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2018年4月 9日 (月)

「お墓」はシニア族のこれからの大テーマ

昨日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(日曜に想う)生き方と逝き方、桜散る季節に 編集委員・福島申二
 暖地の桜はあらかた散ったが、岩手県盛岡市辺りはまだつぼみが春を抱いている。市内の大慈寺に、この地の出身で平民宰相と呼ばれた原敬の墓がある。
 原は1921(大正10)年に東京駅で凶刃に倒れた。なきがらが戻って埋葬されるとき、妻の浅は、穴の深さをしきりにたずねたそうだ。「深さをよく覚えておいてくださいね」と周りの人たちに頼んだ。わけを聞かれるとこう言った。
 「私が墓に入ってから、あなた、と呼ぶのに深さが違うと困りますから。横を向けば話ができるように、平らに並べてくださるようにお願いしますよ」
 1年4カ月のち、後を追うように他界した浅は、望み通りに同じ深さに埋葬されたという。それからほぼ1世紀、ふたりの墓石は同じ形で左右に並び、仲良く語らっているかに見える。
 「永眠の地」「終(つい)のすみか」の一つの理想を見る思いだが、ここにきて、墓をめぐる世相は急変しつつある。
 少子化につれて人口が減り始め、家族のかたちや人の生き方が多様化する時代である。守る人の絶えた無縁墓が各地で目立ち、夫と同じ墓に入りたくないという妻も珍しくない時世になってきた。
 原敬と浅のエピソードは、どこか遠いお伽噺(とぎばなし)のように聞こえてくる。
     *
 亡くなった者をあの世で結びあわせる冥婚(めいこん)という言葉は古くからあって、旧習ながらどこか詩的に響いてくる。
 片や死後離婚は新しい言葉で、散文的だ。亡くなった配偶者の親族との法的関係を断つことをいう造語だが、もともとは配偶者と同じ墓を拒む場合をそう称してきたようだ。本紙記事には1994年に後者の意味で初めて登場する。
 それからほぼ四半世紀、いずれの場合も、死後離婚に至るすきま風はもっぱら妻の側から吹いてくるようだ。家族という役割のなかで、これまで女性が負わされてきた忍耐ゆえと想像はつく。
 昨年秋の本紙Reライフプロジェクトのアンケートによれば、配偶者と同じ墓に入ることについて、「悩む」「できれば避けたい」「絶対に嫌だ」と答えた女性は4人に1人を数えた。男性は7%程度と低かった。婚家の代々の墓への抵抗感がある人もいることだろう。
 これこそお伽噺かもしれないが、評論家の花田清輝が次の話を書いていた。
 パリのペール・ラシェーズ墓地に二つの墓が並んでいて、先にできた墓にはこう書いてあるそうだ。「ジャック・ジュラン――お前を待ってるよ!」。あとの墓には「ジャクリーヌ・ジュラン――はい、まいりましたよ!」。
 思わず頬がゆるむ。とはいえ昨今、それが理想とばかり思っていては素朴に過ぎよう。百人いれば生き方と逝き方に百の考えがある。近年広まった「終活」という言葉には、かたちはともあれ、ひとが一個の人間に戻って退場しようとする静かな意思があるように思われる。
     *
 北へ向かう桜前線は、きょうはどのあたりまで行ったか。ときに生きがいに結びつけ、ときに死にざまに重ねて、日本人は桜に思いを託してきた。
 〈死支度(しにじたく)致(いた)せ致せと桜かな〉一茶
 不吉な句ではあるまい。桜の恬淡(てんたん)とした美しさが一茶にそう言わせる。生きているうちの旅支度を「縁起でもない」と嫌う時代では、もうないだろう。
 単身で暮らす世帯が4分の1を超えたいま、弔いも墓も「家」から「個」へとかたちを変えるのは自然な流れだ。女性専用をうたう墓所も近年目につく。
 自分らしく。あの人らしく。
 昨今はそれがエンディングのキーワードだと聞いたことがある。残った者の思い出の温め方も人それぞれでいい。
 美しい桜に仮託する散りざまとは異なり、人の死にはリアリズムの縮図のような事柄が入り乱れる。加えてこれからは少子に多死が重なる未体験のゾーンに我々は踏み込んでいくことになる。
 難しい時代だけれど、賢く処したいものだ。人生の機微に通じたシェークスピアの劇にこんなせりふがあった。
 〈終わりよければすべてよし、終わりこそつねに王冠です〉(小田島雄志訳)」(
2018/04/08付「朝日新聞」p3より)

