウンチの痕が床に点々とあると、「踏んづけた~!」と気が付く。そうすると、スリッパを洗い、床の点々としたスリッパの痕を拭かなければならない。
まあ、間に合わないのだから仕方が無い、と思っていたのだが、今朝、そうでも無い事を目撃した。洗面所にある、いつものトイレシートから戻って来た時、床の上で、堂々と踏ん張ってウンチをしやがる。これで“切れた”・・・。
180919meiko1 間に合わなく漏らしたのなら許すが、これは何だ!とカミさんと相談をして、「今日からおむつ!」と宣言。買ってあったオムツをさせることにした。
本人は「??」と思っているらしいが、そんな事は構っていられない。シメシメ、これでウンチの呪縛から解放だ!と安心した。

所がである、昼前にカミさんが出掛けたので、昼過ぎに、昼食のために、居間に降りて行くと、洗面所のトイレシートにしっかりと軟便。「ん?オシメをしていたのに・・・!?」。
そして、居間のあちこちにやはりウンチがこぼれている。それを始末しながら、メイ子のお尻を見たら、何とシッポの所がウンチまみれ。そして、シッポを持ち上げてみてビックリ!
何と、シッポの直ぐ下に肛門があるではないか! オシメのシッポの穴から肛門が丸見え。これでは“原理的に”オシッコシートにしっかりとウンチをするはずだ。そもそもシッポの穴が大きすぎるのではないかと、セロテープで小さく止めてもみたが、どう見ても、肛門から外界は丸見え。
それで悟ったことは、“そもそも犬用のオシメは、オシッコ専用で、ウンチには無力”いうこと。
Netで検索してみたが、やはりウンチは、シッポの穴と肛門との地理的なことが原因で、無力らしい。
かくして、メイ子のオシメは外すことにした。完全なメイ子の勝ち!
さぞメイ子は「ざまーみろ」とほくそ笑んでいるのだろうが、とにかく下痢を治すしか無い。

180919meiko2 カミさんが帰ってきて「オシメを何で外したの?」と言うから、事情を説明。まあしょうが無いな・・・
相変わらず、流動食も自分では食べない。飼い主のカミさんからスポイトで口に入れられると、それを機に自分から食べ始めるという。この所、それの繰り返しだ。

2歳上のパパも、8月に亡くなった。17歳で、ここ数年は、目が見えなく、その介護で大変だったという。ウチのメイ子も、耳は遠いが、目は何とか見えている。それが救い。
出窓に、カミさんが紫外線防止のシートを貼っていたので、その効果かも知れない。

ともあれ、「逝くときは、コロッと逝ってくれよ」といつもメイ子に言い聞かせているが、本人の耳に届いたかどうかは分からない。
我々夫婦も、両親を無事に送った後、残るは老犬の看取りだけ。
それが済むと、いよいろ我々自身の介護と看取りの順番である。
既に老老介護が始まっている我が家なのであ~る。

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2018年9月18日 (火)

樹木希林の「死生観」~その語録より

2018年9月15日に亡くなった女優の樹木希林さん。昨日(2018/09/17)のTV朝日の「モーニングショー」で、樹木希林さんの生涯を振り返り、語録を紹介していた。
180918kikikirin 75歳で逝った希林さん。23歳でデビュー。1977年の「日本教育テレビ」から「TV朝日」に社名が変わったときの特番で、「売る物がないから」と「悠木千帆」をオークションに出品。落札金額は2万200円(今の価値でも4~5万円)だったという。
1973年10月に内田裕也と再婚したが、2年ほどでDVが原因で別居。以来45年。
2003年に網膜剥離。手術をしない判断で左目の視力を失う。2004年に乳がん発覚。翌年に右乳房全摘。2013年に、「私ね、冗談でなく全身がんなので、来年の仕事の約束はできないんですよ」と公表。その後、全身13ヶ所にがんが転移したという。(2018/09/18付「日刊スポーツ」より)

その壮絶な人生で、この番組が集めた語録をメモしてみた。

<病から生まれた希林流“仕事との向き合い方”>
死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの、私の場合。だから仕事も先の約束はしない。せいぜい1年以内。仕事の交渉は留守電とファックスで全部自分でしている」(「AERA」2017年5月15日号から)
「亡くなった後の面倒を考えたら、マネージャーや付き人なんて雇えない。電車の切符を買うのも車の運転もすべて自分でやっている。逆に自分でやるからこそ、それが女優の仕事に生きてくる」(
2014/4/22付「東京新聞」夕刊から)

<仕事を選ぶ基準>
(仕事を)選ぶ基準は脚本でも監督でも共演者でもない。「仕事をくれた順番とギャラだけです」 プロフェッショナルとはそういうものであるという信念があった。(
2018/09/18付「スポーツ報知」から)

<病から生まれた死生観>
・「がん」について
「がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから。ひょっとしたら、この人は来年にはいないかもしれないと思ったら、その人との時間は大事でしょう。そういう意味でがんは面白いんですよね」(
2009/2/20付「産経新聞」から)

・年をとること
「年をとることに、絶対にブレーキをかけない。だから、病気もそう、容姿もそう。ブレーキをかけない。ブレーキをかけたって何十年もかけられない。たががはずれたらどどっと来るんですから。ブレーキをかけている苦労のほうが大変じゃない?」(
2014/10/31付「毎日新聞」から)

・病気と映画
「具合が悪くなってテレビがやれなくなって、映画に来させたもらった感じ。もうやりたいこととか何もない。だって・・・ずっと“死ぬ死ぬサギ”やってるんだから(苦笑)。(今後は)まぁ体が続けば・・・ね。私の人生、上出来じゃないの?畳の上で死ねそうだもの」(
2015/6/8付「日刊スポーツ」から)

・生きること死ぬこと
「生きるのも死んでいくのもどちらも日常。生きることは良いことで、死ぬことは悪いこと、というのでは無いと思うのよね」(
2016/2/3付「毎日新聞」夕刊から)

・どうしたらうまく生きることができるのか?
「ほら、手でくみ上げ式の井戸。最初は空気ばっかりで(水が)出てこないでしょ。でも、こうしてやっていると・・・あれと同じ。私、誰もいなくても笑うの。笑っているうちに、ほら、井戸じゃないけど、水がこみ上げてくる!」(
2016/2/9放送NHK「クローズアップ現代」から)

・人生の幕引き
「がんになって、整理を始めました。撮影が終わると台本は処分して、衣類や食器など1日1点は捨てるようにしています。旗を立てて劇的な幕引きをするつもりはない。いつの間にか消えているっていうのが理想でね」(
2018/9/8付「京都新聞」から)

樹木希林さんについては、この5月に「樹木希林の「人生、上出来でございました」(ここ)という記事を書いた。
長くがんと付き合い、達観して死を受け入れた希林さんの言葉は、我々凡人がうかがい知れない悟りの境地から出た言葉のような気がする。

色々な所で語っていた希林さんの数々の名言。誰かが、これらの言葉を集めて本を出すのではないかと思う。
調べてみたら、希林さんの映画は、賞を取ったような映画はほとんど見ていた。「夢千代日記」「39 -刑法第三十九条-」「半落ち」「東京タワー」「歩いても歩いても」「そして父になる」「わが母の記」「あん」そして「万引き家族」等々、とても書ききれない。
遺作となった映画「エリカ38」も、来年公開になったら見に行こうかな・・・・。 

またひとり、大女優が世を去った。合掌。

(付録)
<連載「(語る 人生の贈りもの)樹木希林」(全14回)2018年「朝日新聞」より> 

(関連記事)
樹木希林の「人生、上出来でございました」 

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2018年9月17日 (月)

