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2018年2月18日 (日)

「死にたければ一緒に死ぬよ」日本一短い手紙のコンクール~家族での死

先日の朝日新聞にこんな記事があった。
死にたければ一緒に…一筆啓上大賞の14歳「びっくり」
 26日に入賞作品が発表された日本一短い手紙のコンクール「一筆啓上賞」(坂井市、丸岡文化財団主催)で、福井県内からは坂井市立丸岡南中学校2年、玉村綾音さん(14)の作品が大賞に選ばれた。「『母』へ」がテーマ。母から言われて自らが救われた一言を、手紙にしたためた。
 小学1年生のときから、毎年授業で手紙を書き、コンクールに応募してきた。これまでに入選の経験はなかったが、8回目の応募で初めての入賞がトップの大賞。受賞の決定を受け、玉村さんは「ただただびっくり」と喜んだ。
 小学3年生のときのクラス替えの後、それまで仲の良かった友達と関係がうまくいかなくなった。「もっと仲が悪くなるのが嫌で、我慢してしまう」。1年経っても、関係は良くなることがなかった。
 母・かおりさん(47)はそんな玉村さんのことを心配し、毎日のようにその日のことを尋ねてくれた。4年生の夏、学校から帰宅後にリビングで一緒にテレビを見ていたときも、「今日はどんなことがあったの」と聞いてきた。
 友達のことで1年以上も悩み、「もう生きていてもしょうがないかな」とまで思うようになっていた。そして思わず、「死にたい」と口にしたという。そのとき母から出たのが、「死にたければ一緒に死ぬよ」という言葉だった。
 「お母さんが死ぬのだけは本当に嫌だ」。自分が生きていればこの先も一緒にいられると考え、思いとどまった。何があっても味方でいてくれる母がいる心強さで、ずいぶん気持ちも楽になった。
 かおりさんは娘から出てきた「死にたい」という言葉に、ショックを受けた。作品中の言葉については、「こう言ったら思いとどまってくれるかなとは考えずに、そのまま出てきた言葉だった」と振り返る。そして、「今こうやって(手紙として)言葉にできるというのは強い子だな、乗り越えているからなんだなと思う」と語った。
 玉村さんは現在、吹奏楽部でクラリネットを練習しながら、週2回は車で片道40分ほどかけてバレエのレッスンに通う。友達との関係が改善した今も、母の言葉に支えられている。
 「不安なこと、嫌なことがあっても、お母さんがついていてくれると思うと乗り越えられる。この言葉は大人になっても、一生忘れません」(南有紀)

「一筆啓上賞」大賞 坂井の中2・玉村さん
「お母さん」へ
 「死にたければ一緒に死ぬよ」この一言が私の生きる支えです。
」(
2018/01/27付「朝日新聞」ここより)

娘が悩んでいたとき、「一緒に死ぬよ」というひと言には、どのような思いが込められているのだろう・・・。
子どもへの親の思い・・・・

一方、こんな悲惨な事件もあった。
逮捕の父親「殺害後にガソリンまいた」 浮気めぐり別れ話あったと説明
 茨城県日立市田尻町の3階建て県営アパートの一室から出火し、母子6人が死亡した事件で、殺人容疑で逮捕された自称会社員の小松博文容疑者(32)が「家族を殺した後、ガソリンをまいて火をつけた」と供述していることが7日、捜査関係者への取材で分かった。また、亡くなった妻の恵さん(33)との間に浮気をめぐる別れ話があったと説明をしているという。
 県警は同日、長女の夢妃(むうあ)さん(11)への殺人容疑で小松容疑者を送検し、アパートの現場検証をした。
 県警によると、他に死亡したのは、長男の幸虎(たから)君(7)、次男の龍煌(りゅあ)君(5)、双子の三男の頼瑠(らいる)君(3)と四男の澪瑠(れいる)君(3)。
 捜査関係者によると、6人の遺体には腹部など上半身を中心に複数の刺し傷や切り傷があった。火災による損傷は大きくないという。6人は小松容疑者に刃物とみられるもので切りつけられて殺害された可能性が高いとみて、県警は今後司法解剖して詳しい死因を調べる。」(
2017/10/07付「産経新聞」ここより)

茨城県の一家6人殺害事件 父親「子どもだけ残ったらかわいそう」
 茨城県日立市で一家6人が殺害された事件で、子供の殺害を認めている父親が理由について「親がいなくなり、子供だけ残ったらかわいそうだと思った」という趣旨の供述をしていることがわかった。
 この事件は今月6日日立市のアパートの1室から火が出てこの部屋に住む小松恵さんと子供5人が殺害されているのが見つかったもので、父親の小松博文容疑者が長女を殺害した疑いで逮捕されている。」((
2017/10/26ライブドアニュース)

この事件では、子どもの命は誰のものか?というテーマが隠されている。上の記事の父親は、子どもの命は自分のもの、という大きな勘違いをしていたのだろう。
あまりに軽薄な父親のため、母親への憾みの延長線上で、何の落ち度もないいたいけな5人もの子どもの命が失われた・・・。
この父親は、どのような責任を取るのだろう。まさか、自分の“所有物の処分”などとは思ってはいないと思うが・・・
この理不尽さに比べると、先の記事の母親の「一緒に死ぬよ」の声は暖かい。

心中は殺人である。よく、相手を殺して自分が死ねずに事件になることがある。まさに心中という美名に名を借りた殺人。
ふと、沖縄戦で、多くの家族がひとつの手榴弾を囲んで集団自決したことを思い出した。
ここにも「子供だけ残ったらかわいそう」という思想が見える。
人と人とが支え合って、社会を形作る人間。その人間関係における家族とは何だろう?
家族という人間社会の最小単位のひとつの塊を作っているにせよ、構成している人は、それぞれ独立した人間。その命は誰の所有物でもない。
ふと、家族と命について、考えさせられてしまった。


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