そしてだいぶ前の記事だが、こんな話もあった。

「(フォーラム)弔いのあり方:3 お墓の悩み
お墓で困っていることは何ですか?/親や配偶者のお墓はどうしたいですか(どうしましたか)?/自分のお墓はどうしたいですか?
 “最後のすみか”ともいえるお墓。遠く離れた故郷にあって守れないという人もいれば、死んだあとまで夫(妻)の家族と一緒なんて嫌だという人もいます。遺骨は自然にかえしてほしいというお墓不要論も聞こえます。これまでの家のお墓から、人それぞれの形に変わりつつあるお墓のあり方について、みなさんと考えます。

 ■自分だけなら不要だが
 お墓についての様々な意見や体験がアンケートに寄せられました。
     ◇
 ●「両親の墓は遠く、自分自身の病気などでずっと行けません。親戚などから墓参りに来ないのかと責められることもありますが、お墓参りは誰のためなのか疑問を感じます。私は、マンションに合う小さな仏壇を買い、両親の好きだったお菓子やお花を供えて写真を見ながら手を合わせます。想(おも)う人のところに来てくれると信じて、それでよしとしています」(熊本県・60代女性)
180409haka  ●「自分だけなら墓は不要と思いますが、田舎にある先祖代々の墓まで自分の決断でなくしてしまうほどの意気地はありません。かといって田舎の墓に入るつもりもありません。子どもに遠方の墓の墓守をさせるわけにいかないので。やむなく東京に墓を買って改葬する覚悟を決めました。近くにある寺院墓地が理想ですが、将来子どもに檀家(だんか)としてのもろもろを無理に押しつけたくありません」(東京都・40代男性)
 ●「祖父のときは友人や親戚がたくさん葬式に来てくれたが、自分には仲の良い友人はそれほどいないし、結婚したいとは思っていない。そうすると私が死んだときには、姉やその家族にもろもろの費用を負担してもらうことになるかもしれない。私は永代供養墓に入れてもらうのが良いと思った。父方の先祖の墓は浜松市にあるのだが、父が死んだらその墓は、今住んでいるところに作られると思う。将来、姉も自分も別の場所に住むことになるかもしれない。そうなると両親の墓と母方の祖父母の墓をどうするかという問題もある」(埼玉県・10代男性)
 ●「別に主人の実家のお墓参りくらいしてもいいけど、自分が入るのはイヤだわぁ。死ぬ時くらい1人でいきたいなぁー。前、テレビ番組で誰かが言ってたけど、ダンナの家の先祖代々の墓なんて、知らない人ばっかりで、死んでまで肩身の狭い思いをするのはイヤだって。まさにそれですね。仲のいいお友達(墓友?)というのもあるみたいだけど、人間、絶対最初と最後は1人だと思うんだよね。月にでも埋葬してほしいわー。月が昇って来たら、月に向かって手を合わせてもらえばお墓参り完了! 子供たちもお手軽でいいんじゃないかなーって」(茨城県・40代女性)
 ●「私たち夫婦は別姓で生活しています。だから墓石には『○○家之墓』と刻まず、好きな言葉とかデザインしたい。本当は、墓も必要ないと思う。しかし、自分が父親を亡くした時には、法事や墓参りなどでだいぶ気持ちの整理がついたことを考えると、娘たちがおばあさんになる頃くらいまでは、亡き親をしのぶよすがとしての墓が必要なのかなと考えます」(東京都・50代女性)
 ●「子が親の葬儀をしたり墓参りするって、ごく自然のことだと思うんです。なにを騒いでるんでしょう?墓は遺族のためでなく、純粋に死者のためにあります。そこには死者への丁重な想い。日々の報告、感謝、道徳など。死者と生者が幸せになるためのエッセンスがたくさん入ってるんです。そして、今を生きる智慧も。墓参りって、ほんとに美しい日本文化ですよ。マスコミの皆さん。死を馬鹿にしてませんか? 死を軽く見てませんか? 表面の現象ではなく、背景にある孤独を取材してください」(大阪府・50代男性)