2018年「第18回シルバー川柳」入選20句

180917kana 今日は、敬老の日だという。どうも自分もその対象らしく、もうすぐ5歳になる孫が幼稚園からハガキを送ってきてくれた。
自分でハサミで切ったというウサギさんが可愛い。

先日、好例の「シルバー川柳」の入選作が発表になった。ちょっと覗いてみよう。

「第18回シルバー川柳入選発表」
■デイサービス「お迎えです」はやめてくれ (大阪府 68 歳 男性)

■ベンツから乗り換えたのは車椅子 (奈良県 65 歳 女性)

■朝起きて調子いいから医者に行く (埼玉県 77 歳 男性)

■百年も生きりゃ貯金に先立たれ (大分県 46 歳 男性)

■仲いいねいいえ夫は杖代わり (埼玉県 67 歳 女性)

■「インスタバエ」新種の蝿かと孫に問い (滋賀県 83 歳 男性)

■うまかった何を食べたか忘れたが (三重県 52 歳 女性)

■Siriだけは何度聞いても怒らない (東京都 32 歳 男性)

■靴下を立って履くのはE難度 (東京都 56 歳 女性)

■「ご主人は?」「お盆に帰る」と詐欺に言い (群馬県 73 歳 女性)

■「もう止めた」検査ばかりで病気増え (山形県 85 歳 女性)

■お揃いの茶碗にされる俺と猫 (島根県 50 歳 女性)

■納得をするまで計る血圧計 (東京都 69 歳 女性)

■家事ヘルパー来られる前に掃除する (熊本県 82 歳 女性)

■歩幅減り歩数が増えた万歩計 (新潟県 77 歳 女性)

■私だけ伴侶がいると妻嘆く (東京都 58 歳 女性)

■古希を過ぎ鏡の中に母を見る (大阪府 76 歳 女性)

■無宗教今は全てが神頼み (東京都 72 歳 男性)

■君たちもどう生きるかと子に聞かれ (長野県 52 歳 女性)

■懐メロが新し過ぎて歌えない (千葉県 65 歳 男性)
(平成30年:20作品 応募総数:7,872 作品)
ここより」

この中で、自分にフィットしたのは・・・
「私だけ伴侶がいると妻嘆く」
女性は、亭主に先立たれると自由になって長生きするのは常識。
先日、カミさんが、漢方の都内ミニツアーに行ったが、帰ってきてから、まさにこの川柳の通り。一緒の女性たちが、亭主に先立たれて自由だったらしい。その点、我が家ではまだ亭主(自分)が生き残っているので、ご不満とのこと。
嗚呼・・・!

「君たちもどう生きるかと子に聞かれ」
これも身に沁みるな・・・。我が家では、別に言われてはいないが、世の若い人(現役)からそう見られているのかも・・・。
未開地の部族がうらやましい。長老というのがあって、部族の頂点に立ち、尊敬を集める。自分も、その経験から充分にやっていける自信はあるが、誰も年寄りだからと言って、尊敬してくれない。
嗚呼・・・!

樹木希林さんも、15日に亡くなったという。自分も好きだった名優。
ご冥福を祈る。

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2018年9月16日 (日)

「この子を残して」~永井隆の話

先日、NHKラジオで「カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス 声でつづる昭和人物史~永井隆」(2018/08/27放送)を聞いた。
この音声は、昭和25(1950)年8月9日の「朝の訪問」という番組の録音だという。当時、永井42歳、死の9ヶ月前だったという。

<NHKラジオ「声でつづる昭和人物史~永井隆」より>

<NHKラジオ「声でつづる昭和人物史~永井隆」よりmp3>

藤山一郎が歌う「長崎の鐘」は、子どもの頃から良く知っていた歌(ここ)。
しかし、その背景についてはほとんど知らなかったが、今回、永井博士の実際の声を聞いて、著書「この子を残して」(ここ)を読む気になった。

図書館で借りてきた「この子を残して」は、2015年発行だったが、あまり借りている人がいないせいか、まだ新しかった。
テーマとして、孤児、キリストについての記述が多い。その中で、気になった言葉を引いてみる。
「日本は殺生は嫌いだと言ってねずみも殺さぬ人が多いが、死線にさまよう人間の子をかえりみる人はそれより多かったであろうか? 生き物をかわいがると言って、ねこを二匹も飼っている人は多いが、その人びとは、ねこよりさきに人間の子の宿無しを思ったであろうか?……ねずみよりも手軽にあつかわれる人の子の生命、ねこよりもかわいがられぬ人の子?――ただ両親がおらぬというだけのことで……。
 そして住むに家なく街にさまよえば、目ざわりになるとて嫌われ、やっかい者だとて冷たい目で見られ、働けば、ヤミ行為だとて追われ、あげくの果ては、ならず者仲間と共に狩られ、捕らえられ、取り調べられ、いやおうなしに収容所へ入れられる。
 ――これではいくら素直な少年であっても、純真な少女であっても、悪くならずにはおられぬではないか?」
(永井隆著「この子を残して」p48より)

「ろうそくが短くなると、いまにも消えるか? とそのほうにばかり気を取られ、仕事の手につかぬ人がいる。いくら心配したって寿命は延びないのに――。」

「いちばん欲しいものは――時間。
 その惜しくて惜しくてたまらぬ時間を、善意の訪問客に横領される。」(
同p105より)

「死んでから神から審判を受ける。そのとき問題になるのは、生きていた間に「何をしたか?」ではなくて「いかにしたか?」である。「だれの子であったか?」は問われない。「子としていかに親に仕えたか?」が問われる。「職業は何であったか?」はまったく問われないで、「自分の職業をいかに勤めたか?」が問われる。天国へ行ってからは、この世での身分の高かったこと低かったこと、賢かったこと愚かだったこと、強かったこと弱かったこと……は、消えてしまっている。」(同p186より)

永井博士は、もうすぐ自分が死に、二人の子どもが孤児になることが分かっている。よって、その頃の孤児について、考えている。当時、誠一14歳、茅乃(かやの)8歳。

話は飛ぶが、現在の孤児の収容施設について、wikiで引いてみると、こんな状況らしい。
「児童養護施設~wikiより
・・・厚生労働省「社会福祉施設等調査」では、2014年10月1日現在、児童養護施設は590施設、入所定員は33,008人、在所児(者)数は27,468人(在所率83.2%)である。施設では児童指導員や保育士等が働いており、職員数は16,672人。
厚生労働省「児童養護施設入所児童等調査」では、2013年2月1日現在、入所児童の平均年齢は11.2歳、平均入所期間は4.9年である。2016年度の総施設数は615となっており、うち公立は37に対し、私立は578となっている。
以前は「孤児院」と呼ばれていたが、現在はむしろ孤児は少なく、親はいるが養育不可能になったため預けられている場合が圧倒的に多い。中でも、虐待のため実の親から離れて生活をせざるを得なくなった児童の割合は年々増加している(2013年2月の調査では59.5%)。
日本では社会的養護の子どもたちの90%が施設で、10%が里親等という形であるが、これは世界的にも先進国の中では、ややいびつな形で児童の権利条約の原則からも外れ、権利委員会からも指摘をされているところである。・・・」

著書と同時に、映画もあるとのことで、DVDを借りて見てみた。随筆である著書がどのような映画になるのかと思って見たが、永井博士の死までの物語だった。
映画「この子を残して」(ここ)は木下惠介監督で、1983年に公開されたというので、まだ新しい。脚本は、山田太一と木下惠介。音楽は木下忠司。

