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2018年8月19日 (日)

「ぼくは、妹と母を手にかけた」旧満州からの引き揚げ者・村上敏明さんの話

NHKラジオ深夜便で「シリーズ・戦争平和インタビュー(2) ぼくは、妹と母を手にかけた~旧満州からの引き揚げ者 村上敏明」(2018/08/14放送)を聞いた。
戦争の残酷さ、悲惨さを改めて思い知った。

<NHKラジオ深夜便「ぼくは、妹と母を手にかけた村上敏明>

*上記は、41分間38MBのデータ量があります。PLAYボタンを押すと、ダウンロードが始まります。

★今まで、7~8分以上の音源は、ZIPファイルとして別にアップしていましたが、今回41分間をそのままアップしてみました。ZIP解凍の手間が省けるのでOK? ダウンロードでレスポンスが悪くなるのでNG? どちらが良いでしょう? 乞うご意見。

自分の大好きな映画「阿弥陀堂だより」に、おうめ婆さんのこんなセリフがある。
「わしはね、この歳まで生きてきたけど、もう切ねえ話はうんと聞いたから、いい話だけ聞きていでありますよ。誰も切ねえ話聞くために、わざわざカネ出して本買うのはヤダもんなあ。わしゃあ、いい話聞いて、いい気持ちになりたいでありますよ。」
自分も、最近はなるべく気持ちが暗くなる話は苦手になっている。
しかし、この村上さんの話は、目を背けてはいけないと思った。

満州から引き揚げるとき、村上さんは11歳。日本に引き上げる直前、指示されるままに、当時1歳だった妹と病気の母に毒薬を飲ませるという経験をしたという。
長旅に耐えられないものは殺そうと誰が決めたのかは分からないが、村上さんはそのショックで前後の記憶を失ったという。
戦争時の民間人の悲惨さは、沖縄における家族の集団自決や、防空壕の中で、赤ちゃんの泣き声がうるさいと、おっぱいに赤ん坊を押し付けて窒息死させてしまった話などがあるが、この11歳の子供が毒薬を飲ませて、妹や母親を死に至らせたという悲惨さは、あまりにも重い。

村上さんの話は(ここ)に文字化されているが、村上さんの最後の3分間の言葉が重たい。
「なぜ今、講演などで伝えるようになったのか?」
「時代がそうさせている。また日本が戦争をする国になるのではないか。また福島のようなことが起こるのではないか。時代がまた昭和初期の、物が言えない時代になっているのではないか。それが若い人にはあまり分かって貰っていない。僕はこういう体験があったが、今の政治が逆戻りしないように、もっともっと若い人が声を挙げないといけない。人間の命を大切にするために、私たち、特に若い人たちが何をしなければいけないか。感性を豊かにする。今の災害や原発、政治を見て、どう感じるのか。良いことなのか悪いことなのか。それに対して想像力を深めて欲しい。そのように深く深く考える人が余りにも少な過ぎる。それに対して自分はどう対峙していくのかを、考えながら生きて行って欲しいですね。」

あまりに悲惨な体験は、自身の身を守るために記憶から消されるという。
村上さんも、36年後に再会した親友が語った「泣きじゃくりながら駆けつけてきて“僕が妹を殺した”と泣きながら言ったんだよ」と言われてそれを知ったという。
その自身の辛い体験を語って、今の若い人に警鐘を鳴らす村上さん。
聞きたくない過去の苦い話だが、日本人としてそれらを正直に見つめ、まさに戦争に向かうかも知れない今の時代の糧にしなければいけない話だと思った。


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