« 2018年「平昌冬期五輪」に思う | トップページ | デューク・エイセスの「別れた人と」 »

2018年2月21日 (水)

愛犬を亡くした人への詩「虹の橋」

カミさんが図書館で借りた伊藤比呂美さんの「犬心」という本に載っていた「虹の橋」という詩を、心に残ったということで、ノートに写していた。今日はその紹介。
Netで検索すると、この詩は、1980~1990年代にアメリカで作られたが、作者は特定されていないとか・・・。英文詩なので日本語訳は色々ある。その訳のうち(ここ)から引用してみた。

「虹の橋・Rainbow Bridge」
【第1部】虹の橋

天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。
この地上にいる誰かと愛し合っていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。
そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。
食べ物も水もたっぷりあって、お日さまは降り注ぎ、みんな暖かくて幸せなのです。
病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、元のからだを取り戻すのです。
まるで過ぎた日の夢のように・・・
みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。
それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんがここにいない寂しさのこと・・・。
動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日・・その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに震えはじめます。
突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、それは速く、飛ぶようにあなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしないのです。
幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、あなたの両手は愛する友を優しく愛撫します。
そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、その心からは一日も消えたことのなかったその瞳を。
それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです・・・。

【第2部】虹の橋にて
けれど、動物たちの中には、様子の違う子もいます。
打ちのめされ、飢え、苦しみ、誰にも愛されることのなかった子たちです。
仲間たちが1匹また1匹と、それぞれの特別な誰かさんと再会し、橋を渡っていくのを、うらやましげに眺めているのです。
この子たちには、特別な誰かさんなどいないのです。
地上にいる間、そんな人は現れなかったのです。
でもある日、彼らが遊んでいると、橋へと続く道の傍らに、誰かが立っているのに気づきます。
その人は、そこに繰り広げられる再会を、うらやましげに眺めているのです。
生きている間、彼は動物と暮らしたことがありませんでした。
そして彼は、打ちのめされ、飢え、苦しみ、誰にも愛されなかったのです。
ぽつんとたたずむ彼に、愛されたことのない動物が近づいていきます。
どうして彼はひとりぼっちなんだろうと、不思議に思って。
そうして、愛されたことのない者同士が近づくと、そこに奇跡が生まれるのです。
そう、彼らは一緒になるべくして生まれたのでした。
地上では巡り会うことができなかった、特別な誰かさんと、その愛する友として。
今ついに、この「虹の橋」のたもとで、ふたつの魂は出会い、苦痛も悲しみも消えて、友は一緒になるのです。
彼らは共に「虹の橋」を渡って行き、二度と別れることはないのです。

【第3部】虹の橋の雨降り地区
幸せと愛の奇跡に満ちている、「虹の橋」の入り口に、「雨降り地区」と呼ばれる場所があります。
そこではいつもシトシト冷たい雨が降り、動物達は寒さに震え、悲しみに打ちひしがれています。
そう、ここに降る雨は、残して来てしまった誰かさん、特別な誰かさんの流す涙なのです。
大抵の子は半年もしないうちに、暖かい日差しの中に駆け出して、仲間と戯れ、遊び、楽しく暮らす事ができます。
ほんの少しの寂しさと、物足りなさを感じながらも・・・。
でも、1年経っても2年経っても、ずっと「雨降り地区」から、出て行かない子達もいるのです。
地上に残して来てしまった、特別な誰かさんがずっと悲しんでいるので、とてもじゃないけれど、みんなと楽しく遊ぶ気になれないのです。
地上に残して来た誰かさんと同じ辛い想いをして、同じ悲しみに凍えているのです。
死は全てを奪い去ってしまうものではありません。
同じ時を過ごし、同じ楽しみを分かち合い、愛し合った記憶は、あなたの心から永遠に消え去る事はないのです。
地上にいる特別な誰かさん達の、幸せと愛に満ちた想い出こそが、「虹の橋」を創り上げているのです。
ですからどうか、別れの悲しみにだけとらわれないでください。
彼らはあなたを幸せにする為に、神様からつかわされたのです。
そして、何よりも大事な事を、あなたに伝えにやって来たのです。
命の儚さと愛しさを・・・
その間の温もりに感じる、慈悲の心の尊さを・・・
その短い生涯の全てを以って、教えてくれるのです。
癒える事のない悲しみだけを、残しに来るのではありません。
思い出してください。
動物達が残して行ってくれた、形にも言葉にもできない様々な宝物を。
それでも悲しくなったら、目を閉じてみてください。
「虹の橋」にいる、彼らの姿が見えるはずです。

何度か書いているが、我が家の愛犬ヨーキーの「メイリー(通称:メイ子)」は15歳。ガンコ婆さんはまだまだ健在。最近消化器の具合が悪く、下痢気味で体重も2.4キロまで減った。

一昨日の夜中(午前0時頃)、寝る前の洗面所で何やら小さなメイ子のウンチの痕を発見。しょうがないので拭いてやるか、と一歩踏み出すと、スリッパがグニャ! 何だ?と一歩後ずさりすると、床の上にスリッパのウンチの痕が点々と・・・。スリッパを裏返すと、見事にウンチを踏んづけた痕。スリッパ-を水で洗い、床掃除。「このヤロウ!」とメイ子の寝床を見に行くと、スヤスヤと・・・
どうも、尻にウンチが付いたままトイレから引き返し、途中で落ちたらしい。

昨夜も同じ。寝る前に洗面所に行った時、今度はオシッコの“はみ出し”を発見。これはメイ子がたまにやる。わざと、トイレの縁にオシッコ。これは飼い主に対する嫌がらせ。
夜中なので見ぬふりをしても良いのだが、気を取り直してオシッコシートで掃除。
こんなに世話をしていても!?メイ子にとって飼い主はあくまでもカミさんひとりだけ。自分は“その他”。よって自分との接点は、唯一食事の時。「ウフン!」と寄ってくるのは、食べ物のおねだりの時だけ。その時も、抱いてやると直ぐに後ずさりしてコタツの中に潜り込み、カミさんの座っている両脇から脱出。
そんなメイ子だが、こんな詩を読むと、確実に近付いているメイ子との別れは、さぞツライだろうな、と思う。
自分たちの“その時”だけでなく、メイ子との“その時”にも心の準備が要るな、と感じる最近の我が家ではある。


« 2018年「平昌冬期五輪」に思う | トップページ | デューク・エイセスの「別れた人と」 »

コメント

オペラ記事がご縁で読ませていただいてます。いつも長文お疲れ様です。お初のコメントです。

今回ブログを読ませてもらいチョット癒される思いです。うちには長寿の猫や犬もおりすぐそこに迫る悲しみにうろたえる自分を想像するだけでした。

最近は画像や動画が流行りのなかで文字を読む喜びを思い出させてくれています。
ではまた。
(^Ω^)

【エムズの片割れより】
コメントありがとうございます。
まあ退職老人の気ままなので・・・
「長い!」と言われて久しく・・・
でも、なかなか短くなりません。コピペで・・・

投稿: untikusai | 2018年2月22日 (木) 12:53

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 2018年「平昌冬期五輪」に思う | トップページ | デューク・エイセスの「別れた人と」 »