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2018年8月の17件の記事

2018年8月31日 (金)

「全国の新幹線で貨物輸送を」

毎度書いているが、当サイトのコンセプトは「ヘエー!?」。
そんな視点で読むと、この投書も「な~るほど」だ。

昨日の朝日新聞の「声」の欄にこんな投稿があった。
「(声)全国の新幹線で貨物輸送を
 無職(長崎県 67)
 西日本豪雨で、JR山陽線が大きな被害を受けた。九州と関東、関西をつなぐJR貨物は、トラックと船舶による不通区間の代行輸送を始めた。山陽線を使った貨物列車の再開は、10月中までかかるという。
 今回の豪雨ではJR山陰線を使っての貨物の「迂回(うかい)輸送」が検討されたが、国土交通省中国運輸局に認められたのは今月22日になってからだ。
 日本は、どこで大規模災害が起きても、おかしくない。私は、日本の大動脈である新幹線に貨物列車を走らせるべきだと常々思っていた。
 東海道と山陽の両新幹線は、旅客列車が運行する時間帯は過密ダイヤのため無理だと思うが、夜間の時間帯を活用できないかと思う。もちろん、他の新幹線の一部は昼間でも可能かもしれない。貨物を載せたり、下ろしたりするため、駅舎などの改造や施設の新設も必要だと思うので、JR各社が共同で知恵を出し合い、実現して欲しい。
 輸送インフラの強化のためにも、災害に強く全国を網羅する新幹線での貨物輸送を平時から実施するよう提言する。」(
2018/08/30付「朝日新聞」p14より)

この実現性を考えると、JRがやる気になれば出来るのでは?
今の新幹線の駅の利用は無理だろう。すると、途中で線路を引き込んで、貨物専用のターミナルを作れば良い。それは都会である必要は無い。そこでコンテナを積んで新幹線の線路を走らせれば良い。
今までは、たぶん新幹線は旅客専用で、それ以外の車両を走らせるという発想はなかったのかも知れない。しかし、深夜から未明までは、線路の補修を別にすれば、線路は利用されていない。その活用である。
たぶん速度も、時速300kmは無理としても、200km位は可能では無いか?それでも在来線の2倍の速度で、輸送量もかなりになるはず。
そもそもJRは新幹線での貨物輸送は検討したことがあるのだろうか?門前払い??
JRから聞きたいものである。なぜ新幹線の空いた時間を使って貨物輸送をしないのか??

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2018年8月29日 (水)

「都立大」変更で血税10億円…石原元知事“思いつき”の罪

最近は、東京五輪マラソンのためのサマータイム導入や、河野外相の外相専用機の要求など、バッカみたいな話が多い。しかし、権力とは怖ろしいもので、バッカみたい話が、どんどん進んでしまう。
20年前の都立大学の改変に伴う名称変更も同様なもの。しかしその ”被害”は甚大である。
昨日の“いつも過激な”日刊ゲンダイの記事。

「都立大」変更で血税10億円…石原元知事“思いつき”の罪
「何のために名前を変えたのか」とあきれてしまう。首都大学東京が2020年から「東京都立大学」に名称を戻すことが決まった。小池都知事が24日に発表した。
 小池都知事は7月の時点で「都立の大学であると分かりやすく発信するため、『東京都立大』もひとつの考え方」と発言。首都大学は学長名で「(名称変更は)本学が更なる発展を遂げる機会ともなり得ると前向きに捉えています」とのコメントを発表している。都知事も大学側も昔の名前に戻ることは既定路線だった。
 首都大学は05年に東京都立大学が他の3大学と統合した際に、当時の石原慎太郎知事が名前を公募して命名された。
「石原氏は東京から日本を改革し、世界に発信するという考えで改名を指示。都営大江戸線を命名したときのように、その場の勢いで号令をかけたのです。首都大学の初代理事長の高橋宏氏は石原氏らが設立した『犯罪被害者の会を支援するフォーラム』の事務局長。身内を就任させたことになります」(都政関係者)
 実は公募で一番多かったのは「東京都立大学」で64%だった。東京都はこの結果を無視し、石原氏の意向でなし崩し的に首都大学東京に決定した。

在校生もOBも大迷惑
「名前を変えた当時から評判が悪かった」とは大学通信ゼネラルマネジャーの安田賢治氏。こう続ける。
「『首都大学東京』は呼びにくい上に、頭に『東京』の文字がついてないので、どこの大学なのかピンとこない。地方の受験生の親は私大なのか公立なのか分かりません。都立大学駅があるのに、なぜ名前を変えるのかとの不満も出た。石原さんは少し奇をてらいすぎましたね」
 大学ジャーナリストの石渡嶺司氏によると、専門学校と間違われたり、学生が就活の面接で「首都大学って何?」と質問されるケースもあったという。
「首都大学に変更したとき、人文学部と法学部を統合して『都市教養学部』にするなど、何を勉強する学部なのか分かりにくくなった。名称を元に戻すのはいいことです。ただ、学生証や看板、書類などをつくり変えなければならないので余計なお金がかかります。少なく見積もっても10億円以上にのぼるでしょう」(石渡嶺司氏)
 在学生もOBも迷惑を被ったうえに、血税10億円以上の出費とは。思いつきで大学名を変えた石原氏の罪は重い。」(
2018/08/28付「日刊ゲンダイ」ここより)

「実は公募で一番多かったのは「東京都立大学」で64%だった。東京都はこの結果を無視し、石原氏の意向でなし崩し的に首都大学東京に決定した。」という事実を見ると、「公募って何だ?」ということになる。
石原都知事が勝手に命名するのなら公募など必要ない。アリバイ作りそのもの。いやはや権力者は怖い・・・
今朝の朝日新聞の「声」の欄に載っていたこんな話も同じような話。

「(声)形ばかりの陳述に何の意味が
 高校教員(東京都 64)
 「東海第二原発 意見募集の意味は」(9日)の投稿者と同様の憤り、むなしさを私も経験しました。私は今月、リニア中央新幹線の工事実施計画の認可に関して意見陳述をするために国土交通省に出向きました。しかし、認可は2014年10月。私が異議申立書を提出したのがその2カ月後の同12月。それから3年半たった今年6月になってようやく、日程調整の書面が送られてきたのでした。
 この間、国土交通省からは何の音沙汰もなかったばかりか、認可の翌年には南アルプストンネル、さらに翌年には品川、名古屋両駅の工事が着工し、全線で建設が進んでいます。今となっては意見を聴いても変更は難しいでしょう。こんな手続きに意味はあるのでしょうか。
 工事自体は予定通り進めたいが、行政不服審査法に基づき、意見を述べる機会は保障しなければならない。だから形ばかりの陳述を認めたということでしょうか。
 そもそも国民の意見を行政に反映させる気など毛頭ないが、法の手続きにのっとって意見だけは聞き置くという姿勢。これって民主主義の骨抜きではありませんか。」(
2018/08/28付「朝日新聞」p14より)

所詮、日本の民主主義はこんなお寒い国なのだ。
しかし東急電鉄はエライ。20年前に、こんなバカバカしい話に乗らずに「都立大学駅」を変えなかったから。

話はまったく変わるが、昨日(2018/08/28)のTV朝日の「モーニングショー」で、米軍のオスプレイの、2018年10月の横田基地配備に関し、日米地位協定について、ゲストの前泊博盛・沖縄国際大学大学院教授(元琉球新報論説委員長 日米地位協定の密約をスクープ、米軍基地や地位協定のあり方などを取材)からこんな発言があった。
「地位協定を研究してきた専門家・先生たちに共通しているのは、日本の官僚たちには地位協定を改定するだけの能力がない、無能であると指摘されている。それと、国民があまりにも無知と無視と無関心すぎる。
イタリア、ドイツは事故が起こるともの凄く怒ります。これは韓国も同じです。怒るんです。そして抗議して変えさせる。何度も見直しをします。国民がまずそういうことに対して無頓着すぎるのが日本の国民の特徴なので、アメリカでは安心しています。」
「国民にも責任がある」「いや、国民が問題」

話は変わるが、国は東京オリンピックが開催される2020年までに羽田空港の国際線の発着回数を大幅に増やすため、都心上空を通る新たな飛行ルートを設定しようとしているという(ここ)。その時の高度は、新宿駅がおよそ850メートル、表参道がおよそ700メートル、白金高輪駅がおよそ550メートル、品川駅がおよそ450メートル。
無関心な国民も、その爆音が身近に聞こえたとき、やっと気付くのだろう。沖縄などの基地周辺の苦悩に。

今日のニュースを賑わしている中央省庁による障害者雇用の水増し問題。「水増しは法定雇用率を満たすためだった。死者を算入した以外にも、強度近視の職員を算入したり、健常者の管理職が(担当者に)自分も障害者に含めるよう指示したりしたケースもあった。」(毎日新聞より)というのだからあきれる。

日本の官僚や政治家も地に落ちた。時の権力者のいいなり。それが国民に将来、どれだけの禍をもたらすかを知っていても・・・。その冴えたるものが、自民党総裁選・・・・。
対する国民の無知と無関心。それで良いのだろうか?

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2018年8月28日 (火)

八王子将棋クラブ~2018年12月末(24日)で閉店

八王子の、いや全国のアマチュア将棋ファンに激震が走ったという。八木下征男さん経営の八王子将棋クラブがこの12月末(24日)で閉店するという。

八王子将棋クラブの機関誌「八将タイムス」の8月26日号のトップにこんな記載が出た。
八王子将棋クラブ 12月末に閉店!!
180828yagisita1 42年もの長い間、皆さまと一緒に続けて参りました八王子将棋クラブも、12月末をもって閉店することになりました。理由は渋谷ビルの老朽化による改修工事と、席主・八木下の闘病からくる体力の衰えによるものです。」(
写真はここから拝借)

席主・八木下さんについては「八王子版タウンニュース(2017年11月30日号)」にこんな記事が載っていた。

羽生さんらの出発点に 横山町・八王子将棋クラブ
 現在、史上初となる将棋の「永世7冠」を目指し、竜王戦に挑んでいる羽生善治さん(47)が小学生時代、腕を磨いた場所が市内にある。横山町の八王子将棋クラブだ(当時は東町)。先月、羽生さんを破り、王座に就いた中村太地さん(29)ら多くのプロ棋士たちの「出発点」にもなってきた。
180828yagisita2  パチ、パチ、パチ――。50平方メートル程度の室内いっぱいに小学生から大人が集まり、無言で駒を指し合う。場所こそ、東町から横山町に移ったものの、1977年のオープン以来、八王子将棋クラブの変わらない光景だ。現在は週5日営業。子どもたちにとっては大人と対局し力試しできる貴重な場であり、大人たちには趣味を楽しめる息抜きのスポットとして多くの「まち棋士」を受け入れてきた。
 「山あり、谷ありで大変だったね」と店主の八木下征男さん(74)はこの40年間を振り返る。

「仕事に追われたくない」
 元々、電気設備関係の仕事に就いていた八木下さんが将棋クラブを立ち上げたのは「仕事に追われない」環境に身を置きたい、と考えたため。高度成長期のなか、仕事に忙殺される毎日を送っていたなかでの決断だった。「20歳過ぎまで将棋はルールを知っている程度だったんだけど、社内の大会で思わぬ好成績を収めたことからのめり込んでいったんだよ」。やればやるほど、結果がついてくる将棋の奥深さに惹かれたことが起業の後押しをした。

