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2018年2月 4日 (日)

これからの弔い

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
「(ニッポンの宿題)これからの弔い
■《解く》人生の苦に「かかりつけ寺」を 松本紹圭さん(僧侶)
 仏教は歴史があまりに長く、寺や僧侶の本来的な存在意義が見失われがちです。社会や家族のあり方が加速度的に変わり、葬儀や墓といった死者供養でも今までの型は維持できません。今こそ、より深く原点に返るべきです。しがみついているものを手放し、より大きな視点で見る必要があります。
 寺や住職のあり方を見つめ直す「未来の住職塾」を開いています。卒業生は約500人。自分の寺を守れるのか、次世代にどうバトンを渡すのか。このままだと寺は若者にとって負の遺産になります。住職塾では寺が何のためにあるのか考え、檀家(だんか)や住民と率直に話す機会を持ちます。だんだんと地域の抱える苦が見えてきます。
 葬儀や法事だけすればいいという今までの寺のあり方が単純すぎました。価値観、経済力、家族構成など多様性が増すなかで、寺との関係がしっくりきていない人たちに、ちょうどいい距離感で関係を持つことができる柔軟な仕組みを示すべきです。ポスト檀家制度時代における寺の新しい会員制度のデザインが求められています。
 この世は諸行無常です。一切は変化すると、仏教自身が言っています。当然、葬儀も墓も世相を反映して変わっていきます。
 葬儀や墓はいらないと言う年配者が増えていますが、かつてのお年寄り世代は「死では終わらない命の物語」を持っていました。浄土、天国、あの世、来世、極楽……。最近の若い世代では再び死後の物語を信じる人が増えているのが面白い傾向です。
     *
 いま個人的に重視しているのは「トランジション(遷移、変わり目)」というキーワードです。誕生、受験、就職、結婚、病気、そして死。長寿時代の人生はさまざまな変化に満ちています。
 人生をこうしたいと願っても思い通りにならないことを、仏教では苦と言います。トランジションのタイミングは、自らの苦を見つめ、苦に学び、苦を抱きつつ、それにとらわれない生き方へと転換するきっかけを与えてくれます。最たるものが近しい人の死です。
 遺族は何を失うのでしょうか。人生相談に来た女性の話です。仲の良かった母が急死した。彼女は、母という存在だけでなく、母といたときに起こってきた私自身の感情や考え、行動も失います。母の死によって「私の一部」も失うのです。その意味で、亡き人の葬儀は私自身の葬儀でもあるのです。法事も墓もそう。亡き人を追慕し、亡き人を失った新しい私を少しずつ受容するプロセスです。葬儀なし、墓なしは、そのような大切な機会を奪っています。葬儀は、残された人にこそ重要です。
     *
 インターネットで僧侶派遣を頼む人が増えています。お経をあげてくれれば誰でもいいなら僧侶の将来はAIロボットに取って代わられるでしょう。戒律は破らず、お経も完璧。合理性なら人間に勝ち目はありません。しかし、その時代には「人間とは何か」という根本が問われます。合理性で解決できない領域を扱うのが宗教であり、僧侶が根本の問いを持ち続ける限り、役割はあると思います。
 経済的合理性という観点からも僧侶派遣は、やや疑問です。お布施を定額にして明朗会計をうたっていますが、中間業者が入れば余分なコストが生まれます。また、短い間に利益をめざす企業の論理は、死を受け入れるという長期のプロセスを扱うのに適しません。
 顔の見えない派遣に頼る前に、まずは近くの寺に相談してはどうでしょうか。ホームページを工夫してコミュニケーションの入り口を開いているので、葬儀や法事を直接頼める寺が増えています。あなたにぴったりの「かかりつけのお坊さん」を見つけて下さい。(聞き手・いずれも岡田匠)
     ◇
 まつもとしょうけい 1979年生まれ。東京大学卒業後、インドでMBAを取得。12年、寺の経営を指南する「未来の住職塾」を始める。」
(2018/01/20付「朝日新聞」p15より)

この一文で、下記の部分が気になった。
「遺族は何を失うのでしょうか。人生相談に来た女性の話です。仲の良かった母が急死した。彼女は、母という存在だけでなく、母といたときに起こってきた私自身の感情や考え、行動も失います。母の死によって「私の一部」も失うのです。その意味で、亡き人の葬儀は私自身の葬儀でもあるのです。」