その映画の中で気になったセリフ。淡島千景扮するお婆さんのこんな言葉があった。
「ばってん、我慢しとりましたが、言いたか事がもひとつあるとです。緑も静子も私の娘たい。そん娘は神に召されて天国にいったとじゃあありません。犠牲の仔羊じゃありません。原爆に殺されたとです。負け戦を承知で戦争ば止めなかった奴らに殺されたとです。何もかんも遅すぎたとです。そんために、7万人もの人が死んで、7万人以上の人が焼けただれて、何が平和のための犠牲なもんですか。そいやったら、なぜ罪もなか子どもまであんなむごい殺し方をするとですか・・・」

そして、編集者とのこんな会話。
「なしてそんげんお書きになるとですか?」
「食うためばい。婆さんと2人の子供、どげんして食うていったらよかか。いくら書いても進駐軍の検閲が厳しくて、まだ1冊も本になっておらん。1銭も入っておらんばい。ばってんいつか本なって、世の中に出て、長崎の心、原爆にやられた者の心ば知ってもらいたか。そういうと偉そうに聞こえるが、本心は金たい。金ば残していきたか。・・・」

本には無かったが、映画のこんなセリフが永井博士の本音を語っているようで面白い。まさに残された子どもに残しておきたいのはお金。しかも、印税のような日々入ってくれるお金は子どもの将来にとって有り難い。
孤児も、お金が無いと、幾ら親戚に預けられても死に至ることは、野坂昭如の「火垂るの墓」でも語られている。
その点、永井博士の著書は、ベストセラーになったというので、良かった。
wikiによると、長男・誠一氏は時事通信社で定年まで勤め、2001年に死去。次女・茅乃さんは、2008年に死去。どちらも60歳台の死だったらしい。誠一氏には、一男一女、茅乃さんは一女がいたとのこと。 

この映画「この子を残して」のラストシーンでは、原爆で焼けただれて逃げ惑う人々の姿が描かれていた。そのバックに流れていたのが、峠三吉の「にんげんをかえせ」と原民喜の「水ヲ下サイ」の原爆詩に木下忠司が作曲したこの歌。

<映画「この子を残して」サントラより>

<映画「この子を残して」サントラよりmp3>

「にんげんをかえせ」  峠三吉

       『序』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

峠三吉の「にんげんをかえせ」は、前に「峠三吉「人間をかえせ」のレコードを聴いた」(ここ)という記事を書いた。

自分のお袋は長崎市の生まれ。お袋の従兄弟一家がまだ住んでいる。そんな意味では、我が家も長崎とは縁が深い。
180916nyokodou 自分がそんな長崎に初めて行ったのが、大学3年の時だった。アルバムを見たら、昭和43(1968)年7月21日に、観光バスで長崎を廻った。如己堂にも行ったが、バスの窓から覗いただけ。その時にバスの中から撮った写真が残っていた。

ともあれ、夜中に聞いたラジオの番組から、永井隆の世界を一回りしてしまった。
このように、「長崎の鐘」という歌の“表面”は知っていても、背景の世界に入っていないことも多い。時間はたっぷりある。他にも色々と覗いてみよう。

(関連記事)
藤山一郎の「長崎の鐘」+永井隆博士の短歌 
峠三吉「人間をかえせ」のレコードを聴いた 
沢田美喜のエリザベス・サンダースホーム 

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2018年9月14日 (金)

立川の「南極・北極科学館」に行く

今日は、カミさんが立川のオーロラを見に行きたいというので、国立極地研究所「南極・北極科学館」に行ってきた。前にテレビで立川の紹介の番組があり、そこで立川にオーロラのシアターがあるのを知ったという。
HPを見ると、駐車場が無いというので、道路を挟んで前にある立川市役所の北側広場の駐車場に車を駐めた。市役所が駅からこんなに遠いのだと知った。

この辺りは、米軍立川基地の跡地だけあって、どの建物(施設)も大規模。この研究所も広い。その一角にある「南極・北極科学館」。平日の午前中なので、誰もいないだろう、と思っていたが、中学生の一群、そしてバスによるシルバー族の一群と一緒になってしまった。

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受付で女性が事務をとっていたが、入場料無料なので、そのまま展示室へ。平屋の展示室には、大きな雪上車が目を引く。中に入ってみると、通信機や温度計と一緒に、左右にベッドがある。それにしても車内は天井が低いので、長期の生活はツライだろう。

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オーロラシアターは、天幕のシアターだった。小さなテントの中に、椅子が6個ほど。実施に南極で撮影したオーロラをプラネタリウムのように上映していた。案内板には「2010年7月に開館して以来の設備を、2017年1月にリニューアルした」とあった。

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一緒にテントに入った中学生は、相変わらずふざけていて騒がしい。女の子は必死にメモを取っているが、男の子は、友だちとふざけていて、まだまだ子ども。
雪上車の裏には、昭和基地に行った犬の写真があった。タロ、ジロの名前は、有名。映画「南極物語」にもなった。第6次からはペットとして連れて行ったとのこと。

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そして歴代観測船の模型。さすがに初代「宗谷」は小さい。最初に建てた建物は木造のプレハブだったとか。確かミサワホーム製。重機も何も無いところから建てたので、人力で可能なように、木造プレハブだったとか。これが我が国のプレハブ住宅第1号だそうだ。

自分が興味を持ったのが、氷床コアの掘削用ドリル。これで3000mを超える穴を掘ってアイスコアを掘り出すと言うからスゴイ。前に見た映画「南極料理人」でこの場面が良く出た。

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外に出ると、絵はがきが展示されていた。カミさんがオーロラの絵はがきが欲しいと言っていたが、売店はお休み。残念。

帰り道、大きな建物を横切れるらしいので入ってみた。国文学研究資料館という。中央の大きな通路に、ちょうどランチ前だったので、弁当屋さんが店開き。
入り口に板本の実物があった。「江戸時代の板本を展示しています。手に取って、ご自由にご覧下さい」とある。手に取ってみると、紙が薄い。それに手彫りの版木で刷ったにしては、精細。今、藤沢周平の小説を読んでいるが、この版木の彫り師が良く出てくる。
それで刷った本の出来映えにはビックリ。江戸時代の出版物の質の高さを思い知った。

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カミさんは、オーロラシアターが一番良かったと、再度見に行っていたが、自分は板本のホンモノの方が印象に残った。

帰りは、立川市役所のレストランでランチして、伊勢丹で買い物をしてから帰った。
探せば、近くに色々ある見学場所だが、ある平日の、ブラブラ小見学であった。

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2018年9月13日 (木)

東京五輪のボランティアは「学徒動員」?サマータイムは国民の「動員」が目的?

昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「「みんなで支える五輪」を問う 学生ボランティア確保/サマータイム突如浮上
 2020年の東京五輪・パラリンピックをめぐって、国が学生ボランティア確保に前のめりになったり、サマータイムの検討導入が突如浮上したりしたことに、「国民の動員だ」と批判する意見が広がっている。「みんなで盛り上げよう」という呼びかけに、「強制」の危うさはないのか。