忘れられない出会い開業2年目に
 忘れられない出会いが開業2年目の夏。小中学生対象のトーナメント大会を企画したところ、母親と共に当時小学2年生だった羽生さんがクラブに来た。「お母さんに背中を押されて、という感じだったね。ほがらかでもの静かな子だったよ」。そこで飛車角と桂馬、香車の6駒無しで羽生少年と対戦したところ、八木下さんが勝利。ただ、次戦では接戦、3戦目で負けてしまった。敗戦の要因を徹底的に分析し改善策を立ててくる――。「飲み込みの早い子だったね。将棋の本も隅から隅まで読んできたようだった」と八木下さん。この一戦に勝てば級が上がるという試合に負けても、淡々と「次、勝てばいいんだよ」と話す羽生少年の姿に精神的な強さを感じたという。
180828hatioujishougiclub1  この出会いがクラブを日本一とも言えるほど有名な将棋道場に変えた。羽生さんが初めて7冠を獲得した96年から5年間ぐらいは、羽生さん「出身クラブ」として有名となり、毎日100人を超えるぐらいのお客さんが来るように。そのなかには羽生さんに憧れ、プロ棋士を目指す少年たちも含まれていた。「中村君が羽生君に憧れ、今では中村君を目指して当クラブに来る子も少なくない。羽生君から始まったこの好循環が、女流を含め10人を超えるプロが幼少期に当クラブを利用してくれていた理由になっていると思う」と八木下さんは考えている。

今は生きがいに
 「オープン当初はこんなにも有名なクラブになるとは、夢にも思わなかった。ゆっくり仕事をしていきたいと思っていたんだけど」。ただ、知名度が上がったとはいえ、一般の平日1日分の利用料金が800円である将棋クラブで生計を立てていくのは困難なことだという。「だから、私の跡を人にはお願いできないよ。今は生きがいとして運営している部分が大きい」。無理なくできる所まで。一緒にクラブを運営している妻のひろ子さんとそう決め、八木下さんは「まち棋士」たちを迎え続けていくつもりだ。」(「
八王子版タウンニュース(2017年11月30日号)」ここより)

閉店を発表した今となっては、上の「だから、私の跡を人にはお願いできないよ。今は生きがいとして運営している部分が大きい」という言葉が、数か月後の閉店発表を暗示しているようだ。
たぶん今は75歳。透析をしながら頑張ってきたが、「寄る年波には勝てぬ」ということなのだろう。

実は自分自身は、将棋は出来ない。しかし昔書いた「大山・羽生 将棋 史上最強はどっち?」(ここ)という記事に、将棋ファンのKeiichiKodaさんからたくさんのコメントを頂きながら、自分も将棋について教育されて!?しまった。
しかし、同じ八王子ということもあり、このニュースは驚きだった。でも、何でも終わりはある。
たぶん12月末の閉店の際には、八王子将棋クラブが排出した名棋士、羽生善治、阿久津主悦、中村大地、長岡裕也、増田康宏の各プロ棋士が駆け付けるのではないか。各棋士にとっても、故郷、居場所が無くなることになるので・・・
しかし、将棋という日本の伝統文化が、意外にも八木下さんのような個人努力によって支えられていたことを改めて思い知った。

★2018年8月29日付「朝日新聞」夕刊(ここ)より
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2018年8月27日 (月)

児童養護施設と特別養子縁組~親と子の関係

親と子の関係は難しい。望まれて生まれ、すくすくと育つ子どもは良いが、その裏側に、親から棄てられる子どもも居る。戦後の混血孤児を育てたエリザベス・サンダースホーム(ここ)などはその冴えたるものだが、現代でも、不遇な子どもは幾らでも居る。
少し前だが、朝日新聞にこんな記事があった。

「(信州総文祭)伝える大切さ、訴え 児童養護施設の経験糧に 弁論部門
 信州総文祭で8日、弁論の部門が始まった。最初に登壇したのは、地元、長野県長野西高校の飯田芽生愛(めいあ)さん(3年)。なぜ弁論をするのか。児童養護施設で育った経験をふまえ、伝えることの大切さを訴えた。
 「みなさんは、児童養護施設についてどのようなイメージを持っていますか」
 7分間のスピーチをそう始めた。生い立ちを語る飯田さんを、数百人の聴衆が息を詰めて見守っている。
 小学校に入る前、父親に暴力を振るわれていた母親が自殺した。その暴力は自分に向かい、小学2年から児童養護施設で暮らす。
 「かわいそう、捨て子、荒れている……」「実際は、そうとは言い切れません」
 気にかけてくれる職員がいる。部活動に打ち込む日々は友人たちとそう変わらないと思う。ただ、進学には費用面でも壁がある。施設の子どもが巣立った後も、頼れる居場所を作ることが夢になった。
 2年前、東日本大震災被災者の支援をする財団法人に、思いの丈をつづった長いメールを送った。財団法人は翌年度、施設の子ども向けに奨学金を創設。飯田さん自身も、審査を経て支給を受けることができた。
 「伝えることで、変化を生み出すことができる」
 ここで声に力をいれた。
 「少しでも関心を抱いてくれた方がいること、それこそが、私がここに立つ意味です」
 ステージを降りると、ぴっちり留めていた前髪を下ろし、よく笑う普段の姿に戻った。(上田真由美)」
(2018/08/09付「朝日新聞」p33より)

上の高校生は「伝える大切さ」を訴えたが、我々もそれらに目を向けて、現状を知る努力が必要なのだろう。

そして、上の高校生は「施設の子どもが巣立った後も、頼れる居場所を」と言っていたが、人間は誰も、居場所が必要。

今日(2018/08/27)の朝日新聞の夕刊に、こんな記事もあった。
託す親と託された子、切れぬ絆 特別養子縁組、施行30年
 血のつながりがなくても、戸籍上の親子になれる特別養子縁組制度が始まって30年を迎えた。子を養親に託した「生みの親」にどんな事情があったのか。生みの親が別にいると知らされた子は何を思うのか。二つの家族の姿を追った。
     *
 1本の電話で、オクダさん(35)は人生が一変した。
 「逮捕しました」
 約3年前、結婚を約束していた男性が詐欺グループの一員だと警察から告げられた。それまで、会社を経営していると信じていた。
 当時、妊娠5カ月。「人をだましたお金でこの子を育てたくない」。中絶も考えたが、病院で子どものエコー写真を見たら、できなかった。
 1人で育てても、乳児院に預けても、「犯罪者の子ども」になるのが嫌で悩んだ。実父との関係が戸籍に残らない特別養子縁組をインターネットで知り、養子に出そうと決めた。妊娠8カ月のときだ。
 NPO法人「Babyぽけっと」(本部・茨城県)を通じて養親が決まった。出産の日には、「もう少し、おなかにいてくれないかな」と思った。生まれた娘は「ちっちゃくて可愛かった」。育てたかったが、「ちゃんとした家庭で育って欲しい」とあきらめた。
 母の日には、養親から写真や娘が描いた絵が届く。「私が母でいるのを認めてくれているようでありがたい。普通とは違う事実を背負わせたが、娘に強くたくましく生きてほしい」
 オクダさんは、「Babyぽけっと」の相談員として、支援が必要な妊婦の悩みを聞き、養子縁組の助言もしている。風俗店で働いていたり、漫画喫茶で寝泊まりしていたり。母子手帳もなく、妊娠後期に相談に来る未成年が多いという。
 「喜んで子どもを手放す親はいない。同じ思いの人が少しでも楽になってくれたら」
     *
 愛知県の会社員女性(23)は生後2日目に、特別養子縁組で今の家族に引き取られた。
 「経済的に育てられない。幸せになってほしいから養子に出した」。女性が18歳だった5年前、母に託されていた「実母」の手紙を読み、怒った。「大人の勝手な都合。捨てられた」。女性は実母を許せず、抗議の手紙を書いた。でも、「事情があったかもしれない」と、捨てた。
 一方で、「実母はどんな人?」という気持ちがこみ上げた。気持ちを落ち着けて、「会いたい」とつづった。
 返事が届く。「会えない」の文字を見て、女性は、自分と似た字だと思った。近況などをやりとりしていると、3通目の返事に、「会いましょう」と書いてあった。
 実母との再会は約4年前の夏で、女性は19歳。実母が女性を産んだときと同じ年齢だった。怒りはなく、うれしくて涙があふれた。なぜ自分を育てなかったのか。実父はどんな人なのか。知らなかった過去を聞き、「自分の中で欠けていたものが埋まった」。
 女性は将来、結婚して子どもを産みたいという。「育ててくれた母は産めなかったから、私が産んで親孝行したい」(竹之内直道)

 ■成立件数、10年で急増
 特別養子縁組は、全国210カ所の児童相談所と29の民間事業者(4月1日現在)が仲介している。成立件数は最近10年で急増。2017年度は616件(速報値)で、07年の289件から倍増した。
 国は16年6月、児童福祉法を改正し「家庭と同様の環境」での養育が必要と掲げた。今年4月には民間事業者の適正な運営などを目的に、事業を都道府県への届け出制から許可制に変更。また制度の対象は原則6歳未満で、生みの親の同意が必要だが、家庭養育の促進のため年齢の引き上げなどが検討されている。
 特別養子縁組に詳しい日本女子大学の林浩康教授(社会福祉学)は「ここ数年で永続的な家庭環境が必要だとの認識が定着してきた。子どもが育つ環境が安定しているのは大切なことだ」と話している。」(
2018/08/27付「朝日新聞」夕刊p11より)

特別養子縁組で育てられる子どもは、児童養護施設に比べると良い方なのかも知れない。
しかし、両親がそろっていても大変な事は多い。

今日の夕方のNHK首都圏ニュースで「いまが注意 子どもの自殺防止を」(ここ)という番組を放送していた。
「小中学生と高校生の自殺は、これまで夏休みが終わった直後の9月上旬が最も多くなるとされている」とのこと。
番組の中で、子どもに死なれた母親の発言が重かった。
「12年前に中学2年生だった息子の啓祐さんが「いじめられてもういきていけない」と遺書を残して亡くなりました。美加さんは、そんな啓祐さんの気持ちに気づけなかったことを今も後悔し続けています。・・・」
これも結局、“居場所”・・・・。

小学生の自殺もあると聞き、NetでググってみるとH28年度の文科省の調査で、「自殺した児童生徒数は,小学校 4 人(前年度 4 人),中学校 69 人(前年度 56 人),高等学校171 人(前年度155 人)。全体では,244 人(前年度215 人)。自殺した児童生徒が置かれていた状況として「いじめの問題」があった児童生徒は10 人(前年度9 人)。」ここ
という状況らしい。
小学生でもイジメで自殺とは・・・
死なれた親の心中は、察して余りある。

結局、親(親権者)が子どもを日常的にどう見守っているかに尽きる。子どもに居場所が無くなると怖い。
我が家を見てみると、40にも届く息子たちに対する母親の感度は、まさに動物的なものを感じる。まさに「男は頭で考え、女性は子宮でものを考える」という言葉通りである。
「不惑」という言葉通りに、「もう放っておけば」と言うのだが、上の記事と違って「一般家庭」と自負する我々とて、いつまで経っても難しい親と子の関係である。

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2018年8月25日 (土)

大和混声合唱団の混声合唱組曲「三つの山の詩」

自分にとっては“まぼろしの名曲”、石井歓作曲「三つの山の詩」を、何と半世紀ぶりに聞く事が出来た。
先日、“伊勢生まれの下総人”さんから「2012年7月に神奈川県の大和混声合唱団がこの組曲を定期演奏会で歌っているようです。」(ここ)というコメントを頂いた。

ビッグニュースである。早速、図々しくも大和混声合唱団のHP(ここ)に載っているメールアドレス宛に、「もし音源があったら聞かせて欲しい」旨のお願いをしたところ、広報担当の方が会に諮ってくれて、今日譲って頂いたCDが届いた。
2012年7月28日に神奈川県立音楽堂で開かれた、大和混声合唱団「第42回定期演奏会」の「三つの山の詩」である。楽譜は(ここ)。

