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2018年6月10日 (日)

中島みゆきの「傾斜」

先に中島みゆきの歌を聴き直し、何曲かあげた。今日はその続きである。
中島みゆきの「傾斜」という歌を見付けた。

<中島みゆきの「傾斜」>

「傾斜」
  作詞・作曲:中島みゆき

傾斜10度の坂道を
腰の曲がった老婆が 少しずつのぼってゆく
紫色の風呂敷包みは
また少しまた少し 重くなったようだ
彼女の自慢だった足は
うすい草履の上で 横すべり横すべり
のぼれども のぼれども
どこへも着きはしない そんな気がしてくるようだ

冬から春へと坂を降り 夏から夜へと坂を降り
愛から冬へと人づたい
のぼりの傾斜は けわしくなるばかり

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか

息が苦しいのは きっと彼女が
出がけにしめた帯がきつすぎたのだろう
息子が彼女に邪険にするのは
きっと彼女が女房に似ているからだろう
あの子にどれだけやさしくしたかと
思い出すほど あの子は他人でもない
みせつけがましいと言われて
抜きすぎた白髪の残りはあと少し

誰かの娘が坂を降り 誰かの女が坂を降り
愛から夜へと人づたい
のぼりの傾斜は けわしくなるばかり
としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか

冬から春へと坂を降り 夏から夜へと坂を降り
愛から冬へと人づたい
のぼりの傾斜は けわしくなるばかり

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか
悲しい記憶の数ばかり
飽和の量より増えたなら
忘れるよりほかないじゃありませんか

この歌は、1982年発売のアルバム「寒水魚」に納められていた歌で、wikiには「後に高校の国語教科書にその歌詞が掲載された曲である。」と解説がある。
この歌で高校生に何を教えようとしていたのだろう・・・??ちょと興味がわき、Netで検索してみた。

そしてこの歌詞について、こんな解説を見付けた。
「たとえば、出だしの「傾斜10度」。坂の角度が具体的です。30度もある坂道だと急すぎて、あまりに波乱万丈な人生を予感させるし、平凡な人生には「傾斜10度」くらいがちょうどいいのである。この「傾斜10度」という角度の具体的表現の中には、どんな人生だったかという、いわば何万言もってしても語り尽くすことのできない「人生」という抽象的なものの在り方が表現されているのである。すばらしいですね。
 そして『風呂敷包』。何十年生きても、本当に大切なものはそんなにたくさんはないのだよ。せいぜい「風呂敷」に包める程度でしかないのだ。そして、それでも、その荷物は少しずつ重くなり、そのせいもあって、自慢だった足は「横すべり」する。この「自慢だった足」というのも暗示的ですね。
「若いころは気丈な人だったのに、年取ってすっかり気弱になってしまったねぇ」なんて状態や、「お父さんも最近すっかり涙もろくなって、もう年かねぇ」なんて事を思わせたりもするのである。言わば「精神の足腰」なのである。そして最後は、結局「どこへも着きはしない」ような気がするというのだ。こんなにも生きてきて、まだ前が、行き着く先が見えない。あぁ、いったい私の人生って何だったのだろう。という思いで締めくくられる。

人は年をとるとボケる。これはどうしようもない現実なのである。・・・
その深刻な事態を「哀しい思い出がふえて、頭一杯になってしまい、もう入りきらなくなったので、忘れてしまう以外に仕方がない。」なんて、中島みゆきは捉えてしまい、「悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 忘れるよりほかないじゃありませんか」と歌ってしまうのである。いけない事だと言っているのではないのですよ。あるいはそうおっしゃる人もいるかもしれないが、偽鑑先生はそんなきれい事より、この中島みゆきという人の人生や人間を見つめる眼に驚いて、感動してしまうのである。こんなことは、最近のエセロック歌手には逆立ちしたってできないのである。
 それに「飽和量」なんていう理科の教科書に出てくるような言葉を詞の言葉として使って、またそれを違和感なく使いこなしてしまう才能のすばらしさにまいってしまうのである。中島みゆきによって「飽和量」という言葉は新たな命を吹き込まれたと言ってもいいくらいなのである。・・・」
(「偽鑑先生の作文講座」ここより)

なるほど。こんな解釈もあるのか・・・。

一方、学術的?には、早稲田大学の論文?にこう記載があった。
「学習者がよく聴く音楽は、クラシックよりはポピュラーであり、その多くは歌詞が付いたものである。そこで音楽と国語科の接点を考えるときに、直ちに思いつくのはうたの歌詞ということになる。歌詞は、詩歌と同じ位相から教材化を検討することができる。現に、国語の教科書の中にも歌詞が教材として採録されるようになりつつある。高校の「現代文」の教科書を例にするなら、教材として歌詞が掲載された教科書が複数あった。1989年版学習指導要領に準拠した「現代文」の教科書から3例紹介する。

角川書店版教科書には、中島みゆきの「傾斜」の歌詞が収録されていた。「傾斜」は「文体・表現」という単元に収められ、後に次のような「学習」が付いている。
学習1
一 「傾斜」がイメージされている言葉を作品の中から列挙してみよう。
二 この歌詞は光景を叙述した部分と、感情を表出した部分(叙情の表出)とによって構成されている。それぞれその部分はどこか指摘してみよう。
三 この歌詞には次のような二つのリフレインがあるが、それぞれ表現されている意味を明らかにしてみよう(以下略)。
学習2
一 「傾斜」という言葉には何が暗示されているか、考えてみよう。またそれが高らかに歌われてるい部分を指摘してみよう。」(
早稲田大学の(ここ)より)

高校生も大変だ!?

しかし、古希を過ぎた自分にはなぜか心地良い歌だ。老化を認めてくれたようで・・・!?

さてこの歌は、2004年発売のアルバム「いまのきもち」でセルフカバーされているので、それも聞いてみよう。

<中島みゆきの「傾斜」(「いまもきもち」より)>


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コメント

すっかりご無沙汰してしまいました。
iPadミニを持ち始めてからPCを開ける回数が減り、
たまに開けると
今度はフリーズばかり…。
iPadだとコメントを打つのに時間がかかり、
ついつい読ませていただくばかりになっていました。

でも今日は…
先日私も古希を迎えて、年齢を重ねることに何かいいことがあるのかな、と考える日々です。
この歌は初めて知りました。
中島みゆきは多分20代でこの歌を書いたと思われますが、つくづくすごい人ですね。
20代の若さでこの歌詞が書けるなんて❗️

【エムズの片割れより】
PCは調子悪いですか・・・
当方、入力のほとんどはPCですが、iPhoneの時は、音声による入力に頼っています。
便利さから家の中でも、いつもiPhoneを持って歩くようになったため、カミさんから「若者のようだね」と言われています。

投稿: アンディーのママ | 2018年6月11日 (月) 14:09

一言だけ。

「自慢の足」は
「鑑賞に値する」から自慢だったので、

見てくれは悪いけど、坂登に強い足腰

ではないと思ってます。

見てくれが良くて、
誰かの「娘」から
誰かの「女」になって
息子を育てた
人のことです。

投稿: Tamakist | 2018年6月12日 (火) 16:45

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