 ■半強制の動員「憂慮」 学生ボランティア確保
 東京五輪・パラリンピックで、組織委員会は過去最大規模となる8万人の大会ボランティアを募集する。報酬や宿泊費は出ず、1日8時間で10日以上など条件は厳しく、英語など語学力も期待される。近年は商業主義が顕著な五輪に無償参加を求めていることに「ただ働き」「搾取だ」との批判が出た。さらに主力と目される学生の確保を見込んで、文部科学省が7月、大会期間中の授業の変更を認め、ボランティア参加を促すかのような通知を大学に出すと火に油を注いだ。ネット上には「学徒動員」との言葉も躍る。
 「こうした批判が盛り上がるのは、国民みんなで支える五輪という『物語』が破綻(はたん)しているからだ」。ボランティア活動を研究する仁平典宏・東京大准教授(社会学)は指摘する。
 五輪ボランティアは1984年のロサンゼルス五輪で脚光を浴びた。コスト削減に寄与し、成功の一因とされる。ただ、以降は未成熟なボランティアによって運営の不手際が生じたことも。大量のボランティアを使うと報酬は支払わなくてもコストがかさみ、「コンパクト五輪」に逆行するとの指摘もある。
 ボランティア活用は利点ばかりではないのに、組織委が過去最大規模にこだわるのはなぜか。「国民が一丸となった『おもてなし』という『物語』を描いているからではないか」と仁平さんは推測する。「無償」は純粋な気持ちの象徴で、商業主義への反論にもなるからだ。
 だが組織委の思惑と国民の感覚にはずれがあるようだ。64年の東京五輪は戦後の復興と結びついた意識を国全体で共有できた。今回は開催意義がそもそも分かりづらいのに、「国民は参加して当然」というような姿勢が反発を招いている。
 「語学力を試したい」など、個々人の「小さな物語」を実現したくてボランティアを希望する人はいる。こうした行動を「やりがい搾取」などと問題視するのは行き過ぎだ、と仁平さんは考える。
 憂慮するのは、「みんなで支える五輪」という見栄えを守るために、半強制的な動員を「ボランティア」と称することだ。98年の長野五輪でも業界団体や自治体などからの動員が問題になった。「大学も含めて中間集団からの動員は日本のお家芸。都合をつけやすい学生は狙われる可能性が高く、無理な働き方とあわせて、注意が必要だ」

 ■不参加、許されない? サマータイム突如浮上
 標準時を1~2時間早めようというサマータイムは、五輪の暑さ対策を目的に政府・与党が検討を始めた。日本近現代史を研究する辻田真佐憲さんは「競技時間をずらせば済む話なのに、歴史上の出来事だった国民の『動員』をまざまざと見せつけられた」と驚く。
 五輪に興味を持たない自由もあるのが、成熟した社会だ。「夏時間を設ければ、国民は強制的に巻き込まれる。国策イベントへの不参加や無関心を許さないという表れだ」と言う。
 64年の東京五輪は暑さを避けて10月開催だった。今回の真夏の開催にそもそも無理があると考える人は少なくない。しかし力ずくで国民を巻き込んで、何としてでも成功に導こうという姿勢に、辻田さんは太平洋戦争時における日本との共通点を感じてしまう。「五輪関係者の発言で最近目に付くのは、『暑さはチャンス』とか、打ち水の効果を大々的にアピールするとか。竹やりで立ち向かうような精神論に似ている」
 辻田さんのこうした意見がネットに載ると、賛同が多かった。ただ、このような疑問は、大会が近づくにつれてかき消されていく、と懸念する。「『今さら引き返せない』『感動に水を差すな』といった声がきっと増えてくる。大勢が巻き込まれると、そこから抜け出すことはなかなか難しい。同調圧力が高いのは日本社会の特徴ですから
」(宮本茂頼)」(2018/09/12付「朝日新聞」p31より)

我が家はへそ曲がりが多いせいか、こんな話を聞くと、“ナールほど”とツイ思ってしまう。
我が家は、そもそも東京五輪の招致からして「バッカみたい」と思っているので、それに付随する全てに対して、横目で見ている。
しかし、サマータイムの話などを聞くと、確かに「国策イベントへの不参加や無関心を許さない」という匂いを感じる。「どうせ経団連が反対するさ」ナンテ思っていると痛い目に遭うかも知れない。何せ、権力者が目指しているのは、形を変えた「国家総動員法」だから・・・!?

「うがった見方」という言葉があるが、(ここ)を見ると「文化庁が発表した平成23年度「国語に関する世論調査」では、「うがった見方をする」を、本来の意味とされる「物事の本質を捉えた見方をする」で使う人が26.4パーセント、本来の意味ではない「疑って掛かるような見方をする」で使う人が48.2パーセントという逆転した結果が出ている。」とある。

上の議論は、「うがった見方」かも知れない。
しかしこの議論、「疑って掛かるような見方」をした結果では無く、本来の「物事の本質を捉えた見方」をした結果のような気がして怖い。
いやはや、どこか権力者の裏側に、国家総動員法の復活を目指している知恵者が潜んでいると想像すると怖ろしい今の日本ではある。

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2018年9月11日 (火)

「苫東厚真“火力”発電所」の正式名は「苫東厚真発電所」

6日(2018/09/06)未明に起きた最大震度7の「平成30年北海道胆振東部地震」。今日現在、死者41人を出した大災害だが、震源地に近い苫東厚真発電所の停止をきっかけに、北海道全体が停電したことの報道で、各報道機関が「苫東厚真“火力”発電所」と報道しているが、実は正式名称は「苫東厚真発電所」で、“火力”が無いのだ。
自分は、現役時代の仕事で、最大の顧客が各電力会社だった。よって、顧客に提出する図書の表紙には必ず顧客の名称が入る。そこで顧客の名前を間違えることは有り得ないことだった。そんな経験があるので、どうも「苫東厚真“火力”発電所」が気になる。

些細なことかも知れないが、各報道機関が、それをどう扱っているのかをググってみた。
すると、主に「苫東厚真“火力”発電所」と表現しているのが、NHK、TBS、フジテレビ、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、東京新聞、北海道新聞、経産省・・・
そして、主に「苫東厚真発電所」と表現しているのが、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京、日経新聞・・・だった。
実はほとんどの報道機関が、“火力”有りと無しが混在している。上の結果は、「苫東厚真 朝日新聞」などのキーワードで、ググってみた結果の印象である。
ここで面白いのは、経産省も“火力”入り(ここ)。そして地元の北海道新聞も“火力”入りなのだ。

ちなみに、各電力会社ごとに調べてみると(ここ)、発電所の名称に「火力」を入れているのが、東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、沖縄電力、電源開発・・・
そして「火力」を入れていないのが、北海道電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力・・・だった。

これらを見ると、発電所名に「火力」を入れないのは決してマイナーでは無い事が分かる。しかし一般通称としては、「火力」を入れた名称が普及している。
この苫東厚真にしても、Google でググってみると、「苫東厚真“火力”発電所」は119万で、「苫東厚真発電所」は38万。明らかに“火力付”の勝ち!!

どんな経緯で各電力会社が、「火力」を入れたり入れなかったりしたかは分からない。
まあ、今さらどうしようも無い発電所の名称だが、大昔に国が、「火力発電所の名称には、必ず“火力”を入れろ」と指導しておけば、統一されて一般に分かり易かったかも・・・ね。

そんな些細なことよりも、2011年に計画停電を体験した者として(ここ)(ここ)、何が何でも、計画停電だけは避けなければ・・・。
当時、節電でかなり使用電力は減った。皆の知恵で、一刻も早い復旧を祈りたい。

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2018年9月10日 (月)