<大和混声合唱団の「三つの山の詩」>

<大和混声合唱団の「三つの山の詩」mp3>

混声合唱組曲「三つの山の詩」
  作詞:中田浩一郎
  作曲:石井 歓

Ⅰ.ともしび
山は緑にくれて
ひかり映す湖
岸辺にさざめく波の音
すべては深い闇に沈む

ともしびのまたたきは
誰れを待つ家の燈(ひ)か

秋の空 すみわたり
月は登る 月は登る
草色に輝いて
山を森を照して

ともしびひかる家の内
娘がひとり住んでいた
はた織る機の音もかなし

誰れ知らぬ物語り秘めた
       ――みずうみ

Ⅱ.祭  り
今宵祭りだ
湖祭りだ
燃えろ かがり火
神の火祭り
みんな 踊ろう

今宵祭りだ
湖祭りだ
遠い光りは
水に映って
赫く燃えるよ

今宵祭りだ
神の火祭り
燃える かがり火
遠く輝く

みんな 踊ろよ
赫い光りは
空に輝く
燃える光りを
囲んで踊ろよ

今宵祭りだ
燃えろ かがり火
夜空にひろがり
夜空を染めて

今宵祭りだ
湖祭りだ
燃えろ かがり火
神の火祭り

山の娘も
共に踊れば
若い男が
そっと ささやく

みんな輪になり
踊る火祭り
恋の夜は夢とふけて
かがり火 消えてゆく
遠く消えてゆく
  消えてゆく

Ⅲ.別  れ
朝のひざし明るく
湖とおく琿くとき

朝のひかりさし 山脈映えわたり
鳥は森に眼覚める

山の娘はいとしい人と別れゆく
  ――かえらぬ愛を

舟は若者のせて遠く消える
遙かに遠く消える
手を振る君(ひと)の姿も見えぬ

岸に娘はたたずむ いつまでも
真実(まこと)の誓いと
優しい愛の想いに

まことの愛を
かわらぬ誓いを……

思えば、この曲について、「混声合唱組曲「三つの山の詩」を聞きたい」(ここ)と、「混声合唱組曲「三つの山の詩」のテープを見つけた」(ここ)という記事を書いたのが、2007年夏の事であった。この時の演奏は、某大学混声合唱団の第17回定期演奏会(1968年1月10日)の録音だった。
これらの記事には、「昔、歌ったことがある」という人からのコメントを多数頂いた。しかしレコードやCDは見つからなかった。それから11年・・・。

この名曲を取り上げた「大和混声合唱団」について、HP(ここ)の「団の紹介」を覗いてみるRc42thdsc_0635ts と、書いてある客演指揮者がすごい。蒼々たる作曲者が、自らの作品をこの合唱団で指揮指導している。前に八王子市(ここ)や日野市(ここ)のも合唱祭に行ったことがあるが、こんな例は聞いたことが無かった。合唱団のレベルの高さを象徴しているのかも知れない。

180825daikon そして、今日送られて来たCDの完成度にビックリ。2枚組のCDだが、ジャケットの印刷など、市販品と同じ。CDそのものはCD-Rだが、60人の団員の中には、このような道に長けておられる人も居るらしい。そして、オーケストラを含めてさすがに音が良い。市販CDと違って、音源をあまりいじっていないので、オリジナルの原音の音質の良さが残されているのだろう。

ともあれ、半世紀ぶりに「三つの山の詩」を聞くことができた。
まさに、完全に忘れ去られ、もう歌われることは無いと思っていた石井歓のこの名曲が、今でも生きていた!!ということが嬉しい。
合唱曲に時代の流行があるかどうかは知らない。たぶんに指揮者や指導者の選曲に寄る所が大きいのかも知れない。しかしその結果、この演奏は、数十年ぶり演奏された?貴重な演奏(録音)なのかも知れない。少なくてもNetで検索する限りは・・・・

半世紀前、一度だけ聞いて一目(耳)惚れした「三つの山の詩」。半世紀を経て今回再会した結果、まだまだ美人だということを確認した。
Netを経由して、いつまでもこの歌が生き残ることを祈りたい。
今回このCDの入手に関し、丁寧に対応して頂いた団の正副広報担当の方に感謝します。

(追)
送られて来た2枚のCDを順に聞いているが、オーケストラとの共演が、これまた素晴らしい。まだ途中だが、自分の好きな、ベルディの歌劇「アイーダ」から「凱旋の合唱」(凱旋行進曲)がまた素晴らしかった。前澤均:指揮/湘南アルス室内オーケストラ・大和混声合唱団の演奏である。

<湘南アルス室内オーケストラのヴェルディ「凱旋の合唱」>

<湘南アルス室内オーケストラのヴェルディ「凱旋の合唱」mp3>

演奏が終わったとき、観客から「ブラボー」という声がかかったが、自分も一緒に叫びたくなった。
Rc42thdsc_0733ts 規模が小さいオーケストラだということは音で分かるが、逆に演奏者の一人ひとりが見えるような演奏だ。何よりも、音が良い。CDで聞くフルオーケストラとはひと味違う。(ここ)によると、会場は神奈川県立音楽堂だという。どんな録音機材を使っているか知れないが、たぶん天井からのワンポイント録音なのだろう。(それに比べると、上の合唱の録音は、ソフトでノイズを取ったときのような歪みが少しあるのが残念)
それにしても、このオーケストラのレベルにはビックリ。今まで、ほとんどフルオーケストラしか聞いてこなかった自分だが、室内オーケストラを見直した。このCDは、オーディオマニアの目からも面白い。

(関連記事)
混声合唱組曲「三つの山の詩」を聞きたい 
混声合唱組曲「三つの山の詩」のテープを見つけた 

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2018年8月23日 (木)

「集団的自衛権」は、天皇を靖国神社に参拝させるため?

先日、東海テレビ制作の「戦後70年 樹木希林ドキュメンタリーの旅『村と戦争』吉岡忍」(ここ)を、スカパーで見た。(ドキュメンタリーの秀作が多い「東海テレビ」を見られる名古屋が羨ましい~~~!)
樹木希林が、靖国神社を訪ね、東海テレビが1995年に制作したドキュメンタリー『村と戦争』を全編放送した後、ゲストのノンフィクション作家・吉岡忍氏と、戦争について対談していた。
その中で、吉岡忍氏のこんな発言があった。

<「樹木希林ドキュメンタリーの旅」より吉岡忍>

<「樹木希林ドキュメンタリーの旅」より吉岡忍mp3>

「靖国にいらして、樹木さんがね、天皇の問題ってどう考えました?
天皇がじかに日本を支配しコントロールしてきた時代って意外と少ないんですよね。平安時代くらいまでですよね。それ以降は武士の時代が出てくるし、それ以降はまさに近代に入ってくるわけですねど、そうすると僕は「天皇陛下万歳」って言って逝った英霊たちがあそこで祀られているんだけども、今起きている事っていうのは、集団的自衛権だとか、大きなアメリカと一緒に組んで軍事同盟でいくんだ、世界に出ていくんだっていう動きを見たときに、僕は天皇制との絡みでいって、今の政権は天皇を動かそうとしているんだなって思うんですよ。どういうことかっていうと、今靖国神社に天皇が行く事って無いですよね。「A級戦犯が祀られている所に私は行かない」と言って昭和天皇が参拝しなくなったという事実がありますよね。だけどこれからいろんな形で自衛隊が外国でアメリカ軍と一緒になっていろんな戦場に行くとすれば、必ず死ぬ人が出ますよね。戦場ですから。そうするとこの人たちをおそらくは靖国神社は祀るでしょう。そうするとこれが人数の問題じゃありませんけども、かなり重なってきたときに、いわば国のために死んだ人たちを天皇が無視する、参拝に行かないというわけにはいかなくなりますよね。ということは、今A級戦犯も同時に祀っている靖国に行くことになるわけですよね。あっ、そうなんだ。今のこの集団的自衛権の問題とかっていうのは、そいう意味では天皇を動かそうと、そういう動きとして見る必要があるんだなと思うんですよ。そういうことを靖国神社に行って感じませんでした?」
「天皇の側もそれを用心してられるんじゃないかって・・・・」

毎年、戦争を考える“8月”。靖国神社参拝の話題も多い。しかし、今の政権が、集団的自衛権など戦争への道を切り拓く動きを活発化させているが、「天皇に靖国神社参拝をさせようとしている一環」と見る考え方があるとは知らなかった。
言われてみると、なるほど、そんな思いで日本を動かそうとしている人たちがいるのかも・・・とも思う。

日本の色々な政治の動きを、後になって「知らなかった」と(孫世代に)言い訳したときは既に遅い。
我々主権者たる国民が、それらの動きをどう読み解いて(深読みして)、どう行動に結び付けるのか。我々自身に突き付けられている刃(やいば)ではある。

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2018年8月21日 (火)

精神科病院のない国は今 イタリア・バザーリア法

先日、朝日新聞にこんな記事があった。イタリアでは精神病院が無いのだという。

「(世界発2018)精神科病院のない国は今 イタリア・バザーリア法
 イタリアには精神科病院がない。40年前に全廃する法律が施行されたからだ。一人の精神科医が、強制入院から地域で支える仕組みに変えようと奔走した。その理念と実践は世界に先駆けた取り組みとして注目されている。(トリエステ=河原田慎一)

 ■法の施行から40年―― 地域での生活支援
 1978年に施行された法律は「バザーリア法」と呼ばれる。閉鎖病棟での強制入院が当たり前だった精神医療現場を改革したフランコ・バザーリア(1924~80)にちなむ。
180821itaria  バザーリアは「危険な存在」として隔離されてきた患者と対等に向き合わない限り病気は治らないと考えた。病院を開放し、患者の自由意思による医療を導入。精神科病院長として赴任した北部トリエステで病院の廃止を宣言した。
 同法ではバザーリアの改革をもとに、患者が病院外で治療や必要なサービスを受ける仕組みが定められた。
 トリエステには患者の一時宿泊用施設が4カ所ある。その一つ、海岸に近い高級ホテルに隣接する施設は一軒家を改装したつくりで、個室が6部屋。施錠されておらず、外出時は看護師らスタッフが付き添う。
 患者の多くは花壇のある庭で過ごす。地面に寝そべり医師に「起こして」とせがむ女性。第2次大戦中の日本人将校について話す男性。状態は様々だ。
 平均2週間ほど滞在する。患者が地域に戻るための試行期間の位置づけだ。精神科医とソーシャルワーカーらが各患者にプログラムをつくり、地域で生活するための支援を検討する。各地域にある社会協同組合が、就労支援などにかかわる。

 ■暴れたときの対応は―― 短期入院、拘束は制限
 薬物の影響で症状が重かったり、暴れたりする緊急時はどう対応するのか。同法は、一般病院に割り当てた精神科病棟への入院を認める。だがベッド数は15床までに制限されている。
 ボローニャにある総合病院の精神科病棟では、入院は平均1週間ほど。同病院の精神科医マウリツィオ・ムスコリさんは「集中的に治療して緊急状態を過ぎれば、すぐ公立の療養施設などに移れる」と話す。
 暴れる患者の体を拘束することはあるが、患者が起きている間は1時間に1回、血圧などをチェックし、拘束を12時間以内とすることが州法で定められている。ムスコリさんは「暴れる患者のほとんどは薬の影響。適切な治療で拘束の必要はなくなる」という。
 ボローニャの北西約50キロにあるカルピの総合病院では2年前から拘束をやめた。患者が暴れて看護師がけがをしたことはあるが、精神科医のグラツィア・トンデッリさんは「拘束では状態が良くならず、つらい記憶だけが残る。むしろ、ほかの患者との交流で症状が改善することが分かってきた」。昨年までに全国の総合病院の約5%で拘束をやめた。

 ■実質的長期入院なお―― 取り組みに地域差も
 精神科病院の全廃が進み、政府が「根絶」を宣言して約20年がたったが、取り組みには地域差がある。
 トリエステ地域を管轄する公立精神保健局のロベルト・メッツィーナ局長によると、バザーリアの理念を実践する精神科医は「全体から見るとまだ少数」。まず入院が必要、と考える医師は南部を中心に多い。民間の療養型施設には、実質的に患者を長期入院させるところもある。6月に政権についた右派「同盟」党首のサルビーニ副首相は、病院から地域サービスへの転換を「患者の家族を置き去りにする偽の改革だ」と批判している。
 一方、地域で精神医療を支える取り組みは他国の関心を呼び、研修や視察で専門家を派遣してきた国は米国、イラン、パレスチナなど40カ国・地域に上る。
 メッツィーナ氏自身、バザーリアから「抑圧された患者の権利を守らないと医療はできない」と学んだ。「隔離されることで患者は財産や市民権を失い、差別の対象になった。人としての権利を失わず、住んでいる場所で治療を受けられることが第一。バザーリアはそれを50年前から実践してきた」と話す。

