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2018年3月28日 (水)

「過ち犯した人はだめ?」

今朝の朝日新聞にこんなコラムがあった。
「(後藤正文の朝からロック)過ち犯した人はだめ?
    アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん

 「何かした人は絶対にだめだとは、人権教育の上でもしたくない」
 前川喜平・前文部科学事務次官が講演した名古屋市内の中学校の校長が、記者会見で発した言葉だ。
 文部科学省は名古屋市の教育委員会に対して、前川氏を招いた狙いや、講演の内容について問い合わせ、録音データの提供を求めていたという。
 それを受けた記者の「問題を起こした人を教育現場に招くのは妥当か、と文科省は質問しているのでは」という指摘に、校長は先に書いたように答えた。
 人生における失敗や過ちは、どんなものであれ取り返しがつかないと考えながら生きてゆくのはつらい。普段、何げなく歩いている道が断崖絶壁の間に架けられた細い板だとしたら、僕は足がすくんで動けなくなるだろう。
 石でも汚い言葉でも、罪を犯した人間にはなんでも投げつけてよく、人間として扱う必要がないと考えている社会を想像すると、背筋が寒くなる。
 自分はこれまでにひとつの罪も犯しておらず、清廉潔白でない他者は許さないと考える人たちによる社会は、とても息苦しい。
 また、権力を持つ者たちが、思いのままに人々の権利を抑え込むことができる社会を望んでいるとしたら、とても恐ろしい。
 教育は、そうした社会を拒むための、ひとつの手段であることを願う。(ミュージシャン)」(
2018/03/28付「朝日新聞」p34より)

「自分はこれまでにひとつの罪も犯しておらず、清廉潔白でない他者は許さないと考える人たちによる社会は、とても息苦しい。」という指摘はその通りだと思う。
そもそも、長い人生の中で、「消したい過去の行為」がひとつも無いという人はいるのだろうか?
もしいたら、そんな人は、“自分が絶対で、全てで自分が正しい”という考え方の人なのだろう。それとて、他人から見れば「何だあいつは・・・」となって、「過去を悔いて消したい」と考える人よりも、もっと始末が悪い。

Net社会が発達して「忘れられる権利」という概念が生まれている。もちろん自分にも忘れたい過去はある。もしそれが現代のように、Net上で掲載されていたら、と考えると背筋が寒くなる。
もちろん「取り返しが付かない行為」というのはある。貴乃花部屋の暴力事件もそのうちのひとつだろう。
しかし「自分(だけ)の愚かな過ち」、しかも他人に害を与えないような行為は、忘れ去られて良いと思う。もしそれを永久に皆が知る可能性があり、それを知られることによって自分が軽蔑される可能性があるとすれば、その秘密がバレるのではないかと、ヒヤヒヤの毎日を送ることになる。そんな息苦しい生活はたまらない。
大昔の数回の自分の愚かな行為が、幸いなことにNet上にも上がらず、自分以外の記憶から消えているという有り難さ・・・。
Netに簡単に情報が上がってしまい、それがなかなか消せない今の社会は、自分個人的には息苦しい社会であると思う。

201803282020260b8 <付録>「まんがイラスト ぼうごなつこのページ」(ここ)より


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