「日米開戦、なぜ突き進んだ?」~合理的な選択よりもリスクの高い選択へ

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
日米開戦、なぜ突き進んだ 牧野邦昭准教授が経済学的分析
 なぜ日本は米国と戦争をしたのか。軍人や政治家が不合理で愚かだったからだ――。一般的に広く共有されているこんな認識を、大きく揺さぶる本が現れた。『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』(新潮選書)。指導層が勝ち目の薄い戦争へ突っ込んでいった理由を、現代の経済理論を使って解き明かす。著者の牧野邦昭・摂南大学経済学部准教授に聞いた。
 戦前の指導層の愚かさを物語るエピソードとして取り上げられてきたのが、経済学者有沢広巳(ありさわひろみ)(1896~1988)の証言だ。開戦前年の1940年から有沢ら有力な経済学者は、陸軍の秋丸次朗中佐が組織した秋丸機関で米国や英国、ドイツ、ソ連の経済抗戦力を調べた。日本もドイツも生産力は頭打ちだが、米国は巨大な余力を持つという結果を秋丸中佐が陸軍首脳部に報告したところ、「(対米開戦という)国策に反する。書類はただちに焼却せよ」と命じられ、有沢の手元にも報告書は残らなかったという。
 焼却されたはずの報告書は、二十数年前から見つかり始めた。数種類あるが、一部は有沢が残した蔵書に含まれていた。牧野さんも古書店で販売されていた別の報告書を購入した。
 近代日本経済思想史を専攻し、『戦時下の経済学者』(中公叢書、石橋湛山賞)という著作で秋丸機関に言及した牧野さんは、さっそく報告書の内容を精査し、そのころの論壇で公表されていた論文と比較した。すると、謎が立ち上がった。
 「秋丸機関の報告書に書いてある内容が、当時の常識的な議論だったということです」
 英国が船舶輸送に弱点を抱え、ドイツの国力が41年にピークを迎える一方で、米国には大きな経済力があるという論旨は総合雑誌などに出ており、検閲にも引っかかっていなかった。
 ならば日本の指導層は、海外の情勢も米国との国力の差も知ったうえで戦争を始めたことになる。一体どう説明すればいいのか。
 「現代にも通用する意思決定の問題なので、大まかでもいいから現代の人が理解できるロジックが必要」と考え、牧野さんが取り入れたのが行動経済学と社会心理学だ。
 近年急速に発展し、ノーベル経済学賞の受賞者が輩出する行動経済学によれば、損失の発生が予想できると人間は、合理的な選択よりもリスクの高い選択に傾きがちになる。当時の日本は、米国の石油禁輸で「ジリ貧」が想定されていた。それを避けるために選んだ高リスクの決断が、対米開戦だった。
 また、陸海軍と政府が入り乱れた戦前のような集団意思決定の状態だと、結論が極端になることが社会心理学で知られている。日本の指導層は「船頭多くして船山に登る」状況の中で、よりリスクの高い選択へと向かった、というのが牧野さんの分析だ。
 専門の経済思想史を飛び越えた議論だが、「一つの問題を掘り下げると、一つの分野だけで説明するのは無理が出てくる。いろいろ調べないと解けません」と話す。「そもそも経済はあらゆる分野に関わるので、経済学自体が越境する学問だと考えています」
 大胆な越境で導き出した結論は、恐ろしくもある。指導層が特に愚かというわけではないのに、不合理な結論に至ったとするのであれば、日本が再び同じような選択をする可能性はあるだろう。「それは念頭に置いて書きました。おそらくこれは普遍的な話で、いつでもどこでも起きうると思います」
 有沢たちが当時、開戦を止める報告書を書けなかったのかという可能性も探った。ここでも行動経済学を踏まえ、利得が予想できるとリスクを避けるという性向を利用して「石油がなくなっても米国と勝負できるポジティブなプラン」で時間を稼ぎ、米ソ冷戦開始を待つ案を考えた。
 「重要なのは、複数の選択肢を持つこと。それにはエビデンス(事実)だけでなく、将来へのビジョンが必要になる。経済学はビジョンを打ち出す学問でもあるんです」
 ギリギリの状況で立てた選択肢に賛同を得て、実現させるには何が必要か。破滅を繰り返さぬために、示唆されたものは少なくない。(編集委員・村山正司)」(
2018/09/05付「朝日新聞」夕刊p3ここより)

改めての日米開戦だが、今さらながらに「(対米開戦という)国策に反する。書類はただちに焼却せよ」という陸軍首脳部の判断に辟易する。
最初から結論ありきで、後付けでその結論に合ったエビデンス(証拠)作りに終始する。今の政権がやっている事とまったく同じだ。

そして、「損失の発生が予想できると人間は、合理的な選択よりもリスクの高い選択に傾きがちになる。」「陸海軍と政府が入り乱れた戦前のような集団意思決定の状態だと、結論が極端になることが社会心理学で知られている。」だという。

こんな記事を読みながら、現役時代のあるプロジェクトを思い出した。プロジェクトリーダーだった自分は、そのテーマである結論を先に出していた。そして各部署から集めたメンバーによる定期的な合同会議で、司会をしながらある結論に導いて行った。
そして会議の総意として、その結論が出た後、その改革案を実行するべきか否かの経営判断をする段階になった時、反対意見に対して自分が思ったことは、「せっかく時間をかけてまとめた案。それがボツになると、今まで自分がしてきた活動そのものの否定」という感傷だった。
体制の大きな変更だったので、果たしてうまく行くのか、心配をする人も多かった。しかしそれを押し通した原動力は、自分のメンツだったのだ。これがつぶれたら、自分に対する全否定。本来の課題解決よりも、心はそっちだった。

先の戦争についても、軍の存在意義、つまりはメンツで戦争を始め、どんなに負けても、それを直視せず、一億玉砕に突き進んでいった。自分を絶対に否定しない(陸)軍。
上で論じられているように、リスクの無い手段よりも、リスクがある手段の方が、前向きに見える。慎重な後ろ向きの案よりも、行け行けどんどんの方が、格好が良さそうで皆を説得しやすい。

今の政権が進んでいる方向を皆が心配している。結論ありきで、進んでいる政治を。
現役をリタイアしてだいぶ経つが、今なお現役時代の夢を良く見る。
皆、悪夢だ。
結果として、罪深いことを数多くしたようで、いまだに気が晴れない。
自分なりに思う存分良くやった、と思う反面、色々なエピソードを思い出しては、「日米開戦の時の軍と同じだった?」と、いまだに現役時代を吹っ切れない自分である。

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2018年9月 7日 (金)

「お金がない」に騙されるな~海外にお金をばらまく日本

先日、朝日新聞でこんな面白い記事を読んだ。
「(思考のプリズム)財政緊縮で得するのは 「お金がない」に騙されるな 岸政彦
 お金がない。この国には、お金がないそうだ。
 財政が赤字なのだそうだ。そのため国債というもので借金をしている。その返済が大変なのだ、という。これが実は子どものころから理解できなかった。国がお金を借りている。誰に。国民に。どうやって返すの。税金から。その税金は誰が払うの。国民。というところまで説明されてますます混乱する。それ、ひとりの人の右手から左手にお金を移動させてるだけじゃないの。
 子ども心に素朴に、借りたお金を返さなかったら、黒い服を着た怖いおじさんたちが家に来ると思っていた(素朴すぎるが)。国債を発行しすぎると、誰に叱られるんだろうか。
 経済や財政の詳しいことについてはいくら勉強してもさっぱりわからないので、私がぼんやり考えていることも、間違いが含まれているだろう。しかし、どうも最近の経済学などで、財政が赤字でも緊縮しなくてもよい、あるいは、景気の悪いときはむしろ緊縮してはならない、という考え方もちゃんとあるらしい。
 財政が赤字だからもう政府はお金を出しませんよ、という考え方によって、誰か得をするひとがいるのだろうか。
     *
 先日、LGBTの人たちは子どもを作らないから「非生産的」だ、という、とんでもない暴言を吐いた政治家がいた。ある雑誌に掲載された、その文章を読んでみると、趣旨はようするに、「そういう人たちまで社会保障で面倒見られませんよ」ということだった。そういえば、憲法を改正して、もっと家族をつくって自分たちで自分たちの面倒を見させるようにしよう、という政治家も多い。これも要するに、国が国民の面倒を見ることをやめて自分たちで何とかしてほしい、ということである。
 大学でもいろんなことがある。いちばん大きな変化は、書類が増えたということだ。これはひとつには、同じ大学の教員どうし、あるいは大学どうしで競わせて、研究費を獲得させるということをしているためだ。もう国には科学や学問のために出せるお金がないので、いちばん「生産性」が高そうなところを選択してそこに集中しますよ、ということである。
 大阪でこの間何が起きていたかというと、公務員バッシングをして人びとの溜飲(りゅういん)を下げた政治家が、大阪市を解体して市の予算を大阪府全体で使ってしまおう、という話だ。公務員バッシングも大阪市の解体も要するに同じ話で、つまりお金がないのである。
     *
 繰り返すが、私は難しいことはわからない。しかし、さいきんの身の回りのいろいろなできごとを観察しているうちに、国の偉いひとたちは、国にお金がない方がいろいろと都合が良いのではないか、と思うようになった。
 どんな権威も権力も、お金がないんです、予算がないんですよ、だから仕方ないですね、というロジックに勝てるものはない。お金がない、ということによって、財務省は文科省に対して権限が強くなり、文科省は大学に対して権限が強くなり、大学は教員に対して権限が強くなる。人びとをコントロールする上で、これほど有効なものはない。
 驚くことに、朝日新聞を読んでいるリベラルな方々でも、緊縮財政路線を守る方が多い。もう日本は経済成長しない、財政も赤字で、人口は減ります、だからあとは、みんなで仲良く貧しくなりましょう。ある有名な社会学者がこう書いていて、心底驚いたことがある。
 みんな気をつけよう。私たちは、騙(だま)されてるだけかもしれないのだ。ほんとは財政を緊縮させなくてもいいのに、そっちのほうが都合がいいから、そう思わされてるだけなのかもしれないよ。(社会学者)」(
2018/08/22付「朝日新聞」夕刊p3より)