 ■日本からも視察 入院減らす取り組みも
 日本でも入院患者を早期に退院させ地域につなぐ取り組みが始まっているが、厚生労働省の2016年の調査によると精神科病床の平均在院日数は270日に上る。
 日本の精神科医らが5月、ボローニャの精神科病棟を視察した。「必ず短期間で病院から出さないといけないのか」との質問に担当医は「退院後も療養施設や社会協同組合と情報を共有する。医療機関にいると患者が仕事に復帰しにくい。地域での生活を取り戻すのが重要だ」と答えた。
 視察に参加した精神科医の青木勉さんが院長補佐を務める総合病院「国保旭中央病院」(千葉県)では、05年に237床あった精神科の入院ベッド数が、現在は救急病棟のみの42床に。青木さんは「入院が収入の多くを占める病院が多いが、入院に頼らない精神医療サービスを進めたことが経営改善にもつながった」という。
 一方、医療スタッフの不足から、拘束せざるを得ないことがある。青木さんは「認知症の高齢者など、拘束をしないと安全が守れない場合もある」と話す。

 ◆キーワード
 <イタリア・バザーリア法> 憲法で保障された市民権に基づき、精神科の患者は自分の意思で医療を選ぶ権利があると規定。精神科病院の新設を禁止し、「治安維持」のための強制入院から、地域サービスによる医療に移行した。2000年に政府は、精神科病院の完全閉鎖を宣言。罪を犯した精神障害者らを収容する司法省の施設も15年に廃止、各地域の精神保健局が所管する一時居住施設に移行した。」(
2018/08/02付「朝日新聞」p8より)

精神病院はどの国にも当たり前に存在すると思っていたが、全廃お目指した国もあったのだ。
一方、今朝の朝日新聞の投稿欄にこんな声があった。
「(声)高次脳機能障害、多様な支援を
 看護師 (新潟県 55)
 運命は残酷です。
 同い年の夫が2月、くも膜下出血になりクリッピング手術を受けました。その後2回急変しましたが、まひはほとんど改善し、歩行可能で普通に話せます。しかし、高次脳機能障害が後遺症として残りました。外見は普通にみえますが、見当識障害や記憶障害、易怒性などの障害が残っています。
 サラリーマンとして会社に貢献し頑張ってきました。今も本人は会社に出社して仕事をしているつもりでいます。出張のつもりで病院を離れたりしました。本人は自分の病気が理解できず、休職していることもわかっていません。
 高次脳機能障害を調べれば調べるほど、受け入れてくれる専門の病院の有無に地域格差があることを知り、今後どう生活していけばよいのか迷うばかりです。
 本人も苦しい思いをしていますが、支える家族もかなり苦しい思いをしています。高次脳機能障害は個人差がありますが、多様性のある支援を考えてほしいし、夫のようにまだ若い年齢層のことや家族の事情をふまえた柔軟な支援をお願いしたいと思います。」(
2018/08/21付「朝日新聞」p12より)

精神病院は、我々にとって決して他人事の存在では無い。ストレスによる出社拒否や、登校拒否も精神の病気。脳溢血による脳障害や、何よりも高齢者の認知症も症状によっては精神病院のお世話になる。
健常者の「心の風邪」とも言われるうつ病も、立派な精神科の病気。

しかし、身体の拘束の話を聞くとゾッとする。確かに、看護師に暴力を振るう場合などは、必要になるのかも知れない。それでも、自分が手足を拘束されて動けない状態を想像すると、ゾッとする。いや怖ろしい。
カミさんには、「何があっても拘束するな」と言ってはあるが・・・・

今の自分の精神状態も、年齢と共に“永遠では無い”と思うと、何か他人事では無いイタリアの話である。

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2018年8月19日 (日)

「ぼくは、妹と母を手にかけた」旧満州からの引き揚げ者・村上敏明さんの話

NHKラジオ深夜便で「シリーズ・戦争平和インタビュー(2) ぼくは、妹と母を手にかけた~旧満州からの引き揚げ者 村上敏明」(2018/08/14放送)を聞いた。
戦争の残酷さ、悲惨さを改めて思い知った。

<NHKラジオ深夜便「ぼくは、妹と母を手にかけた村上敏明>

<NHKラジオ深夜便「ぼくは、妹と母を手にかけた村上敏明mp3>

*上記は、41分間38MBのデータ量があります。PLAYボタンを押すと、ダウンロードが始まります。
★今まで、7~8分以上の音源は、ZIPファイルとして別にアップしていましたが、今回41分間をそのままアップしてみました。ZIP解凍の手間が省けるのでOK? ダウンロードでレスポンスが悪くなるのでNG? どちらが良いでしょう? 乞うご意見。

自分の大好きな映画「阿弥陀堂だより」に、おうめ婆さんのこんなセリフがある。
「わしはね、この歳まで生きてきたけど、もう切ねえ話はうんと聞いたから、いい話だけ聞きていでありますよ。誰も切ねえ話聞くために、わざわざカネ出して本買うのはヤダもんなあ。わしゃあ、いい話聞いて、いい気持ちになりたいでありますよ。」
自分も、最近はなるべく気持ちが暗くなる話は苦手になっている。
しかし、この村上さんの話は、目を背けてはいけないと思った。

満州から引き揚げるとき、村上さんは11歳。日本に引き上げる直前、指示されるままに、当時1歳だった妹と病気の母に毒薬を飲ませるという経験をしたという。
長旅に耐えられないものは殺そうと誰が決めたのかは分からないが、村上さんはそのショックで前後の記憶を失ったという。
戦争時の民間人の悲惨さは、沖縄における家族の集団自決や、防空壕の中で、赤ちゃんの泣き声がうるさいと、おっぱいに赤ん坊を押し付けて窒息死させてしまった話などがあるが、この11歳の子供が毒薬を飲ませて、妹や母親を死に至らせたという悲惨さは、あまりにも重い。

村上さんの話は(ここ)に文字化されているが、村上さんの最後の3分間の言葉が重たい。
「なぜ今、講演などで伝えるようになったのか?」
「時代がそうさせている。また日本が戦争をする国になるのではないか。また福島のようなことが起こるのではないか。時代がまた昭和初期の、物が言えない時代になっているのではないか。それが若い人にはあまり分かって貰っていない。僕はこういう体験があったが、今の政治が逆戻りしないように、もっともっと若い人が声を挙げないといけない。人間の命を大切にするために、私たち、特に若い人たちが何をしなければいけないか。感性を豊かにする。今の災害や原発、政治を見て、どう感じるのか。良いことなのか悪いことなのか。それに対して想像力を深めて欲しい。そのように深く深く考える人が余りにも少な過ぎる。それに対して自分はどう対峙していくのかを、考えながら生きて行って欲しいですね。」

あまりに悲惨な体験は、自身の身を守るために記憶から消されるという。
村上さんも、36年後に再会した親友が語った「泣きじゃくりながら駆けつけてきて“僕が妹を殺した”と泣きながら言ったんだよ」と言われてそれを知ったという。
その自身の辛い体験を語って、今の若い人に警鐘を鳴らす村上さん。
聞きたくない過去の苦い話だが、日本人としてそれらを正直に見つめ、まさに戦争に向かうかも知れない今の時代の糧にしなければいけない話だと思った。

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2018年8月18日 (土)

谷保天満宮に行く

今日は、昼前にひょんなことで、カミさんと二人で「谷保天満宮」(ここ)に行ってきた。車で30分ほど・・・
昨日(2018/08/17)は、「最高気温が35度以上の猛暑日となった観測地点数は0。7月8日以来、40日ぶりに猛暑日のない日となった。」とのこと。
そして今朝は、「東京でも朝4時過ぎに18.3℃を記録。最低気温が20℃を下回るのは7月7日以来となります。八王子では15.4 ℃まで気温が下がり、8月の最低気温記録を更新しました。」となり、今年の暑さも、峠を越したか??

そんなこともあって、昼前に国立市にある谷保天満宮に行ってみた。2度目である。
180818yaho 交通量の多い甲州街道から、駐車場への入り方を心配したが、何のことはない、直接駐車場に入れた。30台ほど停まれるというが、10台ほどが停まっていた。
前に息子の合格祈願に来た時の天満宮の記憶は、なぜか駐車場だけ。後の本殿に行かなかったのだ。原因不明。なぜ?(だから落ちた!?)
本殿に向かって歩いて行くと、ニワトリ。境内のあちこちに闊歩している。ここの名物らしい。

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石段を降りると本殿が見える。入り口に「交通祈願発祥の地」とある。そうなんだ・・・
そして入り口に「座牛」。牛と天神様の関係は、845年誕生の管公が亡くなった時に、墓に葬ろうとしたが、途中で牛車が動かなくなったので、その場所に埋めたとか、神秘的な伝説が多くある。と書いてあった。
そして本殿の前にも牛の像があった。皆が撫でていたので真似てみた。何の御利益があるのか・・・

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本殿でお参り。900年の歴史の境内は立派。空いているとは言え、参拝客は途切れることがない。

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宝物殿の売店で、お札を買う。やはり合格祈願や、交通安全、安産祈願のお守りが多い。交通安全の祈願を申し込んでいる人もいた。御朱印帳を出している人も多い。各所を回っている人だろうか?
本殿の裏手に歩いて行くと、小山がある。登って行くと、やはりニワトリ。境内のどこにでもいるようだ。そしてお宮がある。案内図を見ると厳島神社。

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小山を降りると、元の参道。また本殿前に戻って、反対側を見ると神楽殿。横の道をたどると、梅園があった。園内には色々な碑があり「山口瞳」と書いた碑もあった。
そして小さな茶屋があり、「“冷たい”白玉しること“温かい”お茶」を頼んだ。しばらく待って出て来たのが「“温かい”白玉しること“冷たい”お茶」。でも「それで良いですよ」と言った。
日陰の椅子に座って食べたが、蚊の多いこと。お盆を返すときに「蚊が多いですね」と言ったら、「あら、香取線香を渡すのを忘れてた」と言われてしまった。店の前には、幾つもの火が点いた香取線香があった。残念!

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ともあれ、1時間余の散歩。さすがに東日本の天満宮としては最古。そして、湯島天神、亀戸天神とならび関東三天神と称されるというだけあった。
夫婦二人で祈ったことが、成就されることを祈念。
親は祈ることしか出来ないのである・・・・・・

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2018年8月16日 (木)

雑貨小物の通販はAmazonよりもヨドバシ・ドット・コム!?