 ■墓じまい終え、さっぱりした
 東京都の福嶋圭子さん(82)は、10年ほど前に静岡県にある先祖の墓を「墓じまい」しました。戦時中、戦禍から逃れるために祖母と疎開し、3回も墓を移したそうです。
 20歳の頃、祖母が亡くなり、静岡の墓に埋葬しました。それ以来、戦争の思い出がある静岡からは次第に足が遠のくようになり、めったにお参りにも行かなくなりました。年をとり、自分の死も意識するようになると、墓は重荷になっていき、妹と相談し、墓じまいを決めました。
 先祖の骨は、寺の合葬墓に埋葬してもらいました。「お気持ちでいい」と言われ、10万円ほど払いました。事がすむと、「さっぱりしたいい気分」になったといいます。
 寺や墓への抵抗感から、「自分は自分らしく死にたい」とずっと考えてきたという福嶋さんは、8年ほど前に都内の樹木葬の墓地を見学し、「ここだ」と感じました。広がる芝生の上を小鳥が飛び交い、桜の木もあります。これまでの暗いお墓のイメージとはまったく違っていました。2年後、20万円で自分の区画を購入しました。
 息子には、「骨を持って行ってくれるだけで、お参りもいらない」と言ってあります。最近、息子の妻の父親が亡くなり「ボート部だったから海洋散骨した」と聞きました。気持ちがふっと明るくなりました。「みんな、自分の好きにしていいんですね」(田中聡子)

 ■「継ぐ人いない」全国から相談 NPO法人「やすらか庵」代表の清野勉さん
 千葉市のNPO法人「やすらか庵(あん)」は、無縁仏を増やさないため、墓じまいに関する相談に応じています。代表で、真言宗の僧侶でもある清野勉さん(58)は「相談は、全国から毎日のようにきます」。
 最も相談が多いのは70代。「後を継ぐ人がいない」という理由が大半ですが、夫婦それぞれの実家に墓があるなど「数を減らしたい」という人も。散骨のサポートを15年前から始め、墓じまいの要望が大きく増えたのは7、8年前といいます。いまでは重機を自前で用意し、実際に墓を撤去する作業も請け負っており、昨年は50件ほど手がけました。
 注意点は、お墓がどこにあるか、遺骨をどうしたいかによって異なります。公営墓地であれば、届け出をして許可をもらい、撤去するだけです。ただ、同じ墓地にある合葬墓に移したいなら、申し込みや合葬の時期が決まっており、墓じまいもそれにあわせることになります。
 民間の墓地や寺は、利用できる石材店が指定されていることが多々あります。「どうしても見積もりが高くなりがちですね」と清野さん。
 寺の場合、ほかにも金銭にからむ相談が目立ちます。墓じまいを申し入れたら数百万円の「離檀料」を求められた、同じ寺の永代供養墓を勧められ200万円と言われた――。相談を受けて清野さんが寺と交渉することも多く、離檀料を半額以下にしてもらった例もあるそうです。
 とり出した遺骨を自宅に持ち帰ることは基本的に認められません。散骨する場合、改葬の届けが必要かは自治体によって異なり、船に乗って一緒にまく形だと通常は十数万円。格安の業者も出てきましたが、「岸の近くでまくなど、よくない業者もいます」。墓の撤去費用は、墓の大きさや作業のしやすさなどで変わり、やすらか庵の場合は「通常の墓で20万~30万円程度」だそうです。(山田史比古)

 ■「家」から「個人の選択」に
 「あなたの実家の墓に入ることは選択肢にないから」。都内の会社員の女性(31)は昨夏、夫に伝えました。一昨年に結婚。夫の家の墓に行ったことはなく、夫の親にも数回しか会っていません。当然だと思って口にした言葉でしたが、夫は驚いたような表情を浮かべていました。
 「なぜ結婚したら夫の家の墓に入らなければいけないのか」「家と結婚するわけじゃない」と幼い頃から思っていました。夫のことは大切ですが、「死んでしまったら生身の人間の関係ではないのだから、どこの墓に入っても、墓がなくてもかまわないのでは」と考えています。自身は散骨に関心があり、インターネットなどで情報収集しています。
 「墓をめぐる家族論」などの著者でNPO法人エンディングセンターの井上治代理事長は、「夫の家の墓に入るということが当然ではなくなってきている」と指摘します。2000年ごろ、井上さんの周りで「夫と同じ墓に入らない」と選んだ人の多くは、夫の親との関係がうまくいかなかったり、夫の実家で肩身の狭い思いをしたり、「『家』意識に押しつぶされた人が、墓を別にすることで逃れようとしていました」。それがだんだんと「個人の選択」になってきており、「夫婦や家族がお互いの意思を尊重し、結果的に夫と別の墓になった」という人が増えているそうです。永代供養墓などの「継承しない墓」が増えたことも、女性の選択肢を広げたと分析しています。
 井上さんは「家制度がなくなっても、『代々続いてきたものを、誰かが継いで守る』という家意識が色濃く残っていたのが墓でした。それがやっと、変わってきています」と話しています。(田中聡子)」(
2018/02/18付「朝日新聞」p9より)