「国がお金を借りている。誰に。国民に。どうやって返すの。税金から。その税金は誰が払うの。国民。・・・・」
確かにその通り。
国の借金は、2017年9月末現在で1080兆円だという(ここ)。国の年会予算の10年分。
前から言われているように、お金が無い日本は、総理の外遊に伴って、外国にお金をばらまいている。
ググっていると、「安倍政権が外国にばらまいた金額一覧」ここ)というサイトがあって、ここに挙がっている項目をコピペしてみると・・・

▼ミャンマーに日本への支払いが滞っている債務のうち新たに2000億円を免除し、およそ5000億円の債務を解消するほか、円借款と無償資金協力を合わせて総額910億円のODAを実施
▼中東・北アフリカ地域に対し新たに総額22億ドル=2160億円規模の支援を発表
▼安倍首相、シリアの女性支援にODA3000億円表明 国連演説
▼シリア難民に59億円追加支援、安倍首相が国連演説
▼ASEANに5年間で2兆円規模の 政府開発援助(ODA)拠出を発表
▼「ラオスに円借款90億円」 安倍首相、供与を表明
▼モザンビークに支援表明 700億円のODAを供与
▼インドへ円借款2000億円 首脳会談
▼バングラデシュに6000億円支援=政府
▼ウクライナに最大1500億円支援 日本
▼安倍首相パプアニューギニアに今後3年間で200億円規模のODAを供与すると表明
▼チェルノブイリ支援に3.5億円=安倍首相表明、ウクライナで署名式
▼インドに5年で3兆5000億円の官民投融資、日本政府が約束
▼日・スリランカ首脳会談、日本がアンテナ塔などの施設整備に約137億円の円借款を供与表明
▼日本政府、1兆7400億円の途上国支援決定
▼安倍首相、エボラ対策として、国連などに43億円の追加支援を表明
▼安倍首相、中東支援で新たに55億円の緊急支援を表明
▼ガザ復興へ 日本政府、約22億円の支援表明
▼ミャンマーに円借款260億円供与 安倍首相、大統領に表明
▼エジプトに円借款430億円 首相、中東訪問で表明へ
▼安倍首相、中東政策スピーチ 安定化に25億ドル(約3000億円)支援表明
▼難民支援でヨルダンに147億円 首脳会談で安倍首相表明
▼シリア難民の新たな支援で7億円 政府
▼政府:アジアのインフラ投資支援に約13兆円を提供
▼中国の緑化、日本政府が100億円拠出へ
▼安倍首相エジプトインフラ整備に約411億円の政府開発援助発表

以下延々と続く。

今の政権は外交が売りだそうだが、訪問先は、そりゃ日本の総理大臣を歓迎するはず。お金をたくさん持ってきてくれるのだから・・
これらは、全てが無償援助という訳でもないだろうが、「中国の緑化、日本政府が100億円拠出へ」という見出しが気になった。この項目を叩いてみると・・・

中国の緑化、日本政府が100億円拠出へ
 政府は3日、中国で植林・緑化事業を行う民間団体を支援する「日中緑化交流基金」に対し、100億円弱を拠出する方針を固めた。
 2015年度補正予算案に盛り込む。民間交流を通じ、両国の関係改善につなげる狙いがある。
 同基金は、小渕恵三首相(当時)が主導し、1999年に日本政府が100億円を拠出して創設された。中国で植林・緑化事業に携わる日本の民間団体の経費などを助成し、毎年約1000万本、計約6万5000ヘクタールの植林が行われたという。植林などにより、発がん性の微小粒子状物質(PM2.5)が中国から飛来する「越境汚染」の低減が期待されている。
 ただ、基金は今年度末で10億円程度に減少する見込みで、活動の先細りが懸念されていた。日本政府は創設当時の規模に基金を積み増し、中国側の資金提供も受けて、日本国内や東南アジアなどでの事業拡大も検討する考えだ。(
2015年12月04日付「読売新聞」ここより)

こんな記事を読むと、日本は気前の良い“大金持ちの国”だということが良く分かる。
まあ、トランプ大統領の言いなりになって、イージス・アショアとかいう無用の長物に6000億円もかけるというのだから金持ちだ。

一方、お隣の中国も同じようなことをやっているらしい。言論統制の厳しい中国だが、国民から不満が噴出しているという。
中国のアフリカ支援「無駄遣いだ」 ネットで批判噴出
 4日に閉幕した中国アフリカ協力フォーラムで、アフリカのために習近平(シーチンピン)国家主席が打ち出した総額600億ドル(約6兆6千億円)の資金協力が中国国内で波紋を呼んでいる。「無駄遣い」との批判がネット上で広まり、関連の書き込みが禁止された。学者などからも同様の指摘があり、当局が神経をとがらせている模様だ。
 600億ドルの内訳は、150億ドルの無償援助や無利子融資、中国企業による100億ドル以上の対アフリカ投資など。安倍晋三首相が一昨年のアフリカ開発会議で掲げた「日本の官民で総額300億ドルの投資」と比べても格段に多い。
 中国版ツイッター「微博」では発表直後から「なぜ国内の人々の暮らしの改善に使わない」「税金が増え続ける」などの書き込みが相次ぎ、貧困地域の子供たちが飢えに苦しむ動画なども拡散した。
 対外支援の拡大については、許章潤・清華大教授が7月の論文で「過剰な援助が国民を締め付けている」と批判した。8月にも「ばらまき外交は無益だ」と語った孫文広・山東大元教授が一時拘束された。(北京=冨名腰隆)」(
2018/09/06付「朝日新聞」ここより)

ここで分かるのは、独裁者が海外で、もてはやされるために、自国民に貧困を強いて自分だけドヤ顔をしている姿。つまりは日本も独裁国家ということ?
まあ日本の場合は、中国のようにNetの書き込みが禁止されないだけマシ?