我が家は、通販を最大限利用している家庭のひとつかも知れない。食料品以外はほとんど通販で買っている、は少しオーバーだが・・・
少し値が張る物は、価格コムと、Yahoo!ショッピングの「5の付く日」でのポイントを加味して比較している。
通販での問題は輸送費。以前はAmazonが送料無料を謳っていて、どんな安い小物でも送料は気にしなかった。それが、例の宅配業者の超過勤務問題を受けて、Amazonでも2千円以上でないと送料無料にはならなくなった。
もちろんYahoo!ショッピングの店でも、送料無料は少ない。
180816yodobashi そんな中で、いまだに時代遅れ?の送料無料を謳っているのが「ヨドバシ・ドット・コム」(ここ)。

いつも、ヨドバシから荷物が届くと「近い内につぶれるぞ」とつい言ってしまう。先日も、夕方5時前に注文したら、23時に「商品出荷のお知らせ」メールが届き、翌朝の10時には家に着いた。204円の雑貨だが、さすがに2つ注文したのだが、立派な箱に、緩衝材が肺って、クロネコが届けに来た。どうみても、ペイしないだろう。何でこれで商売が成り立つのか?しかし、単に安いというだけで、ユーザーは注文を出す。

我が家の場合、払ったお金を履歴で確認すると、408円、386円、432円、2170円、1020円、477円、626円、8230円、1481円・・・・
購入品は、犬の下痢止めから、浴槽用のゴム栓、チャッカマンまで、まさに雑多。そして10%のポイントが付くので、Amazonよりも安い場合が多い。
いつも商品の検索はAmazonで行い(商品検索はAmazonが一歩上?)、買う商品が決まると、ヨドバシで検索する。すると、ほとんどの商品がヒットする。その品揃えの充実さは、Amazonと遜色ない。特に、家電品の補修部品などの小物は、安いがちゃんと取り寄せてくれる。発注した3分後に、クレジット決済の確認と、取り寄せの場合は「仕入先に発注いたしました」というメールが届く。全て自動らしい。
とにかく送料無料が魅力。繰り返すが、やはりAmazonよりも安いことが多い。

価格コムで「ヨドバシ・ドット・コムの通販情報」(ここ)を覗いてみたら、
取扱商品のほどんどが、ランキングで1桁。例えば「パソコン周辺機器 4位/547店」「日用品 1位/208店」「キッチン雑貨・消耗品 2位/154店」等々。
なるほど、価格コムレベルでも、高評価らしい。

一昨日、お盆で帰ってきた息子が、さんざん店を回ったが見付からなかった、という雑貨が、検索すると直ぐに見付かり、10数時間後着いたのは前に書いたとおり。
しかも先日、送付先を都区内にしたら「ヨドバシエクストリームサービス便」が利用可能、と出た。これは何かと見ると、「ヨドバシカメラのインターネット通販サイト「ヨドバシ・ドット・コム」でご注文いただいた商品を、一品から配送料金無料で最短2時間30分以内にお届けいたします。対象商品は、「ヨドバシ・ドット・コム」取り扱い商品約456万品目のうち、約43万品目です。」(ここ)とある。

何と、取扱商品が456万点もあるという。いやはや・・・
それではAmazonは?と検索してみたら「2億種を超える」(ここ)とのこと。
国内のネット通販のシェアは?というと「日本のEC市場における企業別のシェアはAmazonが20.2%でトップだった。2位の楽天は僅差の20.1%、3位はソフトバンク(Yahoo!ショッピング)で8.9%。上位3社の合計で市場シェアの約5割を占めている。」(ここ)とのこと。

でも楽天もソフトバンクも、いわゆるモールであり、一店舗の話ではない。
180816tsuhan いろいろ検索してみると、新しいところで、2017年実績のこんなランキングが見付かった。(通販新聞 2017年9月27日ここ
切り口によって、色々なランキングが見付かるが、ヨドバシは、決してマイナーではないようだ。
それにしても、ヨドバシの全品送料無料が気になる。ユーザーにとっては、有り難いが、いつまで続くのか・・・
今のうちに、家電の安い消耗品は買っておこうかな・・・。
カミさんは「アナタみたいな買い方をするから、お店が大変なのよ」と言うが・・・

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2018年8月14日 (火)

日本における英連邦・戦争捕虜の実態~笹本妙子さんの話

NHKラジオ深夜便で「明日へのことば“平和への橋わたし”放送ライター 笹本妙子さん」(2018/08/10放送)を聞いた。
日本における捕虜の実態を初めて知った。少し聞いてみよう。

<NHKラジオ深夜便「平和への橋わたし」笹本妙子さん>

<NHKラジオ深夜便「平和への橋わたし」笹本妙子さんmp3>

*この番組の全部(42分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

この番組について、文字起こしをしてくれているサイトがあるので(ここ)から一部を引用すると・・・
平和への橋わたし 笹本妙子(放送ライター)         
21年前笹本さんは自宅近くにあるイギリス連邦墓地での戦没捕虜追悼礼拝の記事を目にします。
笹本さんはそこが日本で亡くなった戦争捕虜たちの墓地であることを知りませんでした。
墓地に眠るのは1942年から45年までに日本国内で死亡したイギリス、カナダ、オーストラリアなどの捕虜1720人です。
こんなに多くの人たちが何故ここに葬られているのか笹本さんはそのいきさつを調べ始めます。
16年前笹本さんは捕虜問題に関心を持つ人達に呼びかけて捕虜収容所の実態を調べます。
南方から日本に辿りついた捕虜はおよそ3万6000人、全国130か所の収容所に入れられ、鉱山、工場、造船所などで働かされます。
そしておよそ3500人が栄養失調や病気で死亡したとされています。
笹本さん達は調査とともに元捕虜やその家族との交流活動を積み重ね、消しがたい憎しみを解消することにも努めて来ました。
平和への橋渡し、笹本さんに伺いました。

POW(prisoner(s) of war 戦争捕虜)研究会という会を作って、英語でもホームページを出していまして、頻繁に問い合わせがあります。
捕虜の御家族がたずねてみたいとか、しょっちゅうあります。
情報を提供してその人が何処に収容されていたのかと判ると、一緒に同行して収容跡地にご案内したりしています。
すべてボランティアでやっています。
英連邦戦死者墓地と言いますが、この墓地の存在を知ったのは40年前になります。
或る日、墓地に踏み込んでみたら無数の墓碑がならんでいてほとんどの人が1942年から45年に亡くなった人達でした。
何でこの人達が戦死者として埋葬されているのか不思議でした。
図書館に行って調べに行ったが判りませんでした。
1997年にたまたま新聞での戦没捕虜追悼礼拝が行われたという記事を見ました。
埋葬されている人達は捕虜だったと書いてあり吃驚しました。・・・・」(
ここより)

「POW研究会」(ここ)というサイトがあるとのことで少し覗いてみた。
Campmap_j 国内の捕虜収容所の記事を読んでみたが、知らなかったとは言え、国内に非常に多くの収容所があったという。そして、そこには、自分のたどってきた人生と接触のあった場所も幾つかある。それらの記事を読んでみると、事細かな取材を元に、当時の状況を描き出していた。

Netで検索すると、英国の勲章が贈られていたとのこと。「Newsweek」にこんな記事があった。
世界が尊敬する日本人 田村佳子・笹本妙子(活動家)
 祖国ではほとんど知られていない女性に、イギリスの女王が勲章を贈るのは稀有なこと。だが勲章を贈られた田村佳子と笹本妙子は、まさに稀有な存在だった。
 神奈川県に住む2人はこの30年、第2次大戦中に日本に収容されていた戦争捕虜に関する情報を集めてきた。記録を隠し、過去の罪を忘れようとする風潮のなか、事実の究明は困難を極めた。
 元捕虜たちの苦悩を癒やすため情報収集に「うむことなく献身」してきた2人に、駐日英大使館は06年5月、女王に代わって名誉大英勲章MBEを授与した。謙虚な2人は、自分たちの所属する団体「POW(戦争捕虜)研究会」全体に対する叙勲と受け止めている。
 研究会ネットワークの長年の調査が実り、昨年ようやく英語のデータベースを公開できた。収容所で死亡した捕虜の記録など、貴重な情報が提供されている。
 イギリスのワーウィックに住むリチャード・ブルッカーもその恩恵を受けた1人だ。ブルッカーは日本で亡くなった母方の祖父の足跡をずっと探ってきた。「 公表された情報はどこにもなかった。データベースで初めて詳細がわかったときは涙が出た。幼くして父親を失った母や祖父を知らない私にとって、(彼女たちは)英雄だ」
 田村がこの問題に関心をもったのは偶然だった。結婚して横浜に住むことになった彼女は、横浜・保土ヶ谷の英連邦戦死者墓地に大勢の若い兵士が眠っていることに衝撃を受けた。地元の人たちも、なぜここに墓地があるのか知らなかった。田村は笹本らとともに、多くの日本人にこの問題を知ってもらおうと奮闘してきた。
 2人は日本を訪れた元捕虜や遺族のガイド役も務めてきた。ブルッカーも母親とともに、2人の案内で祖父がいた収容所の跡地と保土ヶ谷の墓地を訪ねた。
 「私たちのささやかな努力で、人々の心の傷が少しでも和らぐならありがたい」と、田村は言う。彼女たちの努力は決してささやかではない。イギリス女王もその成果を認めている。Newsweek[2006年10月18日号掲載]」
ここより)

日本人でさえ、日本国内の捕虜の実態を知ることは難しい。資料が敗戦に伴って処分されていることもある。まして、国外の捕虜の子孫からは、それらは全くうかがい知れないこと。
その扉を、この会はこじ開けた。そしてその実態を英語で発表。そして、多くの捕虜の子孫が、Netを通してその実態を知ることになったという。
これらの活動は、たぶん、国内ではそう評価されることは無いのかも知れない。原爆始め、被害者としての事件は大いに語られるが、加害者としての実態からは、目を背けてしまう。
同じような活動は、2016年8月6日の広島で、オバマ大統領が抱きしめた森重昭さんを思い出す(ここ)。
森さんは、被曝死した12人の米兵の調査に大統領が感謝したもの。そして、上の活動は、英連邦の捕虜の調査。

日本には、戸籍がある。自分たちの祖先をたどるのは戸籍を通じて可能である。前に「母の実家、宮原家の家系図を作った話」(ここ)という記事を書いた。
自分たちの存在の原点である祖先。それも、つい先である祖父母でさえも、早く亡くなっていると、その姿は知る術(すべ)がない。

今はお盆の季節。そして明日は終戦記念日。
何度も書くが、人間の死は二つあり、一つは肉体の死。そしてもうひとつが忘れ去られる死、だという。
「POW(戦争捕虜)研究会」のサイトを多くの人が覗き、加害者としての実態を知って、“戦争は絶対悪”という事実を後世につなぐのも、我々世代の務めかも知れない。

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2018年8月11日 (土)

ピアノ編曲版のメンデルスゾーンの「スコットランド」

最近、ピアノ編曲の交響曲に凝っている。自分がこれに凝り始まったのは、「ピアノ編曲による交響曲」(ここ)を書いた2011年11月の時から。それ以来、時たま思い出しては、CDを手に入れ、そしてスコアを買ったりした。
そして最近気に入っているのが、メンデルスゾーンの交響曲No3「スコットランド」。その第一楽章を聞いてみよう。これはメンデルスゾーン自身による編曲で、ゴールドストーン&クレモフによる4手連弾の演奏である。

<ピアノ編曲版のメンデルスゾーンの「スコットランド」#1>

<ピアノ編曲版のメンデルスゾーンの「スコットランド」#1mp3>

この演奏は、美しい。まるで元々ピアノ曲であったかのように・・・
そもそも交響曲をピアノに編曲すると、音が多いために超絶技巧の音楽となってしまう。
前に買ってあったベートーヴェンの交響曲のリスト編曲によるピアノ版のCDだが、最近毎日スコアを見ながら、No1から順に聞いてきて、さっき第九を聞き終わった所だが、今回聞いたカツァリスの演奏は、まさに凄まじい。スコアの並ぶ音符の数も膨大だが、それを弾きこなすピアニストの技量も、素人にはうかがい知れない。
180811score0 あんなにたくさんの音符を、あんなに早く、間違いなく弾けるのは、音符が頭に入っているのか?いや、あんなに膨大な音符が入るわけが無い。とすると、見ながら?人間わざとは思えない。でも、リストが編曲して、それ以来数々のピアニストが演奏してきたはずなので、可能なのだろう。人間の能力の偉大さを改めて認識する。

このところ、ピアノ編曲のスコアを色々と買ってみたが、それはオーケストラのスコアでは、音楽に目が付いて行けないから。ピアノ版なら音符が少ないので、目で音楽に合わせて追っていけるだろうと思ったのだが、いやいや難しい。つまり、繰り返しの部分で見失う。
改めて、クラシック音楽は、如何に繰り返しが多いかを知った。その中で、リピート記号はまだ分かるが、D.C.やCodaになると、あっと言う間に見失う。ピアノ編曲版でも、素人は目で音符を追うことも難しい事が分かった。

もちろん自分は何の楽器も出来ないが、音符を追うことは昔から好きらしい。最初にスコアを買ったのは確か第九。本棚を探したら「昭和39年5月3日 御茶ノ水・石橋楽器店」で、400円で買った本が残っていた。昭和39年というと高校2年の時である。つまり、その時から音符を目で追うが好きだったようだ。(写真は、自分の好きな、第九の第一楽章の終わりの部分)

180811score1 180811score2 180811score3

歌でも、他の歌手がカバーして歌うことが多い。しかし、オリジナルを超えることは少ない。
交響曲のピアノ編曲版も、そもそも簡単にオーケストラで演奏することが難しかった時代に、その代用として編曲、演奏されたもの。
よって、まあ異端の音楽ではあるかも知れない。しかし、こんな楽しみ方もあるということ・・・
繰り返すが、ピアノ版の交響曲の演奏は、すごい。あれだけの音符の中から、きちっと旋律を浮かび上がらせるのだから・・・

●メモ:カウント~1150万

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2018年8月 9日 (木)

73回目の「長崎原爆の日」~安倍首相、何のための出席か?