この「母」を「妻」などに置き換えて考えてみると、確かにそうだな、と思う。TVドラマを見たり、ニュースを見たり、散歩したり、買い物に行ったり・・・。それらの一緒に行動し、話していた事も死を迎える。その存在故に起こり得る事象の全てを失う。それが死というもの・・・

そして今朝(2018/02/04)の朝日新聞にもこんな記事が・・・
弔いのあり方
不透明なお布施、不信感
 埼玉県深谷市の会社員、松本江美子さん(53)からメールが届きました。寺との付き合いを断ち、家族だけのこぢんまりした葬儀を営んだと言います。詳しく聞いてみました。
 きっかけは5年前、84歳で亡くなった父の葬儀でした。母は認知症で施設に入っていて、寺との付き合いは父任せでした。相談相手もいないなかで、葬儀社から祭壇や棺のランクなどを次々に尋ねられました。
180204tomurai  戒名料を含めたお布施はいくらか僧侶に聞くと「15万円から」と言われました。「から」が気になりましたが、15万円を払いました。1カ月後、友人の父が亡くなり、同じ僧侶でした。友人へはお布施として「35万円から」と求めたそうです。「お布施が不透明で、不信感が残りました」。四十九日法要は僧侶を呼ばず、家族だけで納骨しました。
 昨年12月、90歳の母が亡くなりました。インターネットで調べ、定額の葬儀を提供する業者に頼みました。僧侶へのお布施も含めて20万円。紹介された僧侶とは火葬場で初めて会い、お経をあげてもらい、3万円を渡しました。母に戒名はなく、四十九日法要もしません。
 墓は父が生前に民間霊園にたてましたが、「子どもたちに墓守をさせたくない」とその墓を閉じ、永代供養墓に父母の遺骨を納めます。自分が亡くなれば、海に散骨してもらいたい。子どもたちにも伝えました。
 家に仏壇はありません。部屋に両親の写真を飾って線香を供え、話しかけています。松本さんは「遠くにあって、なかなか行けないお墓より、身近にある写真や大切なもののほうが追慕できると思います」と話しています。(岡田匠)」(
2018/02/04付「朝日新聞」p9より)

お布施の不明瞭さは、良く言われるが、この例では「墓は父が生前に民間霊園にたてましたが、「子どもたちに墓守をさせたくない」とその墓を閉じ、永代供養墓に父母の遺骨を納めます。自分が亡くなれば、海に散骨してもらいたい。」との割り切り・・・・

お墓とはいったい何だろう。お骨の保管場所? 故人を偲ぶ場所?
上の例の、「家に仏壇はありません。部屋に両親の写真を飾って線香を供え、話しかけています。松本さんは「遠くにあって、なかなか行けないお墓より、身近にある写真や大切なもののほうが追慕できると思います」と話しています。」というのも、納得できる。特に若い人は同じように考えるのでは??

若い人が、納骨の場所を自由に考え、仏壇ではなく写真を追慕の対象と捉えると、確かに付き合いが大変な菩提寺は、負の遺産。すると、それは先祖が若い人に押し付けるものでは無い、という考え方も・・・

どうもトシのせいか、こんな記事をついマジメに読んでしまう。そして、その都度自分の言うことがコロコロ変わる。つまりは、思想がないということ。
ま、自分が逝った後の“始末”は、カミさんが自由にやれば良い。死んだ後のことは、どうせ「死人に口無し」。何も言わん。

それにしても、今の檀家制度は、どう見ても長続きするとは思えない。これからの弔いの方法は、古い檀家のしきたりや、不明朗な風習に囚われず、個人それぞれの価値観によって行われて良いと思う。
それぞれが持っている菩提寺などとの“しがらみ”を今後どうするのか、自分たちのお骨が子ども達への負の遺産にならないように、そろそろ考えておく必要があるのかも知れない。


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コメント

今の時代、檀家だとかお布施だとかは「古い」と感じている人がほとんどでしょう。
自分の家がどこの寺と関わっているのか分からないし、お布施も、その金額の内訳がどうなっているのやら。
確かに「お墓って何?」ということになってくるのだと思います。

http://www4.nhk.or.jp/P4235/x/2018-02-10/10/22849/2899065/
こちら、遂に最終回となります。

【エムズの片割れより】
予約しました。

投稿: マッノ | 2018年2月 8日 (木) 01:39

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