おとぎ話のような上の記事と、リアリティのある下の記事。
現実は、なかなかおとぎ話のようにはいかない・・・。

自分も古希を過ぎた。カミさんとの雑談にも「終活」の話題が多くなってきた。我が家も、墓については上の記事と同じような課題を抱えている。
終活で、財産分与は前向きの課題。それはどうにでもなる。ならないのが、自らの介護と墓。特に墓は自分が死んだ後の話なので、如何ともし難い。せいぜい、自分より長生きするはずの家族に希望を言っておく位。

さっき(2018/04/09 17:49)のTV朝日の番組。「区内20%が“陸の孤島” 孤立化する!世田谷シニア”商店街消滅・・・買い物も苦労」という特集をしていた。
世田谷区の調査では、バスの通れない狭い道路が多く、高越不便地域は20%もあるという。
そして高齢化・孤立化の背景として「高級住宅地のプライド」があるという。それにより、近所付き合いが22人中16人が「近隣との交流が希薄」と答えているという。
そして元自動車関連会社を経営していた83歳の男性は、4年前に奥さんを亡くして生活が一変。外に出掛けるのは2~3ヶ月に1回。ひとり息子とは疎遠。足も衰えてしまい、家事はお手伝いさんに一任。食事もお手伝いさんが作ってくれたものをチンして食べるだけ。
一見、悠々自適に見えるが「現在の生活と妻がいたときの生活のギャップが、あまりにもありすぎる。この不自由さ、この寂しさ、この悲しさ。早く死にたいんだよ!」
世田谷区という誰もがうらやむ所に住んでいる人も、その「3高(所得水準・学歴・職種が高い)」というプライド故に、老後はなかなか大変らしい。

もはや、子どもに頼る時代ではない。
上の「寺や墓への抵抗感から、「自分は自分らしく死にたい」とずっと考えてきたという福嶋さんは、8年ほど前に都内の樹木葬の墓地を見学し、「ここだ」と感じました。・・・2年後、20万円で自分の区画を購入しました。息子には、「骨を持って行ってくれるだけで、お参りもいらない」と言ってあります。」という記事を読んで、「おっ、カミさんと同じような事を言う人がいる」と思った。

余命宣告されるような大きな病気が見付かる前に、墓をどうするかは、夫婦と家族の間で相談しておくべき問題かな、と思った。自分は上の“おとぎ話”が好きなのだが・・・


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コメント

これ以上、日本の狭い国土に墓が増え続けたら
最終的には生きている人より墓の方が多くなってしまいます。山を削り樹木より墓石がいっぱいになったらと思うと笑えません。家よりも個人を大事にする時代になれば。先祖代々の墓はいらなくなります。お骨より灰にして地中に埋めることになれば墓石は不要になりますね、
残された人は心の中で思い出を大事にして生きればいいと思います。我が家も結婚しない息子は一人で死後を考えるでしょう。墓石はありますが、まつる人がありませんから、いずれ市の厄介になって永代供養の中に入ると思います。
「死は眠りの続き」だそうです。すべてのものが夢の中、意外に楽しいかもしれませんよ。

【エムズの片割れより】
たまたま今日、カミさんの母親が眠っている菩提寺から、お墓の管理料の振込用紙が送られて来ました。年7000円。10年で7万円。100年で70万円。
ヘタに墓じまいをするより、毎年管理料を払っていた方が、金銭的には安いのかも・・・
カミさんが「自分の墓は、自分の希望通りにしないと、化けて出る」と言っています。もし万が一、自分が後なら、カミさんに化けて出られた方がにぎやかな・・・なんて、思案中です。

投稿: 白萩 | 2018年4月11日 (水) 11:01

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