今日は、73回目の長崎原爆の日。安倍首相と被爆者団体との話し合いは、昨年と同じく空回りだった。
核廃絶の先頭で尽力を」=被爆者団体、安倍首相に訴え-長崎
 長崎の被爆者5団体は9日午後、長崎市内のホテルで安倍晋三首相らと面会、国連で昨年採択された核兵器禁止条約に署名するよう求め、「核兵器廃絶の先頭に立って尽力することを心よりお願いする」と直接訴えた。安倍首相は「アプローチは異なるが、条約が目指す核兵器廃絶という目標はわが国も共有している」としつつも、従来の考えを崩さなかった。
 安倍首相は「核軍縮をめぐり求められているのは、立場の異なる国々の間の橋渡し役を担うことだ」と指摘。「核兵器廃絶に向け国際社会が一致して行動できる共通基盤の形成に貢献していく」と強調した。
 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(78)は「橋渡しというが、何をやるのか。中身ができてなく、全く評価できない」と批判した。(
2018/08/09付「時事通信」ここより)

夜のTV朝日の「報道ステーション」(2018/08/09)ではこんな報道がされていた。

被爆者からは憤りの声が寄せられました。
「総理。私たちは73年前人間らしく生きることも人間らしく死ぬこともできない生き地獄を体験しました。」
「被爆者は到底理解することは出来ません。日本政府は核兵器禁止条約に署名批准して、核保有国、閣の傘のもとにいる国々を説得し核兵器廃絶の先頭に立って人力していただくことを心よりお願いいたします。」
180809nagasaki 被爆者が総理に手渡した要望書。そこには、なぜ挨拶で条約に触れないのかと、急遽書き加えられていました。
「広島、長崎のあいさつの中で、核兵器禁止条約に一言も触れられていませんが、その真意をまとめの発言で述べて頂くようお願いいたします。」
こうした要望に総理は、
「核兵器のない世界の実現にむけていま重要なことは、核兵器国と非核兵器国双方の協力を得る努力を粘り強く続けながら、実践的かつ具体的な取り組みを着実に進めていくことにあると考えています。」
「立場の異なる国々の間の橋渡し役を担うことだと考えています。」
核兵器禁止条約に触れなかった理由について、正面から答えませんでした。
被爆者「被爆地域に来て、そして被爆者が一番多いところで、被爆者の願いは核兵器を無くすこと。そのことに触れないというのは、どんなつもりで来ているのかと思います。どんな気持ちで来ているのか。」「唯一の被爆国と言うのだったら、先頭に立つべき。そうじゃなかったら言いなさんな。唯一の被爆国なんて。」
「回答する側の誠意だと思う。要するにテキトウに答えとけと。はっきり言えば、毎年似たようなことを言っている。全く前進させようというきがない。この問題は少しは前進させないといけないということに対する回答に誠意は全くみられない。」

民放は被爆者のナマの声を報道するが、NHKニュースは、安倍首相の発言だけを流す。そのスタンスの違い・・・。
それにしても、まさに国会の答弁と同じ。口数は多いが、何も答えていない。都合が悪い問いには、正面からは答えない。自分の言葉は無く、ただただ紙を読むだけ。これは話し合いなどとは言わない。しかし、最後はわざとらしく被爆者たちと握手をして部屋を出て行く・・・
まさに、首相は何のために出席しているのか・・・

学生の頃、「なぜ戦争するのか?」という問いに、誰かが「戦争では大量に物を壊す。それによって資本家がもうかるから。」と言っていた。
確かに、トランプ外交で、アメリカの兵器産業は大もうけ。日本はそれに、湯水のごとく金をつかう。
次の首相に誰がなってもそれは変わりそうに無い。情けない日本ではある。

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2018年8月 8日 (水)

団塊Kさんの海外一人旅「#36プラハ・ワルシャワ紀行」

久しぶりに貰った団塊Kさんの海外一人旅紀行。36回目はプラハ・ワルシャワだったそうな・・。
日程は下記。

1)2018年6月13日(水) 昭島駅(8:36分発)の東京行きの青梅線で西国分寺駅まで、西国分寺駅から、武蔵野線で、東松戸駅まで(9:57分発)京成成田線スカイアクセス線(アキセス特急)で、成田空港(10:58分着)まで。OS(オーストリア航空)52便(13:35分発)にて、ウイ-ンへ(18:35分着)、OS711便にて(20:00分発)、プラハ国際空港へ(20:50分着)、電車で、プラハ中央駅まで、タクシーにて、ホステル・スクレップへ。(頼めば、ホテルに、送迎シャトルバスあり。)

2)6月14日(木) 三日分のフリー・チケットを買って、市内見物

3)6月15日(金) 市内見物

4)6月16日(土) 午前中、市内見物、昼食後、ホテルのシャトルバスで空港へ。LH(ルフトハンザ・ドイツ航空)1397便にて(14:15分発)、フランクフルト・マイン国際空港へ(15:20分着)。LH1350便にて(16:30分発)、ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港へ(18:05分着)。タクシーにて、スマート2ステイポッドリパミ・ホテルへ。

5)6月17日(日) 一日フリー券買って、ワルシャワ市内見物

6)6月18日(月) ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港から、7:35分発のLOT ポーリッシ・エアーライン航空でクラクフ空港へ。クラクフ市内見物、午後、バスにて、アウシュビッツへ。18:05分発の同航空で、ワルシャワ空港戻り。タクシーで、ホテル戻り。

7)6月19日(火) 4時半起きして、5時半に、タクシーで空港へ。7:10分発のLH1353便にて、フランクフルト空港へ。(8:55分着) 12:10分発のLH4948便にて、東京羽田空港へ。(6月20日(水)6:35分着)

★(ここ)にオリジナル「#36プラハ・ワルシャワ紀行(32頁)」(2018年6月13日~19日)のPDFを置きます。

久しぶりだな、と思ったら、3月に「グアテマラ・コスタリカ」に行く予定が、義母さんの入院で中止になったとか・・・。

今回の紀行記は、いつもの元気さが無い。本人は「今回の旅行は、スケジュールが甘く、失敗。」との事で、あまり筆が走っていないのが残念。

さすがに知らない観光地が多い。しかし、ショパン博物館やアウシュビッツなど、有名な場所もある。
チェコというと、第二次世界大戦の戦渦を思い浮かべる。徹底的に破壊されたワルシャワ。しかし戦前の街並みをそのまま復興させた市民の努力。日本とは歴史と文化が違うようだ。

今回の紀行記はさっと読めるが、Kさんには中米「グアテマラ・コスタリカ」への再チャレンジを期待しようか?
相変わらず、持ち前の語学力と冒険心をたぎらせて、世界を闊歩する70歳ではある。

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2018年8月 5日 (日)

危うく中卒の学歴が学長に~宮城学院女子大学学長・平川 新氏の経歴

先日、NHKラジオ第2の“文化講演会「新しい江戸時代論の原点」宮城学院女子大学学長…平川新”(2018/07/29放送)を聞いた。この放送は、2018/02/04の再放送で、確かに自分のPCにも残っていた。しかしそのときは、あまり印象に残らなかった。
しかし今回改めて聞いてみて、中学を卒業してブリヂストンに就職し、危うく中卒の学歴が、今は大学の学長・・・。その経歴にビックリ・・・

NHKのサイトには、この番組についてこう解説がある。
「文化講演会「新しい江戸時代論の原点」宮城学院女子大学学長…平川新
江戸時代論を見直す、近世日本を世界史の中でとらえ直す、という観点で研究を進める平川さんは古文書など歴史資料を自分なりに読み解くことが大切だと考えています。先入観を排し、史料に即し歴史を読み直すと、新しい江戸時代のイメージが次々に浮かび上がってくるといいます。他人の理論や解釈にのるのではなく、自分なりに読み込み新しい解釈を導き出す、その信念と研究人生を振り返ります。(初回放送2018年2月4日
)」(ここより)

少し聞いてみよう。

<文化講演会「新しい江戸時代論の原点」平川 新>

<文化講演会「新しい江戸時代論の原点」平川新mp3>

*この番組の全部(60分)をお聞きになる方は、(ここ=ZIP)をクリックしてしばらく待つ。

この数奇な?経歴について、wikiにはこうある。
平川 新(ひらかわ あらた、1950年-)は日本の歴史学者。宮城学院女子大学学長、東北大学東北アジア研究センター客員教授。博士(文学)(東北大学)。専門は、江戸時代史(日本近世史)、歴史資料保全学。
1950年、福岡県に生まれる。受験勉強を嫌って中学卒業後は進学せずにブリヂストンの工場で働いていたが、先輩に誘われて定時制高校に入学。中退や復学を繰り返しながら21歳で卒業する。教師の勧めにより法政大学通信制に入学し、2年次に昼間部に転籍。1976年、法政大学文学部史学科卒業。1980年、東北大学大学院文学研究科修士課程修了。
1981年6月、東北大学文学部助手、1983年4月、宮城学院女子大学専任講師、1984年4月、助教授、1985年4月、東北大学教養部助教授、1996年5月、東北大学東北アジア研究センター教授。2005年4月から2007年3月まで同大学同センター長を務める。1995年、「日本近世地域社会の研究」で博士号を取得。
2014年4月、任期満了で退任する宮城学院女子大学学長である海野道郎に替わって、同大学長に就任。」

なぜこのお話が気になったかというと、受験勉強一筋で大学の先生になった人ではないこと。いやいやながら定時制高校に行き、法政大学の通信制から昼間部に転部。そして27歳で卒業。それと同時に、初めての受験勉強をして、九大と東北大の大学院に合格。そして30歳でゴボウ抜きで東北大の助手になる。宮城学院女子大学の専任講師・助教授を経て、34歳で東北大に戻り、45歳で教授、54歳で東北アジア研究センター長に。

この経歴はすごい。15歳の中卒作業員(失礼)が、30年後には旧帝大の教授に、というのだから・・・

前に映画「ビリギャル」を見た。これは「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」だが、これとは違い、平川氏の場合は、そもそも能力は高かったが、「その場」を見付けるのに時間が掛かっただけ、なのかも知れない。
自分がフィットする「場」が見付かれば、自分が持っている能力を発揮できる。そんな好例かも知れない。

カミさんがよく話す。二人の孫が、自分のやりたいことが早く見付かって、生き生きと自分の人生を生きて欲しいと。
しかし当分は無理だな・・・。なんせ、年中さんの幼稚園の七夕の願いごとの短冊に書いてあったのが「プリキュアになりたい」・・・!!?