今回の関西の台風や北海道の地震に影響で、総裁選で安倍首相の“逃げ恥作戦”が成功する公算が大だという。
そんな人たちに、税金の使い道を託しているのは、我々国民なのだが・・・

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2018年9月 5日 (水)

「まっとう」が良く分かる「緊急出版!枝野幸男、魂の3時間大演説」

先日、カミさんが、ある新聞広告に反応した。“緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」”。
180905edano カミさんが読みたいというので、早速図書館にリクエストしてみたが、ベストセラーということなので、こりゃダメだと、通販で購入。2018年8月10日第一刷発行だが、送られて来たのは8月25日第四刷だった。やはり売れているらしい。

国会の演説の本。あまり聞いたことが無い。その主旨は?と本を開くと、発行理由としてこんな事が書いてあった。
本書の刊行理由
 2018年7月20日、第196回国会は実質的な最終日を迎えていた。1月22日に召集されたこの国会は、当初150日間の会期が予定されていた。しかし、政府与党は重要法案と位置付けるカジノ法案や参議院議員定数増案などを成立させるため、約1か月間の会期延長を決めた。延長国会の最中、大阪北部地震や北海道、西日本の水害と、さまざまな災害が起き、その度に野党は、国会審議よりも災害対策に力を入れるよう、政府与党に申し入れを繰り返してきた。だがその都度、野党側の要請はむなしく政府与党により却下され、ついに国会は最終日を迎えたのである。

180905edano0  森友・加計問題、働き方改革法案でのデータ偽造、そして公文書改ざん問題と、憲政史上稀に見る不祥事連続の国会の最終日であるこの日、野党は共同して、内閣不信任案を提出した。
 この不信任案決議の趣旨弁明演説を行ったのが、衆院の野党第一党である立憲民主党の代表・枝野幸男議員である。
 枝野による内閣不信任案趣旨弁明演説は、2時間43分の長きにわたった。この演説時間の長さは、記録が残る1972年以降で、衆院最長記録だという。しかしこの演説の特色は演説時間の長さにあるのではない。この演説の特色は、その内容にこそあるのだ。

 演説の内容は多岐にわたる。終盤を迎えた今国会の総括、森友・加計問題でみせた政府の不誠実な対応への指摘、公文書改ざん等に象徴される緩んだ行政への叱責、不誠実な対応に終始する政権への批判など、枝野議員の舌鋒は、この長時間の演説の中で鈍ることはない。そしてなによりもこの演説を特別なものとしているのは、枝野議員が、議会制民主主義とはなにか、議院内閣制とはなにか、国家とはなにか、政治とはなにかをあますところなく述べるくだりであろう。この演説は、その正確さ、その鋭さ、そして格調の高さ、どれをとっても近年の憲政史に残る名演説といってよいものだろう。

本書籍は、広く関心を集めたこの名演説を書籍化することで、読者各層に、
「今の日本の議会制民主主義がどうなっているのか」
「本来、議会制民主主義とはどうあるべきなのか」
 の議論の材料を提供することを趣旨としている。

野党第一党である立憲民主党の党首が衆議院本会議で行った内閣不信任案趣旨弁明演説である以上、演説の内容は本来、国会議事録で読まれるべきものである。しかし現実として、議事録を読む有権者は極めて少ない。また、昨今の報道情勢からみるに、この演説をテレビメディアなど音声媒体が取り上げる可能性も極めて少ない。
・・・・(略)・・・

国会で何が起きているか?
与党は本当に誠実に答弁しているのか?
野党は反対ばかりなのか?
野党はサボつているのか?

 国会での野党の発言は一部だけ切り取られ面白おかしく報じる一方、安倍晋三総理大臣以下各閣僚のメチャクチヤな発言さえも、わざわざ「理解しやすいように」咀嚼して報じるという姿勢に終始する大手メディアの報道だけでは決して理解することのできない、「本当の国会の姿」が、野党各党党首の演説から、見えてくるはずだ。」(「緊急出版!枝野幸男、魂の3時間大演説」p4より)

そして、この演説は原稿の棒読みではなく、数枚のレジメ(要点のメモ)から生まれたという。
あの演説はこのメモから生まれた
 約3時間(2時間43分)に及ぶ、記録が残る1972年以降で最長となる演説。
180905edano1  枝野氏は入念な原稿を準備して演説に臨んだのかと思いきや、取材の結果出てきたのは、「言いたいこと」の要旨をピンポイントでまとめただけのこれらのレジュメであった。
 本書は国会中継動画から聞き取った音声を、ほぼそのまま文字起こししたものである。そのため、ほとんど編集者の手を入れていない。
180905edanoenzetu それで、これだけ「読める」文章になっているのである。
 普段、原稿をじっくり見ながらでないと長丁場の演説をしない議員や、「ご飯論法」や「信号無視話法」と言われた答弁の書き起こしと改めて比較してもらえれば、「国会議員の誠実な発言」とは何かが見えてくるだろう。」(
同p8より)

確かに、普通、実際にしゃべった言葉を文字にすると、同じ事を繰り返したり、恥ずかしいくらい散々なのが普通。(自分も現役時代に、会議録の文字起こしをしたので良く分かる。)
それがこの演説は、まるで熟慮された原稿を朗読したかのように言語明瞭、文体明瞭、そして意味明瞭なのだ。
編者が、この演説を聞いて本にしようと思い立つのも分かる。
ところで、いったい誰が書籍化を思い立ったのかと見ると、編者は「ハーバー・ビジネス・オンライン編集部」(ここ)とある。Netで検索すると「扶桑社が運営する、"忖度しない"Webメディアです。日本が「近代」であるために、本当に“知るべき”情報を提供していきます。」(ここ)とのこと。

確かに衆議院第196回国会 本会議 第45号の議事録(ここ)を覗けば、同じ発言は文字化されている。しかし、それを読む人は少数。

もちろんこの演説はYoutubeにもアップされており(ここ)、見ることはできる。しかし書籍になった方が早く読める。

「ハーバー・ビジネス・オンライン」(ここ)の記事を読むと、この本より早く枝野演説をWebにアップした人がいるという。犬飼淳という方のサイトで(ここ)、演説の直後から無料公開していたという。(上の演説要旨の写真もこのサイトから借用)

この演説は、次の言葉で締めくくられている。
「良識ある議員の皆さんが、次の内閣改造で大臣になれるか、副大臣になれるか、政務官になれるか、次の選挙で公認されるかとか、そういうことを頭から取っ払って、みずからの信念と歴史への謙虚な姿勢、その歴史というのは未来の歴史に対する謙虚な姿勢であり、保守を称するならば、我が国の過去の失敗の歴史も含めた我が国の長い歴史に謙虚に向かい合い、この内閣不信任決議案に賛同されることをお願い申し上げ、提案理由の説明とさせていただきます。」

この本の最後に、千葉商科大学特別客員准教授 田中信一郎氏が解説で、こう述べている。
「枝野演説には、過去の提案理由説明や国会演説と異なる3つの特徴があります。
第1の特徴は、国会議員の賛否態度に変容を迫る演説であった点です。・・・・・
第2の特徴は、実質的に「建設的不信任案」の提案理由説明になっていた点です。・・・
第3の特徴は、広く一般の有権者に向けた演説でもあった点です。・・・・」(
同p117より)

まさに「今後、このように一人一人の議員の政治的良心に訴える演説が増えていけば、合意形成の場としての国会が活性化していくでしょう。」だろう。

一方、Amazonのコメントを見ると、この本を評価する人と評価しない人に大きく分かれている。政治の話なので、批判的なコメントが多いのは分かる。
しかし、枝野氏が指摘している事は“事実”。それらに触れずに、情緒的な非難が多いように感じた。

話は飛ぶが、22年前、親父の葬儀の時、最後の挨拶に立った兄貴が、長い挨拶をした。生前、親父と親交のあった人たちを、一人ずつ名を挙げてお礼を言った。後で、「良くそんな長い挨拶を原稿も無しでできるな」と言ったら、頭の中に話す順のレジメ(目次)を置いておき、それに添って話をするのだと言っていた。
この枝野さんの演説も同じ。話したい事が頭に詰まっているので、目次さえ用意しておけば、それに従って言葉はスルスルと出てくるのだろう。まさに原稿棒読みの総理大臣とは雲泥の差。