カミさんの友人がこんなことをこぼしていたとか・・・。近くに住む共稼ぎの息子夫婦に代わって、何から何まで面倒をみてきた小学校5年生の女の子の孫から、「私の人生に立ち入らないで!」と言われてしまったと・・・
無限大の可能性がある子どもたち。平川氏のように、高校・大学の受験戦争に加わらなくても、いったん自分の行く道が分かった人は、「やらされる」勉強ではなく、真に身に付く勉強で大きく飛躍することが出来る。
人生とは、自分で切り拓くもの。それを強く感じた平川氏のお話ではあった。

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2018年8月 3日 (金)

内部告発者に「報復」する社会

昨日、こんな記事を読んだ。
内部告発者に「報復」する社会 法の欠陥、修正できるか
組織の不正を知って内部告発者になったら、左遷や解雇、パワハラといった不利益を被るのではないか――。そんな懸念があちこちで現実になっている。内部告発者を守るはずの公益通報者保護法に罰則規定がなく、「ザル法」になっているからだという。違反企業への刑事罰の導入などに向け、同法改正の議論が続くなか、「公益のため、不利益を被ることなく内部告発できる」という社会は果たして到来するのか。(文・撮影:フリー記者・本間誠也/Yahoo!ニュース 特集編集部)

内部告発の後、嫌がらせ続く
金沢大学医学部は、日本三名園の一つ「兼六園」から徒歩で十数分の場所にある。その一室で、薬理学研究室主任の准教授・小川和宏さん(55)は「私も正念場です」と切り出した。
「私を何とか追い出そうと、大学側は躍起になっています。ですが、私は正しいことをやってきました。あきらめません」
小川さんと大学側との緊張関係は、2度の内部告発に起因する。最初は2006年1月。東北大の助手から金沢大の助教授(当時)に転じた数カ月後だった。
研究室の上司にあたる教授から「薬品業者との架空取引で研究室の裏金をつくっている」と聞かされた。「半ば慣行のようなもの」「捕まらないから大丈夫」とも言われた。だが、小川さんは東北大時代、研究室の経理を適正化するための講習や指導を受けており、不正を容認する考えはなかった。
不正について教授に直言しても聞き入れられる状況ではなかった。そのため、小川さんは大学本部に通報し、求めに応じて証拠となる書類も提出したという。
「通報には相当の勇気が必要でした。でも、黙っていたら不正の片棒を担ぐことになる。ところが(その直後)、大学側は通報者が私であることや、証拠書類が学長にまで上がっていることを当の教授にすべて漏らしたんです」
大学側は通報の2カ月後、調査の結果、不正はなかったという結論を出す。そして、このころから教授らによる嫌がらせ、パワハラが本格化したという。

締め出し 授業もさせず
小川さんによると、こんな実態だった。
まず、共同研究・実験室から締め出された。唯一出入りを許された自分の研究室には、研究に必要な実験機器がない。いわば座敷牢だ。学生のアンケート結果で高い評価を得ていた授業も42コマから3コマに減らされ、学生に対する教育の機会が奪われた。大学側もこれらを容認していたのだという。
「まさに四面楚歌。大学に向かう足は毎日重かったし、孤立感も募って。ストレスは相当でした」
そうした状況はまもなく地元メディアの知るところとなり、発端となった裏金疑惑について大学側は再調査に追い込まれた。結局、約525万円の不正経理が認定され、教授は出勤停止2カ月の懲戒処分。大学側も会見で「非常に重大なこと。再発防止に努めたい」と謝罪した。
これですべては終わるはずだった。

医療過誤も内部告発したが……
その後も小川さんの授業数は回復されず、孤立状況は改善されなかったという。そうしたさなかの2013年秋、小川さんは第2の内部告発に踏み切る。
2010年3月、金沢大学付属病院で骨肉腫だった16歳の少女が死亡する事故があった。少女には先進医療とされる「カフェイン併用化学療法」が過度に施されており、これが原因で死に至った可能性があった。主治医だった整形外科教授ら3人は、業務上過失致死で遺族から刑事告訴されていることも知った。
しかも大学側はこの時点で同じ療法を続けていたという。
小川さんは「見て見ぬふりをしていたら、第2、第3の死亡事故が発生する。医療ミスの隠蔽は見過ごせない」と思い、厚生労働省に電話連絡した。同省に調査を促し、再発防止を図るためである。
ところが、電話の相手だった同省の先進医療専門官はその翌日、少女の主治医だった教授に対し、「内部告発者は小川さん」とメールで漏らしたのである。
内部告発者が誰であるかを当事者に漏えいする――。そんな行為が2度も小川さんの面前で起きたのだ。
事態はさらに動く。
厚労省に不信感を抱いた小川さんは、少女の死に関する一連の出来事を報道機関に伝えた。その後、2014年1月になると、石川県警は少女の主治医ら3人を業務上過失致死の疑いで書類送検。のちに嫌疑不十分で不起訴になったが、問題の治療法を中止する注意義務を怠ったという理由だった。
大学側も主治医らの治療には倫理指針違反の疑いがあったと発表。厚労省は、問題の療法について先進医療の認定を取り消した。さらに同省の専門官も「内部告発者の情報を漏えいした」として、守秘義務違反で戒告処分を受けた。
小川さんは振り返る。
「結果を見れば、間違いは証明されました。とはいえ、大学側はきちんと医療ミスに向き合おうとしなかった。厚労省は調査に及び腰で情報を漏らしたし、同省への通報後、私の授業数はゼロにされた。その守秘義務違反の被害を訴えても、捜査機関はのらりくらり……。公益通報者保護法はザル法です。それを思い知らされました」

パワハラや嫌がらせが続く日々
実はこの間、小川さんは大学側などを相手取り、研究室からの締め出しや教育機会の減少は不当であるなどとして、損害賠償訴訟を起こしている。2017年3月の金沢地裁判決では、大学側は上司である教授によるパワハラを認識していたとしたうえで、「職場環境の改善に向け、具体的な対応をしていたとは言えない」と賠償金約220万円の支払いを命じ、翌月確定した。
それでも、ことは終わっていない。
「医学類履修・学生生活の手引き」の2018年度版に「准教授・小川和宏」の名は出てこない。さらに小川さんによると、大学側はいま、医学部生の定期試験の点数を提出しなかったことを理由として懲戒審査にかけようとしているという。
取材に対し、金沢大学広報室は「現時点では取材に答えられない」としたが、小川さんはこう言う。
「前年度、テストの点数が正しく成績に反映されなかったことから、(印刷物などではなく)大学側が提案したコンピュータ入力で点数を提出しようとしました。ところが、大学側がなぜか入力に必要なID番号やパスワードを教えない。大学側にすれば、どんな理由でも構わない。とにかく、私を追い詰めたいんでしょう。早ければ8月にも懲戒処分に向けた最終手続きを始めようかという構えです」
金沢大に来てからの小川さんは、科学研究費助成事業(科研費)の審査委員として日本学術振興会から2度の表彰を受けている。これは科研費の審査に際して模範的な意見を付した審査委員を表彰する制度で、有能な研究者として認められた証しでもある。2度の表彰は金沢大ではただ一人。最初の表彰は准教授としては同大で初だった。小川さんはまた、特許でも「心臓保護薬」など3件の登録を成し遂げた。
「研究者としても実績を上げてきた」という誇りは人一倍強い。
最初の内部告発から既に12年余りが経過した。小川さんは言う。
「研究者として、もったいなかった、時間のロスだったと思う気持ちはあります。でも、闘い続けたい。私があきらめたら、告発を迷っている人、今も闘っている人に良い影響を与えません。公益通報者保護法の改正議論も良い方向にはいかない。そう考えています」

告発者への「報復」に罰則なし
公益通報者保護法とは「公益のために通報を行った労働者に対する解雇等の不利益な取扱いを禁止する法律」(消費者庁)である。ところが、2006年の施行当時から「ザル法だ」「通報者を保護できないだろう」と懸念されていた。
2015年に始まった法改正の議論は、まさにこの点が焦点になっている。改正法案の提出目標は来年の通常国会で、これを検討する内閣府消費者委員会での議論も大詰めだ。これまでの議論では、主に「通報者が不利益な扱いを受けた場合、行政措置や刑事罰を導入するか」「通報者の範囲を『労働者のみ』から退職者や役員・取引業者に拡大するか」をめぐって意見が交わされてきた。
千葉県弁護士会会長で通報者保護法に詳しい拝師徳彦(はいし・のりひこ)さんは「現行法の最大の欠陥は、企業・組織側がやろうと思えば、内部告発者に徹底して嫌がらせができることです」と話す。
「現行法は当事者任せの『民事ルール』。内部告発は当事者の正義感に頼っている状況です。内部告発者が不利益を受けたら、それをくつがえすには、リスクを背負い込んだうえで組織を相手に訴訟せねばなりません。制度の実効性を高めるためにも、通報者が不利益を受けた場合、その組織には刑事罰を適用すべきです」
近年、日本では製造業の不正経理や検査不正などが相次いで発覚した。内部通報制度がきちんと機能せず、社長や役員による不正の黙認や隠蔽(いんぺい)が続いていた実例もあった。内部通報の段階で適切に対応していれば、組織を揺るがす不祥事に発展しなかったケースも少なくない。
「刑事罰の導入について、経済界などは以前ほど強硬に反対していません。『チクリ』『恥ずかしい』という内部通報のイメージも改善されてきた。企業側も『内部通報は組織の役に立つんだ』という意識を徹底してほしいと思います」

「報復解雇だ」 和歌山県でのケース
いまだに「チクリ」とも称される内部告発。それへの「報復」がなくなる日は来るのだろうか。
和歌山県に住む40代の男性は、2015年末まで同県美浜町の老人保健施設で理学療法士として働いていた。「報復解雇」と彼が訴える事例も紹介しよう。

「事件」は15 年の10月だった。
施設を運営する医療法人理事長が、入所者に悪口を言われたことに腹を立て、この入所者に暴行を加えた。入所者の視力に問題が生じたという。同年12月に警察の捜査が始まり、現場に居合わせた複数の職員が事情を聴かれた。しかし、理事長の仕返しを恐れ、職員たちは本当のことを話せなかったという。
それに疑問を抱いたのがこの男性である。
事情聴取から数日後の昼休み。男性は職員に集まってもらい、「この施設を良くするため、私はこれから警察に行って知っていることを話してきます。賛同してくれる人は一緒に行きましょう」と呼び掛けた。7人の職員が同行してくれたという。
それを知った理事長は翌日、この男性に対し、解雇をほのめかしながら退職を迫った。別の日には「あすから来なくていい。解雇通知は郵送した」と言ってきた。
男性は弁護士と相談し、職場復帰を含む地位確認などの民事訴訟を和歌山地裁に起こした。加えて、一審判決までの賃金の仮払いなどを求める仮処分申請も行う。仮処分は短期間に結論が出ることが多い。このケースでは、「解雇理由に客観性や合理性はない」として、裁判官は一審判決まで男性の生活費として妥当な金額を仮払いすることなどを施設側に命じた。
男性は言う。
「他の内部通報者と比べ、私は恵まれていると思います。以前から内部通報に詳しい弁護士に相談しており、解雇通知の時も『来るべきものが来た』と冷静に受け止めました。それに私一人だったら仮処分申請など思い付かない。訴訟もせず、泣き寝入りしていたかもしれません」

「何かがおかしい」と弁護士に相談
では、なぜ、男性は「以前から」弁護士に相談していたのか。何を相談していたのか。
「この施設は何かおかしい」と感じるようになったのは、2013年の3月だったという。理学療法士の資格試験に合格する直前。非常勤の介護職員として働いていたころだ。
男性によると、理事長に「理学療法士として明日から入所者のリハビリを担当しろ」と言われた。「資格を取ったら入所者へのリハビリはやったという記録を残すだけでいい。訪問リハビリで稼いでこい」とも言われた。事務長に違法性を訴えると、「理事長が黒と言ったら黒。白と言ったら白」と言われた。
その後、資格を得て常勤職員になると、介護職員の大幅な不足や低水準のサービスなど、ワンマン運営による数々の弊害に直面したという。就業規則は職員に知らせず、サービス残業も常態化。入所者への身体拘束も日常的に行われていたという。
ほかにもあった、と男性は言う。
「管理栄養士はいないのに、県への提出書類では『常勤』と記され、介護スタッフも実際より大幅に水増し。栄養管理が行われないから、低栄養状態となっている入所者もいました。いつ事故が起きてもおかしくない状態でした」
そのころ、東京弁護士会の公益通報相談窓口の存在を知り、担当弁護士に不正をどうしたらいいのかを尋ねた。アドバイスに従い、男性は14年8月、不正請求や入所者への虐待について和歌山県に内部通報した。証拠となる書類も添えた。
「地元で長く勤めたいと思っていましたから。だから、県の指導で施設が健全になれば、と思って」

「世間は狭い、告発は怖い」 ならば黙るか?
内部通報によって、県の抜き打ち監査が行われ、17年2月には新規入所者受け入れ停止などの行政処分が下された。監査結果によると、介護職員の水増しなどにより、施設側は5年間で3億円以上の介護報酬を不正請求したことが判明している。
入所者への虐待行為も認定された。ベッド柵にカギ付きのチェーンを付けてベッドから下りられなくするなどの「身体的虐待」の被害者は26人。入所者がナースコールを使えないようにするなどの「介護放棄の虐待」の被害者は35人を数えた。間違いなく、内部告発の成果はあった。
「地方という狭い世間の中での内部通報です。怖さはありました。でも、あのまま放置できません。いずれ、知り合いがここに入所するかもしれない。わずかであっても施設運営が改善された。その点は良かったです」
公益通報者になって見えたものもある。
「不正請求の証拠となる書類などを提出しても、県は最初、『抜き打ち監査の前例がない』と及び腰でした。事態が動いたのは人事異動で担当者が代わってからです。警察も同じようなもの。詐欺に当たる不正請求の証拠書類を示しても『県が告発しないと動けない』と。こちらは半ば人生を賭けて通報しているのに。失望の連続でした」
「罰則はないけど、内部通報者に報復して不利益を与えるのは、今でも法律違反なんですよ。それなのに、解雇されたことや提訴したことを全国紙の県内支局に伝えても振り向いてもらえませんでした」
復職などを求めた裁判はこの7月に結審した。医療法人側は「男性は当法人との信頼関係を破壊した」などとして、男性の訴えを棄却するよう求めている。判決は10月の予定だ。

本間誠也(ほんま・せいや)北海道新聞記者を経てフリー記者。提供:アフロ」(2018/08/02付「Yahoo!ニュース」ここより)

このところ、特にスポーツの世界で、独裁体制と内部告発の話が多い。女子レスリング、日大アメフト問題、そして今回のアマチュアボクシングなどなど。
テレビで報道されている内容を聞くと、まさにヒットラーやスターリンの時代の恐怖政治を彷彿とさせる。まあ中小企業では良くある話で、「イヤなら辞めろ」はトップの常套手段。
しかし、それを指摘したり、ましてや内部告発すると、本人が干されるのは日本では当たり前の光景らしい。
たぶん、文化として日本は遅れているのだろう。

そもそもこう言う諺がある。
長い物には巻かれろ」(=目上の者や勢力の強い相手とは争わないで、それに従った方が得策だという意。/強い権力を持つ者や、強大な勢力を持つ者には、敵対せず傘下に入って従っておいたほうがよい、といった処世術を表す言い回し。)

人間は弱いもの。このような場面に直面すると、つい下を向いてしまう。
上の記事のような動きも、自分にも出来るとは思えない。

それにしても、現役を離れて年金生活になると、「長いもの」が極端に少なくなっているのを感じてハッピー。振り返ると、サラリーマンは誰でも、自分の周囲は全て「長いもの」だらけ・・・。自分もそんな中で良くやってきた!? 今ある「長いもの」はカミさんだけ!!

自分の正義感と、保身とのせめぎ合い。どれが正しいなどとは軽々しくは言えない。
でも、保身を投げ打って不正をただそうと内部告発した人には、社会全体が応援する日本であって欲しい、とは思う。

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2018年8月 1日 (水)

「苦労して微積分学ぶ必要ある?」

だいぶん前の記事だが・・・・
「(声 どう思いますか)6月14日付掲載の投稿「苦労して微積分学ぶ必要ある?」
 ■苦労して微積分学ぶ必要ある?
           再任用地方公務員(愛知県 62)
 今も昔も数学に苦い思いをした人は多いと思う。特に高校に入った途端に難しくなり、苦手科目になってしまう生徒も多いのではないか。しかし大学入試では、数学は昔から国語、英語と並ぶ主要科目だ。私もそれを当然と受けとめながらも、微分・積分や関数などに悪戦苦闘した。
 私は獣医師職の公務員だが、これまでの仕事で微分や積分を必要としたことは一度もなかった。2人の娘もやはり高校時代には数学で随分苦労したが、社会人となった今、高等数学とは無縁の仕事に就いている。大学生や社会人になってから、実際に高等数学の知識が必要である人はかなり限られているように感じる。
 高等数学は、高校を卒業してからそれぞれの必要に応じて学べばよいのではないか。日常生活に関わる基礎知識や教養という点では、社会科や理科の方が重要な部分が多いと感じるし、高校教育での数学の比重が大き過ぎるように思う。現在の教育界にこのような議論はないのだろうか。(6月14日付掲載の投稿〈要旨〉)
     ◇
 ■不要論受けとめ魅力ある授業に
             中学高校教員(愛知県 47)
 中高生に数学を教えています。微積分はほとんどの高校で履修する「数学2」に登場しますが、学習時間は2カ月程度です。一方、理系の高3生が学ぶ「数学3」はおよそ半分が微積分になります。
 微積分は物の運動や社会現象の「変化」に注目した未来予測や、曲線で囲まれた面積や体積を求める技法の一歩目で、大学で工学系や経済学系に進むには必須でしょう。社会で実際に使う人は限られるかもしれませんが、将来その必要性に気づくこともあると思います。
 また、微積分の学習を通し、一般性や厳密性など学問の奥深さに触れることができます。高度情報化社会を支える基盤として、数学の教科内容を大きく減らすことに私は反対です。ただ、このような「不要論」があることは受け止め、目の前の生徒たちに楽しい授業を実践するよう、努力していく所存です。

 ■数学は思考回路を鍛えてくれる
          高校生(神奈川県 17)
 文系の私の周りには、数学など将来役に立たないと切り捨てる友人がたくさんいる。私自身、数学が入試に必要な大学を志望しているものの、数学に直接関わる仕事に就く考えは、今のところない。
 では数学は高校教育に必要ないのか。私は、数学を学ぶと自分の思考回路が理路整然としたものになっていくように思う。問題の要求に応じて必要性や十分性を熟考し、論理の道筋を表現する作業は、確実に私の中の何かを高めている。万人に得るものがあるからこそ、この学問は何千年にもわたり人々に必要とされ、受け継がれてきたのではないか。
 正直なところ数学は得意科目ではないが、無ければいいと即断してしまうのは危険だと思っている。役に立たない、と思い込みで決めつけて排除するのではなく、幅広い教養を身につけた視野の広い大人になりたい。

 ■学ぶ楽しさ、工夫し取り戻そう
             無職(茨城県 87)
 高校で微積分までやる必要はないのでは、とのご投稿。教育は本来、受けて楽しいはずなのに、逆の効果が表れてしまった。これはいけない。理工学系の研究所に勤め大学で数学を教えた経験も踏まえ、微積分の一つの入門を試みたい。
 紙を切って円を作り、半分に折る。この半径に沿って半分に折る操作をその後3回続けると、二等辺三角形に近いものができる。その底辺は円弧だが直線に近似でき、高さはほぼ半径だ。紙を広げると円は16個の「三角形」に分割され、その底辺の和は円周に近く、面積の和は円の面積に近い。どこまでも折っていくと円周の長さと円の面積が求まる。細かく分けるのが微分で、集めるのが積分だ。
 要は教える側の工夫と、学ぶ側の素直な気持ちだ。国語や数学、文系と理系などと垣根を作るのがいけない。学びの対象は色々あり、精神は同じなのである。

 ■積み重ね必要、再学習は困難
 会社顧問(京都府 69)
 元は橋の設計、その後は橋の構造解析のコンピュータープログラミングと、技術者人生を歩んだ私は数学の重要性を知っている。ご投稿に異議を唱えたい。
 まず、橋の設計には、数学の知識の上に成り立つ応用力学が欠かせない。また線形代数の知識なしにプログラミングは成り立たない。文系出身者がプログラム開発に携わる場面を多く見てきたが、彼らが決まって言うセリフが「学校でもっと数学を勉強しておけばよかった」だ。
 さらに、理系分野の一部の大学では新入生の数学の学力不足のため、高校数学の補習を開催している現実がある。
 数学は、典型的な積み重ね学問であり、社会に出てからの再学習が極めて困難な学問である。高卒時点で将来の進路が定まっている人は多くはない。安易な教育の手加減で、若者の将来の可能性を狭めることだけは避けるべきだと思う。

 ◆もったいない数学嫌い
 桜井進・(公財)中央教育研究所理事 数学をテーマに小中高校で年間70回ほど講演をします。子供たちの感想文を読むと、元投稿に「ごもっとも」と言わざるを得ません。学校が「数学嫌い」を大量生産しているのです。
 小学校で算数を知的遊戯として楽しめても、中学から急に抽象的になり、しかも「作業手順をいかに覚えるか」を問われるだけの授業では、面白くないのも無理はありません。微分積分はその象徴みたいに思われていますが、刻々と変わる現象を捉える強力な計算技法。物理学・電子工学・金融工学・AIなど現代技術文明にも不可欠な実学なのに、授業で触れられません。
 社会で必要性を感じてからでは学ぶ機会が乏しい。数学は数千年かけてつくりあげられてきた人類の英知で、その普遍的真理は至極の芸術。触れずに終わるのは、実にもったいないです。」(
2018/07/11付「朝日新聞」P12より)

微積分以前に、数学を思い出すと、高校までは大好き。しかし大学以降は大キライな科目だった。自分は工学部だったが、大学1年になったとたんに極端に難しくなり、苦手に・・・
自分のスタートは、中学のとき。数学の時間は勝手自習で、教科書の先を、先生の話も聞かずに自習していた。先生もそれで良いと言ってくれた。そのクセが高校に入っても続いた。授業のページよりも、如何に先に進んでいるかを競った。しかし先生からは「**!今は自習の時間じゃ無いんだぞ!」と叱られた。しかし自習は止めなかった。つまり、高校までの数学は、自習で充分に学習は出来る。

上の高校生の「私は、数学を学ぶと自分の思考回路が理路整然としたものになっていくように思う。」という意見に賛成。
そもそも「学ぶ必要ある?」という捉え方はしたことがない。そう考えると、極端に言うと、「現代国語」以外は、およそ社会で即役に立つとは思えない。漢文・古文やドイツ語も・・・。しかし、勉強はどこかで役に立つのである。上の高校生の意見のように・・・。
自分は現役時代、電子回路の設計をした時期があるが、その時に、最も重要な法則が「オームの法則」だった。極端に言うと、この法則ひとつで、回路の設計など出来てしまう・・・
応用なんてそんなもの・・・

しかし、上の無職先生の「紙を切って円を作り、半分に折る。・・・」は、目からウロコ・・・
そんな考えはしなかった。微積分がそんな形で言い換えられるとは!!

年金生活になると、妙に昔を懐かしむ。前にも書いたが、中学以降の数学をもう一度勉強してみようかと、始めたことがあった。しかし、さすがに中1の数学は面白くなく、結局そこで止まってしまった。

しかし、先の無職先生のように、昔勉強した数学が、今の時代のどんな考え方に言い換えられるのか、どんな考え方に役立っているのか、難しい数学と実生活とを結びつけてくれるような本があれば読んでみたいものだ。
数学を受験科目以外の存在として見直すために・・・・

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