読み終わったときに、ジーンとした感動が胸をよぎった。枝野さんがいつも言っている「まっとう」という言葉が良く分かった。
そして、マスコミによって?自分もそう思っていた「時間稼ぎのための演説」という大誤解が、何とも恥ずかしい。
加えて、自分も「野党は何でも反対」と思っていた大誤解・・・。知らなかった・・・
「そもそも、多くの国民の皆さんは誤解をされているかもしれませんが、よく与党の皆さんなどが、野党は何でも反対と言っているのは、これは大うそつき、デマですからね。成立している法律等の約半数は全会一致であるということは、議場にいる皆さんならば、一回生議員の皆さんも十分御承知だと思います。
 自民党から共産党の皆さんまで、全会一致で約半数の法律がつくられています。野党第一党、現状では、私ども立憲民主党に限れば、今国会では八割の法案に、実は政府提出法案、賛成をしています。実は、二割の反対についても、多くの場合は審議に協力をしています。・・・・
 野党が徹底的に反対をしているのは、安倍内閣になって急にふえてきていますが、従来、言えば一年間に一本、二本あるかどうか。この国会でも、決して両手で数えなきゃならないほどの数はありません。何でも反対をしているというのはデマです。
 そもそもが、立法過程というものを御存じない方が、野党は何でも反対だなんというデマを流すんです。」(
ここより)

我々の情報のインプットは、TVや新聞。それらによってある意味洗脳されている?
それらを超えて、真実を見極めることの大切さを、枝野さんの演説から教えられたように思う。
この本を買わなくても、Youtube(ここ)、または国会の議事録(ここ)で枝野さんの「魂の3時間大演説」を広く聞いて欲しいと思う。

まさに、到底歴史の審判に耐えられない、そして日本人として恥ずかしい“まっとうでない”今の政治状況である。

180905edano2 ちなみに、この演説の最中、肝心の安倍総理はそれを無視して読書していたとのこと。(ここより)

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2018年9月 4日 (火)

映画「二十四の瞳」を見る

先日、NHKで放送されていた朗読「二十四の瞳」を聞いたが、ふと思い立って映画のDVDを借りてきて、今回は、カミさんと一緒に、またまた見てしまった。三度目か四度目か・・・
田中裕子主演の1987年版もあるらしいが、見たのは当然高峰秀子の1954年版。
1954年というと、昭和29年。壺井栄の小説が発表になったのが昭和27年だというので、物語の舞台となった時代と、ほとんど同じ頃の映画。
2007年デジタルリマスター版なので画質が良い。

物語は、岬の分教場の1年生と、本校に移った6年生、そして大人になった3つの時代が舞台だが、カミさんが「似ている」という。まさか子どもたちが育つまで待って撮影した?と思って、ググると、wikiにこんな記述があった。
「子役には、1年生役と、その後の成長した6年生役を選ぶにあたり、全国からよく似た兄弟、姉妹を募集。3600組7200人の子どもたちの中から、12組24人が選ばれた。そして、大人になってからの役者も、その子どもたちとよく似た役者を選んだ。
これにより、1年生から6年生へ、そして大人へと、子役たちの自然な成長ぶりを演出している。撮影は、学校休暇を中心に、1953年春から1954年春に及ぶ。24人は撮影終了後も「瞳の会」と称して時おり同窓会を行い、木下監督の葬儀にも多くが参列した。」
なるほど、考え抜かれた凝った撮影だったのだ。

実は自分は、小説そのものは読んでいなかった。だから先日のNHKの朗読は、新鮮。映画のラストで、同窓会で教え子たちが自転車をプレゼントしたが、小説では無かった。映画で付け加えたものらしい。

この1954年の「キネマ旬報ベスト・テン」(ここ)を見ると、
1:二十四の瞳(1954)
2:女の園
3:七人の侍
4:黒い潮
5:近松物語

という順位だったそうだ。天下の「七人の侍」を抑えて1位とはビックリ。

しかし名作だけに、まったく古くない。そして戦争の悲劇、反戦を強く訴える。
小説のオリジナルは(ここ)にあるが、家事をしながら、PCで朗読を聞くのも良いかも・・・・ね。

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2018年9月 2日 (日)

いいこと日記

今朝(2018/09/02)の朝日新聞の天声人語が気に入った。
「(天声人語)いいこと日記
 日記をつける習慣がほとんどない。毎日のように書いたのは中学生時代だけだった。実家に帰ったときに開いてみて、恥ずかしくなった。級友たちに対する劣等感や、女の子への片思いのつらさばかりがつづられていた▼とても読んでいられなかったが、あの頃は書くことで救われていたのかもしれない。そんな「つらいこと日記」とは、180度違うやり方があることを最近知った。「いいこと日記」。精神科医の宮地尚子さんがエッセーで書いていた▼その日の良かったことを三つ、簡単にメモするだけという。悪かったことはあえて書かない。どれほど嫌なことがあったとしても▼そんな日記を続けて宮地さんが見えてきたのは「いいことはたくさん起きているのに、それらを当たり前のように受けとめて、じゅうぶん味わっていなかったなあということ」。なぜうまくいかないのかと不満を持ち、反省することに多くの時間とエネルギーを費やしていたことも分かったという▼宮地さんにならい、きょうあったことを思い出す。みかんの青い実がふくらんでいるのを見つけた。本屋で挿絵のきれいな本に出会った。エレベーターで小さな男の子が一生懸命、「開く」ボタンを押してくれた。もう三つになった▼春がスタートの季節とすれば、秋は再スタートのときか。学生であれば夏休み明けで、学校に行くのがしんどく思えるときがあるかもしれない。つらいことはある。でも見過ごしがちないいことも、たぶんたくさんある。」(
2018/09/02付「朝日新聞」「天声人語」より)

先日、映画「阿弥陀堂だより」の、おうめ婆さんのこんなセリフを紹介した(ここ)。
「わしはね、この歳まで生きてきたけど、もう切ねえ話はうんと聞いたから、いい話だけ聞きていでありますよ。誰も切ねえ話聞くために、わざわざカネ出して本買うのはヤダもんなあ。わしゃあ、いい話聞いて、いい気持ちになりたいでありますよ。」

スタンスは一緒だ。悪い情報は体に良くない。だからもし情報の入り口で、それらを取捨選択できるとすれば、良い情報だけを入れたいもの。
しかし、新聞やTVニュースを見ると、ほとんどが悪い情報。政治の世界もバッカみたいな話が多すぎる。

前に昭和33年、小学校5年生の頃の思い出話を書いたとき、当時の小学校の校長のことを思い出した(ここ)。
10年も前の記事だが、こんな事を書いた。
「それと思い出すのが「表彰」。この小学校の校長が「誰でも何か褒める事があるはず」との考えで、誰でも何かの理由で表彰された。順番に全校生徒の前で「表彰」されるので、嬉しかった。その話が先にお袋の耳に届き、学校から帰ると「学校で表彰されたんだって?」と言われ、得意になったものだ。この校長の「子供を褒めて育てる」という方針は、今でも正しいと思っている。」

良いこと、褒めることは人間を前進させる。子どもの時に先生に褒められたことがきっかけで、大人になってその道の大家になる事は良くある。
良いことだけに目を向けたい。しかし現実がそれを許さない。
2つの孫が、幼児用の椅子でバナナを食べながら寝てしまい、椅子からずり落ちて悲惨な?格好で眠っている写真が送られてきた。
こんな微笑ましい写真を見ていると寿命も延びる。しかし悪いニュースは寿命を縮める。
できるだけ良い出来事をたくさん聞いていたいものだが、ま、今の世の中、無理ですよね。

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